今年のメインの旅

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昨年はタンザニア。その前はイラン。その前はウズベキスタン。その前はヨルダンと実現してきた魂の旅。

タンザニアを実現した後、正直なところもうこれ以上の旅はないかもしれない、と感じてしまい、次の旅へのモチベーションがなかなか生まれなかった。

そうはいっても生涯の課題、旅バカプロジェクト推進にあたり、今年のメインの旅をどこにするか、企画会議は続いていた(頭の中で)。そしてついにきた。それはラダック。

きっかけは60になったら6000m峰という、以前から温めていた企画を旅バカPJに追加したことだった。還暦を迎える3年後。その時には仕事も引退して身軽になり、1ヵ月2か月をかけて6000m峰に登ろう。そのために、遠ざかっていたアルパインもまた始めよう、そしてそうなるとたぶん、商業登山隊に参加するだろうから、情報を集め始めなければと思った。

プロガイドが主催する海外高峰登山隊は、それなりの体力と経験、なによりお金があればいまや誰でも参加できる。そしてこの企画は国内外含めて星の数ほどある。

行先も、大御所のネパールヒマラヤをはじめとして、インドヒマラヤ、カラコルム、南米ペルーやチリの山脈、カナダなど北米、と多彩である。ネパールは国としてあまり好きになれないから、南米かカラコルムと思い、さがしているとまずひっかかったのはペルーのワスカラン。レベルに合わせた多彩なルートと、温泉がありご飯もおいしいベースタウンが魅力だ。

が。なにせ南米は遠い・・

そして技術レベルが高くなくても登れる6000mで次にひっかかったのがストック・カンリ。

これがなんと。ラダックにあるのである。

ああ、ラダック。ターゲットの一つに加えてからはや6年。旅と山が両方実現できる。これしかないではないか。いきなり本命に巡り合ってしまった。

しかしまだ6000m峰実行には早い。しかし行きたい。

それなら1度下見で5000mほどの峠越えのトレッキングをしておけば本番で役立つこともあるだろう。なによりももうこの気持ちは止められない。

ここから具体的に旅行記を読み漁り、同時並行でチケットを監視し、現地エージェントを探し始めた。そしていつもの魂の旅の立ち上がりと同じように、今回も1発でここぞというエージェントさんに出会った。こうなるとあとは時期を定め、チケットを入手するだけである。インドはビザが面倒だときいたが、どうやらアライバルビザという手もありそうだ。旅人たるもの、一度はインドの洗礼をうけなければ本物とは言えないのだ。(ほんとか)

ラダックは高地の為、シーズンが限られる。観光だけなら厳冬期にいってもよいが、人々は山を下り、少ない宿舎は閉まり、電気もあまりないところゆえ、耐久生活となるのは必至。登山やトレッキングとなればオフシーズンはありえない。

ということで候補は5月か9月、仕事に影響のない中旬。どうもしばらく監視するにチケットは全日空+ゴーエアという組み合わせしかありえないとわかる。これが1日ごとに値段があがっていくので5月はあっという間になくなり、9月も10万越えとなるとぼやぼやしていられず、上司のOKが出たところで確保。

かくして9月7日から15日まで、ついにやるぞ、のラダック行きが決定~~~I

ラダックは、アカデミーもとったインド映画「Three Ideot (きっとうまくいく)」

のラストで登場する天空の湖、パンゴン・ツォがあるのだ。これが見たい。

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5年ぶり?のアイスクライミング

                

寒いです。大寒波だそうで。世界中。逆にオーストラリアじゃ、暑すぎてコウモリの脳みそが溶けて大量死だって。ラニーニャの影響があるとはきいていたけど。有名な三八豪雪もラニーニャだったそうだな。

そんな寒さのなか、わざわざアイスクライミングにいってきました。良い道具をもっているのに宝の持ち腐れ、やらないなら売ってしまえ、と師匠から辛辣なことをいわれてそんなら、と奮起した次第。

とはいっても長らくひどい腰痛を患っていてアイスどころかアルパインそのものができず、自転車も乗れず、という数年を挟んで、実にたぶん5年ぶり。たしか最後は、右足の靭帯を切った後の2月だったと思われる。とすると2012年。うひゃ~~~。

そんなド初心者に戻っているとい申告しているのに、師匠ったらマルチを想定していたようで、当初の予定は吾妻不動だった。金曜夜でて、車中泊、土曜吾妻不動、日曜霧積の予定ででかけたのだが。

どうも先週からよろしくないものが付いてきているのか、なんでもない普通のカーブで縁石にあたったとおもったら師匠号なんとパンク。真夜中氷点下のタイヤ交換とあいなるところ、工具があわないようなのでJAFさんにお願い。結局1時間半ほどのロスで深夜1時半ごろ目的地到着。翌日がんばっておきて吾妻不動にいくも、かなりうろうろしたあげく、八ッ場ダム建設の影響で、滝までいけないことが判明。不運続く。
だからそんな記事をよんだよ、といったのに・・・。

とはいえですね、やはりここはお告げのような気がしてこの日はおとなしくしようと提案。

どうせスペアタイヤでは高速も乗れないし、雪がでてきたらお手上げなので、とにかくタイヤ交換の為町にでることになった。上州は中之条の車屋さんで4輪全部新品のスタッドレスに。これはこれでこちらはありがたい。なんたって師匠、常によれよれの安い中古タイヤしか使ってないから、実はひやひやものだったのだ。

その後晩の買い出しをして霧積に向かい、車中にて鍋のあと、長く寒い夜をひたすらシュラフに潜り込んで寝る。

  
               

霧積は、森村誠一が「人間の照明」の着想を得て、さらに作品に盛り込んだ地として知られている。全く持って山の奥の、だれがわざわざこんなとこ来るの、というほどの秘境だ。そんなこと言ったら怒られそうだけど。でも金湯館は風情があってお湯もわたしは好きだったなあ。今は前にあった場所からさらに奥に移ってるみたいだから、建物も新しくなったのかもしれない。我らが到着した時には都内ナンバーの黄色いS660が停まっていた。こんな車に乗るのは若者にちがいないが、よくまあ、くるなあ、わざわざ泊まりに。安くないよ、このお宿。

そんな霧積は染み出しが凍って氷柱となるアイスクライミングのゲレンデでもある。アイスを始めたころに2回きて、初めてのバーティカルをノーテンで登れたので師匠に褒めてもらったんだが、今回それをいってもすっかり忘れられていた模様。だれもいないね。ここもさびれたね、とかいってトップロープを張り終わったと思ったら、どどどっ~~~~と大量の人がきてびっくりした。どうやらガイド山行らしい。さて、5年ぶりという1本は、アイゼンがまったくあってなかったのにやり始めたのであっというまにパンプしてしまい、半ばで降りてふがいない出だしとなった。人が多くて嫌なので、下のほうに見えていた長いのがあったので、そっちへ転進。だれもいないいい塩梅の30mを独り占めして2,3本。となりのやや優しいのを1本やってもう何も握れないほどパンパンになったところで終了。時間も4時。あとは峠の湯にてしみじみ温まり、下仁田でソースカツどんを食して帰りました。

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八甲田~怪奇編

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1月初めの連休は突然話がまとまって八甲田にいくことになった。

ここ2年ほど、年末の山スキー酸ヶ湯が催行されていないので久しぶり。当然3連休だし酸ヶ湯はまったく空き部屋でず。しかたないので、以前も酸ヶ湯がとれなかった1泊分で初めてお邪魔した深沢温泉にきいてみたらOKという。

ここは、家族でやってる小さな温泉宿で、常連さんだけ知ってるみたいな秘湯系だ。お部屋もプレハブみたいな建物で、部屋には鍵すらついてないけど、小さな流しや冷蔵庫など装備され、自炊もしていいようになっていて便利。前回も自炊で素泊まりだった。
でも予約をした日、どうしてもその名前が思い出せなくて、ネットで調べてもヒットしなくて、ならばとヤフー地図で探しても見つからなくて、最後はとうとうお気に入りの温泉マニアブログからやっとたどり着いたという次第なのだが、これが不思議。帰ってきてからみると、ヤフー地図にもちゃんと載ってる。どうしてわからなかったんだろう。ここから不思議がはじまっていたのだ。

八甲田山をはさんで酸ヶ湯の裏側になるのだが、泉質は全然ちがうキシキシのカルシウム硫酸泉で、薄い黄濁湯。湯量も十分、温度は50度弱というところ。内湯は最初は熱く感じるけど、湯口から遠いところにいれば、慣れれば心地よい温度である。が、小さいながらこの豪雪地帯では珍しい露天はさすがにややぬるい。というかこの八甲田で、冬に営業しているだけでもありがたいことである。八甲田ホテルはすばらしくコンフォータブルな素敵なホテルだけど、ここも泉質は酸ヶ湯とは違い、硫黄泉だけれども透明湯でやや物足りないのがたまにきず。八甲田温泉はラムネ湯がすばらしいけど冬季休業。猿倉も谷地も道路が閉鎖で行けない。

さて。当日埼玉から八甲田まで800キロ。8時半にでて、途中昼ご飯にラーメンをすすって、黒石ICを降りたのが4時ごろ。自炊の為の買い出しをして山に向かう。角のローソンまでは雪もなかったが徐々に厚い圧雪路となり、酸ヶ湯到着が5時。まずはここです。ご挨拶のヒバ千人湯。なつかし~。やっぱここは特別。最高です。とろんとした化粧水のように濃い緑がかった白濁湯は強い酸性。長く浸かると肌がチクチクとかゆくなって湯ただれしてしまう。
そしてここはなんといっても冬ですな。厚い湯気にぼんやりかすむヒバの湯殿にいると、何もかもどうでもよくなるような脱力の海に浮かんでいるよう。おこちゃまのいない、大人の、しずかな空間。ありがたいですなぁ。日本てすてき。
ちなみに夏だと外気温が高くて湯気がこもらないのでいまひとつ風情に欠ける。

さて。18時半ごろ深沢温泉にたどり着き、ご飯を食べた後こちらのお湯を楽しむ。なにしろ猛吹雪。露天にでると顔も体もつぶてのような細かい雪と風にもはや痛い。髪の毛はあっというまにバリバリに凍ってまっしろになる。目の前の林をみながら、嫌でも思われるのは明治陸軍青森の八甲田雪中行軍の惨事。こんななかで遭難したらたまらんなあ、自分がそうなったらいったいどのくらい生きていられるだろうと思う。そうなる可能性も、雪山をやっている以上皆無ではないわけだから、実感をもって考えてしまう。白い悪魔だよ、雪は。
露天の淵に山になってふんわり積もった八甲田独特の綿雪に顔をうずめてみる。温泉で温まった皮膚の回りの雪がじゅわっと溶けていくのがわかる。雪崩にうまってもしばらくは息ができるものなんだな、などと考える。

そうこうしながらいい心持で就寝時間となり布団にもぐりこんでうとうとしていると、なぜかやたらととある名前が頭に浮かぶ。ふか○ ○吉、とかいう名前。○のところはどうしてもわからないのだが、さかんにその名前が浮かんでくるのだ。なんだろなーと思っていると左の耳に口をつけるような近さではっきりと「おいで」という男の声がした。え?と思うものの、なんとなく大したことないように思えてそのまま眠りにおちる。

翌日の夜。露天にはいっていると、目の前の樹の奥にちいさい小屋の明かりがみえたとおもったらふっと消えた。あんなところこに小屋はなかったはずだが・・と思い、翌朝明るいときにみるともちろんないのだ。わりと急な勾配の100mほど上ったところに道路が通っている地形なので、小屋などありえない。では車のライトだったのかというと、そうではなくてちゃんと窓の形の四角い明りが目の前に見えたのだった。なぜ???

さすがに不思議におもって、帰ってから調べてみると、知っていると思っていた甲田の遭難事件については実は全然思い違いをしていて、まったく知らないに等しいことがわかった。わたしは、あの事件は、いわゆる百名山の八甲田山の山中でおこった出来事だとばかり思っていたのだが、実はそうではないのだ。

青森市内の屯地を出発して、百名山の八甲田山の北側である町中から、ちょうど深沢温泉の少し北東の(1キロも離れていない)田代温泉を経由して、八甲田東側を回り込んでいまの田代牧場あたりまで達する山中のルートだったようなのだ。ということは。今回行ったところはまさに遭難のドンピシャの場所なのだよ。210人中199人が遭難死したまさにその場所。いや~知らなかった。

たしかに遭難のシンボルともいえる銅像があるのがすぐ西側県道40号線の分かれ道だ。そしてこの40号線沿線こそ、行軍のルートにあたるのである。しらんかった~。これまで何回かわからないほど八甲田には来ているし、夏も冬も銅像広場は行っているし、山スキーのツアーでは銅像コースばかり滑っている。(ちなみに銅像コースでは10年前に雪崩で2人なくなっているようだが)。知っているつもりがまったくちがっていたことにびっくり。
ちなみに新田次郎が小説化してそれが映画になったものを、学校の体育館で見せられた。これが暗くて寒そうで辛そうで、子供には面白くもクソもないような代物で、なんでこんなものを見せられなきゃならんのかと嫌悪感を覚えたものだ。

で、今回こんなことがあったからあらためて見てみたけれども。いやーひどい。

東北といえばマタギがちゃんといるはずだからそういう人の知見を取り入れるべきだろう。どうかんがえたって。
明治25年とかだとまだ日本の登山は黎明期で、雪山の知識も道具もなかったのだから。ほんとありえない。吹雪なのに動くとか、ビバーク装備もないのに山に入るとかありえない。全く持ってあり得ない。

そして地図を見比べながら記事をつぶさに読むと、あらためて悲惨さと無知蒙昧と意味のない軍上層部の見栄のもたらすバカげた計画に暗澹たる気持ちになりながら、現在公表されている常識内での出来事を知るにつけ、わたしの経験との関連が裏付けされてしまった。深沢温泉のたぶんすぐ近くで、古舘要吉という一等兵がなくなり、ともにはぐれていた村松という士官が、四肢切断されながら生き残ったという。この要吉さんが、吹雪の中遭難したらどんなにつらいだろうと考えていた私の波長に同調したのだとおもわれる。はっきりとした30代くらいの男の野太い声が耳元で聞こえたのだから。

さらに調べると、このあたりは強烈な心霊スポットといわれているらしく、それ系の話は枚挙にいとまがないそうな。

「15時頃には、最後の生存者となる村松伍長が古館要吉一等卒の遺体とともに田代元湯近くの小屋で発見された。村松伍長は四肢切断の上、一時危篤となったがかろうじて回復した。25日朝の遭難当時、村松伍長は古館一等卒らと共に本隊からはぐれ、青森を目指したが進路を誤り、26日午後にこの小屋を見付けた。中には茅が積まれていたがマッチが無かったため火を起こせず、翌日古館一等卒は死亡した。村松伍長は付近で見付けた温泉の湯を飲んで命をつないだが、30日以降は立てなくなり、以後はただ横臥して雪を食べていたという」(出展:wikipedeia)

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SKI あれこれ

八甲田の山スキーデビューしてから衝動買いしたRosingol のSin 7は、店員さんの言葉とちがって177㎝をとりまわせず、引っ越しも重なって山仲間におゆずりしていまはもうないが、その時に行ったアスペンが3年前か。それ以来、昨日ひさびさに神保町をうろうろしました。

そのこころは。

ブーツが11年たってしまったんですね。大宮の倉庫みたいなお店で買ったサロモンはもうインナーがへたれて足首がばがば。今年はたぶん、10年たつといきなりシェルがボロボロと割れてしまうプラスチック疲労が来るだろうと予想。同じタイミングで買ったダンナも買い替えるというので、これは乗らずにおらりょうか。らっき~相乗り~~~。だってこんなお高いもの自分で買いたくないですもの。

いってみるとまあ、今年は雪が早いせいとかで大混雑で座る場所もないほど。もういいモデルのいいサイズはかなり売り切れているらしい。それでも店長さんらしき人が対応してくれて気に入ったのがみつかった。初めてのアトミック。画像はネット拾い。

                  アトミックスキーブーツレッドスター に対する画像結果

最近のブーツはまず、カントという考え方が排除されたらしい。たしかにな。素人の域では何が違うか影響なんぞないと思う。

そしてわたしらが前に買った頃はインナーをカスタマイズして成型できるのが上級機種にちょっとあったぐらいだが、いまはこれが標準装備、さらにはシェルも熱成型でカスタマイズがほぼ8割らしい。痛いっていうのは今や過去の話らしい。初代サロモンでは靴の中血まみれになった経験はなんだったんだろう。そういえば今のサロモンの前はなにはいてたかな。全然覚えていない。。。。ロシニョールだったかな。

しびれるほど締め付けて感覚がなくなると有名だったラングさえ、膝入れはくにゃくにゃするくらい柔らかくてシンプルで軽い。んまー。10年ひと昔ですわね。メーカーも、毎度おもうけど、栄枯盛衰。昔あった板や靴のメーカーで昨日見られなかったのはたくさん。スキー人口そのものが減っているから仕方ないのでしょうが、国産ではカザマ、ニシザワなんか懐かしいねぇ。のったなあ、カザマも。デザインがださかったなぁ。でも小賀坂がまきかえしているのか、結構目についてうれしい限り。昔は長いのが偉かったので、2m超えの人をみるとほ~って思ったものだったが。

海外ものでしぶいところではエランなんかは、うちの息子たちは今乗ってるけど、お店じゃみかけなかった。競技用とはまた違うけど、我々一般人がみるのは小売店だからね。今の流れはロシニョール、アトミック、サロモンが御三家という感じでしょうか。ブーツはラング、サロモン、アトミックばっかりでしたね。とはいえ、これは行く店の対象層によるもので、ニッピンとかいけばもっとコアな渋いのが並んでいるんでしょう。今回はゲレンデスキーヤーのお供なのでニッピンはパス。

                ロシニョール バンディット xx に対する画像結果   

それで気になるのが、15年乗ってる、わが愛機ロシニョールバンディットがまだいけるかどうかなのである。オールマウンテンとかエキストリーム系とかの走りだったが、今やもう、このタイプを探すのは難しいようだ。店でもベテランの店員さんは見てすぐ反応するほどの往年の名機であるが、さすがに最近はトップコートが黄色く変色してきてるし、だいぶ年季がはいってきた。割れなきゃいいけどなー。こちらも画像はネット拾い。

ちなみにここ2年ほど家族スキー旅行の記事がなかった。2016年昨年は斑尾タングラム。2015年は東北(福島~山形天元台~蔵王)雪がないだけじゃなく、最後の夏油では大雨に振られてっびしょぬれで泣いたな。2013年末は男3人でイタリアでわたしはネパールだったから不参加。でおもいだした。2014年もわたしだけ八甲田に山スキーの予定がはいっていたので男3人で東北巡りだった。

そしてことしは年末からひさしぶりの北海道だそうだ。これまで3回は全部ほぼ吹雪だったから晴れるといいなぁ。晴れたニセコを滑ってみたいものだ。

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念願の大縦走 日本海から上高地まで

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5年ほど前。山仲間が教えてくれた。栂海新道という名ルートがあること。

それは日本海に接する親不知から北アルプスを結ぶルートで、地元の山岳会「サワガニ山岳会」が、代表の小野さんを中心に開拓したルートである。なんという偉業だろう。

藪山にルートを開拓するというだけですごいことなのに、それをこの距離。この高低差。

驚嘆である。

かのウェストンが親不知を訪れた際、ここが北アルプスの終結点であるとのたまい、それならばそれまでなかった、北アルプスと日本海を結ぶルートを作ろうということで、1962年から71まで、9年の歳月をかけ、幾多の困難を乗り越えて開拓されたという。

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5年前初めて挑戦したときは扇沢までとしたのだが、3日目の白馬で暴風雨に阻まれ、下山を余儀なくされあえなく敗退。今年はぜひ、その先どんつきの上高地見降りるまでのロングディスタンスを、そうそう誰でもやれるというわけではない距離をやってやろう、と企画した。そのために、軽量のテントを買ってみたり、さまざまな方法を取り入れ、いつものウルトラライトに輪をかけたウルトラスーパーライトの装備で挑戦。日程は9月8日夜新幹線にて親不知まで、翌9日から入山して18日までかけて上高地は焼岳もしくは笠ヶ岳までを完走するという予定である。

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ちなみに今回導入したのが着替えを極力減らすためのアイスブレーカースーパーメリノ。これはもう6年ほど前から雪山用として採用し、非常に気に入っていたのだが、最近は難点だった強度も改善されたという。1週間着替えなくても匂わないというインプレを信じ、下着からウェアから、ズボンと防寒以外はすべてこれ。結果大正解であった。さらにいうと防寒はこれまた最高のパタゴニアナノエア。これ以外いらない。

そしてまたも前回と全く同様、3日目の白馬で暴風雨。白馬の呪いである。今回は10日間の日程を確保していたので最初からわかっていたこの予報が的中した段階で4日目丸1日停滞。時期と平日ということで空いていたとはいえ、めったにない小屋泊まりを2泊もしたのは財布に痛かったが、白馬山荘から1歩も外にでることはできず、夜はミシミシと建物が揺れたことを思うと、テントは論外であった。ちなみに前回の1泊はテントだったが、ポールが曲がり、テントヒモも切れてしまった。これまでの経験では大雪のトムラウシ直下、ジェット気流さながらの暴風雨と向こうを張る。ちなみにこれまた2年連続同じ場所で同じような嵐にあったのである。なんとなく遭難者の恨みの咆哮を聞いているようで気持ちのよいものではないのである。

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5日目の朝には回復している予定が、起きてみると相変わらずの暴風雨。とはいえ、今日はでないわけにはいかない。意を決して装備を固めて歩き始める。今日は難所の不帰というおそろしい岩場を通らなければならない。そのころには上がってくれる予定だったのだが。

初めての杓子、白馬槍と頂上を踏んで進むのだが、靴はすでに中までぐっしょり、手はかじかんで全く感覚はない。強い風と雨、さらには10mも見えないガスの中、とても不帰の岩場に突っ込むリスクは犯せない。しかたなく、白馬鑓から鑓温泉に下る。下ればガスははれて、青空もみえ、せっかくだからと鑓温泉でひとっぷろ。そのまま猿倉に下り、ここから延々下を歩いて八方尾根から唐松へと登り返す。猿倉山荘のバーガーが死ぬほどうまかった。

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その日は日暮れてこれまた想定外の八方山荘で1泊。よぼよぼのお年寄りたちに混ざり、非常に不本意な1夜を過ごした後、翌朝モルゲンロートの中、4時間のところ2時間で唐松岳。ここからも怒涛の歩きで五竜キレットをこなし、夕方5時前には冷池山荘に到着。混んだテンバですばらしい残照に映える劔をながめながら幕。

翌日は7日目。どこまでいくかが問題だ。というのは週末の9月18日月曜の休日までは晴れているはずだったのだが、なんとこの週末、気まぐれな台風が中国行きをやめて日本列島に向かっているという。よけいなことすんな。

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しかし、台風では3000mの稜線は歩けない。小屋でもパトロールでも週末は降りるようにと勧告している。そもそも白馬で1日ロスしていることですでに予定はパツパツ。とても上高地までは無理だ。なんとか槍まではいこうとしたが、結果16日土曜日から荒れ始めるとのことで15日中に針ノ木岳から扇沢におり、その日のうちに帰宅とあいなった。

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まあ、歩けなかった区間は別途継続ということで、つづきはいずれ。まってろよ~。

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沢と自転車

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7月梅雨も明けたので、年に1回の(最近は)沢にいくことにした。

赤牛でルートファインディングや渡渉において、ひさびさに軽いバリエーションとなり、たまには真面目なバリエーションにも触れておかないと、という想いが強かったので、季節柄沢に行くことにした。しばらくクライミングからも離れているので、登攀系は避けて、癒し系をリクエスト。もちろんイワナと焚火付き。

師匠からは皇海山の西山麓、タニ川の支流、小田倉沢の提案。もとは苗場のほうへ行く予定だったが、天気が悪いので転向。金曜日の10時に集合して出発。ひさびさの師匠の車は、いつのまにか4WDのステップワゴンハイグレードに進化していた。

入渓点付近の広い駐車場に12時前には到着。師匠は飲めない人なので酒盛りもなくそっこー就寝。明けて6時。沢支度をととのえ、トポ通りの廃屋脇からタニ川本流へと降り、すぐの小田倉沢へとはいる。しばらく水もないがやがてそれらしい沢になる。

1年ぶりの沢は、水のきらめきが美しい。小さい滝が3,4つ続いた後、すぐハイライトの大ゼンがでてくる。たいした苦労もなく巻く。途中の滝も、泥付きの巻き2,3回であとは全部直登。

困ったのは小田倉沢は午前中に遡行終わってタニ川に戻るルートだけれど、師匠が設定した丸山のコル越えがなかなかわからず、へんに尾根に上がってしまったため、3つほど谷を渡る形になってえらい遠回りになってしまった。この頃からカミナリがなり始め、雨がときおりポツポツ落ちてきたけれど、大した降りではなかった。

なんとかかんとかコルを見つけてやっと本流に合流したところで4時。幕にはちょうどいい時間。イワナの塩焼きのための棒の準備に余念のな師匠のよこでわたしは水汲み。ところがいつになく苦労するのは、どうしても葉っぱやゴミがはいってしまうから。なんで?

と思う間に、みるみる水が濁り始め、着いたときには澄んでいた水があっというまに濁流に変わった。通りかかった釣り人にきくと、本流の上流は土砂降りだったらしく、逃げてきたという。ギリだった~。

そこから潤沢な焚火材でごはん、イワナを賞味し、暗くなったら就寝。次の日は朝から天気もすぐれないので降りて温泉にいくことにした。すてきなジェラートをお代わりまでして、すごくおいしいカボチャをまるっと一個買って帰った。

自転車はついにローラー台を設置。GIANTのFUID式。評価も高いようだし、またエアロバイクを上野から運び返すのもばかばかしいし、ローラー台のほうが実践的にトレーニングできるから。ビアンキでやればタイヤを変える必要もないし。やってみるとこれはさすが。5分で汗の水たまりができる。がんばって白石登り切れるようにならなければ。
まだまだ心肺が足りんです。

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最近のアクティビティ 山と自転車

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                 〈竹村新道からみた槍と北鎌尾根〉

タンザニアの合間に最近の活動の備忘。タンザニアは写真の選択がめんどくさくてなかなか進まない。

6月末に念願の南アルプス 聖岳・光岳の縦走完了。これで南アルプスの主要な山は走破。百名山も残すところはなくなった。ちなみに百名山はそろそろ90に近くなった。残すは北海道幌尻と羊蹄山、東北が早池峰、関東が筑波山、草津、男体山、四国3山、九州が阿蘇と祖母山、あら、あと11だわ。

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光岳はつまらなかったが、光から聖までの景観はすばらしく、南アでこんなにも庭園のような美しいところがあったのかと驚きだった。小屋開け準備のおじさんに、去年蔵のビールの放出までいただき、最高でした。

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7月海の日の連休は9月予定の長期縦走の下準備として、これも念願の赤牛へ。普通は黒部ダムまでトロリーバスでいって、ダム湖を船でわたって奥黒部ヒュッテまでいき、そこから読売新道経由。または新穂高温泉の方から三俣蓮華を経由して。でもこれは時間がかかりすぎるので却下。あとは高瀬ダム右岸をいって竹村新道か伊藤新道にてピストン?

私は七倉山荘から船窪新道を登り、船窪小屋まで3時間(コースタイム6時間)。スタートが9時になったので無理かと思っていたがこれならいけるとおもい、針ノ木谷へくだる。せっかく1400m急登をのぼったのにまた1000mおりることになってがっくり。しかも水量が多くいちいち靴を脱ぐのも面倒で、2回目からは膝までつかって渡渉をかなり繰り返す。ルートも不明瞭でまず人の歩いている気配はない。ひさびさにドキドキしたが、素晴らしいテンバをみつけて狂喜乱舞しつつ1泊目。

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2日目は6時にでて奥黒部ヒュッテ経由読売新道をとおって念願の赤牛まではよかったが、ここから水晶まで天候急変。読売新道でたあたりから猛烈な強風になったのが、この先雨も加わって暴風雨。立っていられないような冬の富士山級でほんとうに消耗してしまった。水晶小屋で泊まるつもりが、なんと改装中で営業前という。野口五郎まで行くしかないかと思ったら、歩いてくださいと言えない状況なので特例で空きスペースに泊まってくださいと。よかった。地獄に仏。改装中なので場所がないのだが、踊り場みたいなところにお布団までつかわせてくれた。もちろの料金は通常並みで。

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最終日、野口五郎から烏帽子を回ろうかと思ったが、絶対混んでるのは明らかなので、前から気になっていた竹村新道をおりることにした。裏銀座の山並みが強風をさえぎってくれるのでのんびり槍の雄姿を楽しみながら下り、なつかしい湯俣晴嵐荘でかき氷をたべたり、温泉につかったりして、最後はタクシーにて七倉山荘まで戻り。

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しかしひさびさにプチバリで精神的に消耗してしまった。竹村新道を歩きながら、来週は山はおやすみでもいいかなと初めて思い、歩くのに初めてうんざりして、これはいかんと。

モチベーションを復帰させねば。

自転車は、6月の白石でへたれて登れなかったショックがひどく、でも考えたら初心者のちょいのり程度のビアンキでよくこれまでがんばってきたとおもい、7年乗ってさすがに初心者レベルは脱したことだし、やはりヒルクライムには軽いのが欲しいと思い始めて、さがしてみてもまずサイズがない。最近女性向けといって小さいサイズもいくつかでているけど、どれもこれも、女はこの程度だろ、というのがありありな適当な仕様しかなくて腹立たしい。

イタリアの老舗人気ブランドデ・ローザ。おなじく高級ブランド、ウィリエール。アンカーからジャイアントからいろいろみたけど、どれも思想がない。そもそも女性用って山もスキーもそうだけど、ちゃらちゃらしたデザインで素材も仕様もおざなりなものばっかり。趣味といえどもスポーツを真剣にやりたい女はたくさんいるはずなのに。

そんななか、チャリ仲間がみつけれくれたドイツの新進バイクメーカー、CANYONが、全社挙げての肝入れで女性向けバイクを真剣に開発したと知らされ。見ると、驚くほどしっかりしたコンセプトと仕様。これしかないと思われ決める。めちゃくちゃ硬派。

通販のみ、つまるところメンテも基本自分でやらなければならず、自転車屋頼りはできない。なぜなら現時点、自転車屋は自分のとこで買った物しか面倒見ないシステムになっている。持込はほぼ不可。ましてや仕様もUltimate WMN CF SLX Disc 9.0 Team CSRよくわからない取扱いのないメーカーの物なんて絶対に面倒見ない。Ultimate WMN CF SLX Disc 9.0 Team CSR

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が、英語でのやりとりで時間がかかり、実車試乗ができないデメリットを差し引いてもこれしかないと思うほどの魅力なので決めた。オーダーから1ヶ月半。やっと先日、ドイツから頑丈な特殊ケースに入って我が家に到着。さっそくあれこれパーツの整備等進めておる。ついでにビンディングも噂のスピードプレイに乗り換えることにしたのだが、これが噂通りきつくてかたい。いきなりキャニオンでガチガチやるのもいやなので、しばらくビアンキで慣らしてからと思い、ビアンキに付Ultimate WMN CF SLX Disc 9.0 Team CSRけ替え。シューズもあいかわらずサイズがないのを探しに探して、やっとボントレーガーの売れ残りカーボンレーサー仕様6000円という掘り出し物をみつけた。さすが池袋チャーリー。他のY'sとは全然対応が違う。だいすき。Y’sのみなさん、ここよく読んでくださるように。

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いままでのビンディングは、つけたときに何も知らずにビアンキを買った大宮のY'sロードの担当さんまかせでそのまま確かめもせず乗り続け、今回調べたらこれがマウンテン用で、これではスピードなんかでるわけない、って代物だったことが判明。当然履いてるマービックも2つ穴用だし、ボロボロになってるのでこれを機会に総とっかえ。山でも峠でもどこでもいくぞ~と。

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ついに

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やった。やっとカミングアウトできた。ほ~っ。

もう1ヶ月を切ったタンザニア行。いつ言おうかとそわそわしつつ、機会をねらっていたが、やっと本日業務予定確認の席でそろっと言ってまった。「おや、またどこかに逃げるんですか」といわれたけど、とりあえずするっと通過。まあ、いつものことながら通過するしかないわけなんですが。

 

だってもう、後戻りできませんからね。海外送金も終わり、無事着金の連絡もやっととどいて、すべて順調。

そんなことでいつになく気の早いことにすでにパッキング開始。ひさびさにバックパックで気楽だ。でも装備がいろいろと特殊。双眼鏡とか水着とかマラリアに罹患しないよう強力なDEET入り虫よけとかかゆみ止めとか。マラリアはごく普通に罹患するようで、おかしいなとおもったら現地で診察をうけないと、治療法・治療薬に経験のない日本に帰ってからだと治りがわるかったり後遺症が残ったりするらしい。

 

山もようやっとまともな山に近づけるようになってきて、先週は手始めに雲取にいってみた。

前白岩山からさきはすっぽりまだ雪の中で、林間は凍っているからアイゼンがあったほうが楽。わたしはなんと、冬靴を積み忘れてしまった上にカッパの上も忘れる体たらく。雲行が怪しくなって降ってきたので、芋の木ドッケまでで敗退。普段履きの安い運動靴も泥んこで沁みてきたし。とはいえ、かなりとばして歩いたから、トレーニングにはなった。。時間があったので、初めて三峰神社にお参りし、境内のありがたい温泉で汗をながす。これが意外と、といっちゃ失礼だが、結構なアルカリのいいお湯で、心身ともにすっかり浄化されて、非常にすがすがしかった。

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翌日はこれまた1年ぶりの自転車にのってみた。ほんとは菜の花盛りにのりたかったんだけど、今年は花粉が長かったのと菜種梅雨で週末がだめだったりで、やっと今週出かける。

夏日となったこの日、本当に気持ちが良くて、まだ菜の花もだいぶ残っていて、武蔵野の雑木の種々の緑にけむる若芽がとても綺麗だった。でも、自転車を楽しむ人が増えたのはいいのだけれど、やっぱりマナーは気になる。直前まできているのに対向から追い越して来たり、狭いサイクリングロードに群れで写真を撮るのにたむろしていたり、すれ違いで待ってあげたのに挨拶ひとつなかったり。

冬はほんとに好きな人しか乗りにこないから、ただのすれ違いでもいちいち挨拶したりして心ほのぼのなんだけどね。

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ガシガシ飛ばす必要もないし、リハビリだし、のんびりポタリングだから、途中のお気に入りポイントにもじっくり滞在。その1は通っていたバイク教習所のとなりのサーキット。本日はバイクと子供ライダーのチビバイク。次は迂回路の途中、たんぼのラジコン飛行機さんたち。そして最後は目的地の本田エアポートでスカイダイビングというお決まりのコース。

1年ぶりだといろんなことが変わっていて、まず整備中のサイクリングロードが一部綺麗になっていてびっくり。残念ポイントは本田エアポートの広場からはベンチが撤去されていたこと。風もあたたかく穏やかな南風で、真っ青な空にいきなりぽかっと湧き出てくるパラシュートに相も変わらず楽しませてもらった。 

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しかしつくづく思うのは、ほんとうに今暮らしているあたりはいいところだということ。ものの5分で素晴らしい荒川サイクリングロードにでられ、大きな図書館やプールや市役所も5分。郊外型の駐車場の広い大きな店もあちこちにたくさんあって買い物には苦労しないし、、複合型のモールもららぽーと、レイクタウンと東西に2大巨頭、ららぽなんてチャリで10分。かわっぺりの公園を始め、広々とした施設には事欠かず、山も近くて高速も近くてのりやすく、関越・東北へのアクセスは抜群。以前はつらかった中央や東名へも、圏央道の整備で楽になったし。上野もいいですけど、やっぱりわたしはここが好き。

 

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年末は熊野詣

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ここ数年、毎年年末は八甲田で山スキー、酸ヶ湯で温泉三昧だったのだが、今年はちょっと飽きたのと、引っ越しの予定がからんでいたこともあり、キャンセル。。

どこも行けないかと思っていたら、行ってもいいことになったのがクリスマス前ごろ。
まあ、テント積んでどこでも寝られるので、ならば暖かい方面へでもと紀伊半島をターゲットにした。最初は奈良のお寺をめぐるつもりだったんだけど、行ってみてハタと気づいたことに、年末じゃないですか。お寺や神社は年始のための準備やらでもしかしたら入れないこともあるやもしれない。実際、数か所は参詣が難しそうなかんじだった。それなら前から気になっていた十津川村に行ってみたいと方向転換。
 
なぜ気になっていたかというと、以前百名山の大峰山や大台ケ原に行ったときに調べると、あの辺りは勤王の十津川郷士が生まれた土地で、彼ら十津川の人々は昔から特別扱いだったとかなんとか。それと子供のころに母が好きで、年中一緒みてた「けったいな人々」というNHKのドラマのヒロインがこの十津川村の出身という設定で、たったそのこと一つで十津川村という名前が頭にがっつり残っていたから。
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行ってみたらおどろいた。なんという秘境。ネパールもまっさお。ドウドウ流れる荒っぽい川や断崖にしがみつくように立つ小屋。心もとない橋、路肩の崩れた車幅一杯しかない悪路・・・ネパールそっくり。こんな厳しい自然だから生活も貧しく、体力も精神もたくましく強く、傭兵として生活を立てるということになるのかと納得。スイスだってそうだ。
 
興味のあった郷土歴史館はちょうど前日で閉館の年末休みで残念。地産売店の2階で思いがけずとてもおいしい蕎麦に巡り合い、そのまま目当ての玉置神社に向かう。
玉置神社は、紀伊半島の行くべき場所を調べたときに真っ先に目についた神社で、熊野の修験道の方が、熊野本社よりもまず真っ先に参るという奥宮なのだ。そこには開祖役行者が置いたされる玉石があって、そこに神様が降臨なさるのだと。なんでも神様に選ばれた人しか行けないとのことで、なんだかワクワクするではないか。
 
長い山道を延々とたどり、途中なんだかわからない古い廃校に入り込んだりして秘境旅人感を満喫し、たどり着いたのは大きな駐車場。ここから延々15分ほどの林道様の参道を歩き、やっとたどり着く。途中には文化財指定かなにかの杉の巨木がある。周り中巨木だらけである。それほどエネルギーの強い場所ってことですよ。そう。屋久島も、知床の羅臼もそうだった。利尻も。
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本殿は至って質素な佇まいだが厳しさを感じる。参拝して社務所に行くと、重文の襖絵があるらしい。せっかくなので500円お納めして拝見。狩野派の弟子たちの手になるのだそうで、あまり手入れもされず古びた感じがリアルであった。
お隣で祝詞があがっていたので、心の中でおすそ分けをいただく。
 
そして玉石は杉の巨木に囲まれた場所に半分埋まったような状態であり、なぜかその時だけ鼻の奥を万力で締めあげられるほど痛くなった。玉石の横には3つの法力のある岩が祀られていて、脇をとおって山頂へ。遠くに見える峰々は、本社から高野山までつながる修験の峰、熊野古道なのである。
 
そうだ。ここまできたのだから熊野古道をあるいてみよう。と思いついたのは実はこの時点。行ってみたかったのだ、長いこと。熊野神社も那智の滝も。
そして玉置神社からは目と鼻の先なのであった。
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その日はうみっぺりに湧いている硫黄泉というすばらしい温泉につかってテントを張る。
翌日、那智の滝へ。ここが宮城氏率いるセクスィ登山部の逮捕現場なのである。そんな罰あたりなことはおいといて、さすがに神々しい。仏さまがざしておられるようではないか。しかも虹までかかってもったいなや。
でもやっぱり、ついルートを探ってしまうのであった。
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ミツマタがさいていた
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そこからまた登り階段や坂を経て高台の那智本社に到着。まずは大楠の胎内くぐりを。
山梨の夫婦木神社にある欅の根本の胎内潜りを思い出すが、やはり生きている気のエネルギーはすごい。
本殿参拝、とおもうと、那智の滝でお賽銭はすっかり使い果たしてしまったので、滝の聖砂などいただいて参拝をすませ、お正月に祝詞をあげていただけるという、身代わりの人型を申し込み、宝物殿など拝見し終了。
 
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その後は熊野本社にも参拝。こちらでありがたい悪魔退散日本一のお力のあるヤタガラスの鴉文字によるおふだを拝領。
 
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そうこうするうちに日も傾き、今日は古道歩きはむずかしいので、また温泉に入っておわり。
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翌日、ちょろっとさわりだけ歩いてあとはひたすら帰路をたどる。
家についたのは大晦日も9時を回るころ。
今年もまた遊びほうけるわたくしなのでございました。。。
来年もそうありたい。。。
(こらこら←神の声)

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晩秋の立山

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10月第三週。またも晴れそうだ。これは逃せない。

ということで前々から懸案だった立山にいくことにした。

北アルプスは今年はついぞ近づけず、あきらめかけていたのだが、ぎりセーフ。

久しぶりの扇沢、昔車上荒らしにあった、爺ケ岳登山口もいっぱい。空いてるだろうと思ったのに市営駐車場も満杯。下の遠いところに止めてスタート。

 

しかしこの立山は3000m峰とはいえ、激楽勝のお山なので、わざわざここに登るためだけに扇沢から乗り物を乗り継いでいくのはハードルが高かったのだが、昨今の状態では雪の剣もしばらくないし、久しぶりだからと思い切った。そりゃ思い切ってです。なぜなら扇沢から室堂まで往復9000円もかかるんですううう~~。

扇沢からトロリーバス。おりてダムを渡り、次は急斜度のケーブルカー。そこからロープウェイ。最後にもういちどトロリーバス。この最後のトロリーバスがなかなかスリル満点なのじゃ。

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ダムをわたる。紅葉はいまいちでんなあ。
 
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これはケーブルカーおりたところ。同定板のとおり左は針の木、スバリ
右が鹿島槍と、前にやった黒部横断の時におりた牛首尾根。なつかしか~。
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ロープウェイから針の木とダム湖。右は雷鳥沢キャンプ場が見えます。
 
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地獄谷方面から噴気がもうもうとあがります。今、群発地震がおきていて
あらたな噴気孔からさらに高温の噴気があがっているそうです。
このあたりは硫化ガス(有毒)がでているので、風向きによってはやばいです。
途中にはタオルを湿らせて口にあてるよう、水場があります。
 
テントを張る3時ごろからぽつぽつ来たと思ったらそれから霰まじりの雨になり、
夕方までの間剣沢小屋まで散歩しようとおもっていたけど、さっさと寝ることにしました。
なんしろ前夜は毎度おなじみ3時過ぎ。
今の時期の特典は人が少ないこと。キャンプ場もがらがら~~
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左、翌日の登り始め、人生初のブロッケンに遭遇~~!
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翌日。どうです、この青空!。来たかいがあったよう~。
ここは富士の折立というコルの部分。雲がきれいです。
 
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あまりに雲がよくて、何度も何枚も撮ってしまう。イランのパサルガダエでみた雲を思い出すなぁ。
 
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雄山の、いわゆる百名山的立山の三角点のあるところには同定板。3000に足りない山は雲の上に頭をだせません。
右は立山全山。立山という名前の山はなく、雄山・大汝山などの連峰です。
ちなみにトップは雄山の立山神社本宮。映画「点の記」で巷に知るところとなったでしょうが、古来山岳信仰では厳しく極度に徹底された信仰を集めていたようです。このサイトが面白いのでよろしければどうぞ。
句碑がありました。
「立山に初めて立ちし遠つ祖も 涙拭はず祈りましけむ」。
そうだろうなぁ。
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右はみくりが池にうつる立山。フォトポイントですね~
 
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晩秋の立山、うつくしいですなぁ。
温泉はみくりが池温泉に初めて入ったところ、これが驚愕の素晴らしさ。
ベスト3入りです。青白い強烈な硫黄泉はとろりとして最高!
ふもとの葛温泉も湯量たっぷりで風情ありましたが、みくりが池温泉の前に
かすんでしまいました。
 
帰りは蕎麦をたべたかったんだけど機会がなく、結局ずっとたべてみたかったマクドナルドのテキサスバーガーになってしまった。

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