GERMANY

バッハ詣で 7 ミュンヘン お城

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明けてミュンヘン2日目。本日は1日バスツアーでホーエンシュバンガウ方面へいくことにした。下の息子が大学卒業旅行でいったのがロマンチ ック街道。野郎ばっかで。ろまんちっく。

当時笑ってしまったのだが、まあ、一度は見とくか、というのと、都市部ばかりでなくて田舎もみたかったから。南ドイツ、というより、ザルツブルグまで山一つというところだから、オーストリアアルプスも見たかった。

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朝7時に集合して総勢11名でミニバスに乗り込む。アウトバーンを走りながら、ドイツのあれこれをガイドさんから聞いてなかなか興味深い。ミュンヘンはBMWのおひざ元。巨大な本社があるところ。我が家の車もここからきたんだなあと思う。

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2時間ほどであっとうまにホーエンシュバンガウ到着。この日はやけに暖かくてなんと17度もあるという。バスを降りると生暖かい突風が吹き荒れて、あちこちでつむじ風が巻き起こっている。どうやら大気が不安定らしい。そもそも暖冬というか、とても暖かいらしく、紅葉もまだ残っているといる今年。噂のお城は黄色い紅葉を従えて岩山を背にすっくとたっていた。

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<正面入り口。時間入れ替え制につき、しばし待たされる。Cの国の人がいっぱいでうるさい>

なるほど~やはり絵になりますな~。2億6千万かけて作ったというこのお城、ここに作ったのはえらかった。しかし聞けば聞くほど、このルートヴィヒというやつはとことん、超のつくオタクだったようだ。頭おかしいだろ、と思うほど。18で王位をついだものの、あっというまに挫折。あとは自分の夢想にふける20年をすごし、最後はどうやら暗殺されたということだ。

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<ふもとの店やさんたち>   

このお城に関しての個人的感想は、遠くでみるのがよかろうということだった。
お昼ご飯をはさんで次は世界遺産という「ヴィース教会」へ向かう。この教会について詳しいことは知らないが、まあ、みんな行きたがる外せないところらしい

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<外見は質素なのになかはすさまじく装飾過多>

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<この木彫りのイエス像が奇跡をおこしたという逸話にもとづき世界遺産認定らしい>

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最後はリンダーホフ城。さらに田舎な感じの場所にこじんまり建つ、城というより館であった。これまたごてごてのバロック。

 

どういうわけかフランスのブルボン王家を大変崇拝していたルートヴィヒは、この城をブルボン家にささげたんだそうな。どういうことかよくわからない。庭はひとめでヴェルサイユのトリアノンを彷彿とさせる。中心には等身大のアントワネット像があり、ルートヴィヒは朝な夕なにその頬をなで、話しかけていたんだそうだ。いっちゃってますね。

外にでるころには夕やみ迫り、あとは一路ミュンヘンにもどるのであった。当初は0時発の列車にのり、フランクフルトに朝5時半着を予定していたんだけど、疲れてしまったのと、予定のDBラウンジが使えないことで夜の6時間を過ごす手段がきつくなったので、急遽また駅前の安宿をとった。

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最後の夜なので買い物でもしようと、マリエンプラッツあたりまでぶらぶら。レジデンツの一角で一足早いクリスマスマーケットが開いていて、人々でにぎわっていた。最後にちょっとだけヨーロッパの冬の素顔をちらりとみて、ホットワインをのんだり、好きなヴァイスブルストを食べてヴァイツェンビールを飲み、ジンジャーブレッドを買い、プラハで買い損ねたガーネットのかわりにスワロフスキーのアクセサリーなど買い、楽しく過ごした。
  
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翌日は9時の列車で一路フランクフルトへ。同じコンパートメントでお隣の席だったおばあさんとおしゃべりして楽しかった。

最後はトータル18時間のフライとで羽田にもどる。ドーハに23時半着だから、例のごとく超絶立派でゴージャスなラウンジで過ごそうとおもったら、なんとそのアルムンジャンは1年前からファーストクラスのみになったらしく、いくらサファイアステイタスを持っていてもダメ!といわれてしまう。サファイヤで入れるラウンジは改装中で狭くて狭くて、席すらなくて、あきらめてクワイエットルームに席をみつけて4時ごろまで眠る。明け方ご飯をたべがてらもう一度ラウンジにいくと空いていたので、ちょっと腹ごしらえなどして搭乗。


しかしほんと。久々のヨーロッパでしたけど、遠いですなー。
そして先進国は楽。ぼったくりとか押し売りとか気にする必要もなく、買い物はすべてカードで定価。物も宿も安心でベースクオリティが保障されていて、人々は余裕があって対応も丁寧だし仕事も遅くないし。ドイツの街はこれでもかというほど、一分の隙もないほど美しくて整っていて、素晴らしいと思う反面、こんなとこで暮らしていたら息がつまりそうだなーとも思った。だから彼らはアジアの混沌にあこがれるんだな。

そして、キチンとしてないと人じゃない、的な厳しい社会規範のなかではみ出した人たちがダークサイドを形作り、犯罪もおこればタチが悪いというわけだ。
やはり寛容が必要だよ、キリスト教は。
アジアはいいな。日本はいいな。とまた思う旅でした。

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バッハ詣で 6 ミュンヘン オペラ

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バイエルン国立劇場でオペラと決めたのはやっと旅程がフィックスしたあと。サイトをみるとすっかり席は売れて、160€か11€のどちらかしか残っていなかった。2万円と1500円。そりゃあなた。いわずもがな。それに山屋のばっちい格好をしているのだから、いい席などにはいけない。つまみ出されてしまう。これもまた一興と、安い席の引換券をもって意気揚々と劇場に乗り込んだ。

ところが。発券されたチケットをもって「ここ?どこ?」と何度聞いても「あ、これはもっと上よ」とあしらわれる。登って登って登って・・・ついにこれ以上階段のない6階でやっと到着。まさに天井桟敷ってやつですな。いや~初体験。

はいろうとすると金髪碧眼のドイツ青年にはっしと止められる。カバンと上着はあずけてこいと。うむ。。あと5分なのだがしょうがない。

クロークでカメラバッグと上着を預けてはいろうとすると、またむんずととめられ、全部あずけないとだめだという。だって、みんな身の回りのカバン一つは持って入ってる。わたしのメッセジャーバッグだって大きいけどパスポートから財布からなにもかも入ってる大切なもの。そんなものあずけられっか!。といってみたけど無駄。「大丈夫だからあずけてこい。でないとはいれないぞ」と。くっそ~~~。バッチイかっこの東洋人だから警戒されてるな~と思ったけどしょうがない。すごすごと引きさがりもう一回預けなおしてやっと着席。

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ところがさすが1500円。最上階最後列壁際。こんなんみえるわけない!オペラを耳だけなんてありえない!しかもわれらの最後列の前にはずらりと立ち見の人がたってて、座った席からみえるのはそれらドイツ人の背中の壁のみ。おおー。こりゃひどい。なんでみんな大人しく座って文句言わないのだ。こんなのありえないだろ、普通。

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とはいえ、当地の流儀がわからないし、とりあえず大人しく座ってみる。演奏がはじまり、立ち見のひとはそれなりに見えるらしく目を細めたり微笑んだりして楽しんでいる。くっそ~~~~

みえない・・・・。立ってるひとが動いた時に腰の隙間からちらっと舞台の左端がみえて、そこに歌手がくるときだけなんとか人が見える。こんな状態で2幕。疲れた。
やっぱり悪い席で聴くってストレスが多すぎる。悪い席でも入れるだけでいいとおもったけどそんなことないなーというのが実感でした。次はちゃんとした席で聴くぞと心に誓う。

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<左バイエル国立歌劇場。バスが何台ものりつけていた。右仕掛け時計で有名な市庁舎。>

そもそもわたしはオペラはそれほど好きでもないしたいして知らない。アリアだけ独立しては知っているし好きだけど、言葉がわからないから身振りがなければ音楽だけの鑑賞は半分となる。かといって日本人によるオペラは聴く気がしない。だからDVDなどでなくオペラの本番をみるのはウィーンについで2度目である。

ここで私は心に誓った。私は今後一切、オペラに関しては語るまい。

ついでに高らかに言おう。わたしはワーグナーは嫌いだ。ワグネリアンがなんだっていうんだ。高級ぶってクソ面白くもない。わたしはブラームス派なのだ。そしてバッハ派なのだ。バッハ万歳!

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バッハ詣で 5 ドレスデン~ミュンヘン

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旅の4日目。本日のメインイベントはドレスデンからミュンヘンまでの移動です。これは仕方ない。この距離本当は国内便で飛べばすぐなんだけれど。

チェックアウト後荷物を預かってもらって10:30の列車まで街を歩く。といってもドレスデンの見どころはほんのひと区画に集まっているので楽勝。

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とはいえ、あいにく本日は日曜日なので教会関連はミサのため一切入れない。そして博物館も冬なので10時からしか入れない。外から見るだけ。それでも朝の静かなドレスデンの街はとてもとても素敵だった。ちょうどミサの始まる鐘が町中に響く時は、旅中一番印象の深いものとなった。

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マイセン磁器でできた君主の行列。バイエルの歴代の君主がえがかえれた巨大な壁絵

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  <左フラウエン教会。右、たぶんワグナーのゆかりの建物。調べてもどうしてもわからない。フラウエン教会は世界一のジグソーパズルといわれて修復された。破壊直後、市民たちがいつか復興をと、破片に番号をつけて保管していたのだそうだ。創建当時はジルバーマンのオルガンがあってバッハ様が演奏会を催されたこともあるのです。人間の負と正の両極面を具現した歴史そのものの貴重な建物です>

ドレスデンは第二次世界大戦で徹底的に破壊された。ひどい空襲だったらしく、ネオナチをして「非人道的」と言わせるほどだったようだ。だから旧市街地がほんの少し残っているだけで、中心となるフラウエン教会 も近年やっと修復されたのだ。ここで演奏会をききたかったなあ。

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それよりなにより、一番聞きたかったのはここ。ゼンパーオーパーである。ヨーロッパいちの音響を誇るといわれるもっとも有名なオペラハウスだ。なんとも具合の悪いことに、ちょうど私が訪れているこの期間、ゼンパーオーパーのオケは日本にきていて、サントリーホールで演奏会を行うのだ。嗚呼。残念。

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ということで中もみたかったがガイドツアーの時間まではいられず、あきらめる。ツヴィンガー宮殿やレジデンツを回って、ブリュールのテラスから静かなエルベ川を眺めて。マイセン焼で作られた君主の行列は歴代のザクセン王達の騎馬像の肖像である。名高きアウグスト強王が、日本や中国の磁器をまねてつくらせたことに端を発する磁器の街マイセンがすぐ近くにある。日程に余裕があればなぁ。ほんとに残念。1ヶ月ぐらいぶらつきたかった。

ドレスデンにはもうひとつ思い入れがある。高校生のころ惑溺していた辻邦夫の作品。中でも人生で初といってもいいほどの文学から受けた大衝撃が「回廊にて」なのである。
画家を志すマーシャが子供時代を過ごしたドレスデンが、冒頭で描写される。

社会主義時代の、暗い、陰鬱な、泥と雪にまみれた貧しい生活。それが少女だった私の中に強烈に焼き付いていた。そのドレスデンを見てみたかった。
それだからだろう、わたしの目は我知らず社会主義の名残を探していたように思う。
バカバカしく広い道路、巨大なきっちり四角い建物に、わたしだけの興奮が忍び寄る。来られたことがしみじみ嬉しい。自分の血と肉になったドレスデンに、朗朗と教会の鐘の音がいつまでも響く。

クリスマスマーケットの準備がすすむ広場を通って、木の十字架教会を回って駅にもどる。この教会は聖歌隊で有名だけど、やはりミサで中にははいれない。

ここからはひたすらミュンヘンに向けて6時間の列車旅。

到着は4時半。すぐに駅前の宿に投宿して街歩きと、18時開始のミュンヘン州立劇場(バイエルン国立ともいう)でのフィガロに向けて出発!

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バッハ詣で 4 プラハ

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このプラハ中央駅が旅中いちばんの気がかりであった。なぜなら。

真夜中の到着であり、駅前のホテルを予約したものの、その間にある公園が不穏であるとの情報しきり。しかも5年ほど前、母親のカバン持ちでいったツアーにおいて、このプラハ駅ですられる寸前事件あり。幸いにもまわりで気が付いてスリは逃げたのだが。そんな記憶もあり、警戒マックスだったので事前にグーグルのストリートビューなどでさんざん調べたのだが、駅をでてホテルまでがどうしても確認できなかった。旅サイトでも質問したりしたのだがどうにも詳細がわからない・・・

最初、プラハ中央駅でなく一つ前の「プラハなんちゃら駅」で降りそうになって、ホームにいた人に聞いたら「中央駅はつぎだよ!」と言われて慌てて戻ったりというヒヤリハットがあったのだが、無事20分ほど定刻を遅れて到着。おそるおそる降りると、やはり雰囲気が。。。
なにやら大声でわめいている若者数名。はっしと鞄を抱えて足早に出口へ向かう。

でてみるといきなり幅10mほどの緑地の向こうに通りとホテルらしき建物群。

これか???あれ???グーグルマップと全然ちがう。これは出口まちがえた!!と焦って、インフォを探すも人がいなくて、しかたなく緑の窓口的なところでおばさんに聞いた。おばさん数名、ホテル名を口々に唱えながら協議の結果、こっちでいいという
んん~ほんとかな。

不安なので、もう一度出口にいた警備員風の男性にきいたら、さっとスマホで通りの名をしらべてくれて、間違いなく最初の出口でいいという。おっしゃ。なんか思ってたのと違うけど通り名はあってる。と、再度気合をいれて外にでると、ずらっと並んだタクシーもさほど不穏な雰囲気もなく、治安が悪いと噂の公園もするっと通り、ものの3分でホテル到着。なんだ~~~~。拍子抜けするほどだわ~~~。でもよかった。

てなことで無事投宿。さっとシャワーを浴びて明日に備える。

翌日はプラハの町歩き。母親のカバン持ちツアーの時はちょろっと見ただけで駆け足だったから、今日は1日ゆっくりある。半日はガイドツアーに参加することにした。と待ち合わせてみると参加者は私だけ。マンツーである。ぶらぶら好きに見るのもよいが、歴史的に重みの深い場所や建物はきちんと説明を聞いた方が理解が深まり、わざわざ訪ねた甲斐ががよりいっそうあるというものだ。と私は思っている。いつでもいけるならいいんですけどね。

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プラハ城。城といっても城壁に囲まれた町をなしている規模。冒頭の立像はカレル橋に立つ像の中で最も人気のヤン・ネポムツキー。プラハの守護聖人とされているのだが、逸話を聞くとなかなかうならされる。うまいこと聖人に祀り上げられて政治に利用されたというのが真相らしい。どうもねぇ。。聖人ってなんなのよと。聖遺物といって骨だのなんだの祀ってあってそれの多寡によってお参りしたときの免罪の年月が変わるという。聖人がなくなったときには争って体を切り刻んだなんてこともあるらしい。おぞましい発想ではないか。

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聖ヴィート教会。壮麗なゴシック。王家の教会としてはこの規模はすさまじい。さすが神聖ローマ帝国。

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聖ヴィート教会も内陣までいけたし、前回は素通りだった聖イジー教会も入れた。

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有名なミュシャのステンドグラスは右。

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ゴシックの特徴そのままの内陣。右は冒頭ネポムツキーの墓。純銀製バロック様式だそうだ。しかしほんとバロックってなんてごてごてしてるんだろう・・・おえ~ってなってしまう・・・。しかもえぐい。ここには映っていないが、亡くなったあと掘り返しても腐っていなかったという奇跡にまつわって舌のレリーフがでーんとくっついいている。グロテスクな趣味。

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左は数百年前のプラハの様子を浮き彫りにしたもの。今とほとんど変わっていないとのこと。なぜなら戦争でもすぐとなりのドレスデンは壊滅的かつ徹底的な空爆を受けたのに対し、プラハはほとんど無傷だったそうだ。右はオルガン。ちょうど練習にきたオルガニストがひき始めて、この壮麗な会堂にひびきわたるオルガンの音におなかの底から震えた。

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再度ネポムツキーの墓と右は宝物の詰まった貴重な部屋だそうでものすごい数の貴石で飾られているらしい。権力の象徴。

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上4枚は聖イジー教会。ヴィート教会と比べるとシンプルで好ましいと私は思う。重厚で質素で祈りのための空間という性質をまだ強く感じる。

ゴシックの聖ヴィート教会は壮麗だけど、ロマネスクのイジー教会の方がよほど好きだった。あいにくずっと雨で、写真を撮るのに不利なのと態勢が悪くてとても疲れたのだが、たっぷりプラハ城を味わうことができた。懐かしいカレル橋。滔滔と流れるブルタヴァには、ハクチョウが群れていた。

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右と下3枚は、プラハ城内で働いていた人たちが住んでいた長屋。今はお土産屋さんとして軒を並べている。母といったときは無料だったけど今回は有料になっていた。

下2枚はカフカが住んで作品を書いたという長屋。

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古くは神聖ローマ帝国の首都としてローマやコンスタンティノープルと並ぶ栄華を極め、さらには宗教問題やらなにやら歴史的事件も多く、一時は暗黒に時代を経たというプラハ。、さんざんハプスブルグに蹂躙されたあとは民族運動がわき上がり、スラブの誇りと民族愛に芸術も政治も熱中していく。さらにはナチスによる痛手のあと大戦後の社会主義をへて現在へと続く深く複雑な歴史をもつ重い街なのである。日本は平和だな~としみじみ。

やはりドイツに比べるとアジアの影響をみる。混沌が忍び寄る気配がある。建物も各時代のものがごちゃごちゃと混在しているし、人々の生活がにじんだ街はドイツよりがさつである。その分味わいも陰影もある。なんとはなく哀しみもたたえた街だなあとおもう。

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この旅で2回入ったレストランのうちの1つで食べた肉。肉、肉肉~~~~~
そしてイモ!食べきれるもんじゃない・・・右はショーウィンドウのお菓子。マシュマロみたいなものやらキャンディ風のやら、樽で売ってます。豪快だ。

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黒い聖母の家といわれるキュビズム建築。世界中でプラハだけにあるんだそうだ。プラハはミュシャでアールヌーボーの都として知られるが、ガイドさんはなぜかアールヌーボーけなしのやたらキュビズム推し。右はモーツァルトがドン・ジョバンニを自ら初演したエステート劇場。

プラハは特にそうだけど、ロシア周辺や東欧は人形劇のレベルがとても高い。プラハでも見ようかと思ったのだが、なぜか演目はドン・ジョバンニばかり。不思議に思っていたが、そういう誇りがあるんだとわかった。

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名物の天文時計。右は面白かったのでとってみたショーウィンドウのマネキン。シュール。

 

チェココルナが必要なので、朝駅で荷物を預ける為にも両替をしたら、めちゃくちゃ手数料をとられてがっくり。2万円日本円をだしたら16500円分しかかえってこなかった。
本当は夕方、教会でオルガンコンサートを聴くつもりだったのだが、ドレスデンに戻る列車が18:30を逃すと深夜しかない。どうしてもこれに乗りたい。18時に演奏会が終わってから中央駅まで30分では厳しい。しかもプラハからドイツ国境駅までは切符をかわないといけない。などなどあって、疲れもあって、腰が痛くて歩けないのもあって、演奏会は泣く泣くあきらめ。

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左はアールヌーボー建築の雄、市民会館。中にスメタナ・ホールという素晴らしいホールがあるという。ガイドツアーで入ろうかとおもったのだがめんどくさくなってやめました。

予定の列車まで駅で座ってすごし、何とかドレスデンにたどり着いたのが夜の9時でした。

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バッハ詣で 3 ライプツィヒ  

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また瀟洒な林を通って街へ下り、次の目的地ライプツィヒに向かう。アイゼナハからはICEで2時間半。予定より早めに行くことにしたので駅のDBオフィスで適当な電車を教えてもらうと、ちょうどその時刻発のが10分遅れているという。なんだかんだ話しているうちに2分経過、あと8分よ!といわれて走る。ま、走るほど広くない駅なんだけど。

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無事間に合い車上の人となるのだが、これが混んでる。ライプツィヒ、ドレスデンはドイツでも大きな都会なので乗降客が多いドル箱路線のようなのだ。2等も1等も満席。1駅分立っていた。次の駅ですかさず偵察すると無事席発見。これにてライプツィヒまで昼ごはんのサンドイッチを食べながら曇り空を眺めつつ揺られる。

そして停車時間を過ぎても、また止まらない。まだまだ止まらない。やっと止まったので即降りようとドアにいくと開かない。いつまでたっても開かない。おかしい。またゆるゆる動く。止まる。ゆるゆる・・・とまる・・ゆる・・・てなことで結局30分ほどかかってやっとライプツィヒに到着した。なんだか緊急点検かなにかで止まっていたようで、ドア前にいたおじさんに聞いてもなぜだかよくわからん、といっていた。こういうところドイツ人は鷹揚というかイラチンじゃないというか、ゆったり構えてるな。日本人だったらぎーぎーいいそう。

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ライプツィヒ中央駅。大きいな。右は目抜き通り。クリスマスマーケットは来週から。

    

無事降りたライプツィヒ駅はとても大きかった。ロッカーに荷物を預けて正面階段を下りる。天井が馬鹿に高い、ヨーロッパの駅だな~ってかんじの巨大な駅である。そしてとても賑やか。アイゼナハと比べたらものすごい活気である。上野駅くらいのにぎわいである。QBカットがあったりしてなんだか笑えた。しかしそんなことをしている場合ではない。18時の聖トーマス教会のモテット演奏会までしか時間がない。ただ今15時過ぎたところ。

急いで通りを渡って市街地へ向かう。グーグルマップってほんと便利。昔みたいにガイド本広げていかにも旅行者然としないので、安全面でも非常によろしい。
今回は1都市滞在ではない周遊なのでwifiルータを借りていったのが大活躍。
ウズべキスタンなどの辺境だとレンタル代もやたら高いんだけれど、さすが先進国は8日借りて7000円。今回はプラハでも地図が必要だったので2か国で申し込んだ。ドイツだけならたしか3000円代だったはず。

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棕櫚の葉のデザインが美しい。簡素ながらも重みのある大きな教会であった。   

まずはクリスマスマーケットの準備の進む大通りをとおってニコライ教会へ。この教会は壁の崩壊の立役者なのである。ここで自由化運動の若者たちが集会をしていて、ここから東西統一のその波が沸き起こったのだ。側廊には統一時の動きを追った生々しい写真が説明板とともに展示されていた。

思ったよりも大きな教会は街の本当に中心部にあった。静かな堂内は白基調だけれど、柱頭の柔らかな緑色のシュロの葉のデザインが天井井のアーチに広がってとても美しい。ごてごてしたバロックやロココが苦手なわたしには大変好ましくて素敵だった。オルガンも相当に大きい。しばし久しぶりのヨーロッパのキリスト教会を味わう。ここのところすっかりイスラム建築に傾倒していたので新鮮は新鮮だ。

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左北ヨーロッパ最古の大学ライプツイヒ大学。右がゲヴァントハウス。   

夕暮れの街を次はゲヴァントハウスとライプツィヒ大学へ。ドイツではハイデルベルク大学に次いで2番目に古い大学。森鴎外や朝永さんが留学し、ライプニッツやメビウス、なんとメルケルさんもここの出身だそうな。頭のいい人がたくさん集っているのね。そう思うと歩いている若者が神々しくみえるよ。

ゲヴァントハウスも演奏会のいいのがあったら、と日本でもリサーチしたのだが、ピンとくるものがなかったのと、どうしても日程上ライプツィヒ泊ができなかったのであきらめた。歴史あるゲヴァントハウスだが、今は近代的な建物になっている。歴代の常任指揮者の額がずらりと壁にかかっていた。

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ここに詣でることが夢であった。トーマス教会。感無量。

    

そこからいよいよUターンしてトーマス教会へ。アイゼナハと同様の古い静かな町を想像していたが全然ちがう。大きな都会であった。そしてトーマス教会も想像以上に大きくて立派だった。ここでバッハが働いていたのよね。人生でもっとも安定した時期を過ごし、創作活動も油ののった時期。初代カントールとして付属の学校に住み、精力的に生活もこなしていた恵まれた時期。マタイもここで生まれ初演された。1727年4月のことだった。わたしが人生初の出待ちをしたトマーナコアが、今この時間、ここで過ごしていると思うと胸ときめく。しかし大ショックなことに、あれだけ苦心惨憺して18時からの演奏会が聴けるように旅程を組んだにもかかわらず、今週はトマーナコアの演奏ではないという・・・。
嗚呼!なんてこと!残念無念・・・

しかもちょうど準備のためか教会は閉じられて、墓参りをしようと思っていたのができなかった。これまたなんたる不覚。

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音楽の教科書でおなじみのバッハ。右はやっと探し当てられたお墓に埋葬されていた副葬品。アンナ・マグダレーナの髪飾りなど

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バッハ家で使用されたことが確認できる唯一の家具とのこと。バッハの紋章がはいっている。右は遺骨から肉付けしたというバッハ像。ほんとにこんなお顔をなさっていたのである。

気を取り直して時間まで対面のバッハ博物館へと向かう。ここがまたものすごく充実していて、最新のタッチパネルオーディオガイドが無料で貸し出される。素晴らしい。盛りだくさんの内容を時間が足りなくて消化できないのがもどかしい。

一番貴重な展示物の部屋だけは逃せないと食い入るようにみる。有難い手書きのスコアの数々、お墓から掘り出された埋葬品など涙モノだ。ずっと居たい誘惑にかられながらも演奏会の時間がせまるので後ろ髪惹かれつつ出る。

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トーマス教会内部は質素かつ重厚だった。満席の聴衆は静かに演奏家を待つ。

 

すでに教会では入場者の列ができていた。2ユーロのチケットを入口で購入して席へ。なにやらわからぬまま、ほぼ満席の堂内で座って周りを見回す。

ここでバッハはオルガンを弾き、マタイもここで初演された。バッハが眠るこの教会にどれだけ来たかったことか。積年の望みがかなって本望だ。

中学に入る時、初めてピアノの先生についた。それまでは家でなんとなく母に教えられていたがやっと先生に付けてくれた。どうも実は父がうるさくて、家の外に出すなと言っていたらしいのだが。

最初に「作曲家は誰が好きですか」と聞かれて、一瞬の迷いもなく「バッハです」と答えた。当時はまだせいぜいメヌエット程度しか弾けなかったにもかかわらず、バッハの規律と宙に展開していく見事な音階の波と浮つかない確かさと真面目さと真摯さが大好きだった。今でもそれはかわらない。(だからモーツァルトは好きでない)

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席からだと半分しか撮れなかったが、バッハ当時の音色を再現したというオルガン。右は博物館の手書きスコア。

演奏会は案内の女性の静かな声で始まった。モテットと銘打った演奏会だが、礼拝形式のものらしく、途中でしばらくなにやら朗読があったり、いくつかのモテットは聴衆が唱和したり、異邦人には戸惑うものもあった。それにしても、演奏してくれた女性の4人組「Sjaella」が素晴らしく上手で1時間の演奏会は天にも昇るような心地であった。

というわけで心残りは、バッハの墓参りができなかったことだ。100年の間不明だったお墓が特定され、お骨が移葬されたのがこのトーマス教会。またいつか尋ねることにしよう。忙しかったこの旅では見逃したもの行きそびれたところがたくさんありすぎる・・・。メンデルスゾーンがゲヴァントハウスを率い、バッハの再発見と世の中へのリードをし、活動の拠点となった町。ワーグナーが生まれて、森鴎外や滝廉太郎が留学した町。シラーやゲーテが住み、そのほかシュトラウスやリストやシューマンが活躍した町。

このあとは明日プラハを歩く為、大急ぎで駅にむかって予約の列車に飛び乗り、夜中23時半にプラハ中央駅に到着する。

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バッハ詣で 2 アイゼナハ

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到着がすでに4時過ぎだったのでいそいでバッハハウスへ向かう。通りがかりに今宵の宿、HOTEL KAISEROHOHを確認し、カールスプラッツのルター像をみつけてちょっとのぞく。

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ルターの足元                バッハハウス近くの街並み

残念ながら修理中で、足元土台しかみえずその上にかぶさるようにプレハブな小屋がたっているみょうちきりんな風景。銅像は対して興味もないので行こうとすると、そこにいた子供連れのお父さんに呼び止められる。「小屋みないの?ベッドがあるよ。日本人の芸術家が作った銅像だよ」って。へ?なんだかわからないけど、せっかく教えてくれたのでお勧めに従ってみると、ドアを開けた先には3畳ほどのスペースに巨大なルター様がベッドの上に直立している。どうしてベッドなのか、どうしてもわからないセンスなのだが、そこにいた係らしき叔母様によると、高橋某という日本人の手になる像だそうな。エルサレムやらどこやらにも作品があるとのことだが、同胞として存じ上げないのは不覚であった。

そんなことをしている場合ではない。早くバッハ様に会いにいかなくては。

てくてく歩いて5分ほど、看板にしたがってすぐにたどり着いたバッハハウスはすでに窓に明かりがともっている。前の広場にはバッハ様。これは拝まねばならぬ。ちょうどライトアップが始まったところで画像的にはあまりうまくないが仕方がない。感激のうちにバッハハウスへ。

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受付のおばさま曰く、5時からミニコンサートが始まるわよと。時計をみるとあと5分。すわ。地以下のロッカーに荷物をおけと言われたので急いでしまって楽器室へ向かうがドアがあいていない。一緒になった男の子のいる家族連れと待っていると鍵をもった係の方が。

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この方が解説と演奏をしてくださるのであった。まずはバッハ時代の初期のオルガン。パイプオルガンの超ミニチュア版なのだがこれがたぐいまれなる音を生む。見かけはかわいいがパイプの威厳は損なわれず、素晴らしくも興味深い。次は当時携帯して使っていたクラヴィコード。わたしはこの音が一番すきだった。小さいけれど柔らかい音。素敵だった。

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それからワイマール宮殿で使われていたという立派な装飾をもつこれもミニチュアのオルガン。最初のオルガンよりもパイプも増えて荘厳偉大な音を出せる。

男の子がアシスタントとして、後ろにあるふいごを足で踏んで風を送る役目を仰せつかった。

次にシュピネット。こちらはハープシコード同様鳥の羽の軸で弦をひっかく構造になっていて、形も大きく装飾も美しい。最後にチェンバロ(ハープシコード)の演奏。こちらはおなじみ、オケにも入れる音量と多数のストップにより音色を変えることができる構造。

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以上で30分ほどでしたか。ドイツ人家族への説明のあと私のために英語で説明してくださいました。うれしい有難い経験でした。

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半円のガラスのユリ椅子の中でバッハの音楽がきける。右はバッハが作曲していたであろう当時の様子。

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バッハハウス内部。300年ちょっと前の暮らしの場。お母さんが9歳の時に亡くなり、後妻をもらったお父さんも10歳の時に亡くなる。その後ミュールハウゼンにいたお兄さんのもとに引き取られて独り立ちするまで勉学に励んだのだそうだ。このバッハハウスは、当初バッハが生まれ育った家として、バッハ協会が手を尽くして買い取ったのだが、実は本当に生まれ育った家は別の場所にあったことがのちの調査でわかった。その家は今では失われているので、バッハ信者としてはここが、亡くなったライプツィヒ・聖トーマス教会のお墓とともに聖地となるのである。右は手書きのスコア。ありがたや。

大満足で館内を見て、ゆりいすで音楽を聴いたあと、閉館時間ですよと追い立てられて18時に退出。夜の町をゆっくり歩きながらホテルへ。ご飯は途中のスーパーでパンや果物やソーセージとビールを買い込んで部屋にて。ソーセージをあっためてほしかったんだけど、旅の指さし会話帳で必死のコミュニケーションも通じず笑われてしまう。

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カイザーホフは4つ星、今回の旅で最上級。古い建物だけど内装は清潔で新しくこじんまりしてとても素敵。なぜか電話が通じなかったけどバスタブもあって大感激。興奮のうちにも疲れて眠ってしまいました。

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翌朝7時から静かで素敵なダイニングで朝ごはん。とてもスマートに整えられたブッフェは品揃え十分。おなか一杯いただいて、本日はワルトブルク城へ。ワーグナーがタンホイザーの着想を得た、またルターが籠って聖書のドイツ語訳を行ったお城です。中世からそのまま残った完璧に残っている城。バスで行こうとおもったらどうも表示の見方が違っていたようで結局もう1時間待つならと歩いていくことにした。これが素敵なお散歩。雲っていたけれど町はずれの林の道を丘まで登る道が素晴らしく美しかった。

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ちょうど城に到着したころから雨が降り始め、入館を待つまでの5分で暴風雨に変わってしまい驚く。1時半までまてば英語ガイドもあるんだけど時間がもったいないのでドイツ語でいいことにして中をみる(ガイドツアーでないと中に入れない)。英語の解説板や日本語のパンフでそれらしく想像しながら興味深い場内を見学。当時の面影を彷彿とさせるたたずまいをしみじみと味わう。ゆがんだ厚ガラスの外の雨の風景もまた風情あり。領主館の方の雰囲気も素朴で好きだった。

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城の主だったエリザベート妃の豪華絢爛モザイクの間。

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  ワルトブルグは世界遺産らしい。右がワーグナーがここで着想をえたタンホイザーそのもの、歌合戦の間にかかげられた合戦の模様を表したタペストリ。

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左、ルターが隠れて聖書をドイツ語に翻訳した部屋そのもの。右は祝宴の間。

 

ルードヴィヒがノイシュバンシュタイン築城時に真似したという祝宴の間では、なにやら演奏会の準備が行われいてた。ここで音楽をきいて、お隣のホテルで泊まれたらどんなにいいだろうなぁと思いながら、時間のない日本人旅行者は先を急ぐのであった。

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バッハ詣で 1 旅立ち

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やっと待ちに待ったその日がやって参りました。

あの日から正確には33年と8ヵ月。ブランデンブルグ門を過ぎて東西を分ける高い壁の前で、Achtung ! と緑色の文字で落書きが書きなぐられて鉄条網をかぶせられた壁の前で、その先をあきらめたあの日・・。
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退社後一旦家に帰ってシャワーを浴びて空港へ。羽田23:45発のカタール航空QR813に乗り込む。羽田から発つのは2回目。カタールはワンワールドなのでJALのさくらラウンジでの少し時間をつぶしながら夜の滑走路を眺める。これが好き。
 
カタールは1時間前から搭乗させる。そして定刻よりもできることなら早く発とうとする。そうしてもやっぱり定刻を少し回ってしまうのが常なのだが。
 
もうすでに眠くなる時間なので、この旅程では映画もごはんもほぼ無視。ドーハまで12時間ほど。朝6時過ぎに到着。往路の乗り継ぎは1時間半でちょうどいい塩梅。2月のイスタンブールの時以来だけど、ゲートまで短いトラムができていた。なかったと思うんだけど。
 
フランクフルトまで6時間半。遅れもなく無事定刻に到着。イミグレはガラガラであっさり通過。ここから始まるわたしの旅。まずはジャーマンパスのヴァリデイトをしてもらわないといけない。通りがかりのINFOで聞いたら、地下のDB(ドイツ国有鉄道)のオフィスに行けという。アイゼナハまでいくんだけど、といったら「Far!」といわれてしまう。Farかしら。。。
 
非常にビジネスライクでかちっとした男性職員によりヴァリデートしてもらってこれで7日間鉄道乗り放題。さっそく遠距離用ホームの4番線まで6,7分移動。中央駅まで行って乗り換ようと思っていたのだが、DBオフィスでついでに「アイゼナハまでの電車教えて」といったらプリントアウトしてくれた。これは旅サイトの先輩の教え。14:10のICE1631で乗り換えなしという。事前の調べではエアフルトでも乗り換えないといけないとおもっていたので喜ぶ。
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さっそくホームの降りてみたけどまだ30分もある。しかも4番線には13:46のICE1630の表示のみ。時刻表を見てみると1630なんてどこにも載ってない。おかしいぞ。ここでいいのかな。大丈夫かな。もしかして1630に乗ったら1本早くいけるんじゃないかな。。。と悩む悩む。
とうとうコンコースまで戻ってINFOでもう一回聞くと、1630はこれから到着する列車の表示で、それが到着後1631に変わるんだという。なるほど納得。でも、わざわざ到着する列車の時刻なんか出さなくてもよくない????だってフランクフルト空港駅は終点折り返しなんだから。
 
それでも不安で回りにいたおじさんに聞いてみたら英語しゃべれないって言われる。ドイツ人は世界中たいていどこでもドイツ語表示があるから英語をしゃべる必要がないのであまり通じないとはきいていたけど、それは田舎のことかと思っていたからちょっとびっくり。
が、2回目に聞いた人は訥々ながら話せて、これが1等でライプツィヒ行きだということを教えてくれた。
後でわかったけれど予約は取り消し不可払い戻し不可なので、予定が変わったら予約はそのまま表示されても乗ってこない人がちょいちょいいることになる。また、今表示がなくても、次の瞬間に予約が入ればそこにはいられなくなる。高度に発達したシステム社会なのでモバイルで直前予約もできるのだ。そんなことで不安ながら座った席は幸いにもアイゼナハまで追い立てられることなく座って行けた。
 
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   街中のクリスマスポスター     なにげない街角
 
車窓を流れる素晴らしく美しい牧草地、瀟洒な林、趣のある素敵な民家。古い石造りも新しいモダンな漆喰造りでも、どうしてなんだろう、と思うほど美しい佇まいで、どの家も汚れ一つなく整えられている。早くも久しぶりの先進国の清潔でレベルの高い美意識環境意識にやられてしまう。
 
出発と同じく到着も特にベルがなるわけでもなく、到着直前に放送はあるけれどドイツ語なんぞはわかりゃしない。ひたすら時刻表の到着時刻だけを頼りに、神経を集中する。
が。定刻になっても止まらない。5分たっても10分たっても止まる気配がない。おかしい。大丈夫か・・・どうなってるんだ・・・と焦っていると20分も遅れてやっと停車。ドイツって1秒たりとも遅れないというイメージを勝手に持っていたがとんでもなかったわけで、改めて我が国の列車の異常な正確さに思いをはせてしまう。
 
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そうして降り立ったアイゼナハの駅。ひなびた田舎の駅。ああ、ついにきてしまった。あんなに焦がれてきてみたかった、ドイツの片田舎。バッハ少年が生まれ育った町。10歳で両親を亡くすまでの短い間を過ごした町。330年前洗礼を受け、走り回ったりしていたであろうその場所だ。感慨ひとしおであった。

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ドイチュいってきます

33年前のリベンジ。バッハを訪ねる旅でございます。

待ち遠しかったわ~~~。

 

往年のごとくバックパッカーですが、カンボジアやネパールと比べると高度に発達したシステムが故になかなか予約なぞも難しくなった。しかも昔は宿替わりに駆使した夜行が激減している。どこの国も同じなのかしらねぇ^~。夜行の旅情がなくなるのは非常にさびしい。

 

とはいえ、トーマスクックやネット情報と首っ引きで旅程を組むのはかなりのパズルでありつつもとても楽しかった。これが旅行の半分といってもいい。

 

そして今夜からいよいよ実戦編。一人旅は良きも悪しきもいろんなハプニングがあって、だからこそ充実感達成感幸福感はこたえられない。

いってきますう~~。

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2016旅の予定

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また新しい年が始まりました。

今年は年末25日からから遊びほうけていたので、掃除もしなければ正月料理も全くの無縁という、ここまで徹底したのは初めての年末年始となりました。
ま、そういうことも気分の問題ということも判明し、なにも生活に支障はなく、宿でいただく雑煮、人につくってもらうご飯はこたえられまへんなぁ。
初詣だけはいきまして、破魔矢とおみくじはいただいてきました。
 
初詣は旅先の山形は上杉神社へ。大変な人出でございました。おみくじは久々の大吉でしたが、年明け早々、いろいろとちょいとした躓きが続いていて、まだ実感はありませんな。それどころかなぜか低調な日々でウツウツと過ごす毎日。
 
東北スキー行脚は言われていた通り雪不足で、どこもほとんど滑れず、天元台1コースのみ、蔵王はてっぺん以外25mでコースオープン不可ということで選択外。夏油では土砂降りの雨に打たれて芯まで濡れそぼつという始末で、史上最悪のスキーとなりました。
そんななか、次の旅の計画でも練ることだけが唯一の楽しみとなり、あれこれ考えてみたのですが、今年はなにせ日巡りが悪い。おまけに春からしばらく、仕事が大変になりそうで、今年のGWの旅は見送らざるを得ない感じとなりました。
 
しかしながらいろいろと計画した結果、3月に3日ほどカンボジアと、11月にドイツへ行くことにしました。この時期のヨーロッパはベースのベース、最低料金でいけるのです。しかもクリスマスシーズンは始まっていて、オペラやコンサートも本格的に活動を始める、ヨーロッパの素顔が見られる時期。寒くて日が短い欠点を除けば。
きっかけはいろいろあって、まず3月に久しぶりに聖トーマス教会合唱団が来日すること。当然東京公演は2日とも席確保。前回のときは、人生初の出待ちまでして、カントールのビラーさんのサインをいただいたりしたのですが、今回ビラーさんは体調不良とかで、副カントールの方が代わりを務めるそうです。いずれにしても楽し実で仕方なく待ち遠しい。
 
そして最近みた映画「ブリッジ・オブ・スパイ」で、当時を思わせるチェックポイントチャーリー(ベルリンの国境検問所)の映像をみたことと、更に旅サイトで同じ企画を立てた人の記録をみつけたこと。これはもう神様のお導きです。
 
実は今を去ることちょうど33年前の3月。
卒業旅行でわたしが企てたのが、「バッハの足跡を訪ねる旅」だったのでした。
バッハのゆかりの街々、ライプツィヒ、ワイマール、アイゼナッハ、ケーテンなどは旧東ドイツ圏内にあるのです。
 
時は1982年。西ベルリンに入るにも、東ベルリンを通過しなければならず、いきなり車両に乗り込んでき銃をもった兵士に検問をされるという、人生初の経験をしてのこと。バックパックだったので当然、宿は夜行寝台車だったり、よくてユースホステルという旅です。      
 
ところが東ドイツに入るには、身分の保障およびちゃんとした宿に泊まるという、所在証明が必要でした。直前までいろいろやってみたのですが、貧乏学生にはなすすべもなく、チェックポイントチャーリーまでいって、有刺鉄線からまだ遠くに高く冷たくそびえる壁と、戦車と見張り台の銃をもった兵士と、「Achtung(注意)!」の落書きにおびえるだけでした。
それが7年後の1989年、あんなにもあっけなく崩壊するとは当時は想像もできませんでした。
 
その夢を、今なら果たせる。時間も身分も社会的にも経済的にも。今いかなければ。

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