CANBODIA

カンボジア(4)

129p3200149
滞在2日目は8時出発と言われていたのに、はっと気がついたらあなた、7:45じゃあないですか。それというのもとなりのお店での結婚式が大変な騒ぎで、朝は5時から大音響で目が覚め、もう寝られないとおもってたらいつのまにか二度寝していたらしい。

大急ぎで支度して8時に降りていくと、サンディがすでに待っていた。ご親切にも「朝ごはんたべていいよ」とのこと。大急ぎでサンドイッチを頼んで作ってもらい、15分で済ませる。

150p3200172  149p3200171

本日ベンメリアへ行くことになっている。何も調べていないので、そういうところに行くということしかわからない状態でトゥクトゥクに乗り込む。メイン通りにでて、ワットやトムとは反対方向へ進み始める。お正月を半月後に控えた町は、そろそろ恒例の電化製品割引セールの準備中らしい。

乾季の絶頂とあってなにしろ埃がすごい。サンディはおしゃれなバンダナでマスクをしているが、ここは花粉の最中に日本をでてきたわたくし。がっつり立派なマスクがあるのです。

そうして揺られること2時間。こんなに遠いとは思わなんだ・・・

117p3200134_2   118p3200136  

途中の農村風景が前にも書いたようにとてものどかで幸せそうで、国境からシェムリアップまでの間にみた悲惨なほど貧しい民家とくらべる雲泥の差だ。やはりヘタに資本主義にさらされるのがいけないのだろうか・・と考察する。

別途パーミッション5ドルを支払う。券売所からさらに5~6分、入り口到着。この遺跡は崩壊した状態が魅力といわれているとのこと。どのような状態でこの国の遺跡が発見されたか手に取るようにわかる。中には木道が組まれていて、そこ以外は歩けないようになっているので渋滞してしょうがない。ここでも思う。誰もいないところを一人で味わえたらどんなに素敵だろう・・・・

130p3200150  137p3200157

ラピュタのモデルになったということだがまさにあの雰囲気なのである。木漏れ日のなか、澄んだ鳥の声が美しく響く。「ヒタキの巣ね・・・」とつぶやきたくなるのだよ、ほんとに。

それより私にとって驚きは、ほんの5年前まで回りは地雷だらけで一般の観光客は近づけず、ボディガードをつけ、道なき道をいったという話のほうだだ。でも、知り合いが10年ほど前にバスツアーで行ったと言っていたのだけどな。

それにしても調べたらラピュタの公開が1986年(どうでもいいけどわたくしの成婚年でござる)。30年も前ってことはまだ内戦中じゃん!!!ほんとに宮崎駿が来たならすごいけど、怪しい話らしいな、これは。

126p3200146  123p3200143

ベンメリアという名前は、堀に咲いている蓮の花という意味と、紫檀の花という意味があるという。どういうことかよくわからないけど、ふむふむとうなづきつつ入場。さっそく正面は思い切り崩壊した石材の山だ。いずれ修復の予定はあるそうだが、これが5月になると苔が美しく輝くんだそうだ。それをみたかったなあ。

小1時間鑑賞して、入り口あたりの食堂でご飯をたべてから一路戻る。宿についたのは2時前。暑い盛りでどうにもならないし、iphoneがバッテリー切れしたので充電がてら1時間ほど庭先で涼む。予定ではオールドマーケットでもいけば、ってなことになっていたが、買い物も興味がないし、暑いし、今回洗面道具が不足でろくすっぽ顔を洗っていなかったので、ここはひとつ、エステにでもいってみよう、と出かける。あらかじめ目を付けていた店をたずねると、所持金不足、カードもつかえないというので別の店へぶらりと。

145p3200167  138p3200158

これが安い。ボディマッサージ60分5ドル、120分9ドル。フェイシャル1時間12ドル。ボディのオイルマッサージが120分で14ドル。まずはフェイシャル。これが丁寧でとってもよかった。あまりに気に入ったのでボディも、とおもい、せっかくなら日本では高くて近寄れないオイルにしよう!と決める。

怪しげな裏階段で、オーナーのおばあちゃんに連れられて上に上がると、淫靡なオーラを放つ個室が並ぶ。ん~~~あやしいぞ~~~ だいじょうぶかな~~~とやや不安になりつつ、言われるがままに部屋に通されると、そこには白人男性がすわっていた。

044p3190056  Img_0508

左:ガイドのサンディが建造に使う石の運び方を説明している。

右:アイフォンでとった夕日。コンデジよりはるかにきれいに撮れる。

終わったところですか?どうでした?ときくと、よかったですよ、との答えのあと、「ニホンジンデスカ」ときた。ぎょ。なんで日本語??とおもったらカーテンの影から日本人の女性が顔をのぞかせた。ご夫婦でご来店とのこと。なんでも地球の歩き方でもお勧めのお店らしい。ちょっと安心して待っているとお姉ちゃんがやってきて、ここからは至福の時間。

いやはや、ほんとうーーーーに素晴らしかった。忘れられなくてもう一度行きたいくらい。

終わった後は自分でも驚くほど滑らかな肌になれて超幸せ。これで1500円なんて安すぎる。素晴らしい。シェムリアップ万歳。と叫びつつ、夜になった町へでて、最後の夜を宿ですごす。

151p3210173  156p3210182

左:赤いのがカンボジア側のツーリストバス。これから乗る。行列は隣の店の結婚式がとうとう終わってどこかへ向かう人の行列。

右:4月が盛りのキングサリ(ゴールデンシャワー)

翌朝は7時半に声がかかって路線バスにのり、バンコクへ戻る。これがまた(1)に書いたように、すさまじいつめこみパックの過酷な運送辛かったけど、精一杯アピールしていっちょ前のバックパッカーとして無事旅を終えた。

タイ側のミニバスの順番待ちの時、明らかに私の後ろに並んでいた白人男が先に乗り込んで出発した。これはおかしい。順番に呼ぶからまて、というから待っていたのに。アピールしないと置いて行かれると思い、「今日夜の便にのって帰国しないといけないのだ。遅れるわけにはいかん。次の便にはのりたい」といってみた。麦わらの案内係のおっさんは、あっちこっちから文句をいわれて大忙しなので、ちゃんと聞いているとも思えないから、次にきたのにぐいっと乗り込んだ。

158p3210184  Img_0478

左:過酷なタイ側のミニバス    右:路傍でうっている蓮の実

すると、最後の休憩でガソリンをいれていた英語の話せないドライバーが「飛行機のるんだろう」的なことをいってくれて、気を聞かせて空港一つ手前の鉄道駅でおろしてくれた。それはいいんだが、バーツを持っていないので切符代の20バーツ(60円)が払えない。

キャッシングしたら500バーツ札しかでず、困っていたら、居合わせた女の子が20バーツ恵んでくれるという。ありがたく、申し訳ないので1枚持っていた5ドル札を渡した。遥かに高くついたけど。でもお姉ちゃんは情けはひとのためならずを実感したことだろう。

空港についたらまだチェックインになっていなくて少し待ったが、1日汗にまみれてあまりに自分が臭い。一刻も早くラウンジに行きたいのだが、前にならんだ韓国人のおじさんにつかまって、あと10分、あと5分とおしゃべりに付き合わされて困った。ラウンジでシャワーを使うのは初めてだけど、こんなにありがたいものとは知らなんだ。お腹もペコペコだったのでたらふくいただいて、出発までくつろぐ。

無事23時半の便でスワンプナートを発ち、翌朝6時半に羽田について、ご飯をたべてから8時から出勤して残業までしたのでした。さすがに疲れました。

| | コメント (0)

カンボジア(3)

006p3190010

翌朝5時はまっくら。さすがに涼しい。庭先のトゥクトゥクにのりこむと先に若者カップルが。日本人だ。アンコールワットまで20分ほど。まずは1日入場券を購入。すでに長蛇の列だから驚く。運転手のにいちゃんは、たくみに人をさけてひょいひょいと裏に回り、ジャスト開いたばかりの窓口に上手につれていってくれたので、全く待つことがなかった。えらいぞ。

そして、もう少し先へいくと、足元もわからない中、ここ、と降ろされる。全く下調べをしていないから、ワットがどんなものか全然わからないが、池にかかる橋の参道といい、正面のそれらしい建造物といい、これがそうなんだ。とおもう。

010p3190016  018p3190025

池のほとりの堤防に座って日の出を待つ。やがてうっすら紫色に東の空が明るんでくる。美しい。ふと気が付くと、到着したときには咲いていなかった水連が夜明けとともにポツポツと開いていた。30分ほど座っていたが、だんだん人が増えてしかもうるさくてとてもゆったりした気分に浸れないのでさっさと立つ。

025p3190033  026p3190035

トゥクトゥクもどこにとまっているのか、出発はどこに何時と約束もされないので念のため探しに戻る。ごちゃごちゃたくさん停まっているトゥクトゥクにはそれぞれドライバーが寝転んでいる。自分の車を見つけて確認してから、ぶらぶら写真をとったりして散歩。

040p3190052  038p3190048

ドライバーに何時にもどるのかときくと、時計の7を指す。まだまだ時間がある。もう明るくなったし、日の出終わったんじゃないの?と思うが英語が通じない。しょうがないので池までもどって、ネムの花など撮影していると、ふと、なんだか真っ赤なものが目の淵をかすめた。なんと。太陽がでてきたのだ。これが朝日だったのか。

032p3190041_2  037p3190046

実にすばらしい。びゅーりほ~。

そうして宿に帰って朝ごはんをいただく。これは正直しょぼい。あるだけまし、な程度。マネージャらしき男性が9時に出発するからというので、支度をしておりてみると本日のガイドさんがまっていた。サンディ、32歳。日本語はなかなか流暢だ。専属である。またアンコールワットへの道を辿り、さらに先、アンコール・トムを訪ねる。

015p3190022_2  038p3190048_2

ここもすでに大量の車と人。さすが世界いち知られている世界遺産ってことだ。まずは堀にかかる橋の手前から解説が始まる。勝利の門と死者の門、これからくぐるのは勝利の門。1400年に滅んで、400年間打ち捨てられていた遺跡。フランス人ムーアが世に知らしめたという。

 041p3190053 045p3190057_2

門をくぐってからまたトゥクトゥクに乗る。一度は電気自動車だけに規制したのだが、運転手が職を失うという問題があってトゥクトゥク再登場。でも数年後には自動車規制をする予定だそうな。この問題はありますな、どこの国でも。

バイヨンは、はまって読んでいたシグマシリーズの第1巻に登場する。イメージでは鬱蒼としたジャングルの蔦に絡まれ、薄暗く苔でぬめった感じだったのだけど、乾季の極みとあってか、カラカラ。クメールのほほえみ、少しガンダーラの影響もうかがわせる蔓草模様、アプサラ(天女)の豊かな曲線、これを一人きりで鑑賞できたらどんなに素敵だろうと思いながら、喧噪をまきちらすCの国やKの国の人々の間を縫う。

047p3190059  060p3190076

次は子供を隠した寺という名前のバプーオンへ。天空の橋といわれる高台の参道を渡って寺院へ。第三回廊まで急な階段を、渋滞を待って登る。汗だくになるが、眺めは素敵で風が心地よい。平安と同じ時期に建造されたこの都で、まったく違う民族の人たちがやはり王様だの貴族だのという階級を生み出して、戦争をしたりお祭りをしたりしていたんだなあと思う。

048p3190060 054p3190067

062p3190078_2 061p3190077

像のテラスやライ王のテラスを通って、またトゥクトゥクに乗って次はタブロームへ向かう。ここがアンジェリーナ・ジョリー主演のトゥーム・レイダーが撮影されたところだとかで、大人気。さすがにガジュマルの根が力強くヘビのようにはい回る様は、異様な生命力を感じさせてなにかぞっとする迫力があるものだった。

075p3190092 076p3190093_2

082p3190099 081p3190098_2

お昼ご飯は案内されてレストランへ。やや高め。終わって出ると、サンディとともにハンモックでしばしくつろぐ。いい感じでうとうとする。気持ちのいいことこの上なし。

で、アンコールワットへ。一番暑くなる時期の昼食後、客がまばらになっていいかんじ。さらに裏口から入ってくれて静かに鑑賞できる。周りに住んでいた村人の尽力で美しく状態もよく保存されたというワット。これも急な階段を上って(通常2時間まちとか)ひんやりした回廊に座って、ぼんやり風に吹かれる。最高に良い感じ。1000年の昔、衣をまとった僧たちが、静かに祈りの日々を過ごしていたのだろう。お参りに王や貴族がやってきたのだろう。

085p3190102  092p3190109

094p3190111  086p3190103_2

中央十字回廊は強力なパワースポットとかいっていたが、乾いた南国の空がまぶしかった。

103p3190120  107p3190124

102p3190119  097p3190114

099p3190116  108p3190125

最後には夕陽を見るというプログラム「があった。プノン・パケンという丘がスポットでそこにいくことになっているのだが、300人までという制限があって3時までには入らないとだめだとういう。なので、最も酷暑の2時には到着、2時半ごろてっぺんの遺跡に到着、触るとやけどしそうな石の建造物にわずかな日蔭を見つけて待つことにする。

日没は18時。まだ3時間半あるのにさ。水と本はもってるけどさ。これは辛いぞ。。。。昼寝でも、とおもうけれど、横になってもやけどするほど熱い。がまんしてナントカ居心地がよくなってきたところに、急に人がやってきてあっという間に囲まれる。Cの国の人は見ず知らずの人間に触ろうがなにしようが気にならないらしい。こちらはいと不快であるが、身動きもできない。そのままひたすら耐えて、なんとか17時半ごろ、みんなが待機を始めて動くまでまった。やっと少し傾いた夕陽をそろそろカメラに収めている人もでてきた。

112p3190129  114p3190131

私はトイレも行きたくなってしまい、朝日をみたから夕陽は実はどうでもよくなって、2,3枚写真をとってそそくさとおりた。サンディも18時にふもとに降りて来いというので。

無事合流してトイレをすませ、宿へ到着。食料を買いに町へでて、今宵はビールとバナナとかっぱえびせんですませることにする。シャワーを浴びて、全然効かないエアコンに扇風機をプラスして、ビールを飲んだらあっという間にまた眠ってしまった。

| | コメント (0)

カンボジア(2)

旅程をたどって記録してみよう。

成田18時半にでたANAはバンコクに定刻23:30到着。10年ぶりくらいのバンコクの空港はなにやらめちゃ綺麗になってびっくり。前に来たときはまだドンムアンだったから。地下の出口をでたら車が3重に縦列してておどろいたものだったが、今回はすっきりしたタクシー乗り場でシステマティックにタクシーを拾って、プリントアウトを示してカオサンの宿へ向かう。

001p3180001  002p3180002

左:早朝のカオサン         右:シェムリアップの宿

カオサンまで350Bくらいというので東京駅で500B用意しておいた。深夜ですいていたから30分ほどでカオサンについたのだが、宿がみつからない。こちらも地図ももっていないし、渋滞のカオサンを3回ほどぐるぐる回ってそれでもだめで、とうとう屋台のおばちゃんにきいて電話をしてもらっている。

わたしも電話は海外ではつかわないし、ドライバーもないらしい。ところが宿もなにしろバックパッカー用のカオサンの宿。電話がないらしい。するとおばちゃんがミニバイクで探してくるという。なんと親切な。10分ほどまつとおばちゃんが「あったよ!」とかえってくる。その間エンジンをかけたままのメーターはどんどんあがるので気が気でない。

なんども通ったところへもう一度行き、車幅ぎりぎりの通路をはいっていくと、ありました。

ちんけな宿。インド系の汗臭いおじさんがでてきて、一件落着。ドライバーは「特別料金だ」といって400B請求した。ついたときは270Bだったのだが。まあ、夜中に女一人、外国人を放り出せないと思ったらしくがんばってくれたからいいか。

宿のおじちゃんも前金バーツオンリーと譲らず、通りへいって両替してこいという。2時半になるのにカオサンは大騒ぎの喧騒。さすがバックパッカーの聖地。7-11で水を買いがてらATMで500Bキャッシングして宿にもどって、水しか出ないシャワーを浴び、虫のいそうなベッドに横になったのが3時過ぎ。

翌朝は6:45集合のところ15分も前から店の前で待機。敗れたシャツをきてうつろな目をしながらうろうろする白人男性が通りすがる。噂に聞く沈没族なのだろうか。

絶対遅れるな、というわりに誰も来なくて、間違えたかとヒヤヒヤし始めたころ、ぶらぶらおねえちゃんがきた。わたしのシャツにシールをペタンと貼り付けてついて来いという。

メインロードまで5分ほど移動してミニバスを待つ。来たと思ったらおねえちゃんさっさと乗り込んでいこうとする。おいおい、・・・!と窓をたたくと「あら、ごめん」だって。危うく置いて行かれるところだった。

途中もう1件ホテルで白人4人を拾って総勢8名+ドライバー。往路はまだよかった。2回10分のトイレ休憩をいれて国境の町ポイペットに着いたのが11:30。ここで係員が交代し、カンボジア側のエージェント登場。そのまま事務所につれていかれてビザ申請準備。わたしはエージェントに代行費を払っていたから全部おまかせ。ドイツ人カップルとリーズから来たおしゃべりおじさんは、高い高いと文句たらたら。

ガイドがやたらと両替を力説して、わたしはエージェントに絶対するなと言われていたから無視したが、やはり相当レートが悪く、みんなえらく怒っていた。さすが日本のエージェントはしっかりしている。ちなみに国境付近はすべて撮影禁止。

ここからツーリストバスもあるのだが、サワディーツアーはタクシー利用。これも、路地に連れ込まれて追加料金をとられるなど過去に被害があったそうな。念のため車とドライバーの写真をとる。また途中2回のトイレ休憩を挟んで、埃っぽい田舎道をひた走り、17:30やっとシェムリアップの宿に到着。汗まみれだ。やれやれ。国境のポイペットの町にはカジノなんかあったけど、なんだか擦れてあくどそうで、ゴミだらけで腐敗の饐えた臭いがしてたまらなかった。途中の店もあまりに貧しくて悲しくなる。

昼ごはんも抜き(途中のトイレ休憩で店はあったが、現金もないし面倒でパス)なので、すぐ町にでて食料調達に行く。が、テイクアウトの適当なものが見当たらず、なんとなくよさげなお店に入る。珍しく一人飯だが空腹には勝てないし、何しろ安い。1皿1ドルから高くて3ドル。ビールにいたってはハッピーアワーということもあって50セント、50円ちょっとだ。幸せ。傾く陽をあびながら初のカンボジア料理を食す。名物らしいココナツミルク入りの魚のスープと、マンゴーサラダ(タイのパパイヤサラダみたいなもの)とマンゴーの生ジュースを頼んでビールものんで7ドル。

おなか一杯で大満足してぶらぶらあるいていると、マッサージ店を発見。飛行機に続き1日狭い車にゆられたので腰が痛む。空いていそうなのでぶらっとはいってみたが、エアコンが作動するまで小1時間かかって汗だく。それでも60分6ドルだからね。信じられない。

あとは宿に帰って寝不足と疲れであっという間に眠ってしまった。

明日はオプションで朝日を見に行くことにした。5ドル。早起きだけど天気もよさそうなのでここはせっかくだからと。そういえばヨルダンのワディラムでも朝日みたなぁ。ラクダの背にのって砂漠の朝日。こんどはジャングルの遺跡に登る朝日となる。

| | コメント (0)

カンボジア(1)

032p3190041

3月17日夜6時半発、22日の早朝帰国でカンボジアはシェムリアップへいってきた。

今年は仕事の関係でどうも5月のGWは長期(といっても日本じゃせいぜい9日程度)の旅は無理そう。どうしよう、ああしよう、と思っていたら、3月末で失効する「スカイコイン」という、ANAの金券的なものがあるからあげようか、と夫が言う。はやくいえよ~~~。それ使ってベトナムいけばばっちりだったのにぃ。

とはいえ、せっかくのご厚意、無駄にするわけにはまいりません。

ということでどこに行こうか考えたのだが、条件がむずかしい。ANAの直行便、正規料金にのみ適用可なのである。正規料金で往復7万円って、ほとんどない。バンコクかシンガポールか香港かクアラルンプールか。どこも全然行きたいと思わない。少し自腹をたしても行きたいところに行くかというと、今度は日数が足りない。なにせ年度末。さすがに長く休むのは目立つ。う~~~む、とうなっていたところ、夫が良いものをみつけれくれた。

バンコクからツーリストバスで国境を越えてアンコールワットツアー2日間。どうだぁっ!

バックパッカーの聖地カオサン通りからミニバスに積み込まれ、延々まる1日かけてアンコールワットのある町、シェムリアップへ。エコノミーとデラックスの2種類あって、デラックスだとエアコン付の部屋に専用トゥクトゥクとガイドが付くという。これだ。お値段25000円。バックパックは学生時代の卒業旅行以来だ。ここんとこちょっと大人の旅が続いたいのでたまにはいいかと。春分の日の連休に1日休めば日程もちょうどいい。

てなことで行って参りました。

023p3190030 045p3190057

アンコールワット自体は、アンチメジャーとしてはちょっと馬鹿にしていて、人がわんさか押し寄せる大観光地だろうとタカをくくっていたけど、やはり一見の価値はありますね。たしかにすごい人で、世界各国からの環境客で遺跡内は渋滞するほど。とくにCのつく国の方々は、どこにいってもそうなんですけど、大変な騒ぎようでマナーも悪くて辟易しますね。ただし、ガイドに言わせるとたくさんお金を使ってくれるから歓迎なのだそうだが。

わたしはジャングルが嫌い。鬱蒼とした植物は恐ろしくて恐怖を感じる。だから山小屋のある佐久でも夏はあんまり行きたくない。めちゃ涼しいんだけど。その裏返しなのか砂漠がすきなんですね。無性に魅かれるし、荒涼とした土漠砂漠にいくと異常に郷愁を感じる。

064p3190081  150p3200172

アンコールワットもグジャグジャの蔓や樹木の根に支配された鬱蒼たる遺跡なんだろうとおもっていたのがだ、実際みてみるとこれが違うのだ。乾季のもっとも暑い時期というのもあったけれど、シェムリアップあたりは高い山や山脈はほとんどみあたらず、どこまでも平原で、まばらな林があるだけ。初めて見るラワンや紫檀、黒檀、さるすべりの巨木、点々とココヤシ。刈り取りのおわった3期作の田んぼはカラカラに乾いていた。

その田園風景がよくてよくて、なんだかしらないけどとってもよかった。旅サイトの知り合いやこの旅で話た日本人学生のバックパッカーも、ラオスがすごくよかったといっていたが、その理由ものどかで癒される田園というのよね。わかる気がする。貧しいんだけれど平和で充足しているような感じがして、幸せそうだった。

ちょうど一番暑い時期で農作業も閑期。結婚式のシーズンらしくあちこちで会場が設営されていた。3日間、大音量で鳴り物、飲み食いをして騒ぐのだそうだ。村中総出のお祭りらしい。泊まった宿の裏でもまさに3日間、朝は5時から夜は10時まで、大音量の歌や太鼓。これは参った。

062p3190078  155p3210181

カンボジアという国をいままでほとんど知らなかった。ポル・ポトとか、クメール・ルージュとか、なんとなく聞いたことがある程度だった。今回、成行きにちかい状態で訪ねた国だが、ちゃんと知ろうとして驚いた。なんという悲惨な歴史を生きてきたことか。いやはや、ISやボイコハラムが非道だとおもっていたけれど、クメール・ルージュに比べたらまだ知的だと思われる。ガイドは32歳の男性だったけれど、内戦で兄弟をなくしたという生々しい経験者で、多くを語ろうとしなかった。

宮崎駿がラピュタの構想を得たという、ペンメリアという遺跡も、ほんの5年前までは地雷だらけで普通には近づけず、ボディガードをつけて道なき道をわけていってのことだったという。

138p3200158  123p3200143

バックパック仕様はもう辛い年齢だというのをしみじみ感じた。宿はまだ広くてほとんど効かないけどクーラーらしきものもあった。シャワーもお湯がたっぷりでた。

でも。交通機関が厳しかった。カンボジア側34時間のツーリストバスは大きくてよかったのだけど、タイ側はやはり費用がかかるんだろう、そんな立派なバスではなくて、ハイエース程度のワンボックスになんと15人詰め込まれる。通路は天井までバックパッカーの巨大なザックで動けやしないし、エアコンも全くきかない。ひたすら4時間半動くこともままならず汗だくで、足元に水たまりができるほど。それぞれの国で途中10分ずつ2回のトイレ休憩があるだけ。きつかった。国境を超えるときも、イミグレの場所もバス乗り場もわからないのに全部一人でやらないといけない。しっかりアピールしないと置いて行かれるし、乗り過ごすし、損をしたり危なかったりする。

158p3210184

プチプチ深夜特急は、けれども、いまおもえばなかなか面白かった。若い頃にやりたかったなぁ。

| | コメント (2)

2016旅の予定

Img_0244
 

また新しい年が始まりました。

今年は年末25日からから遊びほうけていたので、掃除もしなければ正月料理も全くの無縁という、ここまで徹底したのは初めての年末年始となりました。
ま、そういうことも気分の問題ということも判明し、なにも生活に支障はなく、宿でいただく雑煮、人につくってもらうご飯はこたえられまへんなぁ。
初詣だけはいきまして、破魔矢とおみくじはいただいてきました。
 
初詣は旅先の山形は上杉神社へ。大変な人出でございました。おみくじは久々の大吉でしたが、年明け早々、いろいろとちょいとした躓きが続いていて、まだ実感はありませんな。それどころかなぜか低調な日々でウツウツと過ごす毎日。
 
東北スキー行脚は言われていた通り雪不足で、どこもほとんど滑れず、天元台1コースのみ、蔵王はてっぺん以外25mでコースオープン不可ということで選択外。夏油では土砂降りの雨に打たれて芯まで濡れそぼつという始末で、史上最悪のスキーとなりました。
そんななか、次の旅の計画でも練ることだけが唯一の楽しみとなり、あれこれ考えてみたのですが、今年はなにせ日巡りが悪い。おまけに春からしばらく、仕事が大変になりそうで、今年のGWの旅は見送らざるを得ない感じとなりました。
 
しかしながらいろいろと計画した結果、3月に3日ほどカンボジアと、11月にドイツへ行くことにしました。この時期のヨーロッパはベースのベース、最低料金でいけるのです。しかもクリスマスシーズンは始まっていて、オペラやコンサートも本格的に活動を始める、ヨーロッパの素顔が見られる時期。寒くて日が短い欠点を除けば。
きっかけはいろいろあって、まず3月に久しぶりに聖トーマス教会合唱団が来日すること。当然東京公演は2日とも席確保。前回のときは、人生初の出待ちまでして、カントールのビラーさんのサインをいただいたりしたのですが、今回ビラーさんは体調不良とかで、副カントールの方が代わりを務めるそうです。いずれにしても楽し実で仕方なく待ち遠しい。
 
そして最近みた映画「ブリッジ・オブ・スパイ」で、当時を思わせるチェックポイントチャーリー(ベルリンの国境検問所)の映像をみたことと、更に旅サイトで同じ企画を立てた人の記録をみつけたこと。これはもう神様のお導きです。
 
実は今を去ることちょうど33年前の3月。
卒業旅行でわたしが企てたのが、「バッハの足跡を訪ねる旅」だったのでした。
バッハのゆかりの街々、ライプツィヒ、ワイマール、アイゼナッハ、ケーテンなどは旧東ドイツ圏内にあるのです。
 
時は1982年。西ベルリンに入るにも、東ベルリンを通過しなければならず、いきなり車両に乗り込んでき銃をもった兵士に検問をされるという、人生初の経験をしてのこと。バックパックだったので当然、宿は夜行寝台車だったり、よくてユースホステルという旅です。      
 
ところが東ドイツに入るには、身分の保障およびちゃんとした宿に泊まるという、所在証明が必要でした。直前までいろいろやってみたのですが、貧乏学生にはなすすべもなく、チェックポイントチャーリーまでいって、有刺鉄線からまだ遠くに高く冷たくそびえる壁と、戦車と見張り台の銃をもった兵士と、「Achtung(注意)!」の落書きにおびえるだけでした。
それが7年後の1989年、あんなにもあっけなく崩壊するとは当時は想像もできませんでした。
 
その夢を、今なら果たせる。時間も身分も社会的にも経済的にも。今いかなければ。

| | コメント (0)