タンザニア 4

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翌日は少しゆっくり朝食をとって8時スタート。チェックアウトを済ませてジープに乗り込む。
本日は午前中動物を観ながら戻り、夕方ンゴロンゴロのセレナロッジに到着という予定。

少し北の方にむかってまずはスタート。ハゲコウやかっこいい猛禽もたくさんみられたし、ライラックブレスティッドという綺麗な鳥も、ハタオリドリも、名前はわからないけれど道端のアリヅカに必ずいて、「ぴーちゅり~」ととっても澄んだ良い声で歌う鳥も、なんとしてもみたかったセクレタリーバードも、たくさんみられた。鳥がすきな日本人は珍しいとジョンはいう。

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ジョンがガイドとして感じた各国人の特徴をおしえてくれた話が以下。特に他意はなく、聞いたままを書いてみる。

まず、鳥が好きなのはアメリカ人とイギリス人。日本人はとにかく小さいものが好きで、幼獣や小動物をみて「かわいい~」と喜ぶ。
フランス人とイタリア人は大物が好きで大物しか興味がない。アメリカ人が鳥をみて喜んでいると「なにがおもしろいんだ」と馬鹿にする。
イタリア人は加えて群れが大好きで大騒ぎする。

ロシア人は何が好きかというと、お酒とショッピング。撮る写真はバーとプールで、サファリの間、動物を見つけて後ろを振り返ると寝ている。そして「俺はキリンをみてないぞ」といって、空港でキリンの木彫りを買って帰る。
インド人は食べてばっかり。ロシア人とアメリカ人はチップをはずむからお金持ちのイメージ・・・。などなど。
まだ中国韓国はさほどいないようで、話題には上らなかったし、実際ほとんどみかけなかった。

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そしてセレンゲティの中央部、一番動物が集まるというセロネラで、樹成りライオン親子をみて、ランチは展示場があるところで。ガイド修行中の若い女の子が、ひとわたり展示を説明してくれた。15分ほどだけれどなかなか面白く、励ましの気持ちでできる限りのお礼をした。そして名残をおしみながらとうとうセレンゲティを去る時がきた。ゲートを振り返り振り返り、レセプションでチェックアウトの手続きをしてもらい、溜息をつきながらまたマッサージロードを揺られ、4時半ごろンゴロンゴロのセレナロッジに到着。

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セレナはソパよりランク上とされているが、部屋自体はセレンゲティのソパのほうがモダンでファシリティも上等だったし広かったし、飲み物のサプライもたっぷりあった。
セレナはこじんまりした野性的な味わいで、ほんとに山のロッジという雰囲気。
2300mの高度にあるため、かなり寒い。部屋にもヒーターがはいり、レストランには暖炉に薪が燃えていて、スタッフは分厚いフリースのお仕着せだった。

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暖炉のそばの席に案内され、2日ともコース。ここでやっとやっと、食べてみたかったウガリを試すチャンスが訪れた。これがおいしい。ほんとうにおいしくて、動かずに食べ過ぎの毎日のとどめをさすがごとく、完食。頼んだのはローカルフードコースなのだが、この肉もとってもおいしくて、褒めちぎったらなんと山盛りにお代わりをくれた。もちろん完食。おかげで翌日から3日間、胃が痛くてまともに食べられなくなってしまった。

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満腹で部屋に帰ると、ベッドの用意ができていて、さすがに寒いので(5~10度の間と思われる)蚊もいないから蚊帳はないかわりに、こんどは湯たんぽが入れてあった。これはうれしかった。シャワーを浴びても手足が温まらずちょっと辛かったから、ほんとにうれしい心遣いだった。

ウガリというのは白トウモロコシの粉を練ったもので、マッシュポテトを想像するとよい。これがもちもちネチネチして、ものすごくうまい。市販品の商品名(メイズ)と作り方を教えてもらい、最後まで買おうとしたけれどとうとう買えなかった。帰国して当然さがしたら、アメ横で売っているので、商品名はちがうけれども無事入手。まだ作っていないけれど、あの幸せだった日々を思い返したいときに作ってみようとおもっている。

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タンザニア 3

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ゲートをくぐるとすぐ、ジョンが「ゾウサン」という。一瞬思考がとまり「象さん」であることを認識する。左右にそれぞれ1頭ずつ、樹の枝をちぎっていた。すこし高台になっているそのゲート付近からまっすぐに伸びる細い道の両脇に、ほんとうにほんとうに果てしない草原が広がっている。セレンゲティ、それはマサイ語で「はてしない草原」。

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そこに黒い点がびっしりと。それはヌーの大群だった。マサイマラへのマイグレーションだ。ここのところ雨が降らないので、ヌーも進行方向を定めかねているのだそうだ。セレンゲティでの最大のイベント、それはヌーとシマウマの大移動である。これが子供のころから私の脳裏に刷り込まれた映像のもっとも強いもので、広く世に知られている。

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ヌーはとても嗅覚が優れているので雨の匂いを嗅ぎとって進行方向をリードし、シマウマはとても目がいいから捕食動物を警戒して危険を知らせる。この2種がお互い補い助け合い、協力共存して大移動を成功させるのだ。

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途中さまざまな動物たちと会いながら、ソーセージツリーもみたりして夕方、今宵の宿ソパロッジに到着。ハイシーズン1/4のお値段でとまれる。国立公園は道から外れることも許されない。当然、店舗等の人工物は最低限許可されたものだけになる。セレンゲティは宿泊してつは5軒のみ。キャンプ場が2つか3つか。乾季になると、水を求めて賢い象が、宿泊施設の貯水搭を襲うという。そのため常に銃をもって威嚇をするガードがいる。

ウェルカムドリンクと冷たいおしぼりのサービスを受け、チェックインを済ませて部屋へ。グレードが低いのかなんなのか、レセプションから一番遠い部屋の一つ手前。まあ、運動になるからいいのだが。とりあえず部屋でシャワーを浴びてテラスにでてみる。夕焼けに染まった大草原はどこまでも続き、鳥と動物のなく声が響いてくる。ただそれだけ。泣きたいほど幸せだ。

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お腹もすいたので7時半からのディナーには少し早いが、レセプションでしか拾えないWIFIを拾いがてら部屋を出る。さすがに山用の格好でははばかられ、襟のあるシャツなどはおっていく。実際そうでないと寒い。一人のディナーは誠に居心地が悪く、早々に退散。

 

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部屋に帰ると綺麗にベッドが整えられ、天蓋から柔らかで上質なレースの蚊帳が下りていた。キリマンジャロという名のビールでほろ酔い、テラスにでて星と月をみる。星はでも、山でみるほうがきれいだったかもしれない。

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翌朝。7時からの朝食を10分で済ませてレセプションに行くと、(朝陽を撮っていたら時間がなくなった)すでにジョンは来ていた。これは実はあまりないことのようで、ジョンが仕事に忠実な有能ガイドだからこそなのだ。通常はゲストにゆっくり朝食をとらせるスケジュールになるのだが(実際途中であった有名辺境ツアー会社の○遊ツアーさんたちは9時とかいっていた。ジョンが彼らのガイドから聞いた話。デコボコ道で疲れたからだと。)

せっかく貴重な時間とお金をかけてはるばるきているわけで、おかげさまで体力には恵まれた私はジョンのアグレッシブなやり方に無理なく対応できる。

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アカシアの樹冠をかすめるようにオウムらしき群れが飛んでいく。
朝のひんやりする空気の中をさっそく出かける。今日は丸々1日セレンでティを堪能できる。ジョンはジープの屋根を押し上げてくれる。これで胸から上は外に出る状態で、生身で草原を楽しめる。さっそくゾウの親子と遭遇。手を伸ばせば触れる距離だ。機嫌が悪ければ押し倒されかねない。

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そして丈高い草の中をゆく雄ライオンの兄弟をジョンが発見。道から距離があるのでもたもたしているうちに見えなくなってしまった。多分あの樹の影でしっぽが2本見えたはず、というと、出てくるまで待ってみようという。15分くらい粘ったけれどもでてこなくて、わたしも自信がなくなったところへ、ジョンはガイド業に徹してくれたおかげですごい動画と写真が撮れた。大興奮である。

そこからはもう、夢のような1日。ここに居られる幸せに、何度も何度も、屋根の上で風に吹かれながら泣けた。ランチは木陰で。そしてトイレは車の後ろで道にしゃがんで。
わいるどだろぉ~~~。

一歩たりとも道からはみ出してはいけない。そこに叢や岩陰があろうとも。
これはよほどタイミングを計らないと非常にきびしい。なぜなら草原は遮るものがほぼないからだ。かなり遠くても後続がくればお尻は丸見えである。そしてタンザニアの人はバカバカしく目がよろしい。そりゃああの草原をみていれば目も良くなるわ、とおもう。遥か遠くまで何ひとつないのだから。人工物はもちろん天然物もほぼない。そして空ってこんなに広いのかと思う。。
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どこまでもどこまでも大きい空と大地。

動物もうれしかったけれども、セレンゲティで一番打たれたのはこのことだった

この日は大収穫で、無理かとおもっていた木登りヒョウとその獲物、もっと無理だとおもっていた3頭の赤ちゃん連れのチータまで見られて信じられないほどの幸運であった。チータをみつけたのはジョンの大金星で、ここから仲間のガイドに知らせるとみんな感謝しながらやってきた。チータには気の毒だったのだが、彼女も大して気にする風でもなく、木陰でのんびり休んでいた。美しい美しい野性のチータを3mの至近距離でいやというほど見ることができた。二度とないことかもしれない。

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最近のアクティビティ 山と自転車

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タンザニアの合間に最近の活動の備忘。タンザニアは写真の選択がめんどくさくてなかなか進まない。

6月末に念願の南アルプス 聖岳・光岳の縦走完了。これで南アルプスの主要な山は走破。百名山も残すところはなくなった。ちなみに百名山はそろそろ90に近くなった。残すは北海道幌尻と羊蹄山、東北が早池峰、関東が筑波山、草津、男体山、四国3山、九州が阿蘇と祖母山、あら、あと11だわ。

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光岳はつまらなかったが、光から聖までの景観はすばらしく、南アでこんなにも庭園のような美しいところがあったのかと驚きだった。小屋開け準備のおじさんに、去年蔵のビールの放出までいただき、最高でした。

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7月海の日の連休は9月予定の長期縦走の下準備として、これも念願の赤牛へ。普通は黒部ダムまでトロリーバスでいって、ダム湖を船でわたって奥黒部ヒュッテまでいき、そこから読売新道経由。または新穂高温泉の方から三俣蓮華を経由して。でもこれは時間がかかりすぎるので却下。あとは高瀬ダム右岸をいって竹村新道か伊藤新道にてピストン?

私は七倉山荘から船窪新道を登り、船窪小屋まで3時間(コースタイム6時間)。スタートが9時になったので無理かと思っていたがこれならいけるとおもい、針ノ木谷へくだる。せっかく1400m急登をのぼったのにまた1000mおりることになってがっくり。しかも水量が多くいちいち靴を脱ぐのも面倒で、2回目からは膝までつかって渡渉をかなり繰り返す。ルートも不明瞭でまず人の歩いている気配はない。ひさびさにドキドキしたが、素晴らしいテンバをみつけて狂喜乱舞しつつ1泊目。

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2日目は6時にでて奥黒部ヒュッテ経由読売新道をとおって念願の赤牛まではよかったが、ここから水晶まで天候急変。読売新道でたあたりから猛烈な強風になったのが、この先雨も加わって暴風雨。立っていられないような冬の富士山級でほんとうに消耗してしまった。水晶小屋で泊まるつもりが、なんと改装中で営業前という。野口五郎まで行くしかないかと思ったら、歩いてくださいと言えない状況なので特例で空きスペースに泊まってくださいと。よかった。地獄に仏。改装中なので場所がないのだが、踊り場みたいなところにお布団までつかわせてくれた。もちろの料金は通常並みで。

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最終日、野口五郎から烏帽子を回ろうかと思ったが、絶対混んでるのは明らかなので、前から気になっていた竹村新道をおりることにした。裏銀座の山並みが強風をさえぎってくれるのでのんびり槍の雄姿を楽しみながら下り、なつかしい湯俣晴嵐荘でかき氷をたべたり、温泉につかったりして、最後はタクシーにて七倉山荘まで戻り。

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しかしひさびさにプチバリで精神的に消耗してしまった。竹村新道を歩きながら、来週は山はおやすみでもいいかなと初めて思い、歩くのに初めてうんざりして、これはいかんと。

モチベーションを復帰させねば。

自転車は、6月の白石でへたれて登れなかったショックがひどく、でも考えたら初心者のちょいのり程度のビアンキでよくこれまでがんばってきたとおもい、7年乗ってさすがに初心者レベルは脱したことだし、やはりヒルクライムには軽いのが欲しいと思い始めて、さがしてみてもまずサイズがない。最近女性向けといって小さいサイズもいくつかでているけど、どれもこれも、女はこの程度だろ、というのがありありな適当な仕様しかなくて腹立たしい。

イタリアの老舗人気ブランドデ・ローザ。おなじく高級ブランド、ウィリエール。アンカーからジャイアントからいろいろみたけど、どれも思想がない。そもそも女性用って山もスキーもそうだけど、ちゃらちゃらしたデザインで素材も仕様もおざなりなものばっかり。趣味といえどもスポーツを真剣にやりたい女はたくさんいるはずなのに。

そんななか、チャリ仲間がみつけれくれたドイツの新進バイクメーカー、CANYONが、全社挙げての肝入れで女性向けバイクを真剣に開発したと知らされ。見ると、驚くほどしっかりしたコンセプトと仕様。これしかないと思われ決める。めちゃくちゃ硬派。

通販のみ、つまるところメンテも基本自分でやらなければならず、自転車屋頼りはできない。なぜなら現時点、自転車屋は自分のとこで買った物しか面倒見ないシステムになっている。持込はほぼ不可。ましてや仕様もUltimate WMN CF SLX Disc 9.0 Team CSRよくわからない取扱いのないメーカーの物なんて絶対に面倒見ない。Ultimate WMN CF SLX Disc 9.0 Team CSR

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が、英語でのやりとりで時間がかかり、実車試乗ができないデメリットを差し引いてもこれしかないと思うほどの魅力なので決めた。オーダーから1ヶ月半。やっと先日、ドイツから頑丈な特殊ケースに入って我が家に到着。さっそくあれこれパーツの整備等進めておる。ついでにビンディングも噂のスピードプレイに乗り換えることにしたのだが、これが噂通りきつくてかたい。いきなりキャニオンでガチガチやるのもいやなので、しばらくビアンキで慣らしてからと思い、ビアンキに付Ultimate WMN CF SLX Disc 9.0 Team CSRけ替え。シューズもあいかわらずサイズがないのを探しに探して、やっとボントレーガーの売れ残りカーボンレーサー仕様6000円という掘り出し物をみつけた。さすが池袋チャーリー。他のY'sとは全然対応が違う。だいすき。Y’sのみなさん、ここよく読んでくださるように。

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いままでのビンディングは、つけたときに何も知らずにビアンキを買った大宮のY'sロードの担当さんまかせでそのまま確かめもせず乗り続け、今回調べたらこれがマウンテン用で、これではスピードなんかでるわけない、って代物だったことが判明。当然履いてるマービックも2つ穴用だし、ボロボロになってるのでこれを機会に総とっかえ。山でも峠でもどこでもいくぞ~と。

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タンザニア 2

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深夜発の飛行機で普通に寝ていたからか、時間のズレ感もなく朝までぐっすり眠った。
まあ、いつでもどこでも眠れるのがわたしの特技なのだが。

キリマンジャロの麓、アルーシャもやや標高が高く、少し寒いくらいで、予備の毛布を上からかけた。ごく当たり前にベッドには天蓋から白いレースのカヤがかかっている。もちろんマラリアを媒介する蚊をよけるため。おしゃれのためではない。

8時半にピックアップなので7時半からのご飯にいく。誰もいないレストランに陣取って初アフリカごはん。エコノミーなホテルだから贅沢ではないが、多分トウモロコシの粉が入っていると思われるねちねちした餅のようなクレープ状のものに豆のソースをかけるのがとてもうまかった。期待したコーヒーはネスカフェでちょいとがっかり。

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そしてレセプションにいくとすでにジョンがまっていた。ここから北上していよいよセレンゲティに向かう。途中、スーパーで水を買う。政治上の首都、ドドマへ行く道と分かれて右折してしばらくいくと、マサイの血をひくジョンの生まれた村を通る。なんといったかな、蚊の沼とかいう意味の名前だとか。しばらくいくとマニャラ湖国立公園を通過する。いきなりバブーンが道端に群れている。道を半分屋根のように覆うシュロの葉の上を、コウノトリの大きな群れがわたっていく。もうこの時点で泣きそうに幸せになっている。

ンゴロンゴロは巨大なクレーターであり、外輪山が崖になってぐるりとそそりたっている。標高は2300mあるので結構肌寒く、雲の中である。その外輪山を登って越えた向こうにセレンゲティがあるので、一旦ンゴロンゴロに入場しなければならない。わたしのパスポートはサインが漢字なので、その読み取りだかなんだかに手間取ったらしく(通信状況があまりよくなく)しばし待たされるがHAKUNA MATATA (No Problem)。

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ここからはサファリマッサージ、無料です、とジョンがおどけるとおり、真っ赤な土埃をあげてのラフロードとなる。だが、我らのジープは力強く進んでいく。途中展望台からクレーターの絶景を眺める。このクレータの下まで明後日に降りていくのだ。しばしまたれよ、動物たちよ。

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外輪山をゆるゆるとおりていく途中には、ンゴロンゴロだけ居住をゆるされているマサイの人達の村が点在する。有力な男は7人まで妻をもち、たくさんのヤギと牛を飼って、地所も家も大きい。緑の草原に、点々と散らばる家畜と、赤い衣をまとった背の高いすらりとした人たちがいるのは、ほんとうに絵になるものだった。

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少し悲しかったのは、車をみつけると、子供がなにやら部族の言葉で叫びながら走り寄ってくることだった。多分なにかねだっているのだろう。そういう経験があるのだろう。彼らは彼らの伝統的な生活を守っているのだから、よそものがそれを乱すようなことをしてはいけないと思うし、彼らには毅然としていてほしい。よそものに媚びないでほしい。というのは旅行者のわがままであるが。

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ところでこのマサイの人達の生活のために、森林が減っており(燃料として切るので)、サンダルの裏についてきた種により、有毒な植物が繁茂する事態が生じているらしい。どこにでもある問題だが、なんとかうまく折り合うといいなと願う。

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外輪山を降りると土が変わる。赤かった土が灰褐色に。ジョン曰く、火山性の土だから植物が育たないのだと。たしかにンゴロンゴロの外輪山は、雲に覆われ湿気も多いことから森が深かったのに、降りたところにはアカシア、それも小さくいじけたものしかない。地味が極度に悪いからだそうだ。

やがて初めてシマウマたちと遭遇。これまで人工的な囲いのなかでしかみたことのないシマウマは、緑の草原におくと実に美しい。張りのある美しい体躯は意外と小ぶりだが、毛並は少しも汚れていず光っている。ライオンでなくてもかぶりつきたくなるようなぷりぷりしたお尻には生命力があふれている。遠くにはダチョウの夫婦。そしてインパラも見える。

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海の中で魚をみるように、動物の普通の毎日をいま見ているのだ。彼らのいつもの生活。人間が自然の一部になっている世界。
しばらくいくとセレンゲティと書いたゲートをくぐる。ついに来てしまった。ここなのだ。

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タンザニア 1

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この先わたしはどこへ行けばいいというのだろう。
こんなに幸せな旅をしてしまったあとでは。
何度も行きたいと思うけれども、多分最初のこの感動を越えるものを得るのは簡単ではないだろう。数あるアフリカの野生保護区でも最も素晴らしいと言われているセレンゲティ国立公園。

ペルセポリスよりもずっと前から、わたしの中で一番古くから長い間行ってみたいと思っていた場所。そして本当に行けるとは思っていなかった場所、セレンゲティ。その響きに風と草の匂いが感じられるセレンゲティ。

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誰にいってもほとんど反応のない往年の名番組「野生の王国」で常連だったセレンゲティの動物たち。、一番好きだったのは八木治朗さんの司会と、上野動物園初代にして名園長の古賀忠道さんの解説という名コンビ時代だった。古賀さんはわが郷土出身と今になって知った。ほんとうに素晴らしい解説者だった。物心つくころから動物は好きだったけれども、この方の影響は拍車をかけるのに大きかった。

心待ちにした当日は落ち着いて定時まで仕事をし、上野でご飯をつくり、支度を整え、9時半に出発。羽田発0.10のカタールは、ドイツからこっちずっと同じ便を使っている。今回は変更もなく定刻通り。しばしサクララウンジで過ごして機上の人となる。
毎度ながら深夜なのでご飯もパス。映画もほとんど見ないで寝ていた。

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ドーハ着が明け方5時ごろ。今回は乗り継ぎ2時間という余裕なのでゆっくりトランジットセキュリティを通り、まだゲートが決まっていないのでラウンジへ。やはり混んでいたがしばらくすると座れる。最後はボードとにらめっこして、やっと40分前に表示が上がったと思ったらLAST CALLという。そりゃないだろ。と思いながら急ぐ。しかもEゲートだからトレインに乗らないといけない。最後から2番目の搭乗という、意外に危ないところでいよいよキリマンジャロ空港へ向けてテイクオフだ。

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ドーハからしばらくは砂漠の上、そこから洋上だったが、航行の関係上窓はシールドを下ろさせられる。それでもキリマンジャロに近づくと思われる頃は我慢できずに少しシールドを上げ、光が漏れないよう両腕でカバーしながら目を凝らすと、大雨期のケニア・タンザニアの上空にはコッペパンのような雲が一面にポコポコ浮いていて、大地には赤茶色の筋が見える。枯川かとおもったら、逆に土で濁った大きな川だった。思いのほか緑も豊かな大地が続いて、やがて下降に入るアナウンスが機長から流されると、期待通りすぐ眼の下にキリマンジャロが現れた。残念ながら山頂が少しだけみえていて、ほとんど雲の衣をまとっていたが、これがアフリカ大陸最高峰なのである。みられてよかった。

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すこしづつ機体は方向を変えながら円を描いて高度を下げ、やがて静かにランディング。ついに降り立つのだ。初めての大陸。うれしい。素直にしみじみ喜びが体じゅうに広がっていく。

空港は簡単な建物で、タラップを降りて10mほどもあるけば到着。イミグレカードをかいたら一番乗りで窓口へ。指紋を採取されて通過。1ヶ月ほど勉強したスワヒリをさっそく使って挨拶するとにっこり。いちおうターンテーブルにのってやってきた荷物を取り上げて出口に向かうと、ネームカードをもったガイド兼ドライバーの青年が待っていた。愛想の悪いぶっきらぼうな彼はジョンという。マサイの血を引く31歳。

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とりあえず本日の宿へとむかう。アルーシャまでは40分ほどだったか。すっかり雲の中になったキリマンジャロを後ろに、右手にはメルー山をみながら、思った以上に綺麗に舗装され道端にはゴミも全然おちていないまっすぐな道をすすむ。

宿は寝るだけなので安いところにした(といってもたしか6000円くらいはしたような)。アウトポストロッジといってちょと町はずれ。しばらく休んだあとご飯でも買おうかと歩いてみたら、大きな通りにはとても立派な高級そうなホテルがたくさんあった。

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大きなお店などはほとんどUSドルが使えるので現地通貨は用意しなかったが、道端の露店や商店は無理なのと、さすがに夕方東洋人の女が一人で歩くのはあまりよくないので、手近なホテルの売店でも、とおもったのだが、売店という発想はないらしく、レストランでサンドイッチをつくってもらった。やまもりポテトがついて8ドル。結構高い。

ちなみに東洋人は他には一人もみかけなかった。

ほんとはそれよりもおばちゃんが道端に座り込んで売っていた焼トウモロコシがすごくうまそうだったんだけれど、タンザニアシリングもないし、買う勇気がでなかった。

タンザニアはトウモロコシが主食らしく、整然とトウモロコシ畑がひろがっていた。なかなか青々と背高く茂って、手入れもよかった。他に道端に顕著なのがサイザル。強い、ロープに使う繊維をとる植物である。これはドイツが支配していたころ、プランテーションが大々的に展開された名残だ。いまどきはさほどの需要はなくなったのだろう、大きな農場のようなものはみられなかった。麻というから、大麻草のような草かとおもったら全然違い、実はリュウゼツラン科の植物なのでサボテンのよう。見た瞬間そう思った。これも見るまで知らない事だった。世界は広い。

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そしてタンザニア・ケニアといえばエチオピアとならんでコーヒーだ。これは両脇にひろびろと農園が広がっている。初めて見るコーヒーは、思っていたのと違って灌木程度の樹高で、たくさん実がなっていた。コーヒーにはアラビカ種とロブスタ種があって、ロブスタ種は低地でも栽培可能で強いことから街中の農場ではこれが栽培されているらしい。

こんなことをジョンは流暢な英語で説明してくれる。ここタンザニアは、中南部アフリカでは比較的レベルの高い国のようで、経済成長率は7%を維持し続けている。まだ最貧国ではあるけれども、ドイツから独立したのが1961年(私が生まれた年ですな)、当時の大統領がなかなか立派な人だったようで、今でも国民の敬愛を集めているようだ。

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アフリカといえば思われる部族間の対立や内紛が、唯一起こっていない国であり、部族は150を数えるというが、建国当時民族による投票や結党を禁じたことが大きいらしい。アフリカというとスワヒリ語、と思い浮かぶくらいポピュラーな言語かとおもったらとんでもなく、実はタンザニア・ケニアの東沿岸に定着したイスラムとの混合文化から生まれた言語で、けして多民族言語ではない。これを国語として採用したことも、タンガニーカとしての一体感を生む一助となったそうで、なかなか立派だ。英語も同じく公用語で、よほどの年寄か教育を拒むマサイ以外は問題なく操る。

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そしてこのスワヒリ語がとても面白い。昨今は便利なものがあり、携帯のアプリで学習ができる。面白くやっていたのだが、普段あまり使わないフレーズがのっけから出てくるので違和感があったのだけれど、実際いってみると確かにまず使えるというフレーズで、これには驚いた。
洗うとか、磨くとか、拭くという単語、先生、生徒、技術者、樹、森・・。普通、外国語の始まりは数字とか曜日とかなのだけど、こういうのは全くでてこないのに妙に不自由しなかったのが不思議であった。

そうこうしながら、長旅と興奮の初日、いつのまにか天蓋レース付のベッドでぐっすりねむっていた。

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足尾 皇海山

シーズンになったのでやっとがっつり山を歩けるようになった。銀山平からクラシックルートで皇海山にいった。長い行程で、12時間かかってしまった。行きも帰りも六林班峠越えで、登りの笹藪漕ぎがひどすぎてキチガイになりそうだった。

2週間前にもいこうとして、あまりに長い行程で時間的に無理と判明、途中の庚申山でやめといたのだが、足尾といえば銅山。そして鉱毒事件。汚い暗いイメージだったけれども山自体は緑のシャワーの素晴らしい綺麗なところだった。

とおもったら。

意外にもきわめて陰惨な史実を秘めていることを降りてから知り、どうりで妙に気の重い下山だったはずだとおもうに至る。体は足が痛いくらいでスタミナはまだまだ残っていたのに、心身ともにぐったりしてしまい、しゃべることすら億劫な重苦しさがおかしいと思った。

美しい自然はそこにあるのだが、それを汚すのはいつも人間。ミステリではないけれど、諸悪の根源の人間が淘汰されなければならぬと考える科学者がいてもおかしくないとわたしはおもう。人間に生まれてよかったとおもうけれど恥ずかしいとも思う。

次に生まれるときは鳥か猫がいいな。

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ついに

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やった。やっとカミングアウトできた。ほ~っ。

もう1ヶ月を切ったタンザニア行。いつ言おうかとそわそわしつつ、機会をねらっていたが、やっと本日業務予定確認の席でそろっと言ってまった。「おや、またどこかに逃げるんですか」といわれたけど、とりあえずするっと通過。まあ、いつものことながら通過するしかないわけなんですが。

 

だってもう、後戻りできませんからね。海外送金も終わり、無事着金の連絡もやっととどいて、すべて順調。

そんなことでいつになく気の早いことにすでにパッキング開始。ひさびさにバックパックで気楽だ。でも装備がいろいろと特殊。双眼鏡とか水着とかマラリアに罹患しないよう強力なDEET入り虫よけとかかゆみ止めとか。マラリアはごく普通に罹患するようで、おかしいなとおもったら現地で診察をうけないと、治療法・治療薬に経験のない日本に帰ってからだと治りがわるかったり後遺症が残ったりするらしい。

 

山もようやっとまともな山に近づけるようになってきて、先週は手始めに雲取にいってみた。

前白岩山からさきはすっぽりまだ雪の中で、林間は凍っているからアイゼンがあったほうが楽。わたしはなんと、冬靴を積み忘れてしまった上にカッパの上も忘れる体たらく。雲行が怪しくなって降ってきたので、芋の木ドッケまでで敗退。普段履きの安い運動靴も泥んこで沁みてきたし。とはいえ、かなりとばして歩いたから、トレーニングにはなった。。時間があったので、初めて三峰神社にお参りし、境内のありがたい温泉で汗をながす。これが意外と、といっちゃ失礼だが、結構なアルカリのいいお湯で、心身ともにすっかり浄化されて、非常にすがすがしかった。

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翌日はこれまた1年ぶりの自転車にのってみた。ほんとは菜の花盛りにのりたかったんだけど、今年は花粉が長かったのと菜種梅雨で週末がだめだったりで、やっと今週出かける。

夏日となったこの日、本当に気持ちが良くて、まだ菜の花もだいぶ残っていて、武蔵野の雑木の種々の緑にけむる若芽がとても綺麗だった。でも、自転車を楽しむ人が増えたのはいいのだけれど、やっぱりマナーは気になる。直前まできているのに対向から追い越して来たり、狭いサイクリングロードに群れで写真を撮るのにたむろしていたり、すれ違いで待ってあげたのに挨拶ひとつなかったり。

冬はほんとに好きな人しか乗りにこないから、ただのすれ違いでもいちいち挨拶したりして心ほのぼのなんだけどね。

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ガシガシ飛ばす必要もないし、リハビリだし、のんびりポタリングだから、途中のお気に入りポイントにもじっくり滞在。その1は通っていたバイク教習所のとなりのサーキット。本日はバイクと子供ライダーのチビバイク。次は迂回路の途中、たんぼのラジコン飛行機さんたち。そして最後は目的地の本田エアポートでスカイダイビングというお決まりのコース。

1年ぶりだといろんなことが変わっていて、まず整備中のサイクリングロードが一部綺麗になっていてびっくり。残念ポイントは本田エアポートの広場からはベンチが撤去されていたこと。風もあたたかく穏やかな南風で、真っ青な空にいきなりぽかっと湧き出てくるパラシュートに相も変わらず楽しませてもらった。 

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しかしつくづく思うのは、ほんとうに今暮らしているあたりはいいところだということ。ものの5分で素晴らしい荒川サイクリングロードにでられ、大きな図書館やプールや市役所も5分。郊外型の駐車場の広い大きな店もあちこちにたくさんあって買い物には苦労しないし、、複合型のモールもららぽーと、レイクタウンと東西に2大巨頭、ららぽなんてチャリで10分。かわっぺりの公園を始め、広々とした施設には事欠かず、山も近くて高速も近くてのりやすく、関越・東北へのアクセスは抜群。以前はつらかった中央や東名へも、圏央道の整備で楽になったし。上野もいいですけど、やっぱりわたしはここが好き。

 

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雑記

私がやってる仕事は季節労働者的傾向があって、季節というようり月の中でのことなんだけど、月末月初が大変なのに中旬だけはぽかっとヒマになる。

んで、この時期は定時で帰れるし、映画や本もゆっくり楽しめる。

                      沈黙 -サイレンス-

映画は最近みたのはスコセッシの「沈黙」。中学から高校にかけて、遠藤周作と北杜生は私にとって2大巨頭だったから、硬軟併せてほぼ読破した。とはいえ、やはり子供だったんだな。映画をみて、記憶にある筋と違うし、細部は忘れてるし、テーマだけはしっかり残っていたけれど。そんなわけでいまどきのツール、KINDLEで買って再読してみた。

映画には珍しく100%に近いほど原作をトレースしていて、感心した。しかし欧米でも高い評価を受けているという「沈黙」ではあるが、20年温めていたというから、なにがそんなに彼の琴線に触れたのか聴いてみたい。

再読した感想としては、子どもの頃に比べてピュアに受け止めなくなったなあということ。キリスト教(カソリック)のあれこれを知った今は、そこへの未知のあこがれや期待などはからっきしなくなっているのが大きいと思うけれども。遠藤氏の言わんとすることは当時と同じく響いてくるのだけど、そのテーマについての懐疑は、当時ほぼなかったのに、今はかなり深い。カソリックというより、そこで生まれた宗教が、まず風土が異なる、そして文化の異なる別の地域で同じように息づくかというと、わたしの考えは否だ。たとえばフィリピンや南米もカソリック教徒は多いけれども、本質はどうかというと、変質せざるを得ないと思うし、誰もがそれをわかっていて言わないだけだと思う。

ヨルダンのネポ山からの風景を見たとき本当にわかった。こういう、水も緑もない荒野であの宗教はうまれたのだということ。親族以外には決して心を許さず、白か黒かの世界で奪うことも殺すこともごく当たり前の文化に生まれたものだということ。そのような厳しい世界で必要だった宗教だということ。

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それにくらべて仏教は国土風土を越えても、本質は変わらないのではないかと思う。なぜなら寛容だから。より宇宙に近い哲学だからだろうと思う。写真は上野の家のうら、谷中墓地の桜だが、温暖で水も緑も豊かで穀物も果物もたっぷりと実り、4つの季節には美しい風景が 移り変わり、暖かいお湯が沸き、のんびりと和気あいあいと優しい気持ちでお互いを思いやりながら暮らしていけるこの国。うまし国なのだ、ほんとうに。

ま。宗教なんてものは必要な人が自分の都合のいいように受け入れればよいのであって、本物の求道者を除いて、生きる為のツールだと思うから。

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身の回りのこととしては、愛車グース350を、ついに手放した。車検代がかかるのと置く場所がないから。

誰かのもとにいって愛されてほしい。というわけで預けていたR1Zに乗らなくちゃ。

 

ロードスターはダンナの庇護をうけることになり、だいぶガタピシしているものの無事車検も通り、とりあえずブレーキを少し直して、今後はロードスター専門店の門をたたいてみようということになった。私はもうそろそろ売り時かなと思っていたが、ダンナは乗れる限り乗りたいという。乗り心地とか匂いとかが、初めて手に入れた初代オースター(ヴァイオレット)と似ているのが嬉しいらしい。

やっと春になって、山が芽吹いてきて、あと1ヶ月もすると夏山シーズンインだ。ほんとは残雪で北鎌尾根に行ってみたいとおもっていたのだけれど、そんなわけでタンザニアに2回の週末をささげるので、またの機会となった。

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用賀の大使館までビザの取得に2往復した。用賀ってあのバカに混んでる大幹線道路や高速のごちゃごちゃうるさいところのイメージだったけど、一歩はいるとまあ、すばらしい、閑静な高級住宅地じゃございませんか。

そんな静かな(ひまそうな)大使館の受付女子がうらやましかった。こんな職場いいな~。無事すんなりとビザも取得。館内に展示されている埃をかぶった木彫りや動物の写真や産物のプリミティブな雰囲気にもう、ワクワク。心底行きたかったところに行ける喜びに打ち震える。

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年度末年度初めと次の旅

          ヌーの大群

4月になって桜がさいてるようだが、それすらまともに考えられないほど忙しかったのがやっと落ち着いてきた。

ひょんなことから縁があってお世話になっているこの会社にもいつのまにか8年。最初は採用の仕事ではいったのだが、立ち上げから採用の仕事をしたのは1年半だけ。なぜなら当時の会社はできて4年もたたないうちに傾いてどうしようもなく、採用どころではなくなったから。

傾いている間は残業代もでず、契約社員のわたしは多分クビ寸前だったはずなのだが、どういうわけか購買の仕事に携わるようになって、ほぼ私一人でまわすようになり、なんだか妙な塩梅で居場所ができてしまった。1月からは業務改革で人生初というくらい大変でひどく働いているが、そんな心と体の消耗のカンフル剤は旅。

旅はまず、日程を設定するところからはじまる。

しかし経理購買業務の悲しさは、月末月初は絶対に休めない事だ。ということはGWももちろん暦通り。休める人は有休を消化せずに長期の旅が可能なのに。この不利を逆手にとって上司にアピールするには、その熱も冷めやらぬ5月中旬が最適。ここなら休めるかもしれない。

ところが。電車の行帰りにアプリで格安サイトをながめても、いつもとちがう。ぴんとこない。

実はヴェネツィアの旅がワタシ的には失敗で、いつもの激しい渇望がベースの旅の気合が減衰してしまったのだ。昨年3月のカンボジアはアンコールワットの旅も、降ってわいた旅だったけど、それはそれで本来のガチなバックパックの面白さがあったし、行く価値を感じられる旅だった。

さて。良く考えよう。わたしが行きたいのはどこだったか?旅馬鹿プロジェクトの資料をもう一 度みてみるんだ。

いや。見るまでもなく。死ぬまでに行かずにはおかない絶対の目的地は、カナダから北上するアラスカと、ラダックを経由してパキスタンのカラコルム山脈と、タンザニアのセレンゲティ・ザンジバルなのである。

アラスカとパキスタンはお金よりなにより、どうしても時間がいる。働いている間は無理だ。パキスタンは加えて治安情勢が大きい。これはいかんともしがたい。タンザニアは時間の問題は対処できるとして費用が高額なので、老後ダンナのお財布で行く予定だった。

が、70までは無理という。そんなにまてない。明日死ぬとしたら心残りじゃない?

じゃ、いく?いってみる?

ということで調べ始めてから3日。速攻で5月の旅が決まりました。

            

実はウズベキスタンに行った年、つまり4年前、そのGWはまだ休めていて、そこで一度検討したことがあったのだった。その時にやり取りした現地エージェントがとても誠実でよかったので再度掘り起こして連絡してみた。変わらず誠実な対応で、当時のスレから返信をくれるほどだった。費用の仕組みと旅程、はては自分ではとても高くてとれなかったチケットも関連会社で手配してくれて、ほぼ想定内の予算が組めた。

サファリというのは、南部アフリカの野生動物保護区内をルールに従って車に乗って移動しながら野生動物を観察するものだ。もともと横暴な植民地主義をまきちらした金持ちの欧米人が始めたものだから、初期設定からしてお金がかかる仕組みになっているようだ。宿泊は豪華なロッジが数軒しかない。さらにケニアはまだしもタンザニアは政府のレギュレーションが厳しく、民間の競争がないので、削るとすると宿泊しか削れないらしい。削るならば共同のテント泊しかない。なにしろロッジ以外は人間の営みは許されないので、食事だって全部お願いしなければならない。お店とかないですから。

あったらおもしろいけど。キリン専用バーとか。カバのスパとか。

そして5月は大雨期。テントだと水浸しになる可能性が高く、そもそも人が集まらず催行が不確定という。水浸しくらいなら山でなれているが、ここしかないという休みに催行されないのでは話にならない。

実は大雨期ということはサファリには適さない。車は泥濘でスタックするし、草丈も高く、動物は探しにくくなる。でも反対に緑濃く、動物は元気で丸々ふとり、ヌーもまだタンザニアにいて移動を開始する直前。さらにはオンシーズンには400ドルというロッジが130ドル程度まで落ちる。そしてオンシーズンのように人が多くて車も行列、動物をみるのも順番まちということもない。個人手配だから一人分アップもいらない。ドライバーも車も専属。これはチャンスだろう、どうかんがえても。

もっというならば、わたしは雨期でも土砂降りでもちっともかまわない。なぜなら「SALAAM MONSOON」の世界を体験できるのなら願ったりだから。「天は大地に注ぎ、大地は天に溶け・・・」という、あの歌の世界がみられるのなら。

大変だったのが海外送金の手続きと、ビザ。ビザはいつものことだけれど、海外送金の理不尽さには憤りを感じる。まったくもって銀行というのは心底怪しからんとおもう。だいたい日中抜け出して銀行窓口に長い間いられるわけもなく、しかもメガバンクの手数料は8000円とかいう法外な額でとてもやってられない。仕方なく一番手数料のかからない(それでも3000ほど)ネットバンクに口座を開設し、マイナンバーを登録し、うんぬんかんぬん。やっと送金できる状況までこぎつけた。

そんなわけで、アフリカや動物の本を読みながら楽しみに待っているのだが、問題はいつ、会社に申告するか、なのである。ギリギリまでいえないなぁ。

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その後

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2月26日、長年住み慣れた浦和の自宅から引っ越し荷物をだした。
ここに来るときにもそうした、玄関のフェンスを外す作業をせねばならず、そこには20年弱の間に大木に育った野薔薇が、アーチから屋根からに絡んでいて、これを切り倒したのだった。

そしてこんなことになるとは思いもせず、昨年6月にチケットをとり宿をとって計画していたヴェネツィアへの旅を4泊6日で終え、帰ったその日から眠る暇もなく引っ越しだった。

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毎晩、明け方4時まで荷造りをしてもしても片付かず、幸い今の家をすぐ空ける必要はないので、業者に頼まなければ運べない家具、家電、重い本や大きな布団など、2トン車2台に積み、サンショウウオの穴のように、一度入れたら簡単には出せない狭い都内の新居に無事搬入。
なにしろ狭い敷地の3階建てで、階段は細く曲がりくねって、家具は1階以外すべて吊り上げとなった。幸い、良い業者に巡り合って、一生懸命やってもらった。それでもまだ、3分の1以上ともおもえる荷物や廃棄物が、浦和の家には山のように残った。

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浦和の家をどうするか、というと、行く行くは売るか貸すかというところなのだが、当面はわたしが一人で住んでいる。いや、正確には猫と二人暮らし。わたしがいる理由がこの16歳になる年寄猫の為と、3月いっぱいは努めなければならない地域の自治会の班長役務のため。猫はかなり衰えているので環境を変えるのが過酷なのと、もうひとつは新居には家主があまり入れたがっていないからだ。たしかにロシアンブルーのダブルコートから排出される抜け毛は半端でない。

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その浦和の家で待っている猫のもとに、引っ越し当日の夜遅く一人で戻った。

戻って泣いた。予想もしていなかった衝撃に打ちのめされたからだ。正確には17年間、下の子が小学校に入るのを機に引っ越して住んだ浦和の家。こだわって建てた特殊なつくりで、荷物を出すときまでは何ら変化はないつもりだった浦和の家。戻ってみたその家はぽっかり暗い穴のようにがらんとして、ついさっきまであったこれまでの活き活きした慣れた生活が、目の前から突然消えてしまった事実が、今さらながらいきなり襲ってきて、わたしは茫然とした。

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17年間のいろいろな思い出があれやこれやと浮んでくる。

小さかった子供たち。にいちゃんが弟を肩車してふざけていた部屋。勉強をみてやった机。ロフトの階段から下の子が落ちた時、ちょうど来ていた留学生が助けてくれたこと。
それからしばらくの間、仕事をしていても電車にのっていても、ふいに湧いてくる喪失感と涙をどうすることもできなかった。

ついでにいうと1月以来仕事が大変で、毎晩遅く休みも出勤するような状態で、心も体も参っていた。

もういっそ、仕事もやめて、猫とふたりで山小屋に籠ってしまおうかと真剣におもった。

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3月。やっと仕事も少しおちついて寝られるようになり、猫との暮しにも慣れてきて、仕事が早い日には他の家族がいる新居でご飯をつくりに寄るのも楽しみになってきた。一人暮らしもいいもんだ、と思える余裕がやっとできてきた。なんたって人の散らかしたもの汚したものを掃除しなくてもいい。食べるものも納豆とチーズと豆腐とキムチで充分。お風呂だって洗面所だってトイレだって、全然汚れない。

家にもどるとインターネットも触る暇もなかったけれども、なんとか合間をぬってヴェネツィアの旅行記も書き終えた。http://4travel.jp/travelogue/11217821

81になる死に損なった母親がまた企画した演奏会の手伝いにもいってきた。久しぶりの早春の故郷は嬉しかった。のたりのたりした明るい玄界灘も枯草の間に芽吹き始めた田畑も。帰りたくなった。やっぱりしみじみ、わたしは都会の暮しには魅力を感じない。

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上野はそれでも自然豊かで環境もいいといいながら、やっぱり山の見える、空の広い、できれば海も見えるところに住みたいと思う。

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年末は熊野詣

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ここ数年、毎年年末は八甲田で山スキー、酸ヶ湯で温泉三昧だったのだが、今年はちょっと飽きたのと、引っ越しの予定がからんでいたこともあり、キャンセル。。

どこも行けないかと思っていたら、行ってもいいことになったのがクリスマス前ごろ。
まあ、テント積んでどこでも寝られるので、ならば暖かい方面へでもと紀伊半島をターゲットにした。最初は奈良のお寺をめぐるつもりだったんだけど、行ってみてハタと気づいたことに、年末じゃないですか。お寺や神社は年始のための準備やらでもしかしたら入れないこともあるやもしれない。実際、数か所は参詣が難しそうなかんじだった。それなら前から気になっていた十津川村に行ってみたいと方向転換。
 
なぜ気になっていたかというと、以前百名山の大峰山や大台ケ原に行ったときに調べると、あの辺りは勤王の十津川郷士が生まれた土地で、彼ら十津川の人々は昔から特別扱いだったとかなんとか。それと子供のころに母が好きで、年中一緒みてた「けったいな人々」というNHKのドラマのヒロインがこの十津川村の出身という設定で、たったそのこと一つで十津川村という名前が頭にがっつり残っていたから。
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行ってみたらおどろいた。なんという秘境。ネパールもまっさお。ドウドウ流れる荒っぽい川や断崖にしがみつくように立つ小屋。心もとない橋、路肩の崩れた車幅一杯しかない悪路・・・ネパールそっくり。こんな厳しい自然だから生活も貧しく、体力も精神もたくましく強く、傭兵として生活を立てるということになるのかと納得。スイスだってそうだ。
 
興味のあった郷土歴史館はちょうど前日で閉館の年末休みで残念。地産売店の2階で思いがけずとてもおいしい蕎麦に巡り合い、そのまま目当ての玉置神社に向かう。
玉置神社は、紀伊半島の行くべき場所を調べたときに真っ先に目についた神社で、熊野の修験道の方が、熊野本社よりもまず真っ先に参るという奥宮なのだ。そこには開祖役行者が置いたされる玉石があって、そこに神様が降臨なさるのだと。なんでも神様に選ばれた人しか行けないとのことで、なんだかワクワクするではないか。
 
長い山道を延々とたどり、途中なんだかわからない古い廃校に入り込んだりして秘境旅人感を満喫し、たどり着いたのは大きな駐車場。ここから延々15分ほどの林道様の参道を歩き、やっとたどり着く。途中には文化財指定かなにかの杉の巨木がある。周り中巨木だらけである。それほどエネルギーの強い場所ってことですよ。そう。屋久島も、知床の羅臼もそうだった。利尻も。
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本殿は至って質素な佇まいだが厳しさを感じる。参拝して社務所に行くと、重文の襖絵があるらしい。せっかくなので500円お納めして拝見。狩野派の弟子たちの手になるのだそうで、あまり手入れもされず古びた感じがリアルであった。
お隣で祝詞があがっていたので、心の中でおすそ分けをいただく。
 
そして玉石は杉の巨木に囲まれた場所に半分埋まったような状態であり、なぜかその時だけ鼻の奥を万力で締めあげられるほど痛くなった。玉石の横には3つの法力のある岩が祀られていて、脇をとおって山頂へ。遠くに見える峰々は、本社から高野山までつながる修験の峰、熊野古道なのである。
 
そうだ。ここまできたのだから熊野古道をあるいてみよう。と思いついたのは実はこの時点。行ってみたかったのだ、長いこと。熊野神社も那智の滝も。
そして玉置神社からは目と鼻の先なのであった。
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その日はうみっぺりに湧いている硫黄泉というすばらしい温泉につかってテントを張る。
翌日、那智の滝へ。ここが宮城氏率いるセクスィ登山部の逮捕現場なのである。そんな罰あたりなことはおいといて、さすがに神々しい。仏さまがざしておられるようではないか。しかも虹までかかってもったいなや。
でもやっぱり、ついルートを探ってしまうのであった。
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ミツマタがさいていた
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そこからまた登り階段や坂を経て高台の那智本社に到着。まずは大楠の胎内くぐりを。
山梨の夫婦木神社にある欅の根本の胎内潜りを思い出すが、やはり生きている気のエネルギーはすごい。
本殿参拝、とおもうと、那智の滝でお賽銭はすっかり使い果たしてしまったので、滝の聖砂などいただいて参拝をすませ、お正月に祝詞をあげていただけるという、身代わりの人型を申し込み、宝物殿など拝見し終了。
 
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その後は熊野本社にも参拝。こちらでありがたい悪魔退散日本一のお力のあるヤタガラスの鴉文字によるおふだを拝領。
 
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そうこうするうちに日も傾き、今日は古道歩きはむずかしいので、また温泉に入っておわり。
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翌日、ちょろっとさわりだけ歩いてあとはひたすら帰路をたどる。
家についたのは大晦日も9時を回るころ。
今年もまた遊びほうけるわたくしなのでございました。。。
来年もそうありたい。。。
(こらこら←神の声)

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バッハ詣で 7 ミュンヘン お城

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明けてミュンヘン2日目。本日は1日バスツアーでホーエンシュバンガウ方面へいくことにした。下の息子が大学卒業旅行でいったのがロマンチ ック街道。野郎ばっかで。ろまんちっく。

当時笑ってしまったのだが、まあ、一度は見とくか、というのと、都市部ばかりでなくて田舎もみたかったから。南ドイツ、というより、ザルツブルグまで山一つというところだから、オーストリアアルプスも見たかった。

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朝7時に集合して総勢11名でミニバスに乗り込む。アウトバーンを走りながら、ドイツのあれこれをガイドさんから聞いてなかなか興味深い。ミュンヘンはBMWのおひざ元。巨大な本社があるところ。我が家の車もここからきたんだなあと思う。

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2時間ほどであっとうまにホーエンシュバンガウ到着。この日はやけに暖かくてなんと17度もあるという。バスを降りると生暖かい突風が吹き荒れて、あちこちでつむじ風が巻き起こっている。どうやら大気が不安定らしい。そもそも暖冬というか、とても暖かいらしく、紅葉もまだ残っているといる今年。噂のお城は黄色い紅葉を従えて岩山を背にすっくとたっていた。

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<正面入り口。時間入れ替え制につき、しばし待たされる。Cの国の人がいっぱいでうるさい>

なるほど~やはり絵になりますな~。2億6千万かけて作ったというこのお城、ここに作ったのはえらかった。しかし聞けば聞くほど、このルートヴィヒというやつはとことん、超のつくオタクだったようだ。頭おかしいだろ、と思うほど。18で王位をついだものの、あっというまに挫折。あとは自分の夢想にふける20年をすごし、最後はどうやら暗殺されたということだ。

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<ふもとの店やさんたち>   

このお城に関しての個人的感想は、遠くでみるのがよかろうということだった。
お昼ご飯をはさんで次は世界遺産という「ヴィース教会」へ向かう。この教会について詳しいことは知らないが、まあ、みんな行きたがる外せないところらしい

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<外見は質素なのになかはすさまじく装飾過多>

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<この木彫りのイエス像が奇跡をおこしたという逸話にもとづき世界遺産認定らしい>

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最後はリンダーホフ城。さらに田舎な感じの場所にこじんまり建つ、城というより館であった。これまたごてごてのバロック。

 

どういうわけかフランスのブルボン王家を大変崇拝していたルートヴィヒは、この城をブルボン家にささげたんだそうな。どういうことかよくわからない。庭はひとめでヴェルサイユのトリアノンを彷彿とさせる。中心には等身大のアントワネット像があり、ルートヴィヒは朝な夕なにその頬をなで、話しかけていたんだそうだ。いっちゃってますね。

外にでるころには夕やみ迫り、あとは一路ミュンヘンにもどるのであった。当初は0時発の列車にのり、フランクフルトに朝5時半着を予定していたんだけど、疲れてしまったのと、予定のDBラウンジが使えないことで夜の6時間を過ごす手段がきつくなったので、急遽また駅前の安宿をとった。

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最後の夜なので買い物でもしようと、マリエンプラッツあたりまでぶらぶら。レジデンツの一角で一足早いクリスマスマーケットが開いていて、人々でにぎわっていた。最後にちょっとだけヨーロッパの冬の素顔をちらりとみて、ホットワインをのんだり、好きなヴァイスブルストを食べてヴァイツェンビールを飲み、ジンジャーブレッドを買い、プラハで買い損ねたガーネットのかわりにスワロフスキーのアクセサリーなど買い、楽しく過ごした。
  
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翌日は9時の列車で一路フランクフルトへ。同じコンパートメントでお隣の席だったおばあさんとおしゃべりして楽しかった。

最後はトータル18時間のフライとで羽田にもどる。ドーハに23時半着だから、例のごとく超絶立派でゴージャスなラウンジで過ごそうとおもったら、なんとそのアルムンジャンは1年前からファーストクラスのみになったらしく、いくらサファイアステイタスを持っていてもダメ!といわれてしまう。サファイヤで入れるラウンジは改装中で狭くて狭くて、席すらなくて、あきらめてクワイエットルームに席をみつけて4時ごろまで眠る。明け方ご飯をたべがてらもう一度ラウンジにいくと空いていたので、ちょっと腹ごしらえなどして搭乗。


しかしほんと。久々のヨーロッパでしたけど、遠いですなー。
そして先進国は楽。ぼったくりとか押し売りとか気にする必要もなく、買い物はすべてカードで定価。物も宿も安心でベースクオリティが保障されていて、人々は余裕があって対応も丁寧だし仕事も遅くないし。ドイツの街はこれでもかというほど、一分の隙もないほど美しくて整っていて、素晴らしいと思う反面、こんなとこで暮らしていたら息がつまりそうだなーとも思った。だから彼らはアジアの混沌にあこがれるんだな。

そして、キチンとしてないと人じゃない、的な厳しい社会規範のなかではみ出した人たちがダークサイドを形作り、犯罪もおこればタチが悪いというわけだ。
やはり寛容が必要だよ、キリスト教は。
アジアはいいな。日本はいいな。とまた思う旅でした。

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バッハ詣で 6 ミュンヘン オペラ

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バイエルン国立劇場でオペラと決めたのはやっと旅程がフィックスしたあと。サイトをみるとすっかり席は売れて、160€か11€のどちらかしか残っていなかった。2万円と1500円。そりゃあなた。いわずもがな。それに山屋のばっちい格好をしているのだから、いい席などにはいけない。つまみ出されてしまう。これもまた一興と、安い席の引換券をもって意気揚々と劇場に乗り込んだ。

ところが。発券されたチケットをもって「ここ?どこ?」と何度聞いても「あ、これはもっと上よ」とあしらわれる。登って登って登って・・・ついにこれ以上階段のない6階でやっと到着。まさに天井桟敷ってやつですな。いや~初体験。

はいろうとすると金髪碧眼のドイツ青年にはっしと止められる。カバンと上着はあずけてこいと。うむ。。あと5分なのだがしょうがない。

クロークでカメラバッグと上着を預けてはいろうとすると、またむんずととめられ、全部あずけないとだめだという。だって、みんな身の回りのカバン一つは持って入ってる。わたしのメッセジャーバッグだって大きいけどパスポートから財布からなにもかも入ってる大切なもの。そんなものあずけられっか!。といってみたけど無駄。「大丈夫だからあずけてこい。でないとはいれないぞ」と。くっそ~~~。バッチイかっこの東洋人だから警戒されてるな~と思ったけどしょうがない。すごすごと引きさがりもう一回預けなおしてやっと着席。

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ところがさすが1500円。最上階最後列壁際。こんなんみえるわけない!オペラを耳だけなんてありえない!しかもわれらの最後列の前にはずらりと立ち見の人がたってて、座った席からみえるのはそれらドイツ人の背中の壁のみ。おおー。こりゃひどい。なんでみんな大人しく座って文句言わないのだ。こんなのありえないだろ、普通。

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とはいえ、当地の流儀がわからないし、とりあえず大人しく座ってみる。演奏がはじまり、立ち見のひとはそれなりに見えるらしく目を細めたり微笑んだりして楽しんでいる。くっそ~~~~

みえない・・・・。立ってるひとが動いた時に腰の隙間からちらっと舞台の左端がみえて、そこに歌手がくるときだけなんとか人が見える。こんな状態で2幕。疲れた。
やっぱり悪い席で聴くってストレスが多すぎる。悪い席でも入れるだけでいいとおもったけどそんなことないなーというのが実感でした。次はちゃんとした席で聴くぞと心に誓う。

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<左バイエル国立歌劇場。バスが何台ものりつけていた。右仕掛け時計で有名な市庁舎。>

そもそもわたしはオペラはそれほど好きでもないしたいして知らない。アリアだけ独立しては知っているし好きだけど、言葉がわからないから身振りがなければ音楽だけの鑑賞は半分となる。かといって日本人によるオペラは聴く気がしない。だからDVDなどでなくオペラの本番をみるのはウィーンについで2度目である。

ここで私は心に誓った。私は今後一切、オペラに関しては語るまい。

ついでに高らかに言おう。わたしはワーグナーは嫌いだ。ワグネリアンがなんだっていうんだ。高級ぶってクソ面白くもない。わたしはブラームス派なのだ。そしてバッハ派なのだ。バッハ万歳!

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バッハ詣で 5 ドレスデン~ミュンヘン

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旅の4日目。本日のメインイベントはドレスデンからミュンヘンまでの移動です。これは仕方ない。この距離本当は国内便で飛べばすぐなんだけれど。

チェックアウト後荷物を預かってもらって10:30の列車まで街を歩く。といってもドレスデンの見どころはほんのひと区画に集まっているので楽勝。

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とはいえ、あいにく本日は日曜日なので教会関連はミサのため一切入れない。そして博物館も冬なので10時からしか入れない。外から見るだけ。それでも朝の静かなドレスデンの街はとてもとても素敵だった。ちょうどミサの始まる鐘が町中に響く時は、旅中一番印象の深いものとなった。

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マイセン磁器でできた君主の行列。バイエルの歴代の君主がえがかえれた巨大な壁絵

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  <左フラウエン教会。右、たぶんワグナーのゆかりの建物。調べてもどうしてもわからない。フラウエン教会は世界一のジグソーパズルといわれて修復された。破壊直後、市民たちがいつか復興をと、破片に番号をつけて保管していたのだそうだ。創建当時はジルバーマンのオルガンがあってバッハ様が演奏会を催されたこともあるのです。人間の負と正の両極面を具現した歴史そのものの貴重な建物です>

ドレスデンは第二次世界大戦で徹底的に破壊された。ひどい空襲だったらしく、ネオナチをして「非人道的」と言わせるほどだったようだ。だから旧市街地がほんの少し残っているだけで、中心となるフラウエン教会 も近年やっと修復されたのだ。ここで演奏会をききたかったなあ。

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それよりなにより、一番聞きたかったのはここ。ゼンパーオーパーである。ヨーロッパいちの音響を誇るといわれるもっとも有名なオペラハウスだ。なんとも具合の悪いことに、ちょうど私が訪れているこの期間、ゼンパーオーパーのオケは日本にきていて、サントリーホールで演奏会を行うのだ。嗚呼。残念。

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ということで中もみたかったがガイドツアーの時間まではいられず、あきらめる。ツヴィンガー宮殿やレジデンツを回って、ブリュールのテラスから静かなエルベ川を眺めて。マイセン焼で作られた君主の行列は歴代のザクセン王達の騎馬像の肖像である。名高きアウグスト強王が、日本や中国の磁器をまねてつくらせたことに端を発する磁器の街マイセンがすぐ近くにある。日程に余裕があればなぁ。ほんとに残念。1ヶ月ぐらいぶらつきたかった。

ドレスデンにはもうひとつ思い入れがある。高校生のころ惑溺していた辻邦夫の作品。中でも人生で初といってもいいほどの文学から受けた大衝撃が「回廊にて」なのである。
画家を志すマーシャが子供時代を過ごしたドレスデンが、冒頭で描写される。

社会主義時代の、暗い、陰鬱な、泥と雪にまみれた貧しい生活。それが少女だった私の中に強烈に焼き付いていた。そのドレスデンを見てみたかった。
それだからだろう、わたしの目は我知らず社会主義の名残を探していたように思う。
バカバカしく広い道路、巨大なきっちり四角い建物に、わたしだけの興奮が忍び寄る。来られたことがしみじみ嬉しい。自分の血と肉になったドレスデンに、朗朗と教会の鐘の音がいつまでも響く。

クリスマスマーケットの準備がすすむ広場を通って、木の十字架教会を回って駅にもどる。この教会は聖歌隊で有名だけど、やはりミサで中にははいれない。

ここからはひたすらミュンヘンに向けて6時間の列車旅。

到着は4時半。すぐに駅前の宿に投宿して街歩きと、18時開始のミュンヘン州立劇場(バイエルン国立ともいう)でのフィガロに向けて出発!

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バッハ詣で 4 プラハ

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このプラハ中央駅が旅中いちばんの気がかりであった。なぜなら。

真夜中の到着であり、駅前のホテルを予約したものの、その間にある公園が不穏であるとの情報しきり。しかも5年ほど前、母親のカバン持ちでいったツアーにおいて、このプラハ駅ですられる寸前事件あり。幸いにもまわりで気が付いてスリは逃げたのだが。そんな記憶もあり、警戒マックスだったので事前にグーグルのストリートビューなどでさんざん調べたのだが、駅をでてホテルまでがどうしても確認できなかった。旅サイトでも質問したりしたのだがどうにも詳細がわからない・・・

最初、プラハ中央駅でなく一つ前の「プラハなんちゃら駅」で降りそうになって、ホームにいた人に聞いたら「中央駅はつぎだよ!」と言われて慌てて戻ったりというヒヤリハットがあったのだが、無事20分ほど定刻を遅れて到着。おそるおそる降りると、やはり雰囲気が。。。
なにやら大声でわめいている若者数名。はっしと鞄を抱えて足早に出口へ向かう。

でてみるといきなり幅10mほどの緑地の向こうに通りとホテルらしき建物群。

これか???あれ???グーグルマップと全然ちがう。これは出口まちがえた!!と焦って、インフォを探すも人がいなくて、しかたなく緑の窓口的なところでおばさんに聞いた。おばさん数名、ホテル名を口々に唱えながら協議の結果、こっちでいいという
んん~ほんとかな。

不安なので、もう一度出口にいた警備員風の男性にきいたら、さっとスマホで通りの名をしらべてくれて、間違いなく最初の出口でいいという。おっしゃ。なんか思ってたのと違うけど通り名はあってる。と、再度気合をいれて外にでると、ずらっと並んだタクシーもさほど不穏な雰囲気もなく、治安が悪いと噂の公園もするっと通り、ものの3分でホテル到着。なんだ~~~~。拍子抜けするほどだわ~~~。でもよかった。

てなことで無事投宿。さっとシャワーを浴びて明日に備える。

翌日はプラハの町歩き。母親のカバン持ちツアーの時はちょろっと見ただけで駆け足だったから、今日は1日ゆっくりある。半日はガイドツアーに参加することにした。と待ち合わせてみると参加者は私だけ。マンツーである。ぶらぶら好きに見るのもよいが、歴史的に重みの深い場所や建物はきちんと説明を聞いた方が理解が深まり、わざわざ訪ねた甲斐ががよりいっそうあるというものだ。と私は思っている。いつでもいけるならいいんですけどね。

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プラハ城。城といっても城壁に囲まれた町をなしている規模。冒頭の立像はカレル橋に立つ像の中で最も人気のヤン・ネポムツキー。プラハの守護聖人とされているのだが、逸話を聞くとなかなかうならされる。うまいこと聖人に祀り上げられて政治に利用されたというのが真相らしい。どうもねぇ。。聖人ってなんなのよと。聖遺物といって骨だのなんだの祀ってあってそれの多寡によってお参りしたときの免罪の年月が変わるという。聖人がなくなったときには争って体を切り刻んだなんてこともあるらしい。おぞましい発想ではないか。

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聖ヴィート教会。壮麗なゴシック。王家の教会としてはこの規模はすさまじい。さすが神聖ローマ帝国。

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聖ヴィート教会も内陣までいけたし、前回は素通りだった聖イジー教会も入れた。

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有名なミュシャのステンドグラスは右。

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ゴシックの特徴そのままの内陣。右は冒頭ネポムツキーの墓。純銀製バロック様式だそうだ。しかしほんとバロックってなんてごてごてしてるんだろう・・・おえ~ってなってしまう・・・。しかもえぐい。ここには映っていないが、亡くなったあと掘り返しても腐っていなかったという奇跡にまつわって舌のレリーフがでーんとくっついいている。グロテスクな趣味。

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左は数百年前のプラハの様子を浮き彫りにしたもの。今とほとんど変わっていないとのこと。なぜなら戦争でもすぐとなりのドレスデンは壊滅的かつ徹底的な空爆を受けたのに対し、プラハはほとんど無傷だったそうだ。右はオルガン。ちょうど練習にきたオルガニストがひき始めて、この壮麗な会堂にひびきわたるオルガンの音におなかの底から震えた。

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再度ネポムツキーの墓と右は宝物の詰まった貴重な部屋だそうでものすごい数の貴石で飾られているらしい。権力の象徴。

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上4枚は聖イジー教会。ヴィート教会と比べるとシンプルで好ましいと私は思う。重厚で質素で祈りのための空間という性質をまだ強く感じる。

ゴシックの聖ヴィート教会は壮麗だけど、ロマネスクのイジー教会の方がよほど好きだった。あいにくずっと雨で、写真を撮るのに不利なのと態勢が悪くてとても疲れたのだが、たっぷりプラハ城を味わうことができた。懐かしいカレル橋。滔滔と流れるブルタヴァには、ハクチョウが群れていた。

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右と下3枚は、プラハ城内で働いていた人たちが住んでいた長屋。今はお土産屋さんとして軒を並べている。母といったときは無料だったけど今回は有料になっていた。

下2枚はカフカが住んで作品を書いたという長屋。

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古くは神聖ローマ帝国の首都としてローマやコンスタンティノープルと並ぶ栄華を極め、さらには宗教問題やらなにやら歴史的事件も多く、一時は暗黒に時代を経たというプラハ。、さんざんハプスブルグに蹂躙されたあとは民族運動がわき上がり、スラブの誇りと民族愛に芸術も政治も熱中していく。さらにはナチスによる痛手のあと大戦後の社会主義をへて現在へと続く深く複雑な歴史をもつ重い街なのである。日本は平和だな~としみじみ。

やはりドイツに比べるとアジアの影響をみる。混沌が忍び寄る気配がある。建物も各時代のものがごちゃごちゃと混在しているし、人々の生活がにじんだ街はドイツよりがさつである。その分味わいも陰影もある。なんとはなく哀しみもたたえた街だなあとおもう。

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この旅で2回入ったレストランのうちの1つで食べた肉。肉、肉肉~~~~~
そしてイモ!食べきれるもんじゃない・・・右はショーウィンドウのお菓子。マシュマロみたいなものやらキャンディ風のやら、樽で売ってます。豪快だ。

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黒い聖母の家といわれるキュビズム建築。世界中でプラハだけにあるんだそうだ。プラハはミュシャでアールヌーボーの都として知られるが、ガイドさんはなぜかアールヌーボーけなしのやたらキュビズム推し。右はモーツァルトがドン・ジョバンニを自ら初演したエステート劇場。

プラハは特にそうだけど、ロシア周辺や東欧は人形劇のレベルがとても高い。プラハでも見ようかと思ったのだが、なぜか演目はドン・ジョバンニばかり。不思議に思っていたが、そういう誇りがあるんだとわかった。

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名物の天文時計。右は面白かったのでとってみたショーウィンドウのマネキン。シュール。

 

チェココルナが必要なので、朝駅で荷物を預ける為にも両替をしたら、めちゃくちゃ手数料をとられてがっくり。2万円日本円をだしたら16500円分しかかえってこなかった。
本当は夕方、教会でオルガンコンサートを聴くつもりだったのだが、ドレスデンに戻る列車が18:30を逃すと深夜しかない。どうしてもこれに乗りたい。18時に演奏会が終わってから中央駅まで30分では厳しい。しかもプラハからドイツ国境駅までは切符をかわないといけない。などなどあって、疲れもあって、腰が痛くて歩けないのもあって、演奏会は泣く泣くあきらめ。

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左はアールヌーボー建築の雄、市民会館。中にスメタナ・ホールという素晴らしいホールがあるという。ガイドツアーで入ろうかとおもったのだがめんどくさくなってやめました。

予定の列車まで駅で座ってすごし、何とかドレスデンにたどり着いたのが夜の9時でした。

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バッハ詣で 3 ライプツィヒ  

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また瀟洒な林を通って街へ下り、次の目的地ライプツィヒに向かう。アイゼナハからはICEで2時間半。予定より早めに行くことにしたので駅のDBオフィスで適当な電車を教えてもらうと、ちょうどその時刻発のが10分遅れているという。なんだかんだ話しているうちに2分経過、あと8分よ!といわれて走る。ま、走るほど広くない駅なんだけど。

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無事間に合い車上の人となるのだが、これが混んでる。ライプツィヒ、ドレスデンはドイツでも大きな都会なので乗降客が多いドル箱路線のようなのだ。2等も1等も満席。1駅分立っていた。次の駅ですかさず偵察すると無事席発見。これにてライプツィヒまで昼ごはんのサンドイッチを食べながら曇り空を眺めつつ揺られる。

そして停車時間を過ぎても、また止まらない。まだまだ止まらない。やっと止まったので即降りようとドアにいくと開かない。いつまでたっても開かない。おかしい。またゆるゆる動く。止まる。ゆるゆる・・・とまる・・ゆる・・・てなことで結局30分ほどかかってやっとライプツィヒに到着した。なんだか緊急点検かなにかで止まっていたようで、ドア前にいたおじさんに聞いてもなぜだかよくわからん、といっていた。こういうところドイツ人は鷹揚というかイラチンじゃないというか、ゆったり構えてるな。日本人だったらぎーぎーいいそう。

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ライプツィヒ中央駅。大きいな。右は目抜き通り。クリスマスマーケットは来週から。

    

無事降りたライプツィヒ駅はとても大きかった。ロッカーに荷物を預けて正面階段を下りる。天井が馬鹿に高い、ヨーロッパの駅だな~ってかんじの巨大な駅である。そしてとても賑やか。アイゼナハと比べたらものすごい活気である。上野駅くらいのにぎわいである。QBカットがあったりしてなんだか笑えた。しかしそんなことをしている場合ではない。18時の聖トーマス教会のモテット演奏会までしか時間がない。ただ今15時過ぎたところ。

急いで通りを渡って市街地へ向かう。グーグルマップってほんと便利。昔みたいにガイド本広げていかにも旅行者然としないので、安全面でも非常によろしい。
今回は1都市滞在ではない周遊なのでwifiルータを借りていったのが大活躍。
ウズべキスタンなどの辺境だとレンタル代もやたら高いんだけれど、さすが先進国は8日借りて7000円。今回はプラハでも地図が必要だったので2か国で申し込んだ。ドイツだけならたしか3000円代だったはず。

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棕櫚の葉のデザインが美しい。簡素ながらも重みのある大きな教会であった。   

まずはクリスマスマーケットの準備の進む大通りをとおってニコライ教会へ。この教会は壁の崩壊の立役者なのである。ここで自由化運動の若者たちが集会をしていて、ここから東西統一のその波が沸き起こったのだ。側廊には統一時の動きを追った生々しい写真が説明板とともに展示されていた。

思ったよりも大きな教会は街の本当に中心部にあった。静かな堂内は白基調だけれど、柱頭の柔らかな緑色のシュロの葉のデザインが天井井のアーチに広がってとても美しい。ごてごてしたバロックやロココが苦手なわたしには大変好ましくて素敵だった。オルガンも相当に大きい。しばし久しぶりのヨーロッパのキリスト教会を味わう。ここのところすっかりイスラム建築に傾倒していたので新鮮は新鮮だ。

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左北ヨーロッパ最古の大学ライプツイヒ大学。右がゲヴァントハウス。   

夕暮れの街を次はゲヴァントハウスとライプツィヒ大学へ。ドイツではハイデルベルク大学に次いで2番目に古い大学。森鴎外や朝永さんが留学し、ライプニッツやメビウス、なんとメルケルさんもここの出身だそうな。頭のいい人がたくさん集っているのね。そう思うと歩いている若者が神々しくみえるよ。

ゲヴァントハウスも演奏会のいいのがあったら、と日本でもリサーチしたのだが、ピンとくるものがなかったのと、どうしても日程上ライプツィヒ泊ができなかったのであきらめた。歴史あるゲヴァントハウスだが、今は近代的な建物になっている。歴代の常任指揮者の額がずらりと壁にかかっていた。

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ここに詣でることが夢であった。トーマス教会。感無量。

    

そこからいよいよUターンしてトーマス教会へ。アイゼナハと同様の古い静かな町を想像していたが全然ちがう。大きな都会であった。そしてトーマス教会も想像以上に大きくて立派だった。ここでバッハが働いていたのよね。人生でもっとも安定した時期を過ごし、創作活動も油ののった時期。初代カントールとして付属の学校に住み、精力的に生活もこなしていた恵まれた時期。マタイもここで生まれ初演された。1727年4月のことだった。わたしが人生初の出待ちをしたトマーナコアが、今この時間、ここで過ごしていると思うと胸ときめく。しかし大ショックなことに、あれだけ苦心惨憺して18時からの演奏会が聴けるように旅程を組んだにもかかわらず、今週はトマーナコアの演奏ではないという・・・。
嗚呼!なんてこと!残念無念・・・

しかもちょうど準備のためか教会は閉じられて、墓参りをしようと思っていたのができなかった。これまたなんたる不覚。

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音楽の教科書でおなじみのバッハ。右はやっと探し当てられたお墓に埋葬されていた副葬品。アンナ・マグダレーナの髪飾りなど

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バッハ家で使用されたことが確認できる唯一の家具とのこと。バッハの紋章がはいっている。右は遺骨から肉付けしたというバッハ像。ほんとにこんなお顔をなさっていたのである。

気を取り直して時間まで対面のバッハ博物館へと向かう。ここがまたものすごく充実していて、最新のタッチパネルオーディオガイドが無料で貸し出される。素晴らしい。盛りだくさんの内容を時間が足りなくて消化できないのがもどかしい。

一番貴重な展示物の部屋だけは逃せないと食い入るようにみる。有難い手書きのスコアの数々、お墓から掘り出された埋葬品など涙モノだ。ずっと居たい誘惑にかられながらも演奏会の時間がせまるので後ろ髪惹かれつつ出る。

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トーマス教会内部は質素かつ重厚だった。満席の聴衆は静かに演奏家を待つ。

 

すでに教会では入場者の列ができていた。2ユーロのチケットを入口で購入して席へ。なにやらわからぬまま、ほぼ満席の堂内で座って周りを見回す。

ここでバッハはオルガンを弾き、マタイもここで初演された。バッハが眠るこの教会にどれだけ来たかったことか。積年の望みがかなって本望だ。

中学に入る時、初めてピアノの先生についた。それまでは家でなんとなく母に教えられていたがやっと先生に付けてくれた。どうも実は父がうるさくて、家の外に出すなと言っていたらしいのだが。

最初に「作曲家は誰が好きですか」と聞かれて、一瞬の迷いもなく「バッハです」と答えた。当時はまだせいぜいメヌエット程度しか弾けなかったにもかかわらず、バッハの規律と宙に展開していく見事な音階の波と浮つかない確かさと真面目さと真摯さが大好きだった。今でもそれはかわらない。(だからモーツァルトは好きでない)

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席からだと半分しか撮れなかったが、バッハ当時の音色を再現したというオルガン。右は博物館の手書きスコア。

演奏会は案内の女性の静かな声で始まった。モテットと銘打った演奏会だが、礼拝形式のものらしく、途中でしばらくなにやら朗読があったり、いくつかのモテットは聴衆が唱和したり、異邦人には戸惑うものもあった。それにしても、演奏してくれた女性の4人組「Sjaella」が素晴らしく上手で1時間の演奏会は天にも昇るような心地であった。

というわけで心残りは、バッハの墓参りができなかったことだ。100年の間不明だったお墓が特定され、お骨が移葬されたのがこのトーマス教会。またいつか尋ねることにしよう。忙しかったこの旅では見逃したもの行きそびれたところがたくさんありすぎる・・・。メンデルスゾーンがゲヴァントハウスを率い、バッハの再発見と世の中へのリードをし、活動の拠点となった町。ワーグナーが生まれて、森鴎外や滝廉太郎が留学した町。シラーやゲーテが住み、そのほかシュトラウスやリストやシューマンが活躍した町。

このあとは明日プラハを歩く為、大急ぎで駅にむかって予約の列車に飛び乗り、夜中23時半にプラハ中央駅に到着する。

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バッハ詣で 2 アイゼナハ

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到着がすでに4時過ぎだったのでいそいでバッハハウスへ向かう。通りがかりに今宵の宿、HOTEL KAISEROHOHを確認し、カールスプラッツのルター像をみつけてちょっとのぞく。

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ルターの足元                バッハハウス近くの街並み

残念ながら修理中で、足元土台しかみえずその上にかぶさるようにプレハブな小屋がたっているみょうちきりんな風景。銅像は対して興味もないので行こうとすると、そこにいた子供連れのお父さんに呼び止められる。「小屋みないの?ベッドがあるよ。日本人の芸術家が作った銅像だよ」って。へ?なんだかわからないけど、せっかく教えてくれたのでお勧めに従ってみると、ドアを開けた先には3畳ほどのスペースに巨大なルター様がベッドの上に直立している。どうしてベッドなのか、どうしてもわからないセンスなのだが、そこにいた係らしき叔母様によると、高橋某という日本人の手になる像だそうな。エルサレムやらどこやらにも作品があるとのことだが、同胞として存じ上げないのは不覚であった。

そんなことをしている場合ではない。早くバッハ様に会いにいかなくては。

てくてく歩いて5分ほど、看板にしたがってすぐにたどり着いたバッハハウスはすでに窓に明かりがともっている。前の広場にはバッハ様。これは拝まねばならぬ。ちょうどライトアップが始まったところで画像的にはあまりうまくないが仕方がない。感激のうちにバッハハウスへ。

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受付のおばさま曰く、5時からミニコンサートが始まるわよと。時計をみるとあと5分。すわ。地以下のロッカーに荷物をおけと言われたので急いでしまって楽器室へ向かうがドアがあいていない。一緒になった男の子のいる家族連れと待っていると鍵をもった係の方が。

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この方が解説と演奏をしてくださるのであった。まずはバッハ時代の初期のオルガン。パイプオルガンの超ミニチュア版なのだがこれがたぐいまれなる音を生む。見かけはかわいいがパイプの威厳は損なわれず、素晴らしくも興味深い。次は当時携帯して使っていたクラヴィコード。わたしはこの音が一番すきだった。小さいけれど柔らかい音。素敵だった。

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それからワイマール宮殿で使われていたという立派な装飾をもつこれもミニチュアのオルガン。最初のオルガンよりもパイプも増えて荘厳偉大な音を出せる。

男の子がアシスタントとして、後ろにあるふいごを足で踏んで風を送る役目を仰せつかった。

次にシュピネット。こちらはハープシコード同様鳥の羽の軸で弦をひっかく構造になっていて、形も大きく装飾も美しい。最後にチェンバロ(ハープシコード)の演奏。こちらはおなじみ、オケにも入れる音量と多数のストップにより音色を変えることができる構造。

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以上で30分ほどでしたか。ドイツ人家族への説明のあと私のために英語で説明してくださいました。うれしい有難い経験でした。

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半円のガラスのユリ椅子の中でバッハの音楽がきける。右はバッハが作曲していたであろう当時の様子。

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バッハハウス内部。300年ちょっと前の暮らしの場。お母さんが9歳の時に亡くなり、後妻をもらったお父さんも10歳の時に亡くなる。その後ミュールハウゼンにいたお兄さんのもとに引き取られて独り立ちするまで勉学に励んだのだそうだ。このバッハハウスは、当初バッハが生まれ育った家として、バッハ協会が手を尽くして買い取ったのだが、実は本当に生まれ育った家は別の場所にあったことがのちの調査でわかった。その家は今では失われているので、バッハ信者としてはここが、亡くなったライプツィヒ・聖トーマス教会のお墓とともに聖地となるのである。右は手書きのスコア。ありがたや。

大満足で館内を見て、ゆりいすで音楽を聴いたあと、閉館時間ですよと追い立てられて18時に退出。夜の町をゆっくり歩きながらホテルへ。ご飯は途中のスーパーでパンや果物やソーセージとビールを買い込んで部屋にて。ソーセージをあっためてほしかったんだけど、旅の指さし会話帳で必死のコミュニケーションも通じず笑われてしまう。

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カイザーホフは4つ星、今回の旅で最上級。古い建物だけど内装は清潔で新しくこじんまりしてとても素敵。なぜか電話が通じなかったけどバスタブもあって大感激。興奮のうちにも疲れて眠ってしまいました。

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翌朝7時から静かで素敵なダイニングで朝ごはん。とてもスマートに整えられたブッフェは品揃え十分。おなか一杯いただいて、本日はワルトブルク城へ。ワーグナーがタンホイザーの着想を得た、またルターが籠って聖書のドイツ語訳を行ったお城です。中世からそのまま残った完璧に残っている城。バスで行こうとおもったらどうも表示の見方が違っていたようで結局もう1時間待つならと歩いていくことにした。これが素敵なお散歩。雲っていたけれど町はずれの林の道を丘まで登る道が素晴らしく美しかった。

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ちょうど城に到着したころから雨が降り始め、入館を待つまでの5分で暴風雨に変わってしまい驚く。1時半までまてば英語ガイドもあるんだけど時間がもったいないのでドイツ語でいいことにして中をみる(ガイドツアーでないと中に入れない)。英語の解説板や日本語のパンフでそれらしく想像しながら興味深い場内を見学。当時の面影を彷彿とさせるたたずまいをしみじみと味わう。ゆがんだ厚ガラスの外の雨の風景もまた風情あり。領主館の方の雰囲気も素朴で好きだった。

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城の主だったエリザベート妃の豪華絢爛モザイクの間。

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  ワルトブルグは世界遺産らしい。右がワーグナーがここで着想をえたタンホイザーそのもの、歌合戦の間にかかげられた合戦の模様を表したタペストリ。

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左、ルターが隠れて聖書をドイツ語に翻訳した部屋そのもの。右は祝宴の間。

 

ルードヴィヒがノイシュバンシュタイン築城時に真似したという祝宴の間では、なにやら演奏会の準備が行われいてた。ここで音楽をきいて、お隣のホテルで泊まれたらどんなにいいだろうなぁと思いながら、時間のない日本人旅行者は先を急ぐのであった。

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バッハ詣で 1 旅立ち

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やっと待ちに待ったその日がやって参りました。

あの日から正確には33年と8ヵ月。ブランデンブルグ門を過ぎて東西を分ける高い壁の前で、Achtung ! と緑色の文字で落書きが書きなぐられて鉄条網をかぶせられた壁の前で、その先をあきらめたあの日・・。
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退社後一旦家に帰ってシャワーを浴びて空港へ。羽田23:45発のカタール航空QR813に乗り込む。羽田から発つのは2回目。カタールはワンワールドなのでJALのさくらラウンジでの少し時間をつぶしながら夜の滑走路を眺める。これが好き。
 
カタールは1時間前から搭乗させる。そして定刻よりもできることなら早く発とうとする。そうしてもやっぱり定刻を少し回ってしまうのが常なのだが。
 
もうすでに眠くなる時間なので、この旅程では映画もごはんもほぼ無視。ドーハまで12時間ほど。朝6時過ぎに到着。往路の乗り継ぎは1時間半でちょうどいい塩梅。2月のイスタンブールの時以来だけど、ゲートまで短いトラムができていた。なかったと思うんだけど。
 
フランクフルトまで6時間半。遅れもなく無事定刻に到着。イミグレはガラガラであっさり通過。ここから始まるわたしの旅。まずはジャーマンパスのヴァリデイトをしてもらわないといけない。通りがかりのINFOで聞いたら、地下のDB(ドイツ国有鉄道)のオフィスに行けという。アイゼナハまでいくんだけど、といったら「Far!」といわれてしまう。Farかしら。。。
 
非常にビジネスライクでかちっとした男性職員によりヴァリデートしてもらってこれで7日間鉄道乗り放題。さっそく遠距離用ホームの4番線まで6,7分移動。中央駅まで行って乗り換ようと思っていたのだが、DBオフィスでついでに「アイゼナハまでの電車教えて」といったらプリントアウトしてくれた。これは旅サイトの先輩の教え。14:10のICE1631で乗り換えなしという。事前の調べではエアフルトでも乗り換えないといけないとおもっていたので喜ぶ。
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さっそくホームの降りてみたけどまだ30分もある。しかも4番線には13:46のICE1630の表示のみ。時刻表を見てみると1630なんてどこにも載ってない。おかしいぞ。ここでいいのかな。大丈夫かな。もしかして1630に乗ったら1本早くいけるんじゃないかな。。。と悩む悩む。
とうとうコンコースまで戻ってINFOでもう一回聞くと、1630はこれから到着する列車の表示で、それが到着後1631に変わるんだという。なるほど納得。でも、わざわざ到着する列車の時刻なんか出さなくてもよくない????だってフランクフルト空港駅は終点折り返しなんだから。
 
それでも不安で回りにいたおじさんに聞いてみたら英語しゃべれないって言われる。ドイツ人は世界中たいていどこでもドイツ語表示があるから英語をしゃべる必要がないのであまり通じないとはきいていたけど、それは田舎のことかと思っていたからちょっとびっくり。
が、2回目に聞いた人は訥々ながら話せて、これが1等でライプツィヒ行きだということを教えてくれた。
後でわかったけれど予約は取り消し不可払い戻し不可なので、予定が変わったら予約はそのまま表示されても乗ってこない人がちょいちょいいることになる。また、今表示がなくても、次の瞬間に予約が入ればそこにはいられなくなる。高度に発達したシステム社会なのでモバイルで直前予約もできるのだ。そんなことで不安ながら座った席は幸いにもアイゼナハまで追い立てられることなく座って行けた。
 
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   街中のクリスマスポスター     なにげない街角
 
車窓を流れる素晴らしく美しい牧草地、瀟洒な林、趣のある素敵な民家。古い石造りも新しいモダンな漆喰造りでも、どうしてなんだろう、と思うほど美しい佇まいで、どの家も汚れ一つなく整えられている。早くも久しぶりの先進国の清潔でレベルの高い美意識環境意識にやられてしまう。
 
出発と同じく到着も特にベルがなるわけでもなく、到着直前に放送はあるけれどドイツ語なんぞはわかりゃしない。ひたすら時刻表の到着時刻だけを頼りに、神経を集中する。
が。定刻になっても止まらない。5分たっても10分たっても止まる気配がない。おかしい。大丈夫か・・・どうなってるんだ・・・と焦っていると20分も遅れてやっと停車。ドイツって1秒たりとも遅れないというイメージを勝手に持っていたがとんでもなかったわけで、改めて我が国の列車の異常な正確さに思いをはせてしまう。
 
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そうして降り立ったアイゼナハの駅。ひなびた田舎の駅。ああ、ついにきてしまった。あんなに焦がれてきてみたかった、ドイツの片田舎。バッハ少年が生まれ育った町。10歳で両親を亡くすまでの短い間を過ごした町。330年前洗礼を受け、走り回ったりしていたであろうその場所だ。感慨ひとしおであった。

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ドイチュいってきます

33年前のリベンジ。バッハを訪ねる旅でございます。

待ち遠しかったわ~~~。

 

往年のごとくバックパッカーですが、カンボジアやネパールと比べると高度に発達したシステムが故になかなか予約なぞも難しくなった。しかも昔は宿替わりに駆使した夜行が激減している。どこの国も同じなのかしらねぇ^~。夜行の旅情がなくなるのは非常にさびしい。

 

とはいえ、トーマスクックやネット情報と首っ引きで旅程を組むのはかなりのパズルでありつつもとても楽しかった。これが旅行の半分といってもいい。

 

そして今夜からいよいよ実戦編。一人旅は良きも悪しきもいろんなハプニングがあって、だからこそ充実感達成感幸福感はこたえられない。

いってきますう~~。

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浅草ライヲン百貨店

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会社のお隣の同僚君とよくおしゃべりをする。
彼は映像特に映画と造形、70年代~80年代の特にブリティッシュの音楽シーンに造詣が深い。15も歳が離れているのに、私の記憶や感覚とぴったりあう話ができるから驚き。
 
そんな彼とは政治から哲学、芸術から自転車、車、バイクはては与太話まで楽しくおしゃべりできるのだが、茨城の育ちとかでスポーツはサッカー。今はフットサルのチームに所属しているらしいが、そのお仲間で素敵な作品を作る人がいるという話をきいていた。
白磁のアクセサリーをその制作の中心に据えているそうなのだが、店舗はなく、数か所のお店で委託販売をしているとのこと。オンラインでもオーダーはできるらしいのだが、実物を見てみたいと思っていた。
 
そしてそれがジツゲンする、と秋のイベントのご案内をお隣君からもらったので、早速いってきた。
 
浅草ライヲン百貨店というレトロな建物で2日間だけ催されるこのイベント。
まず浅草って過去2回しかいったことがない。1度は高校生のときに家族で東京見物に来た時。(そんな時のこたぁおぼえちゃいない)。
もう1度はお友達がいらしたときにご案内というか、ご一緒したのがもう15年くらい前?
 
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スカイツリーと巨大な筋斗雲の隅田川っぱた。  右はライヲン百貨店内部。壊れてるような素敵なような、不思議空間。こんなところで住んでみたいような。ライオンがちゃんと壁にいます。
 
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とりあえず降り立った浅草で、ものすごく適当な案内図に右往左往して迷い迷ってやっと到着。レース、アクセサリー、絵、着物、陶磁器、バッグに眼鏡まで、心くすぐるアンティークの数々。思った通りめっちゃ好みの品物ばかりで大興奮であった。
 
お目当ての作家さん、コウイチマツモト氏のコーナーは入り口はいっていきなりの場所。なによりかによりまず見つけて「やった!これだ!」
 
・・・とみていると背後からお声が。おお。コウイチマツモト氏ですか?お隣君からお話はかねがね!とお話を始めたらあっというまに旧知の友のよう。作品や制作のアレコレをききながらも目はウロチョロとさまよい、どれをいただくか決めるのに余念がない。
うれしいことにIphoneのアプリだかで、カードお支払もできるという。
今週は忙しくて財布の補充もできなく、3階までぎっしり詰まった超魅力的な品々に涙をのみつつも、所期の目的は見事達成。半年の希望がかないましたの。よかった♪
 
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いただいた作品は素敵小瓶に詰めてくださる。ウェブでも気になっていた、白に金のミルククラウン(ほんとは草がモチーフ)とこれは初めてみた大振りな5弁の花。
 
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3階のお店のディスプレイ。好みだ~。このお店でつい買ってしまった1920年のフランスの新聞。だってリスがあまりに可愛くて。。。この新聞は「奥様手芸通信」的な手芸のための新聞で、カラー印刷がまだできなかった当時、職人が1枚1枚手仕事で彩色をしたものだそうだ。中には編み物、染め物、刺繍、織物などの女性の手仕事に関する情報や下絵や図案がぎっしり詰まっている。額に入れると素敵。
こういうのが大好きだった亡くなった親友といけたらよかったなぁ。
 
コウイチマツモト氏はとっても素敵な方でした。藝大で陶芸を専攻なさったそうですが、ほっそりしているのに大きな手が印象的。いただいた作品は、自然のドライフラワーにふうわり良い香りのする素敵な小瓶に入れてくださる。
好きなものが身の回りに増やせる幸せを味わった1日でした。
 
ついでに外国人がわんさかしている浅草では、古式ゆかしい綿帽子の花嫁さんが人力車に乗るところに遭遇。お幸せに。。。
 
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おまけにもう1枚、わが家の幸せ。秋の味覚のむかごご飯を今年もいただけました。
小さい至福。
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日本スリーデーマーチ

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おととしの初参加後、昨年はなんか用事があってパスした日本スリーデーマーチ

今年こそ50キロを2日連続で歩いてみたいと思い参加。
 
土砂降りのうえ、初めて「平地を長距離歩く」を体験して、驚愕のへとへとを体験したおととし。翌日体が硬直して起きることすらできない廃人となってしまった。時間も12時間かかり、相当なお年寄りにバシバシ抜かれ、がっくり肩をおとしたのだった。
今年こその意気込みで、敗因を分析し、きっと道具も間違っているに違いないとウォーキングシューズを導入。意気揚々参加したのだが、結果からいうと今年も50km50mの達成はならず。
 
とはいえ、おととしだめだったゴール入場(ゴールは17時に撤去される)してたくさんの拍手に迎えてもらえたこと、スタートから10時間半で50km歩いたこと、二日目も20km歩いたことで明らかな進歩はあったのだった。30kmでもあるけそうだったんだが、ちょうど用事もできたところで20kmという短距離のファンウォークもいいんじゃないかと。
短い距離では歌や踊りの各種イベント、トン汁やお餅のおふるまい、お寺や展示館などを通り抜ける(もちろんお金はかからない)など、お楽しみがあれこれ盛り込まれている。
トップ画像もそんなイベントで、地元に伝わる太鼓芸能の保存会の方々による演舞。なかなか楽しめた。
 
一緒に歩いたのはおととし同様、開催地東松山の地元民である山友。この人も小学生のころから40m3日間歩いたという経験者なので大会のアレコレをよくご存じ。
 
なんでもオランダのものに次いで世界第2位の大きなマーチングイベントだそうな。たしかに前回もそうだが、たくさん外国人が参加している。背中にそれぞれの国旗をさして、ガンガン歩くひともいればのんびり日本の里の自然を楽しむ人もあり。
 
ところでウォーキングとマーチングは違うらしい。それは自転車やランニングと同様、世界的にリーグがあったり実績が認定されたりする世界のようだ。
それでも同じ歩く行為でも山と平地では全く違うのは前回同様の感想。だって、平地では30kmを過ぎたころから大腿四頭筋が痛み始めるのだが、ちょっと上り坂になると痛みはどこかへ消えてしまい、もどるとまた痛くなるのだ。
それともう一つ。山を歩いている時は、山からたくさんのエネルギーを(気を)もらっているんだなあとしみじみ実感。山を歩いて辛いと思うことは皆無だ。どんなきつい登りでも辛いとは思わないし、すごく早く歩ける。だから丹沢みたいに森が死んでいる山だといまいちやる気もでないし、楽しくない。
 
そんな感じだったけど、何しろ二日間お天気は最高、暑くも寒くもなく濃厚な体験ができてよかった。どうせ山はどっちつかずの季節で大したこともできないし。
あるいた二日目のデータでは、20kmが一番多くて22000人超。40kmは中途半端なのか一番すくなくて190人くらい。50kmは526人だったと思う。
 
ちなみに早い人は50kmを8時間ぐらいで歩く。時速6km超。それを3日間やる人がたくさんいるらしい。マラソン同様、この運動になれるとできるようになるんだろうな。そして他のスポーツ同様、大会フリークとなってあちこちの大会にでるんだろうな。背中に背負ったザックに、そういういろんな国のいろんな大会のバッジやらワッペンやらたくさんくっつけている人が大勢いた。それもまた人生の楽しみ方である。
 
次こそ50km50kmを達成してみたいものだ。

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パリ国立オペラ座少年少女合唱団

大好きなフォーレをやるというので聴きにいってきました。

なんでも日本での公演は初めてとのこと。この少年少女合唱団が属するのは、いわゆるパリのオペラ座でございますね。あの怪人が潜んでいたということになっている・・。

パリ・オペラ座ガルニエ宮

開園時間とともにステージにしずしずと出てきたのは30人ほどの少女と、なぜか20人ほどのおじさん。あれ?あれ?少年少女では・・・?

ハテナがとびかいつつ、その衣装のシックさにさすがとうなります。普通、白とか紺の制服姿がおおいんでございますが、少女は紺の襟なし半袖のシンプルなワンピースに紺色のタイツ、深緑の靴。どの子も長くのばした髪をふさふさとゆたかにまとめていてかわいらしい。でも立ち姿には緊張が漂っているのがわかりますねぇ。

 

ややあって、お若い女性とメインのおじ様のコンダクターが登場。おじ様はガエル・ダーシェン氏。日本初公演の悦ばしいことをご挨拶されました。通訳にでてきた少女は団員で、かわいらしくもなかなか達者な発音でした。

さて、当然といえば当然でしょうが、演目はフランス作曲家のみで、まずはプーランクのモテット2曲とちいさな宗教曲。プーランクのモテットは学生時代数曲歌いましたが、難解で歌い辛かった記憶があります。しかし年を経たせいか、聴いてる立場だからか、美しいですねぇ。

ぶつかったとおもったところからフワ~っと美しい旋律に集まるところはまるで豊かな沢を見ているようでした。

            オルガン画像

開場は池袋の芸術劇場。ここのオルガンは初めて聴きました。なんとオルガンは2つの顔をもっているのだとか。だから見慣れないと思ったのだと思う。この日はモダンな面がでていたらしいですね。正面に堂々とそびえるそれはアールヌーボーの美をたたえていますが、サントリーホールより響きが良いように感じます。少し狭いからでしょうかね。オルガにストはバティスト=フォロリアン・マール=ウヴラールという、これ一人?っていうほど長く難解なお名前の若き殿方。これが真っ赤な靴下をのぞかせながら長い足を回して、ひらりと長い演奏台の椅子に座る様がなんとも美しい。

そして合唱が始まった瞬間とりはだ。とてもよく訓練されている。出だしの「クリスマスのための4つのモテット」はまだ温まってないかんじがしたけれど、3曲目の「悔悟節のための4つのモテット」になるとばーんと声がでてきてすばらしい。最後のほうでソロをとった女の子が素晴らしかった。息を呑むような美声でしたねぇ。

もうひとつ、素晴らしいのは女性の指揮者です。お名前を聞きのがしたのですが、多分大学でいえば準教授のようなお立場でしょう。その振りがものすごくよくてよくて、ああ、この指揮で歌いたい!と思うようでした。学生時代の先生の流儀に似ていて、しなやかな手の動きと体全体であらわす音楽性。見ているだけでも音楽がわかるかんじです。

先日のズービン・メータが動かないタクトだったから余計そう思うのかも。やっぱわたしは躍動感のあるタクトが好きだなぁ。

そして休憩をはさんで待っていました。レクイエム。私が死んだら絶対この曲を流してほしいと思う作品です(クリスチャンじゃないけれど)。音楽の師からその存在を教えてもらって以来、どれだけ聴いてきたことか。朝な夕なに聴いてました。

こんどはちゃんと少年がのってます~。それでも全部で15人もいなかったかなぁ。俄然女の子が強いんですね、ここ。男の子もシンプルな薄いブルーのシャツと濃紺のスラックス。シックだなぁ。

本来そうなのでしょうが、オルガンのみ。どうなるかなと興味津々でした。前半わたしの好みよりはちょっとテンポが速かったけど、暗譜は当然の歌い込み方はさすがです。オフェルトリウムとリベラメのソロのバリトン君も堂々としてもよかったです。将来有望かも。

ピエイエズは男の子だとばかりおもったら女の子。10歳くらいでしょうかねぇ。まったく怖じずに平常心な感じで、淡々と清らかで透明な声でした。あの年にしてはちょっとビブラートの気配があったのがやや気になりましたが。

最後は日本へのトリビュートなのでしょう、女性の指揮で「赤とんぼ」と「故郷」をうたってくれました。いいですねぇ。涙出ましたね。

オルガニストがピアノを弾いたのですが、これがまた繊細。なんでもパリ国立音楽院でいろんな学科で一等賞を取った人らしい。

美しい音楽に酔った秋の夜でした。

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晩秋の立山

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10月第三週。またも晴れそうだ。これは逃せない。

ということで前々から懸案だった立山にいくことにした。

北アルプスは今年はついぞ近づけず、あきらめかけていたのだが、ぎりセーフ。

久しぶりの扇沢、昔車上荒らしにあった、爺ケ岳登山口もいっぱい。空いてるだろうと思ったのに市営駐車場も満杯。下の遠いところに止めてスタート。

 

しかしこの立山は3000m峰とはいえ、激楽勝のお山なので、わざわざここに登るためだけに扇沢から乗り物を乗り継いでいくのはハードルが高かったのだが、昨今の状態では雪の剣もしばらくないし、久しぶりだからと思い切った。そりゃ思い切ってです。なぜなら扇沢から室堂まで往復9000円もかかるんですううう~~。sad

扇沢からトロリーバス。おりてダムを渡り、次は急斜度のケーブルカー。そこからロープウェイ。最後にもういちどトロリーバス。この最後のトロリーバスがなかなかスリル満点なのじゃ。

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ダムをわたる。紅葉はいまいちでんなあ。
 
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これはケーブルカーおりたところ。同定板のとおり左は針の木、スバリ
右が鹿島槍と、前にやった黒部横断の時におりた牛首尾根。なつかしか~。
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ロープウェイから針の木とダム湖。右は雷鳥沢キャンプ場が見えます。
 
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地獄谷方面から噴気がもうもうとあがります。今、群発地震がおきていて
あらたな噴気孔からさらに高温の噴気があがっているそうです。
このあたりは硫化ガス(有毒)がでているので、風向きによってはやばいです。
途中にはタオルを湿らせて口にあてるよう、水場があります。
 
テントを張る3時ごろからぽつぽつ来たと思ったらそれから霰まじりの雨になり、
夕方までの間剣沢小屋まで散歩しようとおもっていたけど、さっさと寝ることにしました。
なんしろ前夜は毎度おなじみ3時過ぎ。
今の時期の特典は人が少ないこと。キャンプ場もがらがら~~
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左、翌日の登り始め、人生初のブロッケンに遭遇~~!
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翌日。どうです、この青空!。来たかいがあったよう~。
ここは富士の折立というコルの部分。雲がきれいです。
 
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あまりに雲がよくて、何度も何枚も撮ってしまう。イランのパサルガダエでみた雲を思い出すなぁ。
 
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雄山の、いわゆる百名山的立山の三角点のあるところには同定板。3000に足りない山は雲の上に頭をだせません。
右は立山全山。立山という名前の山はなく、雄山・大汝山などの連峰です。
ちなみにトップは雄山の立山神社本宮。映画「点の記」で巷に知るところとなったでしょうが、古来山岳信仰では厳しく極度に徹底された信仰を集めていたようです。このサイトが面白いのでよろしければどうぞ。
句碑がありました。
「立山に初めて立ちし遠つ祖も 涙拭はず祈りましけむ」。
そうだろうなぁ。
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右はみくりが池にうつる立山。フォトポイントですね~
 
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晩秋の立山、うつくしいですなぁ。
温泉はみくりが池温泉に初めて入ったところ、これが驚愕の素晴らしさ。
ベスト3入りです。青白い強烈な硫黄泉はとろりとして最高!
ふもとの葛温泉も湯量たっぷりで風情ありましたが、みくりが池温泉の前に
かすんでしまいました。
 
帰りは蕎麦をたべたかったんだけど機会がなく、結局ずっとたべてみたかったマクドナルドのテキサスバーガーになってしまった。

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やっと晴れたあー

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やっとやっと待ちに待った秋晴れ。せいせぃしますわ。
来週、会社の女子をお招きするため、山小屋の掃除が必要となり、愛車ユーノスロードスターを駆ってでかけました。いやいや、ほんと、最高でした。
あまりに掃除が大変だったため、その日のうちに沢渡までいって上高地あたりぶらつこうと思っていたのですが、へとへとで山小屋で寝ることにし、結果、起きたら9時でしたcoldsweats02
よって山は浅間散歩となりました。
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 高速おりました。浅間に少し噴煙。  これは夕陽じゃないの。お月様です。
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 夕泥む浅間山             月が少し上がりました。満月。
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翌日。浅間の中腹から八ヶ岳と   富士山もみえてます。  
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遠く北アルプス。槍がみえる。     トウミの頭。浅間はほんとにきれい。
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カルデラの内側の草原。紅葉が今年はあまりよくない。右は黒斑山からJバンド方面
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落葉松も金色がいまひとつだけど、青空がきれい。山小屋には立派なスズメバチの巣が
できていた。ここは毎年巣をかけられる場所。もうすこしでいなくなるね。

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失笑

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映画化もされた「トレインスポッティング(Trainspotting)」で知られるスコットランド(Scotland)の小説家、アービン・ウェルシュ(Irvine Welsh)氏も、ディラン氏の選出を酷評。「私はディランのファンだが、これは、もうろくしてわめくヒッピーらの悪臭を放つ前立腺がひねり出した検討不足で懐古趣味な賞だ」とツイッター(Twitter)に投稿した。

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これには快哉をさけびましたな。賞が欲しくてやっかんでいる作家諸氏もいることはおいといても。

そもそもなんであるの、文学賞なんて。

音楽賞はないのにさ。おかしくね?

人々に夢と希望を与える偉大なる音楽家は大勢いるでしょ。

だいだい恋敵が数学者だったから数学賞がないとかさ。くだらない。

あんまり意味を感じない。過去受賞された諸偉人には失礼だが。

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ウィーン・フィル 2016

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前回はたしか2011年来日公演。S席3まんえんも出したのにどんかぶりの1階最後列で庶民を味わったのだけれども、今年はかなり嬉しい特別公演の招待券が回ってきた。

やった~。

というのは、夫の仕事上のお客様である協賛社からいただいたもので、当人はクラシックはほとんど縁がないのであるがご挨拶があるというし、こちらはで有難く(仕方なく)ご相伴にあずかる形となったのであるが。

 

先月聴いたピエタリ・イェキネン就任公演の日フィルワーグナープログラムに続いてサントリーホール。

さすがに招待客のみの特別公演とあって、カラヤン広場も混んでいない。いつもは軽くお腹をみたしたい人でいっぱいなのに。

と思ったらそれもそのはず。入場するとビロード張りハードカバーのすさまじく立派なプログラムを渡されて、バンケットへと案内される。ここには各種お飲物に素敵なお料理の並んでいるのだった。ちくしょ~、知っていればおにぎりなんかたべなかったのに(これこれ)

てなことでおいしいお料理とスイーツに珈琲までいただいてから席へ。さすがにご来場のみなさまの御召し物やら光物も溜息のでるようなまばゆさで、大変目の保養になります。

あまりに素晴らしいのでついお声をかけてしまった白大島の奥様やこぼれるような大粒のダイヤに真珠。うーん。見られるだけで楽しい。

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席は1階4列の中央。コンマスが目の前3m。だからコンマスの音が取り出すように聴こえるのである。これは人生初体験。ウィーンフィルのコンマスの音が直に聞こえてくるなんて、夢のようである。本当に幸せで涙がでました。

 

プログラムは特別プロで、モーツァルト「ドン・ジョバンニ」序曲で幕開け、つづいて同じくモーツァルト「リンツ」。小編成のいかにもウィーン・フィルというプログラムだけれども、昔、わたしの師が「モーツァルトは宝石」とおっしゃっていたのがまさに実感されるような、濃密なのにきらきらする音の広がりに包まれたのだった。

 

休憩を挟んで、3曲目がシューベルト「グレート」。編成も大きくなり、木管8人がメータのまわりを取り囲む配置。これがもう、ほんとうにすばらしくて泣けた。ウィーン・フィルは、ウィーンにゆかりのある作曲家をメインに演奏するようなのだが、普段シューベルトは聴かないだけに新鮮で発見を感じるものがあった。そうおもわせてくれるのもウィーン・フィルなんだろうな。

 

ズービン・メータは今年80になられたそうな。なんでも誕生日の4月には、自らを祝う演奏を振るために、どこだっけな、ベルリン・フィルだっけな、の指揮をオザワに譲ったとかなんとか逸話があったらしい。いままで生で聴いた記憶はほとんどないんだけれど、評のとおりというか、穏やかで鷹揚な感じというか、角もなにもない力の抜け方というか、ウィーンフィルはこういう人がいいんだろうなともおもった。スコアなしは当然なのか、シューベルトでは指揮台さえなし。

 

最後に驚いたのが、ウィーン・フィルもアンコールやるのねってことだった。

前回行ったときにはなかったのだけど、特別プロだからなのかしら、なんとドヴォルザーク「スラブ舞曲」とシュトラウス「トリッチェ・トラッチェ」と2曲も。この2曲がまた、メンバーも力が抜けるのか素晴らしかったのだ。シュトラウスなんか、これがこのままニューイヤーかのような錯覚にとらわれてしまった。

メータの生声が聴ける幸運に浴したけれども、お年も考えると私にとってこれが最初で最後であろう。

ありがたや。

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ちなみにほぼ満席だった特別講演の招待客には一人1個ずつお土産が手渡された。さすがウィーンの老舗デメルのお菓子。おされですな。

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まだまだ恨めしい雨雨雨

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もう。。。ほとほといやになりますな。雨。

体育の日の3連休、やはり芳しくないとは知りながら、9日は曇り、10日は晴れるらしいと期待に胸を膨らませて、比較的良い東北に行くことにした。焼石の紅葉がすばらしいだろう、早池峰もまだいってないし、雨の土曜日は遠野観光でもして・・・と計画していたのだが、やはり土砂ぶる雨に萎え萎え。結局温泉めぐりじゃ~。

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いったことのなかった十和田湖周辺もぶらついてみました。奥入瀬の紅葉目当てに来たひとでごちゃごちゃしていたけど、残念でした。奥入瀬もまだまだです。ちなみにJRのポスターになっている酸ケ湯の下の城ヶ倉大橋も、ちらっとも紅葉していません。今年は遅いら しい。温泉でお話した地元のお姉さまによると、寒くないんだって。

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わたしの目的は十和田湖畔の十和田神社。なんでもいい「気」に満ちた神社らしい。たしかに人生3度目の不思議な現象を体験したのでよかったのですが、残念なことは、名高い観光地の十和田湖というのに、中心地には廃業した店舗のくずおれた姿が多発しており、どうにもよろしくな負のオーラがあったことでした。あれはなぁ、お客は引きますよ。さっさと撤去したほうがいいのに。

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それでも3日目はせっかく山に登ろうと思ってでかけたのだから、と、八甲田に登ってみた。いつも途中敗退なので今回山頂は2度目。朝起きたときには晴れていたのー。青空がきれいだったのですよ。

ところがです。出かけようとした10時にはぱらぱらっと来始めて、ものの5分でカッパ装着。ぐちゃぐちゃドロドロのぬかるみを苦労して歩き、ついには背中から泥べちゃに落ちて下半身ぐっしょり、そこから上は霰に顔をうたれ、それでも紅葉はみられるかと歩き続けて稜線にでると、そこはブリザード。真っ白な世界で、立派なえびのしっぽもできあがっており、這松の枝も凍る冬山でした。もちろん防寒はしていたのもの、冬の富士山くらいかそれ以上、まちがいなく20mは越えていた暴風にとばされ、ころばされ、顔も体も真っ赤になるほど痛く、本気でやばいと、へたしたら死ぬかとおもいました。なんでも11月の寒気がはいって今年初冠雪の日だったらしい。まいったね。

下は晴れていたのに、わざわざとんでもない日に、荒天の山をえらんでしまったのでした。

 

温泉は2回目の鉛、初めての大沢、いつもいく内緒の緑色油臭もかぐわしい○○温泉、酸ケ湯、初めての深沢温泉、などなど堪能しました深沢温泉は大発見。これはすばらしい。お肌がパンっとする素晴らしいお湯でした。

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渇望

なぜか突然強烈にすぐにでもラダックに行きたいと思う。

行きたくて行きたくて胸が苦しくなってきた。

ラダックを知ってからどのくらい経つだろう。

なぜこんなにも荒涼と乾いた寂寞の地に惹かれるのだろう。

もうヴェネツィアもドイツも心の片隅に追いやられてしまったほど。

とはいえ。

ヴェネツイアについては塩野七生氏の「海の都の物語」全6巻のとうとう最後にきた。

長いヴェネツィアの歴史はそれは面白く、引き込まれてしまった。氏の著作は、若い頃は作風が鼻につくというか、違和感があってあまり好まなかったのだが、読めるようになったというのは年齢を重ねたせいだろうか。

最近なにかにつけてそれを感じる。

四捨五入したら還暦だもんねぇ~~~。

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うらめしい雨

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意外と・・・どころの話じゃない。今年の秋の雨。ひどすぎる。。。。

毎週毎週台風がきて毎日毎日雨ばっかり。

結局ここぞというシルバーウィークはどこにもいけなか った。残念でたまらない。

ほんとならつがみ新道か裏銀座か聖・光かと計画していたのに、どこへもいけず。

うつうつと家から一歩も出ない休みの日もあって、そんななか尊敬する巨星が落ちた。

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そして10月に入ったのだが相変わらず雨ばっかり。2日の日曜はそれでもやっと、福島は会津駒ヶ岳まで遠征して、実に何か月ぶりだろうというような抜けた青空を山で見た。こうでなくちゃという素敵な青空に、もう始まった紅葉の赤や黄色が素晴らしかった。

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ことしはそんなわけで、なんだか山はキノコだらけ。そのせいだろうか、巷のキノコ売りさんも活躍しているようで、会津駒の帰りにふと立ち寄った露天で買ったのがハナイグチとフナヒラタケ。売主のおばさんと客だかなんだかのおじさんとで、一生懸命説明してくれたところ、ハナイグチはいい出汁がでるのでお汁に、ブナヒラタケは香りがいいので、甘辛く味付けてご飯に混ぜるとよいとのこと。あまりに高価で買えなかったけど、初めてみた天然舞茸の素晴らしい香りにびっくりした。本物ってこんなにいい、濃い匂いだった。

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早速翌日そのように料理してみた。

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お汁は里芋と一緒に薄味で。ハナイグチはなんとも上品な風味であった。まず軸から煮出して出しをとり、最後にふわっと傘の部分を。生では傘の裏側はきいろくておもしろいのだが、煮ると色はきえる。シイタケよりももっとデリケートでなめこよりしっかりした、つるんとろんとした歯触り。軸も問題なく食べられる。とてもおいしかった。

ブナヒラタケ、まっしろくていい香りのするそれを油と醤油と砂糖という濃いもので炒めつけたら風味が消えるのでは、と危惧したのだが、全然そんな心配はいらない。料理後なおクンと薫る新鮮で独特な香り。初めての味わいだった。 

イグチ類は昔は毒なし、といわれていたらしいが最近では猛毒のドクイグチがみつかったりしているというので、若干心配があったのだが、無事ぴんぴんしております。

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お山いろいろ

8月は第1週の月山・鳥海山しか山にいけなかった。

9月はいよいよ最高のシーズンの始まりです。春もいいんだけど、やっぱり山は秋が一番好き。わさわさいたチャラいいハイカーも少なくなり、ツアーも減ってくるし、空はどこまでも青くて乾いていて刷毛のような雲が美しくて、容赦なく照りつけていた激しい日差しは柔らかくなり、影が長くなって目に痛かった景色は深く優しくなる。熱中症の心配も減り、担ぐ水も少なくなって楽だし、汗も夏ほどでなくとにかく爽やかで気持ちがいい。

夜は星空、野生の果実も実り、花は数は少なくなるけれど、陽に輝く芒の穂や、色づき始める頃から全盛の錦の衣まで、紅葉のすばらしさといったらない。残念なのは意外と雨が多いことなんだけど。

で、9月は第1週は西吾妻へ、第2週はなかなか行き辛い雨飾のピークを落とした。今年は百名山ゲットがいいペースだ。数えたら雨飾でちょうど80山クリアとなった。子供のころに登ったらしい霧島や阿蘇もいれると82だけど、ここは大人になってからの山登りでくくることにしましょう。

西吾妻はだらだらと東西に長い吾妻山脈の西の端、磐梯の北になる。ここも星が素晴らしくて、星空観察にまた冬来ようと思うほど空が広くて、展望所にしばし寝転がってしみじみ星のに囲まれる幸せを味わった。知らなかったけれど星屋さんには知られたスポットらしく、ものすごい望遠鏡やカメラを設置した人の一団がいたりした。

山頂はここほどつまらない山頂は初めてというほどつまらない、樹林の中の直径2mほどの空き地でびっくりだった。下をむいていたから通り過ぎそうになってしまったくらいだった。

つづく週の雨飾山は、その美しい名前に魅かれる人が多いのだが、山的にはどうということはないお山なのである。なんで深田久弥がえらんだのか、絶対名前だけだとおもう。まあそれにひっぱられてるんだから意見をいう立場じゃないんだが。

岩肌が妙に谷川の一ノ倉沢あたりに似ているのが印象的だったのだが、実力の割に人気なだけに人も多くて、上のほうは渋滞。結構な急登で中高年が多かったから、調子のいいときだったらイライラしたと思うけれど、ちょうどこちらもなぜか疲れマックスでバテバテだったのでちょうどよかった。それでも抜きはしても抜かれはしなかったから、やはりアベレージ足の遅い層が多かったという事なんだろう。

ああ、でも若者のグループもちょろちょろいたっけ。なんだかゴタクならべながらとろとろ登っていたな。綺麗なお母さんにつれられた高校生くらいの女の子は、高級ウェアに身を包んでいるんだが、ずっとむくれ顔で、後ろに人がいようがなにしようが、その遅い足取りで譲るという発想もわかないくらい、不不平不満で頭がいっぱいなようだった。気の毒だな。美しい自然の中を歩ける幸せがわからない人は。お母さん残念ですな。

山頂はガスがでてしまったので眺望は今一つだったが、20人くらいはいられそうな程度はあった。、生まれて初めて山頂で休みたいと思うほどばてて、しばし動けなかった。

しかし行き辛い山である。隣の火打・妙高の続きというのに、林道は工事中で封鎖。しかも相当登った峠直前でいきなりそういわれる。そりゃないだろ。ということで突破しちゃったのだが。小谷ルートの登山口付近にある雨飾荘も、山の中にしてはオサレなんだけど、ちょととタカピーな応対で、お風呂に立ち寄るのはやめてしまい、白馬のほうまで降りてからにした。人気があるからそうなるんだろうかね。

次の日は雨のようなので予定変更してさっさと帰った。結局日曜日はたくさんすることがあって、しかも大事な用事ができてしまったので帰って正解だった。

おわり。

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2016の家族ダイビング旅行は粟国島

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今年も9月のシルバーウィークに予定していたダイビング旅行。昨年次男が欠席だったのでぜひと思ったところ、どうしても休みが取れないという。客商売だからなあ。。。

結局お盆のところで5日許されるというのが分かったのが7月半ば。
慌てていく先を考えても、すでに特典が使える海外は皆無。どうすっか~といっていたところ、オットが沖縄の粟国島なら行ってみたいというので、大急ぎで宿とショップを探した。
粟国島は沖縄本島の北西に浮かぶ1周12キロの小島。1日1往復しかないフェリーで2時間半。以前は小さいプロペラ機が飛んでいたんだけれど、なにか事故があって以来飛ばなくなっている。代わりにヘリが飛ぶ。といってもオンデマンド。予約できるようになったのもついこの1ヶ月かそこらで、予約したからといって飛ぶとは限らないというべりまっち不安な交通手段らしい。
 
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どこまでもだれもいない道と 右は南国の日差しに揺れるさとうきび畑
 
宿のほうも、実質やってる民宿が3軒とプチホテルというのが1件。新しいそれが一番人気で無理だろうと、民宿から当たり始めたところ、1件目「いっぱいです」2件目「お盆の間はいそがいしから宿はやらないよ」3件目「ひとりでやってるし、お盆だから無理」てなわけであちゃー。三軒目には「お盆なのにあんたたちは遊んでていいの?」とお説教食らう始末。
 
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左、宿前の夕焼け    右はお世話になったプチホテルいさ
 
宿がとれなければどうしようもない。ダメ元でプチホテルに電話したら、意外にもあっさりOK.。無事確保したところでショップに予約。3軒あるショップのうち、島生え抜きの息子ととうちゃんがやってるというところが硬派そうだったのでここに決定。
 
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その日がやってまいりました。なんとかとれた飛行機も、2×2に分かれて、那覇で集合。翌日待望のヘリが無事飛ぶので那覇空港にもどる。
これが初めての体験だからわっくわくでして。
まずヘリなんてどこからどうやって乗るの?
⇒那覇空港端っこのカウンターにて手続き、説明を受けて、ワゴンで運ばれる。その前にセキュリティチェック。もちろん一人ずつ探知機で探られる程度ですね。
で、滑走路を横切るようにして海側まで行き、際の道をぐるりと遠回りしたはての果てにヘリ格納庫があり、我らの搭乗機たすでに待機している。これだーーー!かっちょええ~~!
 
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大興奮でワゴンを降り、すぐに搭乗。最大積載人数はパイロットも入れてマックス6名。我ら家族が4名で貸きりとなる。一航路2万円なりで、今回は一人5000円。お安いでしょ。こんな値段では普通のれないんです。なぜなら多大なる補助金がでているようなのです。
そういう有難い事情もあり、超お買い得な空の旅30分がいよいよ始まる。
パイロットさんはしぶいおじ様でこれがカッコいいったらありゃしない。乗り込むとローターがゆっくりと回転し始め、パイロットさんが細かくテキパキとスイッチを入れたり指刺し確認をしたりするのを食い入るように見つめる。
 
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やがて、OK離陸しますの合図とともに、ローターの音が一段と激しくなったと思ったら、ふわっっっと、感触では30㎝ほど浮いた感じで静止。かっこいい----!!!
感激ーーーーー!
そこからしずしずと向きを変えて緩やかに静かに上昇。まったくブレも揺れもしない。すばらしい。あっというまに海の上。高度は300mほどらしい。眼下に広がるサンゴ礁のグラデーションがすばらしい。いつも船で行く島を上からみるとこんなにも綺麗だったのかと驚くほど。
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あれが前島、渡嘉敷、ケラマはあそこであの間の瀬であんたたち流されたのよ、とか言いながらあれよあれよという間に粟国島。またふわりと全く衝撃なく着陸。すばらしい~~。
絶対後ろのロータには近づかないようにという注意を守ってそそそっと離れる。
パイロットさん、ありがとう。ばいばい~~。
 
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粟国空港は立派な空港ビルもあった(ある?)ようだが、到着したところはプレハブの建物で、そのままつるっと外に出るとショップのガイドさんが迎えに来てくれていた。
この後はダイビングもシーズンを外れていたのでなんということもなく、日に2本潜ってはオリンピックみて昼寝して、の繰り返し。プチホテルは朝晩ご飯つきなんだけど、この島は食材をほとんどすべてフェリー輸送に頼っているらしく、正直量的に物足りない。宿泊費も6500円なのでお安いから文句はないんですけど、なんだか年中食に飢えてるかんじだった。お店もJAともう一軒あるだけで、乾いたものはけっこうあるんだけど、生ものやジューシーなもの、御惣菜などもほとんどなく、果物も異常に高い。
 
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左、小学校     右はあちこち見かけた子供作らしい標語。いいこといってるよ。
 
島のまわりにはいくらでも魚がいて、漁港も立派なものがあるのに、どうも島の人は漁業はしないらしい。自分の家で食べるのを釣る程度。漁業としてやっても、那覇まで運ぶ輸送費や時間で商売にならないらしい。平な土地が広がっているのに、農業もたいしてやらないようだし、サトウキビも作っても草が生えて大変だからと、あまり熱心でない様子。
お店も宿も気分や都合で営業したり閉めたりするようだし。
どうやって暮らしているんだろうか・・・。
フェリーが止まれば観光客も来られないわけで、宿もダイビングも上がったりのはずなのに。
 
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海水を竹の先から垂らす間に濃縮する  右は釜焚きで仕上がった粟国の塩
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左「テラ」の立派な入り口。右が内部。ライトや歩道など整備もしっかりして見応えあり。
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  右は筆ン崎。ここから夕陽の眺めが素晴らしいらしい。那覇の夜景もみえるとか。
 
最後の日はフェリーの時間まで半日、電気自動車のレンタカーを観光所で借りて、なるべく時間をかけて島内1周した。数か所ある見どころはどこも無料でみられるのだが、誰ひとりいない。製塩工場、洞寺(テラ)いう鍾乳洞、筆ん崎という断崖の岬、くらいですが。
 
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最後にとてものんびりいい島なんだけど、この島はシーズンでもシーズンでなくても2泊もすれば十分かなーというのが印象でした。
最後の日はフェリーにのって那覇へ。飛行機がとれなくてしかたなく翌日1日過ごす。どこといって行きたいところもないので、首里城と県立博物館で楽しんだ。
お昼に国際通りで食べたバーガーは食べログ4以上という評価で、噂にたがわずうまかったす。
 
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15年以上潜りに通って初めていった首里城、守礼の門。右は美しい民家の沖縄瓦。
 
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絶品の安里駅前屋台の沖縄そばと国際通りのマンゴーパフェ!
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左うわさのバーガー。右はダイビング最終日、ガイドさん宅でごちそうになった獲れたてのイセエビ。ほかにも夜光貝とか??貝とかブダイの刺身とか・・・うまかった。

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気になった話題

仏蘭西で世界初の顔面移植手術を受けた女性が闘病の末亡くなったという。

なんでも10年ほど前、薬物使用で意識を失っていたところ、飼い犬に顔面をたべられちゃったのだそうだ。それがそもそもびっくり仰天。よっぽどおいしい匂いでもしていたんだろうか。薬物のせいで?普通飼い犬が飼い主の顔、たべる?たべないよなあ。舐めはしても。

脳死のドナーから鼻・あご・唇を移植したんだそうだが、すぐに拒絶反応が出始め、押さえるためにずいぶんと強い免疫抑制剤を使っていたんだそうで、ゆえにガンやさまざまな感染症に苦しんでいたんだそうです。

そういう映画があったな。フランスだかスペインだか。「私が生きる肌」っていうやつ。アントニオ・バンデラスがでていたがB級だった。

気になるのは。ワンコどうなったんだろうってこと。

飼い主の顔をたべちゃったのではその後もかわいがられている気はしないんだが、犬をたべる国民を人間以下と非難する国のひとだからね。まさか薬殺なんてしてないでしょうね。

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花火@大曲

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夏が大好き。夏といえば花火。

うちの子供が小さい頃は、混雑には近づない主義の我が家でもそれなりに連れて行った。

とはいえ最後にいった花火大会はいつだったろう。多分信州松原湖の花火大会で、10年くらい前じゃないかと思う。わざわざ出かけて行って座ってじっくり見ることはそれ以来していなく、出先の道すがら「あれ、花火が上がってるみたいね」と数発の夜空の花を横目で見る程度だった。

だいぶ前から聞いてはいたが、大曲の花火は日本三大花火大会の一つという。そりゃ混雑も半端ないだろうなと思うととてもいくなんて気にはならない。わたしには関係ない話だった。

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ところが、山友が子供にぜひ見せたいので手伝ってくれという。下の子がまだ小さくて嫁さんもアウトドアには非積極的なので、東北までいくのに一人で子供連れで運転していくのは辛い、さらにはできれば子供に優しい山デビューもさせたい、とのこと。

まあ、山仲間として捨て置けないのと、子供は昨年秋にやはり初めてのキャンプというのでお手伝いしたときに仲良しになっていたから、花火みられるならいいやとお引き受けした。

結果、子どもはぐずって3時間の長丁場はもたなかったが大人は堪能した。特に昼花火というのが生まれて初めて見る珍しいものでとてもよかった。

多分この規模の花火大会は死ぬまでにもう二度とみることはないだろう。

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ところで大曲ってどこ。秋田です。トータルで往復20時間。遠かったです。

ちなみに金曜夜9時埼玉発。到着土曜日の明け方4時から3時間ほどテントで仮眠。当日はまず国見温泉に入って昼ごろから向い、郊外の駐車場を確保して2時間ほど車内待機。1時間半あるいて現地到着5時半開始9時半終了後、延々郊外の駐車場まで1時間半歩いて、やや渋滞を一部とおり、おなじテンバについたのが3時半。就寝4時。

翌日は7時半起床。6歳児とすこし遊んで、初めて見るほど激混みの鶴の湯に入り、盛岡で焼肉をたべて2時に高速に乗るも、泉から仙台宮城まで深刻な事故で閉鎖。しかたなく仙台北部道路をぐるっと遠回りしてまた東北道に戻り、山友をおくりとどけて自宅帰宅が9時半でございました。先週きたのにまたきたよ、って感じ。

疲れたけど綺麗でした。

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3年越しの月山・鳥海山

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8月第1週。どこへいこう。というのは、2週目は家で沖縄へダイビング旅行、3週目は夫の会社の行事に出席しなければならない。夏山マックスを楽しめるのはここだ!ってことで、長年懸案の月山・鳥海山にいくことにしました。
思い始めてはや3年半。本当は出羽3山をきちんと巡りたかったのだけど、そうすると土日のみでは辛いので、今回はさくっといわゆる百名山的に月山のみとすることにした。
ちなみに羽黒山が現世、月山が死後の世界、湯殿山が来世を表しているので、本当はこの順番で巡るのが正しいのですよ。
 
といっても湯殿山は登ってはいけないので、神社でお祓いをうけ、参拝するのみなんですね。羽黒山はちょっと離れていていっぺんに登るには遠すぎる。
 
月山山頂には月山神社、登り口に湯殿山神社がそれぞれあり、参拝します。湯殿山はその名の通りご神体の岩(温泉がだらだら流れている)に登れるのですが、御神域なので撮影不可。もちろん頂上神社も。
 
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月山登山口のひとつ、本同時登山口にある湯殿山神社の大鳥居をくぐる。 修験道につかわれたルートとのことで途中多数梯子場があった。人が少なくていいルート。
 
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すれ違った修験装束の方々。黒部下の廊下で滑落した今は亡き山仲間で、修験道から山岳会に入った人がいて、月山に行こうと思った時に相談したところ、白装束で歩くのが本来望ましく、それなりの扱いをうけるといっていた。一般の人でも宿坊に泊まって装束を買う?借りる?かなにかで登るというやり方もあるようだ。それだとかなり修験気分になれそう。
お天気がよくてとても気持ちがいい。
 
「雲の峰 いくつ巡って月の山」   ばせう
 
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池塘もあって心和む。が、いくつかのルートが合流するあたりではもう、ほんとに数珠つなぎとはこのこと。抜くこともあきらめる状態で、粛々と歩を進める。うしろにいた女の子が(家族連れ、特に子供がとても多かった)「おかあさん~~~ちっとも寒くならないよ」とブー垂れていた。そのとおり。この快晴、あせだらだら。お母さんは「山の上は寒いんだよ」っていってたんでしょうね。
 
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さて、月山を無事降りて、明日の日曜は鳥海山、となるとさらに北上しなくてはならない。
とりあえず温泉にはいって鶴岡の町で食事、とおもっていたのだが、適当な温泉がない。
結局「道の駅がっさん」で教えてもらった「秋田おばこの里 こまぎ」という施設にいくことにした。ここが特筆。併設の物産館では地元のものすごく魅力的な品々が目白押しで、なかでも大きな岩ガキがたったの300円!!!!ありえない~~
狂喜乱舞で持ち金1500円はたいて割ってもらい、はぐはぐといただく。絶品!
 
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お風呂も露天が広くて気持ちがよかった。ところがご飯を食べるところはイマイチで、途中で食べようとおもったら、なんというか、このあたりは夜が早いというか、お店は全部閉まってるし、そもそも繁華街が通り道になく、コンビニすら1軒しか通りかからず、今宵はコンビニ弁当で済ますことにする。その後夜かけて鳥海山の登山口にいそぐ。
 
この山もたくさんのルートがあって迷うところだが、日曜は埼玉まで帰らなければならないので、短いルートにしておく。その名も滝の小屋口から。
 
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ご覧のとおりのドのつくピーカン。
そういうわけでとにかく目まいがするほど暑い。1時間もしないうちに熱がこもってきてまずい状態に。パニックをおこしそうになって、ドキドキと動悸が激しくなる。困ったところでちょうどよく沢音。天の助け。ザックをかなぐり捨てて沢に飛び込んで首までつかる。氷のように冷たい水で生き返る。そのままずぶ濡れの格好で歩いた。しばらくはズボンが張り付いて不快感があったけどすぐ乾いてきた。その後は汗もかかず快適。
すばらしいお天気に恵まれてありがたい。今年は割合と当たり年のようだ。当たり年といえばお花。これもどこへいっても恵まれているというか最盛期に出会えるというか。
 
鳥海山ではキスゲの絶頂のタイミングで、こんなに艶やかなキスゲをみるのは初めてなのでこれまた狂喜乱舞である。花期が短くて、すぐにくたっとなってしまうキスゲが、それはそれは見事なほどどこまでも咲いている。夢のようだ。
 
そしてこの滝の小屋口からのルートは素晴らしく展望に恵まれ、開けていて常に視界が広い。というか樹林帯皆無。その分暑いし、日焼けもするけど、いやいや、これは最高のコンディションですよ。山に登るならこうでなくちゃというくらい素晴らしい上に、傾斜もゆるくて最高に気持ちのいい山歩きだ。急ぐ気になんて毛頭ならない。時間をかけてゆっくりと味わいたい極上の風景が広がる。
私の中で鳥海山は、北アルプス奥部の高天原に次ぐ第2位の地位を獲得したのだった。
 
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さすが雪深い北の山。まだまだ雪渓がたっぷり残っていて、ちょっとの間なのに雪目になりそう。
 
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ゆっくりと稜線まであがると東、南には十重二十重の山波がすばらしい。西側はすぐそこにまっすぐな海岸線を描きながら日本海。なんという絶景だろう。
 
そして、山頂はどこ?
なぜならこのお山は現在も活火山であるのだが、山頂部はカルデラになっている。最高峰の山頂にいくには一旦正面に見えるカルデラ中腹の小屋の方へおりてから、岩石部を登らないといけないようだ。 短いルートとはいいながら、なかなか簡単に山頂を落とせない奥ゆかしいお山だ。
 
そして俗人としてはこの暑さの中をがんばってここまできたので、まずはご褒美。頭の中にはビールしかなくなる。そうよ、たとえ1杯1000円と言われようとなんといわれようとびーる!座る場所を見つけるのももどかしく泡立つ金色の液体に口をつけてしまうのであった。
いやはや。うまい。うまい以外にでてこない。これですよ、ねぇ。
 
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一息ついてお腹も満たしたところで山頂にとりかかる。とにかく大岩石を乗り越え、くぐり、結構時間がかかってやっと山頂。3人もいられないという極狭な山頂なのでしばし眺めを楽しんで後に譲る。
なにがいいって、岩好きにはたまらない。面白い岩と地層が楽しめる。
 
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 ただのフキやシシウドでさえ素敵に美しい。そよそよと吹く風にゆれる花々が可憐だ。
鳥海山には固有種もあって、チョウカイアザミがとても目についた。が。写真をとらなかったのでWIEBLIOから拝借。下を向いて咲く、とても渋いアザミで素敵。
 
Cirsium chokaiense
 
ちょっと大きいけど^^;
のんびり楽しんで降りてからはまた「こまぎ」によって牡蠣を食べてから一路帰宅。やっぱり秋田から埼玉はとおいなぁ。。。
帰宅は1時ごろでした。さすがに疲れた。

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大雪縦走 ふたたび。そして宗谷半島と礼文・利尻 その4

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快適に目覚めた本日は寄り道しながら南下して千歳空港近辺までが行程。
翌日9時の飛行機に乗るためだ。レンタカーは今年も千歳で乗り捨て。
ゆっくり支度をして残りの食糧でスープなど軽く食事して出立。特に面白いものもなく、そろそろガソリン入れた方がいいかなあと立ち寄ったガソリンスタンド。
ふとみるとポスターがはってあり、なにやらペンギンの絵と天売島という文字。
待つ間おじさんに「これ、なんて読むんですか?ペンギンがいるんですか?」ときくと、
「いえぇ、これはテウリトウという島で、鳥はオロロンといってこの島にしかいないんですよ」と。ほう。それは珍しい。しかもすぐそこのターミナルから高速船がでていて、しかも今割引中かなんかだという。うむ。これはいくだろ。
 
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ほんとにすぐそこの角をまがると羽幌港、ターミナルがあって、時間をみると出航まで1時間ちょいある。ちょうどいい、なんかうまいものでも食べながら11時の出航を待つか、と思いきや、お店やってないんですね、これが。ほんと商売っ気がない。。。
 
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でも港併設の直売所がなにやらよさげ。さっそくのぞくと、水揚げ直後のムラサキウニやら牡蠣やらさまざまな直売が。一個250円、牡蠣がおいくら万円だったか忘れたけど、さっそく割ってもらう!
きけばウニは、割った直後から劣化がはじまるので、木箱やプラケースにいれられて商品として流通するものはすべからく明礬処理をしてほどこしたるそうな。どんな高級寿司屋で食べても、これなんですな。 
ですから、潮のかおりのほんとに新鮮なウニそのままというのは、その場で割ってもらうしかないわけです。
こんな贅沢ができるなんて幸せ♪
殻がややまじってときどきジャリっとするものの、1個に4つ入ったいわゆるウニ(卵巣または精巣)はおおきくて食べごたえ十分!生まれて初めての味覚に大満足であった。
いつもは涙する牡蠣が翳むほど。
 
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 こちら羽幌港。大漁旗の漁船が次々に帰ってくる。  右は天売島。
 
で、11時、高速船がやってまいりました。結構なお客さん。というか、この天売島、わたしが知らなかっただけで、実は知る人ぞ知る島なのだ。オロロン本名ウミガラスという貴重な渡りの海鳥繁殖地として、また同じく貴重なウトウの世界最大の繁殖地として、大切な存在意義があるのだそうだ。8種数百万羽の海鳥が繫殖のため集うという。
後で調べると、どんどん飛来が少なくなって、数年前はゼロという歳もあったようだが、関係当局がデコイをおいたり、鳴き声のテープを流したりして呼び込みを行った結果、今年は最多の16つがい飛来、卵は全孵化、巣立ちが16羽だったのだそうだ。めでたい。
しかもちょうど私がいっているこの間に巣立っていったらしい。うれしいじゃないですか。
高速船は焼尻島という、これはヤギが生息している島を経由して1時間ほどで天売島到着。でっかいオロロンがお出迎えだ。
 
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島は1周12キロで、帰りの高速船まで3時間ほどある。レンタカーを借りるほどでもなく、自転車は坂と砂利道があるようなので原チャリを借りることにした。
ゆるゆる走らせると、北とはいえ澄んだ空気の中を突き刺さる日差しに風がここちよい。
大海原をみながらのスクーターもいいものだ。途中きょろきょろしたり停めながら、まずは第一の見どころ、赤岩展望台へ。
 
ここがウトウの世界最大の繁殖地だそうで、みるとぼこぼこ一面の穴。このなかにヒナがじっとして、親鳥の帰りをまっているらしい。
しかし。人間とともにやってきたというカラスが、穴からヒナをひきずりだしてくわえていくところをみてしまった。カラスも、おどろいたことに多数いるというマムシも、人間がもたらしたものだそうな。ろくでもないですな、人間は。
 
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それはさておき、夕方戻ってくる親鳥は口いっぱいに小魚をくわえて戻るらしい。これをねらうカモメやウミネコとのバトルが観察対象として興味深いらしく、宿泊すると観察ツアーに参加できるようだ。
そそり立つ岩峰と、意外なほど明るく澄んだ日本海が日に煌めく。よくみると小型で足の赤いケイマフリが波間に漂っているようだ。これは双眼鏡がないとみえんな~と思っていたら、話しかけた女性が貸してくれた。双眼鏡買わんといかんな。
 
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次は島の反対側、千鳥ヶ淵の展望台へ。ここにはニコンの大きな望遠鏡が設置してあって、繁殖地の様子をみることができ、展望台内に詳しい解説なども展示してあって非常に興味深い。もともと鳥も好きなんだけど、難しくてハードルが高いのだ。
北方でもう一つみたいのがエトピリカだ。これは学生時代にコーラスをやっていたときに歌った広瀬量平の「海鳥の歌」に出てくるのと、昔からなぜか好きだったからなのだ。どうやら厚岸などの東部、断崖絶壁の島でないとみられないらしい。
 
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鳥はこのあと家族で行く沖縄粟国島にも面白い鳥がたくさんいるようで、ぜひ観察したかったのだが、やっぱり素人には難しい。
しばし楽しみ、もう1周して、なお時間があまるので、港近くの展示館にいってから羽幌にもどる高速船に乗る。
 
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次はもともと予定していた、コンな時でないと絶対にいけない三毛別をめざす。すでに日は傾き、夕方になりつつある。いいのか、そんな時間にいっても大丈夫か。
 
なぜなら。そこは史上最悪の羆事件の現場なのだ。吉村昭の「羆嵐」をぜひご一読。
いや、あなたは読めるかな?身の毛のよだつその1冊を。
ともあれ、100年近く前のその事件現場を復元したという場所があるらしい。
苫前ベアロードと銘打って、その現場までの続く看板には、母子のくまちゃんが赤い実をたべたり手をつないだりかわいらしい。
 
ひっそりとはしているものの綺麗に舗装され、民家もつづくその道がいきなり細くなりダートになったかとおもうとすぐ。行き止まりの鬱蒼とした木立に、3m×5mほどのいわゆる苫屋と、そのうしろに熊の姿。もちろん作りモノなんですけど、鬼気迫るものがある。立つと3m50㎝あったというのですよ。ばけもんです。
 
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というか、実際に熊がちょくちょく出没する環境なわけで、ほんと、のどかなこと言ってられないんです。そそくさと見学して逃げるように去る。なんのためにいったか、というほどの烏の行水状態ではありますが、当時の開拓民の苦労を偲び、自分にはとても耐えられないという思いを強くしたのでありました。
 
だって北海道の原野に、吹けば飛ぶような草でつくった小屋に住むんですよ。寒かったろうに。食べ物はどうしていたんだろう。連絡手段もなく移動手段もなく、着るモノ、履くモノだっていまみたいにダウンもなければゴアもないわけですよ。いや~想像を絶します。
 
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というわけで現代の幸せな旅行者としては、このあとは留萌でお寿司をたべ、夜の高速を走って千歳の近くの空き地で幕営。
翌朝は雨でしたが、無事機上の人となり、帰途につきました。

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大雪縦走 ふたたび。そして宗谷半島と礼文・利尻 その3

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取り急ぎ街へ降りる間運転手さんからいろいろと情報収集。今年はがっつり肉を食べたい。昨年ど同じ、富良野タクシーさん前のマルゲンという焼肉屋さんに行くことにして、昨日予約した、昨年と同じトヨタレンタカーまで送ってもらう。6680円なり。で、待ってる間に隣のコインランドリーに汚れ物すべてをつっこんで、まずは買い出し。食べたかった果物や飲み物、甘いものなどとサンダルを買い込んで、次は乾燥機に突っ込んだあと焼肉屋へ。最初は予約がないとNGといわれたのだが、先客がちょうど席を立ったところで座れてラッキー。あれこれとりあえず頼んでみたら、都会の倍量の肉がこれでもかとやってきて驚き。アチアチの石焼ビビンバやらジンギスカンでおなかいっぱい。洗濯物を回収してから次は待望のお風呂である。
 
昨年は帯広~釧路へ向かったので、途中の富良野ハイランドで泊まりながらお風呂だったが、今年は実は逆方向へ向かうこととなったため、国道添いの富良野ラテール万華の湯へ。980円とお高いが、バスタオルにハンドタオルをバッグにいれて貸し出してくれるし、壺湯、洞窟湯など面白いしつらえもあり、なにより露天が気持ちいい。泉質はやや黄濁のアルカリ塩湯で、表面には良い泉質の温泉によくある粉状の靄が浮いていた。
ここを出たのがすでに9時半すぎ。
 
そもそも富良野へ降りた後は日高山脈の幌尻に登る予定だった。が、この山、非常に登り辛い。一般的なルートでは小屋の予約をしないと登れないシステムになってしまっていて、しかもその小屋が1年前でも取れないとかいう状況。ならば裏の林道からアクセスして、と思っていたのだが、これがかなりの割合で沢登りらしい。しかもテン場もほぼなく、クマの巣の日高山脈なわけで、日帰りとすると相当タフな行程になるらしい。下調べもあんまりしていなかったし、なんとなく食指がうごかなかったし、実は大雪もやめて最初から礼文・利尻にしようかとも思っていたくらいだった。タクシーのおじさんに聞いたところ、富良野から5時間もあれば十分いけるね、というのを聞いたのが決定打。残りの行程は北半分と決定したのだった。
 
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ということで後半戦は旭川から少しだけ高速にのって名寄方面へ、音威子府からオホーツク沿いにでて宗谷を回り稚内へ。ここからまず礼文にわたり、花をみてから最終便で利尻へ。翌日利尻富士を登って夕方の最終便で稚内に戻るという計画をたてた。本当は一気に稚内までいきたかったが、オホーツクと宗谷岬は明るいうちに見たいし、なにより眠気にまけて2時ごろ本日の予定終了。音威子府のどこやらの川沿い空き地にテントを張る。
 
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翌日は8時ごろ出発。まずはオホーツクへでて、数少ない道の駅、さるふつ公園の「ほたて丼」に惹かれてふらふらと入る。なんでもここは猿払事件というので有名なんだそうだがよくしらない。ほたて丼はおいしかったけど、ほたてまんは一個400円という高級品だったが、なんとなく生臭く、あんまり合わないかなと思った。
 
荒涼とした海岸線をひた走るとやがて宗谷岬に到着。これがよく写真でみるあのオブジェなのね。10人ほどの人が寄り集まって撮影中。
子供のころ好きだった「宗谷岬」の歌が唐突に浮かんでくる。あれはなんであったか。みんなの歌できいていたのだったか・・・。ゆったりとした3拍子の優しい歌のフレーズが頭の隅に漂う。
 
そこから稚内港は目と鼻の先。無事11:05発の礼文行きフェリーに間に合い、船上の人となる。
 
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2時間ほどで名高き花の浮島礼文島、香深港に入港。
時間がないので速攻で観光案内所に向かい、相談。残念ながら定期観光バスは利尻行最終に5分間に合わないので使えない。となると路線バスを最大利用して歩くのが一番よさそう。とりあえず港に近い2か所のトレッキングルートを案内されてバスにのるも、桃岩のほうは団体の数珠つなぎがみえたので、少し戻って林道コースをとり、レブンウスユキソウの群生をみることにする。
 
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普通のほこりっぽい林道をあるくと、たしかにそこかしこにいわゆる高山植物といわれる花が強い風に揺れている。
あまりにありきたりでありがたみがない・・
それよりもエゾニュウの毒々しいまでの生命力が北の厳しさに立ち向かうエネルギーを発していて印象的だった。
 
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この島はどのくらい前なのか、山火事で樹木が焼失し、今は笹原にとってかわられている。あちこちで植林が行われ、回復事業がすすめられているようだった。
でも笹原のおかげで、ジュラシックパークのような景観。択捉につながる海も見える。
可憐なウスユキソウを眺めてからすぐ下山にかかり、町まで30分。もう一つの野望、ウニ丼を食す!ために急ぐも一番人気の有名店はすでに終了。観光案内所のおねえさん個人的推薦という2番手に急ぐ。迷わずウニ丼!と叫びたいところだがお値段をみてぐっとつまる。ムラサキウニで3500円。うーーーむ。。。。しばし悩むも、やはり来たからには食すべし、と覚悟を決めて注文。ちなみにバフンウニのほうが高級なんだそうだが、昨今とんと漁獲高が落ちているらしく高騰しているとのこと。ムラサキウニ以上?おそろしや。
 
一緒にたのんだホッケのちゃんちゃん焼きも食べたことないほどおいしかったが、
輝くウニ丼のなんと神々しいこと。
そして無事利尻行最終に乗り込み、香深をあとにする。
 
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右は利尻のターミナル。ここも礼文同様、ターミナルにもその面前にも2、3軒のお店があるのみで、しかも半分終了。ほんとに商売っ気がない。。。
さっそく案内所でキャンプ場への行き方をきくと20分ほど歩くという。が、ジャストやってきた路線バスにのることも可能というので飛び乗る。降りる場所は利尻温泉。この前がファミリーキャンプ場となる。もうひとつ、登山口にある北麓キャンプ場もあるのだが、これはここからさらに30分歩かねばばならないし、買い出しもできないのでファミリーキャンプ場にする。1泊500円なりをお支払して、わが家を設営、いそいそと温泉へ。
 
露天が広くて涼やかな風に吹かれる宵の湯はなかなかオツであった。温泉施設には売店はないので、そのまままた20分町へくだってコンビニで買い出し。朝食や行動食を用意。
かえってみるとびっくり。5時半だからもうだれもこないだろう、と張った広々としたエリアのわが家にビシビシにくっつけてコールマンの巨大テント2張り。中からはCのお国の言葉と子供の嬌声が。。。。。。。これは嫌な予感。
速攻で引っ越し。
 
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翌日5時に目覚めると予報どおり曇り。しょうがない。こればっかりは。。。とあきらめて支度。5時半に温泉前の甘露泉をたっぷり汲んで歩き出す。30分で登山口。6時にスタート。
しばらく遊歩道を行くとさらにもうひとつの甘露泉があり、そこには早朝というのに観光客の皆さんがむらがっていて渋滞。おやおやと思いつつもガン抜きしてやりすごす。
 
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野鳥の森から6合目にかかるころには青空が見え始め、これならもしや急げば山頂は晴れたりして択捉が見えたりして。と俄然足が早まる。8合目の避難小屋8時。ここから9合目をすぎて急なザレののぼりをこなして山頂が8:50。眼下には青い海原が広がり、本島や礼文がみえたけれど、択捉は遠くかすんでわからなかった。それでもほんとうにすばらしいいいお山で、海抜200mから1500m登りあがる標高差にしては大変登りやすかった。
しかもお花がまたまた素晴らしい。ここで初めて見るお花がこれでもかと溢れるようにさいていて、しかもそれがまるで花壇のように計算された配置で、自然の粋な仕事にため息をつく。
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降りるほうが時間がかかり(花の写真をとったり、登りの人を待ったり)3時間ちょっとで下山。まだ12時なのでゆっくり温泉に入って汗をながし、テントを撤収して歩いて町へ。
ガイドをしている友人おすすめの利尻昆布をかったり、ターミナル前のお店で利尻ラーメンを食べたりしてフェリーの時間まですごす。
この利尻ラーメンが大変に美味で、忘れられないくらい。もう一度たべたいなぁ。
 
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こうしてフェリーに運ばれ、稚内の戻る。お利口さんにまっていたレンタカーを回収して一路南下。期待の日本海に沈む夕日はフェリー到着間際だったのが、月夜にひかる日本海の海面はそれはそれで美しかった。
本当はサロベツ湿原をみたかったのだが、これは次回への宿題。
どこか途中で眠くなったらテントを張るつもりが、初山別のプラネタリウムのある公園のキャンプ場が無料開放というのをみつけて、深夜だったが空いているひろびろしたサイトにそっと幕を張り今宵の宿りとしたのでした。

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大雪縦走 ふたたび。そして宗谷半島と礼文・利尻 その2

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そして最終日13日。朝は4時過ぎに起きたのに、スタートはやはり6時。なんか今年はスタートが遅くなる。食料もほぼ全部使い切り。すばらしい。
昨年水を取った雪渓を渡り、美瑛岳の北面を登る。これが長くて結構な登りなので汗だくになるも、スタミナはみなぎる。下のほうに団体が見えたが、あっというまに分岐に達し、ここからはお花とはしばしお別れだなと思う。なぜなら十勝エリアはこれまでとガラリとちがう、火山風景の荒涼とした景観だから。
 
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とはいいながら、ずっとなにかしらお花がいてくれる。かわいい!というセリフを一体何千回口にしたことか。
そしてここが今年の違い。鋸岳のふもとですでに熱中症がかなり進んでいた昨年と違い、ことしはガスも出ていて暑くもなかったし、秘密兵器その4のおかげもあって、めちゃくちゃちょろい。鋸岳の稜線はまるでヨルダンの砂漠のようで、それはそれはカッコよくてしびれる。
 
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きゃーきゃー言いながら写真をとって、例のアリジゴクへと足を踏み入れる。
これが。ちがうの。去年はもう、泣きながら2歩進んで1歩下がる、ずるずる・・・・で死ぬほどきつかったのに、ことしは確実に一歩が入る。さくさくのぼってあっという間にクリアなのだ。
昨年の靴はハンワグのロックアルパイン。重くてかたい。靴の差がここまで大きいとは正直思わなんだ。すごい。なんであんな苦労したのかと馬鹿らしくなるほどの楽さなのよ、ほんとに。てことでガスで視界はないけれど、楽勝で十勝岳山頂がスタートから2時間。うそみたい。
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去年もコースタイムの半分だったこの先のルート、今年も同様。あっという間に上ホロ避難小屋を通過。カミホロカメットクを超えて、十勝岳温泉分岐、三峰山・・・なにもどこもきつくない。すばらしい。が、時間が気になる。今年は4時に原始ヶ原にお願いしてる。なんとしても富良野岳を遅くも13時には出ないと間に合わない。私は内心かなり焦って、降り始めた霧雨の中足を速める。途中おばさんが、お花の素晴らしさをとうとうと謳いあげるのにつきあいつつ、富良野岳分岐が12:30。たしかにお花がものすごく素晴らしいんだけど、ちょっと余裕がなくなっている。富良野登りのコースタイムは50分となっているが・・・。
 
ここからが猛進撃。なんと去年這うようにして登ったきつかった登りを今年は25分。ノンストップ。ピーク着が12:50でありました。
聾唖の方に写真を頼まれて撮ってあげたあと、ゆっくりしちゃいられないのでトットと降りる。始めはちゃんとした登山道なんだけど2分もいくと突然記憶に鮮明なザレの崖。ここをおりるのよ~。
 
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とにかくラクと転倒の30分って感じでしょうか。いや~今年も参りました。おまけに今年はこの砂礫地帯に、なんとコマクサが群生しているのよ。去年もいたんだろうけど花の時期があっていなかったので全く気が付かなかったけど、ルートのど真ん中というか、そこらじゅうに可憐に咲いているわけ。これにあたるわけにはいかないから、ピエロのように手足を振りとんだり跳ねたりしながらなんとか避ける。かなりの集中を要するのであった。他にもやっとここで咲いてるのが見られたイワブクロやらシオガマやらが、大変な下りの中、喜びを与えてくれる。
 
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とはいえ、霧の本日、ひと気のない、クマ気たっぷりな原始ヶ原。クマちゃんは、朝・夕・霧の時によくうろつくのだという。ぴーぴ―笛をならし、歌を歌いながら歩く。昨年苦労したルーファイも、今年は慣れているのもあり全然心配ない。そのうえ真新しい赤布や黄色布があちこちにつけられている。今年のほうがルートはずっと明瞭、しかも先行の足跡はまだ新しい。安心しながらどんどん下り、やっと湿原にでる。なつかしい湿原。今年はワタスゲが一面に揺れている。よくよく見るとフデリンドウと思われる空色の愛らしい花やコケモモだろうか、薄いピンクの釣鐘型のお花がひっそりと咲いている。去年クマちゃんの巨大うんちょすと足跡を見たのはどの辺だろうか・・・と考えながらずぶ沼を避けて南を目指す。
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やがて見たことのある分岐看板。ここからは普通の荒れた登山道を歩くのだ。やれやれ。
そして今年もうんちょす発見!今年はころころ。くまちゃん便秘か。
 
なかなか近づかない下山口にそろそろ疲れがでてきた。沢で休んだり、白樺の美しい林に癒されたりしながら、3:45、やっとニングルの森登山口までたどり着くと、やはり。
すでにタクシーがいた・・・。
 
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本当は着替えしたりトイレによったり、と思っていたんだが~。
 
親切なおじさんとお話しながら臭い自分に恐縮しつつ乗り込んで2分ほど。おじさんが「あれ、クマだよ」とこともなげに。見ると前の道を赤茶色のおおきなお尻がのっしのっしと走ってひょいと叢に入っていった。
おお~~~~!ついに見てしまった。羅臼の小川沿い以来の生体だ~~!
しかもでかい。オスに間違いなさそうだ。登山口では2組ほどのグループがBBQしてたけど、あれは匂いにつられてクマが寄るんじゃないかと心配してしまう。おじさんも、射殺された個体はだいぶみたけど、生きてるの見たのは初めてだよ、といっていた。
 
 

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大雪縦走 ふたたび。そして宗谷半島と礼文・利尻 その1

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今年も昨年の感動を再び、ということで大雪縦走を計画。時期もほぼ同じだが、昨年より数日遅い8日午後休をとって、18:10のJET STARにて成田から。

案の定、LCCの宿命の遅延に引っかかり、千歳着が20時半になってしまった。その時間のスーパーカムイに乗るはずだったのに、宿の到着が遅れてしまう。というので電話をするとなんと駅まで迎えにきてくれるという。おまけに今年の3月から、千歳~旭川の直通運転がなくなってしまったのだとか。まあ、札幌で乗り換えればよいのだが。
 
ということで夕飯もまともに食べないまま、9時のスーパーカムイに無事乗り込む。昨年SUICAで入ってあとあと面倒だったのでその轍を踏まぬようにして。2時間半で旭川に到着。美松荘のご亭主が旗をもって待っていてくれてそのまま車で3分ほどで到着。12時近いというのにウェルカムサービスのメロンをもってきてくれた。気持ちのよい優しいおもてなしに感激。
 
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翌朝9時半のバスにて、昨年は層雲峡からだったが今年は旭岳へ。4年前ピストンで登った時のことを思い出しながら売店でカートリッジなど買い込んで支度。小川の脇のトレイルからいよいよ入山が12時。姿見あたりまでたどり着くと、どうも昨年より花が少ない気がする。そして途中何か所もの雪渓。雪がおおいぞ・・・。
 
池の周りでひさびさの花に歓声を上げつつ、どうも本日予定の白雲までのコースタイムも気になる。雪渓が多くて時間もかかるしちょいとスピードアップ。なつかしい中岳温泉はちゃんと2つほど湯船ができていた。そのまま間宮岳、新井岳、松田岳、北鎮岳と楽しく歩く。とにかくこれが目的ではあったが、お花が本当に素晴らしい。チングルマの大きな大きな白い花が、凛と頭を掲げて風に揺れている。定番キバナシャクナゲ、イソツツジ、エゾハクサンイチゲ、ミネズオウ、エゾツガザクラ、は旭岳の下のほうから、中岳の稜線に出てからは、一面のエゾタカネスミレの群生、イワウメ、イワヒゲがたくさんでてくる。
 
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まだ明るい17時半すぎに懐かしい白雲岳避難小屋到着。テン場代300円を払って幕営。ことしはテン場全部でていなくて半分ほど雪をかぶっている。うるさいエスパースがいたので遠くに張った。
 
翌10日は雨とわかっていたので最初から停滞予定。ずっと降るわけではないが10分おきくらいにバチバチと振ってきては止む、を1日中繰り返し。遠くで重い雷の音がする。寒冷前線なんだなとおもいながら、うつらうつら。昨年のトムラウシでの暴風雨の時同様、停滞のときはほぼ冬眠状態となり、水も食べ物もいらなくなる。ひたすらぼ~っと仮死状態となる。でも昨年より寒くなくてよかった。シュラフを新調したせいもある。いままでへたったナンガの3シーズンを使っていたが、今年は雪が多いかもという情報で直前にモンベルのダウンハガー800#3 WOMANを購入。オークションでお買い得だったので即決ポチリ。
 
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明けて11日、テントから顔を出すと真っ青なすばらしい空。やった!すぐさま出立の支度をする。スタートは6:35。途中やはり雪渓が多いような気がしつつ、高根ケ原にさしかかる。このころまでは遠くまで見えていた。昨年は全然なかったコマクサが盛大に咲いていて大感激。燕でもこんな大群生は見たことがない。なんというすごさ。しかも登山道にぽこぽこ生えているんだな、これが。ありえない。踏まないように気を付けながら狂喜乱舞の一歩一歩である。朝露に濡れる風情がたまらない。
 
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やがてガスが湧いてきたとおもったら霧雨になってきた。昨年も大感激した、ウルップソウが両脇にわんさか咲いている木道に差し掛かるころ、とうとうカッパを出す。
 
ところで今年はシュラフのほかに2つ新兵器投入。ひとつはファイブテンの「キャンプフォー」
。これにはわけがあって、現在愛用のイグザムガイドのソールがこともあろうに1週間前に剥離。すぐさま強力靴底用接着剤を買ってきてベタベタに塗りたくったのだが、やはり1週間後の白毛門でもとの黙阿弥。縦走中にそんなことになったら歩けない上に危険なので、しかたなくわざわざキャラバンの直営店までいって「キャンプフォー」を入手。歩けないより靴擦れのほうがまだましだし、あらかじめ絆創膏をはっておけば予防できる。イグザムガイドはメーカー欠品でどこを探してもないとのこと。売れるんだからもっと大量に仕入れればいいのに、キャラバンのやり方もよくわからない。
 
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話がそれたが、この新型のキャンプフォーが軽くて履きやすくてすばらしい。ソールの付け方もさすがに工夫がされているようで、以前と違って本体と一体化したような作りとなっている。トレッドパターンも深くなってザレや泥での取り回しもいい気がする。これにモンベルのゴアテッスク靴下を履けば完璧。どんな水たまり、泥濘をいっても靴下までしみることが皆無なのだ。これはほんとに泣けるほど感激した。なにが辛いって、わたしにとって濡れは最大の敵なのだから。
 
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さらにもう一つの新兵器は、アイスブレーカーのアウトドアヘビークルーという靴下。これがさっらさらふんわふわ。素晴らしくよくて大ファンになってしまった。これも出発直前に山道具屋にはいって見つけた。
 
以上3種の神器にて、吾輩は極上快適な足元を演出できたのであった。おかげで靴擦れやいつも痛い足裏の真ん中あたりも大変結構な塩梅である。そしてこの軽い靴の威力に驚くのは最終日の鋸岳の登りにおいてなのであった。
 
ともあれ、雨になり、周り中深いガスになった2日目(停滞も入れて3日目)の行程は粛々と進み、忠別岳をすぎてヒサゴ沼にかかる。ところが雪渓でルートが消えている。吾輩は携帯アプリでGPSによるルート照合ができるので問題なかったが、GPSのない人はとても難しいと思う。実際どうしたものかという風情で立往生していたらしいおじさんが、後をくっついてきた。
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トムラウシは今年はガスガスでなにもみえない。 けど、見たこともない花衣をまとった姿。
 
そして雨にけむる日本庭園、ロックガーデンを過ぎて北沼。トムラウシをまた登り、ピークが1時半。2時過ぎにはテン場についてしまった。雨も降るし、この先は双子池まではいけないので早いが幕営とする。すれ違った白人のカップルは大きな荷物にカッパも着ないで濡れていたが、体温の高い彼らは大丈夫なんだろうか。ふと以前の遭難騒ぎがよぎったりして。去年もちょうどここ、トムラウシ泊の夜と次の丸1日、激しい暴風雨と氷点下で一人失くなっている。
 
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トムラウシに登る朝日。       珍しく一番出。とはいえ6時半。。。
 
翌朝12日は当初下山予定日で、原始ヶ原にタクシーを手配している。これを延期する連絡をしなければならないが、トムラウシを出るともう圏外になってしまい、これが気になっていた。朝6時半スタート。この日は素敵なお天気で、去年もその素晴らしさに息をのんだ山川台にまたため息をつきつつうっとりする。去年はキバナシャクナゲがメインだったが、今年はすさまじいほどのエゾハクサンイチゲとエゾコザクラのコラボ。どこまでも続く花の草原が風に揺れている。誰もいない。なにも聞こえない。風の音と鳥のさえずりだけ。天国としか思えない。
 
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三川台は大雪縦走のなかで白眉。 今日はピーカン。見えたぜ、オプタテシケ。
 
素晴らしい景観の中に包まれて極上の幸せを味わいながら、例によってぐるりと大回り、急登のアップダウンを繰り返してツリガネ山、コスマヌプリと越えて双子池到着が12時。
そうそう、この途中で電波が入り、無事富良野タクシーさんに日延べのお願いをすることができた。やれやれ。これで歩きに集中できる。
 
昨年同様、双子池で大休止をとり、昨年以上に豊富に流れる水で体をふいたり、顔をあらったり飲み水を補給したりする。気になっていた雪渓だが、旭岳ですれちがった下山の人の情報では、怖いからやめたという人がいたといっていたが、降ってくれた雨のせいか雪渓もほんの一部登ればよく、全然問題なかった。まあ、昨年は全く雪渓は使わなかったことを思えばやはり今年は多いとはいえるのだろうが。今年はおじさんが一人、幕営をしていた。おじさんといえば、今年もたぶん去年と同じ場所でおなじ仙人のようなおじさんにあった。声をかければよかったな・・・もしかしてほんとに三川台の守りの仙人なのかも。
 
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すばらしい三川台。トムラウシからものすごい迂回と激しいアップダウンの繰返しだけど
その苦労のかいがある本当の天国。誰もいないカムイミンタラを独り占め。
 
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 釣鐘山からトムラウシの双耳峰。 右はこの縦走の核心、オプタテシケの雄姿
 
そして標高差600mの急登は、昨年はセローさんと仲良くなってここを一緒にお話しながらだったせいか、その景観が全く記憶にない。第一、偽ピークがあったことなんかまったく覚えていないし、かなりの痩せ尾根部分も全然通った覚えがないし見たこともない、と思う。
おかしいなぁ、通ったはずだがなぁ、とぶつぶついいながら無事ピークの道標をみる。
 
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  左はイワヒゲ。一番すきだったかも。  右は振り返るトムラウシ。だいぶ遠い。
 
ここからも調子は大変よく、昨年より1時間半も遅くでたのに、美瑛避難小屋のテン場到着は20分ほど遅かっただけの4:20。
今年は1つしかテントがなかったけれど、探してみてもやはり昨年のトイレ前が一番条件がよいのでまたそこに張る。水は昨年と逆方向の、白銀温泉からの登山口方面へ10分。綺麗な水が取れたので楽だった。のんびりくつろいだけど、ガスが湧いて残念ながら昨年のような夕焼けはみられなかった。

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備忘

8日から今年もまた大雪山系縦走に出る。

2年連続なのでちょっとバリエーションをつけて、今回は旭岳から入ることにしている。

旭岳は4年前ピストンした時も下から登ったけど今回ももちろん下から。北鎮のほうまで回ってから南下しようと思う。

山の合間の備忘。

最近これといった映画がなくてつまらない。そんな中でダントツ光るのが「Game of Thrones」。これは本当に秀逸だよ。初めて見たときから虜になったんだけれど、現在のSeason 6もまた、繰り返し見ている。原書もKINDLEでだいぶ進んだ。

その他の最近作は見始めても途中でやめてしまうものばっかり。

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本はオルハン・パムクの「わたしは赤」をがまんして続けていたけどどうにも無理で放棄。持ち球最後の砦、ダン・ブラウンの最新作「インフェルノ」をやっと読み終わった。ハードカバーなのでお風呂に持ってはいるのもためらわれたのもあるけど、訳者のあとがきにもあるように、ダン・ブラウンらしくない、単調かつスピード感のない読み心地で上巻がなかなか進まなかった。後半も勢いがついたのはほんとに終盤だけ。これまでのものよりは遥かに地味というか落ち着いているというか。ダン・ブラウンはあの疾走感がいいのにな。キラキラしたものはなかったかなぁ。取り上げているテーマは重いもので考えさせられたんだけど。それとダンテを読もうとは思ったけど。

そしてベネチアに行かねば!という気分にさせられた。沈みゆく都ですよ。

で、昨今の英国EU離脱に始まる円高なわけだ。すわとチケットサイトを見たんだけれど、なーんだ。ちっとも安くない。フェアは半年前とか1年前とかに決まるのはわかるんだけど、それ、為替に直してだしてるわけでしょ、エクスペディアとかイーナとか。なんで安くないの???おかしくね??

輸入物だって全然安くないじゃん。チャンスとばかり輸入業者はホクホクと懐を肥やしているんだろうなぁ。くやしい。

なぜって、北海道を前にして靴が壊れた。ファイブ・テン(アメリカの靴ざんず)のイグザムガイドを愛用していて、これが軽くてグリップがよくてこれで行こうと思っていたのに。ソールが半分以上はがれて、あわてて最強のリペア材というので補修したのだが、先週の白毛門のたった数時間でもとの木阿弥。

さらにあわてて必死で探してやっと見つけた同種の靴をサイトで注文したんだけど、メーカー在庫切れで、各店舗探すので10日かかるという。間に合わないよ。

ファイブテンはキャラバンが日本代理店をやってるんだが、どうもごちゃごちゃとお家事情があるらしく、まともに手にはいらないのよね。しかたないのでわざわざ巣鴨の直営店にいってなんとかやっと1足、これならというのを手にいれた。しかもイグザムガイドじゃなくてキャンプフォー。まあ、軽くなった最新モデルだから悪くないんだけどさ。お高くて悲鳴。

 

話がそれたが、インフェルノの舞台は、フィレンツェに始まり、イスタンブールに終わる。

フィレンツェは20歳の時、初めてのヨーロッパ旅行で訪れた。ヨーロッパ文明における至宝というべき街。イスタンブールは半年前にじっくり味わったこれまた東方の至宝。この対を設定するあたりはさすがダン・ブラウン。

手に取るように、肌で感じるように、本の世界に入り込めるのは嬉しいことだ。やっぱり旅はやめられない。

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そしてまた今週も。白毛門

1img_0729 今週もまた関越にのって。

行く先は、本当は谷川馬蹄日帰りをねらったのだけど、雨の予報。

案の定、朝テントをバチバチ打つ雨の音にやる気萎え萎え。で、起きたのが7時半。前夜出るのがおそくなったので到着が2時すぎてしまったからなのだが。

 

しかたないのでとりあえず白毛門からいけるとこまでいって戻ろう、と出かける。

と、薄日はさしてくるじゃありませんか。あれま。こんなことならがんばって起きたのに。

 

とはいえもう遅い。下部のうつくしいブナ林を堪能し、カブトムシの匂いのする中盤の雑木林を抜け、猛烈な湿度と熱さにボタボタと汗を落しつつ登る。やがて見えてくる谷川。懐かしいマチガ沢や烏帽子、中央カンテ、幽の沢やテールリッジ。あの頃はバリバリだったなぁ。。。と遠い目。

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稜線にでると微風はでるものの、これは突っ込んでいれば確実に水分不足、熱中症はまぬかれないとおもったのと、いいのは馬蹄の東側だけで、谷川はずっとどんよりした黒雲の中。しかも白毛門に着いた途端、朝日岳や笠ヶ岳もすっかりガスのなかに籠ってしまった。んで、雨もおちてきたので降りて温泉にいくことにした。

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法師温泉かなぁとおもったけど、おなかもすいたし、近場でいいことにする。

 

なにやら最近ニュースでちらっとみた谷川方面のおいしいお店という記事が頭にのこっていたが、ひさびさにきた水上にはやたらオサレなお店が3軒連なってできてるじゃな~い?

チョコレートがおいしそうなBOSSA NOVA. 、バウムクーヘンが人気らしいカフェGARBA 、お肉やすてきなハムのお食事ができる生ハム工房とやらの育風堂

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育風堂ではアイスヴァインが品切れで残念だったけど、プレッツェルとともにおいしいご飯をいただき、お隣GARBAでさっそくバウムクーヘンを買い込んでみた。だいすきなんだもん。ダメ押しに人気とかいう大トロ牛乳も試してみた。これは一回でいいかな。コラーゲンっていうけど、要はゼライスじゃないのか疑惑。それで500円は高いなぁ。しかもあの量で。。

 

温泉は谷川温泉の檜のお宿で静かな露天風呂を堪能♪

麓はすっかり晴れて、いい山旅でした。

が、やはり花園で事故渋滞80分。なんでだろ~。

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つづいて武尊山

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梅雨まっさかりであります。年々熱帯化している気がする。ゲリラ雨はもう市民権を得て、降れば豪雨雷雨もちょいちょい。今日も帰りの高速はバケツをひっくりかえしたような怒雨に襲われた。
土曜日も雨の予報だったけどすこし好転したのでまた歩いて出来上がったバイクをとりにいった。日曜は回復するのが水曜ごろからわかっていたので、そもそも山ねらい。
日帰りなので、先週の巻機山同党クラスしか狙えない。こういう時は残ってる軽い百名山にかぎるのだー。
てことでターゲットは上州武尊山。近いせいか、日光尾瀬はまだたくさん残ってるのよね。
ヤマレコをみるとみなさん川場から登るみたいなので、あえてはずしてさらに奥の花咲(オグナほだかスキー場)から登ることにした。
 
今週はあらかじめいくつもりなのでちゃんと5時台に起きて6時スタート。といっても車をだしたのはすでに6:20。快適にとばして8時過ぎには花咲着。登山口の案内がなにもないのですごく困ってうろうろしていると、関係者のかたらしきおじさんが、上までいけるよ~と教えてくれたので再度車でスキー場の上まで。
 
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そこからは夏山リフトもうごいている。なぜなら、そこにはキャンプ場があるからなのよ。
りっぱなキャンプ場~~~。空はまっさお、雲はすぐそこに湧いていて、濃い紫のルーピンが咲いている。白樺やブナの林も美しくてすてきなとこじゃん。ここ選んでよかったわ!さすがわたし。
なんておもったのはほんの30分のことだった。
なぜなら、花咲湿原への分岐からさきは延々泥濘。飛越新道とどっこいどっこい。
しかもこの山、スタートが1300mあるので、登高の標高差はほんの800mちょい。てことはひたすら水平移動、これも飛越新道と似ている。
 
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今週もとばした。下りは本当に走った。8:46駐車場発、キャンプ場をとおって登山口が9時、頂上が10:55、団体で居場所もなかったので写真だけとってタッチアンドゴーで下山、駐車場着が12:50。
一度も休まず、食べ物も食べずの登り降りだった。なぜなら前武尊の岩場は団体がくると大渋滞するのでそれを避けたかったのが一番の理由。行きで抜いたみなさんに、「もういってきたの?」と声をかけていただいた。泥ですべって頭からこけたのがそのあとでよかった。顔も手足もどろだらけ。
てことで心拍の上がらない、小汗程度の有酸素運動となり、トレーニングにはいまいちだったが、体脂肪燃焼にはなったであろう。
 
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ちょうどこの日、遊歩道をつかってマウンテンバイクのエンデューロレースが行われていたらしく、「登山者の方、写真をHPに乗せさせてください」といわれたんだけど、どこにどんな写真で載ってることやら。
 
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この山は修験の山でもあるので、修験装束の団体さんが3組おられました。
途中のスペースに座禅をくんで印を結び読経をしておられるグループがあって、音をたてないようにそっと静かに通過。修験の山は木曽御岳や甲斐駒など、いくつか登ったけどこういうのは初めてだった。
そのほか、中高年グループが3つ、若者パーティが1つ、あとはソロとかご夫婦とかだった。
 
1時に上がったので、このまま帰れば2時までに高速に乗れる。渋滞を避けるには2時までに入るというセオリーに合うではないか。行きがけ、帰りの温泉はここか、あそこか、憧れのサクランボ狩りによろうか、蕎麦がうまそうだし、道の駅も寄りたいぞ、などと構想を練っていたのも全部投げ捨て一路家にむかうのであった。
それなのに。
やはり本日も事故渋滞。先週ほどではなかったけど1時間ほどトロトロを耐えた。
なんで事故るかなあ。。。
 

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うまかったうしまけた

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ひさびさの~

ウナギは小さいころ、父親が捕まえてきた天然ものをたべすぎたのか、大学のころから大嫌いになって全然たべられなかった。
それが5年ほど前に突然おいしく食べられるようになった。
昨日はたまに帰ってくる一人暮らしの次男がいて、珍しく家族全員でなぜかウナギモード。
何年ぶりかな~。実にうまかったっす。

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取りつかれてしまった・・

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なにに、かというと、アーティチョークに。

中学の時は園芸部で(学科内部活でしたが)、菊作りに精をだしていたという、ババくさい子供であったが、やっぱり動植物が根本から好きなんです。

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アーティチョークは、近所のかなりポテンシャルの高い園芸店「ドイト花の木」で、今の家に引っ越してきてからほぼ毎年、苗を買っては育てていた。が。

どんなにがんばっても草丈50㎝以上育てることができなかった。なんだろう。鉢が嫌いなのかなあ。あの最高に美味という、どでかい蕾を食べてみたくてたまらず、当然普通に売ってなんかいないので自分で作るしかないわけで。

だけどどうしても食べられない、幻のあこがれの食材だったのでした。ながらく。

 

そして今回、偶然ながらも本来の草丈2m近くまで育ったまともなアーティチョークをみてしまった。見せつけられてしまった。できるのよ、こんなに、と。参った。それ以来頭にこびりついて離れない。および。たべたい。食したいという思いに取りつかれてしまった。

 

そして今は便利な世の中で、検索をすればありとあらゆる情報が瞬時に得られる。おまけにオンラインショッピングとやらで国内はおろか国外の商品でもいくらでも買える。

で、しらべたら、なんと、鎌倉の市場で買えるらしい。さすがオサレな鎌倉。ずいぶん前から特定のイタリアンやフレンチのシェフたちの要望に応じて、変わった野菜を栽培する地域になっているみたい。

ところが残念。なんとわたしがみつけた株もそうだったように、すでに花期に入っている。つまり食すべき蕾のシーズンは終わっている。ががが~~~~~~ん。もう1週間早かったなら。

 

オンラインショッピングでもかろうじて見つけたんだけど、一個1200円はださないな、やはり。

 

てことで来年はがむばる所存でございます。

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巻機山

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やっとのことで、ずっと懸案の巻機山ピークゲット。
もう7年ほど前だろうか。あこがれの米子沢へ行った時。
沢を詰め上がって、笹原の草原をこえて登山道に出たとき、すぐそこだから頂上までいったらと師匠に勧められたけど、当時は百名山などバカにしていたので、べつにいいです、なんていっておりました。それ以来ついぞ行く機会がなくて、やっとこのたび。
 
とはいえ、昨日は遠いところのバイク屋にバイクをあずけたあと、足がないのでアスファルトを3時間半あるいて帰ってきて、足の裏が擦れて水ぶくれ。
家の仕事もまだ片付かなかったし、目が覚めたのも7時。どうしよーかなー、やめよーかなー、とうだうだしていたのだけど、おいしい手作りのルバーブジャムと厚切りパンで朝ごはんをすましたら元気になって、まだ7時半いまなら間に合う!と出ることにした。
 
行きはもちろんもう渋滞などない時間帯で快適にとばし、登山口のナビでちょっとうろうろしてしまったが無事10時半に駐車場着。靴をはきかえたのみですぐスタートしたのが10:36。
 
今日は調子がよかった。これまでになく。全開モード。
山頂到着が12:50ちょっと前だったので、ほぼ2時間と10分ほど?
途中、おじさんに「はやいねえ!」と声をかけられたのだが、なんとこのおじさんこそすごい健脚。小屋の前で抜かれてからはとうとう追いつくことができなかった。
 
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そのおじさんの相棒を待ちながら山頂でしばし歓談。なんととある有名な企業を作ったひとなのだという。にこやかに対応はしたものの半信半疑だったんだけど、かえって調べるとびっくり。まさにこのお方。大金持ちにはみえなかったけど(失礼な)
写真をとってくれて送ってあげるとかいうからアドレスを交換して、相棒さんが到着したところでお別れして、私は下山。ガンガンとばして、走るようにしておりたら1時間半でついてしまった。
 
先週の甲斐駒黒戸で鍛えられたらしく、超絶快調、近年まれにみるタイムであった。
大満足。
ところが最後雨がおちてきたなと思ったら、塩沢石打を3時ちょっと前にのってから突然前も見えないほどの激しい豪雨でほんと怖かった。
しかも、赤城のあたりと上里から東松山まで、死ぬほどの渋滞。
とうとう我慢できず花園でおりて254を走り、東松山から乗ろうとしたらまだ渋滞。
川越も渋滞は避けられないならお金かからないだけましかと、そのまま254で帰った。
お花がとってもきれいだったな。やっぱり池塘のある山はいいな。
 
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わたすげがゆらゆら          大好きなタテヤマリンドウ
 
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そしてこちらは前日バイク屋から歩いて帰る道すがらみつけた、だれかが植えてるアーティチョーク。すごい。わたしはどうしてもここまで育てることができなかったのに。
だれだかは知らないけれど、延々1キロか2キロくらいにわたって歩道脇にたくさんのお花を育てていて、それがとても素敵だったの。この日は真夏日。夏の匂いがしていた。
 
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白馬槍

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白馬槍にいってきました。

実に何年ぶりのちゃんとした雪山だろう。
お天気も最高、風もなく暖かでこの上ない山行だった。ある1点を除いては・・
 
ま。それはいいとして。
金曜夜10時に川越集合。ここから長野をおりて白馬についたのが1時半。プチ宴会をして車中泊。師匠の車での車中泊も2年ぶりかもしれない。そんなこともどうでもいい。
夜があけるとそこには神々しく朝日に輝く後立山の峰々が。いつ見ても美しい。
猿倉から登り始めたのが8時すぎ。30~40分で夏道が残雪に消え、踏み跡をさがしながら柔らかな日差しと初々しい芽吹き、鳥の声、青空に浮かぶ雲を楽しみながら歩く。
小日向の尾根を越えて、沢にかかる雪渓を渡り、いよいよ最後の雪渓を登る。
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腰痛のため、この冬はほとんどまともに登っていないし、重荷にも慣れていないし、相当衰えているはずで、毎週ハードな山行をしている師匠や、週3日は山行ツアーの添乗をしているCさんにはとても追いつけないだろう、どれだけバカにされるやら・・・と戦々恐々としていたが、意外にも足は出て、それどころか最後のなかなかの斜度の詰めはトップをとることすらできたのだった。うれしい。
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雪渓の下1/3ほどのあたりから、硫黄の匂いが微かに嗅ぎ取れるようになった。
その匂いに励まされながらもどこまでいくのか、登っている時にはわからず、ヘロヘロしてきたその時、湯気がみえた。おお。あれではないか。きゃ~~、やっほ~~~!
途中カップルのパーティを1組抜いたので我々がこの日一番に到着した。
さっそく本山行のもう一つの柱であるイグルーを建築するに適した場所を見定める。
といっても見定めたのは師匠なのだが。
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荷物をおいてさっそく建築にとりかかる。前回、杓子で作ったときにも結構な時間がかかったと記憶する。初心者であるCさんに作り方を説明して、ブロックの切り出しを始める。
わたしが長らく患う腰痛のため大した働きができなので、もっぱらブロックを雪のノリで接着補強する役に回る。最初の4段くらいまでは元気だったのだが、そうこうするうちに2番着のカップルがテントを張り終え、「おさきに~~~」と温泉に浸かり始めた。むむ・・・焦る。
 
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傾斜のつけかたがなかなかうまくいかない。ブロック切り出しのCさんも、最初の勢いが目に見えて衰え、無口になってスピードも落ちてきた。陽は斜陽。むむむ・・・焦る。
3番手のカップルパーティもテントを張り終え、ご入浴。むむむむ・・・うらやましい。
それでもなんとか、材木をお借りして入り口を構え、ブロックのみでなく雪をペタペタ貼り付けながら屋根を伸ばしていき、ついに最後の1コが乗せられて無事かんせ~~~~い。
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記念撮影をしたら飛び込むようにして温泉へ突入!
待って待って待ち焦がれた、この時のために荷揚げした500ml缶ビールで乾杯。
ぷは~~~~~!こんなにうまいビールを飲んだのは初めてじゃ~~!!
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夕日を眺め、1時間ほど楽しんでからは、ろうそくをともしたイグルーで鍋パーティ。
星がでてきたところで今度は星月夜を眺めながらまたまた温泉三昧。
翌朝、5時には明るくなって、暖気で薄くなった天井に穴が開いて空が見えていたのに気が付き、わたしがついに起きだしてから、すばらしい朝日と雲海に、すわ!とまたまた温泉。
上がってからゆるゆる朝ごはんを楽しみ、ゆっくり支度して9時過ぎにでたかしら。下りはシリセードに大股下りでザクザク。昼前には着いたので、ふもとの八方温泉で汗を流し、白馬の街でおいしいお蕎麦をたべたり、パタゴニアのアウトレットにいったり、お安い山道具やによったりして3時すぎに高速にのる。
案の定、関越が事故渋滞で帰りはいろいろと苦労しましたが。
無事極上の山行を終えました。

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ふりなしばくぞ

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ヤフーの記事にて。

「降りなしばくぞ」というタイトル。「ふりなしばくぞ」???なんだろう??呪文か?

内容は、関西のどこかの高速で、二人組の車に幅寄せされたバイク乗りが、この呪文をとなえられ、バイクを奪われたという話。

なんだろう。動きをしばる真言かなんか???

で。別の記事をみていると謎がとけた。「おりな、しばくぞ!」なんだ。

バイクを「降りな」、おりなければ「しばくぞ!」だ。

最初の記事はスポーツ報知(すでにリンク切れ)。ナゾがとけた記事はANN。メディアのクオリティの差を感じた件。ちなみに奪われた車種はすでに生産していない古い名車で、現在の市場価格数百万といわれるらしい。

ここしばらく、グース以外のバイクにのってみたくて仕方がなく、あれこれバイク屋巡りをしていた。グースは免許をとってとりあえず倒してもいい練習用に手に入れたバイク。初心者でわけもわからない私に師匠が選んでくれたもの。だから、とてもいいバイクなんだけれど、自分で選んだかといわれるとそうではない。

グースはシングル(単気筒)4サイクル。シングルの特徴として、トルクが太くメンテが簡単で燃費がよく、軽いことがあげられる。街乗りには大変よろしくて、なによりも350㏄あるわりに小ぶりで軽く、体格のない女性でも足つきはそこそこよろしい。

とっくの昔に生産が終わったこだわりの車種で、わたしのも現在24歳。ロードスターと同い年。老体ゆえにあちこちメンテナスが必要で、手が(つまりお金が)かかります。おまけに350なので車検もございます。保険、税金もいれると、なかなか養うのも大変だけど、愛してます。なんたってファーストマシンだし、コンセプトがしっかりしててニッチだし、形もきれいだし通好みの渋いマシンなんですよ、これが。

が、シングル独特の、「ドコドコドコ」という、力強いけど泥臭い、スマートでない排気音なのである。これはこれで味があるのがわかってはきたんだけど、やはり4気筒の滑らかな高回転の「フォーン・・・」というバイクに乗ってみたい、というのがそもそものきっかけ。もうひとつはシングルは爆発が大きい分振動も激しくて、乗ってて疲れるのもある。

条件としてはなんといっても足つき。体格にあう、操れる気がするものでないとムリ。

第二にネイキッドであることとデザイン性で好みに合うもの。つまり愛せるかどうか。車格としては250以下の4気筒。できれば新しいのがいいなあ。メンテが楽そうだから。

もちろんもし買うとなるとお値段と状態の程度が決め手となるであろう。グースを手放すつもりはないので。

 

そんなことで師匠に教えを乞いながらあれこれ見て回ってわかったことは、いまどきの新しいバイクは見かけだけかっちょよさそうでも中身が薄いということ。市場の動向と作り手の意識の問題のようだ。

なにしろいまどきのワカイモンはフィールドにでない。車すら買わない。まして趣味の高額なバイクなぞもってのほかというので、市場そのものが激貧状況のようだ。子育ても終わった余裕のでてきたおっちゃんたちが、若かりし頃を懐かしんで回帰しているのが市場の大方なんだそうだ。そういうのはめっちゃ高いから、少数は生き残っている若者ライダーには手が出ないわけ。

そしてイマモノのバイクは、その見かけも自転車同様全くもってひかれない。ごちゃごちゃしてて全然美しくない。そもそも4気筒の250㏄は、現在規制のため2車種を除いて生産されていない。なんと。その2車種は全然好みでないし、乗りたいと思わない。 自転車だってそう。いくら性能がいいカーボンっていっても今モノのデザインは全然いいと思わない。   

わたしの好みはバイクだけでなく、すべてにおいてクラシックだ。

理想をいえばトライアンフやモトグッチのカフェレーサー的なかんじ。国産ならSRとか大好き。でも外車はとても高価すぎる&絶対足がつかない。国産はパワーレスで乗ってて面白くないといわれてしまう。遠乗りにも適さない。

だからネイキッドでシンプルで細身ですっきりしていて、無駄がないもの、というところに絞られてくるわけなんですな。

ある程度乗って楽しめるパワーもあって、足つきも良くてスタイルが好みというのは、結局古いバイクしかない。が、古いので状態がよければ当然プレミアも付くわけで高い。そういう希少価値のあるバイクは新車以上の値段となるわけですね。(で、しょっぱなの記事)

そんなわけで、手に入れるのはあきらめて、時々レンタルでいいか、と一旦は鞘に納めた矢先、とうとう出会ってしまった。

灯台下暗しの諺どおり、自宅至近のお店にて一目惚れしたYAMAHA R1-Z。

初めてであう初めて聞く車種だけど、探していたのはこれだ、と一瞬で確信した。ピンとくるという言葉では陳腐だけれど、それしか言いようがない。

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すっきりした細身の無駄のない美しいスタイル。白一色のシンプルな色あい。ロゴも控えめな文字列のみのそぎ落とされたセンス。またがってみても軽くて体になじむソフトな感じ。ポジションも問題ない。パラツイン(並列2気筒)から引き出されたかわいらしい2個並んだマフラー。なにもかもが直球ストライクゾーンだった。

なにしろまたまた24歳という古さが信じられない、まるで新車のような保管の良さ。さびひとつない。距離も24年で16000キロという理想的な数字。まさに奇跡だ。

たまたまいたという、そのお店の偉いマネージャさんという人にさんざんお話を聞かせてもらい、その場で契約しそうな勢いだったけれど、さすがにはしたないので一晩待って、翌日契約にいきました。

養うのはそれなりの苦労はあるし、これだけのものを持つ責任もひしひしと感じつつ嬉しくてたまらない。往年の名車の域に達してきたユーノスロードスターNAとともに、これは財産です。大事にしなくちゃ。

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余談ですが、日本全体が活気があってまだ先を夢見ていた頃の物づくりは、作り手に信念と希望と夢と誇りがあった。だから車やバイクに限らず、いいものがたくさんつくられた。見かけだけでない、しっかりと中身とポリシーの伴ったモノづくり。だからユーノスもグースもR1も同い年になってしまうのだ。活気があったころを知っているからこそその価値がよくわかる。いや、知っているどころか、まさに高度成長期に子供時代を過ごしたわけだから。

ちなみにこの記事の背景を説明したサイトをご参考までに。とっても良くわかります。

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近況

カンボジアの旅から1か月以上がたちましたので、そろそろなんか書かんと。とおもい。

まず、4月初めは母がでてきたのでアテンド。姪がどうしたことか桐朋音大に合格し、音大にいきたかった母はぜひ自分も入学式にでるというのでしかたなく、予約していた乳頭温泉をキャンセルして。。。
第2週には、うちから猫友のお宅へ嫁入りした、スノーシューとおぼしき里子猫のマウちゃんが享年16歳で旅だった。お見送りでみんなしてオイオイ泣いた。喜びをありがとう。
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ウェブで養子縁組したマウちゃん。    冷麺祭りをしていた焼肉ヤマト。380円なり。
そしてそのリベンジが4月第3週。今年は雪解けが早く、盛岡あたりは高い山以外は全然雪がない。焼肉と冷麺を食し、たっぷり大好きな鶴の湯を堪能してきた。
連休全はは八ヶ岳。後半は家族と山小屋にてタラの芽ハンティングおよびBBQという、これまた久々のアクティビティ。この7,8年は、わたしが山か旅に出ていなかったので、実に久しぶりだったのでした。
家ではいつも咲いてるのがみられない花が見られたり、バイクのったりして、なかなかこれはこれでよろしい。
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八ヶ岳ミドリ池          ヒマラヤの青いケシ。今年の苗は全然青くない
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ナンジャモンジャ          イングリッシュローズのコンテ・ド・シャンパーニュ
愛車、グース350

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カンボジア(4)

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滞在2日目は8時出発と言われていたのに、はっと気がついたらあなた、7:45じゃあないですか。それというのもとなりのお店での結婚式が大変な騒ぎで、朝は5時から大音響で目が覚め、もう寝られないとおもってたらいつのまにか二度寝していたらしい。

大急ぎで支度して8時に降りていくと、サンディがすでに待っていた。ご親切にも「朝ごはんたべていいよ」とのこと。大急ぎでサンドイッチを頼んで作ってもらい、15分で済ませる。

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本日ベンメリアへ行くことになっている。何も調べていないので、そういうところに行くということしかわからない状態でトゥクトゥクに乗り込む。メイン通りにでて、ワットやトムとは反対方向へ進み始める。お正月を半月後に控えた町は、そろそろ恒例の電化製品割引セールの準備中らしい。

乾季の絶頂とあってなにしろ埃がすごい。サンディはおしゃれなバンダナでマスクをしているが、ここは花粉の最中に日本をでてきたわたくし。がっつり立派なマスクがあるのです。

そうして揺られること2時間。こんなに遠いとは思わなんだ・・・

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途中の農村風景が前にも書いたようにとてものどかで幸せそうで、国境からシェムリアップまでの間にみた悲惨なほど貧しい民家とくらべる雲泥の差だ。やはりヘタに資本主義にさらされるのがいけないのだろうか・・と考察する。

別途パーミッション5ドルを支払う。券売所からさらに5~6分、入り口到着。この遺跡は崩壊した状態が魅力といわれているとのこと。どのような状態でこの国の遺跡が発見されたか手に取るようにわかる。中には木道が組まれていて、そこ以外は歩けないようになっているので渋滞してしょうがない。ここでも思う。誰もいないところを一人で味わえたらどんなに素敵だろう・・・・

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ラピュタのモデルになったということだがまさにあの雰囲気なのである。木漏れ日のなか、澄んだ鳥の声が美しく響く。「ヒタキの巣ね・・・」とつぶやきたくなるのだよ、ほんとに。

それより私にとって驚きは、ほんの5年前まで回りは地雷だらけで一般の観光客は近づけず、ボディガードをつけ、道なき道をいったという話のほうだだ。でも、知り合いが10年ほど前にバスツアーで行ったと言っていたのだけどな。

それにしても調べたらラピュタの公開が1986年(どうでもいいけどわたくしの成婚年でござる)。30年も前ってことはまだ内戦中じゃん!!!ほんとに宮崎駿が来たならすごいけど、怪しい話らしいな、これは。

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ベンメリアという名前は、堀に咲いている蓮の花という意味と、紫檀の花という意味があるという。どういうことかよくわからないけど、ふむふむとうなづきつつ入場。さっそく正面は思い切り崩壊した石材の山だ。いずれ修復の予定はあるそうだが、これが5月になると苔が美しく輝くんだそうだ。それをみたかったなあ。

小1時間鑑賞して、入り口あたりの食堂でご飯をたべてから一路戻る。宿についたのは2時前。暑い盛りでどうにもならないし、iphoneがバッテリー切れしたので充電がてら1時間ほど庭先で涼む。予定ではオールドマーケットでもいけば、ってなことになっていたが、買い物も興味がないし、暑いし、今回洗面道具が不足でろくすっぽ顔を洗っていなかったので、ここはひとつ、エステにでもいってみよう、と出かける。あらかじめ目を付けていた店をたずねると、所持金不足、カードもつかえないというので別の店へぶらりと。

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これが安い。ボディマッサージ60分5ドル、120分9ドル。フェイシャル1時間12ドル。ボディのオイルマッサージが120分で14ドル。まずはフェイシャル。これが丁寧でとってもよかった。あまりに気に入ったのでボディも、とおもい、せっかくなら日本では高くて近寄れないオイルにしよう!と決める。

怪しげな裏階段で、オーナーのおばあちゃんに連れられて上に上がると、淫靡なオーラを放つ個室が並ぶ。ん~~~あやしいぞ~~~ だいじょうぶかな~~~とやや不安になりつつ、言われるがままに部屋に通されると、そこには白人男性がすわっていた。

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左:ガイドのサンディが建造に使う石の運び方を説明している。

右:アイフォンでとった夕日。コンデジよりはるかにきれいに撮れる。

終わったところですか?どうでした?ときくと、よかったですよ、との答えのあと、「ニホンジンデスカ」ときた。ぎょ。なんで日本語??とおもったらカーテンの影から日本人の女性が顔をのぞかせた。ご夫婦でご来店とのこと。なんでも地球の歩き方でもお勧めのお店らしい。ちょっと安心して待っているとお姉ちゃんがやってきて、ここからは至福の時間。

いやはや、ほんとうーーーーに素晴らしかった。忘れられなくてもう一度行きたいくらい。

終わった後は自分でも驚くほど滑らかな肌になれて超幸せ。これで1500円なんて安すぎる。素晴らしい。シェムリアップ万歳。と叫びつつ、夜になった町へでて、最後の夜を宿ですごす。

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左:赤いのがカンボジア側のツーリストバス。これから乗る。行列は隣の店の結婚式がとうとう終わってどこかへ向かう人の行列。

右:4月が盛りのキングサリ(ゴールデンシャワー)

翌朝は7時半に声がかかって路線バスにのり、バンコクへ戻る。これがまた(1)に書いたように、すさまじいつめこみパックの過酷な運送辛かったけど、精一杯アピールしていっちょ前のバックパッカーとして無事旅を終えた。

タイ側のミニバスの順番待ちの時、明らかに私の後ろに並んでいた白人男が先に乗り込んで出発した。これはおかしい。順番に呼ぶからまて、というから待っていたのに。アピールしないと置いて行かれると思い、「今日夜の便にのって帰国しないといけないのだ。遅れるわけにはいかん。次の便にはのりたい」といってみた。麦わらの案内係のおっさんは、あっちこっちから文句をいわれて大忙しなので、ちゃんと聞いているとも思えないから、次にきたのにぐいっと乗り込んだ。

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左:過酷なタイ側のミニバス    右:路傍でうっている蓮の実

すると、最後の休憩でガソリンをいれていた英語の話せないドライバーが「飛行機のるんだろう」的なことをいってくれて、気を聞かせて空港一つ手前の鉄道駅でおろしてくれた。それはいいんだが、バーツを持っていないので切符代の20バーツ(60円)が払えない。

キャッシングしたら500バーツ札しかでず、困っていたら、居合わせた女の子が20バーツ恵んでくれるという。ありがたく、申し訳ないので1枚持っていた5ドル札を渡した。遥かに高くついたけど。でもお姉ちゃんは情けはひとのためならずを実感したことだろう。

空港についたらまだチェックインになっていなくて少し待ったが、1日汗にまみれてあまりに自分が臭い。一刻も早くラウンジに行きたいのだが、前にならんだ韓国人のおじさんにつかまって、あと10分、あと5分とおしゃべりに付き合わされて困った。ラウンジでシャワーを使うのは初めてだけど、こんなにありがたいものとは知らなんだ。お腹もペコペコだったのでたらふくいただいて、出発までくつろぐ。

無事23時半の便でスワンプナートを発ち、翌朝6時半に羽田について、ご飯をたべてから8時から出勤して残業までしたのでした。さすがに疲れました。

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カンボジア(3)

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翌朝5時はまっくら。さすがに涼しい。庭先のトゥクトゥクにのりこむと先に若者カップルが。日本人だ。アンコールワットまで20分ほど。まずは1日入場券を購入。すでに長蛇の列だから驚く。運転手のにいちゃんは、たくみに人をさけてひょいひょいと裏に回り、ジャスト開いたばかりの窓口に上手につれていってくれたので、全く待つことがなかった。えらいぞ。

そして、もう少し先へいくと、足元もわからない中、ここ、と降ろされる。全く下調べをしていないから、ワットがどんなものか全然わからないが、池にかかる橋の参道といい、正面のそれらしい建造物といい、これがそうなんだ。とおもう。

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池のほとりの堤防に座って日の出を待つ。やがてうっすら紫色に東の空が明るんでくる。美しい。ふと気が付くと、到着したときには咲いていなかった水連が夜明けとともにポツポツと開いていた。30分ほど座っていたが、だんだん人が増えてしかもうるさくてとてもゆったりした気分に浸れないのでさっさと立つ。

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トゥクトゥクもどこにとまっているのか、出発はどこに何時と約束もされないので念のため探しに戻る。ごちゃごちゃたくさん停まっているトゥクトゥクにはそれぞれドライバーが寝転んでいる。自分の車を見つけて確認してから、ぶらぶら写真をとったりして散歩。

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ドライバーに何時にもどるのかときくと、時計の7を指す。まだまだ時間がある。もう明るくなったし、日の出終わったんじゃないの?と思うが英語が通じない。しょうがないので池までもどって、ネムの花など撮影していると、ふと、なんだか真っ赤なものが目の淵をかすめた。なんと。太陽がでてきたのだ。これが朝日だったのか。

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実にすばらしい。びゅーりほ~。

そうして宿に帰って朝ごはんをいただく。これは正直しょぼい。あるだけまし、な程度。マネージャらしき男性が9時に出発するからというので、支度をしておりてみると本日のガイドさんがまっていた。サンディ、32歳。日本語はなかなか流暢だ。専属である。またアンコールワットへの道を辿り、さらに先、アンコール・トムを訪ねる。

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ここもすでに大量の車と人。さすが世界いち知られている世界遺産ってことだ。まずは堀にかかる橋の手前から解説が始まる。勝利の門と死者の門、これからくぐるのは勝利の門。1400年に滅んで、400年間打ち捨てられていた遺跡。フランス人ムーアが世に知らしめたという。

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門をくぐってからまたトゥクトゥクに乗る。一度は電気自動車だけに規制したのだが、運転手が職を失うという問題があってトゥクトゥク再登場。でも数年後には自動車規制をする予定だそうな。この問題はありますな、どこの国でも。

バイヨンは、はまって読んでいたシグマシリーズの第1巻に登場する。イメージでは鬱蒼としたジャングルの蔦に絡まれ、薄暗く苔でぬめった感じだったのだけど、乾季の極みとあってか、カラカラ。クメールのほほえみ、少しガンダーラの影響もうかがわせる蔓草模様、アプサラ(天女)の豊かな曲線、これを一人きりで鑑賞できたらどんなに素敵だろうと思いながら、喧噪をまきちらすCの国やKの国の人々の間を縫う。

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次は子供を隠した寺という名前のバプーオンへ。天空の橋といわれる高台の参道を渡って寺院へ。第三回廊まで急な階段を、渋滞を待って登る。汗だくになるが、眺めは素敵で風が心地よい。平安と同じ時期に建造されたこの都で、まったく違う民族の人たちがやはり王様だの貴族だのという階級を生み出して、戦争をしたりお祭りをしたりしていたんだなあと思う。

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像のテラスやライ王のテラスを通って、またトゥクトゥクに乗って次はタブロームへ向かう。ここがアンジェリーナ・ジョリー主演のトゥーム・レイダーが撮影されたところだとかで、大人気。さすがにガジュマルの根が力強くヘビのようにはい回る様は、異様な生命力を感じさせてなにかぞっとする迫力があるものだった。

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お昼ご飯は案内されてレストランへ。やや高め。終わって出ると、サンディとともにハンモックでしばしくつろぐ。いい感じでうとうとする。気持ちのいいことこの上なし。

で、アンコールワットへ。一番暑くなる時期の昼食後、客がまばらになっていいかんじ。さらに裏口から入ってくれて静かに鑑賞できる。周りに住んでいた村人の尽力で美しく状態もよく保存されたというワット。これも急な階段を上って(通常2時間まちとか)ひんやりした回廊に座って、ぼんやり風に吹かれる。最高に良い感じ。1000年の昔、衣をまとった僧たちが、静かに祈りの日々を過ごしていたのだろう。お参りに王や貴族がやってきたのだろう。

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中央十字回廊は強力なパワースポットとかいっていたが、乾いた南国の空がまぶしかった。

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最後には夕陽を見るというプログラム「があった。プノン・パケンという丘がスポットでそこにいくことになっているのだが、300人までという制限があって3時までには入らないとだめだとういう。なので、最も酷暑の2時には到着、2時半ごろてっぺんの遺跡に到着、触るとやけどしそうな石の建造物にわずかな日蔭を見つけて待つことにする。

日没は18時。まだ3時間半あるのにさ。水と本はもってるけどさ。これは辛いぞ。。。。昼寝でも、とおもうけれど、横になってもやけどするほど熱い。がまんしてナントカ居心地がよくなってきたところに、急に人がやってきてあっという間に囲まれる。Cの国の人は見ず知らずの人間に触ろうがなにしようが気にならないらしい。こちらはいと不快であるが、身動きもできない。そのままひたすら耐えて、なんとか17時半ごろ、みんなが待機を始めて動くまでまった。やっと少し傾いた夕陽をそろそろカメラに収めている人もでてきた。

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私はトイレも行きたくなってしまい、朝日をみたから夕陽は実はどうでもよくなって、2,3枚写真をとってそそくさとおりた。サンディも18時にふもとに降りて来いというので。

無事合流してトイレをすませ、宿へ到着。食料を買いに町へでて、今宵はビールとバナナとかっぱえびせんですませることにする。シャワーを浴びて、全然効かないエアコンに扇風機をプラスして、ビールを飲んだらあっという間にまた眠ってしまった。

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カンボジア(2)

旅程をたどって記録してみよう。

成田18時半にでたANAはバンコクに定刻23:30到着。10年ぶりくらいのバンコクの空港はなにやらめちゃ綺麗になってびっくり。前に来たときはまだドンムアンだったから。地下の出口をでたら車が3重に縦列してておどろいたものだったが、今回はすっきりしたタクシー乗り場でシステマティックにタクシーを拾って、プリントアウトを示してカオサンの宿へ向かう。

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左:早朝のカオサン         右:シェムリアップの宿

カオサンまで350Bくらいというので東京駅で500B用意しておいた。深夜ですいていたから30分ほどでカオサンについたのだが、宿がみつからない。こちらも地図ももっていないし、渋滞のカオサンを3回ほどぐるぐる回ってそれでもだめで、とうとう屋台のおばちゃんにきいて電話をしてもらっている。

わたしも電話は海外ではつかわないし、ドライバーもないらしい。ところが宿もなにしろバックパッカー用のカオサンの宿。電話がないらしい。するとおばちゃんがミニバイクで探してくるという。なんと親切な。10分ほどまつとおばちゃんが「あったよ!」とかえってくる。その間エンジンをかけたままのメーターはどんどんあがるので気が気でない。

なんども通ったところへもう一度行き、車幅ぎりぎりの通路をはいっていくと、ありました。

ちんけな宿。インド系の汗臭いおじさんがでてきて、一件落着。ドライバーは「特別料金だ」といって400B請求した。ついたときは270Bだったのだが。まあ、夜中に女一人、外国人を放り出せないと思ったらしくがんばってくれたからいいか。

宿のおじちゃんも前金バーツオンリーと譲らず、通りへいって両替してこいという。2時半になるのにカオサンは大騒ぎの喧騒。さすがバックパッカーの聖地。7-11で水を買いがてらATMで500Bキャッシングして宿にもどって、水しか出ないシャワーを浴び、虫のいそうなベッドに横になったのが3時過ぎ。

翌朝は6:45集合のところ15分も前から店の前で待機。敗れたシャツをきてうつろな目をしながらうろうろする白人男性が通りすがる。噂に聞く沈没族なのだろうか。

絶対遅れるな、というわりに誰も来なくて、間違えたかとヒヤヒヤし始めたころ、ぶらぶらおねえちゃんがきた。わたしのシャツにシールをペタンと貼り付けてついて来いという。

メインロードまで5分ほど移動してミニバスを待つ。来たと思ったらおねえちゃんさっさと乗り込んでいこうとする。おいおい、・・・!と窓をたたくと「あら、ごめん」だって。危うく置いて行かれるところだった。

途中もう1件ホテルで白人4人を拾って総勢8名+ドライバー。往路はまだよかった。2回10分のトイレ休憩をいれて国境の町ポイペットに着いたのが11:30。ここで係員が交代し、カンボジア側のエージェント登場。そのまま事務所につれていかれてビザ申請準備。わたしはエージェントに代行費を払っていたから全部おまかせ。ドイツ人カップルとリーズから来たおしゃべりおじさんは、高い高いと文句たらたら。

ガイドがやたらと両替を力説して、わたしはエージェントに絶対するなと言われていたから無視したが、やはり相当レートが悪く、みんなえらく怒っていた。さすが日本のエージェントはしっかりしている。ちなみに国境付近はすべて撮影禁止。

ここからツーリストバスもあるのだが、サワディーツアーはタクシー利用。これも、路地に連れ込まれて追加料金をとられるなど過去に被害があったそうな。念のため車とドライバーの写真をとる。また途中2回のトイレ休憩を挟んで、埃っぽい田舎道をひた走り、17:30やっとシェムリアップの宿に到着。汗まみれだ。やれやれ。国境のポイペットの町にはカジノなんかあったけど、なんだか擦れてあくどそうで、ゴミだらけで腐敗の饐えた臭いがしてたまらなかった。途中の店もあまりに貧しくて悲しくなる。

昼ごはんも抜き(途中のトイレ休憩で店はあったが、現金もないし面倒でパス)なので、すぐ町にでて食料調達に行く。が、テイクアウトの適当なものが見当たらず、なんとなくよさげなお店に入る。珍しく一人飯だが空腹には勝てないし、何しろ安い。1皿1ドルから高くて3ドル。ビールにいたってはハッピーアワーということもあって50セント、50円ちょっとだ。幸せ。傾く陽をあびながら初のカンボジア料理を食す。名物らしいココナツミルク入りの魚のスープと、マンゴーサラダ(タイのパパイヤサラダみたいなもの)とマンゴーの生ジュースを頼んでビールものんで7ドル。

おなか一杯で大満足してぶらぶらあるいていると、マッサージ店を発見。飛行機に続き1日狭い車にゆられたので腰が痛む。空いていそうなのでぶらっとはいってみたが、エアコンが作動するまで小1時間かかって汗だく。それでも60分6ドルだからね。信じられない。

あとは宿に帰って寝不足と疲れであっという間に眠ってしまった。

明日はオプションで朝日を見に行くことにした。5ドル。早起きだけど天気もよさそうなのでここはせっかくだからと。そういえばヨルダンのワディラムでも朝日みたなぁ。ラクダの背にのって砂漠の朝日。こんどはジャングルの遺跡に登る朝日となる。

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カンボジア(1)

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3月17日夜6時半発、22日の早朝帰国でカンボジアはシェムリアップへいってきた。

今年は仕事の関係でどうも5月のGWは長期(といっても日本じゃせいぜい9日程度)の旅は無理そう。どうしよう、ああしよう、と思っていたら、3月末で失効する「スカイコイン」という、ANAの金券的なものがあるからあげようか、と夫が言う。はやくいえよ~~~。それ使ってベトナムいけばばっちりだったのにぃ。

とはいえ、せっかくのご厚意、無駄にするわけにはまいりません。

ということでどこに行こうか考えたのだが、条件がむずかしい。ANAの直行便、正規料金にのみ適用可なのである。正規料金で往復7万円って、ほとんどない。バンコクかシンガポールか香港かクアラルンプールか。どこも全然行きたいと思わない。少し自腹をたしても行きたいところに行くかというと、今度は日数が足りない。なにせ年度末。さすがに長く休むのは目立つ。う~~~む、とうなっていたところ、夫が良いものをみつけれくれた。

バンコクからツーリストバスで国境を越えてアンコールワットツアー2日間。どうだぁっ!

バックパッカーの聖地カオサン通りからミニバスに積み込まれ、延々まる1日かけてアンコールワットのある町、シェムリアップへ。エコノミーとデラックスの2種類あって、デラックスだとエアコン付の部屋に専用トゥクトゥクとガイドが付くという。これだ。お値段25000円。バックパックは学生時代の卒業旅行以来だ。ここんとこちょっと大人の旅が続いたいのでたまにはいいかと。春分の日の連休に1日休めば日程もちょうどいい。

てなことで行って参りました。

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アンコールワット自体は、アンチメジャーとしてはちょっと馬鹿にしていて、人がわんさか押し寄せる大観光地だろうとタカをくくっていたけど、やはり一見の価値はありますね。たしかにすごい人で、世界各国からの環境客で遺跡内は渋滞するほど。とくにCのつく国の方々は、どこにいってもそうなんですけど、大変な騒ぎようでマナーも悪くて辟易しますね。ただし、ガイドに言わせるとたくさんお金を使ってくれるから歓迎なのだそうだが。

わたしはジャングルが嫌い。鬱蒼とした植物は恐ろしくて恐怖を感じる。だから山小屋のある佐久でも夏はあんまり行きたくない。めちゃ涼しいんだけど。その裏返しなのか砂漠がすきなんですね。無性に魅かれるし、荒涼とした土漠砂漠にいくと異常に郷愁を感じる。

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アンコールワットもグジャグジャの蔓や樹木の根に支配された鬱蒼たる遺跡なんだろうとおもっていたのがだ、実際みてみるとこれが違うのだ。乾季のもっとも暑い時期というのもあったけれど、シェムリアップあたりは高い山や山脈はほとんどみあたらず、どこまでも平原で、まばらな林があるだけ。初めて見るラワンや紫檀、黒檀、さるすべりの巨木、点々とココヤシ。刈り取りのおわった3期作の田んぼはカラカラに乾いていた。

その田園風景がよくてよくて、なんだかしらないけどとってもよかった。旅サイトの知り合いやこの旅で話た日本人学生のバックパッカーも、ラオスがすごくよかったといっていたが、その理由ものどかで癒される田園というのよね。わかる気がする。貧しいんだけれど平和で充足しているような感じがして、幸せそうだった。

ちょうど一番暑い時期で農作業も閑期。結婚式のシーズンらしくあちこちで会場が設営されていた。3日間、大音量で鳴り物、飲み食いをして騒ぐのだそうだ。村中総出のお祭りらしい。泊まった宿の裏でもまさに3日間、朝は5時から夜は10時まで、大音量の歌や太鼓。これは参った。

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カンボジアという国をいままでほとんど知らなかった。ポル・ポトとか、クメール・ルージュとか、なんとなく聞いたことがある程度だった。今回、成行きにちかい状態で訪ねた国だが、ちゃんと知ろうとして驚いた。なんという悲惨な歴史を生きてきたことか。いやはや、ISやボイコハラムが非道だとおもっていたけれど、クメール・ルージュに比べたらまだ知的だと思われる。ガイドは32歳の男性だったけれど、内戦で兄弟をなくしたという生々しい経験者で、多くを語ろうとしなかった。

宮崎駿がラピュタの構想を得たという、ペンメリアという遺跡も、ほんの5年前までは地雷だらけで普通には近づけず、ボディガードをつけて道なき道をわけていってのことだったという。

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バックパック仕様はもう辛い年齢だというのをしみじみ感じた。宿はまだ広くてほとんど効かないけどクーラーらしきものもあった。シャワーもお湯がたっぷりでた。

でも。交通機関が厳しかった。カンボジア側34時間のツーリストバスは大きくてよかったのだけど、タイ側はやはり費用がかかるんだろう、そんな立派なバスではなくて、ハイエース程度のワンボックスになんと15人詰め込まれる。通路は天井までバックパッカーの巨大なザックで動けやしないし、エアコンも全くきかない。ひたすら4時間半動くこともままならず汗だくで、足元に水たまりができるほど。それぞれの国で途中10分ずつ2回のトイレ休憩があるだけ。きつかった。国境を超えるときも、イミグレの場所もバス乗り場もわからないのに全部一人でやらないといけない。しっかりアピールしないと置いて行かれるし、乗り過ごすし、損をしたり危なかったりする。

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プチプチ深夜特急は、けれども、いまおもえばなかなか面白かった。若い頃にやりたかったなぁ。

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セツブンソウ

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ずっと前から見たかったセツブンソウだけど、花粉の季節と重なる里山へはなかなか足がむかなかった。

やっと今年いってみた。場所は埼玉県小鹿野町。小鹿野といえば武甲山がある、セメントの町である。
武甲山は東側?からみると、ある種哀れではあるが、みようによっては壮観を呈している。
セメントの材料の石灰岩を掘り出した跡なのだが、ちょっとクフ王のピラミッドに似てなくもない。この山も埼玉県民ならのぼるべし、といわれたのだが、わたしはそもそも埼玉県人のつもりなど毛頭ないので、そういう意見は意に介さない。それとは別に、この特異な山にはいずれ登ってもいいな、とは思っている。
 
閑話休題。
 
これがその節分草なのである。準絶滅危惧種。2007年8月レッドリスト入りだそうな。
石灰質を好むそうでなっとく。
そこらじゅうにティッシュをばらまいたよう・・・・と表現されていたので大きな花かとおもったら、あなた。実は直径2~3cmの地味な花。茶花の雰囲気で楚々として愛らしい。が、身の丈7~8cmの草だから、これは切ったらすぐしおれて活けることなど不可能だろう。
そして全員がおひさまのほうを向いて花を開いている。
かわいらしいったらありゃしない。しべの青色がなんて素敵なんだろう。
咲いてる姿が、なんだかちょっとニョロニョロを思い出させるなあ~なんて。
 
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セツブンソウ園はこんなふう。目がなれないと「どこよ、さいてないじゃん!」てなる。
 
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すっくとたちあがって「お日様!」って花を開いてる。手みたいな葉っぱも。

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イスタンブール

素晴らしかったイスタンブール3泊4日のぶらり旅。

旅サイトで記事を書いたら力尽きてしまった。
リンクでごまかしちゃおう。
あとは乗せられなかった写真をだだ貼り。
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トプカプ宮殿 幸福の門     おなじくハレムの入り口
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アヤソフィア寺院             モザイク でイシスの壁
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こちらは平面的描写の聖母子    アヤソフィア内部
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リシュテムパシャモスク      有田を思わせる色合い
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スレイマニエモスク         リシュテムパシャのミンバル(説教壇)
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ブルーモスク中心ドーム      おなじく 巨大で優美なアイアンワークのシャンデリア
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ボスポラス海峡は青かった    トプカプ宮殿のお宝、ガラス器

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いきなりですが

スルタンアフメト・モスク

トルコにいくことにしました。

 

1月24日。ふさぐ気持ちの時の私のモルヒネ、チケットサイトのスカイスキャナーを眺めていると例によって神の声が。
2月9日~10日、仕事の山場が終わった後、飛び石ではあるが金曜を休めば4,5日取れる。ここはご苦労様のエクスキューズも得られやすいし、仕事的にもちょうど一番休みやすい月半ば。
 
最初は早春の奈良にぶらっといこうとおもっていた。
つぎは4日あるなら久しくいってない沖縄の離島もいいな、とおもった。ところがチケットは異様に高い。冬なのに。往復で7万かかってしまう。とんでもない。これでダイビングしたら10万コース。むり。
 
いっそ台湾とかのほうが安かったりして。とおもったけどやっぱり日本が連休絡みの時の近場は甘くない。全然やすくない。
かえってローマやアイルランドのほうが6万代だったりする。でも4,5日じゃちょっともったいない。
 
そうだイスタンブールへいこう。
 
みてみると前回利用して大変よかったカタールで、しかも乗り継ぎが往路2時間、復路1時間半と、信じられないすばらしい乗り継ぎ。ほぼ直行。
ほとんど迷うことなくポチリ。
とたんに気持ちが急上昇で、次はサイトで口コミをざっとみてからホテル選び。
安くてもいいんだけど、せっかく珍しい1都市じっくり滞在型の旅、歩いてイスタンブールの街をうろつくのだからバスタブ付きの、ボスポラスを見渡す寛げるホテルを取ろうとおもった。
ちょうど1泊5000円でなかなかゴージャスなホテルがセールだったので即予約。 
これですべて準備がととのったかというとそうでもなくて、実はパスポートが7月頭できれる。
 
チケットを取るときに唯一気にしたのが、入国時の残存期間。
いつも見ているサイトでは残存3か月でOKというのでチケット抑えたのに、旅サイトでみると150日とか5か月とか6か月とか、情報が錯そうしていて焦る。
 
即、トルコ総領事館に問い合わせると、大使館の英語サイトをみろ、とだけの不親切な回答だったけれど、はっきりと6か月と書いてあった。
これはまずい。どうがんばっても足りない。足りない上に更新するのに2週間しかない。
あわてて翌日パスポートセンターで申告。1週間たった本日出来上がったので明日取りに行く予定。
 
もう心は♪とんでなんとやら~~~~♪♪♪
 
あこがれのスルタンアフメット、通称ブルーモスクや、アヤソフィア、トプカプ宮殿をやっとやっと見にいける。実はイスラム建築の中でももっとっも見たかったトルコ様式である。
楽しみでしかたない。しっかりカメラの練習をしてからいかないと!

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2016旅の予定

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また新しい年が始まりました。

今年は年末25日からから遊びほうけていたので、掃除もしなければ正月料理も全くの無縁という、ここまで徹底したのは初めての年末年始となりました。
ま、そういうことも気分の問題ということも判明し、なにも生活に支障はなく、宿でいただく雑煮、人につくってもらうご飯はこたえられまへんなぁ。
初詣だけはいきまして、破魔矢とおみくじはいただいてきました。
 
初詣は旅先の山形は上杉神社へ。大変な人出でございました。おみくじは久々の大吉でしたが、年明け早々、いろいろとちょいとした躓きが続いていて、まだ実感はありませんな。それどころかなぜか低調な日々でウツウツと過ごす毎日。
 
東北スキー行脚は言われていた通り雪不足で、どこもほとんど滑れず、天元台1コースのみ、蔵王はてっぺん以外25mでコースオープン不可ということで選択外。夏油では土砂降りの雨に打たれて芯まで濡れそぼつという始末で、史上最悪のスキーとなりました。
そんななか、次の旅の計画でも練ることだけが唯一の楽しみとなり、あれこれ考えてみたのですが、今年はなにせ日巡りが悪い。おまけに春からしばらく、仕事が大変になりそうで、今年のGWの旅は見送らざるを得ない感じとなりました。
 
しかしながらいろいろと計画した結果、3月に3日ほどカンボジアと、11月にドイツへ行くことにしました。この時期のヨーロッパはベースのベース、最低料金でいけるのです。しかもクリスマスシーズンは始まっていて、オペラやコンサートも本格的に活動を始める、ヨーロッパの素顔が見られる時期。寒くて日が短い欠点を除けば。
きっかけはいろいろあって、まず3月に久しぶりに聖トーマス教会合唱団が来日すること。当然東京公演は2日とも席確保。前回のときは、人生初の出待ちまでして、カントールのビラーさんのサインをいただいたりしたのですが、今回ビラーさんは体調不良とかで、副カントールの方が代わりを務めるそうです。いずれにしても楽し実で仕方なく待ち遠しい。
 
そして最近みた映画「ブリッジ・オブ・スパイ」で、当時を思わせるチェックポイントチャーリー(ベルリンの国境検問所)の映像をみたことと、更に旅サイトで同じ企画を立てた人の記録をみつけたこと。これはもう神様のお導きです。
 
実は今を去ることちょうど33年前の3月。
卒業旅行でわたしが企てたのが、「バッハの足跡を訪ねる旅」だったのでした。
バッハのゆかりの街々、ライプツィヒ、ワイマール、アイゼナッハ、ケーテンなどは旧東ドイツ圏内にあるのです。
 
時は1982年。西ベルリンに入るにも、東ベルリンを通過しなければならず、いきなり車両に乗り込んでき銃をもった兵士に検問をされるという、人生初の経験をしてのこと。バックパックだったので当然、宿は夜行寝台車だったり、よくてユースホステルという旅です。      
 
ところが東ドイツに入るには、身分の保障およびちゃんとした宿に泊まるという、所在証明が必要でした。直前までいろいろやってみたのですが、貧乏学生にはなすすべもなく、チェックポイントチャーリーまでいって、有刺鉄線からまだ遠くに高く冷たくそびえる壁と、戦車と見張り台の銃をもった兵士と、「Achtung(注意)!」の落書きにおびえるだけでした。
それが7年後の1989年、あんなにもあっけなく崩壊するとは当時は想像もできませんでした。
 
その夢を、今なら果たせる。時間も身分も社会的にも経済的にも。今いかなければ。

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ヴェトナムでバインミーを食す

近いとつい後回しになっていたが、しばらく前から行きたかったベトナムに行ってきた。

目的はただ一つ!バインミーなるものを食す!
旅サイトで交流させていただいているトラベラーさんの旅行記に再三登場する、バインミーという食べ物。それはありていに言えばフランスパンのサンドイッチ。
なんだ、とおっしゃるなかれ。類まれなるうまさだという。
ベトナムはご存知、ベトナム戦争で痛む前は、フランスの圧政による植民地支配を経てきた国である。きけば北から南まで日本以上に細長い国は、民族も多数あるのだそうだ。
訪れたのは旧サイゴン、南北統一後はホーチミンという。
私の年代としては、ホーチミンってぜんぜんピンとこない。
私の映画への惑溺の始まりは、プラトーンだった。それはサイゴンでなければならない。
とはいえ、そういうことはあまり考えるところではなく、とにかくバインミー。噂通り、いや噂以上にうまい!!パン好きにはたまらない!
じっとしているだけで全身じっとり汗にまみれてしまう湿気というのに、路上に転がしてあるフランスパンの、なぜにかくもパリパリの皮なのか。そしてもちもちの中身なのか。
驚きである。実は米粉がブレンドしてあるのが秘密なんだそうだが。
フランスの、と書いてつい圧政に話が及んだが、言いたいのは食文化においては良い影響があったのだということ。なにしろ食の東西の横綱ががっぷり四つを組む地域なのである。うまくないはずがない。そしてどれもこれも、期待以上のおいしさであったことを言っておこう。
あとは、ガイドが再三いうには、政府の腐敗、賄賂横行、汚職、高官だけが腹をこやして贅沢三昧、庶民は車も買えない暮しにあくせくしているのに、声を上げようものならすぐ捕まって投獄くらいならまだよし、へたすると抹殺である。その不満や不条理に対する怒りがヒタヒタと波打っていて、どうにも旅して気持ちのよい国ではなかった。
ということで、ホーチミンは1度で十分と思うのであった。
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バイク地獄。とまらない。本気で轢かれると思う。  右、パンや。うまそうでしょ
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ドリアン!ドリアン!どりあ~~ん! メコン川はドドメ色。
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夜市。エネルギーにあふれている。 おばちゃんが路上でうってるのはベトナムチェリー。
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これがベトナムチェリー、あんまりうまくない。上のほうは釈迦頭(カスタードアップル)これもあんまり好みじゃない。右のパックはドリアン。街中は高かったので、切り売り。幸せ。
写真右はカエル。大きさもあって食べごたえがあったが、八角が効きすぎて最後は飽きた。
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いよいよ旅の目的、バインミーです。このおばさんの屋台はいつも人だかり。
家族総出でおしごと。おじょうちゃんもがんばってます。この2日の旅で唯一笑顔が素敵だとおもった時。
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これでございます~。ペーストにたくさんの野菜、パクチー、から揚げの甘辛浸しやチャーシューぽいの、レバーペーストなど、数種の選べるお肉の具に特製のタレ。ぱりっさくっもちっっっ!うまい~~~~。大満足でした。

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雪はじめ

やっと、長らく懸案の四阿山にいってきた。

今シーズンの雪山はじめ。
すばらっしいお天気で、北アルプス全山、富士山、八ヶ岳連峰、日光方面、秩父の峰々など
ぐるり360度の展望を楽しんだ。
朝6時に家を出て、8:50ごろ登り始め、12:30下山。
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山のはざまに

NZ実現に向けてリサーチの傍ら、もっぱら本もそれっぽいものばかり。

  
スラヴォミール・ヴィッツの「脱出記」にはやられた。
久々にとまらなかった。事実を極限までしぼった内容と筆致がすごい。静かに迫るものがあった。これはぜひ読むべし。
そしてお風呂用には文庫の中古で「空白の5マイル~チベット、世界最大のツァンポー峡谷に挑む」と、通勤用には日本の本では珍しいペーパーバックの「ジョン・ミューア・トレイルを行く」
後者は白黒ながらたくさんの写真が取り込まれ、脚注も豊富で、実際に著者加藤さんと歩いているように楽しめた。次は同じく加藤さんの「メインの森をめざして」。これもペーパーバックなんだけど、とっても分厚い。。
加藤さんはアパラチアントレイルがジョン・ミューアの次の目標であり憧れだったそうだが、2005年に踏破されたのち、皮肉にもALSを発症され、2年の闘病ののち2013年4月に62歳で亡くなった。巡り合うのは今となったけれど、出会えてよかったと思える人物だ。
読み急がないでじっくり味わいたいとおもう。

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2015紅葉

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今年は隔週で東北から紅葉を楽しんでいる。

どこも素晴らしく美しく、ことしは紅葉はあたりのようだ。紅が素晴らしく、どんぐりの類も汚らしい茶色でなくて鮮やかでみずみずしい黄色に色づいていてとてもよい。
10月初めは八甲田、八幡平で。
10月3週目は山梨、増冨周辺で。
10月最終週は佐久と軽井沢周辺で。
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東北は雨だったけれど、それいがいは本当に掛け値なしの真っ青な秋空に、映えることこの上ない。やはり紅葉は蒼天に勝るものはない。
11月になった。ちまたはかぼちゃやら扮装やらでにぎわったようだ。
山も終わり。これからは雪になる。今年はちょっと雪、まともにいこうかな。
アルパインが懐かしい今日このごろ。
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本は、T・R・スミスの「チャイルド44」。初めての作家だけれどよかった。
これがスターリン時代のロシアを扱ったもの。
次は加藤則芳さんの「ジョン・ミューア・トレイルを行く」にしたかったのだが、スラヴォォミール・ラヴィッツの「脱出記」を先に手に取った。副題の「シベリアからインドまで歩いた男たち」というのが気になったのだった。作者の体験をつづったものだが、これがたまたまというか、スターリン時代のポーランドで捕虜から強制収容所送りになった作者の体験をつづったものである。まさに壮絶。それが淡々と語られるのだ。ものすごい。
そんなわけで相変わらずロングトレイルへの渇望を胸に育みつつ、ちょうどGOGOの記念になる来年、手始めにNZのトレイルを歩いてみようかと思い立った。
さっそく来年の手帳を100均で買い込んでみたら、なんとがっかり。来年は激しく連休貧乏なのである。こまった。
NZをやるのなら4月頭までである。がっつり有休を使わないといけなさそうで、悩みどころだ。
ちなみに100以上あろうかというNZのトレイルは、グレートウォークという7本の特別なトレイルがある。NZではハイキングでもトレッキングでもなく、「トランピング」という言葉を使うようだが、何度も行かないと思うので慎重に選びたい。7本の中で最も有名なのは「ミルフォードトラック」であり、世界中のハイカーが憧れるという大人気ルートである。がゆえに、予約も大変、入山制限も厳しい。それより短くて山岳風景の折り紙付きが「ルートバーントラック」で、これまた予約も人気もたいそうなもののようだ。
ミルフォードサウンドには行ったし、アンチメジャーであるのでここは興味ない。
そんなわけで狙いはヒーフィーかケプラー。ケプラーはサーキットなので入山下山が楽で、輸送費もかからない。ヒーフィーのほうが好みにはあうのだが、これはシングルウェイかつ、入山下山に1時間以上の輸送が必要なうえ、ベースとなる街も空港からかなり遠い。
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これからしばらく、実行に移すかどうかも含めて楽しく悩ましい日々となりそうだ。
左はことしもいただいた秋の味覚、零余子ごはん。
田舎の両親が散歩の度に見つけてくれたものらしい。
メニューはひなびたごはんに合わせてにくじゃが。

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いつのひか

yam映画をみた。

 
数年前、栂海新道にチャレンジした。白馬で小屋の人が山行中止を呼びかけるほどの嵐に見舞われて途中下山したけれど、ロングトレイルには一番の山友とともに、以前から惹かれていた。へとへとになるまで体力を使っていやというほど長い距離を歩くことに挑戦する醍醐味。
 
昨年市中ではあるが50kmをあるいた。土砂降りの雨の中12時間かかった。それ以前は42kmを9時間で歩いた秩父七峰が最長だった。最初に足が動かなくなりながらもこれをやり通したときに、すでに中毒は始まっていたのかもしれない。
山友は筋金入りだ。子供のころから50km歩いていたというから。
 
今年、大雪を端から端まで縦走した。そして長く歩くことの麻薬性に完全につかまってしまった。歩き終えたときのあの表現しがたい満足感と幸福感はたまらなかった。
 
そしてこの映画に導かれて知った。
アメリカにはたくさんの景観豊なロングトレイルがあり、それを支える文化も成熟している。そして三大トレイルといわれる、長い長いトレイルがある。
 
Pacific Crest Trail.4261km) 
Continental Devided Trail約4500km),
Aparatian Trail3510km)
である。
 
これらロングトレイルを、ワンシーズンで最初から最後まで歩きとおす人のことをスルーハイカーと呼ぶ。その期間は数か月から半年に及ぶ。そして圧巻であるこの3つとも歩きとおした人を、尊敬をこめてトリプルクラウンと呼ぶのだ。
 
未完成でもっとも長く過酷で上級者むけのCDT、一番短くて期間の制限が長いけれど、高低差が激しい上に樹林帯で雨や湿気の多いAT。PCTは高低差も少なく穏やかでシーニックであり、完成したトレイルである。
 
トリプルは無理としても、PCTには挑戦してみたい。シエラネバダの美しさやヨセミテ、北部オレゴンのカスケード山脈、どんなに素敵だろう。心が騒いでしかたない。
 
すごくない?

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2015  ラパス

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昨年のフィリピン・オスロブは、ダイビングも場所もいまひとつぱっとしなかったのもあり、今年の家族イベントは期待大であった。なにしろ初めての大陸、初めてのメキシコ。

最初はカンクン狙いだったが、9月はハリケーンの危険が大きすぎるので太平洋側のラパスをチョイス。ただ一つ残念だったのは、直前で次男がテストにぶち当たることなり、キャンセルになったことだ。一番水がすきで水のなかでは活き活きする次男だし、動物も大好きだからアシカはよろこぶはずなのだが、将来に関わることなのでいたしかたない。長男もいつもひっついいている相棒がいなくて意気が上がらない様子だし、その分わたしが相手してやろうなどと思いながらの旅であった。

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朝7時ごろXVに荷物を積み込んで出発。ひさびさのVIPエントリーからのらチェックインだ。自力では得られない快感である。おかげさまです。ラウンジでがっつり朝ごはんをいただき、成田11時15分のANAにてヒューストンへ。

初めての太平洋越えである。飛行時間は11時間半ほど。デイタイムから夜なので特に眠くもなく、5本映画をみる。「ヴェルサイユの宮廷庭師」「Far from the Madding crowd」「トゥモローランド」「インサイド・ヘッド」「アデライン100年目の恋」。

よかったのはヴェルサイユ、とインサイド・ヘッド。ワインはスペインの白がとてもおいしかった。

映画に没頭してふと気づくとすでにテキサス上空。これはみねば、と思って窓をあけると広大な大地にきっちりと企画正しい農場がどこまでも続く。面白いのは完全円のフィールドであった。麦だかなんだかの畑なのだろうか。半円だけ刈り取られたものとか大小さまざま。

そのうちヒューストン上空にいたると湖沼と緑が増え、これまた規則正しい住宅はどれもブルーの水をたたえたプールつき。お金持ちの町らしい。

ようやく着陸してイミグレ。長蛇の列で1時間以上待たされ、やっと通過。X線ではカメラの入ったバッグを乱暴に放り投げられてむっとする。乗り換えに従ってUAのチェックインをし、UAのラウンジにいってみたが大したものはない。

30分ほど休んでゲートにいき、メキシコシティへ向かう。飛行時間2時間半ほど、小さい飛行機でサービスは飲み物のみ。到着したメキシコシティではイミグレは意外にもあっさり通過。メキシコ人は思ったよりてきぱきと仕事していた。荷物は全部開けさせられて税関も通過。

荷物をもったまますぐにティオティワカン観光に出ようという事になる。流しのタクシーは危ないので空港にブースをだしているオーソライズドのものをアレンジしたのだが、ここですでに問題勃発。乗った途端に、ボスから電話といわれた旦那が応対すると、ウェイティング料金を別払いで支払えといっているらしい。我々は4時間チャーターの契約のはずだからおかしいと議論するも、埒があかないようで、とにかく空港のカウンターで契約したのだからそこにもどらないとなにも答えない、といってとりあえず終了。

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ティオティワカンに45分ほどで到着し、5時半の閉場時間まで駆け足でみる。まずケツァルコアトルの神殿にのぼる。ガイドも頼まないのでとにかく歩くのみであるが、想像したよりも漠としていて、しかもほとんどが修復後の遺構のみ。装飾はケツァルコアトル神殿に少し残るだけで、それも近くまでは寄れない。シートの上に土産物をひろげた現地人が、ケーナ風の笛をふいたり、しゃ~~~いうジャガーの声のでる道具をならしていて、それが荒涼とした遺跡と雲の多いメキシコ高地の空に消えていくのだった。

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死者の道をたどり、うじゃうじゃと人が登っている太陽のピラミッドを右手にみて、突き当たる月のピラミッドに到着、登れる第2階層まで登る。段差は大きく、しかも90度ちかい階段は恐ろしくて、3点確保で登る。ペルセポリスやペトラとちがい、当時を彷彿とさせるほどの力がない遺跡で、どちらかといえば日本でいう石垣だけ残った城址のようなかんじ。都市に近いというのもあるかもしれないが、正直にいうと期待を下回るものであった。が、訪れたという成果はあがった。閉場時間ぎりぎりで最後は怪しい黒雲に追われ、すんでのところで夕立を逃れてタクシーに乗り込む。

 

空港にもどってブースで交渉、結局ブースの係員の説明不足ということになり追加料金支払い。嫌な思いをする。気を取り直して、21時の便までに晩御飯を食べるため、バルに入る。とりあえずタコスでしょう、ということで、タコスとナチョスを1皿ずつ、コロナビールで乾杯。しかし量が半端ない。3人で必死で食べてもたべきれない。おいしかったけど。となりのおじさんはそれを一人で3皿たいらげていた。メキシコはおデブばっかり。ティオティワカンでも思ったが、老いも若きも男も女も大人も子供もみんなすさまじいおデブなのである。

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薄いコロナでも旅の疲れかやたら酔う。9時ごろゲートが開いたので乗り込んでラパスへ向う。これまた小さい飛行機で、隣のおばちゃんが「ラパスは日本人いっぱいいるよ」と話しかけてきた。日本人しかいないんだろうな、いきなり日本人認定で、チノかと言われないのは珍しい。

深夜であるが、予約したホテルの送迎まではかんがえてなかったとのたまう夫に、成田でメールはうってもらったがやはり応答は無し。また嫌な思いをするタクシーかなあといっていたら、FUN BAJAのカードをもったおじさんがいたので、一応明日からお世話になりますと挨拶したところ、ホテルまで乗せるというのでありがたく乗せていただく。セブンクラウンに到着してチェックイン、部屋は3ベッドの立派な広い部屋で、なかなかスタイリッシュであった。すぐ設計ミスのシャワーをあびて就寝。

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翌朝8時ピックアップのため、7時から朝食。コンチネンタルでフルーツがおしゃれに盛られたファウンテングラスつき。

初めてみるメキシコ、ラパスの空はとりあえずどんより曇っている。あらら、メキシコって青すぎる空ときつすぎる日差しではないのか?とおもったらまだ夜明けだからであって、そこからは期待通りの空と日差しになった。絵にかいたような例の柱状のサボテンも赤い荒地に乱立しているのをみて、ほんとに生えてるんだ、と妙に感心する。

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混載の車は途中沢山の日本人をひろってFUN BAJAに到着。飛行機のおばちゃんがいったとおりだ。前夜空港ピックアップ時一緒になった日本人3人ともまた会って、本日は一緒にキャンプだそうだ。

何泊ですか、ときかれたから4泊と答えたら「え」といわれた。いろんな記事をみても、何もなくて暑いだけで、1泊以上は無理という人がほとんどなのに、すごいですね、と。こんどはこっちが「え」と応える。そんな情報は一切しらない。失敗したかしらと一瞬不安がよぎる。

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FUN BAJAの施設にはいっていくと、しろっぽいワンコがはしゃいでいるのが目に飛び込む。これはもしや!事前に調べようとしてみつけた,元FUN BAJAガイドで福岡出身ののなほさんの愛犬、ハルちゃんでは!お客さんに対応している女性も、多分なほさんでは!

タイミングをみて話しかけると「あらー、マウンテニアさんですね!」とすぐにわかってくださり、しばしご挨拶を交わす。画像でみたハルちゃんとおなじ、元気な女の子で愛想よくいっぱいぺろぺろしてくれた。

貴重品や要らないものをスーツケースにいれて預け、滞在用品とダイビング機材を船に積み込む。船はおおきなイザベル号。同乗はわれわれ3人と空港で一緒だった3人、他にも10人くらいいたかしら。

まず向かうのはもちろんアシカのコロニーのあるロス・イスロテスである。港から1時間弱。おしゃべりしながらあっという間に到着。支度をしてブリーフィングを聴く。ガイドはカルロス。なほさんの相方である。情報と本物が一致する。

薬ものんで準備万端。初のアシカダイブであるが、人数が多いので、我々のチームはカルロスと共にまず、握りこぶし大のジョーフィッシュを見に行く。たしかにおおきかったがハゼには興味のないわたし。とりあえず1年ぶりのリハビリダイブであるが全く問題ない。機材の具合も同様。

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初ラパスの海は、いつも行く海とは様相が全く違い、栄養豊富なコルテス海で育ったおいしそうな魚ばかりだ。うるさいほどのオヤビッチャやチョウチョウオ、クマノミやグルクンなどサンゴ礁の常連はいない。

かろうじて、ブダイはいたが巨大さにびっくり。ニザダイもいたが、これまた巨大で、みたことのない斑点模様。コルテス海とガラパゴス周辺の固有種だとか。

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2本目、肝心のアシカは、驚きのすばらしさ。お父さんは大きくてびっくりなほど迫力あるし、子どもたちの動きの素早さしなやかさ、かわいさには感激。見ているだけですばらしい。野生の哺乳類の生の生態をこれほどまじかに観察できることはそうそうない。

もう一つ、特筆すべきはイワシやアジの群れの美しさであった。たかがイワシ、されどイワシ。その圧倒的な数とだれがとるのか統率のとれた動き。まるで川のように、前が見えないほどに途切れなく流れていくさまは圧巻であった。キラキラと光る小さな体についた目、目、目。水深4~5mほどの水底から透ける空をバックに、このあふれる生命の躍動をみているとあまりに美しく感動的で、この上ない幸せに満たされた。ただ、その光景をみつづけていれば何もいらないほど幸せだった。これだからやめられない。

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40分のダイブタイムはあっという間。流れがあったせいか人数が多かったせいか、遊びにきてはくれなかったが、この後毎日潜れるんだから、とりあえず大満足でキャンプの島に向かう。

ここはエスプリットサントス島といい、到着後知ったところ世界遺産となっているそうだ。ここで荷物をおろし、テントを割り振られ、トイレとシャワーの使い方のレクチャーを受けてランチとなる。フリードリンクだが、まだあと2本あるのでビールはおあずけ。トルティーリャに辛いソースをかけておいしくメキシカンをいただく。

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3本目はマクロとガーデンイール。海底から1mほどでてる、ホント、ホント!とカルロスが力をいれる。そんなアホな、と思ったが、見た人によるとその通りだったそうだ。

終わってまた島にもどり、晩御飯のあとモブラ・ナイトにでる。島の大きな湾内、エンセナダ・グランデというポイントでライトをつけて待っていると、通称モブラ、ヒメイトマキエイの群れがやってくるという。マンタを10分の1にしたようなモブラは、最初1枚しかこなくて、こんなもんかーとおもっていたら突然50枚以上が押し寄せて乱舞するのは圧巻であった。30分~40分で上がって戻り、シャワーをあびてからログづけおよび宴会に突入。あっというまにテキーラ2本あくのであった。テキーラは、手の甲にライムをしぼって塩を置いたものをまず口に含み、ショットグラスのテキーラを一気に干したあと、口のなかでミックスしてからぐっと飲むのが流儀だそうだ。

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2日目はアシカのロス・イスロテスと並ぶ名物、エル・バホへ。ここはハンマー狙いである。故に中層をひたすら泳ぐブルーウォーターダイビングというスタイルになる。水温の高い夏は、ハンマーは冷たい深いところにいるので、深度も30m前後という、深めの1本となるのである。これまで数回経験があるが、緊張しながらもだめではなかった。

 過去にも書いたが、私は閉所恐怖症の気が強いので、閉塞感に襲われたら最後、パニックがでてしまうのだ。これは左足の靭帯を切ったあと、200本も潜ったころにで始めた症状で、一時はもうダイビングはあきらめようとまで思ったが、3年ほど苦悶したあと精神内科でパニックを押さえる薬を処方してもらってからは、すっかり克服できたはずだった。

 今回も初日の3本は全く問題もなく、パニックがでるとすら感じずにすごし、この日もエントリーして10分くらいは普通に泳いでいたのだった。それが突然、ガイドのチャベロの姿が濁った水の向こうにぼんやりし始めたころから、急に回りの青一色の何もない世界が迫ってきて、上も下も、体のまわりはおそろしいほどの青一色。急に呼吸がはやくなりドキドキし始めたらもう止められない。吸っても吸っても息が吸えなくなり、心臓は口から出そうなくらい激しくうち、耳鳴りがしてコントロール不能になってしまうのだ。「なんとしても外に出たい」という欲求が激しく突き上げてきて、暴れもがきながら水面へ突進していきたくなるのだが、それをすると死んでしまうという理性が必死で押さえる。何かに捕まってじっとするとか、生物を見て気を紛らせばとりあえず落ち着くのだが、ブルーウォーターではそれができない。遅れることもできない。ひたすらカレントの中をこぎ続けなければロストしてしまう。だれにも苦境をわかってもらえない。ただ一人耐えるしかない。今度こそだめかな、となんどもあきらめそうになりながら、ふととらえた息子の姿を頼りに、息子だけみながら泳ぎ切った。最後まで息は苦しく早く、ドキドキもおさまらなかったが、安全停止になるころにはなんとか落ち着くことができた。

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今回のショックは、薬を飲んでいたにも関わらず発症した、ということと、途中からいきなり出てしまったことだ。でる、という恐怖に捕まってしまうともう、どうにもできない。薬が古くなっているのもあるだろうが、改めて処方をしてもらわなければ。   

4日目、やってきたグループの中に、同じ悩みをもった女性がいて、同病相哀れみながら深く共感するのであった。辛さを分かり合うのに言葉もいらないくらいだ。それをきいていた別の人が、そうまでしてやりたいのかとのたまったが、その通りなのである。そうまでしてもあきらめられない世界なのである。つい1ヶ月前から症状が出始めたという同病の女性は、わたしより厳しいようで、私が使っている薬よりもっと強いのでも効かないらしく、最後の日はとうとうシュノーケルに転向してしまった。

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上がり際、船底で頭を切って血まみれになった夫とともに、2本目はもう無理でぐったりしながらパスした。チャベロも様子がへんなのはわかっていたと思う。3本目もだめだと怖いので思わずもう1錠薬をたしたら、今度は眠くて眠くて、3本目マクロポイントで潜っていても、気が付くと寝ていて、海水を飲みそうになってははっとするという1本だった。何を見たかも記憶にないほどで、勢いとはいえ危ないことをしてしまったものだと反省。

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島に戻れば靴もサンダルもはかない、はだしの生活。寝て起きて食べて船にのって潜って、ただそれだけの繰り返し。本を読む時間もほとんどないくらい、原始的な生活だった。電波も文字もなくても全く気にもならないものである。どのくらもつかはやってみないとわからないが。

食事は、スープのあとワンプレート、肉と野菜と豆のペーストがかならず乗っている。夕食にはデザートが付く。朝ごはんはスープの代わりにフルーツとヨーグルトがでる。でもメキシカンは2日で飽きてしまった。特に豆のペースト。この豆がどうやらいんげん豆らしいのだが、かならず毎回お皿にのってトルティーリャチップスが1枚ささってる。わたしは豆類が大好きで、ご飯がわりに食べるくらいで、虎豆やうずら豆煮豆などは大好物なのだが、このペーストには参った。最後は見るのもうんざりだった。なんでもメキシコでは、日本の味噌汁に相当するほど、毎食なくてはならない存在なのだそうだ。

トルティーリャも最初はおいしく、辛いソースをたっぷりかけて楽しんだが、2日目には手をださなくなった。中東の羊の方がよほど大丈夫だったのには我乍ら驚き。しかも輸入品で日本でもなじんでいるはずのハラペーニョなどの辛いソースは、おなかが緩むのだった。この鋼鉄の胃腸を誇るわたしでも、である。何か違うのだろうか。

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真水は毎日ラパスの町から運ぶ貴重品なので、体を洗うのは常温の海水で、最後のすすぎだけ真水をつかう。これも常温なのでもう少し寒くなると辛いと思われる。シャワーはすべて終わったあと、1日に1回のみ。トイレは自力でポンプくみ上げの簡易水洗だが、夜はライトがないと何がなにやらわからない。かといってつけたまま用をたすと、荒く編まれた小枝の壁をとおしてシルエットが丸見えとなってしまう。   

テントは2人用だが、よく浜辺においてある寝椅子にシーツが掛けてあるのみ。薄いシュラフがおいてあったが、気温はなにもかけなくてちょうどいいくらいであった。ラッキーにも私は滞在中ずっと一人で独占だった。

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夜は手が届きそうなじゃらじゃらした星空に酔いしれ、一緒になったダイバーやガイドやスタッフと楽しく夜中までテキーラをすすり、旅やダイブスポットの情報交換をして共感したり驚いたり、またたくまに4泊5日は過ぎて行った。合間に一度だけカヌーで隣の入り江まで漕いでみたり(これは予想外に腰に悪かった)4日目には世界遺産である島を横断するトレイルを3人で完歩した。このトレイルはいわゆる枯沢を標高差50mもない程度ゆっくり登っていくのだが、男二人はものの10分でへばってしまい、何度も休みながらはぁはあぜいぜいと苦しそう。私は最近、山で男性に後れをとるようになってめげていたが、まだまだと自信を回復したのであった。

あきらめそうになるのを励ましながら、1時間で島の向こう側に到達。真っ青な海と断崖絶壁を堪能してキャンプに戻った。昔々だれかが捨てた真珠貝の貝塚が、キャンプのすぐ裏手にあって、詳細はいまだ不明なのだそうだ。ちいさなトカゲや、黒くてスリムなウサギに途中であう。

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このウサギは夜には食堂テントにやってきてはエサをねだり、なんと手からも食べるのだった。が、厳しいガイドのカルロスには、世界遺産の島だから餌付けはNGと怒られた。

他に、カモメのチャーリーとナオ、アオサギも住み着いていた。チャーリーもトルティーリャをねだりにテーブル近くまでやってくる。お茶目なチャベロはひどいことに、辛いソースを付けてなげたりするのだが、チャーリーはそれを海で洗って食するのである。カモメがそこまで智恵があるとはついぞ知らぬわたしは驚いた。

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このチャーリーは怒りんぼで、時々やってきて餌を横取りするペリカンに突っ込んで撃退することもあるという。そのノリで5倍くらいあるアオサギに向かっていって逆にぎゃふんと言わされるというかわいいやつである。

もう2匹、夜な夜な食堂テントのトレリス部分にのみ現れるバビズリという動物もいた。これは初めてみた動物だが、長いしっぽは輪っか模様でワオキツネザル風。体はイタチやフェレットくらい。息子が調べたところクマの類に属するようで、アライグマみたいなものかもしれない。

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こうしてついに最後の日がきた。最終日はどこでどう潜るかについて、前夜滞在メンバとチャベロの間で議論が交わされた。これは初めてではなく、3日めにも起こったことで、想像するにちょいちょいあるはずだ。だって、キャンプにいる人は日数、経験、志向、全然ちがって、船は一つ、サイトもほとんど2つに限られているのでは仕方ない問題だろう。

3日目はうちのオットが交渉役となり、カルロスを苦悩させてしまって申し訳なく思ったが、同宿のみなさんには喜んでいただける結果となった。最終日も、昨日と同じところは嫌だというひとと、厳しいポイントは潜れないという人で2派に分かれ、チャベロの采配は「明日朝オフィスと相談して」ということになった。

ガイドとしてもすべての客の言い分はきいてやりたいところだろうが、そうもいかないし。
こちらとしてもお金を払っている分は楽しむ権利を有するわけで。

最終日はアシカ2本。2本目はうちの家族3人だけという貸切状態で大満足、アシカの赤ちゃんには手をアムアムされ、滞在中最高のダイビングを楽しみ、ラパスに帰る時はジンベェウォッチ。あまり期待していなかったが、3度発見して、1度だけ一緒にスイムできた。

エリックが発見するもどこをどうみてもわからない、という状態のあと、しばらくすると素人にも見えてくる。その間に装備して待機、エリックのGO,GO、GO!という合図とともに飛び込む。4mほどの子供だったが、初めて自然な状態のジンベエをみられて大満足であった。

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夕方ラパスに戻り、お世話になったカルロスにお礼をいって、すぐとなりのハイアットまで送ってもらう。まだ水のしたたる道具袋をひいて部屋でバラし、ウェットだけは外で干すためと体の塩抜きのためプールへいく。泳いでも泳いでも、塩が抜けない気がする。5日間、ほとんど完璧な塩漬け状態であったのだからしかたない。髪の毛はぱさぱさでぺったりし、肌もカサカサ。せっせと日焼け止めを塗っていたにも関わらず、曲げると肘の部分は黒々と陰影を造る始末。

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ひと段落して町へご飯へでかける。もうメキシカンはだれも食べたくない。にぎやかな街を抜ける途中、息子が「ハンバーガーうまそう」という。この一言に激しく同意。迷いなくテキサスバーガーという店に入る。当然のごとくスペイン語のみなので、わたしが片言で対応してオーダー。これが実にうまいバーガーであった。そのあとスーパーで夜の飲み物やつまみ、アイスクリームを買い込んで、迎えの車に拾われて帰る。やっとwifiも拾えるようになり、留守番の下の息子ともつながる。しゃばに帰ってきたのであった。

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翌日は9時過ぎの便でメキシコシティへ。ついてまず空港併設のホテルにチェックインして荷物を置いて、数時間の観光にでることにする。最初は街中の遺跡や古いカテドラルを見に行く予定だったが、到着したメキシコシティはあいにくの雨。歩き回れないので、国立人類学博物館へ行くことになった。これがまたすったもんだ。タクシーは往路で辟易したため、地球の歩き方で太鼓判の会社のブースを探したが、あいにく出払っていてつかまらず。それならば地下鉄でいってみることにした。わたしは海外で一人で乗った経験もあるし、大都会の地下鉄は難しいことはないので何の抵抗もなく、かえって面白がったわけだが、さにあらず。

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まず汚すぎ、ぼろすぎる車体に乱暴すぎる運転。怪我するかと思った。おまけにラッシュアワーと重なったらしく、東京なみのぎゅうづめ。どこまで乗っても一律40円という安さから庶民の足らしく、それこそほこりまみれの汗臭いメキシコ人と肌もふれんばかりで押し込まれ、そこへ駅ごとに物売りが乗り込んでくる。飴の束やCDなどを売るのだが、決まり文句を節をつけて怒鳴りまくる。もちろん誰も買わないから聞いているだけだが、これが痛い。大人ならまだしも、そのうち子供まで乗ってきていたたまれない、と思っていたらこれが曲者。たまたま席があいて座っていた夫のひざになにやら落し(わざと)、それを拾う風を装ってウェストポーチのジッパーに手をかけたというのだ。夫はジッパーに小さいカラビナのようなものをつけて開かないようにガードはしていたのだが、思わず手を払いのけたといっていた。

油断も隙もならない。わたしも荷物などもたず、デジイチなどとんでもなく、貴重品だけ肌身につけての移動だったが、常にお腹をおさえながらの緊張を強いられた。 

帰国して中南米エキスパートの達人の先輩にきいたら、メキシコの地下鉄はスリの天国だ、とのことだった。

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国立人類学博物館は広大でたしかに奥の深い立派な博物館であった。閉館まで時間がないので駆け足で全展示部屋をみたけれど、解説はほとんどスペイン語のみなので、ゆっくりみても大してわからなかっただろう。それでもパレンケの王様のヒスイのマスクがある事は知っていたので、それだけは見たいとおもった。マヤの各祭祀センター、オルメカ、アステカ帝国、どれもスマートにまとめられた展示で見やすかった。

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土曜日なので6時50分まで延長された閉館時間ぎりぎり、全部見終わった。さてホテルへもどるのに、どうしようというわけだ。地下鉄はもうこりごり。ぐるりと迂回するような路線乗り継ぎ(3路線)になるので時間もかかる。タクシーしかないなとおもうものの、ティオティワカンのトラブルもあり、流しは絶対ぼったくり間違いない。夫はわたしの片言で交渉してほしいという。しかたないが単語10個くらいしかしらないので、だれか捕まえようとおもった。見るとIDを首から下げたおじさん二人。これはきっと職員、てことは学もあるはず。英語しゃべりますか、と問うたら一人がYESという。やれやれ。「すみません、【空港までいくら】、ってスペイン語でなんていえばいいか教えてください」と教えてもらう。ついでにおおよその値段もきいておく。間髪いれず客引きにつかまるので、教えられたとおりのスペイン語をぶっぱなつと500ペソという(1ペソ8円なので4000円)。いやいや。MUCHO!といって拒否ると、しかたなさそうにタリフをとりだしてきて、aeroporte350というのを指さす。

ほんとは200くらいじゃないか、ときいてはいたが、聞いたおじさんも正確ではないだろうし、200とか250という数字がいえないのでしかたない。ウズでは書いて交渉したが雨もふっていたので手を打つことにした。

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息子は不安を示し、やめようよというが、通るコースをみても乗ってきた地下鉄に沿っているようなのと、車内がきちんと整理整頓して綺麗だったので、悪いヤツでもなさそうだと思い、気にしないことにした。このくらいの妥協と鷹揚さをもっていないと、危ない国での旅はできない。知らない事自体不利なのだから。ストレスとお金を払えば解決することとのバランスをとるのが肝である。

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無事空港までもどり、あとはお土産の調達と食事である。これまでの旅の経験として、地元のスーパーにおもしろいご当地のいいお土産が見つかることが多い。

が、町のスーパーまでまたタクシーもありえないので、空港併設のコンビニやスーパーで探すことにしてうろうろ。1時間もあるいただろうか。なんとか調達して食事となったが、これが空港だからめちゃくちゃ高い。パスタが3000弱もする。肉料理のコースにいたっては5000円くらいかかりそうだ。疲れたし、なによりメキシカンじゃないものがたべたくて、テイクアウトのイタリアンでピザやラザニャ、サラダを調達してホテルにもどる。

これまたスペイン語での買い物はわたしの担当であった。

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翌朝はいよいよ帰国便にのる。7時の便なので4時に起きてチェックアウト、UAのカウンターでヒューストンまでのチェックインをする。その後UAのラウンジでなにか食べようとおもったら、さすがメキシコ6時にならないと開けないといって、扉の前には10人ほどの人が立って待っているにもかかわらず、絶対時間まであかないのであった。

10分ほど待ってやっと座り、暖かい飲み物とサンドイッチで軽く食事。そう、メキシコシティは寒いのだ。びっくりなくらい。なぜなら標高が2200mを超える高地なのである。

昨日の観光時も雨がふっていたのもあったが肌寒くて、薄い上着では心細いほど。現地人は大げさにもウールのコートやらダウンやら毛皮の襟付きジャケットやら、冬支度であった。あっけらかんと抜けた空、サボテン、灼熱の日差しにテキーラ、などといイメージとは程遠く、どんより薄暗く、町も汚くくすんだ印象だし、治安もよろしくないことでメキシコシティの印象は良いものではなかった。

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2時間半の飛行のあと、帰りはどのくらい待たされるやらと戦々恐々だったヒューストンのイミグレは、なんと誰もいない。拍子抜けするほどあっけなく通過して、あとは会社向けのちゃんとしたお土産を買い込む。3人で相談して、帽子好きの下の子のためにいわゆるテンガロンハットを買ってみることにする。喜ぶかな?

テキサスはもともとメキシコだったところをアメリカがぶんどったので、メキシコ文化が色濃いし、独自の郷土愛が激しいらしい。石油がでて農業も盛んで豊かな土地なのだろう。ずっと日本語の家庭教師をしていた女の子のママがテキサス出身だったことを思い出す。こんなところから日本にきていたのだなぁとしみじみ懐かしく思う。

ヒューストンでもUAのラウンジでナッツなどつまみながら待ち時間を過ごし、いよいよ14時間半の機上の人となる。が、だれやら一人客待ちの挙句、取りやめになったから荷物を下ろすとかでかれこれ30~40分またされてやっと離陸。

往路とおなじくビジネスは1席ずつ入れ子で区切られ、完全にプライバシーが保たれてこの上なく快適であった。おまけに窓際をとってくれていたので、ずいぶん地上の風景を楽しむことができた。連呼するがアメリカ大陸を見るのは初めてなのである。今回はあらかじめ地図を確かめて、どんな街、どこの地域を通過するかしっかり見ようとおもった。コロラドの月がうたわれる乾いた絶壁の大地、あのあたりがグランドキャニオンだろうか、とか、アイダホのジャガイモ畑だろうか、とかああ、ロッキーなんだな、とか、飽きずに楽しく眺めていた。最後はアンカレッジの南を飛ぶのだが、雲が広がって憧れのアラスカを見ることはできなかった。

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機内食もがっつりおいしくいただいて、時差解消のためもあったが眠くもなかったのでほとんど寝ずに5本映画をみた。往路も5本みたのでハリウッドは見尽くして、しかたなく見たインド映画の「PK」が非常によくて驚いた。目からうろこで、思いもかけず引き込まれてしまった。テーマも重いものを軽やかに、だけれど唸らせる描き方をしていたし、映像も綺麗、役者の質も高く、もう一度見たいとおもうほどだった。他にはピクサーの「インサイド・ヘッド」。これもシリアスなテーマを取り扱っていて、子供向けアニメとしては地味だけれど、とても興味深いものだった。「ヴェルサイユの宮廷庭師」はアラン・リックマンの美学がにじんだ秀作であった。衣装や舞台が豪華ながらもリアルで美しかった。初めて気が付いた俳優、マティアス・スーナールツに注目。良い。

しかし長い長い14時間半のフライトもやっと終わって成田についたら、瞼がくっつきそうで頭は機能停止となっていた。さっそくかかってくる仕事の電話にもろくすっぽ記憶が回復せず、帰宅して夢遊病者のように片づけをして倒れこんでしまった

やはり新大陸は遠いですな。でも次に本格的に行くための良い下見になりました。

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金沢にて

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新幹線ができてにぎわっているという金沢へ、夫の仕事に付き合わされていってきた。 金沢は、白山に登ること、白山比め神社を信心していることから年に1度は必ず行く。今年も5月のGWにも山陰遠征の帰りに寄っている。 でも、今回は綺麗な格好をしてお客様をアテンドする事柄なので、いつもとは勝手が違うし行く場所もちがった。

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  べんがらと木虫籠          メインとなる朱のお部屋
日航ホテルはさすがのおもてなし。茶屋街では懐華楼という、一番の老舗の料亭?の見学をいたした。敏腕そうなおかみさんに圧倒される。 なんでもこのお店は一日1組しかお客を受け入れないそうな。もちろん一見さんおことわり~。たとえ一人でも、何十人でも一組は一組、なんだって。
お財布をださせるようなヤボなことはしないという。ではどうするかというと、盆と暮れに御明細をお送りするんだそうだ。それまでおいくら万円お支払うのかわからないわけです。どっさり余ってないと不安で夜も眠れないってことになりそうですな。
そしてこのお支払を一気に全額すると、それは「おまえのところはもう二度と訪れぬ」という意思表示になるそうで、心持ち残しておくものらしい。お遊びというのは不可思議な領域ですねぇ。
 
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 通りに面した待ちあい         玄関には燕除けがあった
 
金沢の茶屋は東、西、主計(かずえ)と3つのエリアに分かれている。東が一番大きいそうだが、それぞれに流儀も芸能もちょっとずつ違うんだそうだ。東には現在13名とおっしゃったかな、いらっしゃるのだそうで、新幹線のおかげで長野あたりまでご出張あそばすほどのご多忙ぶりとか。まだ暑い盛りの8月盆すぎに絽や紗の着物をきりっときこなしたおかみさんや芸妓さんたち。
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  中庭                   金箔の茶室
しかし、夜目遠目・・などとはいいませんが、やはり白粉・カツラは昼間みるものではないなあ。 まあ、夜もつば甚さんという、これまた老舗の料亭で夕食会だったのでそこでもたっぷり拝見したんですけどね。 しかし。女にはわからんですな。なにがいいのか。うん。 昔の友達に日本舞踊を大変熱心に勉強しているのがいたのだが、日本舞踊というのもよくわからない。かなり足腰使う重労働だなとは思いましたが、無粋なもので。。。
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 金箔入りのくずきりをいただいた。   太鼓の芸
そして踊りのほかには太鼓の芸がありましたが、これまた、結構な重労働を涼しい顔して汗一つかかずに披露されます。たいしたものですな。 金沢は一度も戦火に見舞われていない稀有な都市である。そして御三家に次ぐ勢力を誇った加賀100万石の伝統と誇りの都市である。現在も連綿と、武家時代のヒエラルキーが息づいているんだそうだ。 きっと生活すると小うるさい街なんだろうな。 京都もそうだけど、排他的でとっつきにくくて、見た目は綺麗で洒落てオツだけど、実はびしびしにシビアって感じがする。女の世界も怖いんだろうなあ~。
懐華楼のおかみさんも、みなの前でご説明のときにはあでやかな笑顔満面で達者な話芸を披露され、すごくお美しいのだが、裏方のほうでちらとお見かけした表情はニコリともしていなかったし。
しかし外国人にはうけると思う。京都よりは物価も安いし、こじんまりして回りやすいし、京都ほど混んでないし。実際たくさんの外国人観光客が訪れていました。 塗りもの、蒔絵、金泊細工、友禅、和菓子、と、いろいろお土産はありますが、帰りはじろ飴だけ買って帰りました。

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混乱のお盆

今年のお盆は親孝行の夏だった。

83と来年80になる両親を佐久の山小屋に招いた。おととしの5月、これが最後といいながら来ていたのだけれど、今年声をかけたら乗り気になったらしく。26年前に同じく一緒に招いたおば夫婦も、これをききつけてぜひ来たいというので喜んでご招待。
ちょうど4月に買い替えた山用のスバルインプレッサXVを使ってもらえるし、これで1週間好きなように高原で過ごしてもらえたらと。
 
 
8月9日の金曜日、仕事を終えて羽田に4人を拾う。小脳梗塞で倒れて奇跡的に復活した母は、以前のシャキシャキした人とは別人のように、杖替わりの傘にすがってよろよろと危なげな歩き方。父は足腰変わらず元気そうだったが、田舎からでてきたじじばば4人を引き連れて、帰宅ラッシュの京浜東北にのり、最寄り駅までなんとか連れてくる。
家で一休みしてごはんを食べてから、2台に分乗して佐久へ。1台は叔母か叔父が運転する予定だったが、長旅のあと夜の高速を遠距離、初めての車でとなると無理なので、急遽下の息子をかりだした。11時半ごろ到着。
 
翌日は勉強のある下の子を新幹線に送り、その後4人を連れてアテンド。1日案内してから私は帰宅する。翌日は帆船模型の教室で、先月お休みをしたので出ないわけにはいかなかったから。
ところが月曜、母から電話。出かけた先で車のエンジンがかからないという。XVは値段の割に最新のフル装備。キーレスエントリー、アイドリングストップ、アイサイトと、年寄にはめんどくさくてわかり辛い最新式である。心配がなかったわけではないので「やはり」という思い。
 
とりあえずロードサービスの連絡先は教えておいたのでその通りにしたという。
後で確認したところ無事復旧。楽しく名物の鯉料理など食して帰ったそうな。やれやれ。
翌日は一歩先んじて帰宅するおば夫婦を駅まで送る予定でエンジンをかけようとしたらこれがまたまたかからない。慌ててタクシーを呼んで叔母夫婦は新幹線に間に合ったのだが、残されたXVは仕方なく、両親が有料でJAFを呼んだとのこと。いわく、チャージャーに接続するとすぐに復旧、やはりバッテリーがおかしいかもしれないので(見た目は全然おかしくない)一度ディーラーで見てもらったほうがいいといわれ、さらにふもとのイエローハットでチェックして、可能なら買い換えたほうがいいといわれたそうな。イエローハットでも親切に調べてくれたが、どうみてもどこもおかしくないと。電圧もでているし、さっぱりわからないといわれたとのこと。
 
次の日、イエローハットにも絶対大丈夫といわれたのにかからない、とまた電話。しかたないので翌日5時起きでブースターケーブルを摘んで愛車ロードスターで駆けつける。
苦労してXVに近づき、つないだら一発復旧。切ると怖いのでそのまま買い物等、必要な作業をしに町へいき、わたしは午後の打ち合わせをキャンセルできないので12時ごろ戻る。
翌日、またかからないという電話。もう怒り心頭。この間、ディーラはどこもそのようだがお盆休みとやらでまるまる1週間応対なし。緊急ダイヤルがあるものの、ここは単に保険のロードサービスにつなぐのみ。そんなの、自分でできるし、でてきた保険やさんも、2日前に使ったので半年は使えないというし、バッテリー上がりの対応だと民間より高い有料になるという。原因がわからないのでどうしようもない。
 
結局、その日はあきらめてもらって夜中駆けつける。翌日1日休んで、この際だから精一杯の親孝行と思ってだんなのBMでエスコート。行きたがっていた長野の美術館や小布施やらに連れて行くも、お盆休みでどこも大混雑。小布施などは街中に近づくことさえできず、道の駅で栗おこわを食したのみ。
 
それでも最後夕方までの時間は、わたしが一番連れて行きたかったメルヘン街道の麦草峠へ。日本一という白樺林をみせたら二人とも大感激して喜んでくれた。よかった。
その日の夜から抜けられない山行の約束をしていたので、6時ごろ山小屋について別れる。別れ際、もしかしたらこうして一緒に楽しい思い出を作れるのも最後かもしれないと思うと、こみ上げるものを止められなかった。
翌日からは弟と姪っこが入れ替わるように山小屋を使うというので、結局レンタカーを借りてもらうことになったのである。
 
車の顛末。
動かないのでしょうがなく10日ほど山小屋に放置。次の日曜日、所用の帰りに無理やり立ち寄り、JAFを呼んで回収。一発回復、電気系統はちゃんと作動するのにセルだけが回らなかったのだ。いわく、バッテリーがいかれてるとしか考えられないから、このまま乗って帰ると、最悪途中で止まってしまうかもと。恐ろしい。ロードスターで一度経験しているから二度とごめんだと思い、JAFが連絡してくれたという小諸のスバルに入庫。ところがいってみると話が通じない。浦和のスバルからも事情きいてるでしょ、といってもきょとんした様子。時間もないのにさらにイライラ頭にきて、大きな声をだしてしまう。浦和の営業にも電話したところ、佐久市内のスバルに連絡していたとのこと。JAFのお兄ちゃんは、佐久にはピットがないからダメといったのだが、実は小さい作業場はあったらしい。それでは話が通じるわけがない。。。。
 
単純にバッテリー積み替えるだけのことなのに、話が通じてないから1時間もかかる。
その後帰宅して2日後に浦和に持ち込む。かくかくしかじか。厳しい山へのアプローチに使うために選んだ車なのに、ロードサービスも呼べないところで止まるかもと思うととても乗れない、なんとかしてくれと散々文句をいって、徹底的に調査するよういう。
結論としては、出荷時のバッテリー不良という。そんなんでいいのか。
 
この騒ぎのおかげで楽しみにしていた両親の旅も台無し、こちらは貴重な休みと平日の高速代やらガス代やら使って2度も往復、バタバタまともに寝られないような大騒ぎでへとへとになってしまい、被害甚大である。ちなみにこの間にかかった費用はなんの保障もされない。翌1週間は疲れ果てて蕁麻疹まで出る始末。
 
車の保証期間の半年以内ということでバッテリーだけは無料で交換となった。
お詫びに、JAF1回有料分相当のオプション品をプレゼントしますとのことであった。
しょぼい。
車の問題は別として、両親と叔母夫婦はそれなりに楽しんだといってくれ、最後は親子水入らずでドライブして、たくさん話もできてうれしかった。
倒れて退院してから1年半、ひさびさに会った母は老いていて泣けた。
 
父はやめろというのに、山小屋の屋根に、その辺の木を切って作った素晴らしい梯子をかけて登り、積もった落ち葉の掃除や、屋根にかかった高枝をきったり、草刈りをしたり83とは思えない達者ぶりであった。少しでも長く元気なままでいてほしいものである。

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大雪山縦走

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夏休み第一弾で北海道は大雪山の縦走にいってきました。

3年前、ピストンで大雪、十勝、トムラウシを登ってから、いつかやりたいと思っていた大雪山縦走。どうせやるなら全山一番長いルートで、と思った。
だから層雲峡から入山して富良野まで通し、さらにふつう十勝岳温泉に降りるところ、あえてニングルの森をゴールとした。
結論として大雪はすばらいしい。北アとは比べる尺度が違うけれど、やっぱりピカ一である。
どこにもないここだけの素晴らしさだ。本当に行ってよかったと、心から思い、また行きたいと思う山域だ。
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なにしろ雄大。そして厳しい。カムイミンタラ(神遊びの庭)なのである。
特にトムラウシの続き、山川台は筆舌つくしがたい。
桃源郷、ユートピア、理想郷、天国、極楽という言葉が頭のなかをぐるぐる回る。
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とはいえ、ずいぶん前に大量遭難をだして世の話題になったトムラウシ、まさにその南沼テン場にいたときに地獄のような嵐にあい、生まれて初めて停滞をした。
極寒、明け方は氷点下で、起きてみたら5cmの霜柱という状態。1昼夜半吹き荒れた暴風雨がトムラウシの頂を超えて吹き降ろす、ジェット気流とも思える轟音におびえながらひたすら好転をいのりつつ、しかし、停滞はほぼ冬眠と同じく、夢うつつ。寝ているとも起きているともいえない状態で、おなかも空かなければトイレもない。ただひたすらシュラフにくるまって朧な世界に揺蕩うのであった。ちなみにテント紐が2か所も切れる暴風雨だった。
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1日耐えれば回復するのは最初からわかっていたので停滞したのだが、予報どおり、翌日はドのつくピーカン、というより4泊5日の間、荒れたのはその一日だけで、あとはずっとピーカンの幸せな山行であった。
そして、停滞している間、この天気で歩いている無謀な人もいるやもしれず、そうしたら事故は確実だな、と思っていた通り、その日、凍死遭難された方があったのである。しかも大量遭難の現場、北沼だという。祟りというか呪いというかそんなものすら感じる。実際、わたしが北沼を通過するときには、写真を撮る気もしなく、そこだけ妙に冷たい空気に背筋がぞくっとする感じがした。
十勝を超えるころから疲れと、タンパク質不足と熱中症がではじめ、内臓にきてしまって飲めない、食べられない。何も考えられないし、嫌気がさすし、足も全く動かないながら、必死で富良野岳にのぼって、山頂から旭岳を振り返った瞬間。不覚にも涙がどっとあふれた。
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ここまでよくあるいた。毎日10時間歩き続けて、実質3泊4日で層雲峡からここまできたとおもうと、心から泣けた。
しかし本当の試練はここから。ほとんど踏まれていないニングル森への下山路は、まず頂上直下の超絶ザレの急坂。こけつまろびつ。しかも赤布もペンキ印もなくルート不明瞭。
簡単にラクになってしまうようなひどい状態。ここを小1時間も耐えたところ、一気に膝にきてしまい、水がたまるほどに。その後1週間膝を曲げることが困難なほどだった。
ザレをなんとか処理したら今度は雪渓やら藪やら沢でルートが消える。えらい目にあった。
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さらに、やっと平原(湿原)に出たと思ったらいきなり長径45cmはあろうかという、巨大ヒグマの足跡と、洗面器山盛りいっぱいはあろうかというほやほやのウンチを発見。
まいった。オプタテシケの急登より実はここが核心だったといってもいいかもしれない。
ドキドキして大声をだしながら、なんとか通過。やっと富良野分岐まできたときには疲れ果てていた。
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そこからがまた長い。ここからは赤布はあるものの、やはり荒れた登山道といわざるをえない。時間も確信がもてたので、ここからはゆっくり休みながら下る。
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そしてニングルの森登山口に到着。このときはうれしいよりも早くトイレにいきたくて、感動どころではなかった。
余った時間は釧路湿原までいって、カヌーで川下りをしたり、十勝川温泉の甘い香りのモール泉を楽しんだりしたのだった。
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行ってよかった大雪山。すばらしい山旅でした。

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念願のペルシア 7 ガムサール、カーシャーンからテヘラン

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イスファハンを堪能して、今日はペルセポリスと並ぶもう一つの目的、イランのバラ園を訪ねるのだ。わくわくするが、なかなか距離があるのでしばらくは移動となる。
ドライバーはイスファハンまでのザッレさんにかわって、ニヒルでダンディなゴレスタンさん。
ちなみにペルシャ語でゴレ(ゴッレ)は花、スタンは土地とか場所を表す。花園さんってところでしょうか。
302img_3100_3郊外へでると、そこはもう、なにもない。ただの荒野。どこまでもどこまでも、まっすぐな道路の両脇は荒野である。山とはいえない、丘程度のものが連なり荒涼としているが、なぜだかこんな光景はわたしの感情の奥深いところをくすぐる。
たまにでてくる緑の一画は個人所有で、これは国が「ただであげますから灌漑してくださいよ」ということらしい。だが、水や電気というインフラを整備して、農園にするにも資本が必要。一般市民ではなかなか無理なのだそうだ。廃墟となったキャラヴァンサライもいくつか通り過ぎる。
 
目の前の光景はそんなようすだが、遠くへ目をやれば雪を頂く山脈が連なっている。前にも書いたとおもうが、イランには最高峰ダマバンドのあるアルボルズ山脈がカスピ海沿い、国土西方から南へ向ってザグロス山脈が長く伸びている。
強い日差しを避ける為、車窓には日よけがつけてあるのだが、その隙間から山並みを眺めていたら、すっとゴレスタンさんが日よけをとってくれる。お。
 
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助手席にのっている阪野さんがまぶしそうに手をかざすと、今度はそちらにすっと日よけを取り付ける。
もちろん運転しながらである。おお。
1時間ほど走ったところでドライブインにはいる。ゴレスタンさんはピクニック派でないのか、まぁ、そもそも木陰のない地域ではあるが、備え付けの湯沸し器でお茶を作ってすっと差し出してくれる。おおお。
 
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このように、ニヒルでダンディなゴレスタンさんは、ほとんど声を発しないのだが、サービス精神旺盛でまるで騎士のようである。そんなことを阪野さんに言ったら、「そうなんですよ、イランでは男気というものがまだまだ大事にされているんですよ」とのこと。弱気を助け強きをくじく、とか、男は黙って○○、みたいな。いいねぇ。

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ここでまたイラン薀蓄。イランは鉄道が発達していない。交通はもっぱら短長距離バス、タクシーとなるようだ。そこでこのタクシー業者の権益保護がえらく厳しく、短距離と長距離(都市間)では営業許可が違うらしい。A町のタクシーはB町では営業できないし、長距離の都市間タクシーは、時間ごとにチェックポイントでチェックを受ける。これは、途中の町で勝手に営業しないために、時間管理しているのだそうだ。そういえばイスファハンでタクシーを拾った時。たまたま声をかけられたおじさんでなく、隣のに乗ろうとしたところ、声をかけたおじさんが憤慨して、こちらの運転手にいちゃもんをつけた。どうやら「俺が先につばつけたんだぞ、横取りすんな」ということらしい。結局、こちらの運転手が引き下がり、我らはおじさんに拾われることになったが、車中まくしたてることには、「最近よそ者が流れ込んできて商売するから、イスファハンの業者はえらく迷惑しとるんだ、なんであんたらは俺が声掛けたのにあっちにのろうとしたんだ」というような。そんなこと言われても・・と阪野さんが話したら、ちょっと落ち着いて「すまんかった」といったらしい。イランでも世知辛いものはあるんですな。てことは、あのザーヤンデ川のおばあさんも、もしやよそ者?
 
さて、途中目に入った面白いものをゴレスタンさんが珍しく解説してくれた。それもそのはず。世界で話題のイランの核施設が、普通に国道沿いに展開しているのであった。国内に二つあるというウラン濃縮施設のひとつ、ナタンツの施設である。道路に撮影禁止の看板が立つようになると、遠くに建物がみえてくる。近づくと点々と対空砲というのか、飛行機を狙うための戦車が配置され、兵士の隠れる小さな建物もたくさんある。
ものものしいとも言えるが、どちらかというとえらくオープンだな、とおもった。わたしはてっきり、荒野の山間の人里離れたところにあるんだとばかり。つい先日もアメリカの無人探査機が落ちてきたそうだ。
核もねぇ、持ってる国がなにいってもねぇ。あ、これ書きましたね。直近、なにやら合意が成立したそうで、経済制裁が落ち着くといいですね。というか、制裁という言葉自体、どうかと思う。
 
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そうこうするうちにやっと目的のガムサールに到着。ここはあまりガイドブックにはでてこないが、薔薇水をとる薔薇園があるところだ。ぜひに、とリクエストして旅程にいれたのだが、残念にも1週間はやかった。まだやっといくつか蕾がほころんだところであった。以前は100鉢のバラを育てたので、相当数の種類も見極められるようになったのだが、薔薇水をとる品種はイラン名「ゴッレムハンマディ」、日本で流通している「ロサダマスケナ」と思われる。
ガムサールは高地に位置する村で、つい1ヶ月くらい前まで雪があった冷涼な場所だそうだ。
 
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薔薇は乾燥冷涼な気候を好む。とあるお店で薔薇水をつくる蒸留窯をみせてもらう。もう1軒別のところでは実際に薔薇水を試飲させていただいた。
そうです。薔薇水って、アラビアあたりではお客をもてなすときに手を洗ってもらうのにつかったり、オードトワレのような使い方をするのだとおもっていたのだが、イランでは何よりも漢方というかハーブというか薬草というか、そういう観点でも代物なのだ。
だから飲む。これが苦い。一口含んでうぇっとなるくらい。とてもごくごく飲めるものではない。だが、イランの人はペットボトルで何本も買い物をしていた。
 
このように、イランでは薬膳的な考え方で食事をとらえる。このお店の女性のように、なんでも教えてくれる薬草ソムリエとでもいうべき人がいて、困っている症状を話すと適した処方をしてくれるのだそうだ。特に資格を持った人というわけではなく、長年の口伝とか代々伝わる製法などによるようだった。
 
そしてこの薔薇水。飲んだときは苦かったのだが、それから30分は自分の吐息はまるで麗人、楊貴妃もエキゾチックな匂いを発していたというが、エチケットとしても最高、自分でも胃のなかからさっぱりして清浄な気分で大変よろしかった。
 
そのあとゴレスタンさんが苦労してみつけれくれた薔薇園でほんの0.5分咲きくらいの薫り高き薔薇に触れてから次のカーシャーンに向かう。カーシャーンのほうが薔薇水では有名なのだが、こちらは販売店が充実している印象。
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 左:ぐずってビービー泣いていたのでカメラを向けたら瞬時にしてこのカメラ目線
 
お昼どきなので、古いキャラバンサライを改装したレストランにて、伝統料理の「ディズィ」を食す。
ここはゴレスタンさんの出番である。皮下脂肪が限りなくゼロに近そうな腕に壺を抱えて、まずはスープを全部べつに移す。くたくたに煮込まれた羊肉と豆とお野菜を、陶製のすりこぎでゴリゴリとつぶす。つぶす。またつぶす。そうしてぐちゃぐちゃになったものを薄くて硬めのナンにつけて食すのである、トマト味のスープは別途いただく。なんか、うーん。儀式ばってるけど、そこまでする意味がいまひとつわからないお料理であった。
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ところで、ゴレスタンさんの愛車もプジョーである。このお車、朝方乗った途端に思ったのだが、音響に手を入れている。流れる曲も都会的で洗練されていて、思わず聞き入ってしまうナンバーがおおい。ちなみにザッレさんの車ではラジオから流れる演歌チックなイラン歌謡というべきものであった。ゴレスタンさんの手元に目をやれば、SONYのロゴ。後ろをみるとリアテラスにスピーカーがのせてある。
ランチ時の会話の種に、「ゴレスタンさん、車の音響いじってると思います。いい音ですねって伝えてください。音楽もいいですねって。」と阪野さんに通訳してもらうと、ゴレスタンさん、何も言わずにかすかに頬を緩める。ニヒルな男は顔にださないのである。しかし、よほどうれしかったのか、ランチ後に乗り込んだら前にも増して大音量でノリノリな音楽を流してくれた。サービスてんこ盛りで恐縮です。
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向かったのはタバタバイーという、昔の貴族のお屋敷である。大きなお屋敷で、美しいステンドグラスが多用されたステキな館であった。ここで我らが阪野さんに感動の再会が訪れた。
ガイド学校時代のお友達がアメリカ人のお客をつれてガイド中、ばったり遭遇したのである。
二人は黄色い声をあげて抱き合い、しばし言葉が止まらない。わたしとアメリカ人老夫婦はまわりで微笑ましく見守るだけだった。お友達は阪野さんがあのすさまじい3・11の犠牲の関係者で、当日目の当たりにされた経緯や、イランでものすごくがんばっている日本人女性なのだということを、自分の客に誇らしげに紹介する。
 
別れた後、阪野さんが嬉しそうに、そして感慨深そうにおっしゃる。イラン人と同レベルで国家試験を受ける阪野さんのハンディを、もちろんご本人のすさまじい努力もあるが、そういう仲間が一生懸命に支え、助けてくれたのだそうだ。だからイランを離れられないんですよ、と。そんな素敵な人たちが住む国なんですね。
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さて、ゴレスタンさんに乗せられて次に向かうのは、フィーン庭園であった。ここはあまりマークしていなかった、というかどちらかというと興味レベルは低いほうだったのだが、行ってよかった。この国での水の貴重さ、水のもつ癒しの力、どれだけ人間が水を必要とするかを再認識させられるだけでなく、視覚的にもとても美しい。青みを帯びた澄んだ水が滾々とわいてチャポチャポと流れていく。これが一人きりで味わえたらなあと叶わぬ贅沢を思ってみたりする。
 
またここは、国民的人気のある昔の政治家アミール・キャビールが、時の為政者によって殺された場所でも有名らしい。現場の浴場には蝋人形でその場面が再現してあり、修学旅行と思しき子供たちがワイワイしていた。フィーン庭園は、世界遺産である「ペルシャ式庭園」の一つであるのだが、この最高峰がわたしの根源的憧れの的である、アルハンブラ宮殿建築群のフェネラリーフェ「アキセアの中庭」なのだということをこの度初めてしったのであった。好きなはずだよ。
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このあとカーシャーンの町で薔薇のエッセンス(香料)とオイルを購入。薔薇水を買うつもりだったが、脆弱な瓶やペットボトル入りなので、長い輸送には絶え得ないであろうといわれ断念。断腸の思いである。
カーシャーンからテヘランまではこの国唯一の自動車専用有料道路が走っている。とはいえ、イランでは高速でも一般道でも最高速度は120キロと決まっているので、何が違うのかな~と素人には思えてしまう。
とろとろ居眠りもするうち、都会の風景が近づいて、やがて混沌の市街に吸い込まれる。
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テヘラン。そこは交通においてカオス、阿鼻叫喚、フリースタイル、なんというのか、一切の交通ルールはなさげ、片側2車線の交差点にも信号がなく、車は阿吽の呼吸ですり抜け、突っ込み、流れていく。
それは誠に絶妙で巧みなのだが、ドライバーはどの人もカッと目を見開いている。そうでなければとてもこの交通地獄を生き延びられるはずがない。一瞬の油断も許されず、瞬時の判断が常にもとめられる。
わたしがいちいち、ヒィ!とかぎゃあ!とかうそ!とか言うたびに。ゴレスタンさんは「静かにしてな」とでもいいたげな苦笑を漏らす。規律正しい日本人である私には、それは無理というものでございます。。。
あまりに交通量が多すぎるので、テヘランではナンバーの末尾偶数奇数で、市内を走れる日を制限しているそうだ。けして道路が狭いわけではない。ところによっては片側3車線あるのだから。
そして若い人の死因の第一位は交通事故だそうだ。さもありなん。実際我々の車を左右から抜いたバイクが、目の前でがしゃん! ところが二人は、「あ」という様子を見せた後何事もなかったように走り去っていった。恐るべし、テヘラン。
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  ゴレスタン宮殿は鏡装飾で豪華絢爛。でもわたしは趣味じゃない。
 
翌日。実は阪野さんとはここでお別れとなる。10時にテヘランに到着する次のゲストをひろってシラーズに戻るためである。もともと最終日は英語ガイドで、という話だったのでそれはよいのだが、わざわざ探してくれたテヘラン在住という日本人女性のガイドさんが、急遽でられません、とのことでキャンセル。
こまった阪野さん、お知り合いでもあるホテルのオーナー、イスマイリさんに英語でのガイドを頼んでくださった。
 
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  タイル絵には偶像、しかも裸体。しかも天使?不可解だ。
 
というわけでイスマイル氏に連れられて、まずはバザール。食べてみたかったサフランアイスを御馳走になる。そのあとゴレスタン宮殿へいって、絵などながめ、国立博物館へいって優秀な石器やペルセポリスから運んだ本物のレリーフなどに感心する。
そのあとは北部の避暑地、ダルバンド地区へ向かい、すずしい川床のお座敷でランチ、公園内の最後の王室の離宮など観覧してホテル帰着。最後の夜は一人さびしく部屋でピザなどいただいて、旅の締めくくりとなった。
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バザールのドライフルーツと水タバコで寛ぐ女子高生。ふつうのことらしい。
 
思うに、テヘランは割愛でよかった。観覧したところはどこもまぁ、そこそこという程度の興味しかひかなかった。やはり歴史や自然のエネルギーがないと、いまひとつ盛り上がれない。バザールも初めてではないので一人でぶらぶらした方がより面白かったろうと思った。
イスマイリさんの英語はとても癖があってなかなか疲れたし、実はアーブギーネのガラス博物館をリクエストしていたのだが、気が付いたときにはすでに時遅し、訪ねることができなかったのが心残りであった。
まあ、まだ何回も行きたいので、次の機会に譲るとしよう。そういことに神様がしてくださったのだと思う。
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北部避暑地のダルバンド地区。お洒落なディスプレイはドライフルーツ
こうして、念願のイランの旅が終わった。お金はかかったけど、やっぱり決心してよかった。一生の思い出になる深い旅だった。

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念願のペルシア 6 イスファハン

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簡単な朝ごはんをいただいていると、阪野さんも現れたので一緒に。そこへ男性も合流。なんでも前の部屋からちょうどでてきたから「おはようございます」と挨拶したところ、聞けば同業のガイドさんとのこと。そこから情報交換が始まったようで、ペルシャ語が飛び交う中、わたしにもわかるように英語にしてくれたり日本語も混じったりで、忙しくも会話が弾む。
そこでわかった驚きの事実は、「昨日からペルセポリスを含むシラーズ周辺の観光ポイントはすべてクローズ」。ぎゃー!そんなタイミングに会わなくてほんとによかったー!阪野さんによると、こういうことはちょいちょいあるそうで、ホントに困るのよね、ガイド泣かせでと嘆きまくりです。そりゃそうですよ、旅行者泣かせでもありますよ。楽しみにして、お金と時間と気合を注入してやっとたどりついたら「本日休業」なんて、死んでも死にきれません。
彼は東洋人のおばあさん(台湾か香港かという感じ)のガイドで、北西部のザンジャンという街(ソルターニィエという遺跡がある)やアサシン教団で知られるアラムート城へ行ってきた話、山も登るらしく、登山のガイド時の話もiphoneの写真を交えながらたくさん紹介してくれた。
どれもこれも魅力的で心魅かれまくる。イランは本当に広くて見どころもたくさんで、2回や3回では見切れないとことがよくわかった。
フリーで回れると思ったが、やはり国のことを良く知る人の話を聞きながらの方が、うんと味わいが増し勉強になると思った。ただ雰囲気を味わうだけなら一人でもいいんだが、この国は知識を得てナンボという面白さに満ちていると思う。
 
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さて、イスファハンの街へ繰り出す。まず向かうのがイマーム広場。明るい陽射しの中でみると、思ったよりも距離感が小さい。ゆっくり歩いてアーリー・ガープー宮殿に入る。ここは音楽室を見たかった。壺の形にくりぬかれた穴が音響のためとされている。フラッシュ禁止で薄暗い為、写真はうまく撮れなかったが、ちょうど居合わせたドイツ人団体客の一人が、アイフォンで古楽を慣らしてくれた。その場にいた人全員、しばし古の時間へと旅する。欧米人の団体客が多く、かなりのご高齢でありながら急な階段を上り下りするお達者な方が多かったのには感心した。
 
イマーム広場全体を見渡すテラスには王様がたっただろう。今では水はないが、ちいさな池もしつらえてあった。豪華な織物や宝石、歌や踊りや香りに包まれていたのだろうけれど、現在は工事中の足場がたくさんかかっていて景観を損ねていたのが残念だった。
 
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次にマスジェデ・イマーム(イマームモスク)へむかう。イワーンから斜め45度に建設されたドームが絶妙な効果を生み出しているとのこと。これは実はメッカの方向をむかなければならない関係上の工夫だそうだ。地短い通路をでるとそこには大きな中庭があり、ドームへはさらにもう一歩必要である、どこもそうなのだが、イワーンはそれぞれ独特なデザインと工夫がしてあり、どれもを見ても素晴らしい。イワーンはペルシャの発明なのである。さらにそこには絢爛華麗なムカルナス(鍾乳飾り)が施される。これも美を追求するペルシャの発明なのだ。まだトルコのイスラム建築を見ぬ段階ではあるが、やはりペルシアの建築の美しさは、単に豪華なだけでなく、神に近づく精神の高揚感愉悦感をいや増しに増す、極上の美の昇華なのだと思う。
 
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少し勉強したところによると、建築学者神谷氏による分類では、モスクの典型は大きく4つ。モスクの基本形であるアラビア式は祈り主体の簡素なもので見た目の工夫もほとんどなく、壁のうちに中庭を持つもの。そこから派生したペルシャ型はミフラーブの明り取りである小ドームを大きくして強調し大き目の空間ができた。それが発展して、対面と、両脇の回廊にもつくられるようになったのがペルシャ式4イワーン中庭型だそうだ。トルコ式はその空間を巨大なひとつのドームの下にもってきたもの、なぜならペルシャに比べて寒く、露天はつらいからだそうだ。最後のインド式は中庭を持たず、前面にむかってのみ展開する形。これは外にアピールしたいインド人の特性からくるらしい。
詳しくはこちら
 
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         先ほどの中学生の男子もやってきて、お坊さんと交流していた。
 
マスジェデ・イマームに戻ると、残念ながら数日後に迫ったイスファハンのなにかの催しのため、中庭には日よけが一面に設置され、空も見えず本来の美しさを堪能できなかった。側廊から礼拝堂にはいると、たくさんの観光客のなかに中学生くらいの男の子の集団がいて、先生のお話を聞いていた。修学旅行かなと思いながら、すばらしい緑と黄色をちりばめた柚彩タイルに埋め尽くされたドームに感嘆していると、男の子たちが謳い始めた。阪野さんに尋ねると、これは学校で教えられる「私たちはこのように信仰を守ります」と唱える唱らしく、真剣で純粋な男の子たちのまなざしに圧倒され、涙がでてしまった。信じることは力である。それが宗教だろうが個人の信条だろうが、信じることで人は力を得る。だからこそ正しさとは何かを深く考えなければならない。
そしてこんな純粋な目を、日本の同年の少年たちは持っているだろうか?と思う。これほどでないことは間違いない。
日本は恵まれすぎているが、世界の貧しい国で、幼いころから人を信じられない環境で育つ子供は、希望を持てない環境で育つのと同様、もっとも悲惨で憐れである。悲しむべきことが世界にはたくさんある。神様は何をしていらっしゃるのか。
 
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ドームをでて右方向へいくと、そこにはマドラセがあり、現役のお坊さんが逍遥していた。学問の合間の気分転換なのか、穏やかにキャンディを差し出しながら話しかけてくれた。どのくらいの期間ここで学問を修めるのですか、ときくと、最低でも10年、長ければは30年以上とのことだった。それだけの精神力と集中力を生み出す信仰の力はやはりすごい。
 
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静かな気持ちでイマームモスクをでて、次に向かったのがシャイフ・ロトフォッラーである。こちらのドーム天井の模様はイスファハンの人の誇りのようだ。それもそのはず。イマームモスクよりもさらに感動的な美しさなのであった。その理由は、ドーム頂上にあいた空間から差し込む光と、精緻で完璧なバランスを生み出すクジャクの羽根模様である。
蒼い空間にシャラシャラと音を立てるように細い光が降り注ぐ。ドーム基部にぐるりと設けられた窓からも天国を思わせる光が入る。その分量は、ドーム内の幽玄と神秘を損なうことなく、多からず少なからず絶妙である。繊細でこまやかな美であった。うろうろするのもはばかられるほど圧倒的な美の下で、東洋の異教徒は息を飲みながら動けずにいた。
 
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左:シャイフ・ロト・フォッラー、右:ぼけたけどマスジェデ・イマーム。色調の違いがよくわかる
 
イランいち美しいといわれるこのモスクは、建築家には垂涎の建造物のようで、なぜならその入り方が奇特だからである。最初イマームモスク同様、45度の角度で折れた屋根付きの薄暗い通路が90度、さらに90度と二度折れたのちにわっとドームの空間に飛び出す。陳腐な言い方をすると、昨今のアミューズメントパークを思わせるような期待の後に意表を突くような創作がなされているのである。素人にもわかる秀逸さである。
 
このモスクつくられた目的は、レバノンの高名な聖職者であり哲学者であった、シャイフ・ロトフォッラーを迎るためである。アッバース1世が、このマスジェデを捧げるからどうか来てくれということで建造されたそうだ。そうまでして乞われるとは学者冥利につきるというものだ。私的な建物により、イワーンも中庭もない。
 
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一人で美に陶酔しているところへ、静寂を破る女性の声が。なんでもイスファハンラジオ局のレポーターなのだが、明後日から開催されるイスファハンの大きな催しのため、外国人観光客にインタビューをしているから受けてもらえないだろうか、とのことだった。光栄なのでわたしでよければとお答えする。メインインタビュアーらしき男性の意図を、つっかえつっかえ、若い女性が英語にしてくれる。まずはどうしてイスファハンにきたのですか?と。単刀直入というかシンプルというか・・。何とも答えにくいが、「ペルシャという国の栄光に憧れ、興味のあるイスラム建築の中でも華といわれるイランのモスクをみたくて、さらに世界の半分とたたえられた栄光の古都をこの目で見たくて」と答える。
その後もいろいろな質問に答えていると、不思議そうな顔で阪野さんがそっと近づいてくる。なにやってるんだろう、と思ったらしい。そして、見かねてペルシャ語で仲介を申し出てくれてからは、ラジオの人もほっと一安心、スムーズに楽しくお話がすすんだ。
途中、阪野さんの興がのってくると、インタビュアにむかって日本語で普通に話していて、みんなきょとんとする場面もあり、大笑いであった。
最後、名刺を交換してからお別れする。こんな出会いが楽しい。
 
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  マスジェデ・ジャーメ。こちらはイワーンもそっけないほどに見えてしまう。
 
イマーム広場を堪能して、次に向かうのはマスジェデ・ジャーメ。金曜モスクである。ここは古い時代のゾロアスター教寺院の上に建てられ、火災などを経てどんどん増設されて拡張されていった。その拡がり具合はなかなか無造作で面白い。イマーム広場のモスクとちがい、こちらは敢えてレンガのみ。柚彩タイルのない、土色一色である。地味だけれど力強さはある。柱も重みに耐えかねてずれていたり、古さ加減が新鮮でワクワクする。迷路のようなアーチの森を進んで到達したミフラーブには、漆喰彫の美しいミンバルが置いてあった。これは時の王(モンゴル系)がイスラムに帰依し、その信仰の篤さを示す為のものである。その純粋で真摯なひたすらな想いが伝わってくるようで、一番心に残るものであった。
 
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異様なほど荒れた感じのミフラーブと、漆喰に彫られた装飾。素朴だけれど暖かい。
続く間には、イランの建築に特徴的なバードギールがあった。これは風を取り入れて天然のクーラーにする工夫である。ひんやりして気持ちがいい。ヤズドにあるものが有名だが、わたしは行かなかった。ま、どこでみても大差はなかろうと思われる。ついでながら、ヤズドで観光客が立ち寄るのは、他に鳩の塔などがあるが、これもいかなかった。ほんとはチャクチャクに立ち寄ってみたかった。ゾロアスター教の聖地、イスラムでいえばメッカにあたる。すごい荒野のようで、心惹かれたのだがまたいつか。
 
お昼はイマーム広場前の大通りのお店で。キャバブとにんにく入りヨーグルトを食す。これはなかなか斬新であった。いちど部屋にもどって休んでから、午後の部はまずハージュ橋へ。またもラッキーですね、といわれたのが、この橋のかかるイスファハンの大きな川、ザーヤンデ川に現在たっぷり水が流れているからである。間もなく上流のダムで止められて農業の灌漑用水にまわされるのだそうだ。深さは膝くらいまでというけれど、幅の広いゆったりした美しい川を早い流れが踊る様は見ていても心躍るようで、たくさんの人を引き付けていた。ハージュ橋は唯一、タイル装飾を持つ橋なのだそうだ。これは建築学的に見てもめぼしい研究対象のようである。
橋の基部もそのまま向こう岸まで続いていて、正式な通路と別に歩いて渡れるようになっていたが、そこにはたくさんの人が憩っていた。
 
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次はスィー・オ・セ橋へ向かう。途中、街中を散策しながらである。イスファハンは、テヘラン、マシュハドに次ぐ都会なので、通りに並ぶ店舗も多く見ごたえがある。品物は質もよさそうだし見た目にも大変おしゃれで洗練されている。面白いのは、ある種の商品を売る店は固まって存在することである。カバン屋通り、靴屋通り、鍋釜屋通り・・のような感じ。消費者からすると便利だが、地の利がかなり作用する気がする。ペルシャは昔から商業には敏感だったとのことだが、人々は手に手に買い物袋をさげて高そうな商品も売れていた。豊かな国なのである。ちょうどよいくらいに。豊かすぎるのも問題であるからして。
 
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ここからタクシーを拾って向かったのがアルメニア地区である。ペルシャがアルメニアを征服したときに、イスファハン造営時に動員された(連れてこられた)人達のための地区ということだ。隔離といった方がいいかもしれない。
アルメニアという国名に聞き覚えはあっても実際にどこにある国なのか、この旅でやっと認識した。イランの北西で国境を接する。隣はアゼルバイジャン。イラン北西部はこれらの国の民族がまじりあっているらしい。
 
アルメニアといえばアルメニア正教である。アルメニアは世界で最初にキリスト教を国教とした。ローマ帝国より早いのだ。東ローマ帝国とササーン朝ペルシアのはざまにあって、ゾロアスター教徒から激しく迫害されたそうだ。近代ではトルコによる大虐殺があった(トルコは認めていないそうだけど)そうで、このモニュメントが敷地内に設置してあった。
そのアルメニア人地区で唯一観光客に公開されているのがヴァーンク教会であった。
なんというか・・・。だからキリスト教って・・・といいたくもなるような。すさまじい迫害の描写が壁といわず天井といわずびっしり描かれている。それも怨念のこもった粘着質な感じのタッチで、写実的でもなくデフォルメでもなく、どうにも表現しがたい胸の悪くなるような絵なのである。もう、入った途端に負のエネルギーをどっと背負わされるような・・。他にこんなことする宗教あるだろうか?わたしは浅学にして思い当たらない。非難しているわけではないですよ。ただ驚く。
ウィキペディアには、この地区の人は宗教も生活もペルシャ帝国によって保護されたとあるが、なにが真実なのかよくわからない。お互いに自分の側にたった主張しかしないものだ。
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げっそり気分はこんな風景で癒しましょう
 
げっそりして光のもとにでてから、さらに向いの展示館へと入る。これも知らなければならない、見なければならないという、半ば義務感に駆られる気持ちである。阪野さんも最後まで見られないとおっしゃるその迫害の証拠の最たるナニカの展示物は、ちょうどトルコによる虐殺の100周年の行事か何かで、どこかへ出張しているらしく見られなかった。正直ほっとした。こちらは平和な、髪の毛に書いた聖書の文句を顕微鏡でみてここを後にする。
必要なことではあるが、重い気持ちになってしまった。人間による人間への虐待行為は古今東西、内容の軽重を問わず、絶えることなく続けられる。滅滅としてくる。考えなければならないことだが、きっと解決策はないのだろう。パンドラが箱を開けたせいなのかどうなのか。
動物はどうかと考えてみると、ないだろう、多分。攻撃はしても、虐待はないな。類人猿は別として、どうして人間だけがそうなのか。だからこそ宗教というものがあるのか。ならばなぜその宗教が率先して虐待を行うのか。わからない。
 
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                         楽しい水遊び
囲いの外へでて繁華街を歩く。イスファハンで予約の取れない人気高級ホテル、アッバーシーの中庭へはいってみた。お茶するにもお高いので、座っただけですが。東洋人は旅行者まちがいなし、ということで特に宿泊者かどうかとがめられることはなかったが、微妙にスリルがあった。
ここでなんだか見たような顔の男性が。今朝がた、ご飯をたべながらお話したガイド氏であった。偶然。というか、どうしても同じような日程になるということなのだろう。
時間は4時頃であったが、有名な中庭でくつろぐリッチな感じのお客たちは、巨大なボウルいっぱいの何かを盛んに食べている。これはイラン人の好きなおかゆのようなものらしく、具がこんもり乗っていて実にうまそうであった。次にいったらぜひ食べてみようと心に誓った。
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                      壁に絵が。あまりにかわいくて。でも暗くてピンボケ
そうこうして暗くなるまでぶらぶらしたあとスィー・オ・セ橋の河畔へもどる。なぜならこの橋はライトアップされた光景が見ものだからだ。まだ明るさの残る中、びっしり陣取っている人たちに交じって腰を下ろすと、すぐに両隣の人から話しかけられる。阪野さんは左の男性と、わたしは右隣りのおばあさんと。
といってもおばあさんはペルシャ語しかわからないので、ここぞとばかりに「旅のゆびさし会話帳」を取り出す。なんとかかんとか会話らしきものを成立させつつ、おばあさんはカバンからカボチャの種を大量に取り出してわたしに握らせる。なんでも家族が癌を患って大変だったという話を、そのまた隣の全然知らない御嬢さんが片言の英語にしてくれた。こんなふうに、その場で出会った全くの他人でも、なんの衒いも迷いもなく普通に会話を始めるイランの人々。根本的に人を信じられる社会なのだろうなと思う。
 
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  少女が被り物を付けるのは9歳からと決まっている。 灯りの入った橋のたもとで。
 
心を満たすものが何か知っている民族だ。
だが、笑えるのがここから。しきりに話し込んでいた阪野さんが左にいた男性もまじえて、わたしのほうの会話に入ってくれたところ、おばあさんが発言する。いわく、「イスファハンは綺麗ないい町だけど、人は最悪!」と。そして「キリスト教徒はウソつかないけど、イスラム教徒はウソをつくからだめ!」とか、わたしからすると思いもかけないことを主張するのだ。しかも驚くほど激しく。阪野さんと男性も困った顔をしながら聞いていたけれど、あとから「何か嫌なことでもあったんでしょうかね」と結論。。
宵闇にオレンジ色に浮かび上がるスィー・オ・セ橋は美しかった。異国にいるだなあと感じるひと時である。
 
このあと、どうしても気になっていた絨毯やさんにまだ舞い戻ってしまい、さんざん悩んだ挙句、記念の一枚を購入することになった。クムの絨毯は、結婚したばかりのころ、街で夫と一緒に見たときに素晴らしさに驚き、その時にしっかり心に刻まれた思い出のあるものなのだ。
 
イランはクレジットカードが使えない(現金のみ)ので、まさか高額の買い物はしないと安心しており、完全にひやかしのつもりで見学にはいった。見るだけならただ。買えないんだから大丈夫と。
さすがに素晴らしい商品の数々に、「カード使えれば買うんだけどなぁ」と冗談のつもりでポロリと口にしてまったのが命とり、なんと、さすが商売上手じゃないですか。使ってもいいですという。こうなりゃ覚悟をきめないと女じゃない。
 
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  スィー・オ・セ橋の通路下部分は歩いて通れるようになっている。右の小部屋は王様のための小部屋。
  今は誰も入れない。
 
ただし、ちょっとだけ現金で、という。それで、ちょっとだけの部分をわたくしが担当。あとは夫名義のカードでお支払とあいなった。もちろん了解はとりつけてありましたよ。クムの絨毯は絹100%であるのが特徴で、ペルシャ絨毯の中でも白眉の最高級である。工房がいくつもあって、有名工房の作家ものは、小さいものでもゼロが7個はつく。上等のシルクでこの世のものと思えぬ手触り。少し角度を変えただけで輝きも色合いも変わるのが素晴らしい。1㎝四方にノットが12×12あるのが最高なのだそうだ。散々迷いに迷って決めた一期一会の絨毯(といっても玄関マットサイズ)を大事に抱えて帰ることになった。
 
帰国して同等程度の絨毯がどのくらいのお値段か調べてみて勝利感。わたしは半額以下で手に入れられたようだ。にんまり~~。
本当は工房を見に行きたかった。ウズベキスタンでは織っているいるところをみたけれど、やっぱり本場でみたかったなあ。そしてぜひ古い絨毯をみたかったのだが、手違いで絨毯博物館に行くことができなかったのが痛恨である。
こうしてイスファハンの夜は更けていくのであった。

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念願のペルシア 5  ヤズド~イスファハン

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さて、黄昏時になってヤズドに到着。まずは今宵のお宿へ。
よくある、古い邸宅を改造して部屋数の少ないこじまりしたお宿にしました、という類。ブティックホテルとか、モロッコだとリアドと呼ばれるような。
このヤズドの町が、ウズベキスタンのブハラと酷似していた。建築物も迷路のような旧市街のつくりも。違うのは、その迷路の途中で、ちょいちょい深い階段が地下へと続いていたこと。これは共同の水場、カナートへの階段だそうだ。もうひとつは、その迷路に消える真っ黒い人の後ろ姿があったこと。このチャドルの人の後ろ姿というのは、なぜにこうまでそそるのか、と思うほどよかった。
だが、みなさん、なぜか早足、かつ光量も不足で、味わい深い後ろ姿をまったく写真に撮れなかったのが残念。
 
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のちにテヘランのガイドに、ブハラと酷似の件を伝えてみたところ、「そりゃそうですよ、昔はうち(ペルシャ帝国)のものでしたから」のような言いようであった。誇り高いのがうかがわれるが、それは少し乱暴なおっしゃりよう。一時期、という言葉を添えなければ。
中央アジアの歴史を簡単に勉強したが、ブハラやサマルカンドのあるアムダリア、シルダリアにはさまれた一帯は、非常に複雑な征服被征服の歴史を繰り返している。遊牧民族と定住民族のせめぎ合い、西から東から征服者が来ては去り、国が興っては滅んで行った歴史は面白い。イランに行ったことでそのあたりの理解がぐっと深まったのが嬉しかった。
 
部屋は満室で、阪野さんとザッレさんは同系列の別ホテルへ。
晩御飯の待ち合わせまでさっそく一人で飛び出した。ほんとうにひっそりして古い雰囲気がそのまま残っている魅力的な旧市街。騒音もなく余計な看板や旗もなく、とても趣深くて美しい。ゴミひとつ落ちていない。背広を肩にかけたとっても粋なおじ様に出会ったので、写真をとらせてもらったりして市内散策及び晩御飯に合流。夜も8時9時になるというのに、お祈りにくる人のために管理人のおじいさんが働いている。親切にいろいろと説明して見せてくれた。マスジェデ・ジャーメは閉門。
 
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この日のディナーは人気のあるレストランにいく。ここも昔のお金持ちの家をを改造したホテルのようで、中庭に池を囲んでぐるりと桟敷があって、そこでいただく。イラン名物のオムレツ、麦のスープ、鶏肉のクルミとざくろソース煮込など大変に美味。ここで食べたご飯が一番ローカルでかつおいしかった。中東は羊とトマトだけ~という国が多い印象だが、イランのお料理は種類も豊富でとてもおいしい。薬膳の考え方も大変うれしい。でも、街中でもちょいちょい匂ってくる度、阪野さんが溜息をついていた「羊の頭まるごと煮込み」は怖いもの見たさがあったのだが結局目にする機会は得られなかった。イラン人の大好物だそうだが、20年以上生活して羊もスパイスも最初から問題なかったという阪野さんでもまだ無理なんだそうだ。多分マグロの兜煮も、よその国ひとからみたらそう思えるのかもしれない。
 
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   価格交渉で困るおじさん       おいしかったヤズドのごはん
 
部屋は小さかったけど、シャワーを浴びて寝るだけだから問題ない。静かなのがなにより。ぐっすり眠って翌日はピックアップまで中庭を囲むダイニングでお茶をいただきながら朝ごはん。じっくり記録を書くことができた。
 
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    朝のダイニング             誰でも飲める水飲み場
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  右:お祈りが終わったばかりのミフラーブ。丸い石はシーア派独特のもので
    この上に額をのせる
 
ピックアップされてまずは迷路をブラブラ歩きながら、昨夜ご飯に行く前にちらっとよったマスジェデ・ジャーメへ。ちょうど礼拝が終わったところで、黒い人たちがぞろぞろと出てきた。そういえばイランではアザーンを聴かなかった。個人的にはとっても好きなので感知力は問題ないはずだが、気が付かなかっただけなんだろうか。
一説に、アラビアは教義を最優先するので、アザーンもとても大切にされるという。誦じる人も厳しく選ばれ、抑揚も美しく念入りだ。ほんとに聞いていてうっとりするような美声と抑揚なのだ。
これがモロッコあたりにいくと、かなり適当なんだそうだ。イランやトルコも、モスクを見ればわかるとおり、アラビア方面よりは芸術の面に重心が移って、アザーンの取り扱いもやや軽めなのかもしれない。違っていたらごめんなさい。勝手な想像です。
ヤズドのマスジェデ・ジャーメ(金曜モスク)はイランで一番高いミナレットを有する。青い光でライトアップされた夜の姿が美しくて、旅行サイトのトラベラーさんの間でも、上手な撮り方が話題になっていたようだったが、三脚もない私には無理。トライはしたけど散々だった。
 
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  イラン一高いミナーレ          今度は写真学校の女生徒に囲まれる
 
ヤズドのモスクに特徴的なのは「ヤズドブルー」と呼ばれるタイルである。ボケボケで残念だが、本当に目の覚めるような美しい明るい青で大好きだった。それから、見上げる高いドーム天井はモンゴル支配時代の特徴とのこと。シラーズのモスクに比べるとかなり力強い。煉瓦に彫った透かし模様も同じく特徴だそうだ。
 
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ヤズドでは年に一度、盛大なお祭りがあるそうだ。ゾロアスターのお祭りである。そこに担ぎ出される山車の骨組みが置いてあった。同じだ。山車をひいて練り歩く。そう、もうすぐ7月。京都で行われている祇園祭の山車にも、ペルシャから渡ってきた絨毯が飾られることはつとに知られている。昔の人は今では想像もできないほどの時間と努力で、文化を伝えあったのだなぁとしみじみ思う。時間の単位が違います。これが歴史の味わいだと思うのよね。
 
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   左:右側にあるのが山車の骨格    右:「撮らせてください。」「 うむ。」
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 趣のある旧市街、民家のドア。今では貴重。古い家を建て替える度に
 ヨーロッパ人が来て買い漁っていったそうだ。たぶん安値で。なんか悔しい・・・。
 
 
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次に向かうのがゾロアスター教の寺院。礼拝が行われる信者の寺院は異教徒は入れないが、ここは誰でも入れる。1500年燃え続けている聖なる火が安置されている。かのゾロアスター(ザラストゥラ、独読ツァラストラ)が点火したそうだ。炭はレモンの木が一番良いとされるそうだ。だが、沢登で焚火には一家言持つに至ったわたくしが思うに、炭から常に炎を噴出させるのはなかなか難しいものである。一説に、この火は時折消え、素知らぬ顔をして継ぎ足される・・・という噂があるようだが、真偽は定かでない。
隣にはゾロアスター教を知るための展示館が併設されている。お坊さんは全身白一色の衣のみ。興味深いのは、火を汚さぬよう、マスクを装着するらしい。
 
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  左:モスクのステンドグラス      親切なモスクの係りのおじさん
 
思うのだが、キリスト教、特にカトリックの僧侶が高価なものを身に着けてジャラジャラ着飾るのはいかがなものか。そもそもイエスの教えは野のユリのように・・・ではなかっただろうか?宗教と財力、昔からある話だが、どうもね。人間のすることだな、と思ってしまう。
わたしは織や刺繍に強い興味があるので、西洋の僧侶の衣装などは工芸品として非常に評価するし価値を感じるが、宗教的切り口からは馴染めない。
 
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聖なる場所としても、どうもキリスト教の教会はごてごてしておどろおどろしい感じがあって、好まない。もちろんそうでないものもあるが、全体の印象としての話である。スペインやイタリアなどは骸骨オンパレードだったりするし。バロックの装飾もおなか一杯でうんざりしてしまう。仏教も禅寺は別としても、似たようなものだ。ごちゃごちゃと装飾だらけだ。たとえば建物の彫刻などは素晴らしいが、本堂の中はちょっとなぁと思うところが多い。チベットの極彩色はそれなりに乾燥した高地の空気に映えるし、強烈な紫外線に耐えるべき発明かと思うのだが、曼荼羅にしても派手さで圧倒するような面があろうかと思う。そうやって無知蒙昧な人間に神仏の罰の恐ろしさを示し、教化しようとしたのだろうが。
だから私はイスラム寺院が好きである。造形として美しいだけでなく、イスラムの寺院はミフラーブとお坊さんの座るちょっと高い階段があるだけで、キリスト教や仏教のような内陣・アプスのようなたいそうな構造はもたない。偶像崇拝をしないからである。
これは一理あると思っている。信仰ってやっぱり精神世界問題で、物質的なものではないと思うから。
もうひとついうと、ヨーロッパでキリスト教の教会にも多用されるドームが生まれたのは中東である。中東から中央アジアにかけては日干し煉瓦が簡単につくれ、乾燥もしていたことから建築技術が非常に発達したとのことである。
 
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お寺も奈良のお寺や各地の神社にいくと、すっきりシンプルでごちゃごちゃキラキラしてなくてほっとする。
祈りの空間ってやっぱりシンプルなのが基本じゃなかろうか、と個人的には思う。
他の物事で威信を増そうというのはどうもね。
それぞれの信者の方には申し訳ないが、個人的にそう思う。
以上はすべて、それぞれの宗教のすごさ素晴らしさ、価値を認めたうえでの好みの問題としての発言です。あしからず。
 
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ゾロアスター教は今ではインドが一番信者が多く、細々ながら生き続けている。某教と違って異教には比較的寛容なイスラム教であるが、少数派になったゾロアスター教も駆逐され迫害もされた歴史をもつ。が、イランの若者はゾロアスター教の方がいいという人もいるらしい。しかし、イスラムからの改宗は死刑を意味するので、そう簡単なものではない。逆も真なり。若い人は自由がないといって、亡命を望む人もいるようだが、受け入れ先も最近は渋くなっているそうだ。
でもね、なんでも在ればいいってものではないですよ、ほんとに。
「在る」事によっていらぬ害悪が生じることも真実である。
ちなみにかのクィーンの名ヴォーカリスト、フレディ・マーキュリー、名指揮者ズービン・メータもゾロアスター教徒(パールシ―と呼ばれる)だそうだ。
 
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   沈黙の塔、右と左ふたつ。        死亡通知の掲示板
 
さて、次は車に乗ってイスファハンへ向かう途中で、ゾロアスター教の鳥葬が行われた「沈黙の塔」に立ち寄る。他にも鳥葬場はいくつかあるようだが、ルート砂漠の端っこに位置する沈黙の塔は荒涼とした場所で、他に人もいなかった。風が吹き抜けていくしみじみさびしいところだった。靴も服も埃で白くなりながら、2つある塔のうち、小さい方に登る。30mも登るかというところ、くぐり戸のような入口を入るとけっこうな広さの円形広場になっている。真ん中に一段低い穴があって、鳥葬があらかた済んだ人がそこにおかれたという。
 
亡骸はゴミとして扱うチベットの鳥葬と違い、ゾロアスター教の場合は遺骨は持ち帰る。
だから、持ち帰れる状態になるまで、ひたすら塔の近くで待ったのだそうだ。
1ヶ月近くもかかるらしい。気の長いお話である。その間の生活はどうしていたんだろう。。。さすがに写真を撮るのははばかられ、少し肌寒さを感じるその場所に固まったように佇んで、阪野さんの説明に耳を傾けた。鳥だけでなく、1,5mほどの囲いを飛び越えて、それこそピューマやヒョウや山犬もしくはオオカミがやってくることもあったそうだ。
 
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 左:ナイーンという町でいただいた鱒。養殖技術が導入されてお魚がおいしく食べられる
    ようになったと嬉しそうな阪野さんであった
 右:どこの民族だか聞き忘れたが、きっちり伝統衣装に身をつつむおじいさん。
    こんなところ、なかなか頑固な国民性?クルド人も衣装で一目でわかる。
 
ここでまたイラン薀蓄。
イランでは現在も土葬である。しかも亡くなってから24時間以内に埋葬しなければならない。だから、死亡確認がなされたら即刻、街角の掲示板にお知らせが張り出される。モスクでも他のなにをさておいても葬儀の予定が優先される。日本と似たような造花の花輪が手配され、これが多いほど人格者実力者の証となる。そうして必ず横向きに、そして完全に融解するための薬品と共に埋葬される。最近では広大な国土といえど埋葬地に苦慮する場合も多く、一定年月経過したお墓は公園に改造されるそうだ。
しかし思うのだが、24時間って短くない?アメリカで最近、死んで埋葬された猫が5日後に自力ではい出したっていうニュースがあった。まぁ、猫は死なずに9回生まれ変わるというけれど。
 
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 どんだけお菓子の写真撮るんだって話です・・・ホントおいしかった。
 
寂寞としたこの場所を後にしてイスファハンへと向かう途中、阪野さんが知っているおいしいチーズケーキのお店があるからというのでピクニックのお供を調達に。残念ながらそのお店はなくなっていたが、別のケーキ屋さんにはいってみる。お菓子はその国の文化程度が如実に現れると思っているが、イランはなかなかである。フランスの影響があるのかもしれないが、飾りもおしゃれで見た目に綺麗だし食べてもおいしい。家族が多いからサイズも巨大である。みたこともない、多分30㎝台のデコレーションに各種プチフール、クッキー、ペストリー、パイ、チョコ類キャンディ類と、だだっぴろいお店のショーケースにこれでもかと詰まっている。そして購入はキロ単位である。1キロ、なんていうと「ケチね」と言われるんだそうだ。驚きである。
 
それでいて、ロシアなどと同じく、若い女性はすべからくほっそりして小柄である。痩せているのが美の基準らしい。暑い国とはいえ、お菓子を キロ単位で食べていたら太るはず。こんなお菓子誰が食べるんだろう?多分おじさんである。男性も若いうちはマッチョなのが理想らしく、筋トレしてムキムキになるそうだが、おじさんは恰幅のいいのが実力の証明となる。おばさんもなかなかの押し出しである。それはそうでしょう。無敵のチャドルを身に付ければ3段だろうが4段だろうがおなかの地層は見えませんもの。
 
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    美人さんばっかりです        美人の卵さん
 
若い女性については、人それぞれ信条によるらしいが、ぴったりスリムなジーンズなども普通に見かけ、かぶりものも前髪がふわりとでるような緩いつけ方の人も多かった。昔は前髪がちょこっと出ても怒られたんだそうだけど。
とはいえ、革命前は被り物などはほとんど見かけなかったらしい。
この被り物、紫外線の強いイランでは実は有効だと思う。髪の毛が傷まない。乾燥しているから汗もかかないので暑苦しくもなかった。ただ食事時は少々邪魔であった。
なれないので、肩掛けバッグのヒモに引っ張られてずり落ちたりして、阪野さんに直されてばかりいた。
 
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  若い男性はそういえば写真が見当たらない。興味がなかったんだろうか。
  そのかわりとっても若い男性を少々。男の子はどこの国でも幼いですね。
 
男性についていえば、非常にかっこいい。というのは気持ちが(もちろんビジュアルもアーリア系だから基本的に彫が深くて秀麗である)。 
日本では今や過去の遺物となった感の「男気」が厳然と存在しているようだ。無理しても我慢してもかっこつける、義理人情に篤く、弱きを助け強きをくじく的な「ザ・オトコ」な人が生きているらしい。
おいしいお菓子をお供に、ピクニックをはさみながら一路イスファハンへ。昼ご飯はナイーンという静かな町のレストランで。都会になってしまったシラーズも、昔はこんなふうにのんびりしていたのになぁと阪野さんが懐かしい目をしていた。
ナイーンは絨毯の産地の一つで、白っぽい色使いが特徴のようである。レストランにもすばらしい作品がたくさん飾ってあった。壁かけとして使われる絵画的なものもたくさんあって珍しかった。
 
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                         敵国?のケンタッキー発見。
イスファハンに到着したのが4時過ぎであった。ザッレさんはここからシラーズまで戻らねばならない。行程6時間ほど。気を付けてね、ありがとう、とお別れをする。
まだ夕陽には間がある時間。しばし自由時間としてくつろぐ。このホテルも貴族の館を改造したとかで、かなり大きな建物であった。ご自慢は屋上のくつろぎスペース。チャイハネにあるような桟敷椅子がたくさんならんでいる。その一つを占領して、写真の整理や書き物にいそしむ。
やがて急に空が暗くなったとおもったら雷鳴とどろき、いきなり大粒の雨。すわと避難してしばし待ったら止んだ。乾いたイランにも夕立があるんですね。
そして面白いのが夕立後。車がまっしろになってしまうのだ。巻き上がった細かい砂塵がくっついてしまい乾くと真っ白になるというわけである。車だけではない。服も靴もカバンもそうなる。それでもイランの人は構わず、嬉々としてそんな雨のなかに飛び出していくんだそうだ。
 
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  マスジェデ・イマーム  夜景     イマーム広場バザールの絨毯やさん
 
さて一休みしたところで、市内散策にでかける。いよいよ世界の半分、イマーム広場を見に行くのだ。どんな風だろう、1000年前のそこで、大学者イブン・スィーナ英語名アヴィセンナが忙しく活躍していたのだと思うと、胸が熱くなる。当時のイスファハンははイスラム世界だけでなく、世界の文化的中心地のひとつであった。学問、芸術、医療の中心で、各地から大学者を招き、たくさんの学生がマドラセで切磋琢磨していたのだった。イブン・スィーナを知ったのは、アメリカの作家ノア・ゴードンによる「ペルシアの彼方へ」という作品においてであった。ペルシアと名がつくものならなんでも飛びつく中でもこれは秀逸な作品で、すっかりファンになってしまった。映画化もされているが、こちらはだいぶ史実と違う描き方になっているとのことで、評価が低い意見もあるようだ。
 
夜のイマーム広場は甘やかな匂いに満ちて、人々がピクニックを楽しんでいた。
長大な回廊はバザールとなっていて、8時を過ぎても仕事熱心であった。マスジェデ・イマームは美しくライトアップされていた。
ゆっくり散歩をしながら晩御飯へと向かう。この日はモダンなホテルのレストランでビュッフェ形式の夕食。野菜が食べたいね、ということで、豊富な野菜料理のあふれるお店でいただく。タクシーでホテルまでもどりこの日は終了。明日は一日イスファハンを堪能する予定である。

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念願のペルシア 4 ペルセポリス~パサルガダエ~ヤズド

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さて、おいしいイランのお菓子をごちそうになり、いよいよ阪野さんのオフィスを出て、ペルセポリスに向かう。シラーズから車で2時間少々かかる。
ドライバーのザッレさんの車はプジョー。イランはどうやら昔からフランスとつながりが深いらしく、現代も西側の中では一番経済的政治的に近いらしい。走っている車はほとんどがプジョーかルノー。アメ車はほぼ皆無。なぜなら経済制裁とやらでとんでもない値段がついているかららしい。日本車・ドイツ車も高いらしく、これもめったに見かけなかった。ヒュンダイが少しいたかしら。ちなみにテヘラン価格でプジョー405が90万といっていた。いいなぁ。それに対してクライスラーは500万とか。
 
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  左:ピクニック風景            
  右:ペルシアが原産、ざくろ。旬は秋。今回は残念ながら合わなかったので次回はぜひ
 
途中、ドライブインのようなところでザッレさんが熱いお湯をポットに充填する。イラン人はお茶が大好き。こうしてポット常備。よさげなポイントを発見したらしく休憩タイムである。道端の木陰にて、ささっとシートを取りだし、ポットにお茶に、ガンドといわれる角砂糖とスティック状になったサフラン入りのザラメ砂糖でピクニックである。ほんとにピクニックの達人なのである。特にザッレさんは「こんなふうにすぐポイントをみつけられるのは誰でもできるもんじゃないぜ」と自慢していた。これ、日本で書くね、と約束したのをやっと果たせた。
   

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   左:羊飼い                右:ドライブインの種、タネ、たね。。。
 
 
イラン人はガンドを口に含みながらお茶を飲む。サフランのスティックは、掻き混ぜて使う。紅茶はなんでもないティーバッグだけどおいしい。本格的に家で飲む場合は、サモワールという特殊な道具で下から温めて蒸らしながら茶葉が開くのを待つのだそうだ。街のショーウインドウでもたびたびサモワールを見かけた。ドライブインにも巨大な湯沸しタンクが備え付けられているのがすごい。無料でははないようであった。
ブドウ畑の隣、アーモンドの木の下にてしばし歓談しつつ休んでいたら、そばを羊飼いが通った。ワンコが2匹、立派に仕事をしている。
 
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 左:きれいな緑いろの目の若い子    右:レストランでおねだりされた子
 
ここでまたイラン薀蓄。イランでは猫は大変好まれ愛されるが、犬は人気がない。それどころか嫌われているらしい。これは、ムハンマドが猫好きであったことと犬はオオカミの親戚という感覚があるからのようである。今でも禿山にはピューマやヒョウがいるのだそうだ。イランに猛獣って意外な気がするが、ペルセポリスのレリーフにもさかんに獅子がでてくることから、この地域は猛獣の生息域である。キュロス王やダレイオス王が狩りをしていたのはインドライオンといって、今では絶滅した、小型のライオンらしい。ペルシャトラもいたらしがこれも絶滅。残念なことだ。ちなみに現在世界で生息している虎は、アムールトラ、ベンガルトラ、、アモイトラ、インドシナトラ、スマトラトラだそうだ。大型猫族はほんとに美しくてかっこいい。大好きだ。
 
こういう観点からも冒険心を掻き立てられる。わくわくゾクゾクするではないか。旅をしていたら、目の前の丘にすっと四足の影が立つ。ふと気が付くと後ろの岩陰に光る眼がある。なーんて、ドキドキだ。お話の世界だとうまいこと逃げられるが。
 
で、犬だが、大都市テヘランでやっと最近、ペットとして飼う人がちらほら出てきた程度だそうだ。だが愛されている猫も、飼うという行為はないそうだ。あちこちで見かける猫は自由に生活しているようで、毛づやもよく落ち着いている。いじめられることがないからだ。そして日本の野良猫のように鼻気管炎をわずらっていたり目やにがでたりという、病気のネコは全くみかけなかった。乾燥しているおかげで病原菌に感染することも少ないのかもしれない。人を恐れず寄ってくる。レストランでおねだりしてもだれも追い払ったりしない。猫好きとしては誠に嬉しい光景である。ではペットとして飼うのはなにかというと、小鳥である。
 
そしてブドウについて。このシラーズは良質なぶどうの最も古い産地の一つである。紀元前さかのぼること…たくさん、とおもわれる。この良質なブドウを、フランス人が持って帰って、アルコールご法度のイスラムでできないワイン製造の花を咲かせたのである。「シラー(シラーズとも)」ってありますね。あれです。ところが調べてみると、シラーはフランス原産としているものもある。フランスの横暴に間違いないと思う。
 
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  左:各種ドライフルーツ。杏が多い。 
  右:こちらはオリーブ。クルミとアンズまぶしなど多種多様でおいしい
 
バサールではプリプリの干ぶどうがとてもおいしそうだった。良質なのが見てわかる。
イランのブドウの仕立て方が独特で興味深かった。一般に実を摘み取りやすくするため、低く横に広く長く蔓を張らせて作るのに、イランでは一本一本独立で蔓を延ばしていなかった。これが不思議で理由を知りたい。知っている方、教えてください。
 
次にアーモンドについて。ウズベキスタンで教えてもらったことだが、アーモンドの花は天国の花としてイスラムでは愛される。また、中東というところはナッツが良くできる風土であり、アーモンド、ピスタチオが特産でとってもおいしい。種好きにはたまらないのである。何を隠そう、わたしもピスタチオ1kg抱えて帰ってきました。
 
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  左:アーモンドの若い実     右:ナッツをゆでたものにスパイスがかけてある。
 
このアーモンド、普通は種の部分をいただくが、なんとイランでは、青い実のままでもたべるんだそうだ。このピクニックした場所にも青い小さい実がなっていて、たべてみたら柔らかくてほの酸っぱい。バザールでも試食させてもらった。本当は塩を振って食べるのだそうだ。イラン人はすっぱいものが大好きだそうで、お料理も酸味が強い。バザールでは乾燥させたかちかちのレモンがあって、これは煮込み料理に使うのだそうだ。暑い国だからだろう。ヨルダンも食事は肉・豆に塩とヨーグルやトマトの酸味のみであった。その他の中東諸国はどうなんだろう。行ってみねば。
 
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そうこうしているうちに車は整備された一本道を走り、両脇に瑞々しい木々が増えたとおもったら、しずかに広い駐車場に停まる。ああ、みるのがもったいない。正面に広がる丘。あれはまちがいない。かの地である。長い間、あれかこれかと夢想していた場所。教科書でなんどもみたレリーフがあるところ。ついに来てしまった。来ることができるなどと、つい昨年まで思ってもいなかったのに、本当に来てしまった。ペルセポリス。ペルシャ語でタフテ・ジャムシード。
入口で阪野さんがチケットを購入してくださっている間待っていると、小学生の低学年らしい団体がやってきた。なぜか彼らは色とりどりの衣装を着てはしゃいでいる。なんだったんだろう。その一団を微笑ましく見送り、いざ、正面の丘につづく広大な一本道を行く。明るい日差しと真っ青な空。ペンキをぶちまけてニスをぬったみたいな透明感のある青だ。水分という夾雑物がないから、青の波長の反射も鋭いのだろう。
 
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5分ほどで大階段基部に到達。すでに欧米の団体が陣取っていた。隙間から覗くようにして配置図を確認しながら阪野さんの大まかな説明を受ける。このペルセポリスは紀元前520年アケメネス朝ペルシア帝国のダレイオス1世によって造営が始まった。その後何代もの王により増設拡張されながら、紀元前331年、アレクサンドロス大王によって破壊されるまで帝国の重要な都市とみなされていたが、実際にどのように使用されたかは未だに謎がおおいそうだ。アレクサンドロスが略奪した金はなんと3000トンに及ぶという。
 
さて、胸を躍らせながら進もう。ゆっくりと広い石の階段を上がる。不覚にも鼻の奥がツンとして涙目になってしまう。2500年前の人と同じように東洋のなんでもない人間が歩いていると思うと、隔てる時の大きさを越えて存在する驚きに打たれる。踏み幅はとても浅い。馬に乗ったまま進めるように、またたくさんの人が横に並んでお話しながら上れるようになどの説があるそうだ。
 
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180度に折れて2段上がると、そこは明るく広がる空の下、王都であった。階段左手、クセルクセス門である。どれほど見たかったことか。高校生のころから古代文明には激しく惹かれており、自分はエジプト人の生まれ変わりであるなどと信じてみたりしていた人間だが、各国の古代文明の中でこのペルシアの遺跡の造形美にもっとも親近感を持ち惹かれていたのだった。シンプルで明るくてからっと乾いてそれでいて繊細。おどろおどろしさがなくて明快なのだ。クセルクセス門の両側に空の一点を見つめて立っているのは、人面を持つ有翼の牡牛である。残念ながらのちのイスラム系支配者によって顔を削られてしまった。
 
壁のレリーフには獅子に襲われる場面があちこちに配されているところによると神聖視したものでもなかろうと思う。もっとも大切な正面門が牡牛であるわけが知りたい。この牡牛は翼をもっている。その拡がり具合が誠に美しくていつまでも 見つめていたい。
 
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                          この後ろの山から石を切りだした
 
割合狭い門の間に入って見上げると、ああ、これなのだ。本物の楔形文字が2500年の時をこえて歴然と存在していた。これをみたかった。古代の人が、高い知性や力や感性をもった人たちが、丁寧に、ひとつひとつ、何かを伝える為に刻んだものだ。その人たちには家族があって、毎日仕事のあとには団らんがあったり、おいしいものがあったり、歌や踊りがあったり、ケンカがあったり出会いや別れがあったり。。。遺跡が示すのは支配者たちの力だけではない。それを作った人たちのことをわたしは深く思う。振り返ると、高台のこの古代の王都から、遥かに広がる国土が一望できる。緑の塊があったり荒野があったり、この空の下に、人間は営々と生き続けてきたのだ。
 
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    左:馬の門、創作中       右:完成版
 
深く魂を揺さぶられてアパダナへは進まず、そのまま遺跡の奥部の方へ進む。左手に唐突に1基あるのが柱頭に置かれていたらしい「ホマー」である。イラン航空の尾翼にもあしらわれる双頭の鷲で、イランの象徴として使われる。まるっこい顔立ちは愛嬌を感じさせる。この平な部分に板を渡して天井を形作っていたそうだ。木はどこから持ってきたのだろう。そしてこんなに重そうなものをよくも柱の高きまで持ち上げたものだ。
 
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  左:ホマー。やけにすべすべ      右:柱の基部
 
そのまま進むと、壊れたまま転がる柱のパーツがごろごろしている。宮殿群の柱は、おおきな切り石をまず積んで、必要な高さになった後から上から下まで通して縦の溝を掘って装飾としたそうだ。だから石の切れ目でも溝のデザインが途切れず、見た目にすっきり美しいのだそうだ。また、土漠の中、切り出した大きな石は貴重である。ちょっと欠けたくらいならもちろん修理して使用するのだ。丁寧な仕事である。
 
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次に立ち止まるのは百柱の間。軍隊に謁見した場所とされる。戦士のレリーフや王の玉座のレリーフ、その王が獅子を倒しているレリーフなどが残っている。王の玉座の後ろにはどの遺跡でもかならずホウキのようなものを手にした人が立っている。これは蠅払いなんだそうだ。そして獅子を倒すの図では、ライオンが王の剣を防ごうと手をかけ、足で王を蹴り飛ばそうとしている。実に活き活きとした表現だ。良くない王様なら「けしからん」などといいそうだが、さすがペルシアの王様は懐が深い。だからこそ、バビロンにとらわれていたユダヤ人達を解放したあとも宗教や文化を許容した。
 
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ちなみにバビロン捕囚を解放したとき、当時ペルシアで信仰されていたゾロアスター教が多大な影響を与えたことを知った。ゾロアスター教は一神教と終末思想に基づく世界で最古の体系的な宗教だそうである。この影響を受け、現在のユダヤ教、キリスト教、イスラム教という一神教が出来上がっていった。拝火教という呼び名が内容よりも独り歩きしている感がある。ただ火を崇める宗教かと思いきやさに非ず。世界は善神アフラマズダと悪神アンラ・マンユの戦いで、最終的に善が勝利する。
 
信者はただ「善い事をおこなう、善い事を考える、善い事を言う」の3つの教えを守る単純明快な宗教である。のちにゾロアスター教の聖地のひとつ、ヤズドを訪れるので改めて述べることにする。
 
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タフテ・ジャムシードの後ろの山崖に王墓が造られたが、そこにもゾロアスターの守護霊「プラヴァシ」から王の印の輪っかを授かる王のレリーフがある。墓は2基、アルタクセルクセス2世と3世のものだ。前者だけ登ってみた。一段と高い場所で、少し息が切れる。眺めは感動的であった。昔と同じ光と風が、王墓を守っていた。途中、高校生の女子軍団に囲まれる。きゃーきゃー言いながら一緒に写真を撮れという。噂には聞いていたが照れてしまう。スカーフとサングラスでほとんど顔もわからないはずなのに、どうして東洋人とわかるんだろう。男性とは無理だろうが別にこんなおばさんと撮ってもねぇとおもうけど。
 
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その後いよいよアパダナへ向かう。謁見の間の階段のレリーフは有名である。獅子が牡牛を襲うレリーフがあちこちにみられるが、複数の親方によって彫られたせいで雰囲気が少しずつ違う。正面からのレリーフはなんとも活き活きとして軽やかだ。続く壁一面に朝貢の図。各民族の特徴をとらえた繊細な彫だ。丁寧な仕事である。石はもとは黒いらしく、人が触ったところが光っている。女性の姿はご法度の中、たった一つのあることを阪野さんが教えてくれた。
 
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  左:謁見の間。壮大な空間。   右:唯一の女性像。どこでしょう?
 
その後、後宮や王の私邸を回り、名残惜しくタフテ・ジャムシードを後にした。余韻を楽しみながらナグシェ・ロスタムへ向かう。ロスタムの絵、という意味である。ここにも王墓が数基岩肌を利用して造られている。高いところにあるから尺度が混乱するが、相当に大きなものである。2000年以上を経てなお、柔らかく優美な線や、ぽってりした質感が残っていることに驚く。ペルシアの彫刻は豊かだ。貧相でない。衣の翻り方、衣を透けて浮き出す肉体の量感、馬も人もゆったりふくよかで生き生きとしている。
 
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  左:典型的な王墓のレリーフ   右:東ローマ帝国のヴァレリアヌス皇帝をとらえた
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ここも十分に味わって、キュロス大王のお墓のあるパサルガダエに向かう。近所のレストランで昼食。  
 
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パサルガダエはキュロス王の王都であった。征服時破壊されて、今は残るものも少ない。広い荒野をつむじ風が通り過ぎていく。空はどこまでも澄んでいて、刷毛でひいたような羽根のような雲が空一面舞っていた。風の音と猛禽の鳴き声が響くだけ。
偉大な支配者の眠った墓は、人柄を示すように素朴に空を見つめていた。
いわゆる観光的ではまったくないことが、この場所を好きにさせてくれた。こんなふうに静に古を思うことができる遺跡はそうそうない。貴重なことだ。どうかこのままであってほしいと願う。
 
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そして車は一路、ヤズドを目指して荒野をひたはしるのであった。
もちろん途中幾度かピクニックを入れながら。

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念願のペルシア 3 シラーズ(2)

 
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出国からの長い長い一日を終えて、たどり着いたのはシラーズのエコノミーなホテル。明日の待ち合わせ時間を確認して阪野さんと別れる。 イランはペルシャ帝国の昔から、浴槽につかるという入浴をしない。まぁ乾いた国だから当然なのかもしれないが、水は前述のごとく不足ではないようで、部屋でも熱いシャワーがたっぷり使えた。 わたしが利用したのがお安い宿だったこともあるのだろうが、バスルームは西洋式にトイレと一緒、かつ、しきりやカーテンがないので、シャワーの水がロールペーパーまで飛び散る始末。一度失敗してからは、まずペーパーを避難させることを覚えた。

 
トイレ事情でいうと、イランオリジナルはは和式と同様にしゃがみ込むスタイル。実はわたしも間違っていたのだが、こういうトイレでは穴のあるほうがお尻になるので、結果的にイランではドアの方を向いてしゃがむことになる。日本では横向きはあってもドア向きはまずない。発想がちがうんだなぁ。
また、ロールペーパーはかなり固いが、ホテルや施設などではどこでも装備されていて、イスラムの国らしく小ぶりのシャワーも備え付けられている。田舎にいけば手で後始末らしい。ものは試しと一度トライしたところ、思いのほか水圧が強くて、ズボンを思い切り濡らしてしまって逃げまどう。だがご安心。イランでは女性は長袖かつお尻まで覆い隠す、ゆったりとした上着を着用しなくてはならない。ゆえに、濡れたズボンも隠すことには苦労しないのである。気持ちが悪いのは仕方ないが、乾燥しているのであっという間に乾く。 そう、エアコンもない部屋でも、一晩できれいに乾くので洗濯も苦にならなかった。
 
これについてトイレを絡めて考えてみた。
イスラム圏では水でお尻を洗う。これはコーラン(クルアーン)にも清浄の徳が謳われ、清潔は信仰の半分と言われるほど清潔を尊ぶところからきている。お祈りの前には手足耳口を必ず洗わなければならないし、そのための洗い場が設置され、ない場合は洗面所を無理やり使うので、洗面所はそこらじゅういつも濡れている。そうなのだ。前にも書いたように、バスルームが水浸しになっても当たり前なのはこの感覚のためなのだ。 そして、さきほどの、ズボンが濡れて逃げ惑った経験からもわかるとおり、すぐに乾くのだ。だから彼らはお尻を水で洗ってもそのまま、拭くということがないのだそうだ。 なるほど。目からウロコ。お尻を洗って濡れたままでも平気。これは日本の風土からは到底想像できない。今度中東にいったらぜひやってみよう。
 
あ、だとすると湿潤気候に住むムスリムはどうしているんだろう。マレーシアやインドネシアなんか濡れたままなんてありえないと思うのだが。 と思って調べてみたら、タオルやハンカチで拭く人と、そのままの人にわかれるそうだ。そのままでも生まれたときからそうだから気にならないのだそうだ。たしかに。人はそれを文化と呼ぶ。
 
さらに、インドはどうして手で洗うんだろう。ヒンドゥーであってもイスラムの影響なのだろうか。単に紙を設置するのはお金がかかるからだろうか?めんどくさい?それもある。置いた途端になくなる?ありそうだ。
 
と、疑問を押さえきれずとりあえず調べた結論。トイレの始末の方法は宗教だけに関係した事ではない。仏教徒でもムスリムでもヒンドゥーでもあまりないだろうが無宗教でも、水で洗う文化の方が優勢のようだ。日本も紙で始末する文化が当然のよう‭に思うけれど、西洋文明が流れ込むまでは手桶でじゃ~ってなことだったようだ。その欧州もビデというものがよこっちょについていたりするし、紙はあっても劣悪なことが多い(高級ホテルは話の外である)。アフリカは各種混在らしい。イスラム圏は宗教的因子が強いことは確かである。紙が作れるかどうかも関係ないようだが、経済的に豊かであるかどうかは関係ありそうだ。やはり紙は水よりも貴重という認識でもあるようだ。そして昨今の日本では、ウォッシュレット型トイレの普及から考えるとすでに水で洗う文化になりつつあるといってもよいだろう。考えたら水には恵まれた国なんだからそのほうが断然エコである。紙をバカスカ使っていることの方が改めるべき悪習なのかもしれない。
 
ちなみに雪山では雪を使うこともございますね。これは個人的には紙よりもよろしいかと。山で使用済みの紙をみる残念さは筆舌に尽くしがたい。怒りと吐き気がこみ上げます。みんなせめて持って帰りましょう。
 
ウォッシュレット型トイレに関して。世界が絶賛する日本のトイレはお尻を洗う便利な機能満載なのになぜか中東では見かけない。なぜだろう?富裕層の個人的施設にはいきわたっているけれども公共の場に設置するほど企業や政府の意識が高くないのだろうか?一説にはアラブ人はウォシュレット型は嫌うという意見もある。あのバカバカしくゴージャスなドバイやドーハの空港でも、トイレでウォシュレットはみたことがない。気がする。ほんとかな。あれ?ドーハのオリックス・ラウンジはどうだったかしら。ご存知の方、教えてください。
いや、ほんと。みかけた記憶がないのよね。
 
紙を使うのは彼らの感覚では不潔である。紙を使うようにできていないから、トイレにも流してはいけない。わたしは山小屋で慣れているので、片隅のバケツがあるのをみつけた場合そこに紙を捨てるというのは違和感なくやっていたが、そうか、一般的には、紙文化の人たちは流してしまうわけだ。かといってそれをするなという注意書きもなかった気がする。トイレひとつとっても誠に興味深い文化比較なのである。 
妙なところでトイレについて考察してしまったが、結論は「日本のトイレは世界一である」。なんども思うが、この国に生まれてほんとによかった。
 
さて、疲れでぐっすり眠った次の朝、ごはんに行く。思えば道中このホテルの朝ごはんが一番種類が多く充実していた。薄いナンは籠でもらっていく。野菜はトマトときゅうり、これはこの後どこでもずっと変わらず。ハム、茹で卵、目玉焼、中東ではどこでも見かけるハルワ、これはヨルダンでも大好きだったのでたくさんいただく。ハルワのレシピはさまざまで、ナッツ、スパイス、穀類、油脂類もいろいろな種類を使う。ローズウォーターやサフランが入ったものがイラン風であろう。あとは不思議にクッキーが多種類。朝からクッキーもご飯なのかしら。コーヒーは見当たらず紅茶とミルクがたっぷり。ジュースもあったと思う。 あとは、茶色いクリーム状のもの、これはサマヌというものらしく、お正月料理にはかかせないもので、クルミと麦芽をじっくり煮込んだものだそうだ。お砂糖は一切使用せず、うっすら甘い優しい味がする。
 
そんなことでおなか一杯になってロビーで拾われる。本日はヨルダンでなぜか購入してしまった現地服姿。黒地に、袖口と前身頃には真っ赤な刺繍とスパンコールがゴージャスに煌めく。日本では絶対に死ぬまで日の目を見ないと思ったのでここぞとばかり持参してみた。が、浮いている気がする・・。 ヨルダン(あまりファッショナブルではなかった)では馴染んでいてもイラン(すっごくおしゃれ)では・・・。結局、最後には荷物が入りきれず、この黒地のヨルダン民俗衣装はテヘランのホテルにおいてきた。誰かにもらわれているといいな。
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本日の最初の訪問場所は「ナスィール・アル・モスク」。別名薔薇のモスクまたはピンク・モスクと呼ばれる。その名の通り、薔薇が美しく描かれたピンク色のタイルが秀逸である。そしてそれよりも名高いのが、朝、シンプルなステンドグラスから差し込む七色の光が、静謐なモスクを満たす光景である。 何を隠そう、わたしもガイドブックや旅行サイトでこれに参ってしまった。 これを見たいと思った。
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イスラム建築の研究者によると、モスクを構造で分類すると大まかに4つのタイプがあるそうだ。簡素で飾り気のないがお祈り主目的のアラブ型、ミフラーブを強調するためにイーワーン(アイヴァーン)を発明して広々とした中庭を四方から囲む形のペルシャ型、尖塔に囲まれ、壮大なドームに広大な礼拝スペースを飲み込んだトルコ型、そして外に向かってドームと門をもつ、つまり中庭を持たないインド型だそうだ。   
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ナスィール・アル・モスク。中庭に長方形の静かに水をたたえた池をもち、しんと佇むモスクは、貴族の私的なモスクであった。イランのモスクは、ウズベキスタンとの比較でいうと、タイル自体を細かく焼き合わせたものではなく、タイルに絵を描いて装飾する。図柄には花・建物・動物がふんだんに描かれる。偶像を禁止するイスラムとは思えないほど多彩な図柄である。ちなみにこれはシーア派の特徴とされる。シーア派はムハンマドの血縁を最高指導者とすることで、人物の肖像は賞賛を持って受け入れられる。現代イランでも、革命の指導者や貢献者たちがあちこちに描かれ、飾られていることからもわかる。
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このモスクの内部にも、当時交流が盛んであったフランスの家屋や、イランにはないアヤメが描かれている。筆は、伊万里の隣町で育った私から見るとかなりアバウトであるが、あの数と遠目には問題ない。圧倒的な美はその集合体から生み出される。
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そして、ついに靴を脱いで礼拝スペースに入る。 息をのむとはこのことである。そこは色とりどりの光の海と化していた。 夏に向かうと太陽が高くなることから差し込む陽の足は短くはなるけれど、このために早い時間に案内してもらったおかげで、見たかったその光景を十分に堪能することができた。中に敷かれている絨毯やタイルが傷むので通常ステンドグラスの部分には遮光の蔽いがかけられているのだが、適宜開けられるのだそうだ。
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各国から集まった旅人が思い思いカメラを構え、自分的最高レベルの写真を残そうと熱心だ。 これでひとつ、思いが叶った。満足して、ゆっくり中庭や建物全体を鑑賞してからここを後にする。
次に向かうのは、これぞこの旅のメインイベント、一番の目的、ペルセポリスである。 心は高揚する。早く行きたい気持ちと、大事にとっておいた好物を食べるのがもったいないのに似た気持ちとがせめぎ合う。そこを押さえてくださるかのように、阪野さんがお仕事の関係でオフィスに立ち寄られるのに付き合う。イランでは女性の社会進出が盛んである。この旅行社イラン・トラベリング・センターも、たくさんの女性がチャドルを付け、ヒジャーブをかぶりながら楽しそうに活き活きと仕事をしている。現在、英語担当のガイドの方が8名と日本語担当の阪野さん、ビザやホテル・航空券手配担当部門があり、対応も早くとても信頼できる旅行社だとおもう。
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なによりも、旅行者にとって一番やっかいかつ大事な問題であるビザに関しては、こちらにお願いしたことで本当に安心かつ確実に準備ができてありがたかった。 イランのビザ取得は比較的めんどくさい。普通に大使館にいくだけならいつもやっていることなのだが、イランの場合はまず外務省から許可番号を発行してもらわなければならない。この通知をもって在日大使館に申請と受け取りの2度、足を運ぶ。ここについてはどの国も同じだけれど、イラン大使館の対応時間は極めて短い。
 
そんなこんなで、他の国よりも面倒が多く、しかもビザ発行費用も高い。ビザについては別途まとめるつもりだが、とにかくこの会社の頼んでほんとによかったと思う。日本人ガイドをつけるおつもりならぜひこちらの阪野さんを推薦します。まちがいないです。
 
阪野さんは、とてつもない努力をされて、ペルシア語によるガイドの国家試験を見事突破され、まだ国内では少ない日本語ガイドとして活躍されている。大使館のお客様も一手に引き受けておられるそうだ。言語に興味のあるわたしとしては、外国語をマスターする、堪能になるということは何よりもすごいことだと思っている。その土地の言葉が自由に話せたらどんなに素晴らしいだろう。どらえもんの翻訳こんにゃくだけは本当にあったらなあと切に願うのである。
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ついでにいうと、気合をいれてペルシア文字と数字だけは読めるようにしていった。 けれどもいざ現地に入ると、さまざまな書体に変化していてほぼお手上げだった。 そしてペルシア語はとても優雅で美しい。
言語はなんといってもまず響き。わたしが好きなのはイタリア語、ロシア語、そして今回初めて聞いたペルシア語。イタリア語はやろうと思えばできる(いまでもちょっとだけはわかる)が、ロシア語はその文法の複雑さとキリル文字が覚えられなくて速攻挫折。
ペルシア語ははなせるようになりたいと強く思った。かっこいいではないですか。古い古い言葉、ファールスが話せるなんて。
この国の矜持は、複雑で古い歴史の上に成り立つ独自の文化を、言語とともに固持し続けてきたところにある。アラブに染まらなかったことは部外者からしても嬉しい。残してくれたことに感謝したい。
 
旅行の形態についてもこの際記しておきたい。 昨年末、旅馬鹿プロジェクトというものを立ち上げるにあたって、自分にとっての旅ということをじっくり考えてしまった。 旅はそもそも冒険でありクエストだとおもっている。費用の点では団体のほうが安い場合もあるが、個人で計画すれば、行きたくない場所、食べたくないご飯、見たくないものにかかる費用を省くことができる。人を待つ時間の無駄も省ける。
 
さらに全行程完全に一人で行うと苦労もある分思い出も深く、達成感も大きい。旅をすることの技術面でも向上して自信がつき、よりいっそう世界基準の視点も身に付く。自分一人の力と知恵を総動員してですべて行うからである。危険察知能力や回避能力、損得の具合もそのコツも会得していく。どうしたって個人的な接触が増えるから、人とのつながりが広がり、得るものもぐっと増える。同時にしょっぱい経験も、他人に頼りきりの旅よりはるかに頻度が高く、へこむことも多いが、一人旅の良さを知ってしまうと、ガイドをつけることすら抵抗を感じる。小さい子供がなんでも自分でやりたいとがんばるのに似ている。
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が、それも程度問題で、社会的制約があったり治安の問題があったり、なにより文字表記言語の問題で対処しづらいと、楽しみよりも苦しみの分量が大きくなり、こうなるとなんのために大枚はたいて時間をつかって旅をするのかわからなくなってくる。旅はあくまで楽しみであって職業でも修行でもない。その兼ね合いをはかるのが難しくまた楽しい作業である。
 
今回のイランは、宗教的制約が厳格であることが一番の理由で、女性一人旅という形態はなるべく避けた方が無難であり郷に従う方法であると判断。この時点でガイドを付けることに決めた。次はどの程度つけるか、である。スルーにするか、ポイント別にするか。もちろん旅のパーツを増やすほど、準備にも手間と時間と努力が必要となる。
 
モロッコの時は日系エージェント3社、現地人エージェント3社に見積もりを依頼、各社比較から始まって、ガイドの有無とそれによって変わる旅程を数パターン考え、それにあわせて宿をとりあえず押さえ、バスや電車の時間を調べて移動を考え・・という作業となった。エージェントを決めるまでに2週間ほどの時間がかかった。 それが今回は1番初めにに問い合わせたイラン・トラヴェリング・センターに即決。対応の細やかさ、丁寧さと誠実さを感じさせるものがあって、不思議と最初から信頼感を持つことができた。旅のスタイルを相談し、スルーガイドとポイントガイドの両方をオファーしていただき、この人ならスルーでお願いしたいと思ったので即決。
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その理由は前回のウズベキスタンの旅にある。全く一人で旅をしたウズベキスタンは最初の体調不良もあり、なによりも言葉が通じないことをを嘗めていたせいで苦労した。これまで旅したところは、最低でも英語の単語程度はわかってもらえて、実際に言葉で不自由する経験をしたことがなかったのだと痛感。ツアーでまわれば、添乗員がいて、聞かなければわからない状態もほとんどないだろうが、独りだとそういう場面ばかりである。これで英語表記がない、単語すらわかってもらえないとなると、辛い。 それに加え、歴史的建造物・場所は当然のこと、目にする数々の風物で不思議に思ったり疑問に思ったことをその場で解決できない。これがなによりもつらかった。フラストレーションの大きさといったらない。もどかしくて、食べても味がわからいような、トイレにいって出ないような・・・(すみません、つい尾籠な表現になってしまいまして。トイレ考察をひきずってます。)
 
今回は念願のペルセポリス探訪がある。ここでの味わいは知識の深さにかかっている。自分で本を読んで、照らし合わせながら回ってもよいのだが、やはりそのために専門の勉強をしている人にはかなわない。教科書にはない逸話もたくさん盛り込まれるし、クオリティは雲泥の差である。お金を出すか出さないかの差である。出して味わい100%になるなら、もしかすると一生に一度の機会なのだからその方がよい。もちろん、独り風に吹かれながら古代の遺跡を逍遥するという味わい方もあろう。だが歴史に興味がある場合は、やはり知識量に軍配。今回はこちらを選択。ペルセポリスでなければわたしもガイドはつけなかったかもしれない。
 
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念願のペルシア 2 シラーズ(1)

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   シラーズに到着したのがすでに5時をすぎていた。何もできないだろうと思っていたが、まず向かったのがシラーズで世界遺産となっているエラム庭園。イランにはたくさんの庭園がある。ペルシャ帝国時代からの伝統的な造園による「イラン式庭園」が世界遺産の題目となっている。

これは、花木とふんだんな池を配置したもので、池はメインになるものが中央に細く長く作られ、噴水を配したものも多い。乾いた国に、いかに水が憩いを与えるものかをしみじみ感じさせてくれるものだ。

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左:シラーズ名物、ハーフェズの詩の一節を小鳥が引いてくれる小鳥占い。

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なぜペルシアに憧れるかという大きな理由が、ペルシャ人の美意識の高さにある。モスクにしても絨毯にしてもその繊細な美は精緻をきわめる。ペルシャ文字のカリグラフィは日本の書道と同様の深い芸術であるし、詩も古代から大変に重要視され愛されている。そんなイランの庭園は、フランス庭園などのただの幾何学模様とは雲泥の差で、夢見るような心地よさを持っている。
 
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ちょうど花のさかり。シラーズ名物のオレンジの花はほとんど終わっていたけれど、少しだけ間に合って、かぐわしい香りを味わうことができた。
そして念願のペルシアの薔薇をさっそく堪能、スターチスのむせるような香りや、新緑の美しさ、ペルセポリスにも描かれ愛されてきた糸杉の道も楽しんだ。 糸杉はかのペルセポリスにもたくさん描かれているほど、古代から愛されている。
けれどもその麗しい庭園を一歩でれば、そこは乾いた大地なのだった。
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  右:ヨーグルトを極限まで乾燥させてコロコロにしたもの。お料理につかうとか。
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  左:この道70年という絨毯商人のおじいさん。シラーズの絨毯は上質のウールと
  シルク製。右の写真で、模様の縁に白く輝くのが絹の部分。絨毯は生産地によって
  材料やデザインが異なる。最高級はもちろんクム産のシルク。1㎝四方に24個の
  結び目があるものが最上級という。それは角度によって輝きも色も変わる、素晴らしい
  ものだった。
 
次に向かうのはバザールバキル。こじんまりしたバザールで、色とりどりスパイスやコロコロに乾燥させたヨーグルト、干したレモン、特産のアーモンドやピスタチオに加えてひまわりやらかぼちゃやら、あらゆる種が山積みだ。
 
観光客向けではなさそうな、地元の人のためのバザールらしい。生活の匂いがして楽しい。狭くて急な階段をのぼって2階もまわってみた。明るい空が広がって、オレンジの木には小ぶりの山鳩が憩い啼いていた。
イランの素敵なところ。その1。押し売り、ぼったくりがいっさいないこと。よくあるダブルスタンダードではなくて、地元民と同じ値段で買い物ができる。きちんと値札がついているから、買い物の目安に困らない。他の中東やアラブによくある、言い値の半分でも正当でないような値段と違い、ほんとに適正価格なのだ。だからまけてもらうということはあまりなく、現地人でも同じ。たくさん買ってくれたらおまけするよ、というような、ほとんど日本と同様の感覚である。エジプトやモロッコと一緒にしてはいけない。そして浮浪者、物乞い、子どもの土産物売りなども一度もみかけなかった。豊かな国なのだ。
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そのくらい正直だし、客引きや押し売りもしないし、こっちから聞かないと相手もしてくれないほどだ。阪野さんは主婦感覚で、達者なペルシア語でなかなか上手に駆け引きをしていたようだが、それに困った顔をするおじさんがかわいらしいくらいだった。
 
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  左:キャリムハーン城の入り口タイル絵。王様が鬼を退治している。ユーモラス。
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次に向かうのはキャリムハーン城。昔日の王城ではあるが、一時期監獄として使われた歴史的建造物である。中では蝋人形によるヨーロッパ使節の謁見の模様が再現されていたり、ハマム跡などが見学できる。宵闇が落ちる異国の古城。回りの美しく手入れされた芝生には、ひしめき合うほどの人たちが思い思いにシートを広げて、お茶や夕ご飯やらで楽しんでいた。このように、イラン人は夜10時ごろまで、外でピクニックをするのが大好きなのだそうだ。家族で、友達同志で、恋人たちでにぎわうのだ。アルコールはご法度ゆえ、街の中心部でも盛り場がない。同時に性風俗もみあたらなかった。もちろん、全部を見たわけではないので、アングラでは存在するのかもしれないけれど少なくとも公には目にしなかったし、子どもが安心して歩ける街並みであることはたしか)。したがってて夜遅くても非常に健全で、新宿などという繁華街のあるどこやらの国とは大違い。犯罪率の低さもうなずける。
だれでもすぐに声をかけてくれて、写真とって、と人懐こい。
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ただし、ガイドの話で印象にのこったのは、思いのほか開放的な恋人同士のデートも、もし婚約前であることが露見した場合は大変なことになるらしい。双方むち打ちの刑および、家族も含めて世間的に肩身の狭い思いを強いられるそうだ。アルコール規制や旅行者でも例外は許されない女性の被り物を含めて、このあたりは厳格である。ついでにいうと、泥棒もつかまるといまだに手を切られる刑があるそうだ。抑止力ありそう。
家族の結びつきや友人同士の助け合いはかなり強固で厚いようである。長い歴史に裏打ちされている誇りもあろうが、自国の文化をとても大切にしている。頑固なまでに貫く姿勢や迎合しないところは日本も見習うべきところはある。きっと、孤独死などなかろうし、うつ病も少ないとおもう。話に聞いたことから想像するに、悩みがあっても相談できるところがたくさんあって助けがあって、となると、犯罪に走る精神状態になることも少ないだろうと思われる。
 
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いろいろとイラン人の生活の様子を、現地で暮らして20年以上の阪野さんにきいてあれこれ考察するのが楽しい。ちなみに阪野さんはイラン人のご主人と結ばれてイラン国籍も取得され、息子さんお二人を育て上げられた女性である。お人柄も知識も素 晴らしい女性で、このような方にガイドをお願いできて、今回の旅行はとてもラッキーである。おかげで、本当にたくさんのことを考え、感じることができる旅となった。(お顔もお名前も公表することは了承を得ています)
 
このあと街のレストランで最初のイランご飯をいただく。ラムのケバブとレモン味のノンアルビール。これは甘くて、炭酸ジュースといった感じ。一度でいいかな、とその後は飲まなかった。そしてサフランで色づけしたもので飾られたライスは山盛りで、とても食べきれなかった。
 
イランではオフィスアワーが朝の7時からお昼の2時までだそうだ。お弁当も給食もなく、間におやつ程度口にして、家にかえってからみんなでちゃんとしたお昼ご飯をたべる。お母さんは朝ごはんが終わったらすぐ、この一番重い昼ごはんの支度にとりかかるそうだ。
たらふくお昼をたべたあとは、お昼寝をする。そして夕方やおら活動を始め、ピクニックをしたりお買い物にでかけたりするのだそうだ。だから夜ご飯が遅い。レストランも8時ごろからしか開店しない。慣れていないので夜遅いご飯は最初はなかなかヘビーであった。

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念願のペルシア 1 出発から到着まで

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4月24日、仕事を定時であがって東京駅に向かう。やっとやっと待ち望んだその時がやってきた。1月あけてすぐに、思ったその日にチケットを押さえてから、途中イスラム国の人質惨殺事件をはさんでヒヤヒヤしながらひたすら待ったその日。イランへ旅立つ日。

長い間憧れだった。子供のころ大好きだった冒険物語「ソロモン王の洞窟」やもっと根源的なアラビアンナイトではぐくまれた憧れ。絨毯で飛ぶ不思議の国、悪者が跳梁跋扈する異国そのもののイメージ。長じて知ったペルシャ帝国の栄華、古くて長い壮大な歴史、ヨーロッパもかなわなかった医学と天文学、哲学の中枢。文明の交差点、異文化のまじりあう混沌と賑わい。薔薇の国イランへいけるのだ。

朝は小さいながらもキャリーバッグなので、隅っこに陣取れるようがんばって電車にのる。
そわそわしながら、長い一日の仕事を終え、とぶように会社をでて、いつもの京成ライナーをつかまえる。本来予約したより1便前に、あいてるからとのせてもらう。係のおじさんが、週末で混んでるから早いほうがいいと親切にいってくれた。
 
うとうとするうちに成田第二。初めてのカタール航空カウンターへ急ぐ。カタールは世界でも数社しかない5つ星キャリアだ。それはサービスに対しての評価であり、かのお高くとまったエミレーツは入っていない。いくら豪華な設備を備えても、あのサービスと接客態度ならばそうだろうと思う。客を客と思わないような高飛車な態度には辟易させられた経験上。 
 
予約時はJALのコードシェア便で、機材もJALだったので、カタールのサービスは使えないといわれ、復路ドーハでの13時間のトランジット待ちをどうするかが大きな問題となり、頭を痛めていた。あれこれ調べまくり、連絡しまくってもどうにも解決できなかった。いい機会だだというので、スターアライアンスユーザの夫がワンワールドに加入し、ANA同様のステイタスを確保。ワンワールドではエメラルドというらしい。
 
だが、ANAもそうだけれど、クレジット付きのカードだけではステイタスをわかってもらえないことが多い。そのため専用のカードを別に用意するのだが、手続きがぎりぎりだったこともあり、ヤキモキ待ったにもかかわらずとうとう到着しなかった。
これがまた心配のもとだったのだが、なんのことはない、カタール航空のカウンターでもすんなり専用カウンターに案内され(ほんとはオンラインチェックインをしていたので、そのデスクはがら空きだったのだが)、コンピュータの故障とやらで長らく待たされたのち、荷物をあずけて搭乗券をもらう。その際聞いたところ、カード類の提示は一切必要なく、チケットにエメラルドと印字されているのを見せるだけでOKという。
 
なんという拍子抜け。ただし、そのかわりに、テヘランでチェックインするときにも、かならずエメラルドと印字してもらうよう言われる。JALのメンバーサービスのカウンターでもわからず、ワンワールド用のカウンターでもわからず、あちこちたらいまわしされて、メールのみならず電話まであちこちかけてもわからなかった。旅サイトの情報も錯綜していてどれがほんとなのかさっぱりわからなかった。カウンターではきちんと答えられるようにしておいてほしい。
 
無事ちいさい荷物を預けて、あとはラウンジでごはんをたべるだけ。去年のUzbekistanとちがってラウンジでくつろげるのは何より楽ちんだ。
初のさくらラウンジはどんなもんやらと期待に胸膨らむ。JALのデスクの人たちはなべて対応の感じはよかった。ラウンジは、ANAと比べるとこじんまりしていて、ごはんもANAのほうに軍配かなぁという気がしたが、ゆっくりして10時のテイクオフにむけてラウンジを出る。
カタールのゲートはやっぱり遠かった。そして搭乗1時間前からゲートオープンでどんどん積み込み、出発のずいぶん前にはテイクオフの準備万端であった。
 
安定飛行に移ってすぐにミールサービス。あんまり記憶にないが、カタールではビールが飲める。映画を2本みたかしら。夜中は少し眠った。
 
ドーハについたのが現地時間の明け方4時。時差6時間なので、日本時間では朝の10時。ちょうど出発してから12時間。トランジットラインに誘導されてセキュリティを通ったらあとは待ち時間。帰りのために、カタール提供のシティツアーデスクの場所や、ドーハ空港の構造を確認するためすこしだけぶらぶらしてから、問題のオリックスラウンジへと向かう。
 
専用の階になるので、エスカレータ入り口でお姉さんがチケットチェックする。無事通過してカウンターでもなんなくパス。またまた拍子抜け。愛想はいまいちなおにいちゃんであったが。そして噂にきいていたようなばかばかしく広く、無駄にゴージャスなラウンジで場所を確保。7時20分の便まで飲み物を飲んだり初のIpadの使い心地を試したりする。
wifiはカタールのは認証がめんどくさかったので、空港のフリーを拾う。
出かける前に、巨大なお食事エリアで朝ごはんをいただく。種類も豊富だし、席に着くとちゃんとお給仕がきてくれる。
 
テヘランまでは3時間半。ほぼ満席の3列3列の小型機では窓際を選んだので、ペルシャ湾や砂漠を見下ろし、やがて見える雪をいただく山脈に興奮する。そのなかにひときわ秀麗な姿を見出す。イラン最高峰のダマバンド山ほぼ6000m。富士山と同様のコニーデ型独立峰で、とても美しい。うっとり見とれるが、残念ながら見えたのはこの時だけで、イランの国土に降り立ってからは、スモッグと砂埃で全く見えなかった。
 
そう、イランは高い峰の連なる山脈がいくつもある。だから表面は乾いて枯れ川でも、実は水にはさほど苦労しておらず、雪解け水の地下水がたんまりあるのだ。
国内どこでも水は飲めるし、水道水もおいしいらしい。とはいえ、慣れなのか旅行者やガイド関係はみんなミネラルウォーターを飲んでいた。
 
こうして緊張のテヘラン到着。なにが心配ってビザだ。在日本大使館でも申請受け取りはできたのだが、それぞれ半日ずつ休まなくてはならないし、日本円に換算すると手数料も若干たかくなる。エージェントによると、不安定なその場申請のトランジットビザではなくて、観光ビザのテヘラン空港受け取りという方法もあり、一人20分もかからないとのことなので、そのように手続きをしてもらった。Eメールで送られてきた文言を印刷しておいて、ビザの窓口のおじいさんに見せる。おじいさん、ひとりでさばいてるもんだから、嫌気もさしているのかおちょくられる。わたしはもらえなかったら大変だからもうほとんど泣きそうな勢い。が、ぶっきらぼうな対応の割には何の問題もなく無事ビザを入手。これでもう大丈夫。無事イミグレを通過したのは最後の数人のうちの一人であった。
 
・・・と。こっちへこい、と別のカウンターに連れていかれた。そこでなにをするでも聞かれるでもなく、10分ほどたたされ待たされた挙句、パスポートを返されて無罪放免。
いったいあれはなんだったんだろう・・・。
 
そうして放置されてころがっている荷物を回収して(これ、このあいだになにかあったらどうするんだろう)、出口へ向かう。ここにはイラン・トラベリングセンターで手配しておいたタクシーが来ているはず。きょろきょろしてネームカードを発見。にこやかなおじさんは英語は話せなかったけど、話せる人を探してきてくれて、シラーズ行のため、国内線の空港に向かうことを確認。小一時間かかってやっとメヘラバード空港へ到着する。
 
ここには両替所ひとつなく、ということはお金も使えないのでお茶すらのめず、ただひたすら2時間つぶす。しかたないので外にでて周辺をぶらぶら散歩する。しつこいタクシーの勧誘もなく、外国人がひとりでほっつき歩いても全く何の危険もなく、楽しく散歩。
あきて座っていると、おじいさんがジャパニーズか、と流ちょうな英語で話しかけてきた。なんでも群馬のほうの工場にしばらくいて働いていたそうな。両替とか必要ならしてあげるよ、などといわれたが、まだガードもかたいので結構です、とお断りすると、じゃあ良い旅を、と去っていった。
 
なかなか決まらないゲートを待ってヤキモキしながら無事シラーズ行に搭乗。そして2時間ほどでシラーズ到着。実はさきほど、ドーハから飛んできたのをほとんど逆戻りしているだけなのだが、シラーズに直行する便は少なく待ちも長いので、直接シラーズという旅程は無駄がおおいようだ。ほんとうは1時の便だったのが、1か月前にキャンセルになって3時半発まで待たねばならなくなったのだった。
 
5時近く、やっと到着したシラーズ空港で、散々やり取りしてお世話になった日本人ガイドの阪野さんと初のご対面。若いお嬢さんかとおもっていたが、どうやら同年輩らしい。
まだぎこちなくご挨拶を交わして、まっていたタクシーに乗り込む。ドライバーはザッレさん。ここからイスファハンまでお世話になるのである。
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春のいちにち

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一日あいたので、また自転車にのってみた。
自転車を始めたころからずっといきたかった榎本牧場のジェラートをいただきに。
大変な混雑でびっくりしたけれど、ジェラートはおいしかった。
帰り、川越線を超えたあたりから急に前輪がおかしくなったと思ったら、パンク。
急いでいたのと、コンパクト空気入れを持っていなかったので、しかなたくそのまま乗り続け。
強烈な向かい風もあって10/kmもでるかでないかで、ほうほうのテイで帰り着いた。
なぜか歯も痛み出してえらい目にあった。
そのあと、XVをナビ取り付けのため入庫してから、有楽町の交通会館までThe Ropeの40回帆船模型展を見に行った。私も知るきっかけになった、日経新聞の記事のおかげもあって、例年にない大盛況だったのだと思う。
6月からお世話になるので、教室の先生らしき方にご挨拶をしたら、とても親切に長い時間あれこれと説明をしてくださり、大変勉強にもなったし、恐れ多くて恐縮した。
昨年度の皆さんの作品はとても立派でびっくり。やっぱりとんでもないことをやろうとしているではないかと、困った気持ち。でも決めたのだからがんばる。
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ウズベキスタンのお正月

少し遅くなったけれど、ウズべキスタンの旅でお友達になったオディさんが、Facebookを通じて、ウズベキスタンのお正月の様子を教えてくれた。あまりに素敵な写真なので、許可を得てご紹介。拙ブログをご訪問いただける奇特な方だけにプレゼントです。

ウズベキスタンもイランと同じ3月21日春分の日がお正月。

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大鍋のなかの茶色のものは麦芽で作る甘い飲み物だそうです。
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サマルカンドの中心にある公園でお祭り。右は学生さんたちがそれぞれお国の衣装で。
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ウズは美人さんがいっぱいです
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おばさんが持っているのは、小麦の芽。大学の学生たちが踊っています。
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日本語学科の学生さんたちがパフォーマンス。
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サマルカンド名物のナンも色とりどりにお化粧しています
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すごいごちそうだ。女性が来ている衣装のかすり模様はUzbekistan独特のもの。
11117877_873249979399166_1791411707   おじさんの妙技もさえる!

 
 

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amazing!

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すごかった。ただもうそれだけ。圧倒され完全に支配された2時間だった。

なにもかもすばらしい。日本人はお行儀がよくて、声をあげたくなるのを我慢し続けだった。でも他の国の公演の様子をみると、あの澄み渡る歌もきかず、魂に迫るタップの靴音も聞こえない有様のようで、日本で見られることに感謝する。
 
Riverdance ケルトの文化に根差すアイリッシュ・ダンスとアイリッシュ・ミュージック。ちりばめられた各地にとんだアイリッシュダンスや、他文化との融合。ショーとしても完成されている。息をもつかせぬステージにただ釘づけ。
 
ぜったいもう一度見に行く。4月3日から15日まで、休演日もあるし、土日はすでに埋まっているから、平日しかないけど、それでも絶対。もういちど。
 
そして本場で絶対、いつか見る。ますますアイルランドへの決意が固まった夜であった。素敵なものに出会えた喜び。
 
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はる~~~~

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いつの間にか3月も最後になってしまった週末。

春がきたようなので、自転車に乗りたくなった。腰をいためてから1年半。荒サイ(荒川サイクリングロード)を走るのは2年ぶり。なにしろロードバイクの中腰姿勢はとても腰に影響するので心配ながら、1時間ほど緩く出かけてみる気になった。
ペソペソのタイヤに空気をいれ、ジャージを身に着け、どのくらいの支度でいいかわからないのでとりあえずシューズカバーも装着。なつかしい乗り心地の愛車ビアンキ・イモラ@チェレステカラーにまたがる。
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まずは彩湖公園へ。腰を痛めるまでは平地でギア4枚目25~28km/hだった。本日はなにしろ2年ぶりなのでそろりそろり、ギアは1枚目と2枚目のみ、ペースは15km/h平均で。なぜ彩湖かというと、RCヨットレースを見たかったから。でも残念ながらレースは明日のようで、なぜか群れ飛ぶウミネコや、道端をのしのし歩くキジや、終わりかけたコブシ、ほころび始めた桜をみながらポタリング。腰もわるくない感じで、なにしろ春の気分は最高で、つい北へむかってしまった。
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なつかしい荒サイ、すでに野焼きも終わり、すっばらしい菜の花菜の花菜の花!!!
ずいぶん増えたし、手入れもされている気がする。はちみつの匂いにつつまれて、気分は最高に幸せ。のんびりこぐペダルも軽く、焦らず楽しむ自転車もいいものだ。
上尾橋も越えていよいよ本田エアポート。なぜここまできたかというと、本日の風具合なら絶対スカイダイビングをやってると思ったから。
案の定、大盛況のダイバーとギャラリー。エアポートにはなんと、チャリダー用の自転車ラックまで設置されていてびっくり。しばし青空の下、のんびり座った。
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翌日、改めてRCヨットレース観戦。途中から天気が下って風が強くなり、ほとんど30度くらいの角度まで倒れながらぐんぐん進むヨットたちに「かっこいい~~!!!」と歓声をあげながら、このために重いのを担いできたキャノン7Dで激写♪でも画像は携帯画像ですが。
ほんとに楽しかった。大興奮!
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春は別れと出会いの季節。わが家も例にもれず、13年大事に乗ってきた愛車レガシィ・ランカスターと最後のお別れをした。ディーラに預けて最後に体中をきれいにしてやりながら、涙が込み上げて仕方なかった。ありがとうね、本当に。ゆっくりお休み。

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近づいてまいりました

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興奮します~happy02
ほんもののペルシャ語のドキュメント、初めて見ました。
このミミズ文字がほぼ読めるようになったのがうれしいんだ~。
 
これはテヘランからシラーズまでの国内線のe-ticket.。航空会社は聞いたこともない名前で覚えられず。テヘランのイマーム・ホメイニ空港から、国内線のメヘラバード空港まで移動して乗り換えねばならないから、ちょっとでも看板が読めるとずいぶん心強いと思う。
楽しみだなぁ。わくわくするなぁ。

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料理づいてます

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なんか一日すごく料理、というかお菓子に燃えました。

誕生日に作ったタルト台、実は分量を間違えて、やたら膨らんでしまった。 しかたないので内側を削って、カスタードが入るように深くしたんだけど、その時にでた削りかすを何とか生かしたい。
とおもって作ったのがこれ。トライフル=つまらないもの。イギリス人が考えることってやっぱりね、とおもってしまう。ただ重ねただけのイージーさがたまりません。
でもなんかおいしいんだよね。見た目にもおいしそうに見えるから不思議。
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カスタードを大量につくって、たのしんだのがこれ。いつものリンゴのデザートなんですけど。
実は二日前の夕食時に、もうしなびてきたリンゴを使おうと思ったら、このレシピに必要なシナモンが切れていた。それでお菓子にもかかせないというメース、似てるしいいだろうとおもったら、これがだ・だ・だ・だ・大失敗。異常にまずい。甘い香りはいいんだけど、どっちかっつーとクローブみたいにしびれるし、やたらスパイシーで中東っぽくなってしまい、ミスマッチにもならず。で、リベンジ。これは最高にうまくできました。

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いまごろですが

あまりに遅きに失した。かなりのファンを自認するわたくしとしたことが。
どうしてみのがしたんだか、こんなに大事なニュース。

嬉しいニュースheart04あのツインピークスが25年ぶりにかえってくるんですとーーーhappy02画像

唯一わたくしがみかけでも頬がゆるんでしまう、大好きな俳優、カイル・マクラクランがかえってくるらしい。すげぇうまいブラックコーヒーと、ドーナツとチェリーパイにあこがれたよなぁ。

画像はありし・・・いえ、当時の、黒髪が知的でりりしいエージェント・クーパー。しびれましたねぇ。

そうはいっても、この度久々に拝したご尊顔は、さすがにとしとりましたなあ、というほっとするような寂しいような複雑な気分。。

早速Blu-rayの完全版BOXをごちゅうもーーん♪

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最近の映画など

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○バードマン(ある・・・なんだっけ、副題がついてたやつ)

 
全然好きじゃない。苦痛だった。なんどもぶっちぎりたくなったけど、今によくなるんじゃないかと思い続けて、結局最後までだめだった。手法は新しいとか技術的に目を見張るとか、あるのかもしれないし、主役が実際に苦労した俳優だったとか、なんだかしらないけど
とにかく舞台とかお芝居がすごーく苦手なので、そこからもうダメ。訴えるものがなんなのかさっぱりわからず。感性にぶくてすみません。
 
○グランド・ブダペストホテル
 
レイフ・ファインズ、ティルダ・スティルトン、ウィレム・デフォー、ジュード・ロウってだけでもう文句ありません。
汚怒激エログロからすっきりと一線を画した、抒情的な美しさとファンタジックでかわいらしい仕立てと人に語るという物語の神髄をもっていて、一般受けするだけだと言われればそれまでだけれど、とにかく心が清らかになるような、温かく見守られながら目覚めるような、そんな善をもった映画でした。
せっかく時間をかけてみるものならば、なにかしら自分がよくなるほうがいい。
 
○第二回チベット旅行記(河口慧海)
 
ずっともっていてなかなか手が付けられなかったのが、やっと読むにいたった。
相変わらずすごいけれど、第一回のような冒険また冒険のハラハラやドキドキや拍手喝采とはちがい、もっと学術的宗教的な視線での冷静な記録だった。後半は時々に詠まれた歌がメインで、その背景や状況とともにたくさん紹介されていて、やや冗長。
それにしてもすごい人なのに、評価が低すぎます。不当ですよ。日本人が知らないっていうのはいけないと思う。
 。
○三大陸旅行記(イブン・バトゥータ)
 
もったいなくて、しゃかしゃか読めなくて、なんどもなぞるように、読んだところを繰り返しまた読んで、先にすすまないようにして読んでる。こんな味わい深い本はない。あまりにあっさり旅が進んでいくので、それすらもったいなくてしょうがない。
 
○初めてのイラン国語(加藤順一)
 
いろいろある教本の中から、Amazonの書評で選んだ。書評どおり、実践的でわかりやすい。ペルシャ文字は読めるようになったのだけど、この本は文法体系などはなく、会話集のような形のものが後半に付与されている。とりあえず独学の入り口としては最適だとおもう。ひたすら単語と関連する知識の暗記。少しでも役にたつといいなぁ。
 
○The Valley of Assasins (Dame Flare Stark)
尊敬してやまない、英国の女性探検家、東洋史家、語学の大家、作家、英国地理学会に初めて女性として認められた人。すばらしい。100歳を超えるまで歴史や国家や人間を観察した、人間くさい女性。ほとんど邦訳がなく、彼女自身の著作の翻訳は全然ないので、ついに原書を買い込みました。このタイトルになっている「The Valley of Assasins:」は、イランのカスピ海添いにある秘境。暗殺教団といわれるいまだ謎を秘めたカルト集団の拠点であったところ。ここに彼女は歴史家冒険家として初めて光をあてたのだ。
でも、ふとおもった。これ、絶対イランで売ってそう。いつもの必ず旅にでると買ってくる原書として買ってくればよかったかも・・・・・。
 
 
考えてみたら、高校生くらいのころからずうっと、とにかく旅行記は見つけるとかたっぱしから読んでいたなぁ。ヒマラヤ遠征隊なんかも、登山のほかに旅行記の趣をもっているからなぁ。旅行記はたのしい。脳内だけでも旅にいける。

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For 23歳

 
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ほんとは明日の朝8時なんですけど。家族メンバーの都合で、1日前倒しのお祝い会をしました。今回も家メシ希望。メニューも指定。
1 : ピザ(もちろん手打ち、ソースも自家製、具てんこ盛り)
2 : スパ蔵(ミートソースのスパゲティグラタン)
3 : スペアリブのグリル(シーズニングも自家調合、もちろん適当)
4 : フレッシュベリーのタルト
5 : シャンペン(2006年)と紅茶
なかんじで、午後から買い出しに始まり、ずうーっと働きづめで、がんばった。
なにが大変って、全部オーブン料理だから、熱を無駄にしないとか、アツアツ⇔冷えてもなんとか、の順番を考えながら3つも4つも同時進行の段取りが大変でした。
無事よろこんでいただきました。
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帽子好きの次男坊のために、アイルランド直輸入ハリスツイードのハンティングなど思いついてプレゼント。
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雑記

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ここ1か月ぐらい、ちょっとしたよくないことが続いている。

発端はなんだったろう。思い出せないけど、年明けてから割とずっとそうだな。
そう気が付いた最初の災いは、ネットでわざわざ手に入れた、大好きなウィリアム・モリスの長傘を、乗り過ごした電車に置き忘れて失ってしまったこと。散々問い合わせもしたけど
でてこない。次には、バイクの鍵がなくて、3週間ほど探し回った。これは無事ひょんなところからでてきた。
 
そして、先日。
プールに行こうと、携帯をポケットにいれてロードスターに乗ったところ、ポケットごとはさんで携帯が割れる。ちょうどSDカードやシムの入っている角のところで、液晶はあっというまに漏れて携帯昇天。保険をかけていたので、新品と交換してもらいにドコモショップへいって、代替機を借りる。次の日に新品を取りに行くので、1日かりていたのだが、もちろんシムとSDカードは差し替え、どうせ1日だからとロックもかけず。
ところがやはり魔がさすというのか、これを紛失。騒ぎ。結局でてきたんだけれど、なくしたらえらいことになっていたところで、もう、心神喪失状態で必死で探し回った。
 
そんなことでSDカードもいかれて、写真や動画のデータが消失。パソコンはパソコンで、USBポートが2つもダメになり、分岐アタッチメントをつけないといけなくなった。
 
次にはこれも気に入っていたオパールをつないだ小さな鎖状の指輪がいつのまにか指をすり抜けていた。どこでどうなくしたか、さっぱり見当もつかない。これはあきらめざるを得ない。がっくりすぎて声にならない。。。
 
今日は今日で、朝、駅で定期を継続更新したところ、どういうわけか6か月にしないといけないのに3か月で更新。クレジットで支払終わってからはた!!!と気づく。
やばい。3か月と6か月では、2万円以上の差がついてしまう。すぐ窓口にいったのだが、うちの最寄り駅は小さい駅。いるのもさえないおっさん。話を通じさせるのに5分、結局ここでは手続きできないからみどりの窓口のあるところへいく、というのがわかるまでにさらに5分。
ならば、通勤で降りる駅にあるからそこでいいか、というと、隣駅でないとだめ、などというので押し問答する始末。(もちろんどこの駅でもみどりの窓口ならいいんですよ)。
しかたないので、いつも座るためにわざわざ遠回りをしているルートを捨てて、もみくちゃ40分コースを選択。ひどい朝だった。
 
長い間経過観察だった橋本病の検査を2年ぶりにしてみたら要精密。さすがに治療になったかとおもって近所の医者にいったら、そちらはまだ大丈夫だったけれど、腫瘍が2つみつかった。怪しいから半年後にまた検査といわれる。めんくさくてどんより。
 
子供は子供で、一人は卒業不可。もう一人も手違いらしいが、ペンディング状態。長い人生焦ることはないと思うけれど、二人にとってうれしい幸せな日々であってほしいと願うばかり。
 
そのうえ、昨日の台風並みの風で、離れたところに停めているバイクの上等なカバーは飛ばされて紛失。貰い物で大事にしていたから、懐中電灯をつけて半径1キロくらい探し回ったんだけど、見いだせず。仕方ないので新調。もう飛ばされないようにロックもつけるのにさらに散財。
 
もうこれ以上大切なものをなくしたり、散財したりしたくないので、なお一層注意深く、慎重に、身を慎んでおとなしくしていないと。
神様仏様にもしっかりお神酒をお供えしてみた。
画像は鋸山の大仏様。梅がきれいだった。

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緊急事態

うう

1年9か月になる携帯が、突然の不幸に見舞われてしまった。
ほぼ即死。どうしよう・・・・
しかし、こうなると改めて思う、精密機械のはかなさ、もろさ。
あしたはこっそり抜け出してドコモにいかんと・・。

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春にむけて

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かなり遅いんだけど、というか、消毒や寒肥はちゃんとやったんだけど、長年気になっていた土替えと鉢増しを、満を持して決行。

 
フルタイムになってからはや7年が過ぎようとしている。
それまでの非常勤講師だったころは1日マックス4時間週3日勤務のうえ、山も自転車もやってなかったから、空いた時間はたっぷりあった。多い時は挿し木で増やしたものやミニバラを含めて100鉢の世話をしていたバラ。かなりの数を里子にだしたり、かわいそうにも枯らしたりして、いまでは残っているのが13鉢。
レオンティーヌ、ジュード、シャンパーニュ、アンティークレース、エブリン、ガブリエル、カザンリク、ローズ・ド・メ、ティンカーベル、ミニバラ3つ。はぁ。残念かつ申し訳ないことだ。

4月終わりに、これも満を持してイランにいくので、それもあってまたバラに対する情熱がふつふつとわいてきたわけなのです。イランではバラ水やバラオイルの代表的な産地であるカーシャーンとガムサルのバラ園を訪れるのが楽しみでしかたない。

現地のエージェントから、ヴィザ申請の手続き案内がきて、現実感が増してきた。ぐだぐだ言い始めていたカタール航空も、日本撤退は撤回したらしい。やれやれ。
   
さて、今季、そんなわけでまたいけない指がポチリ、ポチリと動いてしまい、新顔一番手が到着した。その植え付けもあっての世話。
 
トップ画像の左がF&Gのひより、右がデルバールのブリーズ。和名のバラって、日本がんばれ的な気持ちになるのと、なんだか和む。タグみたいな花が咲いてくれるといいんだけどね。2枚目が大事なジュードとシャンパーニュ。
 
ほかに4月到着予定なのが、シャンタル・トーマス、マルク・アントン・シャルパンティエ、レトランンジェ、まそら、モニーク・ダーブの5つとミニバラ5鉢。
ミニバラは最も狂っていた頃をなつかしく思い出させる、パフューマ・コルダナ、ペパーミント・コルダナ、コモ・フォーエヴァー、とテディペア。
 
なんとも残念なのが、河合伸二さんの香茶がどうやら生産中止になっているらしいことだ。どこをどんなに探してもない。オークションにでもでないかなぁ。大好きだったのに、なくなるなら枯らさないようがんばるべきだった。そういえばまだある程度やっていた頃から、探してもなかった気がする。
逆にいうと、生産元で消えてしまったということは、弱いまたはなんらか問題があるってことかもしれない。
 
土の還元剤にはHB-101入りのものをたっぷり。グアノもたっぷり。ふかふかにしてあげた。
が、けっこういじったのでダメージが大きくなければいいなあと祈るばかりだ。

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みんなでスキー

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今シーズン初の家族とのスキーは野沢温泉、ひさびさ。実に15年ぶりくらい。わお。
かわってなかったわ~。
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土曜日もそこそこ天気がよくて、この日は初めての戸狩ですべる。小さいけど、結構おもしろくて、非圧雪バーンいっぱい。その中で、きれいに整地されたモーグルバーンがあって、息子二人の華麗な滑りを堪能。次男ぼーもいつのまにかとてもうまくなっててびっくり。
翌日日曜日は、午前中ひどい吹雪だったけど、予報どおり3時からはご覧のぴーかん。
右は一晩で40cmつもった雪。車を掘り出すのがたいへんでした。野沢っていつもこう。
 
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ああ、そういえば大きな変化があった。午前中の猛吹雪の上部、ゴンドラを降りたところにいたかわいい子。こんなふうに外国人がすごーく増えていた。若いひとだけじゃなくて、家族連れもとても多かった。上の平は、あまりの吹雪で顔が凍傷になるかと思うほどだったのに、小さい子ががんばって感心。
 
午前中は下のほう、日影ゴンドラで。非圧雪の上級バーンがたくさんあって面白い。わたしも両膝怪我してからは、怖くてコブ非圧雪は避けてきたけど、今年はなんだか行ける気がして、ひさびさにチャレンジ。兄ちゃん先生の的確なご指導で、なんかちょっとステージアップしたかんじ。
午後からは人もすいてきたので、長坂ゴンドラにもどって、スカイラインやら牛首やら楽しんだ。おもしろかった。
 
温泉もよかった。泊まった宿にあった半屋外の露天。野沢はクソ熱い無色透明の湯と記憶していたが、この露天は白濁硫黄のぬるーい湯。体温より微妙に高いくらいなんだけど、これがめちゃくちゃ気持ちよくて、アルファ波、シータ波でまくりで、50分くらい夢うつつで揺蕩っていたのが最高だった。
帰る日、そのクソ熱い街中の共同温泉に寄ってみると、狭くて熱いのにオーストラリア人のおばさまが二人、どーんとべちゃ座りしながらお湯をたのしんでいた。外国人もかわったわね~。
 
さいごに。雪をのせたフォレストグリーンの車は愛車レガシィ・ランカスター13歳15万キロ。これがラストランでした。帰りの高速で、こいつといったあちらこちら、いろんなことを思い出しながらステアリングを撫でていると、ジーンと涙がでそうでした。ご苦労様。鹿とぶつかってバンパーが割れ、タイヤホールがつぶれ、マフラーは穴があき、いつ落ちてもおかしくないくらい錆び、後ろタイヤはほぼパンク、ブレーキも錆びて効かないという、満身創痍でよくがんばってくれたね。ほんとにいい車だった。エンジンは今でもまったく快調なんだけど・・・。
跡継ぎには、トリビュートで、同じナンバーをつけることにした。
お別れは辛いなあ。

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旅先

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今でも付き合いが続いている学生時代の友達がいる。学生時代の友達は他はほぼ途絶えてしまった。たった一人の親友といっていい。誕生日も近いから、誕生会と称して毎年おいしいごはんとお酒で一緒に祝う。彼女は暮れに母上をなくし、一人っ子で父上も卒業後すぐになくしているから、自分の身寄りは絶えてしまったのだ。独り残されたことがかなりきつかったよう。いろいろと語るも語られるもしみじみ濃かった。自分の家庭はあって娘も二人いるんだけど、それとは違うよね。

 

話の中で、3年くらい前からどこか一緒に旅行をしようといっていたのが、また真面目に検討の舞台にあがることになった。どこがいいか、調べとくね、といって、またツアコンを買って出てしまったワタクシ。でも楽しい。

ここからが本題。候補はスペイン、ポルトガル、シチリア、タヒチ、サンクトペテルブルグ、シチリア、アイルランド

この中でわたくし的に俄然行きたい度がUPしたのがアイルランドなのである。いい。行きたい。できるなら2週間くらいかけて、レンタカー借りてじっくり全土を回りたい。そうなると、独りで行った方がよさそうだ。彼女は体力もなくて自由旅行は経験がないようなので、おなじようには楽しめないんじゃないかと思う。

オフィス街である会社のすぐそばに、場違いにぼつんとアイルランドの物産を商うお店がある。わたしの古巣、吉祥寺にも支店があるそうなのだが、お客が入っているのをみたことがないこのお店が、実はなかなか面白い。友人のプレゼントを見つくろうつもりではいったら、思いがけずよいお買いものができたうえに、あれやこれやアイルランド情報をたくさんもらった。ついでにちゃっかり自分用にもゲットしたのが、ニコラス・モスという人気作家さんの陶器である。あったかくて味のあるもので一目ぼれしてしまった。聞けばこの人は、萩で長年修行をしたのだそうだ。だから小さ目のお茶碗サイズの器があったり、それには高台がついていたり、妙に和のテイストがあると思った。画像にあるように、縁取りがついているものは、なにかの条例に引っかかるらしく、今後入ってこないのだそうだ。
そういうの、弱い^^;

現地に行って買うほうが・・・?が、そうすると持って帰るのが大変です。陶器とか瓶とか、重くて壊れやすいものはお土産には適さない。

そんなわけで、4月に20年ぶりに来日するリバーダンスのチケットをさっそく確保したので、見に行こうと思う。リバーダンスは、ずっと気になっていて、いつかぜひ本物を見てみたいと思っていたから、とっても楽しみだ。かっこいいんだよー♪

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727 Sail Bags

ちょっと前。いつもの疲れた帰りの電車の、あれはなんというのかしら、JR車両のドアの上にあるちっちゃなモニター。けっこうぼーっと見ていることがおおい。

マリオみたいなのが出てきて、プチうんちくを紹介したり、お店の宣伝のような、おいしい逸品の紹介とか、リサイクルの紹介などもしている。たとえばホタテの殻をチョークにつかっているとか、間伐材を薄く削って枕の中身にしているとか。
 
その一環で、紹介されていたのがヨットの帆のリサイクルで作られたデッキチェアの話題。
そもそも部屋でくつろぐ椅子が欲しいと思っていた。ヨットは母校の高校が強くていつもインターハイで優勝していたくらいなんだが、実はヨット部に入りたかった。そして今かかりつけの体メンテの先生がヨットウーマン。そんな背景もあり、ものすごくぴかっと来て、なんとかそのリサイクルをしているメーカーの名前をしりたく、映像が一回転してもう一度そのリサイクルの話題になるまで待った。
必死でメーカーの情報をさがしたけど1回目はみつからず。もう一巡するのをまって、やっと右上隅っこにちいさく727sail bagsとかいてあるのを見つけた。
 
家に帰って、これまた必死に検索。が、記憶したつもりが727を272と間違えていたり、なんやかんやでやっと見つけ出したのは次の日。
 
サイトをみてみるとおフランスのメーカで、当然のごとくフランス語。日本でも今やかなりのHPが英語版を用意しているというのに、欧米なら当然至極と思われる英語表記は一切ない。内容はだいたいわかったんだけど、soldeなのにカートに入ったり、システムがちょっとわからなかったりしたので、問い合わせてみた。するとこれは英語でさっそく返事があって、無事希望のものがオーダーできるようだ。オーダーフォームに必要事項を入力してぽちっと。
さすが先進国。さくっと反応があってすぐシッピングの手配がされ、本日2週間かかってやっと到着。期待以上のものでなかなかうれしい。以下手に入れたものたち。
 
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左から、到着した段ボール。頑丈にパック。しかし、関税が2400円、なぜか消費税が2000円、そしてこれまたなぜか地方消費税なるものが500円、運送屋の手数料が926円。これは計算してなかったなぁweep  とういか納得いかないんだがなぁ。。。
 
メインセール、ジブ、など、どのパーツを使ったか、その船はどこをいつ頃走ったのかなどがメモされたタグがついている。
何しろ丈夫なことはこの上ない。わたしのほうが先にくたばるんじゃないかとおもう。
一生モノでございます。出会いに感謝。
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最近のTOPIC

最近見た映画でよかったもの。

原題「imtation game」
以前、コンチータ・ウルストがどんな人が知りたくて、いろいろと調べていたとき、イギリスの天才数学者でゲイであることが発覚したがゆえにその業績も抹殺され、最終的に自殺した不遇の人のことを知った。コンピュータの始祖を発明開発した人としても。
それがここで合致するとは。
 
加えて、この数か月読み漁っていたケン・フォレットの各作品のバックグラウンドである第二次世界大戦当時のイギリスの状況、たとえば連合軍の総攻撃に関する情報合戦、つまりはドイツ軍の暗号をイギリスが極秘に解読していたことや、暗号合戦のあれこれが、これまたここで合致。ますますケン・フォレットの良さを感じている。
その孤高の生涯と、その功績にまつわるさまざまな軋轢、困難、障害、彼の中の成長や変化が非常に興味深く丁寧にまとめられている。秀逸な作品だった。
 
がしかし、ケン・フォレットも最近作の「巨人の落日」をもってしばしお休み。
ひとつはほぼ全作品読んでしまったことと、しばらくはペルシア語の勉強に時間を割くから。
あのミミズみたいなアラビア文字が読めるようになった♪
好きこそものの、というけれどまったく。
気持ちがあればできるもんだな、ほんとに。
とても無理とおもっていたあのアラビア語がすんなり頭に入ったのだもの。
とりあえず旅に必要な程度はなんとかしたい。
フランス語、スペイン語も昼休みにぼちぼち続けているのだけれど、今日完全に理解したと思っても、次の日には忘れている鶏アタマに泣けてしまう日々。やれやれだ。

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満を持して

さっそく旅馬鹿PJ第一弾発動。

なによりも一番、どこよりも先に、何があっても絶対行きたいナンバーワンの5月のイランへ。
それは新年仕事始めの日。
ぼんやり昼休みに旅サイトをみていたら、旅の神、降臨。アッラーではございません。
暮れのモロッコはなんだかんだ、取りやめてしまったけれど、思うに、やはり行きたいという情熱が足りなかったんだ。
だって、イランは、なにがあろうと行くのだという気持ちが揺るがない。いつものあれ。絶対間違いなくそうなるというなんの根拠もないけれど何の疑いもない確信。
国境封鎖されない限り、お金がかかろうがテロがあろうが地震があろうが。インシャ・アッラー。
お隣の国の騒乱は確かにある。案の定、家族はモロッコ以上の拒絶反応。
でも逆に今いかないと、シリアみたいに行けなくなるかもしれない。
あの美しい、マスジェデやモスク、宮殿やペルシャ庭園が破壊されて見られなくなったら、もうほんとうに死んでも死にきれない。
ペルシャ文化の粋を集めたエスファハーンやシーラーズ、どんなに夢見たことか。
子供のころから読み親しんだ物語でそれらは育まれた。どこよりも強烈な異国のイメージ。摩訶不思議な技を持った人々がうごめく妖しい世界、夢幻の翼、空飛ぶ絨毯。
私のなかのファンタジーの根源。

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2015 あけました

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暮れは27日から31日まで、青森は八甲田へ、山スキーにいってきた。

大好きな酸ヶ湯に浸かり、雪まみれになった数日間であった。同系列高級ホテルの八甲田ホテルのお湯にも入ってみたけれど、こちらは硫黄分が薄い分、PH 値は低く、1.2と玉川温泉なみ。二つの温泉でタオルがぼろぼろになってしまった。
暮れ、ちょうど酸ヶ湯で餅つきのイベントに遭遇。なにやらありがたそうな搗き立てのお餅の振舞にあずかってきた。

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帰りには、古遠部、大河原、○○の各温泉巡りをしながら帰ってきた。
古遠部は有名で人気だけど、わたしのなかではそれほどでも・・。知らない人はびっくりするかもしれない析出物も、好きでしょっちゅういっている長野の加賀井温泉一陽館を知っていると、驚かない。泉質も鉄分の多い赤湯で、わたしの好みではない。
それよりも驚愕は○○温泉。これは素晴らしすぎて言葉にならない。押し寄せられると惜しいので、あえて伏字。温泉好きの師匠に教えてもらって今回探し当てて行ってみたが、ほんとに驚愕。名湯秘湯ともてはやされる並み居る一級クラスにまったく引けをとらないどころか、堂々横綱を張れるすごさ。その素晴らしい色とモール臭、ゆったり浸かっていられる適度な湯温、たっぷりと息づくように湧き出す源泉を透かして見ると、透明なエメラルドがこぼれ散るようでうっとりしてしまう。あふれる浴槽脇で寝ころぶと得も言われぬ陶酔。

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山スキーは新調のロシニョールSIN7の初乗りだったけれど、雪が重くてモナカで、とても初心者には太刀打ちできん。こけて埋もれて起き上がるのだけでへろへろになる、しょっぱいデビューだった。
いや、ツアーの人は170なんで長くないよ、っていうけど、わたしには長いのよ~。初めての長さで、かつバンビロだから、細いトレースの登りなんか、もう、ずるこけて埋まってつっかえて、どうしようもなく辛かった。楽しみにしていた樹林地帯も、雪が重くて、年末の大掃除で痛めた腰と膝を抱えてはつっこむ勇気もなく、ただただ疲れた山スキーとなってしまった。
今頃は砂漠からでてきて、マラケシュのカスバを彷徨っていたところだけれど、びっくり。
モロッコ経由でイギリスに帰国した人がエボラ発症しているんだよね~。まあ、行っていたとしても接触の可能性は皆無といっていいだろうが、報道はされていないものの、モロッコでも死者がでてはいるので、実情がどうだかは未知ではある。

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そして、暮れにロードスターが壊れてしまった。グースもなんだかんだ修理に8万くらいかかってしまったし、財布が寒い。。。
しかも3月車検目白押し。。。ううう。。。。
てことでグダグダな元旦である。いろいろと悩みはあるんですが。

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残りわずか

あと10日ほどとなりました。

会社にでるのもあと2日。いや~ほんと、12月になったと思ったら、あっという間。
なんか仕事でむっとすることが多いここ数日。早く休みになるといいのに、と思う毎日。
先週はホビット完結編を見てきた。いつものように息子二人とレイトショー。今回もわれわれ以外、4人しかいなくてほぼ独占状態だった。いろいろありますが、終わってしまったなぁと。でもみ始めてすぐ思ったのが「うーむ。シルマリルはどんなふうに作るんだろう」と、もう、その気。
22日、ついにモロッコのチケットをキャンセルした。日がせまるとオンラインでキャンセルできなくて、電話がつながるまで13分も待たされてたいへんだった。さっさとあきらめればよかった。でもこれで助かった人もいるはずだと思うことにする。
そしてあさってから青森へ。新しいロシニョールSIN7の初乗りが楽しみだ。吹雪かないといいなあ。そして高速が止まりませんように。
旅のサイトで、また新しいひととお友達になった。旅が語れるのはうれしい。来年はどこにいこうかな。5月のイラン?来年はお休みが余り続かない。短い日程で近場かな。もう夏のチケットなら押さえないとな。
昨日のお休みは息子2人と大掃除して、またまた腰が悪化した。外回りの掃除が大変だった。きれいになると嬉しいけど、このままでいられるのもほんのちょっとだと思うとむなしくなる。腰は最近は仙骨の痛みがひどい。立ったり座ったり、前に曲げたりすると、ボキボキ音がして激痛が走る。今週はクライミングもお休み。
友達からハイレゾをDVDオーディオに焼いてくれと頼まれて悪戦苦闘しているのだが、どうしてもできない。根本的にシステムの何やらがわかってないから、ほんとに手さぐりでしか進めないのが悔しい。そして止まってしまうとどうにもならない。イラつく。
さーもうねよ。つまらん。
今日はなんとなくちょっとごちそうがいい、というので
ちょっとごちそう風にしてみた。

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さっそく

なんと世の中は便利になったもんじゃ、驚き。

何に驚いているかというとですね、さっそく語学を始めようと思ったわけですが、これまではラジオもしくはテレビの各国語講座しかなかったわけじゃない?基本は。某NHKさんの。数年前からはポッドキャストというのがでてきましたが、これはきちんと系統だった講座というのはなくて、BBCのニュースだとか趣味の域をでない代物が多かった。ちょっと前は、ですよ。

ところが、気付くのが遅いといわれて終わりそうですが、昨今はストリーミングで某NHKの講座がいつでの好きな時にオンラインで勉強できるではないですか。しかもご親切に出席簿までついちゃって。すばらすい。

さっそく昼休みに最近ご愛用の(借り物の)ヘッドフォンをつかってスペイン語講座3日分やりましたとさ。おもしろーい。別にテキストなんかなくてもできる。ないほうがよほど耳に集中する。これは使えます。さっそくフランス語とスペイン語とアラビア語を登録してみました。

さすがにマイナーな言語まではないので、ペルシャ語なんかは自力となりそうですが、さっそく展望が開けてやる気に勢いがついたのでした。

そう、余談ですが、なんでヘッドフォンかというと、2週間ほど前にオフィスの自分の机からビルの玄関までの10m位のあいだで、大事なIpodを大事なイヤフォンごとなくしてしまったのです。周りの人は「いまどきパくるひとなんていないっすよ~」というのですが、現実問題どこをどう探しても、可能な限り捜索しても出て参りません。ぐっすん。

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年末ちかしで近況まとめ

  

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    長崎・軍艦島             阿蘇・米塚

いつの間にか12月も半ばとなってしまった。はやいなあぁ。
11月連休は友人と九州へ。自分の地元やらイカやら自分もほとんど知らない長崎やら、そして大分の温泉巡りと、大義名分の登山は九重。最高のお天気で素敵な旅だった。
温泉は、長らく行きたかった長湯ラムネ温泉とミョウバン温泉の泥湯。これはどちらも驚愕だった。東北や長野の硫黄泉ともまた違う、強烈さだった。もうひとつ、玉川温泉に次ぐ日本第二の強酸泉、塚原温泉火口乃泉へも。こちらは鉄イオン、アルミニウムイオンの含有率も日本一というのだけれど、いう割に透明で穏やかな湯だった。

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   夕景の島原半島             阿蘇の雲海

映画は「The Giver」がよかった。今週末はいよいよホビット完結編公開。わくわく。
本は相変わらずケン・フォレット。ギャングの話の「ペーパーマネー」の次はアフガン戦争に絡むスパイの「獅子とともに横たわれ」。これには実在の、アフガンゲリラの頭目、マスードも登場して、息詰まる攻防や厳しい山越えの冒険もありで、面白かった。やっぱり冒険だよなぁ。

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   塚原温泉の火口           阿蘇・草千里

でも。
これがはメインではなくて。


今月初め、同志と思っていた前の社長が引退してしまった。突然に。10月飲んだ時に、あまり遠くない将来といっていたけれど、あまりにも急な展開で、思った以上に衝撃と打撃を受けてしまった。同年の彼は、温泉、歴史、そばからビジネス、世界情勢、宗教から生き方まて語り合える、ニュートラルな話相手だった。
時間が大切だということがとても真剣に思われてきたという。
生活の手段は確保してあるようだけれど、それでも大決断だ。まだ54。男性としてはもう一花もふた花もあるだろうに。

そして私はどうだろう。と思うわけですよ。
面白くない、興味もわかない仕事だけれど資金のためには捨てられないでいる。それもでも長くはないだろう。契約社員の身分は保証されたものではない。

そしてもう一つ、いや二つ。一つは一度は思い立ったJICA。できるなら初志貫徹、一生に一度は人の役にたってみたい。そのためには早ければ早いほどチャンスは大きい。
二つ目は旅。やはり私にとって、根源的な衝動は旅なのだとしみじみ思うに至った。
その旅を遂行するための資金は十分とは言えないし、もしJICAに行くのなら、仕事も長くは続けられないだろう。

あれやこれや考えると、そろそろ準備にはいらなければならないと思い始めた。
本や映画、温泉や山、ダイビング、楽しくやりたいことができる生活はとても素晴らしいのだけれど、このままぬくぬくとそんな生活を続けていても、先の展望はない気がして焦る。
それで発動したのが「旅馬鹿PJ」。この先15年のスパンで作戦を遂行していこうと思う。70歳くらいまでは何とか動けるんじゃないかなあ。

目的地は
①ケニア~タンザニア
②トルコ~シリア~イラン~イスラエル
③カナダ~アラスカ
④スペイン~南仏~イタリア
⑤メキシコ~カリブ
番外:ナミビア、ラダック、チベット、パタゴニア

やっぱり語学。フランス語とスペイン語が片言でも会話できる程度にはなりたい。
資金作りとブラッシュアップを兼ねて、日本語のプライベートレッスンも始めないと。
思ってるだけじゃなくて動かないとね。

動く手始めとして11月から始めたダイエットは無事成功。ひさびさに軽くなって快調。
腰も5か月通っている先生によってだいぶ良くなってきたので、リハビリ中の師匠とともに、毎週こつこつクライミングジム通いも始めた。プールは夏より頻度は減ったけれど、これもボチボチ続けている。1年ぶりにエアロバイクも復活。(てことで映画なんだけど)。
山が雪山になったので、さすがにこれの荷物を背負うのは無理だから、冬の間はスキー。

そして。
モロッコ行は、あとエアのキャンセルだけだけれど、どうしても最後の決断ができないでいる。気持ちも萎え、他の予定も固まってきたし、行けば大枚はたかないといけないから、今の財政ではキャンセル必定なんだけどね。ぽちっと手放すのが名残惜しくて。

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初冬のお山

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ぽっかりあいた土曜日。朝ごはんを終わってみると素晴らしい小春日和。
これはじっとしてはおれぬ。
すぐ支度をして、今からでも間に合う山へ車を走らせる。
目標は赤城山。関越からいつも見えるこの山には実は登ったことがない。近いからいつでも行ける、とおもうとなかなかいけないものだ。
寒いは寒いだろうけれど、北アルプスと違ってまだ積雪はないはず。道も凍結する前、人も少なかろうということで狙いはあたったのだが・・・
それにしても寒い。寒くてたまらん。外輪山の様相を呈している赤城山の最高峰は黒檜山で、登山口から標準タイムでも2時間ほど。普通は短すぎるので駒ヶ岳までぐるりと回るコースがおすすめらしいが、あまりに寒いので黒檜山ピストンでそうそうに降りてきた。
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霧氷の美しい山頂部は強い風にあおられてばらばら落ちてくる霧氷の塊と、あらたに降り始めた小雪で登山道も固まって滑る。指先もあっというまに感覚がなくなる。
11時40分ころ登り始めて、山頂を見逃してちょっと行き過ぎてしまったが、1時半には降りてきて、温泉も入らずに家についたのは5時前だった。往復とも30~40分の渋滞を乗り越えて。
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でもふもとの紅葉はすばらしく、山道ドライブを楽しんだ。

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旅と写真

やっぱり行きたいなぁ~

わたしにとって旅=写真。せっかくカメラのいいのを持っているけど、日常的には撮りたいという欲求はなかなか生まれない。

旅人サイトでひとの写真みてると、いいなぁ、とりたいなぁ。と思う。

このところ見ているひとの記録はラダック。他のひとの記録でもいいなぁと思っていたけど、実際にチベット文化を昨年ちょこっとだけ味わったから余計に、今は懐かしさとかもう一度という気持ちが強まってきた。

当時はおいしくないなぁとすぐ飽きてしまったダルバートさえ、今見るとおいしそうに思えるから不思議。そして飲みたくてまだ未経験のバター茶をぜひぜひ飲んでみたい。
昔の遠征隊の記録に必ずでてくるバター茶。ネパールのヒンズー文化圏ではないのよね。

去年のネパールでは、遠くからちら見しただけで、本当のチベット仏教のゴンパにはいってみることはできなかった。チベット仏教の硬質で頑固な祈りの世界をみていると、人間の生のちっぽけさと、だからこそもがいて生きなければならない使命を感じる。

やっぱりいいなぁ。荒涼とした高地に、孤高にそびえるゴンパ。強烈な色彩。乾いた風と空。ボロボロのバスと崩れそうなガタゴト道。ああ~行きたいなぁ。

で、ヒマに任せてカメラの勉強をしていると、やっぱりねぇ、お約束のレンズ沼に近づいていくなぁ。キットのズームでこれまでは十分だったけど、APS-Cのキャノン7Dは、広角が苦手らしい。そうなのよね、ずっとそれがひっかかっていたのよね。
室内とか、大きな建造物の全体を撮りたい時にすごく不満だったのよ。

超広角でとりたい。欲求がふつふつ~~~

しかし、次から次へとよくも欲求が尽きないものだと、我乍ら呆れる。

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やった~~~~~~~;;

                    商品の詳細
ああ~~うれしくて死にそうです。
30年、忘れられず、大切に胸に抱いてきた、とある歌。
たった一度ラジオで聞いただけなのに、フランス語のシャンソンなのに、
出だしからワンコーラス、全部覚えてしまった。それほど強烈だった歌。
誰のなんという歌なのか、まったく探すよすがもないまま時は過ぎていった。
それが今日、やっとわかった。
今でも、毎度山を歩くたび、特に美しい秋になると、どうしても口ずさまずにはいられない。
ところどころしかはっきり覚えていない単語をつなげ、わからないところはハミングで、延々と口ずさめる。淡い青の空に紅葉が映える頃、それはぴったり心に添う。
それもそのはず。その歌は。

こちら

(※朝倉ノニーさんという方のブログより。シャンソンの邦訳をなさり、ご自身で歌ってもいらっしゃるようです。こちらの記事が一番素晴らしかったのでご紹介かたがた)


ああ。。秋に歌いたくなるはずだわ。「9月」っていうのね。

やっと巡り会えたね。長い間、探していたんだよ。歌っていたすてきな歌手はバルバラっていう人なのね。もうこれで今日はすべて許せる。最高にHappy。