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タンザニア 1

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この先わたしはどこへ行けばいいというのだろう。
こんなに幸せな旅をしてしまったあとでは。
何度も行きたいと思うけれども、多分最初のこの感動を越えるものを得るのは簡単ではないだろう。数あるアフリカの野生保護区でも最も素晴らしいと言われているセレンゲティ国立公園。

ペルセポリスよりもずっと前から、わたしの中で一番古くから長い間行ってみたいと思っていた場所。そして本当に行けるとは思っていなかった場所、セレンゲティ。その響きに風と草の匂いが感じられるセレンゲティ。

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誰にいってもほとんど反応のない往年の名番組「野生の王国」で常連だったセレンゲティの動物たち。、一番好きだったのは八木治朗さんの司会と、上野動物園初代にして名園長の古賀忠道さんの解説という名コンビ時代だった。古賀さんはわが郷土出身と今になって知った。ほんとうに素晴らしい解説者だった。物心つくころから動物は好きだったけれども、この方の影響は拍車をかけるのに大きかった。

心待ちにした当日は落ち着いて定時まで仕事をし、上野でご飯をつくり、支度を整え、9時半に出発。羽田発0.10のカタールは、ドイツからこっちずっと同じ便を使っている。今回は変更もなく定刻通り。しばしサクララウンジで過ごして機上の人となる。
毎度ながら深夜なのでご飯もパス。映画もほとんど見ないで寝ていた。

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ドーハ着が明け方5時ごろ。今回は乗り継ぎ2時間という余裕なのでゆっくりトランジットセキュリティを通り、まだゲートが決まっていないのでラウンジへ。やはり混んでいたがしばらくすると座れる。最後はボードとにらめっこして、やっと40分前に表示が上がったと思ったらLAST CALLという。そりゃないだろ。と思いながら急ぐ。しかもEゲートだからトレインに乗らないといけない。最後から2番目の搭乗という、意外に危ないところでいよいよキリマンジャロ空港へ向けてテイクオフだ。

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ドーハからしばらくは砂漠の上、そこから洋上だったが、航行の関係上窓はシールドを下ろさせられる。それでもキリマンジャロに近づくと思われる頃は我慢できずに少しシールドを上げ、光が漏れないよう両腕でカバーしながら目を凝らすと、大雨期のケニア・タンザニアの上空にはコッペパンのような雲が一面にポコポコ浮いていて、大地には赤茶色の筋が見える。枯川かとおもったら、逆に土で濁った大きな川だった。思いのほか緑も豊かな大地が続いて、やがて下降に入るアナウンスが機長から流されると、期待通りすぐ眼の下にキリマンジャロが現れた。残念ながら山頂が少しだけみえていて、ほとんど雲の衣をまとっていたが、これがアフリカ大陸最高峰なのである。みられてよかった。

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すこしづつ機体は方向を変えながら円を描いて高度を下げ、やがて静かにランディング。ついに降り立つのだ。初めての大陸。うれしい。素直にしみじみ喜びが体じゅうに広がっていく。

空港は簡単な建物で、タラップを降りて10mほどもあるけば到着。イミグレカードをかいたら一番乗りで窓口へ。指紋を採取されて通過。1ヶ月ほど勉強したスワヒリをさっそく使って挨拶するとにっこり。いちおうターンテーブルにのってやってきた荷物を取り上げて出口に向かうと、ネームカードをもったガイド兼ドライバーの青年が待っていた。愛想の悪いぶっきらぼうな彼はジョンという。マサイの血を引く31歳。

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とりあえず本日の宿へとむかう。アルーシャまでは40分ほどだったか。すっかり雲の中になったキリマンジャロを後ろに、右手にはメルー山をみながら、思った以上に綺麗に舗装され道端にはゴミも全然おちていないまっすぐな道をすすむ。

宿は寝るだけなので安いところにした(といってもたしか6000円くらいはしたような)。アウトポストロッジといってちょと町はずれ。しばらく休んだあとご飯でも買おうかと歩いてみたら、大きな通りにはとても立派な高級そうなホテルがたくさんあった。

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大きなお店などはほとんどUSドルが使えるので現地通貨は用意しなかったが、道端の露店や商店は無理なのと、さすがに夕方東洋人の女が一人で歩くのはあまりよくないので、手近なホテルの売店でも、とおもったのだが、売店という発想はないらしく、レストランでサンドイッチをつくってもらった。やまもりポテトがついて8ドル。結構高い。

ちなみに東洋人は他には一人もみかけなかった。

ほんとはそれよりもおばちゃんが道端に座り込んで売っていた焼トウモロコシがすごくうまそうだったんだけれど、タンザニアシリングもないし、買う勇気がでなかった。

タンザニアはトウモロコシが主食らしく、整然とトウモロコシ畑がひろがっていた。なかなか青々と背高く茂って、手入れもよかった。他に道端に顕著なのがサイザル。強い、ロープに使う繊維をとる植物である。これはドイツが支配していたころ、プランテーションが大々的に展開された名残だ。いまどきはさほどの需要はなくなったのだろう、大きな農場のようなものはみられなかった。麻というから、大麻草のような草かとおもったら全然違い、実はリュウゼツラン科の植物なのでサボテンのよう。見た瞬間そう思った。これも見るまで知らない事だった。世界は広い。

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そしてタンザニア・ケニアといえばエチオピアとならんでコーヒーだ。これは両脇にひろびろと農園が広がっている。初めて見るコーヒーは、思っていたのと違って灌木程度の樹高で、たくさん実がなっていた。コーヒーにはアラビカ種とロブスタ種があって、ロブスタ種は低地でも栽培可能で強いことから街中の農場ではこれが栽培されているらしい。

こんなことをジョンは流暢な英語で説明してくれる。ここタンザニアは、中南部アフリカでは比較的レベルの高い国のようで、経済成長率は7%を維持し続けている。まだ最貧国ではあるけれども、ドイツから独立したのが1961年(私が生まれた年ですな)、当時の大統領がなかなか立派な人だったようで、今でも国民の敬愛を集めているようだ。

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アフリカといえば思われる部族間の対立や内紛が、唯一起こっていない国であり、部族は150を数えるというが、建国当時民族による投票や結党を禁じたことが大きいらしい。アフリカというとスワヒリ語、と思い浮かぶくらいポピュラーな言語かとおもったらとんでもなく、実はタンザニア・ケニアの東沿岸に定着したイスラムとの混合文化から生まれた言語で、けして多民族言語ではない。これを国語として採用したことも、タンガニーカとしての一体感を生む一助となったそうで、なかなか立派だ。英語も同じく公用語で、よほどの年寄か教育を拒むマサイ以外は問題なく操る。

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そしてこのスワヒリ語がとても面白い。昨今は便利なものがあり、携帯のアプリで学習ができる。面白くやっていたのだが、普段あまり使わないフレーズがのっけから出てくるので違和感があったのだけれど、実際いってみると確かにまず使えるというフレーズで、これには驚いた。
洗うとか、磨くとか、拭くという単語、先生、生徒、技術者、樹、森・・。普通、外国語の始まりは数字とか曜日とかなのだけど、こういうのは全くでてこないのに妙に不自由しなかったのが不思議であった。

そうこうしながら、長旅と興奮の初日、いつのまにか天蓋レース付のベッドでぐっすりねむっていた。

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コメント

わーお!
今までの旅行記と写真の色合いが全然違う!
空の青も赤も緑もさすがに美しいですねえ。
セレンゲティは覚えてないけど「野生の王国」は好きでした(^-^)

投稿: ヒバリ | 2017-07-27 01:18

ヒバリさん

こんにちはー
よくみると写真がだいぶあっちこっちかぶってます^^;
夢のような旅でした。実際ここにいくことは長い間の夢でしたから。
野生の王国、みてましたよね!初めてです、見てたっていうお話きいたの。うれしいです。同年代でも反応ないんですよね~。

そして最近は猫の里子募集サイトやらついブリーダーさんのサイトやらみてしまって、いかん!!!とぶるぶるっとしたりしてます。猫との二人暮らしもすっかり気に入って、気を付けないと猫屋敷になりそうです(笑)

投稿: マウンテニア | 2017-08-25 11:06

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