VIETNAM

ヴェトナムでバインミーを食す

近いとつい後回しになっていたが、しばらく前から行きたかったベトナムに行ってきた。

目的はただ一つ!バインミーなるものを食す!
旅サイトで交流させていただいているトラベラーさんの旅行記に再三登場する、バインミーという食べ物。それはありていに言えばフランスパンのサンドイッチ。
なんだ、とおっしゃるなかれ。類まれなるうまさだという。
ベトナムはご存知、ベトナム戦争で痛む前は、フランスの圧政による植民地支配を経てきた国である。きけば北から南まで日本以上に細長い国は、民族も多数あるのだそうだ。
訪れたのは旧サイゴン、南北統一後はホーチミンという。
私の年代としては、ホーチミンってぜんぜんピンとこない。
私の映画への惑溺の始まりは、プラトーンだった。それはサイゴンでなければならない。
とはいえ、そういうことはあまり考えるところではなく、とにかくバインミー。噂通り、いや噂以上にうまい!!パン好きにはたまらない!
じっとしているだけで全身じっとり汗にまみれてしまう湿気というのに、路上に転がしてあるフランスパンの、なぜにかくもパリパリの皮なのか。そしてもちもちの中身なのか。
驚きである。実は米粉がブレンドしてあるのが秘密なんだそうだが。
フランスの、と書いてつい圧政に話が及んだが、言いたいのは食文化においては良い影響があったのだということ。なにしろ食の東西の横綱ががっぷり四つを組む地域なのである。うまくないはずがない。そしてどれもこれも、期待以上のおいしさであったことを言っておこう。
あとは、ガイドが再三いうには、政府の腐敗、賄賂横行、汚職、高官だけが腹をこやして贅沢三昧、庶民は車も買えない暮しにあくせくしているのに、声を上げようものならすぐ捕まって投獄くらいならまだよし、へたすると抹殺である。その不満や不条理に対する怒りがヒタヒタと波打っていて、どうにも旅して気持ちのよい国ではなかった。
ということで、ホーチミンは1度で十分と思うのであった。
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バイク地獄。とまらない。本気で轢かれると思う。  右、パンや。うまそうでしょ
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ドリアン!ドリアン!どりあ~~ん! メコン川はドドメ色。
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夜市。エネルギーにあふれている。 おばちゃんが路上でうってるのはベトナムチェリー。
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これがベトナムチェリー、あんまりうまくない。上のほうは釈迦頭(カスタードアップル)これもあんまり好みじゃない。右のパックはドリアン。街中は高かったので、切り売り。幸せ。
写真右はカエル。大きさもあって食べごたえがあったが、八角が効きすぎて最後は飽きた。
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いよいよ旅の目的、バインミーです。このおばさんの屋台はいつも人だかり。
家族総出でおしごと。おじょうちゃんもがんばってます。この2日の旅で唯一笑顔が素敵だとおもった時。
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これでございます~。ペーストにたくさんの野菜、パクチー、から揚げの甘辛浸しやチャーシューぽいの、レバーペーストなど、数種の選べるお肉の具に特製のタレ。ぱりっさくっもちっっっ!うまい~~~~。大満足でした。

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念願のペルシア 7 ガムサール、カーシャーンからテヘラン

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イスファハンを堪能して、今日はペルセポリスと並ぶもう一つの目的、イランのバラ園を訪ねるのだ。わくわくするが、なかなか距離があるのでしばらくは移動となる。
ドライバーはイスファハンまでのザッレさんにかわって、ニヒルでダンディなゴレスタンさん。
ちなみにペルシャ語でゴレ(ゴッレ)は花、スタンは土地とか場所を表す。花園さんってところでしょうか。
302img_3100_3郊外へでると、そこはもう、なにもない。ただの荒野。どこまでもどこまでも、まっすぐな道路の両脇は荒野である。山とはいえない、丘程度のものが連なり荒涼としているが、なぜだかこんな光景はわたしの感情の奥深いところをくすぐる。
たまにでてくる緑の一画は個人所有で、これは国が「ただであげますから灌漑してくださいよ」ということらしい。だが、水や電気というインフラを整備して、農園にするにも資本が必要。一般市民ではなかなか無理なのだそうだ。廃墟となったキャラヴァンサライもいくつか通り過ぎる。
 
目の前の光景はそんなようすだが、遠くへ目をやれば雪を頂く山脈が連なっている。前にも書いたとおもうが、イランには最高峰ダマバンドのあるアルボルズ山脈がカスピ海沿い、国土西方から南へ向ってザグロス山脈が長く伸びている。
強い日差しを避ける為、車窓には日よけがつけてあるのだが、その隙間から山並みを眺めていたら、すっとゴレスタンさんが日よけをとってくれる。お。
 
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助手席にのっている阪野さんがまぶしそうに手をかざすと、今度はそちらにすっと日よけを取り付ける。
もちろん運転しながらである。おお。
1時間ほど走ったところでドライブインにはいる。ゴレスタンさんはピクニック派でないのか、まぁ、そもそも木陰のない地域ではあるが、備え付けの湯沸し器でお茶を作ってすっと差し出してくれる。おおお。
 
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このように、ニヒルでダンディなゴレスタンさんは、ほとんど声を発しないのだが、サービス精神旺盛でまるで騎士のようである。そんなことを阪野さんに言ったら、「そうなんですよ、イランでは男気というものがまだまだ大事にされているんですよ」とのこと。弱気を助け強きをくじく、とか、男は黙って○○、みたいな。いいねぇ。

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ここでまたイラン薀蓄。イランは鉄道が発達していない。交通はもっぱら短長距離バス、タクシーとなるようだ。そこでこのタクシー業者の権益保護がえらく厳しく、短距離と長距離(都市間)では営業許可が違うらしい。A町のタクシーはB町では営業できないし、長距離の都市間タクシーは、時間ごとにチェックポイントでチェックを受ける。これは、途中の町で勝手に営業しないために、時間管理しているのだそうだ。そういえばイスファハンでタクシーを拾った時。たまたま声をかけられたおじさんでなく、隣のに乗ろうとしたところ、声をかけたおじさんが憤慨して、こちらの運転手にいちゃもんをつけた。どうやら「俺が先につばつけたんだぞ、横取りすんな」ということらしい。結局、こちらの運転手が引き下がり、我らはおじさんに拾われることになったが、車中まくしたてることには、「最近よそ者が流れ込んできて商売するから、イスファハンの業者はえらく迷惑しとるんだ、なんであんたらは俺が声掛けたのにあっちにのろうとしたんだ」というような。そんなこと言われても・・と阪野さんが話したら、ちょっと落ち着いて「すまんかった」といったらしい。イランでも世知辛いものはあるんですな。てことは、あのザーヤンデ川のおばあさんも、もしやよそ者?
 
さて、途中目に入った面白いものをゴレスタンさんが珍しく解説してくれた。それもそのはず。世界で話題のイランの核施設が、普通に国道沿いに展開しているのであった。国内に二つあるというウラン濃縮施設のひとつ、ナタンツの施設である。道路に撮影禁止の看板が立つようになると、遠くに建物がみえてくる。近づくと点々と対空砲というのか、飛行機を狙うための戦車が配置され、兵士の隠れる小さな建物もたくさんある。
ものものしいとも言えるが、どちらかというとえらくオープンだな、とおもった。わたしはてっきり、荒野の山間の人里離れたところにあるんだとばかり。つい先日もアメリカの無人探査機が落ちてきたそうだ。
核もねぇ、持ってる国がなにいってもねぇ。あ、これ書きましたね。直近、なにやら合意が成立したそうで、経済制裁が落ち着くといいですね。というか、制裁という言葉自体、どうかと思う。
 
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そうこうするうちにやっと目的のガムサールに到着。ここはあまりガイドブックにはでてこないが、薔薇水をとる薔薇園があるところだ。ぜひに、とリクエストして旅程にいれたのだが、残念にも1週間はやかった。まだやっといくつか蕾がほころんだところであった。以前は100鉢のバラを育てたので、相当数の種類も見極められるようになったのだが、薔薇水をとる品種はイラン名「ゴッレムハンマディ」、日本で流通している「ロサダマスケナ」と思われる。
ガムサールは高地に位置する村で、つい1ヶ月くらい前まで雪があった冷涼な場所だそうだ。
 
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薔薇は乾燥冷涼な気候を好む。とあるお店で薔薇水をつくる蒸留窯をみせてもらう。もう1軒別のところでは実際に薔薇水を試飲させていただいた。
そうです。薔薇水って、アラビアあたりではお客をもてなすときに手を洗ってもらうのにつかったり、オードトワレのような使い方をするのだとおもっていたのだが、イランでは何よりも漢方というかハーブというか薬草というか、そういう観点でも代物なのだ。
だから飲む。これが苦い。一口含んでうぇっとなるくらい。とてもごくごく飲めるものではない。だが、イランの人はペットボトルで何本も買い物をしていた。
 
このように、イランでは薬膳的な考え方で食事をとらえる。このお店の女性のように、なんでも教えてくれる薬草ソムリエとでもいうべき人がいて、困っている症状を話すと適した処方をしてくれるのだそうだ。特に資格を持った人というわけではなく、長年の口伝とか代々伝わる製法などによるようだった。
 
そしてこの薔薇水。飲んだときは苦かったのだが、それから30分は自分の吐息はまるで麗人、楊貴妃もエキゾチックな匂いを発していたというが、エチケットとしても最高、自分でも胃のなかからさっぱりして清浄な気分で大変よろしかった。
 
そのあとゴレスタンさんが苦労してみつけれくれた薔薇園でほんの0.5分咲きくらいの薫り高き薔薇に触れてから次のカーシャーンに向かう。カーシャーンのほうが薔薇水では有名なのだが、こちらは販売店が充実している印象。
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 左:ぐずってビービー泣いていたのでカメラを向けたら瞬時にしてこのカメラ目線
 
お昼どきなので、古いキャラバンサライを改装したレストランにて、伝統料理の「ディズィ」を食す。
ここはゴレスタンさんの出番である。皮下脂肪が限りなくゼロに近そうな腕に壺を抱えて、まずはスープを全部べつに移す。くたくたに煮込まれた羊肉と豆とお野菜を、陶製のすりこぎでゴリゴリとつぶす。つぶす。またつぶす。そうしてぐちゃぐちゃになったものを薄くて硬めのナンにつけて食すのである、トマト味のスープは別途いただく。なんか、うーん。儀式ばってるけど、そこまでする意味がいまひとつわからないお料理であった。
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ところで、ゴレスタンさんの愛車もプジョーである。このお車、朝方乗った途端に思ったのだが、音響に手を入れている。流れる曲も都会的で洗練されていて、思わず聞き入ってしまうナンバーがおおい。ちなみにザッレさんの車ではラジオから流れる演歌チックなイラン歌謡というべきものであった。ゴレスタンさんの手元に目をやれば、SONYのロゴ。後ろをみるとリアテラスにスピーカーがのせてある。
ランチ時の会話の種に、「ゴレスタンさん、車の音響いじってると思います。いい音ですねって伝えてください。音楽もいいですねって。」と阪野さんに通訳してもらうと、ゴレスタンさん、何も言わずにかすかに頬を緩める。ニヒルな男は顔にださないのである。しかし、よほどうれしかったのか、ランチ後に乗り込んだら前にも増して大音量でノリノリな音楽を流してくれた。サービスてんこ盛りで恐縮です。
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向かったのはタバタバイーという、昔の貴族のお屋敷である。大きなお屋敷で、美しいステンドグラスが多用されたステキな館であった。ここで我らが阪野さんに感動の再会が訪れた。
ガイド学校時代のお友達がアメリカ人のお客をつれてガイド中、ばったり遭遇したのである。
二人は黄色い声をあげて抱き合い、しばし言葉が止まらない。わたしとアメリカ人老夫婦はまわりで微笑ましく見守るだけだった。お友達は阪野さんがあのすさまじい3・11の犠牲の関係者で、当日目の当たりにされた経緯や、イランでものすごくがんばっている日本人女性なのだということを、自分の客に誇らしげに紹介する。
 
別れた後、阪野さんが嬉しそうに、そして感慨深そうにおっしゃる。イラン人と同レベルで国家試験を受ける阪野さんのハンディを、もちろんご本人のすさまじい努力もあるが、そういう仲間が一生懸命に支え、助けてくれたのだそうだ。だからイランを離れられないんですよ、と。そんな素敵な人たちが住む国なんですね。
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さて、ゴレスタンさんに乗せられて次に向かうのは、フィーン庭園であった。ここはあまりマークしていなかった、というかどちらかというと興味レベルは低いほうだったのだが、行ってよかった。この国での水の貴重さ、水のもつ癒しの力、どれだけ人間が水を必要とするかを再認識させられるだけでなく、視覚的にもとても美しい。青みを帯びた澄んだ水が滾々とわいてチャポチャポと流れていく。これが一人きりで味わえたらなあと叶わぬ贅沢を思ってみたりする。
 
またここは、国民的人気のある昔の政治家アミール・キャビールが、時の為政者によって殺された場所でも有名らしい。現場の浴場には蝋人形でその場面が再現してあり、修学旅行と思しき子供たちがワイワイしていた。フィーン庭園は、世界遺産である「ペルシャ式庭園」の一つであるのだが、この最高峰がわたしの根源的憧れの的である、アルハンブラ宮殿建築群のフェネラリーフェ「アキセアの中庭」なのだということをこの度初めてしったのであった。好きなはずだよ。
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このあとカーシャーンの町で薔薇のエッセンス(香料)とオイルを購入。薔薇水を買うつもりだったが、脆弱な瓶やペットボトル入りなので、長い輸送には絶え得ないであろうといわれ断念。断腸の思いである。
カーシャーンからテヘランまではこの国唯一の自動車専用有料道路が走っている。とはいえ、イランでは高速でも一般道でも最高速度は120キロと決まっているので、何が違うのかな~と素人には思えてしまう。
とろとろ居眠りもするうち、都会の風景が近づいて、やがて混沌の市街に吸い込まれる。
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テヘラン。そこは交通においてカオス、阿鼻叫喚、フリースタイル、なんというのか、一切の交通ルールはなさげ、片側2車線の交差点にも信号がなく、車は阿吽の呼吸ですり抜け、突っ込み、流れていく。
それは誠に絶妙で巧みなのだが、ドライバーはどの人もカッと目を見開いている。そうでなければとてもこの交通地獄を生き延びられるはずがない。一瞬の油断も許されず、瞬時の判断が常にもとめられる。
わたしがいちいち、ヒィ!とかぎゃあ!とかうそ!とか言うたびに。ゴレスタンさんは「静かにしてな」とでもいいたげな苦笑を漏らす。規律正しい日本人である私には、それは無理というものでございます。。。
あまりに交通量が多すぎるので、テヘランではナンバーの末尾偶数奇数で、市内を走れる日を制限しているそうだ。けして道路が狭いわけではない。ところによっては片側3車線あるのだから。
そして若い人の死因の第一位は交通事故だそうだ。さもありなん。実際我々の車を左右から抜いたバイクが、目の前でがしゃん! ところが二人は、「あ」という様子を見せた後何事もなかったように走り去っていった。恐るべし、テヘラン。
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  ゴレスタン宮殿は鏡装飾で豪華絢爛。でもわたしは趣味じゃない。
 
翌日。実は阪野さんとはここでお別れとなる。10時にテヘランに到着する次のゲストをひろってシラーズに戻るためである。もともと最終日は英語ガイドで、という話だったのでそれはよいのだが、わざわざ探してくれたテヘラン在住という日本人女性のガイドさんが、急遽でられません、とのことでキャンセル。
こまった阪野さん、お知り合いでもあるホテルのオーナー、イスマイリさんに英語でのガイドを頼んでくださった。
 
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  タイル絵には偶像、しかも裸体。しかも天使?不可解だ。
 
というわけでイスマイル氏に連れられて、まずはバザール。食べてみたかったサフランアイスを御馳走になる。そのあとゴレスタン宮殿へいって、絵などながめ、国立博物館へいって優秀な石器やペルセポリスから運んだ本物のレリーフなどに感心する。
そのあとは北部の避暑地、ダルバンド地区へ向かい、すずしい川床のお座敷でランチ、公園内の最後の王室の離宮など観覧してホテル帰着。最後の夜は一人さびしく部屋でピザなどいただいて、旅の締めくくりとなった。
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バザールのドライフルーツと水タバコで寛ぐ女子高生。ふつうのことらしい。
 
思うに、テヘランは割愛でよかった。観覧したところはどこもまぁ、そこそこという程度の興味しかひかなかった。やはり歴史や自然のエネルギーがないと、いまひとつ盛り上がれない。バザールも初めてではないので一人でぶらぶらした方がより面白かったろうと思った。
イスマイリさんの英語はとても癖があってなかなか疲れたし、実はアーブギーネのガラス博物館をリクエストしていたのだが、気が付いたときにはすでに時遅し、訪ねることができなかったのが心残りであった。
まあ、まだ何回も行きたいので、次の機会に譲るとしよう。そういことに神様がしてくださったのだと思う。
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北部避暑地のダルバンド地区。お洒落なディスプレイはドライフルーツ
こうして、念願のイランの旅が終わった。お金はかかったけど、やっぱり決心してよかった。一生の思い出になる深い旅だった。

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念願のペルシア 6 イスファハン

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簡単な朝ごはんをいただいていると、阪野さんも現れたので一緒に。そこへ男性も合流。なんでも前の部屋からちょうどでてきたから「おはようございます」と挨拶したところ、聞けば同業のガイドさんとのこと。そこから情報交換が始まったようで、ペルシャ語が飛び交う中、わたしにもわかるように英語にしてくれたり日本語も混じったりで、忙しくも会話が弾む。
そこでわかった驚きの事実は、「昨日からペルセポリスを含むシラーズ周辺の観光ポイントはすべてクローズ」。ぎゃー!そんなタイミングに会わなくてほんとによかったー!阪野さんによると、こういうことはちょいちょいあるそうで、ホントに困るのよね、ガイド泣かせでと嘆きまくりです。そりゃそうですよ、旅行者泣かせでもありますよ。楽しみにして、お金と時間と気合を注入してやっとたどりついたら「本日休業」なんて、死んでも死にきれません。
彼は東洋人のおばあさん(台湾か香港かという感じ)のガイドで、北西部のザンジャンという街(ソルターニィエという遺跡がある)やアサシン教団で知られるアラムート城へ行ってきた話、山も登るらしく、登山のガイド時の話もiphoneの写真を交えながらたくさん紹介してくれた。
どれもこれも魅力的で心魅かれまくる。イランは本当に広くて見どころもたくさんで、2回や3回では見切れないとことがよくわかった。
フリーで回れると思ったが、やはり国のことを良く知る人の話を聞きながらの方が、うんと味わいが増し勉強になると思った。ただ雰囲気を味わうだけなら一人でもいいんだが、この国は知識を得てナンボという面白さに満ちていると思う。
 
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さて、イスファハンの街へ繰り出す。まず向かうのがイマーム広場。明るい陽射しの中でみると、思ったよりも距離感が小さい。ゆっくり歩いてアーリー・ガープー宮殿に入る。ここは音楽室を見たかった。壺の形にくりぬかれた穴が音響のためとされている。フラッシュ禁止で薄暗い為、写真はうまく撮れなかったが、ちょうど居合わせたドイツ人団体客の一人が、アイフォンで古楽を慣らしてくれた。その場にいた人全員、しばし古の時間へと旅する。欧米人の団体客が多く、かなりのご高齢でありながら急な階段を上り下りするお達者な方が多かったのには感心した。
 
イマーム広場全体を見渡すテラスには王様がたっただろう。今では水はないが、ちいさな池もしつらえてあった。豪華な織物や宝石、歌や踊りや香りに包まれていたのだろうけれど、現在は工事中の足場がたくさんかかっていて景観を損ねていたのが残念だった。
 
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次にマスジェデ・イマーム(イマームモスク)へむかう。イワーンから斜め45度に建設されたドームが絶妙な効果を生み出しているとのこと。これは実はメッカの方向をむかなければならない関係上の工夫だそうだ。地短い通路をでるとそこには大きな中庭があり、ドームへはさらにもう一歩必要である、どこもそうなのだが、イワーンはそれぞれ独特なデザインと工夫がしてあり、どれもを見ても素晴らしい。イワーンはペルシャの発明なのである。さらにそこには絢爛華麗なムカルナス(鍾乳飾り)が施される。これも美を追求するペルシャの発明なのだ。まだトルコのイスラム建築を見ぬ段階ではあるが、やはりペルシアの建築の美しさは、単に豪華なだけでなく、神に近づく精神の高揚感愉悦感をいや増しに増す、極上の美の昇華なのだと思う。
 
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少し勉強したところによると、建築学者神谷氏による分類では、モスクの典型は大きく4つ。モスクの基本形であるアラビア式は祈り主体の簡素なもので見た目の工夫もほとんどなく、壁のうちに中庭を持つもの。そこから派生したペルシャ型はミフラーブの明り取りである小ドームを大きくして強調し大き目の空間ができた。それが発展して、対面と、両脇の回廊にもつくられるようになったのがペルシャ式4イワーン中庭型だそうだ。トルコ式はその空間を巨大なひとつのドームの下にもってきたもの、なぜならペルシャに比べて寒く、露天はつらいからだそうだ。最後のインド式は中庭を持たず、前面にむかってのみ展開する形。これは外にアピールしたいインド人の特性からくるらしい。
詳しくはこちら
 
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         先ほどの中学生の男子もやってきて、お坊さんと交流していた。
 
マスジェデ・イマームに戻ると、残念ながら数日後に迫ったイスファハンのなにかの催しのため、中庭には日よけが一面に設置され、空も見えず本来の美しさを堪能できなかった。側廊から礼拝堂にはいると、たくさんの観光客のなかに中学生くらいの男の子の集団がいて、先生のお話を聞いていた。修学旅行かなと思いながら、すばらしい緑と黄色をちりばめた柚彩タイルに埋め尽くされたドームに感嘆していると、男の子たちが謳い始めた。阪野さんに尋ねると、これは学校で教えられる「私たちはこのように信仰を守ります」と唱える唱らしく、真剣で純粋な男の子たちのまなざしに圧倒され、涙がでてしまった。信じることは力である。それが宗教だろうが個人の信条だろうが、信じることで人は力を得る。だからこそ正しさとは何かを深く考えなければならない。
そしてこんな純粋な目を、日本の同年の少年たちは持っているだろうか?と思う。これほどでないことは間違いない。
日本は恵まれすぎているが、世界の貧しい国で、幼いころから人を信じられない環境で育つ子供は、希望を持てない環境で育つのと同様、もっとも悲惨で憐れである。悲しむべきことが世界にはたくさんある。神様は何をしていらっしゃるのか。
 
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ドームをでて右方向へいくと、そこにはマドラセがあり、現役のお坊さんが逍遥していた。学問の合間の気分転換なのか、穏やかにキャンディを差し出しながら話しかけてくれた。どのくらいの期間ここで学問を修めるのですか、ときくと、最低でも10年、長ければは30年以上とのことだった。それだけの精神力と集中力を生み出す信仰の力はやはりすごい。
 
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静かな気持ちでイマームモスクをでて、次に向かったのがシャイフ・ロトフォッラーである。こちらのドーム天井の模様はイスファハンの人の誇りのようだ。それもそのはず。イマームモスクよりもさらに感動的な美しさなのであった。その理由は、ドーム頂上にあいた空間から差し込む光と、精緻で完璧なバランスを生み出すクジャクの羽根模様である。
蒼い空間にシャラシャラと音を立てるように細い光が降り注ぐ。ドーム基部にぐるりと設けられた窓からも天国を思わせる光が入る。その分量は、ドーム内の幽玄と神秘を損なうことなく、多からず少なからず絶妙である。繊細でこまやかな美であった。うろうろするのもはばかられるほど圧倒的な美の下で、東洋の異教徒は息を飲みながら動けずにいた。
 
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左:シャイフ・ロト・フォッラー、右:ぼけたけどマスジェデ・イマーム。色調の違いがよくわかる
 
イランいち美しいといわれるこのモスクは、建築家には垂涎の建造物のようで、なぜならその入り方が奇特だからである。最初イマームモスク同様、45度の角度で折れた屋根付きの薄暗い通路が90度、さらに90度と二度折れたのちにわっとドームの空間に飛び出す。陳腐な言い方をすると、昨今のアミューズメントパークを思わせるような期待の後に意表を突くような創作がなされているのである。素人にもわかる秀逸さである。
 
このモスクつくられた目的は、レバノンの高名な聖職者であり哲学者であった、シャイフ・ロトフォッラーを迎るためである。アッバース1世が、このマスジェデを捧げるからどうか来てくれということで建造されたそうだ。そうまでして乞われるとは学者冥利につきるというものだ。私的な建物により、イワーンも中庭もない。
 
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一人で美に陶酔しているところへ、静寂を破る女性の声が。なんでもイスファハンラジオ局のレポーターなのだが、明後日から開催されるイスファハンの大きな催しのため、外国人観光客にインタビューをしているから受けてもらえないだろうか、とのことだった。光栄なのでわたしでよければとお答えする。メインインタビュアーらしき男性の意図を、つっかえつっかえ、若い女性が英語にしてくれる。まずはどうしてイスファハンにきたのですか?と。単刀直入というかシンプルというか・・。何とも答えにくいが、「ペルシャという国の栄光に憧れ、興味のあるイスラム建築の中でも華といわれるイランのモスクをみたくて、さらに世界の半分とたたえられた栄光の古都をこの目で見たくて」と答える。
その後もいろいろな質問に答えていると、不思議そうな顔で阪野さんがそっと近づいてくる。なにやってるんだろう、と思ったらしい。そして、見かねてペルシャ語で仲介を申し出てくれてからは、ラジオの人もほっと一安心、スムーズに楽しくお話がすすんだ。
途中、阪野さんの興がのってくると、インタビュアにむかって日本語で普通に話していて、みんなきょとんとする場面もあり、大笑いであった。
最後、名刺を交換してからお別れする。こんな出会いが楽しい。
 
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  マスジェデ・ジャーメ。こちらはイワーンもそっけないほどに見えてしまう。
 
イマーム広場を堪能して、次に向かうのはマスジェデ・ジャーメ。金曜モスクである。ここは古い時代のゾロアスター教寺院の上に建てられ、火災などを経てどんどん増設されて拡張されていった。その拡がり具合はなかなか無造作で面白い。イマーム広場のモスクとちがい、こちらは敢えてレンガのみ。柚彩タイルのない、土色一色である。地味だけれど力強さはある。柱も重みに耐えかねてずれていたり、古さ加減が新鮮でワクワクする。迷路のようなアーチの森を進んで到達したミフラーブには、漆喰彫の美しいミンバルが置いてあった。これは時の王(モンゴル系)がイスラムに帰依し、その信仰の篤さを示す為のものである。その純粋で真摯なひたすらな想いが伝わってくるようで、一番心に残るものであった。
 
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異様なほど荒れた感じのミフラーブと、漆喰に彫られた装飾。素朴だけれど暖かい。
続く間には、イランの建築に特徴的なバードギールがあった。これは風を取り入れて天然のクーラーにする工夫である。ひんやりして気持ちがいい。ヤズドにあるものが有名だが、わたしは行かなかった。ま、どこでみても大差はなかろうと思われる。ついでながら、ヤズドで観光客が立ち寄るのは、他に鳩の塔などがあるが、これもいかなかった。ほんとはチャクチャクに立ち寄ってみたかった。ゾロアスター教の聖地、イスラムでいえばメッカにあたる。すごい荒野のようで、心惹かれたのだがまたいつか。
 
お昼はイマーム広場前の大通りのお店で。キャバブとにんにく入りヨーグルトを食す。これはなかなか斬新であった。いちど部屋にもどって休んでから、午後の部はまずハージュ橋へ。またもラッキーですね、といわれたのが、この橋のかかるイスファハンの大きな川、ザーヤンデ川に現在たっぷり水が流れているからである。間もなく上流のダムで止められて農業の灌漑用水にまわされるのだそうだ。深さは膝くらいまでというけれど、幅の広いゆったりした美しい川を早い流れが踊る様は見ていても心躍るようで、たくさんの人を引き付けていた。ハージュ橋は唯一、タイル装飾を持つ橋なのだそうだ。これは建築学的に見てもめぼしい研究対象のようである。
橋の基部もそのまま向こう岸まで続いていて、正式な通路と別に歩いて渡れるようになっていたが、そこにはたくさんの人が憩っていた。
 
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次はスィー・オ・セ橋へ向かう。途中、街中を散策しながらである。イスファハンは、テヘラン、マシュハドに次ぐ都会なので、通りに並ぶ店舗も多く見ごたえがある。品物は質もよさそうだし見た目にも大変おしゃれで洗練されている。面白いのは、ある種の商品を売る店は固まって存在することである。カバン屋通り、靴屋通り、鍋釜屋通り・・のような感じ。消費者からすると便利だが、地の利がかなり作用する気がする。ペルシャは昔から商業には敏感だったとのことだが、人々は手に手に買い物袋をさげて高そうな商品も売れていた。豊かな国なのである。ちょうどよいくらいに。豊かすぎるのも問題であるからして。
 
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ここからタクシーを拾って向かったのがアルメニア地区である。ペルシャがアルメニアを征服したときに、イスファハン造営時に動員された(連れてこられた)人達のための地区ということだ。隔離といった方がいいかもしれない。
アルメニアという国名に聞き覚えはあっても実際にどこにある国なのか、この旅でやっと認識した。イランの北西で国境を接する。隣はアゼルバイジャン。イラン北西部はこれらの国の民族がまじりあっているらしい。
 
アルメニアといえばアルメニア正教である。アルメニアは世界で最初にキリスト教を国教とした。ローマ帝国より早いのだ。東ローマ帝国とササーン朝ペルシアのはざまにあって、ゾロアスター教徒から激しく迫害されたそうだ。近代ではトルコによる大虐殺があった(トルコは認めていないそうだけど)そうで、このモニュメントが敷地内に設置してあった。
そのアルメニア人地区で唯一観光客に公開されているのがヴァーンク教会であった。
なんというか・・・。だからキリスト教って・・・といいたくもなるような。すさまじい迫害の描写が壁といわず天井といわずびっしり描かれている。それも怨念のこもった粘着質な感じのタッチで、写実的でもなくデフォルメでもなく、どうにも表現しがたい胸の悪くなるような絵なのである。もう、入った途端に負のエネルギーをどっと背負わされるような・・。他にこんなことする宗教あるだろうか?わたしは浅学にして思い当たらない。非難しているわけではないですよ。ただ驚く。
ウィキペディアには、この地区の人は宗教も生活もペルシャ帝国によって保護されたとあるが、なにが真実なのかよくわからない。お互いに自分の側にたった主張しかしないものだ。
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げっそり気分はこんな風景で癒しましょう
 
げっそりして光のもとにでてから、さらに向いの展示館へと入る。これも知らなければならない、見なければならないという、半ば義務感に駆られる気持ちである。阪野さんも最後まで見られないとおっしゃるその迫害の証拠の最たるナニカの展示物は、ちょうどトルコによる虐殺の100周年の行事か何かで、どこかへ出張しているらしく見られなかった。正直ほっとした。こちらは平和な、髪の毛に書いた聖書の文句を顕微鏡でみてここを後にする。
必要なことではあるが、重い気持ちになってしまった。人間による人間への虐待行為は古今東西、内容の軽重を問わず、絶えることなく続けられる。滅滅としてくる。考えなければならないことだが、きっと解決策はないのだろう。パンドラが箱を開けたせいなのかどうなのか。
動物はどうかと考えてみると、ないだろう、多分。攻撃はしても、虐待はないな。類人猿は別として、どうして人間だけがそうなのか。だからこそ宗教というものがあるのか。ならばなぜその宗教が率先して虐待を行うのか。わからない。
 
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                         楽しい水遊び
囲いの外へでて繁華街を歩く。イスファハンで予約の取れない人気高級ホテル、アッバーシーの中庭へはいってみた。お茶するにもお高いので、座っただけですが。東洋人は旅行者まちがいなし、ということで特に宿泊者かどうかとがめられることはなかったが、微妙にスリルがあった。
ここでなんだか見たような顔の男性が。今朝がた、ご飯をたべながらお話したガイド氏であった。偶然。というか、どうしても同じような日程になるということなのだろう。
時間は4時頃であったが、有名な中庭でくつろぐリッチな感じのお客たちは、巨大なボウルいっぱいの何かを盛んに食べている。これはイラン人の好きなおかゆのようなものらしく、具がこんもり乗っていて実にうまそうであった。次にいったらぜひ食べてみようと心に誓った。
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                      壁に絵が。あまりにかわいくて。でも暗くてピンボケ
そうこうして暗くなるまでぶらぶらしたあとスィー・オ・セ橋の河畔へもどる。なぜならこの橋はライトアップされた光景が見ものだからだ。まだ明るさの残る中、びっしり陣取っている人たちに交じって腰を下ろすと、すぐに両隣の人から話しかけられる。阪野さんは左の男性と、わたしは右隣りのおばあさんと。
といってもおばあさんはペルシャ語しかわからないので、ここぞとばかりに「旅のゆびさし会話帳」を取り出す。なんとかかんとか会話らしきものを成立させつつ、おばあさんはカバンからカボチャの種を大量に取り出してわたしに握らせる。なんでも家族が癌を患って大変だったという話を、そのまた隣の全然知らない御嬢さんが片言の英語にしてくれた。こんなふうに、その場で出会った全くの他人でも、なんの衒いも迷いもなく普通に会話を始めるイランの人々。根本的に人を信じられる社会なのだろうなと思う。
 
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  少女が被り物を付けるのは9歳からと決まっている。 灯りの入った橋のたもとで。
 
心を満たすものが何か知っている民族だ。
だが、笑えるのがここから。しきりに話し込んでいた阪野さんが左にいた男性もまじえて、わたしのほうの会話に入ってくれたところ、おばあさんが発言する。いわく、「イスファハンは綺麗ないい町だけど、人は最悪!」と。そして「キリスト教徒はウソつかないけど、イスラム教徒はウソをつくからだめ!」とか、わたしからすると思いもかけないことを主張するのだ。しかも驚くほど激しく。阪野さんと男性も困った顔をしながら聞いていたけれど、あとから「何か嫌なことでもあったんでしょうかね」と結論。。
宵闇にオレンジ色に浮かび上がるスィー・オ・セ橋は美しかった。異国にいるだなあと感じるひと時である。
 
このあと、どうしても気になっていた絨毯やさんにまだ舞い戻ってしまい、さんざん悩んだ挙句、記念の一枚を購入することになった。クムの絨毯は、結婚したばかりのころ、街で夫と一緒に見たときに素晴らしさに驚き、その時にしっかり心に刻まれた思い出のあるものなのだ。
 
イランはクレジットカードが使えない(現金のみ)ので、まさか高額の買い物はしないと安心しており、完全にひやかしのつもりで見学にはいった。見るだけならただ。買えないんだから大丈夫と。
さすがに素晴らしい商品の数々に、「カード使えれば買うんだけどなぁ」と冗談のつもりでポロリと口にしてまったのが命とり、なんと、さすが商売上手じゃないですか。使ってもいいですという。こうなりゃ覚悟をきめないと女じゃない。
 
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  スィー・オ・セ橋の通路下部分は歩いて通れるようになっている。右の小部屋は王様のための小部屋。
  今は誰も入れない。
 
ただし、ちょっとだけ現金で、という。それで、ちょっとだけの部分をわたくしが担当。あとは夫名義のカードでお支払とあいなった。もちろん了解はとりつけてありましたよ。クムの絨毯は絹100%であるのが特徴で、ペルシャ絨毯の中でも白眉の最高級である。工房がいくつもあって、有名工房の作家ものは、小さいものでもゼロが7個はつく。上等のシルクでこの世のものと思えぬ手触り。少し角度を変えただけで輝きも色合いも変わるのが素晴らしい。1㎝四方にノットが12×12あるのが最高なのだそうだ。散々迷いに迷って決めた一期一会の絨毯(といっても玄関マットサイズ)を大事に抱えて帰ることになった。
 
帰国して同等程度の絨毯がどのくらいのお値段か調べてみて勝利感。わたしは半額以下で手に入れられたようだ。にんまり~~。
本当は工房を見に行きたかった。ウズベキスタンでは織っているいるところをみたけれど、やっぱり本場でみたかったなあ。そしてぜひ古い絨毯をみたかったのだが、手違いで絨毯博物館に行くことができなかったのが痛恨である。
こうしてイスファハンの夜は更けていくのであった。

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念願のペルシア 5  ヤズド~イスファハン

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さて、黄昏時になってヤズドに到着。まずは今宵のお宿へ。
よくある、古い邸宅を改造して部屋数の少ないこじまりしたお宿にしました、という類。ブティックホテルとか、モロッコだとリアドと呼ばれるような。
このヤズドの町が、ウズベキスタンのブハラと酷似していた。建築物も迷路のような旧市街のつくりも。違うのは、その迷路の途中で、ちょいちょい深い階段が地下へと続いていたこと。これは共同の水場、カナートへの階段だそうだ。もうひとつは、その迷路に消える真っ黒い人の後ろ姿があったこと。このチャドルの人の後ろ姿というのは、なぜにこうまでそそるのか、と思うほどよかった。
だが、みなさん、なぜか早足、かつ光量も不足で、味わい深い後ろ姿をまったく写真に撮れなかったのが残念。
 
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のちにテヘランのガイドに、ブハラと酷似の件を伝えてみたところ、「そりゃそうですよ、昔はうち(ペルシャ帝国)のものでしたから」のような言いようであった。誇り高いのがうかがわれるが、それは少し乱暴なおっしゃりよう。一時期、という言葉を添えなければ。
中央アジアの歴史を簡単に勉強したが、ブハラやサマルカンドのあるアムダリア、シルダリアにはさまれた一帯は、非常に複雑な征服被征服の歴史を繰り返している。遊牧民族と定住民族のせめぎ合い、西から東から征服者が来ては去り、国が興っては滅んで行った歴史は面白い。イランに行ったことでそのあたりの理解がぐっと深まったのが嬉しかった。
 
部屋は満室で、阪野さんとザッレさんは同系列の別ホテルへ。
晩御飯の待ち合わせまでさっそく一人で飛び出した。ほんとうにひっそりして古い雰囲気がそのまま残っている魅力的な旧市街。騒音もなく余計な看板や旗もなく、とても趣深くて美しい。ゴミひとつ落ちていない。背広を肩にかけたとっても粋なおじ様に出会ったので、写真をとらせてもらったりして市内散策及び晩御飯に合流。夜も8時9時になるというのに、お祈りにくる人のために管理人のおじいさんが働いている。親切にいろいろと説明して見せてくれた。マスジェデ・ジャーメは閉門。
 
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この日のディナーは人気のあるレストランにいく。ここも昔のお金持ちの家をを改造したホテルのようで、中庭に池を囲んでぐるりと桟敷があって、そこでいただく。イラン名物のオムレツ、麦のスープ、鶏肉のクルミとざくろソース煮込など大変に美味。ここで食べたご飯が一番ローカルでかつおいしかった。中東は羊とトマトだけ~という国が多い印象だが、イランのお料理は種類も豊富でとてもおいしい。薬膳の考え方も大変うれしい。でも、街中でもちょいちょい匂ってくる度、阪野さんが溜息をついていた「羊の頭まるごと煮込み」は怖いもの見たさがあったのだが結局目にする機会は得られなかった。イラン人の大好物だそうだが、20年以上生活して羊もスパイスも最初から問題なかったという阪野さんでもまだ無理なんだそうだ。多分マグロの兜煮も、よその国ひとからみたらそう思えるのかもしれない。
 
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   価格交渉で困るおじさん       おいしかったヤズドのごはん
 
部屋は小さかったけど、シャワーを浴びて寝るだけだから問題ない。静かなのがなにより。ぐっすり眠って翌日はピックアップまで中庭を囲むダイニングでお茶をいただきながら朝ごはん。じっくり記録を書くことができた。
 
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    朝のダイニング             誰でも飲める水飲み場
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  右:お祈りが終わったばかりのミフラーブ。丸い石はシーア派独特のもので
    この上に額をのせる
 
ピックアップされてまずは迷路をブラブラ歩きながら、昨夜ご飯に行く前にちらっとよったマスジェデ・ジャーメへ。ちょうど礼拝が終わったところで、黒い人たちがぞろぞろと出てきた。そういえばイランではアザーンを聴かなかった。個人的にはとっても好きなので感知力は問題ないはずだが、気が付かなかっただけなんだろうか。
一説に、アラビアは教義を最優先するので、アザーンもとても大切にされるという。誦じる人も厳しく選ばれ、抑揚も美しく念入りだ。ほんとに聞いていてうっとりするような美声と抑揚なのだ。
これがモロッコあたりにいくと、かなり適当なんだそうだ。イランやトルコも、モスクを見ればわかるとおり、アラビア方面よりは芸術の面に重心が移って、アザーンの取り扱いもやや軽めなのかもしれない。違っていたらごめんなさい。勝手な想像です。
ヤズドのマスジェデ・ジャーメ(金曜モスク)はイランで一番高いミナレットを有する。青い光でライトアップされた夜の姿が美しくて、旅行サイトのトラベラーさんの間でも、上手な撮り方が話題になっていたようだったが、三脚もない私には無理。トライはしたけど散々だった。
 
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  イラン一高いミナーレ          今度は写真学校の女生徒に囲まれる
 
ヤズドのモスクに特徴的なのは「ヤズドブルー」と呼ばれるタイルである。ボケボケで残念だが、本当に目の覚めるような美しい明るい青で大好きだった。それから、見上げる高いドーム天井はモンゴル支配時代の特徴とのこと。シラーズのモスクに比べるとかなり力強い。煉瓦に彫った透かし模様も同じく特徴だそうだ。
 
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ヤズドでは年に一度、盛大なお祭りがあるそうだ。ゾロアスターのお祭りである。そこに担ぎ出される山車の骨組みが置いてあった。同じだ。山車をひいて練り歩く。そう、もうすぐ7月。京都で行われている祇園祭の山車にも、ペルシャから渡ってきた絨毯が飾られることはつとに知られている。昔の人は今では想像もできないほどの時間と努力で、文化を伝えあったのだなぁとしみじみ思う。時間の単位が違います。これが歴史の味わいだと思うのよね。
 
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   左:右側にあるのが山車の骨格    右:「撮らせてください。」「 うむ。」
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 趣のある旧市街、民家のドア。今では貴重。古い家を建て替える度に
 ヨーロッパ人が来て買い漁っていったそうだ。たぶん安値で。なんか悔しい・・・。
 
 
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次に向かうのがゾロアスター教の寺院。礼拝が行われる信者の寺院は異教徒は入れないが、ここは誰でも入れる。1500年燃え続けている聖なる火が安置されている。かのゾロアスター(ザラストゥラ、独読ツァラストラ)が点火したそうだ。炭はレモンの木が一番良いとされるそうだ。だが、沢登で焚火には一家言持つに至ったわたくしが思うに、炭から常に炎を噴出させるのはなかなか難しいものである。一説に、この火は時折消え、素知らぬ顔をして継ぎ足される・・・という噂があるようだが、真偽は定かでない。
隣にはゾロアスター教を知るための展示館が併設されている。お坊さんは全身白一色の衣のみ。興味深いのは、火を汚さぬよう、マスクを装着するらしい。
 
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  左:モスクのステンドグラス      親切なモスクの係りのおじさん
 
思うのだが、キリスト教、特にカトリックの僧侶が高価なものを身に着けてジャラジャラ着飾るのはいかがなものか。そもそもイエスの教えは野のユリのように・・・ではなかっただろうか?宗教と財力、昔からある話だが、どうもね。人間のすることだな、と思ってしまう。
わたしは織や刺繍に強い興味があるので、西洋の僧侶の衣装などは工芸品として非常に評価するし価値を感じるが、宗教的切り口からは馴染めない。
 
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聖なる場所としても、どうもキリスト教の教会はごてごてしておどろおどろしい感じがあって、好まない。もちろんそうでないものもあるが、全体の印象としての話である。スペインやイタリアなどは骸骨オンパレードだったりするし。バロックの装飾もおなか一杯でうんざりしてしまう。仏教も禅寺は別としても、似たようなものだ。ごちゃごちゃと装飾だらけだ。たとえば建物の彫刻などは素晴らしいが、本堂の中はちょっとなぁと思うところが多い。チベットの極彩色はそれなりに乾燥した高地の空気に映えるし、強烈な紫外線に耐えるべき発明かと思うのだが、曼荼羅にしても派手さで圧倒するような面があろうかと思う。そうやって無知蒙昧な人間に神仏の罰の恐ろしさを示し、教化しようとしたのだろうが。
だから私はイスラム寺院が好きである。造形として美しいだけでなく、イスラムの寺院はミフラーブとお坊さんの座るちょっと高い階段があるだけで、キリスト教や仏教のような内陣・アプスのようなたいそうな構造はもたない。偶像崇拝をしないからである。
これは一理あると思っている。信仰ってやっぱり精神世界問題で、物質的なものではないと思うから。
もうひとついうと、ヨーロッパでキリスト教の教会にも多用されるドームが生まれたのは中東である。中東から中央アジアにかけては日干し煉瓦が簡単につくれ、乾燥もしていたことから建築技術が非常に発達したとのことである。
 
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お寺も奈良のお寺や各地の神社にいくと、すっきりシンプルでごちゃごちゃキラキラしてなくてほっとする。
祈りの空間ってやっぱりシンプルなのが基本じゃなかろうか、と個人的には思う。
他の物事で威信を増そうというのはどうもね。
それぞれの信者の方には申し訳ないが、個人的にそう思う。
以上はすべて、それぞれの宗教のすごさ素晴らしさ、価値を認めたうえでの好みの問題としての発言です。あしからず。
 
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ゾロアスター教は今ではインドが一番信者が多く、細々ながら生き続けている。某教と違って異教には比較的寛容なイスラム教であるが、少数派になったゾロアスター教も駆逐され迫害もされた歴史をもつ。が、イランの若者はゾロアスター教の方がいいという人もいるらしい。しかし、イスラムからの改宗は死刑を意味するので、そう簡単なものではない。逆も真なり。若い人は自由がないといって、亡命を望む人もいるようだが、受け入れ先も最近は渋くなっているそうだ。
でもね、なんでも在ればいいってものではないですよ、ほんとに。
「在る」事によっていらぬ害悪が生じることも真実である。
ちなみにかのクィーンの名ヴォーカリスト、フレディ・マーキュリー、名指揮者ズービン・メータもゾロアスター教徒(パールシ―と呼ばれる)だそうだ。
 
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   沈黙の塔、右と左ふたつ。        死亡通知の掲示板
 
さて、次は車に乗ってイスファハンへ向かう途中で、ゾロアスター教の鳥葬が行われた「沈黙の塔」に立ち寄る。他にも鳥葬場はいくつかあるようだが、ルート砂漠の端っこに位置する沈黙の塔は荒涼とした場所で、他に人もいなかった。風が吹き抜けていくしみじみさびしいところだった。靴も服も埃で白くなりながら、2つある塔のうち、小さい方に登る。30mも登るかというところ、くぐり戸のような入口を入るとけっこうな広さの円形広場になっている。真ん中に一段低い穴があって、鳥葬があらかた済んだ人がそこにおかれたという。
 
亡骸はゴミとして扱うチベットの鳥葬と違い、ゾロアスター教の場合は遺骨は持ち帰る。
だから、持ち帰れる状態になるまで、ひたすら塔の近くで待ったのだそうだ。
1ヶ月近くもかかるらしい。気の長いお話である。その間の生活はどうしていたんだろう。。。さすがに写真を撮るのははばかられ、少し肌寒さを感じるその場所に固まったように佇んで、阪野さんの説明に耳を傾けた。鳥だけでなく、1,5mほどの囲いを飛び越えて、それこそピューマやヒョウや山犬もしくはオオカミがやってくることもあったそうだ。
 
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 左:ナイーンという町でいただいた鱒。養殖技術が導入されてお魚がおいしく食べられる
    ようになったと嬉しそうな阪野さんであった
 右:どこの民族だか聞き忘れたが、きっちり伝統衣装に身をつつむおじいさん。
    こんなところ、なかなか頑固な国民性?クルド人も衣装で一目でわかる。
 
ここでまたイラン薀蓄。
イランでは現在も土葬である。しかも亡くなってから24時間以内に埋葬しなければならない。だから、死亡確認がなされたら即刻、街角の掲示板にお知らせが張り出される。モスクでも他のなにをさておいても葬儀の予定が優先される。日本と似たような造花の花輪が手配され、これが多いほど人格者実力者の証となる。そうして必ず横向きに、そして完全に融解するための薬品と共に埋葬される。最近では広大な国土といえど埋葬地に苦慮する場合も多く、一定年月経過したお墓は公園に改造されるそうだ。
しかし思うのだが、24時間って短くない?アメリカで最近、死んで埋葬された猫が5日後に自力ではい出したっていうニュースがあった。まぁ、猫は死なずに9回生まれ変わるというけれど。
 
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 どんだけお菓子の写真撮るんだって話です・・・ホントおいしかった。
 
寂寞としたこの場所を後にしてイスファハンへと向かう途中、阪野さんが知っているおいしいチーズケーキのお店があるからというのでピクニックのお供を調達に。残念ながらそのお店はなくなっていたが、別のケーキ屋さんにはいってみる。お菓子はその国の文化程度が如実に現れると思っているが、イランはなかなかである。フランスの影響があるのかもしれないが、飾りもおしゃれで見た目に綺麗だし食べてもおいしい。家族が多いからサイズも巨大である。みたこともない、多分30㎝台のデコレーションに各種プチフール、クッキー、ペストリー、パイ、チョコ類キャンディ類と、だだっぴろいお店のショーケースにこれでもかと詰まっている。そして購入はキロ単位である。1キロ、なんていうと「ケチね」と言われるんだそうだ。驚きである。
 
それでいて、ロシアなどと同じく、若い女性はすべからくほっそりして小柄である。痩せているのが美の基準らしい。暑い国とはいえ、お菓子を キロ単位で食べていたら太るはず。こんなお菓子誰が食べるんだろう?多分おじさんである。男性も若いうちはマッチョなのが理想らしく、筋トレしてムキムキになるそうだが、おじさんは恰幅のいいのが実力の証明となる。おばさんもなかなかの押し出しである。それはそうでしょう。無敵のチャドルを身に付ければ3段だろうが4段だろうがおなかの地層は見えませんもの。
 
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    美人さんばっかりです        美人の卵さん
 
若い女性については、人それぞれ信条によるらしいが、ぴったりスリムなジーンズなども普通に見かけ、かぶりものも前髪がふわりとでるような緩いつけ方の人も多かった。昔は前髪がちょこっと出ても怒られたんだそうだけど。
とはいえ、革命前は被り物などはほとんど見かけなかったらしい。
この被り物、紫外線の強いイランでは実は有効だと思う。髪の毛が傷まない。乾燥しているから汗もかかないので暑苦しくもなかった。ただ食事時は少々邪魔であった。
なれないので、肩掛けバッグのヒモに引っ張られてずり落ちたりして、阪野さんに直されてばかりいた。
 
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  若い男性はそういえば写真が見当たらない。興味がなかったんだろうか。
  そのかわりとっても若い男性を少々。男の子はどこの国でも幼いですね。
 
男性についていえば、非常にかっこいい。というのは気持ちが(もちろんビジュアルもアーリア系だから基本的に彫が深くて秀麗である)。 
日本では今や過去の遺物となった感の「男気」が厳然と存在しているようだ。無理しても我慢してもかっこつける、義理人情に篤く、弱きを助け強きをくじく的な「ザ・オトコ」な人が生きているらしい。
おいしいお菓子をお供に、ピクニックをはさみながら一路イスファハンへ。昼ご飯はナイーンという静かな町のレストランで。都会になってしまったシラーズも、昔はこんなふうにのんびりしていたのになぁと阪野さんが懐かしい目をしていた。
ナイーンは絨毯の産地の一つで、白っぽい色使いが特徴のようである。レストランにもすばらしい作品がたくさん飾ってあった。壁かけとして使われる絵画的なものもたくさんあって珍しかった。
 
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                         敵国?のケンタッキー発見。
イスファハンに到着したのが4時過ぎであった。ザッレさんはここからシラーズまで戻らねばならない。行程6時間ほど。気を付けてね、ありがとう、とお別れをする。
まだ夕陽には間がある時間。しばし自由時間としてくつろぐ。このホテルも貴族の館を改造したとかで、かなり大きな建物であった。ご自慢は屋上のくつろぎスペース。チャイハネにあるような桟敷椅子がたくさんならんでいる。その一つを占領して、写真の整理や書き物にいそしむ。
やがて急に空が暗くなったとおもったら雷鳴とどろき、いきなり大粒の雨。すわと避難してしばし待ったら止んだ。乾いたイランにも夕立があるんですね。
そして面白いのが夕立後。車がまっしろになってしまうのだ。巻き上がった細かい砂塵がくっついてしまい乾くと真っ白になるというわけである。車だけではない。服も靴もカバンもそうなる。それでもイランの人は構わず、嬉々としてそんな雨のなかに飛び出していくんだそうだ。
 
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  マスジェデ・イマーム  夜景     イマーム広場バザールの絨毯やさん
 
さて一休みしたところで、市内散策にでかける。いよいよ世界の半分、イマーム広場を見に行くのだ。どんな風だろう、1000年前のそこで、大学者イブン・スィーナ英語名アヴィセンナが忙しく活躍していたのだと思うと、胸が熱くなる。当時のイスファハンははイスラム世界だけでなく、世界の文化的中心地のひとつであった。学問、芸術、医療の中心で、各地から大学者を招き、たくさんの学生がマドラセで切磋琢磨していたのだった。イブン・スィーナを知ったのは、アメリカの作家ノア・ゴードンによる「ペルシアの彼方へ」という作品においてであった。ペルシアと名がつくものならなんでも飛びつく中でもこれは秀逸な作品で、すっかりファンになってしまった。映画化もされているが、こちらはだいぶ史実と違う描き方になっているとのことで、評価が低い意見もあるようだ。
 
夜のイマーム広場は甘やかな匂いに満ちて、人々がピクニックを楽しんでいた。
長大な回廊はバザールとなっていて、8時を過ぎても仕事熱心であった。マスジェデ・イマームは美しくライトアップされていた。
ゆっくり散歩をしながら晩御飯へと向かう。この日はモダンなホテルのレストランでビュッフェ形式の夕食。野菜が食べたいね、ということで、豊富な野菜料理のあふれるお店でいただく。タクシーでホテルまでもどりこの日は終了。明日は一日イスファハンを堪能する予定である。

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念願のペルシア 4 ペルセポリス~パサルガダエ~ヤズド

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さて、おいしいイランのお菓子をごちそうになり、いよいよ阪野さんのオフィスを出て、ペルセポリスに向かう。シラーズから車で2時間少々かかる。
ドライバーのザッレさんの車はプジョー。イランはどうやら昔からフランスとつながりが深いらしく、現代も西側の中では一番経済的政治的に近いらしい。走っている車はほとんどがプジョーかルノー。アメ車はほぼ皆無。なぜなら経済制裁とやらでとんでもない値段がついているかららしい。日本車・ドイツ車も高いらしく、これもめったに見かけなかった。ヒュンダイが少しいたかしら。ちなみにテヘラン価格でプジョー405が90万といっていた。いいなぁ。それに対してクライスラーは500万とか。
 
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  左:ピクニック風景            
  右:ペルシアが原産、ざくろ。旬は秋。今回は残念ながら合わなかったので次回はぜひ
 
途中、ドライブインのようなところでザッレさんが熱いお湯をポットに充填する。イラン人はお茶が大好き。こうしてポット常備。よさげなポイントを発見したらしく休憩タイムである。道端の木陰にて、ささっとシートを取りだし、ポットにお茶に、ガンドといわれる角砂糖とスティック状になったサフラン入りのザラメ砂糖でピクニックである。ほんとにピクニックの達人なのである。特にザッレさんは「こんなふうにすぐポイントをみつけられるのは誰でもできるもんじゃないぜ」と自慢していた。これ、日本で書くね、と約束したのをやっと果たせた。
   

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   左:羊飼い                右:ドライブインの種、タネ、たね。。。
 
 
イラン人はガンドを口に含みながらお茶を飲む。サフランのスティックは、掻き混ぜて使う。紅茶はなんでもないティーバッグだけどおいしい。本格的に家で飲む場合は、サモワールという特殊な道具で下から温めて蒸らしながら茶葉が開くのを待つのだそうだ。街のショーウインドウでもたびたびサモワールを見かけた。ドライブインにも巨大な湯沸しタンクが備え付けられているのがすごい。無料でははないようであった。
ブドウ畑の隣、アーモンドの木の下にてしばし歓談しつつ休んでいたら、そばを羊飼いが通った。ワンコが2匹、立派に仕事をしている。
 
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 左:きれいな緑いろの目の若い子    右:レストランでおねだりされた子
 
ここでまたイラン薀蓄。イランでは猫は大変好まれ愛されるが、犬は人気がない。それどころか嫌われているらしい。これは、ムハンマドが猫好きであったことと犬はオオカミの親戚という感覚があるからのようである。今でも禿山にはピューマやヒョウがいるのだそうだ。イランに猛獣って意外な気がするが、ペルセポリスのレリーフにもさかんに獅子がでてくることから、この地域は猛獣の生息域である。キュロス王やダレイオス王が狩りをしていたのはインドライオンといって、今では絶滅した、小型のライオンらしい。ペルシャトラもいたらしがこれも絶滅。残念なことだ。ちなみに現在世界で生息している虎は、アムールトラ、ベンガルトラ、、アモイトラ、インドシナトラ、スマトラトラだそうだ。大型猫族はほんとに美しくてかっこいい。大好きだ。
 
こういう観点からも冒険心を掻き立てられる。わくわくゾクゾクするではないか。旅をしていたら、目の前の丘にすっと四足の影が立つ。ふと気が付くと後ろの岩陰に光る眼がある。なーんて、ドキドキだ。お話の世界だとうまいこと逃げられるが。
 
で、犬だが、大都市テヘランでやっと最近、ペットとして飼う人がちらほら出てきた程度だそうだ。だが愛されている猫も、飼うという行為はないそうだ。あちこちで見かける猫は自由に生活しているようで、毛づやもよく落ち着いている。いじめられることがないからだ。そして日本の野良猫のように鼻気管炎をわずらっていたり目やにがでたりという、病気のネコは全くみかけなかった。乾燥しているおかげで病原菌に感染することも少ないのかもしれない。人を恐れず寄ってくる。レストランでおねだりしてもだれも追い払ったりしない。猫好きとしては誠に嬉しい光景である。ではペットとして飼うのはなにかというと、小鳥である。
 
そしてブドウについて。このシラーズは良質なぶどうの最も古い産地の一つである。紀元前さかのぼること…たくさん、とおもわれる。この良質なブドウを、フランス人が持って帰って、アルコールご法度のイスラムでできないワイン製造の花を咲かせたのである。「シラー(シラーズとも)」ってありますね。あれです。ところが調べてみると、シラーはフランス原産としているものもある。フランスの横暴に間違いないと思う。
 
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  左:各種ドライフルーツ。杏が多い。 
  右:こちらはオリーブ。クルミとアンズまぶしなど多種多様でおいしい
 
バサールではプリプリの干ぶどうがとてもおいしそうだった。良質なのが見てわかる。
イランのブドウの仕立て方が独特で興味深かった。一般に実を摘み取りやすくするため、低く横に広く長く蔓を張らせて作るのに、イランでは一本一本独立で蔓を延ばしていなかった。これが不思議で理由を知りたい。知っている方、教えてください。
 
次にアーモンドについて。ウズベキスタンで教えてもらったことだが、アーモンドの花は天国の花としてイスラムでは愛される。また、中東というところはナッツが良くできる風土であり、アーモンド、ピスタチオが特産でとってもおいしい。種好きにはたまらないのである。何を隠そう、わたしもピスタチオ1kg抱えて帰ってきました。
 
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  左:アーモンドの若い実     右:ナッツをゆでたものにスパイスがかけてある。
 
このアーモンド、普通は種の部分をいただくが、なんとイランでは、青い実のままでもたべるんだそうだ。このピクニックした場所にも青い小さい実がなっていて、たべてみたら柔らかくてほの酸っぱい。バザールでも試食させてもらった。本当は塩を振って食べるのだそうだ。イラン人はすっぱいものが大好きだそうで、お料理も酸味が強い。バザールでは乾燥させたかちかちのレモンがあって、これは煮込み料理に使うのだそうだ。暑い国だからだろう。ヨルダンも食事は肉・豆に塩とヨーグルやトマトの酸味のみであった。その他の中東諸国はどうなんだろう。行ってみねば。
 
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そうこうしているうちに車は整備された一本道を走り、両脇に瑞々しい木々が増えたとおもったら、しずかに広い駐車場に停まる。ああ、みるのがもったいない。正面に広がる丘。あれはまちがいない。かの地である。長い間、あれかこれかと夢想していた場所。教科書でなんどもみたレリーフがあるところ。ついに来てしまった。来ることができるなどと、つい昨年まで思ってもいなかったのに、本当に来てしまった。ペルセポリス。ペルシャ語でタフテ・ジャムシード。
入口で阪野さんがチケットを購入してくださっている間待っていると、小学生の低学年らしい団体がやってきた。なぜか彼らは色とりどりの衣装を着てはしゃいでいる。なんだったんだろう。その一団を微笑ましく見送り、いざ、正面の丘につづく広大な一本道を行く。明るい日差しと真っ青な空。ペンキをぶちまけてニスをぬったみたいな透明感のある青だ。水分という夾雑物がないから、青の波長の反射も鋭いのだろう。
 
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5分ほどで大階段基部に到達。すでに欧米の団体が陣取っていた。隙間から覗くようにして配置図を確認しながら阪野さんの大まかな説明を受ける。このペルセポリスは紀元前520年アケメネス朝ペルシア帝国のダレイオス1世によって造営が始まった。その後何代もの王により増設拡張されながら、紀元前331年、アレクサンドロス大王によって破壊されるまで帝国の重要な都市とみなされていたが、実際にどのように使用されたかは未だに謎がおおいそうだ。アレクサンドロスが略奪した金はなんと3000トンに及ぶという。
 
さて、胸を躍らせながら進もう。ゆっくりと広い石の階段を上がる。不覚にも鼻の奥がツンとして涙目になってしまう。2500年前の人と同じように東洋のなんでもない人間が歩いていると思うと、隔てる時の大きさを越えて存在する驚きに打たれる。踏み幅はとても浅い。馬に乗ったまま進めるように、またたくさんの人が横に並んでお話しながら上れるようになどの説があるそうだ。
 
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180度に折れて2段上がると、そこは明るく広がる空の下、王都であった。階段左手、クセルクセス門である。どれほど見たかったことか。高校生のころから古代文明には激しく惹かれており、自分はエジプト人の生まれ変わりであるなどと信じてみたりしていた人間だが、各国の古代文明の中でこのペルシアの遺跡の造形美にもっとも親近感を持ち惹かれていたのだった。シンプルで明るくてからっと乾いてそれでいて繊細。おどろおどろしさがなくて明快なのだ。クセルクセス門の両側に空の一点を見つめて立っているのは、人面を持つ有翼の牡牛である。残念ながらのちのイスラム系支配者によって顔を削られてしまった。
 
壁のレリーフには獅子に襲われる場面があちこちに配されているところによると神聖視したものでもなかろうと思う。もっとも大切な正面門が牡牛であるわけが知りたい。この牡牛は翼をもっている。その拡がり具合が誠に美しくていつまでも 見つめていたい。
 
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                          この後ろの山から石を切りだした
 
割合狭い門の間に入って見上げると、ああ、これなのだ。本物の楔形文字が2500年の時をこえて歴然と存在していた。これをみたかった。古代の人が、高い知性や力や感性をもった人たちが、丁寧に、ひとつひとつ、何かを伝える為に刻んだものだ。その人たちには家族があって、毎日仕事のあとには団らんがあったり、おいしいものがあったり、歌や踊りがあったり、ケンカがあったり出会いや別れがあったり。。。遺跡が示すのは支配者たちの力だけではない。それを作った人たちのことをわたしは深く思う。振り返ると、高台のこの古代の王都から、遥かに広がる国土が一望できる。緑の塊があったり荒野があったり、この空の下に、人間は営々と生き続けてきたのだ。
 
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    左:馬の門、創作中       右:完成版
 
深く魂を揺さぶられてアパダナへは進まず、そのまま遺跡の奥部の方へ進む。左手に唐突に1基あるのが柱頭に置かれていたらしい「ホマー」である。イラン航空の尾翼にもあしらわれる双頭の鷲で、イランの象徴として使われる。まるっこい顔立ちは愛嬌を感じさせる。この平な部分に板を渡して天井を形作っていたそうだ。木はどこから持ってきたのだろう。そしてこんなに重そうなものをよくも柱の高きまで持ち上げたものだ。
 
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  左:ホマー。やけにすべすべ      右:柱の基部
 
そのまま進むと、壊れたまま転がる柱のパーツがごろごろしている。宮殿群の柱は、おおきな切り石をまず積んで、必要な高さになった後から上から下まで通して縦の溝を掘って装飾としたそうだ。だから石の切れ目でも溝のデザインが途切れず、見た目にすっきり美しいのだそうだ。また、土漠の中、切り出した大きな石は貴重である。ちょっと欠けたくらいならもちろん修理して使用するのだ。丁寧な仕事である。
 
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次に立ち止まるのは百柱の間。軍隊に謁見した場所とされる。戦士のレリーフや王の玉座のレリーフ、その王が獅子を倒しているレリーフなどが残っている。王の玉座の後ろにはどの遺跡でもかならずホウキのようなものを手にした人が立っている。これは蠅払いなんだそうだ。そして獅子を倒すの図では、ライオンが王の剣を防ごうと手をかけ、足で王を蹴り飛ばそうとしている。実に活き活きとした表現だ。良くない王様なら「けしからん」などといいそうだが、さすがペルシアの王様は懐が深い。だからこそ、バビロンにとらわれていたユダヤ人達を解放したあとも宗教や文化を許容した。
 
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ちなみにバビロン捕囚を解放したとき、当時ペルシアで信仰されていたゾロアスター教が多大な影響を与えたことを知った。ゾロアスター教は一神教と終末思想に基づく世界で最古の体系的な宗教だそうである。この影響を受け、現在のユダヤ教、キリスト教、イスラム教という一神教が出来上がっていった。拝火教という呼び名が内容よりも独り歩きしている感がある。ただ火を崇める宗教かと思いきやさに非ず。世界は善神アフラマズダと悪神アンラ・マンユの戦いで、最終的に善が勝利する。
 
信者はただ「善い事をおこなう、善い事を考える、善い事を言う」の3つの教えを守る単純明快な宗教である。のちにゾロアスター教の聖地のひとつ、ヤズドを訪れるので改めて述べることにする。
 
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タフテ・ジャムシードの後ろの山崖に王墓が造られたが、そこにもゾロアスターの守護霊「プラヴァシ」から王の印の輪っかを授かる王のレリーフがある。墓は2基、アルタクセルクセス2世と3世のものだ。前者だけ登ってみた。一段と高い場所で、少し息が切れる。眺めは感動的であった。昔と同じ光と風が、王墓を守っていた。途中、高校生の女子軍団に囲まれる。きゃーきゃー言いながら一緒に写真を撮れという。噂には聞いていたが照れてしまう。スカーフとサングラスでほとんど顔もわからないはずなのに、どうして東洋人とわかるんだろう。男性とは無理だろうが別にこんなおばさんと撮ってもねぇとおもうけど。
 
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その後いよいよアパダナへ向かう。謁見の間の階段のレリーフは有名である。獅子が牡牛を襲うレリーフがあちこちにみられるが、複数の親方によって彫られたせいで雰囲気が少しずつ違う。正面からのレリーフはなんとも活き活きとして軽やかだ。続く壁一面に朝貢の図。各民族の特徴をとらえた繊細な彫だ。丁寧な仕事である。石はもとは黒いらしく、人が触ったところが光っている。女性の姿はご法度の中、たった一つのあることを阪野さんが教えてくれた。
 
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  左:謁見の間。壮大な空間。   右:唯一の女性像。どこでしょう?
 
その後、後宮や王の私邸を回り、名残惜しくタフテ・ジャムシードを後にした。余韻を楽しみながらナグシェ・ロスタムへ向かう。ロスタムの絵、という意味である。ここにも王墓が数基岩肌を利用して造られている。高いところにあるから尺度が混乱するが、相当に大きなものである。2000年以上を経てなお、柔らかく優美な線や、ぽってりした質感が残っていることに驚く。ペルシアの彫刻は豊かだ。貧相でない。衣の翻り方、衣を透けて浮き出す肉体の量感、馬も人もゆったりふくよかで生き生きとしている。
 
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  左:典型的な王墓のレリーフ   右:東ローマ帝国のヴァレリアヌス皇帝をとらえた
                          シャープール1世
ここも十分に味わって、キュロス大王のお墓のあるパサルガダエに向かう。近所のレストランで昼食。  
 
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パサルガダエはキュロス王の王都であった。征服時破壊されて、今は残るものも少ない。広い荒野をつむじ風が通り過ぎていく。空はどこまでも澄んでいて、刷毛でひいたような羽根のような雲が空一面舞っていた。風の音と猛禽の鳴き声が響くだけ。
偉大な支配者の眠った墓は、人柄を示すように素朴に空を見つめていた。
いわゆる観光的ではまったくないことが、この場所を好きにさせてくれた。こんなふうに静に古を思うことができる遺跡はそうそうない。貴重なことだ。どうかこのままであってほしいと願う。
 
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そして車は一路、ヤズドを目指して荒野をひたはしるのであった。
もちろん途中幾度かピクニックを入れながら。

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念願のペルシア 3 シラーズ(2)

 
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出国からの長い長い一日を終えて、たどり着いたのはシラーズのエコノミーなホテル。明日の待ち合わせ時間を確認して阪野さんと別れる。 イランはペルシャ帝国の昔から、浴槽につかるという入浴をしない。まぁ乾いた国だから当然なのかもしれないが、水は前述のごとく不足ではないようで、部屋でも熱いシャワーがたっぷり使えた。 わたしが利用したのがお安い宿だったこともあるのだろうが、バスルームは西洋式にトイレと一緒、かつ、しきりやカーテンがないので、シャワーの水がロールペーパーまで飛び散る始末。一度失敗してからは、まずペーパーを避難させることを覚えた。

 
トイレ事情でいうと、イランオリジナルはは和式と同様にしゃがみ込むスタイル。実はわたしも間違っていたのだが、こういうトイレでは穴のあるほうがお尻になるので、結果的にイランではドアの方を向いてしゃがむことになる。日本では横向きはあってもドア向きはまずない。発想がちがうんだなぁ。
また、ロールペーパーはかなり固いが、ホテルや施設などではどこでも装備されていて、イスラムの国らしく小ぶりのシャワーも備え付けられている。田舎にいけば手で後始末らしい。ものは試しと一度トライしたところ、思いのほか水圧が強くて、ズボンを思い切り濡らしてしまって逃げまどう。だがご安心。イランでは女性は長袖かつお尻まで覆い隠す、ゆったりとした上着を着用しなくてはならない。ゆえに、濡れたズボンも隠すことには苦労しないのである。気持ちが悪いのは仕方ないが、乾燥しているのであっという間に乾く。 そう、エアコンもない部屋でも、一晩できれいに乾くので洗濯も苦にならなかった。
 
これについてトイレを絡めて考えてみた。
イスラム圏では水でお尻を洗う。これはコーラン(クルアーン)にも清浄の徳が謳われ、清潔は信仰の半分と言われるほど清潔を尊ぶところからきている。お祈りの前には手足耳口を必ず洗わなければならないし、そのための洗い場が設置され、ない場合は洗面所を無理やり使うので、洗面所はそこらじゅういつも濡れている。そうなのだ。前にも書いたように、バスルームが水浸しになっても当たり前なのはこの感覚のためなのだ。 そして、さきほどの、ズボンが濡れて逃げ惑った経験からもわかるとおり、すぐに乾くのだ。だから彼らはお尻を水で洗ってもそのまま、拭くということがないのだそうだ。 なるほど。目からウロコ。お尻を洗って濡れたままでも平気。これは日本の風土からは到底想像できない。今度中東にいったらぜひやってみよう。
 
あ、だとすると湿潤気候に住むムスリムはどうしているんだろう。マレーシアやインドネシアなんか濡れたままなんてありえないと思うのだが。 と思って調べてみたら、タオルやハンカチで拭く人と、そのままの人にわかれるそうだ。そのままでも生まれたときからそうだから気にならないのだそうだ。たしかに。人はそれを文化と呼ぶ。
 
さらに、インドはどうして手で洗うんだろう。ヒンドゥーであってもイスラムの影響なのだろうか。単に紙を設置するのはお金がかかるからだろうか?めんどくさい?それもある。置いた途端になくなる?ありそうだ。
 
と、疑問を押さえきれずとりあえず調べた結論。トイレの始末の方法は宗教だけに関係した事ではない。仏教徒でもムスリムでもヒンドゥーでもあまりないだろうが無宗教でも、水で洗う文化の方が優勢のようだ。日本も紙で始末する文化が当然のよう‭に思うけれど、西洋文明が流れ込むまでは手桶でじゃ~ってなことだったようだ。その欧州もビデというものがよこっちょについていたりするし、紙はあっても劣悪なことが多い(高級ホテルは話の外である)。アフリカは各種混在らしい。イスラム圏は宗教的因子が強いことは確かである。紙が作れるかどうかも関係ないようだが、経済的に豊かであるかどうかは関係ありそうだ。やはり紙は水よりも貴重という認識でもあるようだ。そして昨今の日本では、ウォッシュレット型トイレの普及から考えるとすでに水で洗う文化になりつつあるといってもよいだろう。考えたら水には恵まれた国なんだからそのほうが断然エコである。紙をバカスカ使っていることの方が改めるべき悪習なのかもしれない。
 
ちなみに雪山では雪を使うこともございますね。これは個人的には紙よりもよろしいかと。山で使用済みの紙をみる残念さは筆舌に尽くしがたい。怒りと吐き気がこみ上げます。みんなせめて持って帰りましょう。
 
ウォッシュレット型トイレに関して。世界が絶賛する日本のトイレはお尻を洗う便利な機能満載なのになぜか中東では見かけない。なぜだろう?富裕層の個人的施設にはいきわたっているけれども公共の場に設置するほど企業や政府の意識が高くないのだろうか?一説にはアラブ人はウォシュレット型は嫌うという意見もある。あのバカバカしくゴージャスなドバイやドーハの空港でも、トイレでウォシュレットはみたことがない。気がする。ほんとかな。あれ?ドーハのオリックス・ラウンジはどうだったかしら。ご存知の方、教えてください。
いや、ほんと。みかけた記憶がないのよね。
 
紙を使うのは彼らの感覚では不潔である。紙を使うようにできていないから、トイレにも流してはいけない。わたしは山小屋で慣れているので、片隅のバケツがあるのをみつけた場合そこに紙を捨てるというのは違和感なくやっていたが、そうか、一般的には、紙文化の人たちは流してしまうわけだ。かといってそれをするなという注意書きもなかった気がする。トイレひとつとっても誠に興味深い文化比較なのである。 
妙なところでトイレについて考察してしまったが、結論は「日本のトイレは世界一である」。なんども思うが、この国に生まれてほんとによかった。
 
さて、疲れでぐっすり眠った次の朝、ごはんに行く。思えば道中このホテルの朝ごはんが一番種類が多く充実していた。薄いナンは籠でもらっていく。野菜はトマトときゅうり、これはこの後どこでもずっと変わらず。ハム、茹で卵、目玉焼、中東ではどこでも見かけるハルワ、これはヨルダンでも大好きだったのでたくさんいただく。ハルワのレシピはさまざまで、ナッツ、スパイス、穀類、油脂類もいろいろな種類を使う。ローズウォーターやサフランが入ったものがイラン風であろう。あとは不思議にクッキーが多種類。朝からクッキーもご飯なのかしら。コーヒーは見当たらず紅茶とミルクがたっぷり。ジュースもあったと思う。 あとは、茶色いクリーム状のもの、これはサマヌというものらしく、お正月料理にはかかせないもので、クルミと麦芽をじっくり煮込んだものだそうだ。お砂糖は一切使用せず、うっすら甘い優しい味がする。
 
そんなことでおなか一杯になってロビーで拾われる。本日はヨルダンでなぜか購入してしまった現地服姿。黒地に、袖口と前身頃には真っ赤な刺繍とスパンコールがゴージャスに煌めく。日本では絶対に死ぬまで日の目を見ないと思ったのでここぞとばかり持参してみた。が、浮いている気がする・・。 ヨルダン(あまりファッショナブルではなかった)では馴染んでいてもイラン(すっごくおしゃれ)では・・・。結局、最後には荷物が入りきれず、この黒地のヨルダン民俗衣装はテヘランのホテルにおいてきた。誰かにもらわれているといいな。
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本日の最初の訪問場所は「ナスィール・アル・モスク」。別名薔薇のモスクまたはピンク・モスクと呼ばれる。その名の通り、薔薇が美しく描かれたピンク色のタイルが秀逸である。そしてそれよりも名高いのが、朝、シンプルなステンドグラスから差し込む七色の光が、静謐なモスクを満たす光景である。 何を隠そう、わたしもガイドブックや旅行サイトでこれに参ってしまった。 これを見たいと思った。
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イスラム建築の研究者によると、モスクを構造で分類すると大まかに4つのタイプがあるそうだ。簡素で飾り気のないがお祈り主目的のアラブ型、ミフラーブを強調するためにイーワーン(アイヴァーン)を発明して広々とした中庭を四方から囲む形のペルシャ型、尖塔に囲まれ、壮大なドームに広大な礼拝スペースを飲み込んだトルコ型、そして外に向かってドームと門をもつ、つまり中庭を持たないインド型だそうだ。   
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ナスィール・アル・モスク。中庭に長方形の静かに水をたたえた池をもち、しんと佇むモスクは、貴族の私的なモスクであった。イランのモスクは、ウズベキスタンとの比較でいうと、タイル自体を細かく焼き合わせたものではなく、タイルに絵を描いて装飾する。図柄には花・建物・動物がふんだんに描かれる。偶像を禁止するイスラムとは思えないほど多彩な図柄である。ちなみにこれはシーア派の特徴とされる。シーア派はムハンマドの血縁を最高指導者とすることで、人物の肖像は賞賛を持って受け入れられる。現代イランでも、革命の指導者や貢献者たちがあちこちに描かれ、飾られていることからもわかる。
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このモスクの内部にも、当時交流が盛んであったフランスの家屋や、イランにはないアヤメが描かれている。筆は、伊万里の隣町で育った私から見るとかなりアバウトであるが、あの数と遠目には問題ない。圧倒的な美はその集合体から生み出される。
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そして、ついに靴を脱いで礼拝スペースに入る。 息をのむとはこのことである。そこは色とりどりの光の海と化していた。 夏に向かうと太陽が高くなることから差し込む陽の足は短くはなるけれど、このために早い時間に案内してもらったおかげで、見たかったその光景を十分に堪能することができた。中に敷かれている絨毯やタイルが傷むので通常ステンドグラスの部分には遮光の蔽いがかけられているのだが、適宜開けられるのだそうだ。
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各国から集まった旅人が思い思いカメラを構え、自分的最高レベルの写真を残そうと熱心だ。 これでひとつ、思いが叶った。満足して、ゆっくり中庭や建物全体を鑑賞してからここを後にする。
次に向かうのは、これぞこの旅のメインイベント、一番の目的、ペルセポリスである。 心は高揚する。早く行きたい気持ちと、大事にとっておいた好物を食べるのがもったいないのに似た気持ちとがせめぎ合う。そこを押さえてくださるかのように、阪野さんがお仕事の関係でオフィスに立ち寄られるのに付き合う。イランでは女性の社会進出が盛んである。この旅行社イラン・トラベリング・センターも、たくさんの女性がチャドルを付け、ヒジャーブをかぶりながら楽しそうに活き活きと仕事をしている。現在、英語担当のガイドの方が8名と日本語担当の阪野さん、ビザやホテル・航空券手配担当部門があり、対応も早くとても信頼できる旅行社だとおもう。
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なによりも、旅行者にとって一番やっかいかつ大事な問題であるビザに関しては、こちらにお願いしたことで本当に安心かつ確実に準備ができてありがたかった。 イランのビザ取得は比較的めんどくさい。普通に大使館にいくだけならいつもやっていることなのだが、イランの場合はまず外務省から許可番号を発行してもらわなければならない。この通知をもって在日大使館に申請と受け取りの2度、足を運ぶ。ここについてはどの国も同じだけれど、イラン大使館の対応時間は極めて短い。
 
そんなこんなで、他の国よりも面倒が多く、しかもビザ発行費用も高い。ビザについては別途まとめるつもりだが、とにかくこの会社の頼んでほんとによかったと思う。日本人ガイドをつけるおつもりならぜひこちらの阪野さんを推薦します。まちがいないです。
 
阪野さんは、とてつもない努力をされて、ペルシア語によるガイドの国家試験を見事突破され、まだ国内では少ない日本語ガイドとして活躍されている。大使館のお客様も一手に引き受けておられるそうだ。言語に興味のあるわたしとしては、外国語をマスターする、堪能になるということは何よりもすごいことだと思っている。その土地の言葉が自由に話せたらどんなに素晴らしいだろう。どらえもんの翻訳こんにゃくだけは本当にあったらなあと切に願うのである。
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ついでにいうと、気合をいれてペルシア文字と数字だけは読めるようにしていった。 けれどもいざ現地に入ると、さまざまな書体に変化していてほぼお手上げだった。 そしてペルシア語はとても優雅で美しい。
言語はなんといってもまず響き。わたしが好きなのはイタリア語、ロシア語、そして今回初めて聞いたペルシア語。イタリア語はやろうと思えばできる(いまでもちょっとだけはわかる)が、ロシア語はその文法の複雑さとキリル文字が覚えられなくて速攻挫折。
ペルシア語ははなせるようになりたいと強く思った。かっこいいではないですか。古い古い言葉、ファールスが話せるなんて。
この国の矜持は、複雑で古い歴史の上に成り立つ独自の文化を、言語とともに固持し続けてきたところにある。アラブに染まらなかったことは部外者からしても嬉しい。残してくれたことに感謝したい。
 
旅行の形態についてもこの際記しておきたい。 昨年末、旅馬鹿プロジェクトというものを立ち上げるにあたって、自分にとっての旅ということをじっくり考えてしまった。 旅はそもそも冒険でありクエストだとおもっている。費用の点では団体のほうが安い場合もあるが、個人で計画すれば、行きたくない場所、食べたくないご飯、見たくないものにかかる費用を省くことができる。人を待つ時間の無駄も省ける。
 
さらに全行程完全に一人で行うと苦労もある分思い出も深く、達成感も大きい。旅をすることの技術面でも向上して自信がつき、よりいっそう世界基準の視点も身に付く。自分一人の力と知恵を総動員してですべて行うからである。危険察知能力や回避能力、損得の具合もそのコツも会得していく。どうしたって個人的な接触が増えるから、人とのつながりが広がり、得るものもぐっと増える。同時にしょっぱい経験も、他人に頼りきりの旅よりはるかに頻度が高く、へこむことも多いが、一人旅の良さを知ってしまうと、ガイドをつけることすら抵抗を感じる。小さい子供がなんでも自分でやりたいとがんばるのに似ている。
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が、それも程度問題で、社会的制約があったり治安の問題があったり、なにより文字表記言語の問題で対処しづらいと、楽しみよりも苦しみの分量が大きくなり、こうなるとなんのために大枚はたいて時間をつかって旅をするのかわからなくなってくる。旅はあくまで楽しみであって職業でも修行でもない。その兼ね合いをはかるのが難しくまた楽しい作業である。
 
今回のイランは、宗教的制約が厳格であることが一番の理由で、女性一人旅という形態はなるべく避けた方が無難であり郷に従う方法であると判断。この時点でガイドを付けることに決めた。次はどの程度つけるか、である。スルーにするか、ポイント別にするか。もちろん旅のパーツを増やすほど、準備にも手間と時間と努力が必要となる。
 
モロッコの時は日系エージェント3社、現地人エージェント3社に見積もりを依頼、各社比較から始まって、ガイドの有無とそれによって変わる旅程を数パターン考え、それにあわせて宿をとりあえず押さえ、バスや電車の時間を調べて移動を考え・・という作業となった。エージェントを決めるまでに2週間ほどの時間がかかった。 それが今回は1番初めにに問い合わせたイラン・トラヴェリング・センターに即決。対応の細やかさ、丁寧さと誠実さを感じさせるものがあって、不思議と最初から信頼感を持つことができた。旅のスタイルを相談し、スルーガイドとポイントガイドの両方をオファーしていただき、この人ならスルーでお願いしたいと思ったので即決。
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その理由は前回のウズベキスタンの旅にある。全く一人で旅をしたウズベキスタンは最初の体調不良もあり、なによりも言葉が通じないことをを嘗めていたせいで苦労した。これまで旅したところは、最低でも英語の単語程度はわかってもらえて、実際に言葉で不自由する経験をしたことがなかったのだと痛感。ツアーでまわれば、添乗員がいて、聞かなければわからない状態もほとんどないだろうが、独りだとそういう場面ばかりである。これで英語表記がない、単語すらわかってもらえないとなると、辛い。 それに加え、歴史的建造物・場所は当然のこと、目にする数々の風物で不思議に思ったり疑問に思ったことをその場で解決できない。これがなによりもつらかった。フラストレーションの大きさといったらない。もどかしくて、食べても味がわからいような、トイレにいって出ないような・・・(すみません、つい尾籠な表現になってしまいまして。トイレ考察をひきずってます。)
 
今回は念願のペルセポリス探訪がある。ここでの味わいは知識の深さにかかっている。自分で本を読んで、照らし合わせながら回ってもよいのだが、やはりそのために専門の勉強をしている人にはかなわない。教科書にはない逸話もたくさん盛り込まれるし、クオリティは雲泥の差である。お金を出すか出さないかの差である。出して味わい100%になるなら、もしかすると一生に一度の機会なのだからその方がよい。もちろん、独り風に吹かれながら古代の遺跡を逍遥するという味わい方もあろう。だが歴史に興味がある場合は、やはり知識量に軍配。今回はこちらを選択。ペルセポリスでなければわたしもガイドはつけなかったかもしれない。
 
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念願のペルシア 2 シラーズ(1)

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   シラーズに到着したのがすでに5時をすぎていた。何もできないだろうと思っていたが、まず向かったのがシラーズで世界遺産となっているエラム庭園。イランにはたくさんの庭園がある。ペルシャ帝国時代からの伝統的な造園による「イラン式庭園」が世界遺産の題目となっている。

これは、花木とふんだんな池を配置したもので、池はメインになるものが中央に細く長く作られ、噴水を配したものも多い。乾いた国に、いかに水が憩いを与えるものかをしみじみ感じさせてくれるものだ。

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左:シラーズ名物、ハーフェズの詩の一節を小鳥が引いてくれる小鳥占い。

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なぜペルシアに憧れるかという大きな理由が、ペルシャ人の美意識の高さにある。モスクにしても絨毯にしてもその繊細な美は精緻をきわめる。ペルシャ文字のカリグラフィは日本の書道と同様の深い芸術であるし、詩も古代から大変に重要視され愛されている。そんなイランの庭園は、フランス庭園などのただの幾何学模様とは雲泥の差で、夢見るような心地よさを持っている。
 
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ちょうど花のさかり。シラーズ名物のオレンジの花はほとんど終わっていたけれど、少しだけ間に合って、かぐわしい香りを味わうことができた。
そして念願のペルシアの薔薇をさっそく堪能、スターチスのむせるような香りや、新緑の美しさ、ペルセポリスにも描かれ愛されてきた糸杉の道も楽しんだ。 糸杉はかのペルセポリスにもたくさん描かれているほど、古代から愛されている。
けれどもその麗しい庭園を一歩でれば、そこは乾いた大地なのだった。
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  右:ヨーグルトを極限まで乾燥させてコロコロにしたもの。お料理につかうとか。
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  左:この道70年という絨毯商人のおじいさん。シラーズの絨毯は上質のウールと
  シルク製。右の写真で、模様の縁に白く輝くのが絹の部分。絨毯は生産地によって
  材料やデザインが異なる。最高級はもちろんクム産のシルク。1㎝四方に24個の
  結び目があるものが最上級という。それは角度によって輝きも色も変わる、素晴らしい
  ものだった。
 
次に向かうのはバザールバキル。こじんまりしたバザールで、色とりどりスパイスやコロコロに乾燥させたヨーグルト、干したレモン、特産のアーモンドやピスタチオに加えてひまわりやらかぼちゃやら、あらゆる種が山積みだ。
 
観光客向けではなさそうな、地元の人のためのバザールらしい。生活の匂いがして楽しい。狭くて急な階段をのぼって2階もまわってみた。明るい空が広がって、オレンジの木には小ぶりの山鳩が憩い啼いていた。
イランの素敵なところ。その1。押し売り、ぼったくりがいっさいないこと。よくあるダブルスタンダードではなくて、地元民と同じ値段で買い物ができる。きちんと値札がついているから、買い物の目安に困らない。他の中東やアラブによくある、言い値の半分でも正当でないような値段と違い、ほんとに適正価格なのだ。だからまけてもらうということはあまりなく、現地人でも同じ。たくさん買ってくれたらおまけするよ、というような、ほとんど日本と同様の感覚である。エジプトやモロッコと一緒にしてはいけない。そして浮浪者、物乞い、子どもの土産物売りなども一度もみかけなかった。豊かな国なのだ。
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そのくらい正直だし、客引きや押し売りもしないし、こっちから聞かないと相手もしてくれないほどだ。阪野さんは主婦感覚で、達者なペルシア語でなかなか上手に駆け引きをしていたようだが、それに困った顔をするおじさんがかわいらしいくらいだった。
 
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  左:キャリムハーン城の入り口タイル絵。王様が鬼を退治している。ユーモラス。
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次に向かうのはキャリムハーン城。昔日の王城ではあるが、一時期監獄として使われた歴史的建造物である。中では蝋人形によるヨーロッパ使節の謁見の模様が再現されていたり、ハマム跡などが見学できる。宵闇が落ちる異国の古城。回りの美しく手入れされた芝生には、ひしめき合うほどの人たちが思い思いにシートを広げて、お茶や夕ご飯やらで楽しんでいた。このように、イラン人は夜10時ごろまで、外でピクニックをするのが大好きなのだそうだ。家族で、友達同志で、恋人たちでにぎわうのだ。アルコールはご法度ゆえ、街の中心部でも盛り場がない。同時に性風俗もみあたらなかった。もちろん、全部を見たわけではないので、アングラでは存在するのかもしれないけれど少なくとも公には目にしなかったし、子どもが安心して歩ける街並みであることはたしか)。したがってて夜遅くても非常に健全で、新宿などという繁華街のあるどこやらの国とは大違い。犯罪率の低さもうなずける。
だれでもすぐに声をかけてくれて、写真とって、と人懐こい。
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ただし、ガイドの話で印象にのこったのは、思いのほか開放的な恋人同士のデートも、もし婚約前であることが露見した場合は大変なことになるらしい。双方むち打ちの刑および、家族も含めて世間的に肩身の狭い思いを強いられるそうだ。アルコール規制や旅行者でも例外は許されない女性の被り物を含めて、このあたりは厳格である。ついでにいうと、泥棒もつかまるといまだに手を切られる刑があるそうだ。抑止力ありそう。
家族の結びつきや友人同士の助け合いはかなり強固で厚いようである。長い歴史に裏打ちされている誇りもあろうが、自国の文化をとても大切にしている。頑固なまでに貫く姿勢や迎合しないところは日本も見習うべきところはある。きっと、孤独死などなかろうし、うつ病も少ないとおもう。話に聞いたことから想像するに、悩みがあっても相談できるところがたくさんあって助けがあって、となると、犯罪に走る精神状態になることも少ないだろうと思われる。
 
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いろいろとイラン人の生活の様子を、現地で暮らして20年以上の阪野さんにきいてあれこれ考察するのが楽しい。ちなみに阪野さんはイラン人のご主人と結ばれてイラン国籍も取得され、息子さんお二人を育て上げられた女性である。お人柄も知識も素 晴らしい女性で、このような方にガイドをお願いできて、今回の旅行はとてもラッキーである。おかげで、本当にたくさんのことを考え、感じることができる旅となった。(お顔もお名前も公表することは了承を得ています)
 
このあと街のレストランで最初のイランご飯をいただく。ラムのケバブとレモン味のノンアルビール。これは甘くて、炭酸ジュースといった感じ。一度でいいかな、とその後は飲まなかった。そしてサフランで色づけしたもので飾られたライスは山盛りで、とても食べきれなかった。
 
イランではオフィスアワーが朝の7時からお昼の2時までだそうだ。お弁当も給食もなく、間におやつ程度口にして、家にかえってからみんなでちゃんとしたお昼ご飯をたべる。お母さんは朝ごはんが終わったらすぐ、この一番重い昼ごはんの支度にとりかかるそうだ。
たらふくお昼をたべたあとは、お昼寝をする。そして夕方やおら活動を始め、ピクニックをしたりお買い物にでかけたりするのだそうだ。だから夜ご飯が遅い。レストランも8時ごろからしか開店しない。慣れていないので夜遅いご飯は最初はなかなかヘビーであった。

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近づいてまいりました

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興奮します~
ほんもののペルシャ語のドキュメント、初めて見ました。
このミミズ文字がほぼ読めるようになったのがうれしいんだ~。
 
これはテヘランからシラーズまでの国内線のe-ticket.。航空会社は聞いたこともない名前で覚えられず。テヘランのイマーム・ホメイニ空港から、国内線のメヘラバード空港まで移動して乗り換えねばならないから、ちょっとでも看板が読めるとずいぶん心強いと思う。
楽しみだなぁ。わくわくするなぁ。

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満を持して

さっそく旅馬鹿PJ第一弾発動。

なによりも一番、どこよりも先に、何があっても絶対行きたいナンバーワンの5月のイランへ。
それは新年仕事始めの日。
ぼんやり昼休みに旅サイトをみていたら、旅の神、降臨。アッラーではございません。
暮れのモロッコはなんだかんだ、取りやめてしまったけれど、思うに、やはり行きたいという情熱が足りなかったんだ。
だって、イランは、なにがあろうと行くのだという気持ちが揺るがない。いつものあれ。絶対間違いなくそうなるというなんの根拠もないけれど何の疑いもない確信。
国境封鎖されない限り、お金がかかろうがテロがあろうが地震があろうが。インシャ・アッラー。
お隣の国の騒乱は確かにある。案の定、家族はモロッコ以上の拒絶反応。
でも逆に今いかないと、シリアみたいに行けなくなるかもしれない。
あの美しい、マスジェデやモスク、宮殿やペルシャ庭園が破壊されて見られなくなったら、もうほんとうに死んでも死にきれない。
ペルシャ文化の粋を集めたエスファハーンやシーラーズ、どんなに夢見たことか。
子供のころから読み親しんだ物語でそれらは育まれた。どこよりも強烈な異国のイメージ。摩訶不思議な技を持った人々がうごめく妖しい世界、夢幻の翼、空飛ぶ絨毯。
私のなかのファンタジーの根源。

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