旅行・地域

今年のメインの旅

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昨年はタンザニア。その前はイラン。その前はウズベキスタン。その前はヨルダンと実現してきた魂の旅。

タンザニアを実現した後、正直なところもうこれ以上の旅はないかもしれない、と感じてしまい、次の旅へのモチベーションがなかなか生まれなかった。

そうはいっても生涯の課題、旅バカプロジェクト推進にあたり、今年のメインの旅をどこにするか、企画会議は続いていた(頭の中で)。そしてついにきた。それはラダック。

きっかけは60になったら6000m峰という、以前から温めていた企画を旅バカPJに追加したことだった。還暦を迎える3年後。その時には仕事も引退して身軽になり、1ヵ月2か月をかけて6000m峰に登ろう。そのために、遠ざかっていたアルパインもまた始めよう、そしてそうなるとたぶん、商業登山隊に参加するだろうから、情報を集め始めなければと思った。

プロガイドが主催する海外高峰登山隊は、それなりの体力と経験、なによりお金があればいまや誰でも参加できる。そしてこの企画は国内外含めて星の数ほどある。

行先も、大御所のネパールヒマラヤをはじめとして、インドヒマラヤ、カラコルム、南米ペルーやチリの山脈、カナダなど北米、と多彩である。ネパールは国としてあまり好きになれないから、南米かカラコルムと思い、さがしているとまずひっかかったのはペルーのワスカラン。レベルに合わせた多彩なルートと、温泉がありご飯もおいしいベースタウンが魅力だ。

が。なにせ南米は遠い・・

そして技術レベルが高くなくても登れる6000mで次にひっかかったのがストック・カンリ。

これがなんと。ラダックにあるのである。

ああ、ラダック。ターゲットの一つに加えてからはや6年。旅と山が両方実現できる。これしかないではないか。いきなり本命に巡り合ってしまった。

しかしまだ6000m峰実行には早い。しかし行きたい。

それなら1度下見で5000mほどの峠越えのトレッキングをしておけば本番で役立つこともあるだろう。なによりももうこの気持ちは止められない。

ここから具体的に旅行記を読み漁り、同時並行でチケットを監視し、現地エージェントを探し始めた。そしていつもの魂の旅の立ち上がりと同じように、今回も1発でここぞというエージェントさんに出会った。こうなるとあとは時期を定め、チケットを入手するだけである。インドはビザが面倒だときいたが、どうやらアライバルビザという手もありそうだ。旅人たるもの、一度はインドの洗礼をうけなければ本物とは言えないのだ。(ほんとか)

ラダックは高地の為、シーズンが限られる。観光だけなら厳冬期にいってもよいが、人々は山を下り、少ない宿舎は閉まり、電気もあまりないところゆえ、耐久生活となるのは必至。登山やトレッキングとなればオフシーズンはありえない。

ということで候補は5月か9月、仕事に影響のない中旬。どうもしばらく監視するにチケットは全日空+ゴーエアという組み合わせしかありえないとわかる。これが1日ごとに値段があがっていくので5月はあっという間になくなり、9月も10万越えとなるとぼやぼやしていられず、上司のOKが出たところで確保。

かくして9月7日から15日まで、ついにやるぞ、のラダック行きが決定~~~I

ラダックは、アカデミーもとったインド映画「Three Ideot (きっとうまくいく)」

のラストで登場する天空の湖、パンゴン・ツォがあるのだ。これが見たい。

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早春の大和路

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もう5年ほど、春浅い大和路を歩いてみたいという思いを抱いていた。

どうしても今年決行と決めて、週末1泊だけれど車を駆っていってきた。イメージは古代の歴史が息づいた原っぱを歩くことだったので南部の車がないと不便な地域をメインにした。

奈良駅周辺は電車でもいけるからまたそのうちいこう。本当は宿坊に泊まって高野山も行ってみたい。

で、最初にむかったのが天の香久山。小学校の3年生になるまでばあちゃんの家の2階に間借りしていた我が家。正月ともなると親戚一同ここに集い、楽しくすごした行事のひとつが百人一首だった。最初はなにがなにやらわからぬ、ひらがなだらけの札が、得意札が増えるごとに文言が頭に沁みついていくのだが、天の香久山をうたった持統天皇の句はその最初のころだった。なつきにけらし。ころもほすてふ。てふてふ 。

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なだらかな、丘というべき163mの頂は 明るく開けていて、國常立命を祭神とする國常立(くにとこたち)神社があった。小さな素朴な祠で、おとなりには雨ごいの為に高靇神が祀られていた。
 
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一帯は散策路と自然公園になっていて、ロウバイやつばきが綺麗だった。
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上の右側の写真は、月の誕生石という巨石。なんでも岩が割れて、そこから月が誕生したのだそうだ。洋の東西を問わず、古代は巨石にまつわる伝説や神話が多い。人は大きな岩になぜエネルギーや神性をみいだすのだろう。
 
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そのあとは石上神宮にいってみた。ここは日本書紀にあらわれる日本最古の神宮だそうで、八岐大蛇を斬ったというすごくかっこいい宝刀が収められているため、戦いだとか昇進だとかにご神力があるのだそうだ。なにやら鶏が特徴のようで、たくさん放し飼いになっていた。
夕暮れ、素泊まりのゲストハウスでご飯を食べるための食糧をスーパーで買い出しして、宿に向かう。おもしろかったのが天理市。初めて訪れたが、その異様なまでの組織力というか権力というか集団力というか、ひとつの市をつくりあげる、それも江戸末期からの宗教というのでびっくりした。たんなる新興宗教かとおもっていた。
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翌日はゲストハウスすぐそばの恵比寿神社の桜が咲いているといわれて寄ってみた。たしかにすがすがしい空気の静かな神社ではすでに1本が満開。お財布の幸せを祈って本日のメインイベント、三輪山と大神神社詣でにあるきだす。
 
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すごく有名なところなのに、なにやらとても鄙びている。参道はつねに露天がでているほどにぎわっているようなのだが。
この三輪山がご神体になっていて、昔は神職でさえ禁足だったそうだけど、今は申請すればのぼらせていただけるとのことでいってみた。すごいパワーのある場所だそうで。
まずは本殿のない大神神社をお参り。ガラガラとお賽銭箱は普通にそなわっていて、敷石にバッタのように頭をなんども擦り付けているおばさんがいてちょっと圧倒される。
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その後、受付をして、自分でお祓いをして(ヌサを振って)入山。
けっこうまともな山道を、今年初の山行としてもカウントできるようなけっこうまともな山道を30分ほど登ると、ようやく御社と、山頂のご神体にたどりつく。
朝ほぼ1番だったので、まだ人も少なく静かに浄められる。
下山しはじめると団体さんが次々と登ってきたので、このあとだとあの狭い山頂は大混雑だろうと思い、早い時間にいってよかったと思った。
降りてからはおなかが空いたので、地元でなにか、とおもったけど、これまた意外とほとんどご飯やさんがない。ここが地元の三輪のそうめんやさん3軒ほどと、お好み焼き屋さんで、お好み焼き屋さんをチョイス。そうめんはにゅう麺だったので、ちょっとパス。
 
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腹ごしらえをしたらこのあとは2つほど寄りながら帰途につく。6時間かかる関東にもどらなければ。
ということで帰り道の途上に位置するまずは長谷寺。
ここは真言宗豊山派の総本山なのである。実家は智山派だけど真言なので、やはり親しみがある。
花の長谷寺でつとに名高いだけに、このじきですら豊かな花色にあふれていた。
名物の牡丹は5月らしい。
これも見どころの長い登り廊下は、越前の永平寺に行ったときのことを思い出させた。
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次はどうしても、昔からいってみたかった、これも真言の寺、室生寺。女人高野として名高い小さなお寺だが、空海は心はここにあるといったほどこの寺が好きだったのだという。
 
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古びたお寺と日本で一番小さい五重塔。
下段みぎの画像が十二神将がある金堂。別料金というなかなかやりてな経営だったが、それでも入る価値はある。木彫りの寄木造のこぶりな十二神将は、表情も衣の動きも色彩も豊かで、柔らかく軽やかで生き生きとしていた。
次は別途、有名どころでまだいっていない正倉院や浄瑠璃寺など、奈良駅周辺のお寺もいってみたいのと、なにより宿坊に泊まって高野山、というのをぜひ決行したい。

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最新ITの国エストニアの、世界遺産中世の街タリン

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今回降ってわいたこの旅を企画するまで全然知らなかったエストニア。これまでドイツやロシアに蹂躙されてきた資源もない小国はITで立身出世をとげたのだそうだ。スカイプ発祥の国。インターネット投票を導入し、マイナンバーのお手本となった初導入の国。先日安倍さんもいったらしい。法人税不要で世界各国の企業がこの国に籍をおいて一気に増殖しているのだそうだ。

凍った暗いバルト海をのろのろ進む巨大フェリーで2時間半。北側の航路をとってタリンAターミナルに入港したのが10時半。ああ、もう、まっくら・・・・だれもいやしない・・・

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宿のあるオールドタウンまで、ホテルを予約した時にみた地図では歩けそうなので、てくてく歩き始めた。目印はみえているのですぐだな、と思い。今回は飛行機代がタダなのでホテルはちょっといいところにしてみた。

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ところが、世界遺産になっているらしい中世そのままのオールドタウンは細い道が枝分かれして、わからなーい。

通りにはだれもいないし、お店らしい扉も閉まってるし、地図なんてないし、こまったな~、まあ、適当にあるいてりゃ見つかるだろう・・・とおもったけどそうはうまくいかないんだな、これが。ああ、もう、おしっこしたいし、荷物重くなってきたし、滑るし、もう・・・・

あ、灯りだ!ナイトクラブが開いてる!

おじさん、このホテルどこかしってる???ときくと、「あーこりゃ行き過ぎだよ、あそこまでもどって右にまがると下り坂だからそのへんだよ」っていう。え~やっぱり歩きすぎたか。しょうがない。てくてく。

でも坂をくだるとまた分かれ道。どっちよ???ああ、えい、くそ。。適当にいっても暗い細道で、予約したのは5つ星だからこんな寂れたところのはずがない。ああ~どうすべ~~とみるとまた灯り。ドアを押して中に入って、すんませーーんと声をかけるとお兄ちゃんがでてきた。

あのー、このホテルどこかわかります?ときくと、さすがIT立国で名高いエストニア。さっとIPADを取り出してストリートビューで確かめてくれた。やれやれ、これでなんとかいけそうだ。お礼をいってまたてくてく。

そしてみつけた~~~。やっとあった;;。遅くなると連絡はしてあったけど、時計をみると11時半。港に着いたのが10時半だからかれこれ1時間もさまよってしまった。泣。

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すてきなお部屋に案内されて夜中ではあったが熱いお風呂で冷えた体をあっためてからフカフカのベッドにもぐりこみました。よかった。

翌日は起きてからまたお風呂に入った後、7時半ごろおなかが空いて朝食に。シックで落ち着いたこじんまりしたこのシュロースルホテルは、500年前の大商人の館だそうで、梁も石壁もどっしり落ち着いて素敵だ。スタッフも静かで大人でインテリジェント。食事もほとんど一人ですごして,最後のほうでやっと他のゲストが1組くたくらい。ほんとに静かに過ごせて素晴らしい。毎日お水とチョコを夕方かごにいれてもってきてくれる。朝はゲストの国語で書かれたたニュースまとめをドアにかけてくれる。タオルもアメニティも上質。非常に気に入ってしまった。

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ゆっくりと上質な朝食を楽しんで、どうせお店も開いてないからと思い、10時から歩きにでてみる。ガンガン小雪が降っている。まずはツーリストインフォメーションにいって、12時からというフリーツアーの詳細をきいてみる。申し込みも必要なく、集合すればいいとのこと。それまでにおすすめのところを聞いて、ぶらぶら歩きだす。さすが中世の街。冬で色彩にとぼしいけど、その分本当らしい雰囲気があふれている。ハイファンタジーに出てきそうな感じです。いいね!これはやっぱり重くてもデジイチもってくるべきだった・・・と後悔。絵になる風景が盛沢山なのに、アイフォンでは大味な記録写真しかとれない。残念。

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ナントカ通りという味のある小道や有名なセーターの壁(地元のおばちゃんたちが手編みのセーターなどニット製品を露天で売っている)、両サイドの城壁、北側の門などをみてまわる。途中、お店のショーウインドウをのぞくのだが、どれもこれもほんとに素敵。センスのいい、陶器・ガラス・木・布・毛糸・フエルトなど、様々な素材で作られた独創的な作品が、とても素敵にディスプレイされていて、購買欲を抑えるのに苦労する。なんでこんなにセンスがいいんだろう。どこ由来なんだろう。いわゆる北欧デザインとは違う、ほっこりとあったかい、ユーモアも感じるような、実に好みのデザインが目白押しなのよ。いいわーここ。

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昼からのツアーは30人ほどあつまった。学生さんなどのボランティアによる、町の歴史や文化を織り込んだ徒歩ツアーなんだけど、これが2時間もかかるという。小雪ふきすさぶ中での2時間はなかなか修行だ。英語もどんどん早口になり、こっちも集中力がなくなり、10時から休みなくあるいているので冷えたしトイレも行きたいしおなかもすいたし、あと2か所を残すところで食料品店をみつけてついに離脱。ホテルに帰って一休みして昼ご飯をたべる。

ちなみに本日のガイドさんは20すぎたくらいの緑色の髪の毛の女性。北国の人はパンキーなのかしら。それとも色彩が乏しいから色がほしくなるのかしら。ピンクの髪の毛とか手首までのタトゥーとかけっこう見かけた。そういえば「ミレニアム:ドラゴンタトゥーの女」も舞台はスウェーデン。ロシア近隣諸国からの売春シンジケートとか(それも幼女が多いとか)けっこう腐ってるイメージもあるな。。。

ミレニアムはスティーグ・ラーソンの3部作まですごく面白くて一気読みしたが、死後に別人のラーゲルクランツによって書かれた4部はどうかなとおもって敬遠していた。久々に映画を見直してやっぱり続きが読みたい、と4を読み始めたところ。

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夕方もう一度、夜景を見るのとお土産を買いに出てあとは部屋でゆっくり。

翌日はまたフェリーにのってヘルシンキにもどり、今度はちゃんと切符をかってそのまま空港へ直行した。ちゃんと、というのは、ヴァンター空港到着時、案内通りにすすんだらいつのまにか改札もないまま電車にのってしまい、気が付いた時には後の祭り。乗客に聞いたら車内改札がくるからといわれて待っていたけどこなくって、結果として無賃乗車をしてしまったのだった。ごめんなさい。

ちなみに券売機はすべてカード決済。たった5ユーロでもコインじゃない。なんでもかんでもカードですんじゃうのでキャッシュはお守り程度でいい。

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おしゃれで広いフィンエアのラウンジの食器はマリメッコ?とアラビア?イッタラらしい。ベリーのヨーグルトがゲキウマでした。JALは遅れまくったけど、無事3泊4日の旅から帰ってまいりました。

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今度行くなら夏かな。デンマークの友達もぜひ来てというので、じっくり計画するとしよう。

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ムーミンの国 ヘルシンキ

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成田発11:30 JALの直行便で9時間半。ヘルシンキヴァンター空港15時ちょっと前に到着。

いや~楽ちん。いつも格安の乗り継ぎの15時間かかるヨーロッパが、なんとらくちんな。しかもオーバーブッキングによるアップグレードという幸運にみまかり、ビジネスじゃ~ん♪一生に一回あるかないかの幸運でござるよ。いや~ありがたや。

今回はそもそも夫がJALの特典割引キャンペーンがあるから、プレミアムエコノミーはいいよ、マイレージ使えばと勧めてくれたところから始まる。2月の仕事の山場を越えたこの時期に勝手にご褒美旅行として一昨年から始めたシリーズだけど、今回は3回目。いずれにしてもどこかに行っていたとは思うのだが、こんなことから行く先のチョイスは限られた中からとなり、結果としてヘルシンキ往復と決定。ロンドン・パリ・ローマは遠いから2,3日じゃあもったいないし、行ったことないのがヘルシンキだったから。ムーミンもあるし。なんとバルト海を簡単にわたってエストニアのタリンとかいう町にもいけそうだ。これこれ。

   

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てなことで決定したのが10月末だったかなあ。これは自発的にここにどうしても行きたい!といういつもの旅とちがって、そう、ちょうど去年のヴェネツィアと同様、ちょっとしたきっかけで、じゃいってみるか、というノリだったので、特に何も調べる意欲もなく、しかもヴェネツィア同様先進国なのでぶらっといってもちっとも困らない。気になるのは極寒期ということだが、その分オフシーズンで空いている利点もあるし。とおもったのが浅はかだった・・・・

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(左:凍った海を見たのは初めて  右:泳いでるんだよ、そこで。変!)

さむ~~~い。さむすぎる。頭痛い。耳がちぎれそう。1時間以上あるいてられない。つま先が濡れてしみて痛冷たい。緯度でいえばモスクワより北なのね。ま。内陸な分、モスクワのほうが寒かったけど、そういえば同時期。デンマークの友達の家を訪ねたのもちょうど同じ時期。でもそんなに死ぬほど寒くはなかった。まあ、若かったけど。

日本からの航路は、まさにシベリアの北極圏ぎりぎりのあたりをまっすぐつっきっていく。よくよく地図をみると、スカンディナビア半島はレースみたいに穴だらけなのだ。湖ともいえないようなこまぎれの水をたたえた地形がそこらじゅう広がっていて、ほとんどちゃんとした陸地がないんじゃないかとおもう。こんなところなのね。

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短い夏には苔やベリーしかはえない、樹木は白樺やモミやトウヒしかない、冬は1日中薄暗い空の下、8時から3時までしかDAYじゃない。足元は解かした雪でぐじゃぐじゃ汚く水っぽく、靴はすぐしみて足先は1時間もしたら冷たくひえる。ちょいちょい店にはいってあったまらないと歩いてもいられない。空気は冷たく耳がちぎれそうで、みんながニットや毛皮の帽子をがっつりかぶっているわけがしみじみわかる。

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(イワシやニシン、魚がおおい北欧料理はうれしい。右のイワシボールがおいしくておかわり。白いのは豆だけど3cくらいあって巨大)

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(なんといってもべリー!冬だから保存品しかないけどシーズンはベリー天国らしい)

こんなところにいたらそりゃ、食べるのが楽しみになりますわな。お菓子も目がほしがるおいしそうなものばかり。ベリーがふんだんに使われたケーキやタルト、生クリームがふんわりたっぷりはさまれたサバランのような菓子パン。質の高いチョコレート。シリアルをはちみつで固めたようなバー・・・etc

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(すっごくうまそうなクリームたっぷりの菓子パン。我慢しました。しかし高い。小さなサンドイッチが7ユーロ。時価1ユーロ=137円。水が3.5ユーロ。ホテルでは水道水をのんじゃいました)

独り飯ができないのでレストランはいつものように入れなかったが、トナカイの肉はたべてみたかった。夏にくればあふれるほどのフレッシュなベリーとザリガニがおいしいらしい。ちなみにとムース(へらじか)はミズゴケしか食べられない完全な草食だけど、トナカイは雑食で肉食もするってしってました?いわゆる鹿も死肉をたべるんだそうです。ちょっと意外。

だれに話しかけても問題なく英語でコミュニケーションがとれるし、治安もまったく問題なく、アジア人の観光客がまるで隣の人のようなかんじで旅行できる。だれも旅行者という目で特別視しないし当然ながら観光客値段など存在しない。ただし言葉が問題なければの話ではあるけど、一人で電車に乗っても特異な視線を受けることは全くない。これだから移民をたくさん受け入れられるんだね。

途上国のように旅行者だからふっかけられたりぼったくられたりということもない。いや、これは昨年のヴェネチアでも横行していたから、途上国では、というのは途上国に失礼だな。買い物もすべて、どんなに少額でも、電車のチケットでさえカード決済で手軽で便利。商品も上質でセンスのいいものばかり。ただし超のつく物価高もさすが。

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(ウスペンスキー聖堂の内部。ロシア正教。フィンランドも第1次大戦後ロシアに占領されていた)

しかし、見どころのない街だ。夏ならともかく、活動的に動き回るには寒すぎる。寺院3~4、おとはショッピングのみ。これまたヴェネツィア同様、自然児のわたくしには響かない、全然わくわくしない。ムーミンも思ったほど出会えず、ショップも期待外れで2軒しかなく、うち1軒は日曜でしまってら。他にも日曜閉店の店はたくさんあった。やっぱ働かないのね、クオリティオブライフ重視の国なんだ。そして心と体の健康には熱心らしく、健康食品の店の充実ぶりはすごい。棚一つプロテイン。たな3つスーパーフードてな具合。こんなに暗くて長い冬だからそれもそうだろう。体だってろくすっぽうごかせないだろう。寒いから街歩きに出ようという気持ちが萎えるほどですもの。

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慣れていても事故るのね。がっしゃんこ。見ていると結構すべっているもの。右は入らなかったけど有名ポイントのテンペリアウキオ教会。岩をくりぬいてつくられたとかだけど。新しい宗教建築はあんまり興味もなく。

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(ヘルシンキのシンボル、大聖堂とアレクサンドル2世像。右はアラビア本店のムーミンカップタワー)

お土産屋さんのおにいさんが、ヘルシンキどう?っていうから、寒いね!っていうと、「いんやあんたはラッキーだよ。今週はあったかいもん。先週、おれは寒すぎて1歩も家をでられなかった」とのこと。おったまげますね。

そのおにいさんの仲良しに日本人女性がいるそうだが、15年NYに住んだ後だから、ヘルシンキは静かすぎて(田舎過ぎて?)大嫌いなんだそうだ。

まずはロシア正教のウスペンスキー寺院にいってみる。姿は美しいけど中もぐるっと見渡せば十分。次にヘルシンキ大聖堂。これは中も何もなく見る価値無し。テンペリアウキオ教会。有名なスポットらしいがちょうどクローズ時間であきらめ。でも入ってもたぶん5分で終了なかんじ。カンピ礼拝堂。木でできた小さなシンプルな礼拝堂。これはちょっと他にないけど、これとて5分で十分。いやーつまんない。

 

フィンランドは他のスカンディナヴィア3国と少し趣を異にし、そもそも民俗的にも全然別種。デンマーク、スウェーデン、ノルウェーの3国がスカンディナヴィアンと呼ばれ、北ゲルマン語族であるのに対し、フィンランドはサーミ人、フィン人を主体とするウラル語族。エストニアやロシア北東部系と同じグループなんだって。ウラル語といえば、昔わたしが勉強したころは、日本語はウラル・アルタイ語族に属しているというのが主要な説だったが(今ではこの語族分類が消滅)、東北のいわゆるズーズー弁との共通点がみられるらしい。面白い。見かけは完璧なプラチナブロンドに空色の瞳で似てもにつかないけど、遺伝子的にはモンゴロイドも多少入っているそうな。へ~~~。

 

日本ではバルト海を挟んで向かいのリトアニア大使で、ユダヤ人を救った杉原千畝は有名だが、当時(今も)スカンジナビアで覇権を握っていた強国スウェーデン王国の英断で、相当数のユダヤ人がナチスから救われたのだという。さらにはアウシュビッツで家族を失ったユダヤ人をたくさん受け入れたりしてえらいなあ。

日本ではあまり知られていないような気がするが、世界的にはかなり高名で学校にも名前をかぶせる国が多いというほどの人がいることを知った。ハンガリーのユダヤ人に大量の偽造パスポートを発行して、10万人ものユダヤ人を救ったワレンバーグというスウェーデン人で、その後ソ連にとらわれたまま行方不明でいまだ捜索がつづけられているんだって。お祖父さんは初代駐日公使だそうな。こういう歴史を知ることになるのが旅のだいご味。

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あとはイッタラ好きな友人のためにアラビア・イッタラの本店?をみて、ショッピングモールでムーミンショップにはいった。

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(街中でみかけたたいやきくん。こんなところで会うとは。右は自然史博物館)

5時半にはホテルにもどってロビーでのんびりサンドイッチを食べながら本を読んで7時過ぎまで過ごし、歩いて5分のフェリー乗り場で8味発の巨大なフェリーに無事のりこんだ。

こんなに非活動的な旅も珍しいけど、たまにはいいか。

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(フェリーのカフェテリアでたべた小エビはすごい量。日光も不足暗く長い冬に心と体の健康を保つ努力は熱心なようで、健康食品やさんはもんのすごい品揃えで圧倒された)

そしてタリン編につづく。

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旅。。。

旅のスタイルについて考えている。なんでかっていうと、シルクロードに行きたいとおもっているから。ハミウリを食べてみたい。中国から嫁いできた姫が冠のなかにカイコをかくしてきて、中国外では初めて絹が作られたホータンの乾いた街をみたい。タクラマカン砂漠をみたい。中国から西域への民俗の変化をみたい。

 

いわゆるバックパックというスタイル。ほぼ計画はもたず、その日の状況や体調・気分に合わせて、行く場所も日程も方法もその場で決定しながら旅をすること自体を目的とする。時間の制限はないことが多く、基本的に長期になり、そうなると費用も極力切り詰めることになるので、普通貧乏旅行となる。大切にするのは偶然や一期一会、人とのふれあい、出来事の経験。名所旧跡をたずねることに主眼は置かない。

それはそれで面白いし、冒険という意味でも価値があるとおもう。だれでもができることではないというところにもそれをする価値はあるのかもしれない。たしかに旅で一番心に残るのはその時に触れあった人、受けた親切、何気ない街かどだったりする。

一方、時間が限られている一般的な社会人の場合は、なるべく効率よく旅を充実させることが最優先になるから、一番手っ取り早いのが出て戻るまで全部きまったグループツアー。でもこれは楽だけど何も考えないからつまらないし、あまり旅をしたということにはならないと思う。自主性に欠けるからだ。時代が変わったから古い物事が最良とはいわないが、やはり自分の足で歩くのが旅の原始スタイルであることを思えば、揺られているだけで運ばれていくオシキセツアーは旅行ではあっても旅をしているとは言わないだろう。

次は足と宿の手配は自分でして自分だけのプランを立てて現地エージェントに任せる場合。いわゆる個人旅行。自分であるいたり運転したりはしないまでも、行きたいところは自分で決めるから自主性という点においては基本を外れない。これは理想的なのだがいかんせん費用がかさんでしまう。ガイドをつけたりするともっと。最もお金んのかかるスタイルだ。足と宿の手配までエージェントにしてもらえばこれは完璧。いわゆる大名旅行ですね。マージンごっそり入っている勘定ですから。ただし、いい点は、身柄財産の危険は回避できる。ぼったくりや騙しにもほぼ安心していられる。それとなにより、ガイドがいてくれれば現地の人からしかきけない様子が如実に詳しく知ることができるし、疑問があれば即時に対応される。旅をしてなにが辛いって、どうして?なに?をすぐ知ることができないもどかしさだ。この違いがおもしろくて、見たことのないもの、言ったことのない場所をあえて訪ねるわけだから。

ひとりで動いていると、つまりバックパッカー的スタイルだと、見たいものを自分で探すのにものすごく手間取ったり、結局さがせなかったりということが多々ある。字が読めない、言葉がわからない、流儀をしらない、という異邦人のハンディが邪魔するからだ。せっかくそこにいったのに、知っていればもっと感動できたのに、素性がわからないばかりに価値を感じきれなかったというのが、わたしにはとても残念にもったいなく思える。地元のガイドがいればこれは絶対的に回避できる。もちろん人の意見に流されろという意味ではなくて、最低限の知識があってこそ自分の価値判断力や感受性が発揮できるのだと思う。なにもないところから掬い上げる感性だけを大切にするやり方もあるけれども、まあ、これは自分の中でもケースバイケースだから、まして人それぞれ的要素が大きい。

こういう選択は行く場所にも大いに影響されるのであって、先進国ならなんの手配もいらず行くだけでそれなりに楽しめるが、そうでないところに行く場合は危険と不可能がどうしてもつきまとう。交通手段と宿泊が大問題で、さらにぼったくりや騙されたり盗まれたり、命の危険すら生じる。それも含めて旅のだいご味ということもできるけれど、ストレスや受ける被害と天秤にかけてみると、なんのためにそれをするのかがわからないのでは本末転倒な気がする。

「そんなことない、それがおもしろさ。たいしたことないって!愛嬌と度胸で勝負」という向きもある。これは図々しさが必須。実際記録文などを読むと、若い女性であっても無事に旅を成し遂げる人も多い。でもそれは単なる幸運。それに人の好意をあてにしたそれが前提のスタイルであって、それは私の好むところではない。

で、シルクロードを、わたしは西安からできればカシュガルまで行きたいと思っているのだが、これをどういうスタイルでいくか非常に悩み中。仕事やめるかどうかにもよるけど、やめたらお費用のかさむ旅はできなくなるし。中国語は嫌いだから勉強したい気になれない(これについてご意見は受け付けません)。

英語の通じない国での一人の旅が辛いのはウズベキスタンで経験済。どうしようかなぁ。

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5年ぶり?のアイスクライミング

                

寒いです。大寒波だそうで。世界中。逆にオーストラリアじゃ、暑すぎてコウモリの脳みそが溶けて大量死だって。ラニーニャの影響があるとはきいていたけど。有名な三八豪雪もラニーニャだったそうだな。

そんな寒さのなか、わざわざアイスクライミングにいってきました。良い道具をもっているのに宝の持ち腐れ、やらないなら売ってしまえ、と師匠から辛辣なことをいわれてそんなら、と奮起した次第。

とはいっても長らくひどい腰痛を患っていてアイスどころかアルパインそのものができず、自転車も乗れず、という数年を挟んで、実にたぶん5年ぶり。たしか最後は、右足の靭帯を切った後の2月だったと思われる。とすると2012年。うひゃ~~~。

そんなド初心者に戻っているとい申告しているのに、師匠ったらマルチを想定していたようで、当初の予定は吾妻不動だった。金曜夜でて、車中泊、土曜吾妻不動、日曜霧積の予定ででかけたのだが。

どうも先週からよろしくないものが付いてきているのか、なんでもない普通のカーブで縁石にあたったとおもったら師匠号なんとパンク。真夜中氷点下のタイヤ交換とあいなるところ、工具があわないようなのでJAFさんにお願い。結局1時間半ほどのロスで深夜1時半ごろ目的地到着。翌日がんばっておきて吾妻不動にいくも、かなりうろうろしたあげく、八ッ場ダム建設の影響で、滝までいけないことが判明。不運続く。
だからそんな記事をよんだよ、といったのに・・・。

とはいえですね、やはりここはお告げのような気がしてこの日はおとなしくしようと提案。

どうせスペアタイヤでは高速も乗れないし、雪がでてきたらお手上げなので、とにかくタイヤ交換の為町にでることになった。上州は中之条の車屋さんで4輪全部新品のスタッドレスに。これはこれでこちらはありがたい。なんたって師匠、常によれよれの安い中古タイヤしか使ってないから、実はひやひやものだったのだ。

その後晩の買い出しをして霧積に向かい、車中にて鍋のあと、長く寒い夜をひたすらシュラフに潜り込んで寝る。

  
               

霧積は、森村誠一が「人間の照明」の着想を得て、さらに作品に盛り込んだ地として知られている。全く持って山の奥の、だれがわざわざこんなとこ来るの、というほどの秘境だ。そんなこと言ったら怒られそうだけど。でも金湯館は風情があってお湯もわたしは好きだったなあ。今は前にあった場所からさらに奥に移ってるみたいだから、建物も新しくなったのかもしれない。我らが到着した時には都内ナンバーの黄色いS660が停まっていた。こんな車に乗るのは若者にちがいないが、よくまあ、くるなあ、わざわざ泊まりに。安くないよ、このお宿。

そんな霧積は染み出しが凍って氷柱となるアイスクライミングのゲレンデでもある。アイスを始めたころに2回きて、初めてのバーティカルをノーテンで登れたので師匠に褒めてもらったんだが、今回それをいってもすっかり忘れられていた模様。だれもいないね。ここもさびれたね、とかいってトップロープを張り終わったと思ったら、どどどっ~~~~と大量の人がきてびっくりした。どうやらガイド山行らしい。さて、5年ぶりという1本は、アイゼンがまったくあってなかったのにやり始めたのであっというまにパンプしてしまい、半ばで降りてふがいない出だしとなった。人が多くて嫌なので、下のほうに見えていた長いのがあったので、そっちへ転進。だれもいないいい塩梅の30mを独り占めして2,3本。となりのやや優しいのを1本やってもう何も握れないほどパンパンになったところで終了。時間も4時。あとは峠の湯にてしみじみ温まり、下仁田でソースカツどんを食して帰りました。

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八甲田~怪奇編

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1月初めの連休は突然話がまとまって八甲田にいくことになった。

ここ2年ほど、年末の山スキー酸ヶ湯が催行されていないので久しぶり。当然3連休だし酸ヶ湯はまったく空き部屋でず。しかたないので、以前も酸ヶ湯がとれなかった1泊分で初めてお邪魔した深沢温泉にきいてみたらOKという。

ここは、家族でやってる小さな温泉宿で、常連さんだけ知ってるみたいな秘湯系だ。お部屋もプレハブみたいな建物で、部屋には鍵すらついてないけど、小さな流しや冷蔵庫など装備され、自炊もしていいようになっていて便利。前回も自炊で素泊まりだった。
でも予約をした日、どうしてもその名前が思い出せなくて、ネットで調べてもヒットしなくて、ならばとヤフー地図で探しても見つからなくて、最後はとうとうお気に入りの温泉マニアブログからやっとたどり着いたという次第なのだが、これが不思議。帰ってきてからみると、ヤフー地図にもちゃんと載ってる。どうしてわからなかったんだろう。ここから不思議がはじまっていたのだ。

八甲田山をはさんで酸ヶ湯の裏側になるのだが、泉質は全然ちがうキシキシのカルシウム硫酸泉で、薄い黄濁湯。湯量も十分、温度は50度弱というところ。内湯は最初は熱く感じるけど、湯口から遠いところにいれば、慣れれば心地よい温度である。が、小さいながらこの豪雪地帯では珍しい露天はさすがにややぬるい。というかこの八甲田で、冬に営業しているだけでもありがたいことである。八甲田ホテルはすばらしくコンフォータブルな素敵なホテルだけど、ここも泉質は酸ヶ湯とは違い、硫黄泉だけれども透明湯でやや物足りないのがたまにきず。八甲田温泉はラムネ湯がすばらしいけど冬季休業。猿倉も谷地も道路が閉鎖で行けない。

さて。当日埼玉から八甲田まで800キロ。8時半にでて、途中昼ご飯にラーメンをすすって、黒石ICを降りたのが4時ごろ。自炊の為の買い出しをして山に向かう。角のローソンまでは雪もなかったが徐々に厚い圧雪路となり、酸ヶ湯到着が5時。まずはここです。ご挨拶のヒバ千人湯。なつかし~。やっぱここは特別。最高です。とろんとした化粧水のように濃い緑がかった白濁湯は強い酸性。長く浸かると肌がチクチクとかゆくなって湯ただれしてしまう。
そしてここはなんといっても冬ですな。厚い湯気にぼんやりかすむヒバの湯殿にいると、何もかもどうでもよくなるような脱力の海に浮かんでいるよう。おこちゃまのいない、大人の、しずかな空間。ありがたいですなぁ。日本てすてき。
ちなみに夏だと外気温が高くて湯気がこもらないのでいまひとつ風情に欠ける。

さて。18時半ごろ深沢温泉にたどり着き、ご飯を食べた後こちらのお湯を楽しむ。なにしろ猛吹雪。露天にでると顔も体もつぶてのような細かい雪と風にもはや痛い。髪の毛はあっというまにバリバリに凍ってまっしろになる。目の前の林をみながら、嫌でも思われるのは明治陸軍青森の八甲田雪中行軍の惨事。こんななかで遭難したらたまらんなあ、自分がそうなったらいったいどのくらい生きていられるだろうと思う。そうなる可能性も、雪山をやっている以上皆無ではないわけだから、実感をもって考えてしまう。白い悪魔だよ、雪は。
露天の淵に山になってふんわり積もった八甲田独特の綿雪に顔をうずめてみる。温泉で温まった皮膚の回りの雪がじゅわっと溶けていくのがわかる。雪崩にうまってもしばらくは息ができるものなんだな、などと考える。

そうこうしながらいい心持で就寝時間となり布団にもぐりこんでうとうとしていると、なぜかやたらととある名前が頭に浮かぶ。ふか○ ○吉、とかいう名前。○のところはどうしてもわからないのだが、さかんにその名前が浮かんでくるのだ。なんだろなーと思っていると左の耳に口をつけるような近さではっきりと「おいで」という男の声がした。え?と思うものの、なんとなく大したことないように思えてそのまま眠りにおちる。

翌日の夜。露天にはいっていると、目の前の樹の奥にちいさい小屋の明かりがみえたとおもったらふっと消えた。あんなところこに小屋はなかったはずだが・・と思い、翌朝明るいときにみるともちろんないのだ。わりと急な勾配の100mほど上ったところに道路が通っている地形なので、小屋などありえない。では車のライトだったのかというと、そうではなくてちゃんと窓の形の四角い明りが目の前に見えたのだった。なぜ???

さすがに不思議におもって、帰ってから調べてみると、知っていると思っていた甲田の遭難事件については実は全然思い違いをしていて、まったく知らないに等しいことがわかった。わたしは、あの事件は、いわゆる百名山の八甲田山の山中でおこった出来事だとばかり思っていたのだが、実はそうではないのだ。

青森市内の屯地を出発して、百名山の八甲田山の北側である町中から、ちょうど深沢温泉の少し北東の(1キロも離れていない)田代温泉を経由して、八甲田東側を回り込んでいまの田代牧場あたりまで達する山中のルートだったようなのだ。ということは。今回行ったところはまさに遭難のドンピシャの場所なのだよ。210人中199人が遭難死したまさにその場所。いや~知らなかった。

たしかに遭難のシンボルともいえる銅像があるのがすぐ西側県道40号線の分かれ道だ。そしてこの40号線沿線こそ、行軍のルートにあたるのである。しらんかった~。これまで何回かわからないほど八甲田には来ているし、夏も冬も銅像広場は行っているし、山スキーのツアーでは銅像コースばかり滑っている。(ちなみに銅像コースでは10年前に雪崩で2人なくなっているようだが)。知っているつもりがまったくちがっていたことにびっくり。
ちなみに新田次郎が小説化してそれが映画になったものを、学校の体育館で見せられた。これが暗くて寒そうで辛そうで、子供には面白くもクソもないような代物で、なんでこんなものを見せられなきゃならんのかと嫌悪感を覚えたものだ。

で、今回こんなことがあったからあらためて見てみたけれども。いやーひどい。

東北といえばマタギがちゃんといるはずだからそういう人の知見を取り入れるべきだろう。どうかんがえたって。
明治25年とかだとまだ日本の登山は黎明期で、雪山の知識も道具もなかったのだから。ほんとありえない。吹雪なのに動くとか、ビバーク装備もないのに山に入るとかありえない。全く持ってあり得ない。

そして地図を見比べながら記事をつぶさに読むと、あらためて悲惨さと無知蒙昧と意味のない軍上層部の見栄のもたらすバカげた計画に暗澹たる気持ちになりながら、現在公表されている常識内での出来事を知るにつけ、わたしの経験との関連が裏付けされてしまった。深沢温泉のたぶんすぐ近くで、古舘要吉という一等兵がなくなり、ともにはぐれていた村松という士官が、四肢切断されながら生き残ったという。この要吉さんが、吹雪の中遭難したらどんなにつらいだろうと考えていた私の波長に同調したのだとおもわれる。はっきりとした30代くらいの男の野太い声が耳元で聞こえたのだから。

さらに調べると、このあたりは強烈な心霊スポットといわれているらしく、それ系の話は枚挙にいとまがないそうな。

「15時頃には、最後の生存者となる村松伍長が古館要吉一等卒の遺体とともに田代元湯近くの小屋で発見された。村松伍長は四肢切断の上、一時危篤となったがかろうじて回復した。25日朝の遭難当時、村松伍長は古館一等卒らと共に本隊からはぐれ、青森を目指したが進路を誤り、26日午後にこの小屋を見付けた。中には茅が積まれていたがマッチが無かったため火を起こせず、翌日古館一等卒は死亡した。村松伍長は付近で見付けた温泉の湯を飲んで命をつないだが、30日以降は立てなくなり、以後はただ横臥して雪を食べていたという」(出展:wikipedeia)

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年末は北海道スキー

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毎年年末の休みが少なくなっていく。去年までは1日は早く休みに入って、八甲田の山スキーやら山行を楽しんでいたのだが、業務の変更後は月末月初は休めなくなってしまった。

そこへ夫が今年は早くも秋前にリーチをかけてきて、年末3日間がっつり家族スキーが設定されてしまった。まあ、自腹でないし、子供たちとのスキーは楽しいからそれはそれでいいのだが。

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29日、朝から荷物をうけとって洗濯やら掃除やら車のルーフボックス取り付けやらして、上野にむかう。ついてから荷物の確認をして積み込み。羽田へ向かう。駐車場の予約がとれないといっていたが、無事空港Pで空きをみつけて駐車。夫はレンタカーを借りるので一足先に5時半のJALでいくという。残り3人は8時半発のANA.。ここで3時間ほど時差があるが、一緒に車でいったほうがいいので我らは暇つぶしをすることになった。

で、夫がチェックインに向かっているあいだに、ムスコ2がEチケットをなくしたという。これはオンラインチェックインをしているものなのでなくすとひじょーに面倒。しかも夫名義の特典なので自力では再発行不可能。戻ってきた夫にすぐ告げると、自分がいけばなんとかなるかもという。なにしろダイアモンドホルダー。でも、ただでさえ時間がないところ第1ビルから第2ビルへ移動しなければならない。タクシーやら連絡バスを待つほうが時間がかかるというのでひたすら大荷物のカートを押して(板4本、巨大ボストン2個)走りに走る。

受付であれこれやってもらったり操作したり、すったもんだの末、なんとかかんとかボーディングパスを出すことができた。夫また第1ビルまで飛んでいき、なんとか間に合った模様。あとは高いご飯をたべながら3時間つぶして我らも無事搭乗。千歳到着が22時を回るころで、この日は苫小牧のビジネスホテルに泊まるのみ。

だが、ここでまた問題。夫、何もかんがえなかったいうのだが、レンタカーはなんとトヨタ・ヴィッツ。これコンパクトリッターカーですねん。キャリーもなし。これに4人分の板、靴、ボストン2個、各自のザック各1こをつまねばならない。もう、座席面積30㎝四方に天井まで荷物のある状態で3日間すごすことになり。どうかと思う・・・

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翌日、快晴。苫小牧をでて今日はルスツで滑ることにする。ルスツは、ムスコ1が1歳のころ、つまり27年前に一度きているが、なにしろ毎日猛吹雪でほとんどすべった記憶がない。どこにあるかすらよくわからないままだったが、今回やっと場所を把握。後方羊蹄山の南側に位置する。雪はすばらしく軽くてふわふわで、霧氷が最高に美しくて感動的。すいているし、リフトなどレイアウトも新しいし、コースも豊富ですばらしい。ただ、一番左のエリアでペアが1基しか動いていないのだけが不満だった。

とはいえ1日ナイターライトが付くまで久しぶりにすべりまくった。北海道は前回が旭岳・富良野の5年ほど前だが、外国人が増えたのには驚いた。ルスツでも4割弱という感触、しかも白人が多い。聞かれる言葉は英語・フランス語。たぶんオーストラリアやNZからが多いんだと思うけれども、アジア系もたくさんいた。

ゲレ食も以前ほどバカみたいに込んでいないし、値段はそれなりに高いんだけど量もあっておいしかった。

この日、宿は岩内温泉の旅館。広いお部屋でなかなかよろしかった。ケガニの晩御飯もオツでした。

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2日目はニセコときまっていたので、朝ごはんの後向かう。ニセコも10年ほど前か、1度きているが、これまた毎日吹雪吹雪こおりのせかい~~~ってなかんじで、ほとんど記憶がない。あるのは上部の吹きすさぶ吹雪のなかひたすらトラバースしたことだけ。

今回はご覧の通りのぴーかんで、目の前にどーんとそびえる後方羊蹄山がすばらしかった。マッシブなのね~、この山。まだ登っていない北海道百名山のうちの一つなので、2018年夏に計画しておる。もうひとつのこっているのが日高の幌尻。これがまたアプローチが難しい山なので残っているわけだが、一緒に今年やってしまおうと思っている。

ニセコはさらにガイジン率が高いのにびっくり。ここはどこ?

たまたまニセコヴィレッジに駐車してあがったのだが、センターがヒルトンのグリーンリーフ?とかいう宿泊施設からで、ここにうろうろしているガイジンはみな、いかにもお金持ちっ!!!っていう感じの人ばっかり。ちょっと気おくれしながらゲレンデにでる。さすが規模は大きいけれど、森林限界の上部はなにも変化がなくてあんまりおもしろくない。雪も軽くないし、非圧雪は荒れてでこぼこで、滑りにくくて大変つかれる。荒れてても雪が軽かったら全然楽なんだけどねぇ~。怪我しそうでいやなのよね、重く固まった雪。

コースも上級があまりなくて、あっても圧雪のつまんないバーンしかないし、ちょっと自己責任のオフピステ林間に入ってみたけど、これも荒れててあんまり気持ちよくない。コースも雪も、ルスツのほうが何倍もよかった。

ここも3時半までへとへとになるまで滑って、今宵の宿は五色温泉。ちいさい、秘湯の宿系だけど、温泉は硫黄の酸性泉でなかなかよかった。年越しのご飯はすでにおせちな雰囲気。おなか一杯たべてトランプして年を越す。

あけて新年1日は荒れるとわかっていたので、わたしはもうスキーは十分だから温泉巡りでもしようと提案していたのだが、夫はどうしてもキロロに行くという。わざわざネットでしか販売していない3時間券をとても苦労して購入。途中詳細がわからないからとスキー場に電話までして。

そしてたどりついたところが、なんとリフトもゴンドラもほとんど動いていない。これでいけるのは初心者コースと中級が2本ほど。あまりのことに払い戻しの交渉をするも、夫玉砕したもよう。でもねえ、電話までしてるんだから一言教えてくれてもいいよね。現地でリフト券を買うのなら搬器の状況をみてから判断できるけど、ネットでしか売ってないチケットに関しては別条件だとおもうが。全然おもしろくないし、いろいろと運営も非良心的。キロロは二度といかない。

いずれにしてもどうしてもモトをとりたい夫。無理にでも滑るというので付き合う。それでも1時間が限度で、雪風も強くなってきたのであがる。

あとはご飯をたべて、朝からの雪で乱れている千歳で案の定搭乗機が遅れ、東京についたら10時半。埼玉にかえったら11時半でした。ひゃ~つかれた。

あ~ちなみに、新調したブーツだが。いや~長年カントのある靴になれているからか、えらくつったった感じで、足首の前の部分が疲れ、ふくらはぎはぐりぐり押される感じでなんかちょっと違和感ありありだった。なれるのかしら。

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行ってきました~ 台湾day2

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さて。二日目、というか早くも最終日。帰りの便は4:55発ではあるが、どうやら地元ツアー会社の儲けに貢献させられるようで、ピックアップは13:10という。早すぎるなぁと思いつつ、ココちゃんと約束の7時過ぎにロビーで再会。2年ぶり!

当時は縦走に出る日の朝で、山姿だったので、わかるかな?と思うくらいだったが問題なし。さっそく朝ごはんに連れて行ってもらう。台湾も中国と同様、外食文化だから朝から外食。近くの朝ごはん屋さんにはいるとココちゃんが取りまとめてくれる。

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左。龍山寺。右中正記念堂の演劇用ホール。


メニューをみると、意外にもお粥がない。中華風朝ごはん=お粥と思い込んでいたから。香港のお粥は本当においしかった。ここは粉系のようで、肉まんか薄いパンケーキ風かパイ風、ダイコン餅などがメニューに並んでいた。飲み物は豆乳。かぼちゃ風味だのミルクティ風味だのは初心者向けでココちゃんは素豆乳をレンゲですくってのんでいた。

おなか一杯になってこのあとは展望台的な象山というところに連れて行ってくれるという。これは台北市内にある四獣山のひとつで、他は獅山、虎山、豹山があるのだそうだ。象山は中でも一番高く、象の鼻のように細い陵が1本、ふもとへと伸びている。てっぺんまでずっと階段で15分もかからないかな。小汗をかく程度のいい運動で、上にあがれば台北市内を一望できる。それよりも気持ちのいい気が流れていてすがすがしいのだった。

ここを降りて次はまたMRTで中正記念堂に向かう。降りた駅で果物を売っていて、ココちゃんがグアバを買ってくれる。ここで初めて台湾式食べ方を教わった。梅の粉をまぶしてたべるんだそうだ。甘酸っぱくてちょっと塩味があってまた違う味わい。
中正記念堂および広場はなんとなく共産圏を思わせる作りでたくさん人がいた。ココちゃんは見た目で中国人と韓国人、日本人が見分けられるそうだ。へー。わたしは中国人はなんとなくわかるけど韓国人は言葉を聞くまでわからない。日本人もなんとなくそうかなと思うくらい。この国ほど普通に日本語が耳に入ってくる国は初めて。だけど変なストレスはないのが不思議。なんだろうね。

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左。日本統治時代の建物群。右。その一角でグループが二胡の練習をしていた

お次は「お寺にいくよ~」というのでまたMRTにのって。行くまで知らなかったけど観光ポイントである龍山寺のようだ。ここもたくさんの人があふれていて、幾人もいらっしゃる神様にそれぞれご縁やら勉強の成果やら健康やらをお祈りしていた。アジアの信仰は現実的でわかりやすい。その後ぶらぶら歩いて、日本統治時代の建物群である剥皮寮とやらへ。すごい名前ですがどういう歴史なんだろう。建物自体は赤レンガで雰囲気のあるところ。横浜とか小樽とかそんな感じ。

これもマストだというタピオカミルクをすすりながらMRTに向かうのだが、途中道端でぐつぐつ煮られていた体によさそうなお茶をのんでみるか、とココちゃん。お店のおばちゃんにいろいろ話を聞きながら飲んだお茶は、濃い生姜茶で、日本で飲むものなんか比べ物にならないほど強くておいしい。さっそく素をお買い上げ。他にものませてくれたハイビスカスティ風のがこれまたおいしくてこれもお買い上げ。色々話していると、以前あかすりの韓国人のおばちゃんに教えてもらった膝とお肌に劇的効果のあるという、鶏の指先の煮凝りに使う漢方があることが判明。さがしていたのよ、これこれ。これまたお買い上げ。

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左。おいしい!ショウガ茶。右は気のいいおばさん。   

ここから巻きでお昼をたべなければ。間に合うかというタイトなスケジュール。MRTに飛び乗ってどうやら有名人気店に連れて行ってくれたようで、たまたまタイミングよく空いた席にすぐにつくと、後ろには長蛇の列があっという間にできてしまった。食べるべき候補であった牛肉麺をやっと食べられる。これが色は真っ黒なのにあっさりしてお肉はとろとろ。麺は細うどんのよう。一緒に、なぜか骨付きのひき肉と里芋の蒸し物、臺灣風キムチ(ちっとも辛くない。酸っぱいだけ)も。おなか一杯で大満足である。

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左。最後のごはん。おいしかった。右。探していた漢方。ただの木切れみたい。

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左。アメ横で買ってきた鶏の指。右はできあがった煮凝り。くさくてそのままじゃとてもむり。   


膨れたおなかをかかえつつ、ホテルにむかってタクシーにのる。
ちなみに台北ではMRT乗車中の飲食は厳禁で、みつかると罰金をとられるらしい。こわいこわい。

こうして時間ちょうどに来たバスでピックアップされ、ココちゃんとおわかれ。
30分ほど遅れたバニラエアで無事帰ってきました。

ココちゃんは翌日の台北マラソンを完走したそうで、来年は一緒にはしりましょうと言ってくれました。自転車で台湾一周というプランも持ち上がり、これもいいね。
ココちゃんは3月に静岡と名古屋のマラソンに参加するために来日するというので、その時はお礼にスキーに連れて行ってあげる約束をした。

またいこうっと。お土産にくれた卵のはいったパイナップルケーキがゲキウマでした。もしかして私の中でこれが一番のヒットかも。

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行ってきました~ 台湾day1

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弾丸格安的初臺灣にいってまいりました。

とはいえ、わたしは1日半フリーがあったけど、なんとツウに聞くと、チャイナエアでいけば早朝羽田をでて、1日遊んで、夜遅く羽田に戻るという、日帰りもできるという驚きの情報!

台北には2つ空港があって、わたしが今回使ったのが桃園空港。これは40分ほど離れた郊外にある。これに対し、市街まで15分という、松山空港というのがあって、チャイナエアならここの離着陸となるのである。すんばらしい。ただし、チャイナエアはLCCではないので、それなりの運賃となりますが、さすがに国際線の矜持はもっているでしょう、バニラなんかとちがって水の1杯もださないってことはないわよね。

これにはおどろいた。そりゃその分でお安くいけるんですけどさ。売ってるから買やいいんだけどさ。水でもコーヒーでも。でもねぇ~。

これまでいくら格安チケットでも、国際線はとりあえず成田でも第1か第2、または羽田からしかでたことがなかった。成田第3はLCC専用(といい切ってもいいだろう)
これまでは北海道か九州に行くときにしか使ったことがなく、第3から出国は初めてだった。

飯場みたいなプレハブ感満載の建物は100歩ゆずったとして、係員も研修中みたいな人ばかりがあてがわれているようで、出国審査もえらい時間かかるし、帰りの税関にいたってはラッピングはずして段ボールまであけるという、まあ、ご丁寧といえばご丁寧であるべき姿かもしれんが、驚きの審査で開いた口がふさがらなかった。私自身はいつもどおりパスポートを見せるだけの通過だったけれども。1人5分以上かかるのが頻発する税関って初めてです。長蛇の列のみなさん、イライラマックスでした。もちろん全員がそうではなくてお隣の列はそれなりに進んではいたけれど、でも第1第2にくらべたらだいぶととろかった。

でもね、しょうがない。安いんだもの。それも込みでんがな。ね。

夜中1時についたてとりあえず4時間ほど寝て、翌日は8時半から出て故宮博物館へ。

世界四大博物館の1つといわれているらしいですもの。いかねば。
でも。ルーブル、大英、メトロポリタン、台湾故宮が四大ということだが、大英みたいによその国からかっぱらったものばっかりあるところより、ビクトリア&アルバートのほうがよほど優れていると私は思うし、そもそもMUSEUMを博物館と訳すか美術館と訳すか、そこの線引きってなにさ、と思うわけですね。いいんだけどね、誰かが勝手にいってるだけだから。

しかしさすがに○千年の歴史と威張る彼らの主張もわからんではないとおもう。すごい。5000年前の、ろくろをつかった完璧な薄焼の細壺なんか言葉が出ない。なにしろ羅針盤、火薬、紙、印刷を発明した人々である。今の人たちがもっと人間的に洗練されていたらもろ手をあげて賛美するのだがなあ。

そして台湾の人にも驚く。蒋介石の立ち位置の微妙さも初めて知った。この故宮の宝物を、蒋介石が「盗んできた」と表現していた。びっくりー。
それにしても陶器や象牙、玉の細工など、もうほとんど狂気の沙汰というべき緻密な細工の数々には圧倒されてしまった。博物館はおもしろい。いつまでいても飽きない。もっともっとじっくり見たかったがそうもいかない。なぜなら後の予定がつまっているからだ。14:45市内集合場所にもどって、午後から九份ツアーに参加することにしている。その前に鼎泰豊本店で最高レベルという小籠包をいただくべく、クーポンを所持しておる。逆算すると12:30には故宮をでなければならぬ。

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≪上:鼎泰豊の小籠包とえび餃子。おおきい。下:九分の猫。べろでてますよ≫

後ろ髪をひかれつつなんとか3階まで駆け足でみて、タクシーを捕まえる。事故で一か所混んでいてひやひやしたが1:10に鼎泰豊到着。クーポンをみせると20分ほど待つという。ちなみに普通に並べば50分というところ。ここは予約ができないようでとにかく食べるなら並ばなければならないらしい。果物など買い食いしながら言われた時間に戻ると、さらに10分後ようやく呼ばれる。すぐさまお待ちかねの小籠包がでてきた。美しく折りたたまれた極薄の皮はこの店ならではの18折なのだそうだ。食し方指南に従って針生姜をそえて口にいれ、一口噛めばドバッとあふれる極上の肉汁。ひ~。おいしい。

これまで食べた小籠包はミニミニ肉まんの体で、皮の厚いのしかみたことなかったのだが、この薄い皮でよくぞこれだけのスープを含有できるものだと感心。その後も間髪いれない給仕が続き、エビ餃子、エビと豚餃子、魚餃子(これがまた素晴らしい風味)、酸辣湯(これはもうちょっとパンチがほしかった)、炒飯(シンプル上品)、ホウレンソウ炒め、あとなんだか忘れたが最後のプチ餡饅を含めて9品を堪能。外に出てすぐタクシーを捕まえて集合場所にいくとちょうど集合時間の14:45ぴったりでした。神業。

50分ほどバスに揺られ、歯を矯正中のおにいちゃんのヘタなトークを聞かされているうちに爆睡(昨日寝てないから)。いつのまにか九分についていた。ここは宮崎駿の「千と千尋」で有名になったらしく、台湾は宮﨑様様とのこと。プロデュースの妙というところだが、それでもそこにしかない景観は価値がある。海辺からせりあがる山肌に広がる九分の小さな町は、たしかにかわいらしくノスタルジックで、外来の客を喜ばせるに十分だ。夜、灯が入ってからが本番で、赤い灯明が黒い建物に映える様は美しかった。

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右は台湾名物らしい花文字を書くおばさん。現存3人だって。

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≪左:臭豆腐。おいしかった。右:ベリーベリーかき氷。これまた日本にはないうまさ≫

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日が暮れるまでは、イスタンブールのスパイスマーケットを思い出すような狭い路地に軒並み並ぶ店をのぞきながらぶらぶら。不思議においしかったベリーのかき氷や、芋餅のぜんざい、果物などたべながら遊ぶ。そして噂の臭豆腐にも挑戦。臭いはきついが、甘辛く濃い味噌で味つけられた1品はなかなかおいしかった。

十分夜を味わってバスに拾われ、市内に戻る。解散は士林夜市。ここで放流され、またも食の狂宴へと繰り出す。というかここからが本番です。
まずは果物。ベトナムで食べたものより100倍おいしい釈迦頭(シュガーアップル)はとろりと柔らかく甘くて最高。マンゴーは季節外れだけどパパイヤ、グアバなどいただく。グアバはジュースでない生は初めて食べたけど、カリカリと硬い柿みたいな触感が珍しい。わたしはジュースにしたほうが好きだな。

次は名物胡椒餅。まあまあ。隣の行列になっている屋台では、5cm角の肉まんのようなものを焼いている。きっとうまいに違いない、おまけに1個45円。嘘みたいに安い。さっそく並んでみる。これが絶品。カリっとした部分とふわふわな部分の皮の中味はぎゅっとしまった肉餡で噛むとじゅわっと肉汁があふれる。肉と野菜2種類あったが、野菜も食べてみればよかったなー。もういちど並ぶ気になれずパス。

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次は顔の大きさの鶏のからあげがこのところブームだそうで、数軒の屋台どれも大変な行列だ。これにもさっそく並んでみる。屋台は4名体制。粉をまぶす人、揚げるひと、揚げたものを炭火であぶるひと、売り買いのお会計さん。一体1日何キロいや何百キロの鶏肉を揚げているんだろう。この時点で9時はすぎていたが、人の波は衰える気配はない。1日中、たちっぱなしで揚げて揚げて揚げまくる。ああ人生かな。人間てすごいなあ。きっとこういう人たちはアウシュビッツにいっても生き抜けるだろう。アウシュビッツで生き延びたのは、消えることのない希望野望のある人、一粒の雨にも感動できる人(つまり生きている喜びを見つけられる人)だったそうだ。では早くになくなるのは。あきらめてしまう人。

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そのあとは臭豆腐の生をもう一度。これはさすがに臭さが勝ってあまりおいしいとは思えなかった。その他、牡蠣炒め、大海老のフリッターなどを食してとうとう倒れこむようにホテルにもどった。長くはちきれんばかりの1日だった。

ちなみに士林夜市は観光客には一番有名らしいが、大きいので回るのは大変。それと、食べ物エリアと雑貨エリアが分かれていないし、ちょと間違うとすぐ外れてしまうので案内図などあればなおよし.

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