MEXICO

2015  ラパス

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昨年のフィリピン・オスロブは、ダイビングも場所もいまひとつぱっとしなかったのもあり、今年の家族イベントは期待大であった。なにしろ初めての大陸、初めてのメキシコ。

最初はカンクン狙いだったが、9月はハリケーンの危険が大きすぎるので太平洋側のラパスをチョイス。ただ一つ残念だったのは、直前で次男がテストにぶち当たることなり、キャンセルになったことだ。一番水がすきで水のなかでは活き活きする次男だし、動物も大好きだからアシカはよろこぶはずなのだが、将来に関わることなのでいたしかたない。長男もいつもひっついいている相棒がいなくて意気が上がらない様子だし、その分わたしが相手してやろうなどと思いながらの旅であった。

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朝7時ごろXVに荷物を積み込んで出発。ひさびさのVIPエントリーからのらチェックインだ。自力では得られない快感である。おかげさまです。ラウンジでがっつり朝ごはんをいただき、成田11時15分のANAにてヒューストンへ。

初めての太平洋越えである。飛行時間は11時間半ほど。デイタイムから夜なので特に眠くもなく、5本映画をみる。「ヴェルサイユの宮廷庭師」「Far from the Madding crowd」「トゥモローランド」「インサイド・ヘッド」「アデライン100年目の恋」。

よかったのはヴェルサイユ、とインサイド・ヘッド。ワインはスペインの白がとてもおいしかった。

映画に没頭してふと気づくとすでにテキサス上空。これはみねば、と思って窓をあけると広大な大地にきっちりと企画正しい農場がどこまでも続く。面白いのは完全円のフィールドであった。麦だかなんだかの畑なのだろうか。半円だけ刈り取られたものとか大小さまざま。

そのうちヒューストン上空にいたると湖沼と緑が増え、これまた規則正しい住宅はどれもブルーの水をたたえたプールつき。お金持ちの町らしい。

ようやく着陸してイミグレ。長蛇の列で1時間以上待たされ、やっと通過。X線ではカメラの入ったバッグを乱暴に放り投げられてむっとする。乗り換えに従ってUAのチェックインをし、UAのラウンジにいってみたが大したものはない。

30分ほど休んでゲートにいき、メキシコシティへ向かう。飛行時間2時間半ほど、小さい飛行機でサービスは飲み物のみ。到着したメキシコシティではイミグレは意外にもあっさり通過。メキシコ人は思ったよりてきぱきと仕事していた。荷物は全部開けさせられて税関も通過。

荷物をもったまますぐにティオティワカン観光に出ようという事になる。流しのタクシーは危ないので空港にブースをだしているオーソライズドのものをアレンジしたのだが、ここですでに問題勃発。乗った途端に、ボスから電話といわれた旦那が応対すると、ウェイティング料金を別払いで支払えといっているらしい。我々は4時間チャーターの契約のはずだからおかしいと議論するも、埒があかないようで、とにかく空港のカウンターで契約したのだからそこにもどらないとなにも答えない、といってとりあえず終了。

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ティオティワカンに45分ほどで到着し、5時半の閉場時間まで駆け足でみる。まずケツァルコアトルの神殿にのぼる。ガイドも頼まないのでとにかく歩くのみであるが、想像したよりも漠としていて、しかもほとんどが修復後の遺構のみ。装飾はケツァルコアトル神殿に少し残るだけで、それも近くまでは寄れない。シートの上に土産物をひろげた現地人が、ケーナ風の笛をふいたり、しゃ~~~いうジャガーの声のでる道具をならしていて、それが荒涼とした遺跡と雲の多いメキシコ高地の空に消えていくのだった。

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死者の道をたどり、うじゃうじゃと人が登っている太陽のピラミッドを右手にみて、突き当たる月のピラミッドに到着、登れる第2階層まで登る。段差は大きく、しかも90度ちかい階段は恐ろしくて、3点確保で登る。ペルセポリスやペトラとちがい、当時を彷彿とさせるほどの力がない遺跡で、どちらかといえば日本でいう石垣だけ残った城址のようなかんじ。都市に近いというのもあるかもしれないが、正直にいうと期待を下回るものであった。が、訪れたという成果はあがった。閉場時間ぎりぎりで最後は怪しい黒雲に追われ、すんでのところで夕立を逃れてタクシーに乗り込む。

 

空港にもどってブースで交渉、結局ブースの係員の説明不足ということになり追加料金支払い。嫌な思いをする。気を取り直して、21時の便までに晩御飯を食べるため、バルに入る。とりあえずタコスでしょう、ということで、タコスとナチョスを1皿ずつ、コロナビールで乾杯。しかし量が半端ない。3人で必死で食べてもたべきれない。おいしかったけど。となりのおじさんはそれを一人で3皿たいらげていた。メキシコはおデブばっかり。ティオティワカンでも思ったが、老いも若きも男も女も大人も子供もみんなすさまじいおデブなのである。

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薄いコロナでも旅の疲れかやたら酔う。9時ごろゲートが開いたので乗り込んでラパスへ向う。これまた小さい飛行機で、隣のおばちゃんが「ラパスは日本人いっぱいいるよ」と話しかけてきた。日本人しかいないんだろうな、いきなり日本人認定で、チノかと言われないのは珍しい。

深夜であるが、予約したホテルの送迎まではかんがえてなかったとのたまう夫に、成田でメールはうってもらったがやはり応答は無し。また嫌な思いをするタクシーかなあといっていたら、FUN BAJAのカードをもったおじさんがいたので、一応明日からお世話になりますと挨拶したところ、ホテルまで乗せるというのでありがたく乗せていただく。セブンクラウンに到着してチェックイン、部屋は3ベッドの立派な広い部屋で、なかなかスタイリッシュであった。すぐ設計ミスのシャワーをあびて就寝。

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翌朝8時ピックアップのため、7時から朝食。コンチネンタルでフルーツがおしゃれに盛られたファウンテングラスつき。

初めてみるメキシコ、ラパスの空はとりあえずどんより曇っている。あらら、メキシコって青すぎる空ときつすぎる日差しではないのか?とおもったらまだ夜明けだからであって、そこからは期待通りの空と日差しになった。絵にかいたような例の柱状のサボテンも赤い荒地に乱立しているのをみて、ほんとに生えてるんだ、と妙に感心する。

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混載の車は途中沢山の日本人をひろってFUN BAJAに到着。飛行機のおばちゃんがいったとおりだ。前夜空港ピックアップ時一緒になった日本人3人ともまた会って、本日は一緒にキャンプだそうだ。

何泊ですか、ときかれたから4泊と答えたら「え」といわれた。いろんな記事をみても、何もなくて暑いだけで、1泊以上は無理という人がほとんどなのに、すごいですね、と。こんどはこっちが「え」と応える。そんな情報は一切しらない。失敗したかしらと一瞬不安がよぎる。

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FUN BAJAの施設にはいっていくと、しろっぽいワンコがはしゃいでいるのが目に飛び込む。これはもしや!事前に調べようとしてみつけた,元FUN BAJAガイドで福岡出身ののなほさんの愛犬、ハルちゃんでは!お客さんに対応している女性も、多分なほさんでは!

タイミングをみて話しかけると「あらー、マウンテニアさんですね!」とすぐにわかってくださり、しばしご挨拶を交わす。画像でみたハルちゃんとおなじ、元気な女の子で愛想よくいっぱいぺろぺろしてくれた。

貴重品や要らないものをスーツケースにいれて預け、滞在用品とダイビング機材を船に積み込む。船はおおきなイザベル号。同乗はわれわれ3人と空港で一緒だった3人、他にも10人くらいいたかしら。

まず向かうのはもちろんアシカのコロニーのあるロス・イスロテスである。港から1時間弱。おしゃべりしながらあっという間に到着。支度をしてブリーフィングを聴く。ガイドはカルロス。なほさんの相方である。情報と本物が一致する。

薬ものんで準備万端。初のアシカダイブであるが、人数が多いので、我々のチームはカルロスと共にまず、握りこぶし大のジョーフィッシュを見に行く。たしかにおおきかったがハゼには興味のないわたし。とりあえず1年ぶりのリハビリダイブであるが全く問題ない。機材の具合も同様。

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初ラパスの海は、いつも行く海とは様相が全く違い、栄養豊富なコルテス海で育ったおいしそうな魚ばかりだ。うるさいほどのオヤビッチャやチョウチョウオ、クマノミやグルクンなどサンゴ礁の常連はいない。

かろうじて、ブダイはいたが巨大さにびっくり。ニザダイもいたが、これまた巨大で、みたことのない斑点模様。コルテス海とガラパゴス周辺の固有種だとか。

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2本目、肝心のアシカは、驚きのすばらしさ。お父さんは大きくてびっくりなほど迫力あるし、子どもたちの動きの素早さしなやかさ、かわいさには感激。見ているだけですばらしい。野生の哺乳類の生の生態をこれほどまじかに観察できることはそうそうない。

もう一つ、特筆すべきはイワシやアジの群れの美しさであった。たかがイワシ、されどイワシ。その圧倒的な数とだれがとるのか統率のとれた動き。まるで川のように、前が見えないほどに途切れなく流れていくさまは圧巻であった。キラキラと光る小さな体についた目、目、目。水深4~5mほどの水底から透ける空をバックに、このあふれる生命の躍動をみているとあまりに美しく感動的で、この上ない幸せに満たされた。ただ、その光景をみつづけていれば何もいらないほど幸せだった。これだからやめられない。

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40分のダイブタイムはあっという間。流れがあったせいか人数が多かったせいか、遊びにきてはくれなかったが、この後毎日潜れるんだから、とりあえず大満足でキャンプの島に向かう。

ここはエスプリットサントス島といい、到着後知ったところ世界遺産となっているそうだ。ここで荷物をおろし、テントを割り振られ、トイレとシャワーの使い方のレクチャーを受けてランチとなる。フリードリンクだが、まだあと2本あるのでビールはおあずけ。トルティーリャに辛いソースをかけておいしくメキシカンをいただく。

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3本目はマクロとガーデンイール。海底から1mほどでてる、ホント、ホント!とカルロスが力をいれる。そんなアホな、と思ったが、見た人によるとその通りだったそうだ。

終わってまた島にもどり、晩御飯のあとモブラ・ナイトにでる。島の大きな湾内、エンセナダ・グランデというポイントでライトをつけて待っていると、通称モブラ、ヒメイトマキエイの群れがやってくるという。マンタを10分の1にしたようなモブラは、最初1枚しかこなくて、こんなもんかーとおもっていたら突然50枚以上が押し寄せて乱舞するのは圧巻であった。30分~40分で上がって戻り、シャワーをあびてからログづけおよび宴会に突入。あっというまにテキーラ2本あくのであった。テキーラは、手の甲にライムをしぼって塩を置いたものをまず口に含み、ショットグラスのテキーラを一気に干したあと、口のなかでミックスしてからぐっと飲むのが流儀だそうだ。

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2日目はアシカのロス・イスロテスと並ぶ名物、エル・バホへ。ここはハンマー狙いである。故に中層をひたすら泳ぐブルーウォーターダイビングというスタイルになる。水温の高い夏は、ハンマーは冷たい深いところにいるので、深度も30m前後という、深めの1本となるのである。これまで数回経験があるが、緊張しながらもだめではなかった。

 過去にも書いたが、私は閉所恐怖症の気が強いので、閉塞感に襲われたら最後、パニックがでてしまうのだ。これは左足の靭帯を切ったあと、200本も潜ったころにで始めた症状で、一時はもうダイビングはあきらめようとまで思ったが、3年ほど苦悶したあと精神内科でパニックを押さえる薬を処方してもらってからは、すっかり克服できたはずだった。

 今回も初日の3本は全く問題もなく、パニックがでるとすら感じずにすごし、この日もエントリーして10分くらいは普通に泳いでいたのだった。それが突然、ガイドのチャベロの姿が濁った水の向こうにぼんやりし始めたころから、急に回りの青一色の何もない世界が迫ってきて、上も下も、体のまわりはおそろしいほどの青一色。急に呼吸がはやくなりドキドキし始めたらもう止められない。吸っても吸っても息が吸えなくなり、心臓は口から出そうなくらい激しくうち、耳鳴りがしてコントロール不能になってしまうのだ。「なんとしても外に出たい」という欲求が激しく突き上げてきて、暴れもがきながら水面へ突進していきたくなるのだが、それをすると死んでしまうという理性が必死で押さえる。何かに捕まってじっとするとか、生物を見て気を紛らせばとりあえず落ち着くのだが、ブルーウォーターではそれができない。遅れることもできない。ひたすらカレントの中をこぎ続けなければロストしてしまう。だれにも苦境をわかってもらえない。ただ一人耐えるしかない。今度こそだめかな、となんどもあきらめそうになりながら、ふととらえた息子の姿を頼りに、息子だけみながら泳ぎ切った。最後まで息は苦しく早く、ドキドキもおさまらなかったが、安全停止になるころにはなんとか落ち着くことができた。

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今回のショックは、薬を飲んでいたにも関わらず発症した、ということと、途中からいきなり出てしまったことだ。でる、という恐怖に捕まってしまうともう、どうにもできない。薬が古くなっているのもあるだろうが、改めて処方をしてもらわなければ。   

4日目、やってきたグループの中に、同じ悩みをもった女性がいて、同病相哀れみながら深く共感するのであった。辛さを分かり合うのに言葉もいらないくらいだ。それをきいていた別の人が、そうまでしてやりたいのかとのたまったが、その通りなのである。そうまでしてもあきらめられない世界なのである。つい1ヶ月前から症状が出始めたという同病の女性は、わたしより厳しいようで、私が使っている薬よりもっと強いのでも効かないらしく、最後の日はとうとうシュノーケルに転向してしまった。

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上がり際、船底で頭を切って血まみれになった夫とともに、2本目はもう無理でぐったりしながらパスした。チャベロも様子がへんなのはわかっていたと思う。3本目もだめだと怖いので思わずもう1錠薬をたしたら、今度は眠くて眠くて、3本目マクロポイントで潜っていても、気が付くと寝ていて、海水を飲みそうになってははっとするという1本だった。何を見たかも記憶にないほどで、勢いとはいえ危ないことをしてしまったものだと反省。

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島に戻れば靴もサンダルもはかない、はだしの生活。寝て起きて食べて船にのって潜って、ただそれだけの繰り返し。本を読む時間もほとんどないくらい、原始的な生活だった。電波も文字もなくても全く気にもならないものである。どのくらもつかはやってみないとわからないが。

食事は、スープのあとワンプレート、肉と野菜と豆のペーストがかならず乗っている。夕食にはデザートが付く。朝ごはんはスープの代わりにフルーツとヨーグルトがでる。でもメキシカンは2日で飽きてしまった。特に豆のペースト。この豆がどうやらいんげん豆らしいのだが、かならず毎回お皿にのってトルティーリャチップスが1枚ささってる。わたしは豆類が大好きで、ご飯がわりに食べるくらいで、虎豆やうずら豆煮豆などは大好物なのだが、このペーストには参った。最後は見るのもうんざりだった。なんでもメキシコでは、日本の味噌汁に相当するほど、毎食なくてはならない存在なのだそうだ。

トルティーリャも最初はおいしく、辛いソースをたっぷりかけて楽しんだが、2日目には手をださなくなった。中東の羊の方がよほど大丈夫だったのには我乍ら驚き。しかも輸入品で日本でもなじんでいるはずのハラペーニョなどの辛いソースは、おなかが緩むのだった。この鋼鉄の胃腸を誇るわたしでも、である。何か違うのだろうか。

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真水は毎日ラパスの町から運ぶ貴重品なので、体を洗うのは常温の海水で、最後のすすぎだけ真水をつかう。これも常温なのでもう少し寒くなると辛いと思われる。シャワーはすべて終わったあと、1日に1回のみ。トイレは自力でポンプくみ上げの簡易水洗だが、夜はライトがないと何がなにやらわからない。かといってつけたまま用をたすと、荒く編まれた小枝の壁をとおしてシルエットが丸見えとなってしまう。   

テントは2人用だが、よく浜辺においてある寝椅子にシーツが掛けてあるのみ。薄いシュラフがおいてあったが、気温はなにもかけなくてちょうどいいくらいであった。ラッキーにも私は滞在中ずっと一人で独占だった。

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夜は手が届きそうなじゃらじゃらした星空に酔いしれ、一緒になったダイバーやガイドやスタッフと楽しく夜中までテキーラをすすり、旅やダイブスポットの情報交換をして共感したり驚いたり、またたくまに4泊5日は過ぎて行った。合間に一度だけカヌーで隣の入り江まで漕いでみたり(これは予想外に腰に悪かった)4日目には世界遺産である島を横断するトレイルを3人で完歩した。このトレイルはいわゆる枯沢を標高差50mもない程度ゆっくり登っていくのだが、男二人はものの10分でへばってしまい、何度も休みながらはぁはあぜいぜいと苦しそう。私は最近、山で男性に後れをとるようになってめげていたが、まだまだと自信を回復したのであった。

あきらめそうになるのを励ましながら、1時間で島の向こう側に到達。真っ青な海と断崖絶壁を堪能してキャンプに戻った。昔々だれかが捨てた真珠貝の貝塚が、キャンプのすぐ裏手にあって、詳細はいまだ不明なのだそうだ。ちいさなトカゲや、黒くてスリムなウサギに途中であう。

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このウサギは夜には食堂テントにやってきてはエサをねだり、なんと手からも食べるのだった。が、厳しいガイドのカルロスには、世界遺産の島だから餌付けはNGと怒られた。

他に、カモメのチャーリーとナオ、アオサギも住み着いていた。チャーリーもトルティーリャをねだりにテーブル近くまでやってくる。お茶目なチャベロはひどいことに、辛いソースを付けてなげたりするのだが、チャーリーはそれを海で洗って食するのである。カモメがそこまで智恵があるとはついぞ知らぬわたしは驚いた。

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このチャーリーは怒りんぼで、時々やってきて餌を横取りするペリカンに突っ込んで撃退することもあるという。そのノリで5倍くらいあるアオサギに向かっていって逆にぎゃふんと言わされるというかわいいやつである。

もう2匹、夜な夜な食堂テントのトレリス部分にのみ現れるバビズリという動物もいた。これは初めてみた動物だが、長いしっぽは輪っか模様でワオキツネザル風。体はイタチやフェレットくらい。息子が調べたところクマの類に属するようで、アライグマみたいなものかもしれない。

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こうしてついに最後の日がきた。最終日はどこでどう潜るかについて、前夜滞在メンバとチャベロの間で議論が交わされた。これは初めてではなく、3日めにも起こったことで、想像するにちょいちょいあるはずだ。だって、キャンプにいる人は日数、経験、志向、全然ちがって、船は一つ、サイトもほとんど2つに限られているのでは仕方ない問題だろう。

3日目はうちのオットが交渉役となり、カルロスを苦悩させてしまって申し訳なく思ったが、同宿のみなさんには喜んでいただける結果となった。最終日も、昨日と同じところは嫌だというひとと、厳しいポイントは潜れないという人で2派に分かれ、チャベロの采配は「明日朝オフィスと相談して」ということになった。

ガイドとしてもすべての客の言い分はきいてやりたいところだろうが、そうもいかないし。
こちらとしてもお金を払っている分は楽しむ権利を有するわけで。

最終日はアシカ2本。2本目はうちの家族3人だけという貸切状態で大満足、アシカの赤ちゃんには手をアムアムされ、滞在中最高のダイビングを楽しみ、ラパスに帰る時はジンベェウォッチ。あまり期待していなかったが、3度発見して、1度だけ一緒にスイムできた。

エリックが発見するもどこをどうみてもわからない、という状態のあと、しばらくすると素人にも見えてくる。その間に装備して待機、エリックのGO,GO、GO!という合図とともに飛び込む。4mほどの子供だったが、初めて自然な状態のジンベエをみられて大満足であった。

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夕方ラパスに戻り、お世話になったカルロスにお礼をいって、すぐとなりのハイアットまで送ってもらう。まだ水のしたたる道具袋をひいて部屋でバラし、ウェットだけは外で干すためと体の塩抜きのためプールへいく。泳いでも泳いでも、塩が抜けない気がする。5日間、ほとんど完璧な塩漬け状態であったのだからしかたない。髪の毛はぱさぱさでぺったりし、肌もカサカサ。せっせと日焼け止めを塗っていたにも関わらず、曲げると肘の部分は黒々と陰影を造る始末。

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ひと段落して町へご飯へでかける。もうメキシカンはだれも食べたくない。にぎやかな街を抜ける途中、息子が「ハンバーガーうまそう」という。この一言に激しく同意。迷いなくテキサスバーガーという店に入る。当然のごとくスペイン語のみなので、わたしが片言で対応してオーダー。これが実にうまいバーガーであった。そのあとスーパーで夜の飲み物やつまみ、アイスクリームを買い込んで、迎えの車に拾われて帰る。やっとwifiも拾えるようになり、留守番の下の息子ともつながる。しゃばに帰ってきたのであった。

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翌日は9時過ぎの便でメキシコシティへ。ついてまず空港併設のホテルにチェックインして荷物を置いて、数時間の観光にでることにする。最初は街中の遺跡や古いカテドラルを見に行く予定だったが、到着したメキシコシティはあいにくの雨。歩き回れないので、国立人類学博物館へ行くことになった。これがまたすったもんだ。タクシーは往路で辟易したため、地球の歩き方で太鼓判の会社のブースを探したが、あいにく出払っていてつかまらず。それならば地下鉄でいってみることにした。わたしは海外で一人で乗った経験もあるし、大都会の地下鉄は難しいことはないので何の抵抗もなく、かえって面白がったわけだが、さにあらず。

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まず汚すぎ、ぼろすぎる車体に乱暴すぎる運転。怪我するかと思った。おまけにラッシュアワーと重なったらしく、東京なみのぎゅうづめ。どこまで乗っても一律40円という安さから庶民の足らしく、それこそほこりまみれの汗臭いメキシコ人と肌もふれんばかりで押し込まれ、そこへ駅ごとに物売りが乗り込んでくる。飴の束やCDなどを売るのだが、決まり文句を節をつけて怒鳴りまくる。もちろん誰も買わないから聞いているだけだが、これが痛い。大人ならまだしも、そのうち子供まで乗ってきていたたまれない、と思っていたらこれが曲者。たまたま席があいて座っていた夫のひざになにやら落し(わざと)、それを拾う風を装ってウェストポーチのジッパーに手をかけたというのだ。夫はジッパーに小さいカラビナのようなものをつけて開かないようにガードはしていたのだが、思わず手を払いのけたといっていた。

油断も隙もならない。わたしも荷物などもたず、デジイチなどとんでもなく、貴重品だけ肌身につけての移動だったが、常にお腹をおさえながらの緊張を強いられた。 

帰国して中南米エキスパートの達人の先輩にきいたら、メキシコの地下鉄はスリの天国だ、とのことだった。

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国立人類学博物館は広大でたしかに奥の深い立派な博物館であった。閉館まで時間がないので駆け足で全展示部屋をみたけれど、解説はほとんどスペイン語のみなので、ゆっくりみても大してわからなかっただろう。それでもパレンケの王様のヒスイのマスクがある事は知っていたので、それだけは見たいとおもった。マヤの各祭祀センター、オルメカ、アステカ帝国、どれもスマートにまとめられた展示で見やすかった。

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土曜日なので6時50分まで延長された閉館時間ぎりぎり、全部見終わった。さてホテルへもどるのに、どうしようというわけだ。地下鉄はもうこりごり。ぐるりと迂回するような路線乗り継ぎ(3路線)になるので時間もかかる。タクシーしかないなとおもうものの、ティオティワカンのトラブルもあり、流しは絶対ぼったくり間違いない。夫はわたしの片言で交渉してほしいという。しかたないが単語10個くらいしかしらないので、だれか捕まえようとおもった。見るとIDを首から下げたおじさん二人。これはきっと職員、てことは学もあるはず。英語しゃべりますか、と問うたら一人がYESという。やれやれ。「すみません、【空港までいくら】、ってスペイン語でなんていえばいいか教えてください」と教えてもらう。ついでにおおよその値段もきいておく。間髪いれず客引きにつかまるので、教えられたとおりのスペイン語をぶっぱなつと500ペソという(1ペソ8円なので4000円)。いやいや。MUCHO!といって拒否ると、しかたなさそうにタリフをとりだしてきて、aeroporte350というのを指さす。

ほんとは200くらいじゃないか、ときいてはいたが、聞いたおじさんも正確ではないだろうし、200とか250という数字がいえないのでしかたない。ウズでは書いて交渉したが雨もふっていたので手を打つことにした。

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息子は不安を示し、やめようよというが、通るコースをみても乗ってきた地下鉄に沿っているようなのと、車内がきちんと整理整頓して綺麗だったので、悪いヤツでもなさそうだと思い、気にしないことにした。このくらいの妥協と鷹揚さをもっていないと、危ない国での旅はできない。知らない事自体不利なのだから。ストレスとお金を払えば解決することとのバランスをとるのが肝である。

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無事空港までもどり、あとはお土産の調達と食事である。これまでの旅の経験として、地元のスーパーにおもしろいご当地のいいお土産が見つかることが多い。

が、町のスーパーまでまたタクシーもありえないので、空港併設のコンビニやスーパーで探すことにしてうろうろ。1時間もあるいただろうか。なんとか調達して食事となったが、これが空港だからめちゃくちゃ高い。パスタが3000弱もする。肉料理のコースにいたっては5000円くらいかかりそうだ。疲れたし、なによりメキシカンじゃないものがたべたくて、テイクアウトのイタリアンでピザやラザニャ、サラダを調達してホテルにもどる。

これまたスペイン語での買い物はわたしの担当であった。

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翌朝はいよいよ帰国便にのる。7時の便なので4時に起きてチェックアウト、UAのカウンターでヒューストンまでのチェックインをする。その後UAのラウンジでなにか食べようとおもったら、さすがメキシコ6時にならないと開けないといって、扉の前には10人ほどの人が立って待っているにもかかわらず、絶対時間まであかないのであった。

10分ほど待ってやっと座り、暖かい飲み物とサンドイッチで軽く食事。そう、メキシコシティは寒いのだ。びっくりなくらい。なぜなら標高が2200mを超える高地なのである。

昨日の観光時も雨がふっていたのもあったが肌寒くて、薄い上着では心細いほど。現地人は大げさにもウールのコートやらダウンやら毛皮の襟付きジャケットやら、冬支度であった。あっけらかんと抜けた空、サボテン、灼熱の日差しにテキーラ、などといイメージとは程遠く、どんより薄暗く、町も汚くくすんだ印象だし、治安もよろしくないことでメキシコシティの印象は良いものではなかった。

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2時間半の飛行のあと、帰りはどのくらい待たされるやらと戦々恐々だったヒューストンのイミグレは、なんと誰もいない。拍子抜けするほどあっけなく通過して、あとは会社向けのちゃんとしたお土産を買い込む。3人で相談して、帽子好きの下の子のためにいわゆるテンガロンハットを買ってみることにする。喜ぶかな?

テキサスはもともとメキシコだったところをアメリカがぶんどったので、メキシコ文化が色濃いし、独自の郷土愛が激しいらしい。石油がでて農業も盛んで豊かな土地なのだろう。ずっと日本語の家庭教師をしていた女の子のママがテキサス出身だったことを思い出す。こんなところから日本にきていたのだなぁとしみじみ懐かしく思う。

ヒューストンでもUAのラウンジでナッツなどつまみながら待ち時間を過ごし、いよいよ14時間半の機上の人となる。が、だれやら一人客待ちの挙句、取りやめになったから荷物を下ろすとかでかれこれ30~40分またされてやっと離陸。

往路とおなじくビジネスは1席ずつ入れ子で区切られ、完全にプライバシーが保たれてこの上なく快適であった。おまけに窓際をとってくれていたので、ずいぶん地上の風景を楽しむことができた。連呼するがアメリカ大陸を見るのは初めてなのである。今回はあらかじめ地図を確かめて、どんな街、どこの地域を通過するかしっかり見ようとおもった。コロラドの月がうたわれる乾いた絶壁の大地、あのあたりがグランドキャニオンだろうか、とか、アイダホのジャガイモ畑だろうか、とかああ、ロッキーなんだな、とか、飽きずに楽しく眺めていた。最後はアンカレッジの南を飛ぶのだが、雲が広がって憧れのアラスカを見ることはできなかった。

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機内食もがっつりおいしくいただいて、時差解消のためもあったが眠くもなかったのでほとんど寝ずに5本映画をみた。往路も5本みたのでハリウッドは見尽くして、しかたなく見たインド映画の「PK」が非常によくて驚いた。目からうろこで、思いもかけず引き込まれてしまった。テーマも重いものを軽やかに、だけれど唸らせる描き方をしていたし、映像も綺麗、役者の質も高く、もう一度見たいとおもうほどだった。他にはピクサーの「インサイド・ヘッド」。これもシリアスなテーマを取り扱っていて、子供向けアニメとしては地味だけれど、とても興味深いものだった。「ヴェルサイユの宮廷庭師」はアラン・リックマンの美学がにじんだ秀作であった。衣装や舞台が豪華ながらもリアルで美しかった。初めて気が付いた俳優、マティアス・スーナールツに注目。良い。

しかし長い長い14時間半のフライトもやっと終わって成田についたら、瞼がくっつきそうで頭は機能停止となっていた。さっそくかかってくる仕事の電話にもろくすっぽ記憶が回復せず、帰宅して夢遊病者のように片づけをして倒れこんでしまった

やはり新大陸は遠いですな。でも次に本格的に行くための良い下見になりました。

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