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八甲田~怪奇編

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1月初めの連休は突然話がまとまって八甲田にいくことになった。

ここ2年ほど、年末の山スキー酸ヶ湯が催行されていないので久しぶり。当然3連休だし酸ヶ湯はまったく空き部屋でず。しかたないので、以前も酸ヶ湯がとれなかった1泊分で初めてお邪魔した深沢温泉にきいてみたらOKという。

ここは、家族でやってる小さな温泉宿で、常連さんだけ知ってるみたいな秘湯系だ。お部屋もプレハブみたいな建物で、部屋には鍵すらついてないけど、小さな流しや冷蔵庫など装備され、自炊もしていいようになっていて便利。前回も自炊で素泊まりだった。
でも予約をした日、どうしてもその名前が思い出せなくて、ネットで調べてもヒットしなくて、ならばとヤフー地図で探しても見つからなくて、最後はとうとうお気に入りの温泉マニアブログからやっとたどり着いたという次第なのだが、これが不思議。帰ってきてからみると、ヤフー地図にもちゃんと載ってる。どうしてわからなかったんだろう。ここから不思議がはじまっていたのだ。

八甲田山をはさんで酸ヶ湯の裏側になるのだが、泉質は全然ちがうキシキシのカルシウム硫酸泉で、薄い黄濁湯。湯量も十分、温度は50度弱というところ。内湯は最初は熱く感じるけど、湯口から遠いところにいれば、慣れれば心地よい温度である。が、小さいながらこの豪雪地帯では珍しい露天はさすがにややぬるい。というかこの八甲田で、冬に営業しているだけでもありがたいことである。八甲田ホテルはすばらしくコンフォータブルな素敵なホテルだけど、ここも泉質は酸ヶ湯とは違い、硫黄泉だけれども透明湯でやや物足りないのがたまにきず。八甲田温泉はラムネ湯がすばらしいけど冬季休業。猿倉も谷地も道路が閉鎖で行けない。

さて。当日埼玉から八甲田まで800キロ。8時半にでて、途中昼ご飯にラーメンをすすって、黒石ICを降りたのが4時ごろ。自炊の為の買い出しをして山に向かう。角のローソンまでは雪もなかったが徐々に厚い圧雪路となり、酸ヶ湯到着が5時。まずはここです。ご挨拶のヒバ千人湯。なつかし~。やっぱここは特別。最高です。とろんとした化粧水のように濃い緑がかった白濁湯は強い酸性。長く浸かると肌がチクチクとかゆくなって湯ただれしてしまう。
そしてここはなんといっても冬ですな。厚い湯気にぼんやりかすむヒバの湯殿にいると、何もかもどうでもよくなるような脱力の海に浮かんでいるよう。おこちゃまのいない、大人の、しずかな空間。ありがたいですなぁ。日本てすてき。
ちなみに夏だと外気温が高くて湯気がこもらないのでいまひとつ風情に欠ける。

さて。18時半ごろ深沢温泉にたどり着き、ご飯を食べた後こちらのお湯を楽しむ。なにしろ猛吹雪。露天にでると顔も体もつぶてのような細かい雪と風にもはや痛い。髪の毛はあっというまにバリバリに凍ってまっしろになる。目の前の林をみながら、嫌でも思われるのは明治陸軍青森の八甲田雪中行軍の惨事。こんななかで遭難したらたまらんなあ、自分がそうなったらいったいどのくらい生きていられるだろうと思う。そうなる可能性も、雪山をやっている以上皆無ではないわけだから、実感をもって考えてしまう。白い悪魔だよ、雪は。
露天の淵に山になってふんわり積もった八甲田独特の綿雪に顔をうずめてみる。温泉で温まった皮膚の回りの雪がじゅわっと溶けていくのがわかる。雪崩にうまってもしばらくは息ができるものなんだな、などと考える。

そうこうしながらいい心持で就寝時間となり布団にもぐりこんでうとうとしていると、なぜかやたらととある名前が頭に浮かぶ。ふか○ ○吉、とかいう名前。○のところはどうしてもわからないのだが、さかんにその名前が浮かんでくるのだ。なんだろなーと思っていると左の耳に口をつけるような近さではっきりと「おいで」という男の声がした。え?と思うものの、なんとなく大したことないように思えてそのまま眠りにおちる。

翌日の夜。露天にはいっていると、目の前の樹の奥にちいさい小屋の明かりがみえたとおもったらふっと消えた。あんなところこに小屋はなかったはずだが・・と思い、翌朝明るいときにみるともちろんないのだ。わりと急な勾配の100mほど上ったところに道路が通っている地形なので、小屋などありえない。では車のライトだったのかというと、そうではなくてちゃんと窓の形の四角い明りが目の前に見えたのだった。なぜ???

さすがに不思議におもって、帰ってから調べてみると、知っていると思っていた甲田の遭難事件については実は全然思い違いをしていて、まったく知らないに等しいことがわかった。わたしは、あの事件は、いわゆる百名山の八甲田山の山中でおこった出来事だとばかり思っていたのだが、実はそうではないのだ。

青森市内の屯地を出発して、百名山の八甲田山の北側である町中から、ちょうど深沢温泉の少し北東の(1キロも離れていない)田代温泉を経由して、八甲田東側を回り込んでいまの田代牧場あたりまで達する山中のルートだったようなのだ。ということは。今回行ったところはまさに遭難のドンピシャの場所なのだよ。210人中199人が遭難死したまさにその場所。いや~知らなかった。

たしかに遭難のシンボルともいえる銅像があるのがすぐ西側県道40号線の分かれ道だ。そしてこの40号線沿線こそ、行軍のルートにあたるのである。しらんかった~。これまで何回かわからないほど八甲田には来ているし、夏も冬も銅像広場は行っているし、山スキーのツアーでは銅像コースばかり滑っている。(ちなみに銅像コースでは10年前に雪崩で2人なくなっているようだが)。知っているつもりがまったくちがっていたことにびっくり。
ちなみに新田次郎が小説化してそれが映画になったものを、学校の体育館で見せられた。これが暗くて寒そうで辛そうで、子供には面白くもクソもないような代物で、なんでこんなものを見せられなきゃならんのかと嫌悪感を覚えたものだ。

で、今回こんなことがあったからあらためて見てみたけれども。いやーひどい。

東北といえばマタギがちゃんといるはずだからそういう人の知見を取り入れるべきだろう。どうかんがえたって。
明治25年とかだとまだ日本の登山は黎明期で、雪山の知識も道具もなかったのだから。ほんとありえない。吹雪なのに動くとか、ビバーク装備もないのに山に入るとかありえない。全く持ってあり得ない。

そして地図を見比べながら記事をつぶさに読むと、あらためて悲惨さと無知蒙昧と意味のない軍上層部の見栄のもたらすバカげた計画に暗澹たる気持ちになりながら、現在公表されている常識内での出来事を知るにつけ、わたしの経験との関連が裏付けされてしまった。深沢温泉のたぶんすぐ近くで、古舘要吉という一等兵がなくなり、ともにはぐれていた村松という士官が、四肢切断されながら生き残ったという。この要吉さんが、吹雪の中遭難したらどんなにつらいだろうと考えていた私の波長に同調したのだとおもわれる。はっきりとした30代くらいの男の野太い声が耳元で聞こえたのだから。

さらに調べると、このあたりは強烈な心霊スポットといわれているらしく、それ系の話は枚挙にいとまがないそうな。

「15時頃には、最後の生存者となる村松伍長が古館要吉一等卒の遺体とともに田代元湯近くの小屋で発見された。村松伍長は四肢切断の上、一時危篤となったがかろうじて回復した。25日朝の遭難当時、村松伍長は古館一等卒らと共に本隊からはぐれ、青森を目指したが進路を誤り、26日午後にこの小屋を見付けた。中には茅が積まれていたがマッチが無かったため火を起こせず、翌日古館一等卒は死亡した。村松伍長は付近で見付けた温泉の湯を飲んで命をつないだが、30日以降は立てなくなり、以後はただ横臥して雪を食べていたという」(出展:wikipedeia)

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