JORDAN

ヨルダンおまけ

おみやげたち。

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マダバの工房でゲット。左は国花のブラックアイリス。右はなにやら果物らしい。

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左はペトラで手に入れた砂絵。色のついた砂をつめながら器用に絵柄にしていく。右はとってもおいしいピーナツ(もしかしたらゴマかも)の粉を固めたお菓子、ハラワ。

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いつも旅に出ると一冊かって買える本。行きのトランジットで気になっていたこのタイトルを忘れられず、帰りにわざわざ探して買い求めました。まだ読んでないけど!右は、アンマンのシタデルにあった博物館で出会った胸像。なんともほほえましい表情が心に残りました。

そのほかにはワインや泥石鹸など。なにしろ小さな肩掛けバッグだけだったので、帰りは手提げの布袋をひとつ作って預けました。そしたらオリーブの箱が割れてしまい、大変なことになってしまったのでした。

ちなみにアンマン空港でのチェックインは、セキュリティのX線透視機が1台しかなく、貴重品も含む全荷物をそこにおいたまま、私は「オンナはあっちだ!」と別の入り口に行かされました。荷物が気が気でなく、前にモタモタしてたわけのわからないおばさんや、全く仕事する気のなさそうななげやりな係員を押しのけるようにして、必死になって荷物にたどり着いたのでした。YESかNOか、白か黒か、勝つか負けるか、という具合のアラブにたった3日いただけで、言うこといわないと!という気持ちにさせられたのはわれながら驚きでした。

しみじみと、日本という国は、安全で、悪くなったとはいえ倫理的に安心で、平和で文化的で、経済力はあり教育も充実していて、緑はしたたり、おいしくて安全な水がふんだんにあり、山はあって雪も降れば花も咲き乱れ、、おいしい食べ物は魚から肉、野菜といくらでもあり、米はおいしくて、本当にいい国に生まれたと思ったのでした。

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ヨルダン8

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5時間走ってやっとみえてきた死海。対岸はイスラエルです。

今なお和平に至ら(れ)ない中東問題は、帰ってきてから改めて調べれば調べるほど暗澹たる気持ちになってしまいます。そして自分の生まれ育った環境とのあまりの違いが興味深く、すこしでも理解したいという気持ちにさせられます。

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最後の宿泊はなかなかリッチなホテルでした。最初予約がないといわれてドキドキしたのですが、結局手違いが発覚。楽しみにしていた死海プカプカ体験は翌朝一番で。水が冷たいかとびくびくでしたが大丈夫でした。でも濃度が通常の10倍という海水には長くは浸れません。20分も楽しんで、次はメインイベントのドロパック。全身真っ黒になるまで塗りたくって、砂に埋まって待つこと20分。再度海水に浸かるとあ~ら不思議。ツルツルの赤ちゃん肌に♪(一瞬でしたが。笑)  

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このあとモーセ終焉の地といわれるネボ山へ。目の前に、聖書でしかしらなかった名前の土地が広がっていることに不思議な感動を覚えました。この山からモーセは「約束の地:カナン」を示したといわれています。何千年もこの風景が変わらずにあり、この荒野をイエスがさまよったのだろうなと自然に思える光景でした。

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最後はマダバの街で、古いギリシア正教会「聖ジョージ教会」へ、有名な古代パレスチナの地図のモザイクを見に行きました。ちょうどミサが行われていて、すばらしい聖歌が聴かれ、しばし動けずに聴き入ってしまいました。学生時代は聖歌隊にいたので、教会音楽には興味が深いのですが、正教の聖歌を聴く機会など全くなかったし、予期せぬ出来事でとても幸運でした。右の写真は、途中で寄ったモザイク工房での一こま。下絵に沿ってペンチで小さく切った色石を置いていき、その後上から石膏のようなもので押さえ、最後にエイヤっとひっくり返して出来上がりだそうです。ヨルダンのこの地域、特にマダバはモザイクが非常に盛んで、たくさんの古い貴重なモザイクが残っています。工房主によると、モザイクは酸だろうが油だろうが日射だろうが雨だろうが、なにものにも腐食されないのだ、ということでした。

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こうしてヨルダンをほ上から下まで駆け抜けた3泊6日の旅は終わりに近づき、アンマンの空港でラムジーとお別れをした後は、一人日本に向けて飛行機を乗り継ぎました。楽しみにしていたヨルダンのワインは、ドバイ経由では持ち込めないことに気付いてとうとう買えず、しかたなくドバイでレバノン産を仕入れました。でもまぁ、あの地域ではレバノン産が一番おいしいそうなので、それはそれでよかったのですが。

今回はあまりに短かったので、いつかきっと、シリアやイスラエルも含めて、必ずまた行こうと心に誓いました。とてもとても影響の大きい、意義深い、私にとって啓示を受けるものがあった旅でした。

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ヨルダン7

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砂漠を堪能した後は、紅海のどん詰まり、アカバへ。ここはリゾートとして知られています。当初の忙しいプログラムには入っていなかったのですが、ダイバーとしては紅海を一目みたい、という私のつぶやきを即実行に移し、ラムジーはあちこちに電話をかけてあっという間にアレンジしてくれました。

ワディ・ラムから2時間弱、突然ヤシのそよぐオアシスのようなアカバが出現。すぐ後には禿山が連なっているのに、空気もしっとりしています。坂がちな街はのんびり寛いだ雰囲気にあふれています。ドバイで替えた5万円がそろそろ底をつき、ここでキャッシング。

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ここでスーク(市場)へ。アンマンと比べると小さいけれど活気のあるスークで、ヨルダン自慢のナッツ、オリーブ、ピーナツの粉を固めたお菓子ハラウェをラムジーが見繕ってくれます。オリーブなんか20cm四方のタッパーに山盛り詰めるほどなので「とんでもない!そんなの1年でもたべきれないよ!」というと「大丈夫だよ!」というラムジー。
何がだいじょぶなんだよ・・・と思ったけれど、帰国してラムジーの正しさが証明されました。なんと、2週間もしないうちに完食!!本当においしかったです。
しかし、このオリーブは、ラゲージで乱暴に扱われたらしく、帰って開けたら容器が割れていて、いろんなものが油まみれになるという悲劇ももたらしてくれました。ペトラからコッソリ持ち帰った薔薇色の砂も;;(でも洗って復活したけど)。

ラムジーが「とっておきの海に連れて行ってあげる」といった先は、サウジアラビアとの国境間近300mというところにある、ロイヤル・ダイビング・クラブ。ロイヤルというだけあってか、兵士の守るゲートを抜けて、立派なホテルに到着。施設使用料とレンタル料を支払って3点セットを借りました。        

心配なのは寒さです。昼をまわったのになんとか半袖でいい、ってくらい。覚悟して入った海は冷たい~~~!!!体感では21度くらいですか。4月の沖縄、7月の伊豆という感じです。それでも、水面下の極彩色の世界は息を呑むほどで、それは間違いなくカラカラに乾いた陸の無彩色との対比で際立つ美しさなのでした。海だけとってみれば、沖縄のほうがすごいと思うけれど、この対比と透明度がこのエリアの人気の所以だとわかりました。スキューバもできたのですが、パニックのお守りもなく自分のギアもない状態では、とても不安でできませんでした。

そして30分が限度!震えが止まらなくなって退散。暖かいシャワーを浴びて、ラムジーが探してくれたヨルダン名物「マンサフ」をランチに食べて、一路死海を目指したのでした。ちなみにアカバから死海までは300km弱、5時間の行程です。ラムジーは、ランチを食べると眠くなるから、といって食べずにがんばってくれました。セクハラオヤジだけどいいとこあります。

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紅海右股の付け根の街、そこだけイスラエル領土。

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ヨルダン6

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さて、一夜明けたジャバル・ラム・キャンプ。今日は6時半スタートで「ラクダにのってSun Riseを観る」オプションに申し込みました。薄暗い中をエントランスにいってみると、いました!そしてドイツのグループも一緒です。みんな無事乗ラクダして出発です。一人で乗っている人もいれば、私のように馬子(ラクダ子)に手綱?を引かれる人も。わたしの馬子はダキムさん。毛布にくるまっているのは伊達ではありません(足は裸足にサンダルだけど)。この朝、気温はたぶん3~5℃。私はTシャツ、薄手フリース、インナーダウン、冬用ヤッケとあるもの全部着て首には巻物をしっかり。手袋があれば・・と切に思いました。

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30分も歩いて小高い砂丘に着いたところで下馬(下ラクダ)。客は銘々散策。ベドウィンさん達はどこからかあっという間に枯れ枝を集めてきて焚き火。ああ、何百年も、もしかしたら何千年もこうしていたんだな、と思わせられる光景。

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ブラブラして待っているとやがて雲の間から朝陽が覗きました。一瞬でしたが、見えてよかった。こんなにも自分の生まれ育った環境と違うところが、同じ地球に存在して、今自分がそこにいて、見て感じて聞いていると思うと、なぜだか涙がでてくるのでした。とにかく「神様ありがとう」という気持ちしかなかったのでした。見たかったほんとの砂漠。初めての砂漠。

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帰り道はベドウィンさん達が面白がって、ラクダを走らせて競争しよう!ということになり、ドイツの学生さんたちが「アギーラ!アギーラ!」(Run!,Run!という意味)と叫ぶと、ラクダ君たちはとっとことっとこ走ります。本気で走るとかなり早いという話し。見たいな。どこかのアラブの国でラクダレースってのがありましたね。

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ご飯を済ませてジャバル・ラムのイケメンベドウィンさん達とさようなら。次はワディ・ラム砂漠を4WD車で疾走!というプログラムになっています。さすがに砂漠ドライブは特殊技能らしく、ドライバーがベドウィンのハイラルさんにチェンジ。本当はここでほぼ1日時間をとってあったのですが、私がどうしてもアカバ(紅海)に行きたいというと、ラムジーがスケジュールを捻出してくれました。
その分、砂漠の時間が短くなり、岩のブリッジという見所にはいけませんでした。岩山は7つの柱という、ロレンスが名づけたという岩山ですが、こういうのがたくさんあって、実はこの砂漠、クライミングも面白いんだそうです。ベドウィンさんたちはかなりのクライマーだそう。政府の観光ポスターも、ワディ・ラムはクライマーの写真になっています。あらかじめ手配すればクライミングもできるんです。ここでは気球に乗るオプションもありましたが、直前にエジプトで事故もあったし、まぁ、わざわざ・・・と思い却下。

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この砂漠は観光客が唯一はいれる砂漠だそうで、映画「アラビアのロレンス」が撮影されました。小高い岩山を登ったり「ロレンスの泉」「ナバテア人の壁画」など見て、ベドウィンのテントでお茶。誰もいなくて暇そうでした。カルダモン、セージ、クローブミックスのハーブのお茶がおいしかったのでお土産に買いました。この国はカルダモンが大好きなようで、アラビックコーヒーにもがっつりカルダモンが入っています。最初、コーヒー悪くなってる・・・と思ったほど()お茶を飲んだ後、あっという間にベドウィンの衣装を着せられました。

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走るのは基本的に轍なのですが、それでも意外なほどガツンガツンと衝撃がありました。ハイラルさんはテクニックを駆使してテールを流したり、カウンターをきったりして楽しませてくれました。本来のプログラムでは、他グループと混載で荷台に乗せられるはずだったのですが、おかげで専属車。
不思議なことに、薄紫の小さな草花がそこらじゅう満開で、まるでカーペットのようでした。砂漠にこんなにも花があるというのがびっくり。はかない命なんだろうなぁ。そういえばアフリカの砂漠に1年に1度突然花園になる場所があると聞きました。いってみたいなぁ。ナミブ、サハラ、そしてタクラマカン、いろいろな砂漠。

3時間砂漠を堪能して、ラムジーと合流したらいよいよダイバー憧れの紅海へ。

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ヨルダン5


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ヨルダンは他の中東の各国と同じく砂漠の国。ではどこでも行っていいかというとそうでもなく、大半の砂漠は保護されているので入れない。ツーリストが許されているのはワディ・ラムだけです。ワディ(ワジ)は涸谷の意とのこと。7時半ごろペトラを後に、ラムジーは車を走らせるがなぜか飛ばさない。おなかもペコペコだし、早くつきたいところなのに。
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その理由はというと、暗い夜の砂漠ハイウェイには、ハイエナ、鹿、そして迷いラクダがひょっこり現れるからだそうだ。中でもラクダに当たった日には「They kill us!」だそうな。巨岩に衝突するのと同じこと、という。そんなこんなで、2泊目の宿泊地、「ジャバル・ラム・キャンプ」に着いたのは9時を回っていた。強い風が吹きすさび、寒かった。まっすぐ食堂テントに入ると、10人ほどの人がいた。すぐにベドウィン料理のバフェに導かれる。どうやらも10人ほどのグループは私達の到着をまってくれていたらしい。恐縮!いくつかある砂漠のキャンプの中では古いほうにはいるジャバル・ラムは、ゴハンがおいしいと評判らしい。早ければ、砂に埋めて調理するところを見られたらしいが残念。意外と塩辛いオリーブ、チーズなどを中心としたローカルフードを楽しむ。お肉は羊が5割りで残りを鶏と牛で分け合う感じかな?      

ちろん豚はありません。ユダヤ教でも禁じています。イスラム教では豚以前に、その定めた方法(haral)によらない屠殺方法によらない獣肉は食せません。ユダヤ教にも独特の定めがあるようで、帰国便で隣に座ったユダヤ教徒らしき男性は(服装でわかった)特別のユダヤ食なるものをもらっていて、他の人よりも早い時間に食事をしていました。時間も関係あるのかな。戒律の厳しい宗教は大変ですね。

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一通り食べ終わると突然古いスピーカーからMusic スタート。なん?と思う間に手を取られて引っ張り出される。なにやらダンスタイムが始まるらしい。え~・・・と思うまもなくアップテンポで陽気なアラブミュージックにノリノリになってしまう()。小1時間も踊ると、着込んだヤッケを脱ぎ捨てるくらい温まって、ドイツの大学からという1団とも和気藹々、楽しく過ごす。その後この中から男女二人が選ばれて、本日のメインイベント「模擬結婚式」が始まった。うやうやしくお祝いの言葉を述べたりして、騒ぎまくったあとは自分のテントにて就寝。

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テントはほんとにテントなのだった。ずいぶんたくさんこしらえてあり、私の巣はNo.30。分厚い素材は風も光も完全に遮断してくれるのだが、もちろん裾部分は固定はしてない。もちろん鍵もない。入るとき、一応毛布などめくって点検。なにを?サソリの有無を。うげ~。でも、今は居なくても裾から入り込んだりしないのかしら。するよね・・・。

とはいえ、疲れもあって、暖かいラクダの毛の毛布2枚で十分ぐっすり眠ることができました。夜中も猛烈な風が吹きすさび、ばたつくテントがうるさかったけど、ものともせず。

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ヨルダン4

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ピックアップが8:15。6時ごろから目が覚めてしまったので、また熱いお風呂でゆっくりする。朝食にいくと、珍しいローカルフードがさっそく目に付く。でもわたしは一人でゴハンを食べるのがとても苦手。。。落ち着かない気持ちでゴハンを食べていると、向かいにいたおじさんが「Chinese?」と声をかけてくる。いえいえ、Japaneseでございます。レバノンから商用できているらしい。今思えば、ここから小さな疑問が芽生えていた。Chinese。まぁ、海外ではよくあることなんだけど・・・。アフリカに多大なODAを供し、盛んに展開している中国の認識が高いのか、旅行者またはビジネスマンとしての日本人の露出が中国より少ないのか、いや、それはないだろうが・・・実はこれは帰ってからのStudyで明らかになるのである。

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ゴハンのあとラムジーと合流してチェックアウト。まずは市内のキング・フセイン・モスクへ。8:30のOpenまで10分ほど待って入場。黒い貸しチャドルですっぽり全身を覆う。サイズは多種。髪の毛を見せてはいけない。モスクへはもちろん脱靴。中は広大なカーペット敷きになっている。一枚モノだそうだ。どうやって作るんだろう。一人分の座る位置や頭をつける位置が模様で織り込まれている。3000人収容だそうだ。女性用のお祈り場所は別室になっていて3~400人座れそうな部屋。色合いやデザインが女性らしい。数人の人がいたので遠慮して隅っこに座っているとおばあさんがやってきて「どうしてこんな隅っこに座っているの?好きなように観ていいのよ」と。異教徒にも親切にしてくれて、コーランの勉強会をしているのよ、と教えてくれた。

ここをあとにして、次はダウンタウンへ。私が刺繍が好きだときいたラムジーは、手刺繍のアラブ服が欲しかったら見せてあげる、へんなところで買うとひどいのを買わされるからと、適当な店を見繕ってくれるのだが、どうも好きなものがない。4軒目でやっとこれなら、というのを見つけて、これまた絶対ほしかったベドウィンの赤+白ヘッドドレスを購入。これもひどいのは3回洗うと全部色がぬけるんだ、とのこと。白い房飾りがふんだんについていて、これはお買い物だった。

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その後ペトラを目指して車を飛ばす。夢のなかで茫洋としていたペトラ。いよいよです。やっと近づくとなにやら外が真っ白。ケムリ?なんだろう?と思って聞いたらなんと一面霧なんだそうな。標高1800mのペトラは2月までは降雪・凍結もあるらしい。確かにこの朝もひんやり寒くて、雪山用のヤッケを着てちょうどよかった。ガイドはベドウィンのジョセフ(商売名と思われる)。最初少し馬にのって(これは嫌でもついていた)シークの入り口からいよいよ歩く。シークとは切り立った岩山の間を縫うように続く隘路。これがために堅固な要塞的素養をもつペトラは古代ナバテア人による重要な商業拠点となり、盛んな都市であった。その後全く歴史から隠され、ひっそりとベドウィンたちが守ってきたという。驚異的な美しさと水準の高い文化を持ち、想像よりはるかに広大な面積をしめていた。シークの間から、ついにあのエル・ハズネが垣間見えた瞬間、嬉しくて胸がつまった。やっと会えた。これをずっと待っていた。それは想像を裏切らないものだった。

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砂漠の薔薇とたとえられるペトラの、その薔薇色の砂岩は、1色ではないのだ。何種類もの絶妙な色合いをじ交えている。自然の芸術のあまりの妙にため息ばかりで言葉もない。Lower Cityを抜けたレストランでジョセフとは別れ、そこからは一人で歩く。最奥のモナスタリ(エド・ディル)まで往復2時間という。レストランからエントランスに戻るまで1時間半。わたしには2時間半しか残されていなかった。ならばいけるところまで、いや、急げばよいのだ、と思い、ここぞとばかり日頃鍛えた足を駆使。1時間のところ25分でエド・ディル到着!やった。ついにきた・・・。ここまではどうしてもきたかった。

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エド・ディルは大きく堂々としていて、昔修道院として使われたことがあるそうだ。仲良くなったベドウィンが言うには、夕陽があたるとオレンジ色に輝いて、本当に美しいんだ、と。
彼はいう。星をみて、空をみて、月を見て、ここに暮らしていれば世界中の人と友達になれるんだよって。学校に行かなくても会社で給料貰わなくても、彼らは幸せなのだろう。

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帰りはレストランまで20分。そこから入り口まで35分。ジョセフのいう所要時間はよほどの年寄り向けだっただろうか?急いで損した・・・。でも急ぐ道すがら、ベドウィンの女の子と仲良くなり、二人でキャーキャーいいながら階段を走り降り、その間たくさんおしゃべりした。彼女エル・ガルネは、私にベドウィンの名前をくれた。エル・カイヤ。幸福を運ぶ人という意味だという。無事予定時間でレストランについたので、お土産用に持っていたちりめん細工の髪飾りをあげてさよならした。回転の速い利口な子だった。元気で大きくなって。

この後は入り口でラムジーと合流して、リクエストしたターキッシュ・バス(トルコ風お風呂)へ。要するにスチームバスで、最後に洗う&マッサージをしてもらう。

今宵の宿、ワディ・ラムのベドウィンキャンプに着いたのはもう9時も回っていた。ここからは次回にて。

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 インディ・ジョーンズが駆け抜けた小道      おうちに帰るラクダたち


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ヨルダン3

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まずはアンマン郊外の砂漠の中に残るサンド・カッスルへ。ひとつ目はアムラ城。何世紀もの間、さまざまな持ち主の手をわたり、砦としてはたまたキャラバンの停泊地として、風と日差しに耐えてここまで残っている。10人ほどのツーリストとすれ違い、入り口から300mほど歩くと、意外に小さなその城に着く。中に2人、人がいた。特になんのプロテクトもしていないような。目が慣れるまでしばらくかかり、やっとうっすら壁に残るフレスコ画がみえてくる。それもはがれはがれて、落書きに傷つけられ、なんだか打ち捨てられたようで、実はこの時点で世界遺産などとは知らず、ちょっとした古代の遺跡くらいに思っていた。だってあまりに適当な管理なんだもの。鳥は楽しげに出入りしながらウンチを垂らしているし。

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白い長衣を着た小柄な男性が歩み寄って話しかけてきた。どうやら番人のよう。やたら睫が長くて、紅い頬がかわいらしい。私が立ち止まってみていたのは、四隅にスチーム孔を備えたバスルーム。なんと豪華な。砂漠の中でスチームバス、ゆったりと寛ぐスペースもあり、なんて贅沢。循環の仕組みやお湯にする機構の説明をうける。また、この城ではさまざまな文化宗教が渾然一体となったフレスコ画が注目なんだとのこと。イスラム教の王族がこっそり快楽を楽しんでいたのだそうな。たしかにかなりエロティックな図柄もある。床のモザイクもかなり残っているようだけど、なにしろ明かりがなくてよく見えない。外には深い井戸も残っている。掘れば水もでたのですね。

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2つ目はハラナ城。アムラより大きい。真四角でいかにも砦っぽい。静まりかえる城に足を踏み入れる。今度こそ誰も居ない。人っ子一人。城も躯体が残っているだけで、中には何もない。絵もモザイクも彫刻も。たったひとつ、門の上部に少しだけ彫刻があった。まばゆい光とまっくらな陰。迷路のような通路を巡りながら、どんな人がどんな風俗で暮らしていたのかと思ってみる。帰り際、急にコッカスパニエルをつれた白人男性が現れた。どこにいたんだろう。強い風の中を車に戻り、またアンマン市内に戻る。

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腹ごしらえにテイクアウトのケバブを、ドライバーのラムジーが買ってくれる。焼きトマトがとってもおいしい。中に羊肉とトマト、チーズをあわせたものを挟んで焼いた、ピザのようなパンをいただく。臭みもなくておいしい。でもとても食べきれなくて、やっと半分。

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ダウンタウンを抜けて、次にいくのはローマ劇場。これはガイドにもいろんな記録にもでてくるよく見る遺跡。実際いってみると、この階段がものすごく高くて、私のヒザ上まであるので、昇るのが恐くて大変。しかも欠けていたり斜めになっていたり、山でいえば鎖場になりそうな。区割りを渡るときにも、危ういトラバースを強いられる。途中見下ろすのも結構な高度感だ。そうこうしてやっとてっぺんにたどり着く。はるか下の舞台の声もしっかり聞こえる。今でも現役で使われているのだそうだ。数人の人が、てっぺんに腰掛けて足をブラブラさせながら、日陰を楽しんでいる。私も真似して一人の、憧れていた世界の空気を味わう。さて、しかし、ラムジーから急ぐように言われている。ソロソロ戻ろう、と写真をとりながらおりていると、背後から声が近づく。良く聴くと「フォト!」といっているようだ。振り返ると長衣を着た少年がこぼれるような絵顔で追いかけてきた。「フォト!フォト!」。そうか、撮って欲しいのね。よーし。パチリ。

こんどはカメラをわたせという。撮ってあげるということらしい。え、ここで落とされたらえらいこっちゃよ、旅も始まったばかりなのに。だいじょぶ・・・?とはらはらしながら撮ってもらう。結構なれているらしく、ちょこまかと撮ってくれる。やがて上のほうにいた高校生くらいの男の子2人も呼んできて、一緒にとろうというので撮ってもらう。時間も押しているので、じゃあね!と歩き始めると、9歳のムスタファ君はしつこくついてくる。何か言いたいらしいんだけど、全然わからない・・・。ごめんね、途方にくれながら舞台まで降りると、ラムジーとお巡りさんが待っていて、なにやらいうと、ムスタファ君はちょっとがっかりした顔をしながら去っていった。

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その後5分で見てきて、といわれた併設の民俗学博物館をざっとみて(たしかにすぐ終わるくらい小さい)、アンマンの町を見下ろすアンマン城へ。ここも名高いスポットだ。ビザンチン、ローマ、ウマイヤ朝、各時代の遺跡がロマンを誘いながらに立っている。一人でぶらぶら、味わいながら歩くのはなんとも楽しく素敵な時間だった。そろそろ5時近い斜陽がうっすら霞む空気に色をつける。

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本日の予定はこれにて終了。市内のトレド・ホテルについて解散。まだ明るいので、露天市場に行こうとおもったけど、長旅(寝てない)の疲れと汚れのため、まずはお風呂。バスタブがあるのはいいけど、栓がこわれていたのでビニール袋をつかってなんとかお湯を溜める。20130314_jordan_053

その間、窓のしたの市場を眺めていると、埃っぽい夕方の光の中にアザーンの哀切を帯びたメロディが。ああ、ほんとに、イスラムの国にきたんだなぁと、しみじみ感無量。映画でしかみたことのない、雑踏とヘッドドレスと長衣との上をアザーンが流れていく。この瞬間、胸が切なくなるような気持ちがこみ上げてくる。憧れていた人にやっと会えたような。
中東のアザーンは、イスラム国の中でも凝っているのだそうだ。節回しも豊か、詠唱をする人もオーディションで選ばれる。モロッコあたりはもっとシンプルで抑揚もなく単調なのだそう。

準備のできたお風呂に1時間ものんびりはいって、ベッドにころがるといつの間にか眠りに落ちていた。目が覚めるとすでに9時。ディナータイムは終わってしまった。。。でも幸いお昼のケバブの残りがあった。これで十分ちょうどよい量だった。それからまたお風呂にはいって明日に備えることにした。明日は忙しいよ!

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ヨルダン2

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14日金曜日、急にバタバタと忙しくなった仕事をなんとか片付けて、かねて予約の東京駅6時発バスにのって成田へ。無事1時間ほどで到着。まずはエミレーツのカウンターに並んでチェックイン。荷物はビアンキのメッセンジャーバッグのほかは、大きめの頭陀袋ひとつなので持ち込み。7キロまで、といわれてギリギリではあった。なにしろ愛機CANON:EOS7Dが重い。搭乗まで1時間半ほど。どこかに落とした腕時計の代替を探したり、現地で何かの際に手渡せるよう、小さい日本風お土産など見繕って、余った時間はカード会社のラウンジへ。これがしょぼくてがっかり。一度乗ってみたかったからエミレーツで決めたけど、エミレーツはノンアライアンス。トルコ航空利用だったらANAのラウンジが使えたのになぁとちょっとがっかり。

9時ごろゲートへ行くと、すでにオープンしてる。早いなぁ!とびっくりしながら列の最後につく。ここからバスなんだけど、まぁ、どこへ行くのかと思うほど延々と走る。結局20分もかかってやっと搭乗機に到着。機材はA380。ドバイ乗り継ぎでアンマンまでの長旅なので、どちらもアイル席にしてもらった。ほぼ満席。モニターはタッチパネルだしオンデマンドの映画や音楽も超充実。数本映画を観る。Life of Pie,Anna Karenina,Revival of Gurdians.など。

約10時間でドバイ着。現地時間は早朝5時。乗り継ぎが約3時間あるので、とりあえず無駄に広い早朝の静かな空港をぶらぶら。運動のためにかなり歩きまくってゲートへ。アンマン行きの便も1時間前から搭乗開始。さすがにここからローカル色が濃い。チャドルの女性は別の列に一斉に並んでいる。お、わたしはこっちでいいのか。と男性の混じる列にいたので聞いてみたらば、OKという。旅行者ですからね、しょせん。

3時間のフライトでいよいよヨルダン入国です。そういえば特に入国カードもかかなかったなあ。降機直後、イミグレの前で出迎えてくれたのが現地係員のモアドさん。混んだ外国人の列からさっとばかりに「OFFICIAL」の列にねじ込んでくれたのであっという間に完了。何の質問も受けず、ビザも気がついたらパスポートに押してあったという次第。

ついにきたヨルダン。ぼんやりと、いつかいってみたいと夢見ていた中東に、今来てしまった。これまで、海外も少なくない回数行っているけれど、これはほんとに初めての世界だ。チャドル姿の女性もほうぼうで観ているけど、こんなに「だらけ」だとインパクト絶大です。自分がいかに異邦人であるか、ひしひしと感じる。

イミグレからすぐ外という簡単な構造の空港ビル。でてすぐに専属のドライバー兼エスコートと合流。空港の隣には。来年OPENという、新しい国際空港が近代的な外観を光らせていた。日差しはさほどでもなく、暑くもない。ドライバーさんはラムジーというおじさん。この人とこれから4日間、さしで過ごすことになるのだ。どんな旅がはじまるのか。ワクワクドキドキ。

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ドバイで早速迎えてくれたラクダ。  ヘナ屋さん。時間つぶしにいいのかも。
ぴんぼけ~。

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ドバイ空港は3つのビルに分かれてる。 アンマン空港のモアドさん。
南回り航路しかなかった32年前、     ほんの10分程のお付き合い。
トランジットで寄ったときとは隔世。     日本が大好きなんだそうです。

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ヨルダン1

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3月14日から19日まで、中東はヨルダンに行ってきました。

ある日の昼休み、春分の日の休みを利用すれば、少しまとまって旅行にいける、とふと思い立ったのが2月の最終週。さっそく旅行を検索してみたら、結構あるじゃないですか。

最初は去年の同じ時期、思い立ったけれどもあまりにギリギリでいけなかったサンクトペテルブルク。でも、これは一緒に行こうといている友人がいるので、一人でいくのは気が引ける。

他には?トルコ。なるほど、いいかも。でもこれも、ウズベキスタンあたりと絡めてもっともっと長い時間でゆっくり行きたい。

そして!退職に伴う休暇消化で遺跡めぐりをする会社の人と話したとき、自分が一番行きたい遺跡としてあげたペトラ。なんとここが5日からあるのを見つけました。

思ってもみなかった発見にやおら沸き立ち、中でも気に入ったプランのある旅行社にすぐ電話。ところが希望の15日夜から20日までのコースはすべて満席といいます。仕方なくエージェントを変えて問い合わせたところ、こちらもどのプランも満席でキャンセル待ちをいれるかどうか。みんな考えることは同じなのですね。

この気に入ったプランは、現地でドライバが一人つく完璧なプライベートです。つまり我儘がきくかもしれないということ。基本プランにはすでに、ペトラ、死海、アンマン、ワディ・ラムが入っています。ワディ・ラム=砂漠。コレは私にとって、ペトラと同様にもっとも行きたいところです。
一人ということからか、食事も全部ついています(ほんとはいらないのだけど)。迷いはありません。ということで、1日前倒しにしたところわずか残2席というので即決。キャリアは一度のってみたかったエミレーツだし、これは言うことなしのほぼ理想的なチョイスと思えます。唯一辛いのは、一人旅アップ料金。二人以上でいけば不要の55000円が必要となり、これが痛い。
とはいえ、いきなり決めたので持ち掛ける相手もチャンスもなく、それよりなにより一人で行きたかったから、まぁ、コレは仕方のないことと思わねばなりません。

ずっと行ってみたかったとても興味深い地域。でも、やはり情勢からみてしり込みしていました。できればバックパックが本望ですが、それは女性一人では厳しそう。かといってグループツアーは好みではない。いずれにしても実現はかなり不可能に近いのだろうと思っていました。

それがいきなりごく当然のなりゆきのごとく、なんの迷いも障害もなく、あっという間に決まり、あとはただワクワクと待つだけとなりました。こういうことになっていたのだと、しみじみ思わざるをません。
さっそく図書館にいって関連文献を借りてきたり、ないものはアマゾンで取り寄せたり、暇な時間は中東とアラブのスタディ。

とはいっても、あまり前調べをするのは好きではありません。基礎知識はあるべきですが、できる限りサラなところに新鮮な感動があると思うから。それでは十分味わえないという意見もあるかもしれませんが、私の場合、帰ってきてから反芻しつつ改めて勉強すると、感動がより深まる気がします。それに、ガイド本やサイトは、いいとこどりで強調するから、期待ばかりが膨らんで実際いってみるとがっかり、という話しもききますし、なにより人に踊らされるのは信条に反します。ということで、コレまでの人生の中で自然と積み重なってきた知識とイメージをベースに、限りにないワクワク感を胸に旅立つことになりました。


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民族博物館の古いモザイク         ローマ劇場からみるアンマン市街

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ペトラ最初にでてくるオベリスク       ペトラ最奥部のエド・ディル

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砂漠の民、ベドウィン。            死海に沈む夕日。対岸はイスラエル。
衣装は砂漠警備隊のもの。         

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ダイバー憧れの紅海。          死海に浮く人々。右端対岸奥にエルサレム。
対岸はシナイ半島エジプト。
水は冷たいけどこの下は極彩色の世界が。

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