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2017年8月

沢と自転車

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7月梅雨も明けたので、年に1回の(最近は)沢にいくことにした。

赤牛でルートファインディングや渡渉において、ひさびさに軽いバリエーションとなり、たまには真面目なバリエーションにも触れておかないと、という想いが強かったので、季節柄沢に行くことにした。しばらくクライミングからも離れているので、登攀系は避けて、癒し系をリクエスト。もちろんイワナと焚火付き。

師匠からは皇海山の西山麓、タニ川の支流、小田倉沢の提案。もとは苗場のほうへ行く予定だったが、天気が悪いので転向。金曜日の10時に集合して出発。ひさびさの師匠の車は、いつのまにか4WDのステップワゴンハイグレードに進化していた。

入渓点付近の広い駐車場に12時前には到着。師匠は飲めない人なので酒盛りもなくそっこー就寝。明けて6時。沢支度をととのえ、トポ通りの廃屋脇からタニ川本流へと降り、すぐの小田倉沢へとはいる。しばらく水もないがやがてそれらしい沢になる。

1年ぶりの沢は、水のきらめきが美しい。小さい滝が3,4つ続いた後、すぐハイライトの大ゼンがでてくる。たいした苦労もなく巻く。途中の滝も、泥付きの巻き2,3回であとは全部直登。

困ったのは小田倉沢は午前中に遡行終わってタニ川に戻るルートだけれど、師匠が設定した丸山のコル越えがなかなかわからず、へんに尾根に上がってしまったため、3つほど谷を渡る形になってえらい遠回りになってしまった。この頃からカミナリがなり始め、雨がときおりポツポツ落ちてきたけれど、大した降りではなかった。

なんとかかんとかコルを見つけてやっと本流に合流したところで4時。幕にはちょうどいい時間。イワナの塩焼きのための棒の準備に余念のな師匠のよこでわたしは水汲み。ところがいつになく苦労するのは、どうしても葉っぱやゴミがはいってしまうから。なんで?

と思う間に、みるみる水が濁り始め、着いたときには澄んでいた水があっというまに濁流に変わった。通りかかった釣り人にきくと、本流の上流は土砂降りだったらしく、逃げてきたという。ギリだった~。

そこから潤沢な焚火材でごはん、イワナを賞味し、暗くなったら就寝。次の日は朝から天気もすぐれないので降りて温泉にいくことにした。すてきなジェラートをお代わりまでして、すごくおいしいカボチャをまるっと一個買って帰った。

自転車はついにローラー台を設置。GIANTのFUID式。評価も高いようだし、またエアロバイクを上野から運び返すのもばかばかしいし、ローラー台のほうが実践的にトレーニングできるから。ビアンキでやればタイヤを変える必要もないし。やってみるとこれはさすが。5分で汗の水たまりができる。がんばって白石登り切れるようにならなければ。
まだまだ心肺が足りんです。

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タンザニア 7

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ンゴロンゴロを出てマッサージロードを揺られ、ゲートをチェックアウトすると、街の喧騒にもどる。去るのが淋しく悲しくて無口になるのをジョンがチアアップしてくれる。今度はいつくるの、その時は1週間でも2週間でも僕がガイドするから、と。

旅の最初では楽しみだったし、絶対いかねばとおもっていたザンジバルもこのころにはすっかり輝きを失ってしまった。13時半発の飛行機のためにアルーシャの空港に12時前についたところ、出発が2時間半も遅くなっていた。しかたもないので、ベンチしかない空港でただひたすら待つ。FREE WIFIもショップで買い物をしないとPWがもらえないというので、しかたなくカシューナッツなど買って、あとはひたすらキンドルで本を読んで過ごした。相変わらず胃も痛いので、なにも食べられない。
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〈アル―シャ空港にて。ゼブラ模様の飛行機は、古くからずっとセレンゲティの保護に力をつくしてきたドイツの野生動物保護研究機関のプライベート機。さすが遊び心がにくい。右はザンジバルのホテルの窓から〉

ここは非先進国の常としてダラダラなオペレーションで、いつ開くのかまるでわからないゲート(といってもただの通り道)でひたすら待って、やっとチェーンが外され、搭乗が開始された。どうやらこのプレシジョンエアは遅延は常習らしい。

窓際の席にすわると、となりにはでっかいおじさん。うかない気持ちでぼんやり窓の外を眺めて1時間かそこら。そしてザンジバルに着陸。ところがだれもたたない。ずいぶん大人しいというか行儀がいいというか。しかしそれにしてもドアも開いているのに、なぜかおじさんどっしりすわったまま。数人が出口へ向かい始めた。なんで数人???とおもっていたらおじさん「おりるのか」という。おりるにきまってんじゃん!目的地なのに!と思ったのはシロウトのあかさたな。実はこの飛行機、ザンジバル行と表示があるのに、ザンジバルは途中降機で、最終目的地はダルエスサラームらしいとことが、降りてからわかった。あぶない。だれもそんなこと教えてくれないから。

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〈左、ザンジバルのホテルのへや。右あさごはん。フルーツがおいしいのと左上、彫刻のある塩入れがかわいい。左下は何だと思います?スクランブルエッグです。白いでしょ。タンザニアではどこの食事でも、卵がしろいのでびっくり仰天。白身だけしか使わないのかと思うほど。でも本当はこれが自然なのだそうですよ。日本は着色しすぎなのか。〉

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〈アラビア建築は窓が魅力的だ。そして猫が多いザンジバル。この子はドアの隙間10㎝にはまっていた〉


小さいザンジバルの空港ではタンザニア国内なのにイミグレが必要で、カードを書いてチェック通過。外ではドライバーのおじさんがまっていてくれた。ホテルまでのってチェックイン。ゼンジホテルはリーズナブルな安ホテルというかんじだけど、案内係りの青年はノリノリで楽しい。喧噪の大通りに面しているのでちとうるさい。
部屋の名前がふるっていて、「ROOM OF WONDER」。この街の世界遺産「HOUSE OF WONDER」にちなんでいるらしい。この日は到着も遅く、移動でつかれたのでそのままご飯も食べずにねてしまった。
ホテルの裏の駐車場に降りた途端、目に入ったものは子猫の悲しい末路だった。これが大きく印象を左右してしまった。アラブの暗い面が見え隠れするような。

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〈フェリー乗り場すぐ隣のビーチ.HAKUNA MATATA。この旅で覚えた素敵なスワヒリ語。No Problem !! 〉


ザンジバルはオマーンのスルタンが移り住んで都としたときからムスリムの街になった。いまでもムスリム90%以上。本土のタンガニーカとは別の国といってもいい文化と強力な自治権を保持している。ここで、ディズニーの短編アニメーションに謳われた「髪はさながらザンジバルの夕陽のよう」と、美女の形容に使われるほどの夕陽と、海と、ダウをみたかった。

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ダウとはアラビア特有の、三角帆をはった簡易な帆船なのだが、これがとても美しくて風情があるので大好きなのだ。といっても本物はまだみたことがない。

もうひとつの名物はストーンタウンと呼ばれる、アラビア文化の影響濃い古い街のたたずまいだ。これも以前他の記録を読んで、ぜひ見たいとおもっていたのだが、イスラム文化圏をいくつか回ったあとでは、実際にはそれほどのインパクトはなかったのが正直なところ。
それよりなにより、2分おきに声をかけてしつこく勧誘するガイドや物売りがうっとうしくてたまらず、動物と大自然だけのシンプルでウソのない世界から、欺瞞と欲のうずまいた人間社会にきたことがことさら嫌に思えてたまらなかった。うんざりしながら、返事すらせずぶらぶら歩く。
美しく光る海と、滑るようにゆったり進むダウをみられたことだけが救い。

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美しいダウ。やっとみられた。みたかったよ。

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〈石造りのイスラム建築や重厚なdoorで有名なストーンタウン。実は期待のほうが大きすぎた。すでにイスラム建築をいくらか見てきた目にはさほどのインパクトはない。この町はかのQUEENのフレディ・マーキュリーの育った家があることでも知られる〉


つまらない気持ちでストーンタウンをぐるぐる3回歩き、写真をとったりしてピックアップの時間。このあとは1時間半ほど車にゆられてビーチに向かう。途中の様子はとても貧しい。タンガニーカよりはるかに混沌と乱雑で汚い。ザンジバルだけの単発旅か草原に行く前にいっていたら、それなりに楽しめたと思うのだが、草原が恋しくて恋焦がれているこの状況ではとてもそうはいかず、旅の順番は大事だと改めて思ったのだった。

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〈数少ない観光スポット、右は驚愕の家だっけな。〉

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そもそも私は混沌が嫌いだ。ジャングルも苦手だ。アジアの猥雑が好きという人もいるけれど、わたしは苦手だ。
そんなことで到着したビーチも、リゾートの中だけが別世界で、一歩踏み出すと泥水とボロの散乱する貧しい村なのだった。海はほんとにきれいだったけれども、することもなくリゾートのプールサイドで本をよんで写真をとって、レストランで一人で食べるのもつまらなく嫌で、晩御飯もまたぬいた。

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〈ザンジバルではあちこちで青年が自主トレをしている風景をみかけた。タンザニア全般、男はマッチョでなければ、強くなければ男じゃない、ということで鍛えるらしい。わたしが朝走っているときも、何にも走っているのにすれ違った〉

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翌朝は早くおきて海岸を走り、12時の迎えまで本を読み、17時の飛行機に間に合うよう空港へ。お店も2件しかない空港で2時間ほどつぶし、ドーハへ向けて離陸。いつもと同じ深夜2痔半の便で成田へ。長い長い20時間の航路をたどり帰宅。当日は息子の誕生日だったので、家族と共にお祝いの食事をして写真をみせながら報告となった。自然と動物が大好きな息子達にぜひ見せたいと、旅の間何度も思ったことを伝えながら。

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こうして待ち望んでいた旅が終わってしまった。デスクの上の、連れてきた素朴なシマウマを見つめては、あの風の渡る大草原を想い焦がれている。

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タンザニア 6

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ンゴロンゴロは外輪山に常に雲がかかり、雨も定常的に降るので細いながらも小川がながれ、湖ができている。
ぜひ見たかったのはフラミンゴ。ここにいるのは小さい型のフラミンゴだそうだ。塩湖に住む特殊な藻や小生物を餌にしているのだそうで、あの桃色はそれら餌のために生まれる色だそうだ。彼らは渡りで、すでに旅立ち始めているため、あまり残っていない。最盛時は何万羽という群れになっているとのことで、さぞ壮観だろう。空をピンク色に染めながら飛んでいく大群を見てみたい。

10頭もの子供を引き連れたライオンのお母さんグループが、年を取って群れを離れたバッファローを狙っている場面にも遭遇したが、ハンティングにはいたらなかった。ライオンは風を嫌うのだそうだ。サイも同じで、風が強いときはじっと伏して休んでいる。耳が飛び出しているからフルートのように鳴るのを嫌がるのだとか。

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のんびり回って、カバのいる池の周りのランチサイトへ。本日出歩いているジープがすべて集結する。30分ほどゆっくりして帰途につく。外輪山の山肌がとても美しく、有毒という黄色い花が一面に揺れている。ここの動物たちはセレンゲティより良く遊んでいるようで、インパラも無駄に走り回ったり、ヌーも鳴いたり走ったり、アクティブな様子が見られて楽しかった。カゼルのケンカではカン!と角がぶつかる音が聞こえた。こういうありのままの姿を見られるのが嬉しい。

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〈右はカバの足跡〉


ヌーは寄せ集めの動物と言われているそうで、角と体は牛、顔はバッタ、しっぽはシマウマ、ヒゲはヤギ・・それにしてもなぜにバッタが採用されたのか不思議である。そしてまったくバッタのようなへんな顔なのである。

見るべきエリアはちいさいので、のんびりじっくり観察をしても4時にはロッジに戻る。寒いので早く温まりたい。埃まみれでバサバサになった髪の毛をまず洗ってさっぱりし、暖かくしてラウンジにいく。ジョンがテレビのところで会おうというので。だが行ってみても見当たらず、暗くて寒いので窓際の明るいところにいって暖かい紅茶を飲むことにする。眼下に広がるクレーターの絶景を眺めながら静かにお茶をすするのもまた素敵な時間だ。

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〈瑠璃色がラベンダーブレスティッド。左小さいのがずっとみたかったハタオリドリ〉

〈右はヒッポプールのカバたち。彼らは素肌なので日中はつねに泥のなかでないといられない〉

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いつも旅の間、わたしはノートを書く。その時にしかかけない、当地の状況情報、想い、考察を、一人の時間を埋める意味もあってかなり膨大に残す。が、今回はそんな必要もないほど100%満たされていて、ほとんどお小遣い帳程度の記録しかしなかった。この時も書こうとしたけれども、大したことは浮かんでこないのだ。思うに、動物の営みを観察することはとてもシンプルな事ゆえに、くだらないことをごちゃごちゃ考える必要がないということだ。それが証拠に、最後にいったザンジバルでは山ほど書くという結果であった。
そしてセレナはソパと違って部屋でもWIFIが拾える、、、はずなのだが調子が悪くてほとんど無理だった。結果、ラウンジにいかないとつながらない。

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〈左、ローカルフードコースでやっとお目にかかれたウガリ(右上)。ゲキウマ!〉

〈右、食事から帰るとそっといれてある湯たんぽ〉

やがて日もとっぷりと暮れ、7時半からのディナーの時間にあわせて少し早めにいくと、毎日のメニューらしい、マサイのパフォーマンスをやりはじめた。上半身ハダカの褐色の人達は、ものすごくバネがあって、なかなかのアクロバットを披露している。すごいすごいと面白く見るのだけれど、ただひとつ、かなり遠いのに体臭がきつくて閉口する。

昨日と違って混んでいたせいか割合放置され、そして楽しみにしていたウガリはなかった。がっかりしながら部屋に戻って湯たんぽでほかほかのベッドにもぐりこみ、就寝。明日はとうとう草原を離れる日。去りがたい思いの中に落ちて行った。

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タンザニア 5

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ソパの朝は暗かった。大雨期だから当然降られる覚悟で、カッパから傘までもってきたが、ここまでずっとパーフェクトな晴天。さすがに最後で降られるか、と思いながら支度をする。おいしい朝ごはんをすませて、8時にお迎え。今日はンゴロンゴロのクレータの底に降りていく。

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〈左、バッファロー。年寄りになると群れを追われてしまう。右。ヌー〉

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ところでガイドのジョンは現在別居中?の奥さんと8カ月の女の子がいる31歳、マサイ族のお父さんと最大部族であるスクマ族のお母さんの間に生まれたらしい。とても流暢で綺麗な英語を話す。フランス語とイタリア語もできるというクレバーでちょっとシニカルな青年だ。当初はお互い硬かったのだが、このころにはかなり打ち解けてきた。

クレータまで降りる間、タンザニア恋愛事情などききながら面白おかしい道中を過ごす。ジョンがいったとおり、クレータまで降りると、空は晴れていて、すっかりいい天気。だけれどやはり風が強くて肌寒い。さっそく風のなかで休んでいる4匹の雌ライオンの群れを発見。チータの時もそうだけれど、発見したら仲間のガイドに教えてあげる。そういう実績がガイドうちのヒエラルキーに影響するような気がした。

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〈右はシマウマの群れ。わかります?このなかにサイがいるじゃん!ってジョンはいうけど。わかるかい!〉

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しばらく堪能してから高台にあがっていくと、遠くにクロサイがいるという。でもどれだけ目をこらしても、まったくわからない。なんど説明されても全くだめ。最後はカメラをかせといって撮ってくれたのだが、それでもわからない。

サイはとても臆病なうえ、数が激減しているから見られる動物としてはとてもレアだ。繁殖期以外はメスもオスも単独で行動する。激減して絶滅危惧種となっている彼らをみているとなんだか寂しそうで胸が痛んだ。ラピュタに残っていたロボット兵みたいに孤独だった。

弱い動物は群れる。一人でいられないからだ。強い動物は怖れがないから群れない。それが本当にしみじみと良くわかる野生の王国だった。
サイはその後、帰り際にもう一度出会って、今度はなんとか写真に撮れる距離だった。

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〈左はお隣の国、ウガンダの国鳥、カンムリヅル〉

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俗に動物のBIG 5というものがあるという。ライオン、ヒョウ、ゾウ、サイ、バッファローだ。
人気のキリンやチータははいらない。なぜかというとこれは、ハンティング目線だからだ。
ライオンはもちろん百獣の王として。ヒョウはその毛皮が珍重されたから。残る3種はその角による。要は勲章として壁やら床やらに飾るのに見栄えのする動物が選ばれているということだ。これを知ってがっかりした。人間はほんとにつまらぬことをする。

そして、こうして車にのって動物をみるのが自然破壊につながるのではないかという気がするだろう。動物たちを脅かしたり、人間が近づくことによって本当の野生ではなくなっているのも事実だろう。だけれど、旅行者がお金を落とすことでビジネスがなりたち、そのお金で動物たちが保護されているのもまた事実なのだ。そうでなければいまごろ、狩られたり生息地を追われたり、動物にとっては辛い環境になっているのは明らかだ。

セレンゲティが、もともと住んでいたマサイを追い出して国立公園として保護されるようになったは1951年である。タンザニアの独立が1961年だから、10年先立つことになるが英断だったとおもう。おかげで激減していたゾウもすこしづつ数を回復しているらしい。

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〈シマウマも湖の中にはいってるのが珍しかった〉

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そして残念ながらまだハンティングが許容されている保護区がある。生きるための狩猟でなく、ただ生き物を殺して喜ぶ神経は全く理解できない。少し前、誰もが知るライオンを射殺したアメリカ人の歯医者の話があった。こういう人間こそ駆逐されればいいと思う。

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