文化・芸術

今年のメインの旅

              Pangong.jpg

昨年はタンザニア。その前はイラン。その前はウズベキスタン。その前はヨルダンと実現してきた魂の旅。

タンザニアを実現した後、正直なところもうこれ以上の旅はないかもしれない、と感じてしまい、次の旅へのモチベーションがなかなか生まれなかった。

そうはいっても生涯の課題、旅バカプロジェクト推進にあたり、今年のメインの旅をどこにするか、企画会議は続いていた(頭の中で)。そしてついにきた。それはラダック。

きっかけは60になったら6000m峰という、以前から温めていた企画を旅バカPJに追加したことだった。還暦を迎える3年後。その時には仕事も引退して身軽になり、1ヵ月2か月をかけて6000m峰に登ろう。そのために、遠ざかっていたアルパインもまた始めよう、そしてそうなるとたぶん、商業登山隊に参加するだろうから、情報を集め始めなければと思った。

プロガイドが主催する海外高峰登山隊は、それなりの体力と経験、なによりお金があればいまや誰でも参加できる。そしてこの企画は国内外含めて星の数ほどある。

行先も、大御所のネパールヒマラヤをはじめとして、インドヒマラヤ、カラコルム、南米ペルーやチリの山脈、カナダなど北米、と多彩である。ネパールは国としてあまり好きになれないから、南米かカラコルムと思い、さがしているとまずひっかかったのはペルーのワスカラン。レベルに合わせた多彩なルートと、温泉がありご飯もおいしいベースタウンが魅力だ。

が。なにせ南米は遠い・・

そして技術レベルが高くなくても登れる6000mで次にひっかかったのがストック・カンリ。

これがなんと。ラダックにあるのである。

ああ、ラダック。ターゲットの一つに加えてからはや6年。旅と山が両方実現できる。これしかないではないか。いきなり本命に巡り合ってしまった。

しかしまだ6000m峰実行には早い。しかし行きたい。

それなら1度下見で5000mほどの峠越えのトレッキングをしておけば本番で役立つこともあるだろう。なによりももうこの気持ちは止められない。

ここから具体的に旅行記を読み漁り、同時並行でチケットを監視し、現地エージェントを探し始めた。そしていつもの魂の旅の立ち上がりと同じように、今回も1発でここぞというエージェントさんに出会った。こうなるとあとは時期を定め、チケットを入手するだけである。インドはビザが面倒だときいたが、どうやらアライバルビザという手もありそうだ。旅人たるもの、一度はインドの洗礼をうけなければ本物とは言えないのだ。(ほんとか)

ラダックは高地の為、シーズンが限られる。観光だけなら厳冬期にいってもよいが、人々は山を下り、少ない宿舎は閉まり、電気もあまりないところゆえ、耐久生活となるのは必至。登山やトレッキングとなればオフシーズンはありえない。

ということで候補は5月か9月、仕事に影響のない中旬。どうもしばらく監視するにチケットは全日空+ゴーエアという組み合わせしかありえないとわかる。これが1日ごとに値段があがっていくので5月はあっという間になくなり、9月も10万越えとなるとぼやぼやしていられず、上司のOKが出たところで確保。

かくして9月7日から15日まで、ついにやるぞ、のラダック行きが決定~~~I

ラダックは、アカデミーもとったインド映画「Three Ideot (きっとうまくいく)」

のラストで登場する天空の湖、パンゴン・ツォがあるのだ。これが見たい。

| | コメント (0)

早春の大和路

Img_0925

もう5年ほど、春浅い大和路を歩いてみたいという思いを抱いていた。

どうしても今年決行と決めて、週末1泊だけれど車を駆っていってきた。イメージは古代の歴史が息づいた原っぱを歩くことだったので南部の車がないと不便な地域をメインにした。

奈良駅周辺は電車でもいけるからまたそのうちいこう。本当は宿坊に泊まって高野山も行ってみたい。

で、最初にむかったのが天の香久山。小学校の3年生になるまでばあちゃんの家の2階に間借りしていた我が家。正月ともなると親戚一同ここに集い、楽しくすごした行事のひとつが百人一首だった。最初はなにがなにやらわからぬ、ひらがなだらけの札が、得意札が増えるごとに文言が頭に沁みついていくのだが、天の香久山をうたった持統天皇の句はその最初のころだった。なつきにけらし。ころもほすてふ。てふてふ 。

Img_0927 Img_0926_2

なだらかな、丘というべき163mの頂は 明るく開けていて、國常立命を祭神とする國常立(くにとこたち)神社があった。小さな素朴な祠で、おとなりには雨ごいの為に高靇神が祀られていた。
 
Img_0924_2  Img_0923
一帯は散策路と自然公園になっていて、ロウバイやつばきが綺麗だった。
Img_0945  Img_0922
上の右側の写真は、月の誕生石という巨石。なんでも岩が割れて、そこから月が誕生したのだそうだ。洋の東西を問わず、古代は巨石にまつわる伝説や神話が多い。人は大きな岩になぜエネルギーや神性をみいだすのだろう。
 
Img_0935  Img_0931
そのあとは石上神宮にいってみた。ここは日本書紀にあらわれる日本最古の神宮だそうで、八岐大蛇を斬ったというすごくかっこいい宝刀が収められているため、戦いだとか昇進だとかにご神力があるのだそうだ。なにやら鶏が特徴のようで、たくさん放し飼いになっていた。
夕暮れ、素泊まりのゲストハウスでご飯を食べるための食糧をスーパーで買い出しして、宿に向かう。おもしろかったのが天理市。初めて訪れたが、その異様なまでの組織力というか権力というか集団力というか、ひとつの市をつくりあげる、それも江戸末期からの宗教というのでびっくりした。たんなる新興宗教かとおもっていた。
Img_0939  Img_0944
翌日はゲストハウスすぐそばの恵比寿神社の桜が咲いているといわれて寄ってみた。たしかにすがすがしい空気の静かな神社ではすでに1本が満開。お財布の幸せを祈って本日のメインイベント、三輪山と大神神社詣でにあるきだす。
 
Img_0947  Img_0949  
すごく有名なところなのに、なにやらとても鄙びている。参道はつねに露天がでているほどにぎわっているようなのだが。
この三輪山がご神体になっていて、昔は神職でさえ禁足だったそうだけど、今は申請すればのぼらせていただけるとのことでいってみた。すごいパワーのある場所だそうで。
まずは本殿のない大神神社をお参り。ガラガラとお賽銭箱は普通にそなわっていて、敷石にバッタのように頭をなんども擦り付けているおばさんがいてちょっと圧倒される。
Img_0951  Img_0954
その後、受付をして、自分でお祓いをして(ヌサを振って)入山。
けっこうまともな山道を、今年初の山行としてもカウントできるようなけっこうまともな山道を30分ほど登ると、ようやく御社と、山頂のご神体にたどりつく。
朝ほぼ1番だったので、まだ人も少なく静かに浄められる。
下山しはじめると団体さんが次々と登ってきたので、このあとだとあの狭い山頂は大混雑だろうと思い、早い時間にいってよかったと思った。
降りてからはおなかが空いたので、地元でなにか、とおもったけど、これまた意外とほとんどご飯やさんがない。ここが地元の三輪のそうめんやさん3軒ほどと、お好み焼き屋さんで、お好み焼き屋さんをチョイス。そうめんはにゅう麺だったので、ちょっとパス。
 
Img_0953  Img_0955
腹ごしらえをしたらこのあとは2つほど寄りながら帰途につく。6時間かかる関東にもどらなければ。
ということで帰り道の途上に位置するまずは長谷寺。
ここは真言宗豊山派の総本山なのである。実家は智山派だけど真言なので、やはり親しみがある。
花の長谷寺でつとに名高いだけに、このじきですら豊かな花色にあふれていた。
名物の牡丹は5月らしい。
これも見どころの長い登り廊下は、越前の永平寺に行ったときのことを思い出させた。
Img_0958  Img_0960
Img_0962  Img_0964
次はどうしても、昔からいってみたかった、これも真言の寺、室生寺。女人高野として名高い小さなお寺だが、空海は心はここにあるといったほどこの寺が好きだったのだという。
 
Img_0965  Img_0966
Img_0967  Img_0969
古びたお寺と日本で一番小さい五重塔。
下段みぎの画像が十二神将がある金堂。別料金というなかなかやりてな経営だったが、それでも入る価値はある。木彫りの寄木造のこぶりな十二神将は、表情も衣の動きも色彩も豊かで、柔らかく軽やかで生き生きとしていた。
次は別途、有名どころでまだいっていない正倉院や浄瑠璃寺など、奈良駅周辺のお寺もいってみたいのと、なにより宿坊に泊まって高野山、というのをぜひ決行したい。

| | コメント (0)

最新ITの国エストニアの、世界遺産中世の街タリン

Img_0851

今回降ってわいたこの旅を企画するまで全然知らなかったエストニア。これまでドイツやロシアに蹂躙されてきた資源もない小国はITで立身出世をとげたのだそうだ。スカイプ発祥の国。インターネット投票を導入し、マイナンバーのお手本となった初導入の国。先日安倍さんもいったらしい。法人税不要で世界各国の企業がこの国に籍をおいて一気に増殖しているのだそうだ。

凍った暗いバルト海をのろのろ進む巨大フェリーで2時間半。北側の航路をとってタリンAターミナルに入港したのが10時半。ああ、もう、まっくら・・・・だれもいやしない・・・

Img_0754   Img_0759

宿のあるオールドタウンまで、ホテルを予約した時にみた地図では歩けそうなので、てくてく歩き始めた。目印はみえているのですぐだな、と思い。今回は飛行機代がタダなのでホテルはちょっといいところにしてみた。

Img_0758   Img_0755

ところが、世界遺産になっているらしい中世そのままのオールドタウンは細い道が枝分かれして、わからなーい。

通りにはだれもいないし、お店らしい扉も閉まってるし、地図なんてないし、こまったな~、まあ、適当にあるいてりゃ見つかるだろう・・・とおもったけどそうはうまくいかないんだな、これが。ああ、もう、おしっこしたいし、荷物重くなってきたし、滑るし、もう・・・・

あ、灯りだ!ナイトクラブが開いてる!

おじさん、このホテルどこかしってる???ときくと、「あーこりゃ行き過ぎだよ、あそこまでもどって右にまがると下り坂だからそのへんだよ」っていう。え~やっぱり歩きすぎたか。しょうがない。てくてく。

でも坂をくだるとまた分かれ道。どっちよ???ああ、えい、くそ。。適当にいっても暗い細道で、予約したのは5つ星だからこんな寂れたところのはずがない。ああ~どうすべ~~とみるとまた灯り。ドアを押して中に入って、すんませーーんと声をかけるとお兄ちゃんがでてきた。

あのー、このホテルどこかわかります?ときくと、さすがIT立国で名高いエストニア。さっとIPADを取り出してストリートビューで確かめてくれた。やれやれ、これでなんとかいけそうだ。お礼をいってまたてくてく。

そしてみつけた~~~。やっとあった;;。遅くなると連絡はしてあったけど、時計をみると11時半。港に着いたのが10時半だからかれこれ1時間もさまよってしまった。泣。

Img_0764  Img_0877

すてきなお部屋に案内されて夜中ではあったが熱いお風呂で冷えた体をあっためてからフカフカのベッドにもぐりこみました。よかった。

翌日は起きてからまたお風呂に入った後、7時半ごろおなかが空いて朝食に。シックで落ち着いたこじんまりしたこのシュロースルホテルは、500年前の大商人の館だそうで、梁も石壁もどっしり落ち着いて素敵だ。スタッフも静かで大人でインテリジェント。食事もほとんど一人ですごして,最後のほうでやっと他のゲストが1組くたくらい。ほんとに静かに過ごせて素晴らしい。毎日お水とチョコを夕方かごにいれてもってきてくれる。朝はゲストの国語で書かれたたニュースまとめをドアにかけてくれる。タオルもアメニティも上質。非常に気に入ってしまった。

Img_0865   Img_0866

Img_0876   Img_0875

Img_0872   Img_0869

ゆっくりと上質な朝食を楽しんで、どうせお店も開いてないからと思い、10時から歩きにでてみる。ガンガン小雪が降っている。まずはツーリストインフォメーションにいって、12時からというフリーツアーの詳細をきいてみる。申し込みも必要なく、集合すればいいとのこと。それまでにおすすめのところを聞いて、ぶらぶら歩きだす。さすが中世の街。冬で色彩にとぼしいけど、その分本当らしい雰囲気があふれている。ハイファンタジーに出てきそうな感じです。いいね!これはやっぱり重くてもデジイチもってくるべきだった・・・と後悔。絵になる風景が盛沢山なのに、アイフォンでは大味な記録写真しかとれない。残念。

Img_0795   Img_0765

Img_0828   Img_0846

Img_0771   Img_0774

ナントカ通りという味のある小道や有名なセーターの壁(地元のおばちゃんたちが手編みのセーターなどニット製品を露天で売っている)、両サイドの城壁、北側の門などをみてまわる。途中、お店のショーウインドウをのぞくのだが、どれもこれもほんとに素敵。センスのいい、陶器・ガラス・木・布・毛糸・フエルトなど、様々な素材で作られた独創的な作品が、とても素敵にディスプレイされていて、購買欲を抑えるのに苦労する。なんでこんなにセンスがいいんだろう。どこ由来なんだろう。いわゆる北欧デザインとは違う、ほっこりとあったかい、ユーモアも感じるような、実に好みのデザインが目白押しなのよ。いいわーここ。

Img_0776   Img_0777

Img_0785   Img_0788

Img_0793   Img_0816

昼からのツアーは30人ほどあつまった。学生さんなどのボランティアによる、町の歴史や文化を織り込んだ徒歩ツアーなんだけど、これが2時間もかかるという。小雪ふきすさぶ中での2時間はなかなか修行だ。英語もどんどん早口になり、こっちも集中力がなくなり、10時から休みなくあるいているので冷えたしトイレも行きたいしおなかもすいたし、あと2か所を残すところで食料品店をみつけてついに離脱。ホテルに帰って一休みして昼ご飯をたべる。

ちなみに本日のガイドさんは20すぎたくらいの緑色の髪の毛の女性。北国の人はパンキーなのかしら。それとも色彩が乏しいから色がほしくなるのかしら。ピンクの髪の毛とか手首までのタトゥーとかけっこう見かけた。そういえば「ミレニアム:ドラゴンタトゥーの女」も舞台はスウェーデン。ロシア近隣諸国からの売春シンジケートとか(それも幼女が多いとか)けっこう腐ってるイメージもあるな。。。

ミレニアムはスティーグ・ラーソンの3部作まですごく面白くて一気読みしたが、死後に別人のラーゲルクランツによって書かれた4部はどうかなとおもって敬遠していた。久々に映画を見直してやっぱり続きが読みたい、と4を読み始めたところ。

Img_0780   Img_0779

Img_0812    Img_0810

夕方もう一度、夜景を見るのとお土産を買いに出てあとは部屋でゆっくり。

翌日はまたフェリーにのってヘルシンキにもどり、今度はちゃんと切符をかってそのまま空港へ直行した。ちゃんと、というのは、ヴァンター空港到着時、案内通りにすすんだらいつのまにか改札もないまま電車にのってしまい、気が付いた時には後の祭り。乗客に聞いたら車内改札がくるからといわれて待っていたけどこなくって、結果として無賃乗車をしてしまったのだった。ごめんなさい。

ちなみに券売機はすべてカード決済。たった5ユーロでもコインじゃない。なんでもかんでもカードですんじゃうのでキャッシュはお守り程度でいい。

Img_0823   Img_0826

Img_0791   Img_0792

Img_0841   Img_0842_1_2

Img_0854   Img_0855

おしゃれで広いフィンエアのラウンジの食器はマリメッコ?とアラビア?イッタラらしい。ベリーのヨーグルトがゲキウマでした。JALは遅れまくったけど、無事3泊4日の旅から帰ってまいりました。

Img_0891   Img_0892

今度行くなら夏かな。デンマークの友達もぜひ来てというので、じっくり計画するとしよう。

Img_0850   Img_0849

 

| | コメント (0)

ムーミンの国 ヘルシンキ

4c88115befd745d8a71942a99db875bd

成田発11:30 JALの直行便で9時間半。ヘルシンキヴァンター空港15時ちょっと前に到着。

いや~楽ちん。いつも格安の乗り継ぎの15時間かかるヨーロッパが、なんとらくちんな。しかもオーバーブッキングによるアップグレードという幸運にみまかり、ビジネスじゃ~ん♪一生に一回あるかないかの幸運でござるよ。いや~ありがたや。

今回はそもそも夫がJALの特典割引キャンペーンがあるから、プレミアムエコノミーはいいよ、マイレージ使えばと勧めてくれたところから始まる。2月の仕事の山場を越えたこの時期に勝手にご褒美旅行として一昨年から始めたシリーズだけど、今回は3回目。いずれにしてもどこかに行っていたとは思うのだが、こんなことから行く先のチョイスは限られた中からとなり、結果としてヘルシンキ往復と決定。ロンドン・パリ・ローマは遠いから2,3日じゃあもったいないし、行ったことないのがヘルシンキだったから。ムーミンもあるし。なんとバルト海を簡単にわたってエストニアのタリンとかいう町にもいけそうだ。これこれ。

   

E90a5e56ef1b4d34b1dedefb5eca5d80       516292efdd0a43a38002712851fd2fcd

てなことで決定したのが10月末だったかなあ。これは自発的にここにどうしても行きたい!といういつもの旅とちがって、そう、ちょうど去年のヴェネツィアと同様、ちょっとしたきっかけで、じゃいってみるか、というノリだったので、特に何も調べる意欲もなく、しかもヴェネツィア同様先進国なのでぶらっといってもちっとも困らない。気になるのは極寒期ということだが、その分オフシーズンで空いている利点もあるし。とおもったのが浅はかだった・・・・

Img_0725         Img_0693

(左:凍った海を見たのは初めて  右:泳いでるんだよ、そこで。変!)

さむ~~~い。さむすぎる。頭痛い。耳がちぎれそう。1時間以上あるいてられない。つま先が濡れてしみて痛冷たい。緯度でいえばモスクワより北なのね。ま。内陸な分、モスクワのほうが寒かったけど、そういえば同時期。デンマークの友達の家を訪ねたのもちょうど同じ時期。でもそんなに死ぬほど寒くはなかった。まあ、若かったけど。

日本からの航路は、まさにシベリアの北極圏ぎりぎりのあたりをまっすぐつっきっていく。よくよく地図をみると、スカンディナビア半島はレースみたいに穴だらけなのだ。湖ともいえないようなこまぎれの水をたたえた地形がそこらじゅう広がっていて、ほとんどちゃんとした陸地がないんじゃないかとおもう。こんなところなのね。

Img_0696     Img_0702    

短い夏には苔やベリーしかはえない、樹木は白樺やモミやトウヒしかない、冬は1日中薄暗い空の下、8時から3時までしかDAYじゃない。足元は解かした雪でぐじゃぐじゃ汚く水っぽく、靴はすぐしみて足先は1時間もしたら冷たくひえる。ちょいちょい店にはいってあったまらないと歩いてもいられない。空気は冷たく耳がちぎれそうで、みんながニットや毛皮の帽子をがっつりかぶっているわけがしみじみわかる。

Img_0703   Img_0706

(イワシやニシン、魚がおおい北欧料理はうれしい。右のイワシボールがおいしくておかわり。白いのは豆だけど3cくらいあって巨大)

Img_0709   Img_0710

(なんといってもべリー!冬だから保存品しかないけどシーズンはベリー天国らしい)

こんなところにいたらそりゃ、食べるのが楽しみになりますわな。お菓子も目がほしがるおいしそうなものばかり。ベリーがふんだんに使われたケーキやタルト、生クリームがふんわりたっぷりはさまれたサバランのような菓子パン。質の高いチョコレート。シリアルをはちみつで固めたようなバー・・・etc

Img_0728    Img_0729

(すっごくうまそうなクリームたっぷりの菓子パン。我慢しました。しかし高い。小さなサンドイッチが7ユーロ。時価1ユーロ=137円。水が3.5ユーロ。ホテルでは水道水をのんじゃいました)

独り飯ができないのでレストランはいつものように入れなかったが、トナカイの肉はたべてみたかった。夏にくればあふれるほどのフレッシュなベリーとザリガニがおいしいらしい。ちなみにとムース(へらじか)はミズゴケしか食べられない完全な草食だけど、トナカイは雑食で肉食もするってしってました?いわゆる鹿も死肉をたべるんだそうです。ちょっと意外。

だれに話しかけても問題なく英語でコミュニケーションがとれるし、治安もまったく問題なく、アジア人の観光客がまるで隣の人のようなかんじで旅行できる。だれも旅行者という目で特別視しないし当然ながら観光客値段など存在しない。ただし言葉が問題なければの話ではあるけど、一人で電車に乗っても特異な視線を受けることは全くない。これだから移民をたくさん受け入れられるんだね。

途上国のように旅行者だからふっかけられたりぼったくられたりということもない。いや、これは昨年のヴェネチアでも横行していたから、途上国では、というのは途上国に失礼だな。買い物もすべて、どんなに少額でも、電車のチケットでさえカード決済で手軽で便利。商品も上質でセンスのいいものばかり。ただし超のつく物価高もさすが。

Img_0720   Img_0722

(ウスペンスキー聖堂の内部。ロシア正教。フィンランドも第1次大戦後ロシアに占領されていた)

しかし、見どころのない街だ。夏ならともかく、活動的に動き回るには寒すぎる。寺院3~4、おとはショッピングのみ。これまたヴェネツィア同様、自然児のわたくしには響かない、全然わくわくしない。ムーミンも思ったほど出会えず、ショップも期待外れで2軒しかなく、うち1軒は日曜でしまってら。他にも日曜閉店の店はたくさんあった。やっぱ働かないのね、クオリティオブライフ重視の国なんだ。そして心と体の健康には熱心らしく、健康食品の店の充実ぶりはすごい。棚一つプロテイン。たな3つスーパーフードてな具合。こんなに暗くて長い冬だからそれもそうだろう。体だってろくすっぽうごかせないだろう。寒いから街歩きに出ようという気持ちが萎えるほどですもの。

Img_0726  Img_0735

慣れていても事故るのね。がっしゃんこ。見ていると結構すべっているもの。右は入らなかったけど有名ポイントのテンペリアウキオ教会。岩をくりぬいてつくられたとかだけど。新しい宗教建築はあんまり興味もなく。

Img_0746   Img_0727

(ヘルシンキのシンボル、大聖堂とアレクサンドル2世像。右はアラビア本店のムーミンカップタワー)

お土産屋さんのおにいさんが、ヘルシンキどう?っていうから、寒いね!っていうと、「いんやあんたはラッキーだよ。今週はあったかいもん。先週、おれは寒すぎて1歩も家をでられなかった」とのこと。おったまげますね。

そのおにいさんの仲良しに日本人女性がいるそうだが、15年NYに住んだ後だから、ヘルシンキは静かすぎて(田舎過ぎて?)大嫌いなんだそうだ。

まずはロシア正教のウスペンスキー寺院にいってみる。姿は美しいけど中もぐるっと見渡せば十分。次にヘルシンキ大聖堂。これは中も何もなく見る価値無し。テンペリアウキオ教会。有名なスポットらしいがちょうどクローズ時間であきらめ。でも入ってもたぶん5分で終了なかんじ。カンピ礼拝堂。木でできた小さなシンプルな礼拝堂。これはちょっと他にないけど、これとて5分で十分。いやーつまんない。

 

フィンランドは他のスカンディナヴィア3国と少し趣を異にし、そもそも民俗的にも全然別種。デンマーク、スウェーデン、ノルウェーの3国がスカンディナヴィアンと呼ばれ、北ゲルマン語族であるのに対し、フィンランドはサーミ人、フィン人を主体とするウラル語族。エストニアやロシア北東部系と同じグループなんだって。ウラル語といえば、昔わたしが勉強したころは、日本語はウラル・アルタイ語族に属しているというのが主要な説だったが(今ではこの語族分類が消滅)、東北のいわゆるズーズー弁との共通点がみられるらしい。面白い。見かけは完璧なプラチナブロンドに空色の瞳で似てもにつかないけど、遺伝子的にはモンゴロイドも多少入っているそうな。へ~~~。

 

日本ではバルト海を挟んで向かいのリトアニア大使で、ユダヤ人を救った杉原千畝は有名だが、当時(今も)スカンジナビアで覇権を握っていた強国スウェーデン王国の英断で、相当数のユダヤ人がナチスから救われたのだという。さらにはアウシュビッツで家族を失ったユダヤ人をたくさん受け入れたりしてえらいなあ。

日本ではあまり知られていないような気がするが、世界的にはかなり高名で学校にも名前をかぶせる国が多いというほどの人がいることを知った。ハンガリーのユダヤ人に大量の偽造パスポートを発行して、10万人ものユダヤ人を救ったワレンバーグというスウェーデン人で、その後ソ連にとらわれたまま行方不明でいまだ捜索がつづけられているんだって。お祖父さんは初代駐日公使だそうな。こういう歴史を知ることになるのが旅のだいご味。

Img_0743   Img_0744

あとはイッタラ好きな友人のためにアラビア・イッタラの本店?をみて、ショッピングモールでムーミンショップにはいった。

Img_0692   Img_0733

(街中でみかけたたいやきくん。こんなところで会うとは。右は自然史博物館)

5時半にはホテルにもどってロビーでのんびりサンドイッチを食べながら本を読んで7時過ぎまで過ごし、歩いて5分のフェリー乗り場で8味発の巨大なフェリーに無事のりこんだ。

こんなに非活動的な旅も珍しいけど、たまにはいいか。

Img_0751   Img_0740

(フェリーのカフェテリアでたべた小エビはすごい量。日光も不足暗く長い冬に心と体の健康を保つ努力は熱心なようで、健康食品やさんはもんのすごい品揃えで圧倒された)

そしてタリン編につづく。

| | コメント (0)

旅。。。

旅のスタイルについて考えている。なんでかっていうと、シルクロードに行きたいとおもっているから。ハミウリを食べてみたい。中国から嫁いできた姫が冠のなかにカイコをかくしてきて、中国外では初めて絹が作られたホータンの乾いた街をみたい。タクラマカン砂漠をみたい。中国から西域への民俗の変化をみたい。

 

いわゆるバックパックというスタイル。ほぼ計画はもたず、その日の状況や体調・気分に合わせて、行く場所も日程も方法もその場で決定しながら旅をすること自体を目的とする。時間の制限はないことが多く、基本的に長期になり、そうなると費用も極力切り詰めることになるので、普通貧乏旅行となる。大切にするのは偶然や一期一会、人とのふれあい、出来事の経験。名所旧跡をたずねることに主眼は置かない。

それはそれで面白いし、冒険という意味でも価値があるとおもう。だれでもができることではないというところにもそれをする価値はあるのかもしれない。たしかに旅で一番心に残るのはその時に触れあった人、受けた親切、何気ない街かどだったりする。

一方、時間が限られている一般的な社会人の場合は、なるべく効率よく旅を充実させることが最優先になるから、一番手っ取り早いのが出て戻るまで全部きまったグループツアー。でもこれは楽だけど何も考えないからつまらないし、あまり旅をしたということにはならないと思う。自主性に欠けるからだ。時代が変わったから古い物事が最良とはいわないが、やはり自分の足で歩くのが旅の原始スタイルであることを思えば、揺られているだけで運ばれていくオシキセツアーは旅行ではあっても旅をしているとは言わないだろう。

次は足と宿の手配は自分でして自分だけのプランを立てて現地エージェントに任せる場合。いわゆる個人旅行。自分であるいたり運転したりはしないまでも、行きたいところは自分で決めるから自主性という点においては基本を外れない。これは理想的なのだがいかんせん費用がかさんでしまう。ガイドをつけたりするともっと。最もお金んのかかるスタイルだ。足と宿の手配までエージェントにしてもらえばこれは完璧。いわゆる大名旅行ですね。マージンごっそり入っている勘定ですから。ただし、いい点は、身柄財産の危険は回避できる。ぼったくりや騙しにもほぼ安心していられる。それとなにより、ガイドがいてくれれば現地の人からしかきけない様子が如実に詳しく知ることができるし、疑問があれば即時に対応される。旅をしてなにが辛いって、どうして?なに?をすぐ知ることができないもどかしさだ。この違いがおもしろくて、見たことのないもの、言ったことのない場所をあえて訪ねるわけだから。

ひとりで動いていると、つまりバックパッカー的スタイルだと、見たいものを自分で探すのにものすごく手間取ったり、結局さがせなかったりということが多々ある。字が読めない、言葉がわからない、流儀をしらない、という異邦人のハンディが邪魔するからだ。せっかくそこにいったのに、知っていればもっと感動できたのに、素性がわからないばかりに価値を感じきれなかったというのが、わたしにはとても残念にもったいなく思える。地元のガイドがいればこれは絶対的に回避できる。もちろん人の意見に流されろという意味ではなくて、最低限の知識があってこそ自分の価値判断力や感受性が発揮できるのだと思う。なにもないところから掬い上げる感性だけを大切にするやり方もあるけれども、まあ、これは自分の中でもケースバイケースだから、まして人それぞれ的要素が大きい。

こういう選択は行く場所にも大いに影響されるのであって、先進国ならなんの手配もいらず行くだけでそれなりに楽しめるが、そうでないところに行く場合は危険と不可能がどうしてもつきまとう。交通手段と宿泊が大問題で、さらにぼったくりや騙されたり盗まれたり、命の危険すら生じる。それも含めて旅のだいご味ということもできるけれど、ストレスや受ける被害と天秤にかけてみると、なんのためにそれをするのかがわからないのでは本末転倒な気がする。

「そんなことない、それがおもしろさ。たいしたことないって!愛嬌と度胸で勝負」という向きもある。これは図々しさが必須。実際記録文などを読むと、若い女性であっても無事に旅を成し遂げる人も多い。でもそれは単なる幸運。それに人の好意をあてにしたそれが前提のスタイルであって、それは私の好むところではない。

で、シルクロードを、わたしは西安からできればカシュガルまで行きたいと思っているのだが、これをどういうスタイルでいくか非常に悩み中。仕事やめるかどうかにもよるけど、やめたらお費用のかさむ旅はできなくなるし。中国語は嫌いだから勉強したい気になれない(これについてご意見は受け付けません)。

英語の通じない国での一人の旅が辛いのはウズベキスタンで経験済。どうしようかなぁ。

| | コメント (0)

行ってきました~ 台湾day2

  60img_0575

さて。二日目、というか早くも最終日。帰りの便は4:55発ではあるが、どうやら地元ツアー会社の儲けに貢献させられるようで、ピックアップは13:10という。早すぎるなぁと思いつつ、ココちゃんと約束の7時過ぎにロビーで再会。2年ぶり!

当時は縦走に出る日の朝で、山姿だったので、わかるかな?と思うくらいだったが問題なし。さっそく朝ごはんに連れて行ってもらう。台湾も中国と同様、外食文化だから朝から外食。近くの朝ごはん屋さんにはいるとココちゃんが取りまとめてくれる。

   61img_0576  51img_0559

左。龍山寺。右中正記念堂の演劇用ホール。


メニューをみると、意外にもお粥がない。中華風朝ごはん=お粥と思い込んでいたから。香港のお粥は本当においしかった。ここは粉系のようで、肉まんか薄いパンケーキ風かパイ風、ダイコン餅などがメニューに並んでいた。飲み物は豆乳。かぼちゃ風味だのミルクティ風味だのは初心者向けでココちゃんは素豆乳をレンゲですくってのんでいた。

おなか一杯になってこのあとは展望台的な象山というところに連れて行ってくれるという。これは台北市内にある四獣山のひとつで、他は獅山、虎山、豹山があるのだそうだ。象山は中でも一番高く、象の鼻のように細い陵が1本、ふもとへと伸びている。てっぺんまでずっと階段で15分もかからないかな。小汗をかく程度のいい運動で、上にあがれば台北市内を一望できる。それよりも気持ちのいい気が流れていてすがすがしいのだった。

ここを降りて次はまたMRTで中正記念堂に向かう。降りた駅で果物を売っていて、ココちゃんがグアバを買ってくれる。ここで初めて台湾式食べ方を教わった。梅の粉をまぶしてたべるんだそうだ。甘酸っぱくてちょっと塩味があってまた違う味わい。
中正記念堂および広場はなんとなく共産圏を思わせる作りでたくさん人がいた。ココちゃんは見た目で中国人と韓国人、日本人が見分けられるそうだ。へー。わたしは中国人はなんとなくわかるけど韓国人は言葉を聞くまでわからない。日本人もなんとなくそうかなと思うくらい。この国ほど普通に日本語が耳に入ってくる国は初めて。だけど変なストレスはないのが不思議。なんだろうね。

  68img_0588   70img_0594_2    

左。日本統治時代の建物群。右。その一角でグループが二胡の練習をしていた

お次は「お寺にいくよ~」というのでまたMRTにのって。行くまで知らなかったけど観光ポイントである龍山寺のようだ。ここもたくさんの人があふれていて、幾人もいらっしゃる神様にそれぞれご縁やら勉強の成果やら健康やらをお祈りしていた。アジアの信仰は現実的でわかりやすい。その後ぶらぶら歩いて、日本統治時代の建物群である剥皮寮とやらへ。すごい名前ですがどういう歴史なんだろう。建物自体は赤レンガで雰囲気のあるところ。横浜とか小樽とかそんな感じ。

これもマストだというタピオカミルクをすすりながらMRTに向かうのだが、途中道端でぐつぐつ煮られていた体によさそうなお茶をのんでみるか、とココちゃん。お店のおばちゃんにいろいろ話を聞きながら飲んだお茶は、濃い生姜茶で、日本で飲むものなんか比べ物にならないほど強くておいしい。さっそく素をお買い上げ。他にものませてくれたハイビスカスティ風のがこれまたおいしくてこれもお買い上げ。色々話していると、以前あかすりの韓国人のおばちゃんに教えてもらった膝とお肌に劇的効果のあるという、鶏の指先の煮凝りに使う漢方があることが判明。さがしていたのよ、これこれ。これまたお買い上げ。

    71img_0595   73img_0598

左。おいしい!ショウガ茶。右は気のいいおばさん。   

ここから巻きでお昼をたべなければ。間に合うかというタイトなスケジュール。MRTに飛び乗ってどうやら有名人気店に連れて行ってくれたようで、たまたまタイミングよく空いた席にすぐにつくと、後ろには長蛇の列があっという間にできてしまった。食べるべき候補であった牛肉麺をやっと食べられる。これが色は真っ黒なのにあっさりしてお肉はとろとろ。麺は細うどんのよう。一緒に、なぜか骨付きのひき肉と里芋の蒸し物、臺灣風キムチ(ちっとも辛くない。酸っぱいだけ)も。おなか一杯で大満足である。

   74img_0600   78img_0609

左。最後のごはん。おいしかった。右。探していた漢方。ただの木切れみたい。

   77img_0608    84img_0616

左。アメ横で買ってきた鶏の指。右はできあがった煮凝り。くさくてそのままじゃとてもむり。   


膨れたおなかをかかえつつ、ホテルにむかってタクシーにのる。
ちなみに台北ではMRT乗車中の飲食は厳禁で、みつかると罰金をとられるらしい。こわいこわい。

こうして時間ちょうどに来たバスでピックアップされ、ココちゃんとおわかれ。
30分ほど遅れたバニラエアで無事帰ってきました。

ココちゃんは翌日の台北マラソンを完走したそうで、来年は一緒にはしりましょうと言ってくれました。自転車で台湾一周というプランも持ち上がり、これもいいね。
ココちゃんは3月に静岡と名古屋のマラソンに参加するために来日するというので、その時はお礼にスキーに連れて行ってあげる約束をした。

またいこうっと。お土産にくれた卵のはいったパイナップルケーキがゲキウマでした。もしかして私の中でこれが一番のヒットかも。

| | コメント (0)

行ってきました~ 台湾day1

6a5adf58cc604bdd9617abe05934f2e0

弾丸格安的初臺灣にいってまいりました。

とはいえ、わたしは1日半フリーがあったけど、なんとツウに聞くと、チャイナエアでいけば早朝羽田をでて、1日遊んで、夜遅く羽田に戻るという、日帰りもできるという驚きの情報!

台北には2つ空港があって、わたしが今回使ったのが桃園空港。これは40分ほど離れた郊外にある。これに対し、市街まで15分という、松山空港というのがあって、チャイナエアならここの離着陸となるのである。すんばらしい。ただし、チャイナエアはLCCではないので、それなりの運賃となりますが、さすがに国際線の矜持はもっているでしょう、バニラなんかとちがって水の1杯もださないってことはないわよね。

これにはおどろいた。そりゃその分でお安くいけるんですけどさ。売ってるから買やいいんだけどさ。水でもコーヒーでも。でもねぇ~。

これまでいくら格安チケットでも、国際線はとりあえず成田でも第1か第2、または羽田からしかでたことがなかった。成田第3はLCC専用(といい切ってもいいだろう)
これまでは北海道か九州に行くときにしか使ったことがなく、第3から出国は初めてだった。

飯場みたいなプレハブ感満載の建物は100歩ゆずったとして、係員も研修中みたいな人ばかりがあてがわれているようで、出国審査もえらい時間かかるし、帰りの税関にいたってはラッピングはずして段ボールまであけるという、まあ、ご丁寧といえばご丁寧であるべき姿かもしれんが、驚きの審査で開いた口がふさがらなかった。私自身はいつもどおりパスポートを見せるだけの通過だったけれども。1人5分以上かかるのが頻発する税関って初めてです。長蛇の列のみなさん、イライラマックスでした。もちろん全員がそうではなくてお隣の列はそれなりに進んではいたけれど、でも第1第2にくらべたらだいぶととろかった。

でもね、しょうがない。安いんだもの。それも込みでんがな。ね。

夜中1時についたてとりあえず4時間ほど寝て、翌日は8時半から出て故宮博物館へ。

世界四大博物館の1つといわれているらしいですもの。いかねば。
でも。ルーブル、大英、メトロポリタン、台湾故宮が四大ということだが、大英みたいによその国からかっぱらったものばっかりあるところより、ビクトリア&アルバートのほうがよほど優れていると私は思うし、そもそもMUSEUMを博物館と訳すか美術館と訳すか、そこの線引きってなにさ、と思うわけですね。いいんだけどね、誰かが勝手にいってるだけだから。

しかしさすがに○千年の歴史と威張る彼らの主張もわからんではないとおもう。すごい。5000年前の、ろくろをつかった完璧な薄焼の細壺なんか言葉が出ない。なにしろ羅針盤、火薬、紙、印刷を発明した人々である。今の人たちがもっと人間的に洗練されていたらもろ手をあげて賛美するのだがなあ。

そして台湾の人にも驚く。蒋介石の立ち位置の微妙さも初めて知った。この故宮の宝物を、蒋介石が「盗んできた」と表現していた。びっくりー。
それにしても陶器や象牙、玉の細工など、もうほとんど狂気の沙汰というべき緻密な細工の数々には圧倒されてしまった。博物館はおもしろい。いつまでいても飽きない。もっともっとじっくり見たかったがそうもいかない。なぜなら後の予定がつまっているからだ。14:45市内集合場所にもどって、午後から九份ツアーに参加することにしている。その前に鼎泰豊本店で最高レベルという小籠包をいただくべく、クーポンを所持しておる。逆算すると12:30には故宮をでなければならぬ。

           Bbbd2c7e3d2b47f08c8bffeadc1be715   02img_0501

      B046aa76191b46b49c900b7ff2ad47b9  04img_0503

≪上:鼎泰豊の小籠包とえび餃子。おおきい。下:九分の猫。べろでてますよ≫

後ろ髪をひかれつつなんとか3階まで駆け足でみて、タクシーを捕まえる。事故で一か所混んでいてひやひやしたが1:10に鼎泰豊到着。クーポンをみせると20分ほど待つという。ちなみに普通に並べば50分というところ。ここは予約ができないようでとにかく食べるなら並ばなければならないらしい。果物など買い食いしながら言われた時間に戻ると、さらに10分後ようやく呼ばれる。すぐさまお待ちかねの小籠包がでてきた。美しく折りたたまれた極薄の皮はこの店ならではの18折なのだそうだ。食し方指南に従って針生姜をそえて口にいれ、一口噛めばドバッとあふれる極上の肉汁。ひ~。おいしい。

これまで食べた小籠包はミニミニ肉まんの体で、皮の厚いのしかみたことなかったのだが、この薄い皮でよくぞこれだけのスープを含有できるものだと感心。その後も間髪いれない給仕が続き、エビ餃子、エビと豚餃子、魚餃子(これがまた素晴らしい風味)、酸辣湯(これはもうちょっとパンチがほしかった)、炒飯(シンプル上品)、ホウレンソウ炒め、あとなんだか忘れたが最後のプチ餡饅を含めて9品を堪能。外に出てすぐタクシーを捕まえて集合場所にいくとちょうど集合時間の14:45ぴったりでした。神業。

50分ほどバスに揺られ、歯を矯正中のおにいちゃんのヘタなトークを聞かされているうちに爆睡(昨日寝てないから)。いつのまにか九分についていた。ここは宮崎駿の「千と千尋」で有名になったらしく、台湾は宮﨑様様とのこと。プロデュースの妙というところだが、それでもそこにしかない景観は価値がある。海辺からせりあがる山肌に広がる九分の小さな町は、たしかにかわいらしくノスタルジックで、外来の客を喜ばせるに十分だ。夜、灯が入ってからが本番で、赤い灯明が黒い建物に映える様は美しかった。

  33img_0537  10img_0509

右は台湾名物らしい花文字を書くおばさん。現存3人だって。

    Dec7e3739b2c4b5e930d1ddf1b0939c2   6c3a7070920e4949a8cd42f15f066e06

≪左:臭豆腐。おいしかった。右:ベリーベリーかき氷。これまた日本にはないうまさ≫

  15img_0515   18img_0518  

  44img_0548    Bf21c2c6958e497ab40ef7a9fea9d6d4  

日が暮れるまでは、イスタンブールのスパイスマーケットを思い出すような狭い路地に軒並み並ぶ店をのぞきながらぶらぶら。不思議においしかったベリーのかき氷や、芋餅のぜんざい、果物などたべながら遊ぶ。そして噂の臭豆腐にも挑戦。臭いはきついが、甘辛く濃い味噌で味つけられた1品はなかなかおいしかった。

十分夜を味わってバスに拾われ、市内に戻る。解散は士林夜市。ここで放流され、またも食の狂宴へと繰り出す。というかここからが本番です。
まずは果物。ベトナムで食べたものより100倍おいしい釈迦頭(シュガーアップル)はとろりと柔らかく甘くて最高。マンゴーは季節外れだけどパパイヤ、グアバなどいただく。グアバはジュースでない生は初めて食べたけど、カリカリと硬い柿みたいな触感が珍しい。わたしはジュースにしたほうが好きだな。

次は名物胡椒餅。まあまあ。隣の行列になっている屋台では、5cm角の肉まんのようなものを焼いている。きっとうまいに違いない、おまけに1個45円。嘘みたいに安い。さっそく並んでみる。これが絶品。カリっとした部分とふわふわな部分の皮の中味はぎゅっとしまった肉餡で噛むとじゅわっと肉汁があふれる。肉と野菜2種類あったが、野菜も食べてみればよかったなー。もういちど並ぶ気になれずパス。

  13img_0513   24img_0524

次は顔の大きさの鶏のからあげがこのところブームだそうで、数軒の屋台どれも大変な行列だ。これにもさっそく並んでみる。屋台は4名体制。粉をまぶす人、揚げるひと、揚げたものを炭火であぶるひと、売り買いのお会計さん。一体1日何キロいや何百キロの鶏肉を揚げているんだろう。この時点で9時はすぎていたが、人の波は衰える気配はない。1日中、たちっぱなしで揚げて揚げて揚げまくる。ああ人生かな。人間てすごいなあ。きっとこういう人たちはアウシュビッツにいっても生き抜けるだろう。アウシュビッツで生き延びたのは、消えることのない希望野望のある人、一粒の雨にも感動できる人(つまり生きている喜びを見つけられる人)だったそうだ。では早くになくなるのは。あきらめてしまう人。

 38img_0542_2  35img_0539


そのあとは臭豆腐の生をもう一度。これはさすがに臭さが勝ってあまりおいしいとは思えなかった。その他、牡蠣炒め、大海老のフリッターなどを食してとうとう倒れこむようにホテルにもどった。長くはちきれんばかりの1日だった。

ちなみに士林夜市は観光客には一番有名らしいが、大きいので回るのは大変。それと、食べ物エリアと雑貨エリアが分かれていないし、ちょと間違うとすぐ外れてしまうので案内図などあればなおよし.

| | コメント (0)

明日から初台湾~~

おととしの大雪縦走の時、旭川のゲストハウスで知り合った、台北在住のココちゃん。年に数回来日という日本ファン。ずっとFBで連絡をとりあっていたのだけど、案内してくれるというのでついに行くことにしました。

いつでも行けると思うとなかなかいかないという、あるあるパターンでしたが、2泊3日でも木曜発にすると宿付き朝ごはんつきバニラエアの直行便成田夜便現地夕方便という好条件で2まんえんでございます。(1日ずれるとがーんと料金あがりまっせ)

だってさー、福岡まで片道正規料金47000円するんだよ。それ考えるとびっくりするほどお安くないですか~。

てことでおいしいと評判の台湾グルメ堪能してきます~。

ちなみにココちゃん次は3月、静岡と名古屋のマラソン参加のため来日予定だそうです。

| | コメント (0)

ついに

Img_1943

やった。やっとカミングアウトできた。ほ~っ。

もう1ヶ月を切ったタンザニア行。いつ言おうかとそわそわしつつ、機会をねらっていたが、やっと本日業務予定確認の席でそろっと言ってまった。「おや、またどこかに逃げるんですか」といわれたけど、とりあえずするっと通過。まあ、いつものことながら通過するしかないわけなんですが。

 

だってもう、後戻りできませんからね。海外送金も終わり、無事着金の連絡もやっととどいて、すべて順調。

そんなことでいつになく気の早いことにすでにパッキング開始。ひさびさにバックパックで気楽だ。でも装備がいろいろと特殊。双眼鏡とか水着とかマラリアに罹患しないよう強力なDEET入り虫よけとかかゆみ止めとか。マラリアはごく普通に罹患するようで、おかしいなとおもったら現地で診察をうけないと、治療法・治療薬に経験のない日本に帰ってからだと治りがわるかったり後遺症が残ったりするらしい。

 

山もようやっとまともな山に近づけるようになってきて、先週は手始めに雲取にいってみた。

前白岩山からさきはすっぽりまだ雪の中で、林間は凍っているからアイゼンがあったほうが楽。わたしはなんと、冬靴を積み忘れてしまった上にカッパの上も忘れる体たらく。雲行が怪しくなって降ってきたので、芋の木ドッケまでで敗退。普段履きの安い運動靴も泥んこで沁みてきたし。とはいえ、かなりとばして歩いたから、トレーニングにはなった。。時間があったので、初めて三峰神社にお参りし、境内のありがたい温泉で汗をながす。これが意外と、といっちゃ失礼だが、結構なアルカリのいいお湯で、心身ともにすっかり浄化されて、非常にすがすがしかった。

Img_1945_1

翌日はこれまた1年ぶりの自転車にのってみた。ほんとは菜の花盛りにのりたかったんだけど、今年は花粉が長かったのと菜種梅雨で週末がだめだったりで、やっと今週出かける。

夏日となったこの日、本当に気持ちが良くて、まだ菜の花もだいぶ残っていて、武蔵野の雑木の種々の緑にけむる若芽がとても綺麗だった。でも、自転車を楽しむ人が増えたのはいいのだけれど、やっぱりマナーは気になる。直前まできているのに対向から追い越して来たり、狭いサイクリングロードに群れで写真を撮るのにたむろしていたり、すれ違いで待ってあげたのに挨拶ひとつなかったり。

冬はほんとに好きな人しか乗りにこないから、ただのすれ違いでもいちいち挨拶したりして心ほのぼのなんだけどね。

   Img_1930  Img_1937

ガシガシ飛ばす必要もないし、リハビリだし、のんびりポタリングだから、途中のお気に入りポイントにもじっくり滞在。その1は通っていたバイク教習所のとなりのサーキット。本日はバイクと子供ライダーのチビバイク。次は迂回路の途中、たんぼのラジコン飛行機さんたち。そして最後は目的地の本田エアポートでスカイダイビングというお決まりのコース。

1年ぶりだといろんなことが変わっていて、まず整備中のサイクリングロードが一部綺麗になっていてびっくり。残念ポイントは本田エアポートの広場からはベンチが撤去されていたこと。風もあたたかく穏やかな南風で、真っ青な空にいきなりぽかっと湧き出てくるパラシュートに相も変わらず楽しませてもらった。 

   Img_1941    Img_1939

しかしつくづく思うのは、ほんとうに今暮らしているあたりはいいところだということ。ものの5分で素晴らしい荒川サイクリングロードにでられ、大きな図書館やプールや市役所も5分。郊外型の駐車場の広い大きな店もあちこちにたくさんあって買い物には苦労しないし、、複合型のモールもららぽーと、レイクタウンと東西に2大巨頭、ららぽなんてチャリで10分。かわっぺりの公園を始め、広々とした施設には事欠かず、山も近くて高速も近くてのりやすく、関越・東北へのアクセスは抜群。以前はつらかった中央や東名へも、圏央道の整備で楽になったし。上野もいいですけど、やっぱりわたしはここが好き。

 

| | コメント (0)

その後

045_mg_4242

2月26日、長年住み慣れた浦和の自宅から引っ越し荷物をだした。
ここに来るときにもそうした、玄関のフェンスを外す作業をせねばならず、そこには20年弱の間に大木に育った野薔薇が、アーチから屋根からに絡んでいて、これを切り倒したのだった。

そしてこんなことになるとは思いもせず、昨年6月にチケットをとり宿をとって計画していたヴェネツィアへの旅を4泊6日で終え、帰ったその日から眠る暇もなく引っ越しだった。

072_mg_4258

毎晩、明け方4時まで荷造りをしてもしても片付かず、幸い今の家をすぐ空ける必要はないので、業者に頼まなければ運べない家具、家電、重い本や大きな布団など、2トン車2台に積み、サンショウウオの穴のように、一度入れたら簡単には出せない狭い都内の新居に無事搬入。
なにしろ狭い敷地の3階建てで、階段は細く曲がりくねって、家具は1階以外すべて吊り上げとなった。幸い、良い業者に巡り合って、一生懸命やってもらった。それでもまだ、3分の1以上ともおもえる荷物や廃棄物が、浦和の家には山のように残った。

161_mg_4314

浦和の家をどうするか、というと、行く行くは売るか貸すかというところなのだが、当面はわたしが一人で住んでいる。いや、正確には猫と二人暮らし。わたしがいる理由がこの16歳になる年寄猫の為と、3月いっぱいは努めなければならない地域の自治会の班長役務のため。猫はかなり衰えているので環境を変えるのが過酷なのと、もうひとつは新居には家主があまり入れたがっていないからだ。たしかにロシアンブルーのダブルコートから排出される抜け毛は半端でない。

084_mg_4267

その浦和の家で待っている猫のもとに、引っ越し当日の夜遅く一人で戻った。

戻って泣いた。予想もしていなかった衝撃に打ちのめされたからだ。正確には17年間、下の子が小学校に入るのを機に引っ越して住んだ浦和の家。こだわって建てた特殊なつくりで、荷物を出すときまでは何ら変化はないつもりだった浦和の家。戻ってみたその家はぽっかり暗い穴のようにがらんとして、ついさっきまであったこれまでの活き活きした慣れた生活が、目の前から突然消えてしまった事実が、今さらながらいきなり襲ってきて、わたしは茫然とした。

275_mg_4391  334_mg_4427

17年間のいろいろな思い出があれやこれやと浮んでくる。

小さかった子供たち。にいちゃんが弟を肩車してふざけていた部屋。勉強をみてやった机。ロフトの階段から下の子が落ちた時、ちょうど来ていた留学生が助けてくれたこと。
それからしばらくの間、仕事をしていても電車にのっていても、ふいに湧いてくる喪失感と涙をどうすることもできなかった。

ついでにいうと1月以来仕事が大変で、毎晩遅く休みも出勤するような状態で、心も体も参っていた。

もういっそ、仕事もやめて、猫とふたりで山小屋に籠ってしまおうかと真剣におもった。

426_mg_4493

3月。やっと仕事も少しおちついて寝られるようになり、猫との暮しにも慣れてきて、仕事が早い日には他の家族がいる新居でご飯をつくりに寄るのも楽しみになってきた。一人暮らしもいいもんだ、と思える余裕がやっとできてきた。なんたって人の散らかしたもの汚したものを掃除しなくてもいい。食べるものも納豆とチーズと豆腐とキムチで充分。お風呂だって洗面所だってトイレだって、全然汚れない。

家にもどるとインターネットも触る暇もなかったけれども、なんとか合間をぬってヴェネツィアの旅行記も書き終えた。http://4travel.jp/travelogue/11217821

81になる死に損なった母親がまた企画した演奏会の手伝いにもいってきた。久しぶりの早春の故郷は嬉しかった。のたりのたりした明るい玄界灘も枯草の間に芽吹き始めた田畑も。帰りたくなった。やっぱりしみじみ、わたしは都会の暮しには魅力を感じない。

523img_1804

上野はそれでも自然豊かで環境もいいといいながら、やっぱり山の見える、空の広い、できれば海も見えるところに住みたいと思う。

| | コメント (0)