音楽

ムーミンの国 ヘルシンキ

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成田発11:30 JALの直行便で9時間半。ヘルシンキヴァンター空港15時ちょっと前に到着。

いや~楽ちん。いつも格安の乗り継ぎの15時間かかるヨーロッパが、なんとらくちんな。しかもオーバーブッキングによるアップグレードという幸運にみまかり、ビジネスじゃ~ん♪一生に一回あるかないかの幸運でござるよ。いや~ありがたや。

今回はそもそも夫がJALの特典割引キャンペーンがあるから、プレミアムエコノミーはいいよ、マイレージ使えばと勧めてくれたところから始まる。2月の仕事の山場を越えたこの時期に勝手にご褒美旅行として一昨年から始めたシリーズだけど、今回は3回目。いずれにしてもどこかに行っていたとは思うのだが、こんなことから行く先のチョイスは限られた中からとなり、結果としてヘルシンキ往復と決定。ロンドン・パリ・ローマは遠いから2,3日じゃあもったいないし、行ったことないのがヘルシンキだったから。ムーミンもあるし。なんとバルト海を簡単にわたってエストニアのタリンとかいう町にもいけそうだ。これこれ。

   

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てなことで決定したのが10月末だったかなあ。これは自発的にここにどうしても行きたい!といういつもの旅とちがって、そう、ちょうど去年のヴェネツィアと同様、ちょっとしたきっかけで、じゃいってみるか、というノリだったので、特に何も調べる意欲もなく、しかもヴェネツィア同様先進国なのでぶらっといってもちっとも困らない。気になるのは極寒期ということだが、その分オフシーズンで空いている利点もあるし。とおもったのが浅はかだった・・・・

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(左:凍った海を見たのは初めて  右:泳いでるんだよ、そこで。変!)

さむ~~~い。さむすぎる。頭痛い。耳がちぎれそう。1時間以上あるいてられない。つま先が濡れてしみて痛冷たい。緯度でいえばモスクワより北なのね。ま。内陸な分、モスクワのほうが寒かったけど、そういえば同時期。デンマークの友達の家を訪ねたのもちょうど同じ時期。でもそんなに死ぬほど寒くはなかった。まあ、若かったけど。

日本からの航路は、まさにシベリアの北極圏ぎりぎりのあたりをまっすぐつっきっていく。よくよく地図をみると、スカンディナビア半島はレースみたいに穴だらけなのだ。湖ともいえないようなこまぎれの水をたたえた地形がそこらじゅう広がっていて、ほとんどちゃんとした陸地がないんじゃないかとおもう。こんなところなのね。

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短い夏には苔やベリーしかはえない、樹木は白樺やモミやトウヒしかない、冬は1日中薄暗い空の下、8時から3時までしかDAYじゃない。足元は解かした雪でぐじゃぐじゃ汚く水っぽく、靴はすぐしみて足先は1時間もしたら冷たくひえる。ちょいちょい店にはいってあったまらないと歩いてもいられない。空気は冷たく耳がちぎれそうで、みんながニットや毛皮の帽子をがっつりかぶっているわけがしみじみわかる。

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(イワシやニシン、魚がおおい北欧料理はうれしい。右のイワシボールがおいしくておかわり。白いのは豆だけど3cくらいあって巨大)

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(なんといってもべリー!冬だから保存品しかないけどシーズンはベリー天国らしい)

こんなところにいたらそりゃ、食べるのが楽しみになりますわな。お菓子も目がほしがるおいしそうなものばかり。ベリーがふんだんに使われたケーキやタルト、生クリームがふんわりたっぷりはさまれたサバランのような菓子パン。質の高いチョコレート。シリアルをはちみつで固めたようなバー・・・etc

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(すっごくうまそうなクリームたっぷりの菓子パン。我慢しました。しかし高い。小さなサンドイッチが7ユーロ。時価1ユーロ=137円。水が3.5ユーロ。ホテルでは水道水をのんじゃいました)

独り飯ができないのでレストランはいつものように入れなかったが、トナカイの肉はたべてみたかった。夏にくればあふれるほどのフレッシュなベリーとザリガニがおいしいらしい。ちなみにとムース(へらじか)はミズゴケしか食べられない完全な草食だけど、トナカイは雑食で肉食もするってしってました?いわゆる鹿も死肉をたべるんだそうです。ちょっと意外。

だれに話しかけても問題なく英語でコミュニケーションがとれるし、治安もまったく問題なく、アジア人の観光客がまるで隣の人のようなかんじで旅行できる。だれも旅行者という目で特別視しないし当然ながら観光客値段など存在しない。ただし言葉が問題なければの話ではあるけど、一人で電車に乗っても特異な視線を受けることは全くない。これだから移民をたくさん受け入れられるんだね。

途上国のように旅行者だからふっかけられたりぼったくられたりということもない。いや、これは昨年のヴェネチアでも横行していたから、途上国では、というのは途上国に失礼だな。買い物もすべて、どんなに少額でも、電車のチケットでさえカード決済で手軽で便利。商品も上質でセンスのいいものばかり。ただし超のつく物価高もさすが。

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(ウスペンスキー聖堂の内部。ロシア正教。フィンランドも第1次大戦後ロシアに占領されていた)

しかし、見どころのない街だ。夏ならともかく、活動的に動き回るには寒すぎる。寺院3~4、おとはショッピングのみ。これまたヴェネツィア同様、自然児のわたくしには響かない、全然わくわくしない。ムーミンも思ったほど出会えず、ショップも期待外れで2軒しかなく、うち1軒は日曜でしまってら。他にも日曜閉店の店はたくさんあった。やっぱ働かないのね、クオリティオブライフ重視の国なんだ。そして心と体の健康には熱心らしく、健康食品の店の充実ぶりはすごい。棚一つプロテイン。たな3つスーパーフードてな具合。こんなに暗くて長い冬だからそれもそうだろう。体だってろくすっぽうごかせないだろう。寒いから街歩きに出ようという気持ちが萎えるほどですもの。

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慣れていても事故るのね。がっしゃんこ。見ていると結構すべっているもの。右は入らなかったけど有名ポイントのテンペリアウキオ教会。岩をくりぬいてつくられたとかだけど。新しい宗教建築はあんまり興味もなく。

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(ヘルシンキのシンボル、大聖堂とアレクサンドル2世像。右はアラビア本店のムーミンカップタワー)

お土産屋さんのおにいさんが、ヘルシンキどう?っていうから、寒いね!っていうと、「いんやあんたはラッキーだよ。今週はあったかいもん。先週、おれは寒すぎて1歩も家をでられなかった」とのこと。おったまげますね。

そのおにいさんの仲良しに日本人女性がいるそうだが、15年NYに住んだ後だから、ヘルシンキは静かすぎて(田舎過ぎて?)大嫌いなんだそうだ。

まずはロシア正教のウスペンスキー寺院にいってみる。姿は美しいけど中もぐるっと見渡せば十分。次にヘルシンキ大聖堂。これは中も何もなく見る価値無し。テンペリアウキオ教会。有名なスポットらしいがちょうどクローズ時間であきらめ。でも入ってもたぶん5分で終了なかんじ。カンピ礼拝堂。木でできた小さなシンプルな礼拝堂。これはちょっと他にないけど、これとて5分で十分。いやーつまんない。

 

フィンランドは他のスカンディナヴィア3国と少し趣を異にし、そもそも民俗的にも全然別種。デンマーク、スウェーデン、ノルウェーの3国がスカンディナヴィアンと呼ばれ、北ゲルマン語族であるのに対し、フィンランドはサーミ人、フィン人を主体とするウラル語族。エストニアやロシア北東部系と同じグループなんだって。ウラル語といえば、昔わたしが勉強したころは、日本語はウラル・アルタイ語族に属しているというのが主要な説だったが(今ではこの語族分類が消滅)、東北のいわゆるズーズー弁との共通点がみられるらしい。面白い。見かけは完璧なプラチナブロンドに空色の瞳で似てもにつかないけど、遺伝子的にはモンゴロイドも多少入っているそうな。へ~~~。

 

日本ではバルト海を挟んで向かいのリトアニア大使で、ユダヤ人を救った杉原千畝は有名だが、当時(今も)スカンジナビアで覇権を握っていた強国スウェーデン王国の英断で、相当数のユダヤ人がナチスから救われたのだという。さらにはアウシュビッツで家族を失ったユダヤ人をたくさん受け入れたりしてえらいなあ。

日本ではあまり知られていないような気がするが、世界的にはかなり高名で学校にも名前をかぶせる国が多いというほどの人がいることを知った。ハンガリーのユダヤ人に大量の偽造パスポートを発行して、10万人ものユダヤ人を救ったワレンバーグというスウェーデン人で、その後ソ連にとらわれたまま行方不明でいまだ捜索がつづけられているんだって。お祖父さんは初代駐日公使だそうな。こういう歴史を知ることになるのが旅のだいご味。

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あとはイッタラ好きな友人のためにアラビア・イッタラの本店?をみて、ショッピングモールでムーミンショップにはいった。

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(街中でみかけたたいやきくん。こんなところで会うとは。右は自然史博物館)

5時半にはホテルにもどってロビーでのんびりサンドイッチを食べながら本を読んで7時過ぎまで過ごし、歩いて5分のフェリー乗り場で8味発の巨大なフェリーに無事のりこんだ。

こんなに非活動的な旅も珍しいけど、たまにはいいか。

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(フェリーのカフェテリアでたべた小エビはすごい量。日光も不足暗く長い冬に心と体の健康を保つ努力は熱心なようで、健康食品やさんはもんのすごい品揃えで圧倒された)

そしてタリン編につづく。

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極寒の日々にまた一つ歳をとりました

ラニーニャ恐るべし。毎日氷点下の朝。大雪から10日たって、やっとほぼ乾いた路面が家から駅までつながるようになったのでひさびさに自転車通勤。ほぼ、というのはまだ一部全面氷の日陰があるから。そこだけは押して歩かねばならぬ。

そして明日から明後日、また降るとか降らないとか。実は先週、外の水道がはずれていて、一昼夜噴水状体になっていた模様。だいぶ水道代がかかってしまうかも。ひぃ。

とはいってもしあさっては節分。恵方巻たべなくちゃ。やのあさっては立春だよ。うわあ。

いつも思う。なんでこんなに1年で一番極寒の時期に生まれたのか。だからこんなに寒がりなのかしら。寒いと全面的に機能停止しちゃう。そんななか、方々のお友達からお祝いをいただいて子供気分でうれしがってる。みなさんありがとうございます。当日に設定した健康診断では、昨年より腹囲が5cm以上減って、昨年がんばった筋トレの成果が出ている模様。他の結果は1か月後。あしたは家族といけてるイタ飯屋さんでご飯会の予定。ケーキもたべなくちゃ~。日が近い親友との誕生会も昨年はとばしたので今年は催行予定。何食べにいこうかな。

しかし、おかあちゃん、大変だったろうなぁ。57年前のド田舎ですから。暖房設備も豆炭とかだったろうし、羽毛布団などあるはずもなく、夜泣きがひどかったというわたくしを、母は絞め殺したくなったんだそうです。実話。

そうなのよね。子育てしてたら誰だって1回はそう思う瞬間があるはず。

そんなわけで山も積極的に行かない日々なのでこのごろは走るようになった。回り中なんだかランナー化していて、なんとなく走ってみたら結構走れる。冬場のトレーニングとしてはまあ、手軽だし。

走るようになってわかったのが、音楽が欲しくなること。携帯ももってないといけないからそこから音楽を聴こうとするとコードが邪魔でしかたない。なるほど、だからブルートゥースイヤフォンが流行るわけね。そしていろんなものがあると重くて、がちゃがちゃポケットが動くのが煩わしい。鍵だけはしかたないけれども、そういうわけでみなさん、アップルウォッチとか欲しがるわけね。

さすがに今はそこまではいかないけど、とりあえずコードが邪魔なのは通勤でも感じていたので、初歩的なお安いイヤフォンを買ってみた。左右分離型は高いのでコードでつながっているタイプ。JVCの3000円。まあ、悪くないけどタッチノイズが意外と気になるなあ。

本はスティーブン・キングの代表作といわれているという「IT」を読み始めた。医者にいったら待ち時間が長くて、何も持ってないので隣の本屋で選ぶ間もなく買ったんだけど、まあ、読んでおくべきもののようなのでとりあえず。しかし饒舌だ。この時期アルコールと薬でハイだったということだけど。

映画はついにムスコ1,2とともにスターウォーズを3Dで見に行った。が。

うーん。。。評価が分かれるところらしいが、私はいまいちだったなあ。なんか子供っぽくなった。対話内容も登場人物の関係も単純で、プロットにも奥行きがなくなった。キャスティングもなんか偏ってるし、へたくそな若いのか往年の若者しか出てないし、バランス悪すぎる。役者でひきつける人がいなかった。キャラクターにしても、なんだかへんてこりんなものをたくさん出せばいいってわけじゃないだろ。チューイも人間ぽくなりすぎ。だいたい名前からして違和感満載のスノークはなんじゃありゃ。全編通してわくわく感がなかったなあ。

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ヘビロテちゅう~

というわけで、すっかりCOLD PLAYヘビロテちゅう~~

マーチング中、バカのようにきいていた1曲「VIVA La VIDA」は、2009年の金環食の日、朝出勤中の車をとめて食を観察中に、J-WAVEのいつも聞く番組で流していたので知った。聞いた瞬間忘れられないほど好きになってすぐにi-tuneでダウンロード。でもなぜかこのバンドのアルバムを聴こうとはおもわなかった。なぜだろう。。。

それから実に8年もたったのか。おどろきである。今頃になってなぜ。そして今頃までなぜ。

しかもこのバンド自身についてもまったく調べることもなく時が過ぎ去ったのだが、今回あらためて調べてみると、なんと結成は1998年、2000年ごろから売れ始めて日本でもメジャーとなったようでフジロックフェスティバルにも出演しているのね。

そしてさらには、現在では超メジャーなのね。いや~ポップスの世界からどれだけ遠ざかっていたかと今更ながら。だってムスコがしってて、コールドプレイ好きってやつはざらだよ、といわれてびっくり。そうなのね~。私だけが知ってるんだとばかり思ってた(爆笑)

さがしてみたら最近ハマっているアマゾンプライムでもコールドプレイセレクションなんかあったりして、もうそりゃ毎日朝晩聞きまくっておる次第です。

音楽って不思議ね。クラシックでもポップスでも好きと思うとドはまりする。

そしてこれが好きっていうツボが他の人とかぶることはほとんどない。

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雨ばかりの10月と恒例のJAPAN 3DAYS MARCH

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10月活動できたのは27日土曜日の午前中のみ。それも山仲間が来るマラソンレースに出場するための練習にビアンキで伴走という、たいして運動にもなりゃしないアクティビティ。

山仲間の2人が参加する今年で3回目の埼玉国際マラソンは、けっこうあちこちの知り合いがでるらしく、会社のトレラン部からも出場というのでとりあえずゴールぐらいはみにいってみっかー。なにしろ我が家の近辺がコースなのでほぼ終日交通規制により車もだせやしない。

 

そんなくさった週末ばかりだったが、ようやく11月の頭の3連休は見事に晴れ渡ってくれた。なにしろこの3日間は、この3年恒例にしている、東松山市主催のJAPAN 3DAYS MARCHなのだ。Mな人々にはこたえられないきついロングウォーク。初回参加時はなにしろ50キロという距離が初めてで、ゴールはすでに誰もいなくなって暗くなり、へなへなと座り込んで動けず、翌日はベッドから下りられなかった。昨年の2回目はなんとか5時のゴールに滑り込めて、迎えてもらう感動を味わったものの、やはり翌日は20キロにとどまった。しかも2年とも1日が平日にかぶるので、どうしても2日しか歩けなかったところ、ことしはフルにお休みじゃん。

これはもうがんばるしかないです。

ということで、チャレンジしました。

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1日目自分でも思いがけなく好調で、なぜかスタコラ歩けてしまい、4時にゴール。昨年より1時間もはやい!うれしい!しかも前夜いろいろあって3時間しか寝てないのに体調も好調。とおもって帰宅後お風呂に入ってすぐ寝ようとしたら、自覚しない疲労によるのでしょう、お風呂の中で貧血を起こしてしまい、下呂下呂はいてしまった。

 

2日目も4時起きで6:15のスタート。ところが歩き始めから膝に激痛。右足がまったくあがらない。曲げると激痛でひきずりながら2キロくらい耐えたけど、3日目もあるのでこれは50は無理だとあきらめ。それでもくやしいから40コースに入るとあららふしぎ。1時間もすると完全に痛みはとれて快調。しかも40キロは中途半端な距離なので参加者が異常に少なく。コースは空いていてとてもとても気持ちがいい。秋の澄んだ光のなか、埼玉郊外の田舎の伸びやかな風景を行くのは最高に気持ちが良くて、アマゾンプライムのMUSICも足を進めてくれる。採用したCW-Xのおかげか、前日は後半にはすでに悲鳴をあげていた大腿四頭筋やハムストリングスも全く違和感なし。2時半にはゴールしてしまった。この日も同様、お風呂で貧血。昨日よりは距離も短かったせいか、吐くまでにはいたらなかったがしばし動けなくなってしまう。

3日目。とうとう歩きとおせる可能性までたどり着いた。今日は膝はどうだろう。万全を期して、めいっぱいテーピングをし、やはり6時15分ごろスタート。そして痛い。昨日以上の激痛に顔がゆがむのだが、なんとしても完歩(3日間ゴールすること)したい。なにがなんでも。

とはいえ、スピードは普通に歩く以下。アプリで計測すると3キロだ。これでは10時間かかっても30キロしか行けない。暗澹たる想いが立ち込めるがなにくそ。しかしそれにしてもあまりに足が重くて痛い。膝もさることながら足首の前のほうが曲がらない。

 

んん??まてよ??もしかしてテーピングのせい???

 

とおもって、ぐるぐるにまいたテーピングをとったら、あなた。ま~楽になったこと。

 

余計なことはせんこってすな、まったく。これで4キロペースを回復したので機嫌よく歩けたが、一緒に参加している仲間はとっくに50キロにいってしまった。3日目のコースは、40と50がかなり先までコースを共有しているのだが、3時間ほどで分岐点に到達。この時点でも膝は痛い。このままつっこんで途中動けなくなったり、ゴールが夜になったりしたら仲間に迷惑をかけてしまう。でも最後だから燃え尽きてもいいから50行きたい、でも今の自分には土台無理なんじゃないか・・・

 

葛藤につぐ葛藤。結局ものすごくくやしかったけど、40を選択。別れた直後にチェックポイントがあって判明したのが、仲間とはまだ1.5.キロしか離れていないということ。しかも10分もしたところで膝の痛みもあれよというまに解消してしまった。これならいける、もどろうか、と3分ほど立ち止まって思案したけど、これも運命よ、ということで楽しく素早くゴールすることにした。

この先も音楽に背中をおされ、だれもいない静かな山道や田舎道を本当に幸せに歩いて、一度も休まずに千年台という、スペシャルポイントに到着したのが12時。もう残り6キロ。名物の豚汁を賞味し、仲間はまだまだはるか遠くであることを確認、さっさとゴールしたのが2時前。

初めての完歩で、初完歩賞という、王冠付きのバッジをもらっちゃった。うれしい!

こんなもの、とおもうでしょう。でもこれが値千金なんですね、がんばった者にとっては。

山バッジを集める人の気持ちが少しわかる。

 

仲間のゴールを待つ間、鍼をうってもらったり、温泉の足湯サービスを堪能したり、のんびり楽しんだ。本当に濃い、充実した3日間だった。ひとつのことに一生懸命打ち込む喜び、達成したすがすがしさ、得られた自信と誇りは何物にも代えがたい。

来年はコラーゲンをガンガンのんで膝を万全にして絶対50キロ達成してやるぞー。会社やすもうかな。

ちなみに背中を押してくれた音楽は、いつものクラシック路線とはさすがに違い、ポップスなんだけれど、ひとつは大好きなCOLD PLAYVIVA La VIDA。これが最高にぴったりのテンポで、しかも歌詞を覚えたいもんで、15キロくらいこればっかり30回以上は聴いた。もうひとつがこれも大好きなケルティックミュージックのグループ、シークレットガーデン You raise me up

「あなたがわたしに力をくれるから、どんな山の上にでもいける、嵐の海さえ歩ける。あなたのそばにいる限りわたしはわたし以上に強くなれる」という。そうだよね、そうだよ、と自分がより強くなれる気持ちに共感しつつ歩いたのだった。

ちなみに、この「あなた」というのは原作の意味は神様ね、GOD。ケルト文化として考えると多神教だからちょっと違う気がするが、作者がアイルランドの人が中心のユニットという意味で言えばカソリックだから聖母マリアだろうか、それともアイルランド国教会?それとも聖パトリック?ま、こちらは守護聖人だけど。

まあ、なんでもいいんだけど、わたしにとっては人知を超えた偉大な存在。いまのところ。

そして音楽って偉大。

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バッハ詣で 7 ミュンヘン お城

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明けてミュンヘン2日目。本日は1日バスツアーでホーエンシュバンガウ方面へいくことにした。下の息子が大学卒業旅行でいったのがロマンチ ック街道。野郎ばっかで。ろまんちっく。

当時笑ってしまったのだが、まあ、一度は見とくか、というのと、都市部ばかりでなくて田舎もみたかったから。南ドイツ、というより、ザルツブルグまで山一つというところだから、オーストリアアルプスも見たかった。

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朝7時に集合して総勢11名でミニバスに乗り込む。アウトバーンを走りながら、ドイツのあれこれをガイドさんから聞いてなかなか興味深い。ミュンヘンはBMWのおひざ元。巨大な本社があるところ。我が家の車もここからきたんだなあと思う。

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2時間ほどであっとうまにホーエンシュバンガウ到着。この日はやけに暖かくてなんと17度もあるという。バスを降りると生暖かい突風が吹き荒れて、あちこちでつむじ風が巻き起こっている。どうやら大気が不安定らしい。そもそも暖冬というか、とても暖かいらしく、紅葉もまだ残っているといる今年。噂のお城は黄色い紅葉を従えて岩山を背にすっくとたっていた。

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<正面入り口。時間入れ替え制につき、しばし待たされる。Cの国の人がいっぱいでうるさい>

なるほど~やはり絵になりますな~。2億6千万かけて作ったというこのお城、ここに作ったのはえらかった。しかし聞けば聞くほど、このルートヴィヒというやつはとことん、超のつくオタクだったようだ。頭おかしいだろ、と思うほど。18で王位をついだものの、あっというまに挫折。あとは自分の夢想にふける20年をすごし、最後はどうやら暗殺されたということだ。

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<ふもとの店やさんたち>   

このお城に関しての個人的感想は、遠くでみるのがよかろうということだった。
お昼ご飯をはさんで次は世界遺産という「ヴィース教会」へ向かう。この教会について詳しいことは知らないが、まあ、みんな行きたがる外せないところらしい

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<外見は質素なのになかはすさまじく装飾過多>

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<この木彫りのイエス像が奇跡をおこしたという逸話にもとづき世界遺産認定らしい>

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最後はリンダーホフ城。さらに田舎な感じの場所にこじんまり建つ、城というより館であった。これまたごてごてのバロック。

 

どういうわけかフランスのブルボン王家を大変崇拝していたルートヴィヒは、この城をブルボン家にささげたんだそうな。どういうことかよくわからない。庭はひとめでヴェルサイユのトリアノンを彷彿とさせる。中心には等身大のアントワネット像があり、ルートヴィヒは朝な夕なにその頬をなで、話しかけていたんだそうだ。いっちゃってますね。

外にでるころには夕やみ迫り、あとは一路ミュンヘンにもどるのであった。当初は0時発の列車にのり、フランクフルトに朝5時半着を予定していたんだけど、疲れてしまったのと、予定のDBラウンジが使えないことで夜の6時間を過ごす手段がきつくなったので、急遽また駅前の安宿をとった。

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最後の夜なので買い物でもしようと、マリエンプラッツあたりまでぶらぶら。レジデンツの一角で一足早いクリスマスマーケットが開いていて、人々でにぎわっていた。最後にちょっとだけヨーロッパの冬の素顔をちらりとみて、ホットワインをのんだり、好きなヴァイスブルストを食べてヴァイツェンビールを飲み、ジンジャーブレッドを買い、プラハで買い損ねたガーネットのかわりにスワロフスキーのアクセサリーなど買い、楽しく過ごした。
  
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翌日は9時の列車で一路フランクフルトへ。同じコンパートメントでお隣の席だったおばあさんとおしゃべりして楽しかった。

最後はトータル18時間のフライとで羽田にもどる。ドーハに23時半着だから、例のごとく超絶立派でゴージャスなラウンジで過ごそうとおもったら、なんとそのアルムンジャンは1年前からファーストクラスのみになったらしく、いくらサファイアステイタスを持っていてもダメ!といわれてしまう。サファイヤで入れるラウンジは改装中で狭くて狭くて、席すらなくて、あきらめてクワイエットルームに席をみつけて4時ごろまで眠る。明け方ご飯をたべがてらもう一度ラウンジにいくと空いていたので、ちょっと腹ごしらえなどして搭乗。


しかしほんと。久々のヨーロッパでしたけど、遠いですなー。
そして先進国は楽。ぼったくりとか押し売りとか気にする必要もなく、買い物はすべてカードで定価。物も宿も安心でベースクオリティが保障されていて、人々は余裕があって対応も丁寧だし仕事も遅くないし。ドイツの街はこれでもかというほど、一分の隙もないほど美しくて整っていて、素晴らしいと思う反面、こんなとこで暮らしていたら息がつまりそうだなーとも思った。だから彼らはアジアの混沌にあこがれるんだな。

そして、キチンとしてないと人じゃない、的な厳しい社会規範のなかではみ出した人たちがダークサイドを形作り、犯罪もおこればタチが悪いというわけだ。
やはり寛容が必要だよ、キリスト教は。
アジアはいいな。日本はいいな。とまた思う旅でした。

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バッハ詣で 6 ミュンヘン オペラ

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バイエルン国立劇場でオペラと決めたのはやっと旅程がフィックスしたあと。サイトをみるとすっかり席は売れて、160€か11€のどちらかしか残っていなかった。2万円と1500円。そりゃあなた。いわずもがな。それに山屋のばっちい格好をしているのだから、いい席などにはいけない。つまみ出されてしまう。これもまた一興と、安い席の引換券をもって意気揚々と劇場に乗り込んだ。

ところが。発券されたチケットをもって「ここ?どこ?」と何度聞いても「あ、これはもっと上よ」とあしらわれる。登って登って登って・・・ついにこれ以上階段のない6階でやっと到着。まさに天井桟敷ってやつですな。いや~初体験。

はいろうとすると金髪碧眼のドイツ青年にはっしと止められる。カバンと上着はあずけてこいと。うむ。。あと5分なのだがしょうがない。

クロークでカメラバッグと上着を預けてはいろうとすると、またむんずととめられ、全部あずけないとだめだという。だって、みんな身の回りのカバン一つは持って入ってる。わたしのメッセジャーバッグだって大きいけどパスポートから財布からなにもかも入ってる大切なもの。そんなものあずけられっか!。といってみたけど無駄。「大丈夫だからあずけてこい。でないとはいれないぞ」と。くっそ~~~。バッチイかっこの東洋人だから警戒されてるな~と思ったけどしょうがない。すごすごと引きさがりもう一回預けなおしてやっと着席。

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ところがさすが1500円。最上階最後列壁際。こんなんみえるわけない!オペラを耳だけなんてありえない!しかもわれらの最後列の前にはずらりと立ち見の人がたってて、座った席からみえるのはそれらドイツ人の背中の壁のみ。おおー。こりゃひどい。なんでみんな大人しく座って文句言わないのだ。こんなのありえないだろ、普通。

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とはいえ、当地の流儀がわからないし、とりあえず大人しく座ってみる。演奏がはじまり、立ち見のひとはそれなりに見えるらしく目を細めたり微笑んだりして楽しんでいる。くっそ~~~~

みえない・・・・。立ってるひとが動いた時に腰の隙間からちらっと舞台の左端がみえて、そこに歌手がくるときだけなんとか人が見える。こんな状態で2幕。疲れた。
やっぱり悪い席で聴くってストレスが多すぎる。悪い席でも入れるだけでいいとおもったけどそんなことないなーというのが実感でした。次はちゃんとした席で聴くぞと心に誓う。

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<左バイエル国立歌劇場。バスが何台ものりつけていた。右仕掛け時計で有名な市庁舎。>

そもそもわたしはオペラはそれほど好きでもないしたいして知らない。アリアだけ独立しては知っているし好きだけど、言葉がわからないから身振りがなければ音楽だけの鑑賞は半分となる。かといって日本人によるオペラは聴く気がしない。だからDVDなどでなくオペラの本番をみるのはウィーンについで2度目である。

ここで私は心に誓った。私は今後一切、オペラに関しては語るまい。

ついでに高らかに言おう。わたしはワーグナーは嫌いだ。ワグネリアンがなんだっていうんだ。高級ぶってクソ面白くもない。わたしはブラームス派なのだ。そしてバッハ派なのだ。バッハ万歳!

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バッハ詣で 5 ドレスデン~ミュンヘン

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旅の4日目。本日のメインイベントはドレスデンからミュンヘンまでの移動です。これは仕方ない。この距離本当は国内便で飛べばすぐなんだけれど。

チェックアウト後荷物を預かってもらって10:30の列車まで街を歩く。といってもドレスデンの見どころはほんのひと区画に集まっているので楽勝。

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とはいえ、あいにく本日は日曜日なので教会関連はミサのため一切入れない。そして博物館も冬なので10時からしか入れない。外から見るだけ。それでも朝の静かなドレスデンの街はとてもとても素敵だった。ちょうどミサの始まる鐘が町中に響く時は、旅中一番印象の深いものとなった。

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マイセン磁器でできた君主の行列。バイエルの歴代の君主がえがかえれた巨大な壁絵

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  <左フラウエン教会。右、たぶんワグナーのゆかりの建物。調べてもどうしてもわからない。フラウエン教会は世界一のジグソーパズルといわれて修復された。破壊直後、市民たちがいつか復興をと、破片に番号をつけて保管していたのだそうだ。創建当時はジルバーマンのオルガンがあってバッハ様が演奏会を催されたこともあるのです。人間の負と正の両極面を具現した歴史そのものの貴重な建物です>

ドレスデンは第二次世界大戦で徹底的に破壊された。ひどい空襲だったらしく、ネオナチをして「非人道的」と言わせるほどだったようだ。だから旧市街地がほんの少し残っているだけで、中心となるフラウエン教会 も近年やっと修復されたのだ。ここで演奏会をききたかったなあ。

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それよりなにより、一番聞きたかったのはここ。ゼンパーオーパーである。ヨーロッパいちの音響を誇るといわれるもっとも有名なオペラハウスだ。なんとも具合の悪いことに、ちょうど私が訪れているこの期間、ゼンパーオーパーのオケは日本にきていて、サントリーホールで演奏会を行うのだ。嗚呼。残念。

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ということで中もみたかったがガイドツアーの時間まではいられず、あきらめる。ツヴィンガー宮殿やレジデンツを回って、ブリュールのテラスから静かなエルベ川を眺めて。マイセン焼で作られた君主の行列は歴代のザクセン王達の騎馬像の肖像である。名高きアウグスト強王が、日本や中国の磁器をまねてつくらせたことに端を発する磁器の街マイセンがすぐ近くにある。日程に余裕があればなぁ。ほんとに残念。1ヶ月ぐらいぶらつきたかった。

ドレスデンにはもうひとつ思い入れがある。高校生のころ惑溺していた辻邦夫の作品。中でも人生で初といってもいいほどの文学から受けた大衝撃が「回廊にて」なのである。
画家を志すマーシャが子供時代を過ごしたドレスデンが、冒頭で描写される。

社会主義時代の、暗い、陰鬱な、泥と雪にまみれた貧しい生活。それが少女だった私の中に強烈に焼き付いていた。そのドレスデンを見てみたかった。
それだからだろう、わたしの目は我知らず社会主義の名残を探していたように思う。
バカバカしく広い道路、巨大なきっちり四角い建物に、わたしだけの興奮が忍び寄る。来られたことがしみじみ嬉しい。自分の血と肉になったドレスデンに、朗朗と教会の鐘の音がいつまでも響く。

クリスマスマーケットの準備がすすむ広場を通って、木の十字架教会を回って駅にもどる。この教会は聖歌隊で有名だけど、やはりミサで中にははいれない。

ここからはひたすらミュンヘンに向けて6時間の列車旅。

到着は4時半。すぐに駅前の宿に投宿して街歩きと、18時開始のミュンヘン州立劇場(バイエルン国立ともいう)でのフィガロに向けて出発!

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バッハ詣で 4 プラハ

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このプラハ中央駅が旅中いちばんの気がかりであった。なぜなら。

真夜中の到着であり、駅前のホテルを予約したものの、その間にある公園が不穏であるとの情報しきり。しかも5年ほど前、母親のカバン持ちでいったツアーにおいて、このプラハ駅ですられる寸前事件あり。幸いにもまわりで気が付いてスリは逃げたのだが。そんな記憶もあり、警戒マックスだったので事前にグーグルのストリートビューなどでさんざん調べたのだが、駅をでてホテルまでがどうしても確認できなかった。旅サイトでも質問したりしたのだがどうにも詳細がわからない・・・

最初、プラハ中央駅でなく一つ前の「プラハなんちゃら駅」で降りそうになって、ホームにいた人に聞いたら「中央駅はつぎだよ!」と言われて慌てて戻ったりというヒヤリハットがあったのだが、無事20分ほど定刻を遅れて到着。おそるおそる降りると、やはり雰囲気が。。。
なにやら大声でわめいている若者数名。はっしと鞄を抱えて足早に出口へ向かう。

でてみるといきなり幅10mほどの緑地の向こうに通りとホテルらしき建物群。

これか???あれ???グーグルマップと全然ちがう。これは出口まちがえた!!と焦って、インフォを探すも人がいなくて、しかたなく緑の窓口的なところでおばさんに聞いた。おばさん数名、ホテル名を口々に唱えながら協議の結果、こっちでいいという
んん~ほんとかな。

不安なので、もう一度出口にいた警備員風の男性にきいたら、さっとスマホで通りの名をしらべてくれて、間違いなく最初の出口でいいという。おっしゃ。なんか思ってたのと違うけど通り名はあってる。と、再度気合をいれて外にでると、ずらっと並んだタクシーもさほど不穏な雰囲気もなく、治安が悪いと噂の公園もするっと通り、ものの3分でホテル到着。なんだ~~~~。拍子抜けするほどだわ~~~。でもよかった。

てなことで無事投宿。さっとシャワーを浴びて明日に備える。

翌日はプラハの町歩き。母親のカバン持ちツアーの時はちょろっと見ただけで駆け足だったから、今日は1日ゆっくりある。半日はガイドツアーに参加することにした。と待ち合わせてみると参加者は私だけ。マンツーである。ぶらぶら好きに見るのもよいが、歴史的に重みの深い場所や建物はきちんと説明を聞いた方が理解が深まり、わざわざ訪ねた甲斐ががよりいっそうあるというものだ。と私は思っている。いつでもいけるならいいんですけどね。

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プラハ城。城といっても城壁に囲まれた町をなしている規模。冒頭の立像はカレル橋に立つ像の中で最も人気のヤン・ネポムツキー。プラハの守護聖人とされているのだが、逸話を聞くとなかなかうならされる。うまいこと聖人に祀り上げられて政治に利用されたというのが真相らしい。どうもねぇ。。聖人ってなんなのよと。聖遺物といって骨だのなんだの祀ってあってそれの多寡によってお参りしたときの免罪の年月が変わるという。聖人がなくなったときには争って体を切り刻んだなんてこともあるらしい。おぞましい発想ではないか。

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聖ヴィート教会。壮麗なゴシック。王家の教会としてはこの規模はすさまじい。さすが神聖ローマ帝国。

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聖ヴィート教会も内陣までいけたし、前回は素通りだった聖イジー教会も入れた。

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有名なミュシャのステンドグラスは右。

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ゴシックの特徴そのままの内陣。右は冒頭ネポムツキーの墓。純銀製バロック様式だそうだ。しかしほんとバロックってなんてごてごてしてるんだろう・・・おえ~ってなってしまう・・・。しかもえぐい。ここには映っていないが、亡くなったあと掘り返しても腐っていなかったという奇跡にまつわって舌のレリーフがでーんとくっついいている。グロテスクな趣味。

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左は数百年前のプラハの様子を浮き彫りにしたもの。今とほとんど変わっていないとのこと。なぜなら戦争でもすぐとなりのドレスデンは壊滅的かつ徹底的な空爆を受けたのに対し、プラハはほとんど無傷だったそうだ。右はオルガン。ちょうど練習にきたオルガニストがひき始めて、この壮麗な会堂にひびきわたるオルガンの音におなかの底から震えた。

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再度ネポムツキーの墓と右は宝物の詰まった貴重な部屋だそうでものすごい数の貴石で飾られているらしい。権力の象徴。

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上4枚は聖イジー教会。ヴィート教会と比べるとシンプルで好ましいと私は思う。重厚で質素で祈りのための空間という性質をまだ強く感じる。

ゴシックの聖ヴィート教会は壮麗だけど、ロマネスクのイジー教会の方がよほど好きだった。あいにくずっと雨で、写真を撮るのに不利なのと態勢が悪くてとても疲れたのだが、たっぷりプラハ城を味わうことができた。懐かしいカレル橋。滔滔と流れるブルタヴァには、ハクチョウが群れていた。

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右と下3枚は、プラハ城内で働いていた人たちが住んでいた長屋。今はお土産屋さんとして軒を並べている。母といったときは無料だったけど今回は有料になっていた。

下2枚はカフカが住んで作品を書いたという長屋。

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古くは神聖ローマ帝国の首都としてローマやコンスタンティノープルと並ぶ栄華を極め、さらには宗教問題やらなにやら歴史的事件も多く、一時は暗黒に時代を経たというプラハ。、さんざんハプスブルグに蹂躙されたあとは民族運動がわき上がり、スラブの誇りと民族愛に芸術も政治も熱中していく。さらにはナチスによる痛手のあと大戦後の社会主義をへて現在へと続く深く複雑な歴史をもつ重い街なのである。日本は平和だな~としみじみ。

やはりドイツに比べるとアジアの影響をみる。混沌が忍び寄る気配がある。建物も各時代のものがごちゃごちゃと混在しているし、人々の生活がにじんだ街はドイツよりがさつである。その分味わいも陰影もある。なんとはなく哀しみもたたえた街だなあとおもう。

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この旅で2回入ったレストランのうちの1つで食べた肉。肉、肉肉~~~~~
そしてイモ!食べきれるもんじゃない・・・右はショーウィンドウのお菓子。マシュマロみたいなものやらキャンディ風のやら、樽で売ってます。豪快だ。

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黒い聖母の家といわれるキュビズム建築。世界中でプラハだけにあるんだそうだ。プラハはミュシャでアールヌーボーの都として知られるが、ガイドさんはなぜかアールヌーボーけなしのやたらキュビズム推し。右はモーツァルトがドン・ジョバンニを自ら初演したエステート劇場。

プラハは特にそうだけど、ロシア周辺や東欧は人形劇のレベルがとても高い。プラハでも見ようかと思ったのだが、なぜか演目はドン・ジョバンニばかり。不思議に思っていたが、そういう誇りがあるんだとわかった。

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名物の天文時計。右は面白かったのでとってみたショーウィンドウのマネキン。シュール。

 

チェココルナが必要なので、朝駅で荷物を預ける為にも両替をしたら、めちゃくちゃ手数料をとられてがっくり。2万円日本円をだしたら16500円分しかかえってこなかった。
本当は夕方、教会でオルガンコンサートを聴くつもりだったのだが、ドレスデンに戻る列車が18:30を逃すと深夜しかない。どうしてもこれに乗りたい。18時に演奏会が終わってから中央駅まで30分では厳しい。しかもプラハからドイツ国境駅までは切符をかわないといけない。などなどあって、疲れもあって、腰が痛くて歩けないのもあって、演奏会は泣く泣くあきらめ。

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左はアールヌーボー建築の雄、市民会館。中にスメタナ・ホールという素晴らしいホールがあるという。ガイドツアーで入ろうかとおもったのだがめんどくさくなってやめました。

予定の列車まで駅で座ってすごし、何とかドレスデンにたどり着いたのが夜の9時でした。

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バッハ詣で 3 ライプツィヒ  

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また瀟洒な林を通って街へ下り、次の目的地ライプツィヒに向かう。アイゼナハからはICEで2時間半。予定より早めに行くことにしたので駅のDBオフィスで適当な電車を教えてもらうと、ちょうどその時刻発のが10分遅れているという。なんだかんだ話しているうちに2分経過、あと8分よ!といわれて走る。ま、走るほど広くない駅なんだけど。

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無事間に合い車上の人となるのだが、これが混んでる。ライプツィヒ、ドレスデンはドイツでも大きな都会なので乗降客が多いドル箱路線のようなのだ。2等も1等も満席。1駅分立っていた。次の駅ですかさず偵察すると無事席発見。これにてライプツィヒまで昼ごはんのサンドイッチを食べながら曇り空を眺めつつ揺られる。

そして停車時間を過ぎても、また止まらない。まだまだ止まらない。やっと止まったので即降りようとドアにいくと開かない。いつまでたっても開かない。おかしい。またゆるゆる動く。止まる。ゆるゆる・・・とまる・・ゆる・・・てなことで結局30分ほどかかってやっとライプツィヒに到着した。なんだか緊急点検かなにかで止まっていたようで、ドア前にいたおじさんに聞いてもなぜだかよくわからん、といっていた。こういうところドイツ人は鷹揚というかイラチンじゃないというか、ゆったり構えてるな。日本人だったらぎーぎーいいそう。

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ライプツィヒ中央駅。大きいな。右は目抜き通り。クリスマスマーケットは来週から。

    

無事降りたライプツィヒ駅はとても大きかった。ロッカーに荷物を預けて正面階段を下りる。天井が馬鹿に高い、ヨーロッパの駅だな~ってかんじの巨大な駅である。そしてとても賑やか。アイゼナハと比べたらものすごい活気である。上野駅くらいのにぎわいである。QBカットがあったりしてなんだか笑えた。しかしそんなことをしている場合ではない。18時の聖トーマス教会のモテット演奏会までしか時間がない。ただ今15時過ぎたところ。

急いで通りを渡って市街地へ向かう。グーグルマップってほんと便利。昔みたいにガイド本広げていかにも旅行者然としないので、安全面でも非常によろしい。
今回は1都市滞在ではない周遊なのでwifiルータを借りていったのが大活躍。
ウズべキスタンなどの辺境だとレンタル代もやたら高いんだけれど、さすが先進国は8日借りて7000円。今回はプラハでも地図が必要だったので2か国で申し込んだ。ドイツだけならたしか3000円代だったはず。

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棕櫚の葉のデザインが美しい。簡素ながらも重みのある大きな教会であった。   

まずはクリスマスマーケットの準備の進む大通りをとおってニコライ教会へ。この教会は壁の崩壊の立役者なのである。ここで自由化運動の若者たちが集会をしていて、ここから東西統一のその波が沸き起こったのだ。側廊には統一時の動きを追った生々しい写真が説明板とともに展示されていた。

思ったよりも大きな教会は街の本当に中心部にあった。静かな堂内は白基調だけれど、柱頭の柔らかな緑色のシュロの葉のデザインが天井井のアーチに広がってとても美しい。ごてごてしたバロックやロココが苦手なわたしには大変好ましくて素敵だった。オルガンも相当に大きい。しばし久しぶりのヨーロッパのキリスト教会を味わう。ここのところすっかりイスラム建築に傾倒していたので新鮮は新鮮だ。

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左北ヨーロッパ最古の大学ライプツイヒ大学。右がゲヴァントハウス。   

夕暮れの街を次はゲヴァントハウスとライプツィヒ大学へ。ドイツではハイデルベルク大学に次いで2番目に古い大学。森鴎外や朝永さんが留学し、ライプニッツやメビウス、なんとメルケルさんもここの出身だそうな。頭のいい人がたくさん集っているのね。そう思うと歩いている若者が神々しくみえるよ。

ゲヴァントハウスも演奏会のいいのがあったら、と日本でもリサーチしたのだが、ピンとくるものがなかったのと、どうしても日程上ライプツィヒ泊ができなかったのであきらめた。歴史あるゲヴァントハウスだが、今は近代的な建物になっている。歴代の常任指揮者の額がずらりと壁にかかっていた。

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ここに詣でることが夢であった。トーマス教会。感無量。

    

そこからいよいよUターンしてトーマス教会へ。アイゼナハと同様の古い静かな町を想像していたが全然ちがう。大きな都会であった。そしてトーマス教会も想像以上に大きくて立派だった。ここでバッハが働いていたのよね。人生でもっとも安定した時期を過ごし、創作活動も油ののった時期。初代カントールとして付属の学校に住み、精力的に生活もこなしていた恵まれた時期。マタイもここで生まれ初演された。1727年4月のことだった。わたしが人生初の出待ちをしたトマーナコアが、今この時間、ここで過ごしていると思うと胸ときめく。しかし大ショックなことに、あれだけ苦心惨憺して18時からの演奏会が聴けるように旅程を組んだにもかかわらず、今週はトマーナコアの演奏ではないという・・・。
嗚呼!なんてこと!残念無念・・・

しかもちょうど準備のためか教会は閉じられて、墓参りをしようと思っていたのができなかった。これまたなんたる不覚。

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音楽の教科書でおなじみのバッハ。右はやっと探し当てられたお墓に埋葬されていた副葬品。アンナ・マグダレーナの髪飾りなど

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バッハ家で使用されたことが確認できる唯一の家具とのこと。バッハの紋章がはいっている。右は遺骨から肉付けしたというバッハ像。ほんとにこんなお顔をなさっていたのである。

気を取り直して時間まで対面のバッハ博物館へと向かう。ここがまたものすごく充実していて、最新のタッチパネルオーディオガイドが無料で貸し出される。素晴らしい。盛りだくさんの内容を時間が足りなくて消化できないのがもどかしい。

一番貴重な展示物の部屋だけは逃せないと食い入るようにみる。有難い手書きのスコアの数々、お墓から掘り出された埋葬品など涙モノだ。ずっと居たい誘惑にかられながらも演奏会の時間がせまるので後ろ髪惹かれつつ出る。

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トーマス教会内部は質素かつ重厚だった。満席の聴衆は静かに演奏家を待つ。

 

すでに教会では入場者の列ができていた。2ユーロのチケットを入口で購入して席へ。なにやらわからぬまま、ほぼ満席の堂内で座って周りを見回す。

ここでバッハはオルガンを弾き、マタイもここで初演された。バッハが眠るこの教会にどれだけ来たかったことか。積年の望みがかなって本望だ。

中学に入る時、初めてピアノの先生についた。それまでは家でなんとなく母に教えられていたがやっと先生に付けてくれた。どうも実は父がうるさくて、家の外に出すなと言っていたらしいのだが。

最初に「作曲家は誰が好きですか」と聞かれて、一瞬の迷いもなく「バッハです」と答えた。当時はまだせいぜいメヌエット程度しか弾けなかったにもかかわらず、バッハの規律と宙に展開していく見事な音階の波と浮つかない確かさと真面目さと真摯さが大好きだった。今でもそれはかわらない。(だからモーツァルトは好きでない)

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席からだと半分しか撮れなかったが、バッハ当時の音色を再現したというオルガン。右は博物館の手書きスコア。

演奏会は案内の女性の静かな声で始まった。モテットと銘打った演奏会だが、礼拝形式のものらしく、途中でしばらくなにやら朗読があったり、いくつかのモテットは聴衆が唱和したり、異邦人には戸惑うものもあった。それにしても、演奏してくれた女性の4人組「Sjaella」が素晴らしく上手で1時間の演奏会は天にも昇るような心地であった。

というわけで心残りは、バッハの墓参りができなかったことだ。100年の間不明だったお墓が特定され、お骨が移葬されたのがこのトーマス教会。またいつか尋ねることにしよう。忙しかったこの旅では見逃したもの行きそびれたところがたくさんありすぎる・・・。メンデルスゾーンがゲヴァントハウスを率い、バッハの再発見と世の中へのリードをし、活動の拠点となった町。ワーグナーが生まれて、森鴎外や滝廉太郎が留学した町。シラーやゲーテが住み、そのほかシュトラウスやリストやシューマンが活躍した町。

このあとは明日プラハを歩く為、大急ぎで駅にむかって予約の列車に飛び乗り、夜中23時半にプラハ中央駅に到着する。

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バッハ詣で 2 アイゼナハ

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到着がすでに4時過ぎだったのでいそいでバッハハウスへ向かう。通りがかりに今宵の宿、HOTEL KAISEROHOHを確認し、カールスプラッツのルター像をみつけてちょっとのぞく。

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ルターの足元                バッハハウス近くの街並み

残念ながら修理中で、足元土台しかみえずその上にかぶさるようにプレハブな小屋がたっているみょうちきりんな風景。銅像は対して興味もないので行こうとすると、そこにいた子供連れのお父さんに呼び止められる。「小屋みないの?ベッドがあるよ。日本人の芸術家が作った銅像だよ」って。へ?なんだかわからないけど、せっかく教えてくれたのでお勧めに従ってみると、ドアを開けた先には3畳ほどのスペースに巨大なルター様がベッドの上に直立している。どうしてベッドなのか、どうしてもわからないセンスなのだが、そこにいた係らしき叔母様によると、高橋某という日本人の手になる像だそうな。エルサレムやらどこやらにも作品があるとのことだが、同胞として存じ上げないのは不覚であった。

そんなことをしている場合ではない。早くバッハ様に会いにいかなくては。

てくてく歩いて5分ほど、看板にしたがってすぐにたどり着いたバッハハウスはすでに窓に明かりがともっている。前の広場にはバッハ様。これは拝まねばならぬ。ちょうどライトアップが始まったところで画像的にはあまりうまくないが仕方がない。感激のうちにバッハハウスへ。

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受付のおばさま曰く、5時からミニコンサートが始まるわよと。時計をみるとあと5分。すわ。地以下のロッカーに荷物をおけと言われたので急いでしまって楽器室へ向かうがドアがあいていない。一緒になった男の子のいる家族連れと待っていると鍵をもった係の方が。

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この方が解説と演奏をしてくださるのであった。まずはバッハ時代の初期のオルガン。パイプオルガンの超ミニチュア版なのだがこれがたぐいまれなる音を生む。見かけはかわいいがパイプの威厳は損なわれず、素晴らしくも興味深い。次は当時携帯して使っていたクラヴィコード。わたしはこの音が一番すきだった。小さいけれど柔らかい音。素敵だった。

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それからワイマール宮殿で使われていたという立派な装飾をもつこれもミニチュアのオルガン。最初のオルガンよりもパイプも増えて荘厳偉大な音を出せる。

男の子がアシスタントとして、後ろにあるふいごを足で踏んで風を送る役目を仰せつかった。

次にシュピネット。こちらはハープシコード同様鳥の羽の軸で弦をひっかく構造になっていて、形も大きく装飾も美しい。最後にチェンバロ(ハープシコード)の演奏。こちらはおなじみ、オケにも入れる音量と多数のストップにより音色を変えることができる構造。

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以上で30分ほどでしたか。ドイツ人家族への説明のあと私のために英語で説明してくださいました。うれしい有難い経験でした。

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半円のガラスのユリ椅子の中でバッハの音楽がきける。右はバッハが作曲していたであろう当時の様子。

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バッハハウス内部。300年ちょっと前の暮らしの場。お母さんが9歳の時に亡くなり、後妻をもらったお父さんも10歳の時に亡くなる。その後ミュールハウゼンにいたお兄さんのもとに引き取られて独り立ちするまで勉学に励んだのだそうだ。このバッハハウスは、当初バッハが生まれ育った家として、バッハ協会が手を尽くして買い取ったのだが、実は本当に生まれ育った家は別の場所にあったことがのちの調査でわかった。その家は今では失われているので、バッハ信者としてはここが、亡くなったライプツィヒ・聖トーマス教会のお墓とともに聖地となるのである。右は手書きのスコア。ありがたや。

大満足で館内を見て、ゆりいすで音楽を聴いたあと、閉館時間ですよと追い立てられて18時に退出。夜の町をゆっくり歩きながらホテルへ。ご飯は途中のスーパーでパンや果物やソーセージとビールを買い込んで部屋にて。ソーセージをあっためてほしかったんだけど、旅の指さし会話帳で必死のコミュニケーションも通じず笑われてしまう。

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カイザーホフは4つ星、今回の旅で最上級。古い建物だけど内装は清潔で新しくこじんまりしてとても素敵。なぜか電話が通じなかったけどバスタブもあって大感激。興奮のうちにも疲れて眠ってしまいました。

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翌朝7時から静かで素敵なダイニングで朝ごはん。とてもスマートに整えられたブッフェは品揃え十分。おなか一杯いただいて、本日はワルトブルク城へ。ワーグナーがタンホイザーの着想を得た、またルターが籠って聖書のドイツ語訳を行ったお城です。中世からそのまま残った完璧に残っている城。バスで行こうとおもったらどうも表示の見方が違っていたようで結局もう1時間待つならと歩いていくことにした。これが素敵なお散歩。雲っていたけれど町はずれの林の道を丘まで登る道が素晴らしく美しかった。

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ちょうど城に到着したころから雨が降り始め、入館を待つまでの5分で暴風雨に変わってしまい驚く。1時半までまてば英語ガイドもあるんだけど時間がもったいないのでドイツ語でいいことにして中をみる(ガイドツアーでないと中に入れない)。英語の解説板や日本語のパンフでそれらしく想像しながら興味深い場内を見学。当時の面影を彷彿とさせるたたずまいをしみじみと味わう。ゆがんだ厚ガラスの外の雨の風景もまた風情あり。領主館の方の雰囲気も素朴で好きだった。

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城の主だったエリザベート妃の豪華絢爛モザイクの間。

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  ワルトブルグは世界遺産らしい。右がワーグナーがここで着想をえたタンホイザーそのもの、歌合戦の間にかかげられた合戦の模様を表したタペストリ。

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左、ルターが隠れて聖書をドイツ語に翻訳した部屋そのもの。右は祝宴の間。

 

ルードヴィヒがノイシュバンシュタイン築城時に真似したという祝宴の間では、なにやら演奏会の準備が行われいてた。ここで音楽をきいて、お隣のホテルで泊まれたらどんなにいいだろうなぁと思いながら、時間のない日本人旅行者は先を急ぐのであった。

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