TANZANIA

タンザニア 7

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ンゴロンゴロを出てマッサージロードを揺られ、ゲートをチェックアウトすると、街の喧騒にもどる。去るのが淋しく悲しくて無口になるのをジョンがチアアップしてくれる。今度はいつくるの、その時は1週間でも2週間でも僕がガイドするから、と。

旅の最初では楽しみだったし、絶対いかねばとおもっていたザンジバルもこのころにはすっかり輝きを失ってしまった。13時半発の飛行機のためにアルーシャの空港に12時前についたところ、出発が2時間半も遅くなっていた。しかたもないので、ベンチしかない空港でただひたすら待つ。FREE WIFIもショップで買い物をしないとPWがもらえないというので、しかたなくカシューナッツなど買って、あとはひたすらキンドルで本を読んで過ごした。相変わらず胃も痛いので、なにも食べられない。
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〈アル―シャ空港にて。ゼブラ模様の飛行機は、古くからずっとセレンゲティの保護に力をつくしてきたドイツの野生動物保護研究機関のプライベート機。さすが遊び心がにくい。右はザンジバルのホテルの窓から〉

ここは非先進国の常としてダラダラなオペレーションで、いつ開くのかまるでわからないゲート(といってもただの通り道)でひたすら待って、やっとチェーンが外され、搭乗が開始された。どうやらこのプレシジョンエアは遅延は常習らしい。

窓際の席にすわると、となりにはでっかいおじさん。うかない気持ちでぼんやり窓の外を眺めて1時間かそこら。そしてザンジバルに着陸。ところがだれもたたない。ずいぶん大人しいというか行儀がいいというか。しかしそれにしてもドアも開いているのに、なぜかおじさんどっしりすわったまま。数人が出口へ向かい始めた。なんで数人???とおもっていたらおじさん「おりるのか」という。おりるにきまってんじゃん!目的地なのに!と思ったのはシロウトのあかさたな。実はこの飛行機、ザンジバル行と表示があるのに、ザンジバルは途中降機で、最終目的地はダルエスサラームらしいとことが、降りてからわかった。あぶない。だれもそんなこと教えてくれないから。

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〈左、ザンジバルのホテルのへや。右あさごはん。フルーツがおいしいのと左上、彫刻のある塩入れがかわいい。左下は何だと思います?スクランブルエッグです。白いでしょ。タンザニアではどこの食事でも、卵がしろいのでびっくり仰天。白身だけしか使わないのかと思うほど。でも本当はこれが自然なのだそうですよ。日本は着色しすぎなのか。〉

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〈アラビア建築は窓が魅力的だ。そして猫が多いザンジバル。この子はドアの隙間10㎝にはまっていた〉


小さいザンジバルの空港ではタンザニア国内なのにイミグレが必要で、カードを書いてチェック通過。外ではドライバーのおじさんがまっていてくれた。ホテルまでのってチェックイン。ゼンジホテルはリーズナブルな安ホテルというかんじだけど、案内係りの青年はノリノリで楽しい。喧噪の大通りに面しているのでちとうるさい。
部屋の名前がふるっていて、「ROOM OF WONDER」。この街の世界遺産「HOUSE OF WONDER」にちなんでいるらしい。この日は到着も遅く、移動でつかれたのでそのままご飯も食べずにねてしまった。
ホテルの裏の駐車場に降りた途端、目に入ったものは子猫の悲しい末路だった。これが大きく印象を左右してしまった。アラブの暗い面が見え隠れするような。

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〈フェリー乗り場すぐ隣のビーチ.HAKUNA MATATA。この旅で覚えた素敵なスワヒリ語。No Problem !! 〉


ザンジバルはオマーンのスルタンが移り住んで都としたときからムスリムの街になった。いまでもムスリム90%以上。本土のタンガニーカとは別の国といってもいい文化と強力な自治権を保持している。ここで、ディズニーの短編アニメーションに謳われた「髪はさながらザンジバルの夕陽のよう」と、美女の形容に使われるほどの夕陽と、海と、ダウをみたかった。

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ダウとはアラビア特有の、三角帆をはった簡易な帆船なのだが、これがとても美しくて風情があるので大好きなのだ。といっても本物はまだみたことがない。

もうひとつの名物はストーンタウンと呼ばれる、アラビア文化の影響濃い古い街のたたずまいだ。これも以前他の記録を読んで、ぜひ見たいとおもっていたのだが、イスラム文化圏をいくつか回ったあとでは、実際にはそれほどのインパクトはなかったのが正直なところ。
それよりなにより、2分おきに声をかけてしつこく勧誘するガイドや物売りがうっとうしくてたまらず、動物と大自然だけのシンプルでウソのない世界から、欺瞞と欲のうずまいた人間社会にきたことがことさら嫌に思えてたまらなかった。うんざりしながら、返事すらせずぶらぶら歩く。
美しく光る海と、滑るようにゆったり進むダウをみられたことだけが救い。

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美しいダウ。やっとみられた。みたかったよ。

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〈石造りのイスラム建築や重厚なdoorで有名なストーンタウン。実は期待のほうが大きすぎた。すでにイスラム建築をいくらか見てきた目にはさほどのインパクトはない。この町はかのQUEENのフレディ・マーキュリーの育った家があることでも知られる〉


つまらない気持ちでストーンタウンをぐるぐる3回歩き、写真をとったりしてピックアップの時間。このあとは1時間半ほど車にゆられてビーチに向かう。途中の様子はとても貧しい。タンガニーカよりはるかに混沌と乱雑で汚い。ザンジバルだけの単発旅か草原に行く前にいっていたら、それなりに楽しめたと思うのだが、草原が恋しくて恋焦がれているこの状況ではとてもそうはいかず、旅の順番は大事だと改めて思ったのだった。

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〈数少ない観光スポット、右は驚愕の家だっけな。〉

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そもそも私は混沌が嫌いだ。ジャングルも苦手だ。アジアの猥雑が好きという人もいるけれど、わたしは苦手だ。
そんなことで到着したビーチも、リゾートの中だけが別世界で、一歩踏み出すと泥水とボロの散乱する貧しい村なのだった。海はほんとにきれいだったけれども、することもなくリゾートのプールサイドで本をよんで写真をとって、レストランで一人で食べるのもつまらなく嫌で、晩御飯もまたぬいた。

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〈ザンジバルではあちこちで青年が自主トレをしている風景をみかけた。タンザニア全般、男はマッチョでなければ、強くなければ男じゃない、ということで鍛えるらしい。わたしが朝走っているときも、何にも走っているのにすれ違った〉

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翌朝は早くおきて海岸を走り、12時の迎えまで本を読み、17時の飛行機に間に合うよう空港へ。お店も2件しかない空港で2時間ほどつぶし、ドーハへ向けて離陸。いつもと同じ深夜2痔半の便で成田へ。長い長い20時間の航路をたどり帰宅。当日は息子の誕生日だったので、家族と共にお祝いの食事をして写真をみせながら報告となった。自然と動物が大好きな息子達にぜひ見せたいと、旅の間何度も思ったことを伝えながら。

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こうして待ち望んでいた旅が終わってしまった。デスクの上の、連れてきた素朴なシマウマを見つめては、あの風の渡る大草原を想い焦がれている。

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タンザニア 6

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ンゴロンゴロは外輪山に常に雲がかかり、雨も定常的に降るので細いながらも小川がながれ、湖ができている。
ぜひ見たかったのはフラミンゴ。ここにいるのは小さい型のフラミンゴだそうだ。塩湖に住む特殊な藻や小生物を餌にしているのだそうで、あの桃色はそれら餌のために生まれる色だそうだ。彼らは渡りで、すでに旅立ち始めているため、あまり残っていない。最盛時は何万羽という群れになっているとのことで、さぞ壮観だろう。空をピンク色に染めながら飛んでいく大群を見てみたい。

10頭もの子供を引き連れたライオンのお母さんグループが、年を取って群れを離れたバッファローを狙っている場面にも遭遇したが、ハンティングにはいたらなかった。ライオンは風を嫌うのだそうだ。サイも同じで、風が強いときはじっと伏して休んでいる。耳が飛び出しているからフルートのように鳴るのを嫌がるのだとか。

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のんびり回って、カバのいる池の周りのランチサイトへ。本日出歩いているジープがすべて集結する。30分ほどゆっくりして帰途につく。外輪山の山肌がとても美しく、有毒という黄色い花が一面に揺れている。ここの動物たちはセレンゲティより良く遊んでいるようで、インパラも無駄に走り回ったり、ヌーも鳴いたり走ったり、アクティブな様子が見られて楽しかった。カゼルのケンカではカン!と角がぶつかる音が聞こえた。こういうありのままの姿を見られるのが嬉しい。

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〈右はカバの足跡〉


ヌーは寄せ集めの動物と言われているそうで、角と体は牛、顔はバッタ、しっぽはシマウマ、ヒゲはヤギ・・それにしてもなぜにバッタが採用されたのか不思議である。そしてまったくバッタのようなへんな顔なのである。

見るべきエリアはちいさいので、のんびりじっくり観察をしても4時にはロッジに戻る。寒いので早く温まりたい。埃まみれでバサバサになった髪の毛をまず洗ってさっぱりし、暖かくしてラウンジにいく。ジョンがテレビのところで会おうというので。だが行ってみても見当たらず、暗くて寒いので窓際の明るいところにいって暖かい紅茶を飲むことにする。眼下に広がるクレーターの絶景を眺めながら静かにお茶をすするのもまた素敵な時間だ。

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〈瑠璃色がラベンダーブレスティッド。左小さいのがずっとみたかったハタオリドリ〉

〈右はヒッポプールのカバたち。彼らは素肌なので日中はつねに泥のなかでないといられない〉

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いつも旅の間、わたしはノートを書く。その時にしかかけない、当地の状況情報、想い、考察を、一人の時間を埋める意味もあってかなり膨大に残す。が、今回はそんな必要もないほど100%満たされていて、ほとんどお小遣い帳程度の記録しかしなかった。この時も書こうとしたけれども、大したことは浮かんでこないのだ。思うに、動物の営みを観察することはとてもシンプルな事ゆえに、くだらないことをごちゃごちゃ考える必要がないということだ。それが証拠に、最後にいったザンジバルでは山ほど書くという結果であった。
そしてセレナはソパと違って部屋でもWIFIが拾える、、、はずなのだが調子が悪くてほとんど無理だった。結果、ラウンジにいかないとつながらない。

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〈左、ローカルフードコースでやっとお目にかかれたウガリ(右上)。ゲキウマ!〉

〈右、食事から帰るとそっといれてある湯たんぽ〉

やがて日もとっぷりと暮れ、7時半からのディナーの時間にあわせて少し早めにいくと、毎日のメニューらしい、マサイのパフォーマンスをやりはじめた。上半身ハダカの褐色の人達は、ものすごくバネがあって、なかなかのアクロバットを披露している。すごいすごいと面白く見るのだけれど、ただひとつ、かなり遠いのに体臭がきつくて閉口する。

昨日と違って混んでいたせいか割合放置され、そして楽しみにしていたウガリはなかった。がっかりしながら部屋に戻って湯たんぽでほかほかのベッドにもぐりこみ、就寝。明日はとうとう草原を離れる日。去りがたい思いの中に落ちて行った。

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タンザニア 5

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ソパの朝は暗かった。大雨期だから当然降られる覚悟で、カッパから傘までもってきたが、ここまでずっとパーフェクトな晴天。さすがに最後で降られるか、と思いながら支度をする。おいしい朝ごはんをすませて、8時にお迎え。今日はンゴロンゴロのクレータの底に降りていく。

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〈左、バッファロー。年寄りになると群れを追われてしまう。右。ヌー〉

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ところでガイドのジョンは現在別居中?の奥さんと8カ月の女の子がいる31歳、マサイ族のお父さんと最大部族であるスクマ族のお母さんの間に生まれたらしい。とても流暢で綺麗な英語を話す。フランス語とイタリア語もできるというクレバーでちょっとシニカルな青年だ。当初はお互い硬かったのだが、このころにはかなり打ち解けてきた。

クレータまで降りる間、タンザニア恋愛事情などききながら面白おかしい道中を過ごす。ジョンがいったとおり、クレータまで降りると、空は晴れていて、すっかりいい天気。だけれどやはり風が強くて肌寒い。さっそく風のなかで休んでいる4匹の雌ライオンの群れを発見。チータの時もそうだけれど、発見したら仲間のガイドに教えてあげる。そういう実績がガイドうちのヒエラルキーに影響するような気がした。

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〈右はシマウマの群れ。わかります?このなかにサイがいるじゃん!ってジョンはいうけど。わかるかい!〉

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しばらく堪能してから高台にあがっていくと、遠くにクロサイがいるという。でもどれだけ目をこらしても、まったくわからない。なんど説明されても全くだめ。最後はカメラをかせといって撮ってくれたのだが、それでもわからない。

サイはとても臆病なうえ、数が激減しているから見られる動物としてはとてもレアだ。繁殖期以外はメスもオスも単独で行動する。激減して絶滅危惧種となっている彼らをみているとなんだか寂しそうで胸が痛んだ。ラピュタに残っていたロボット兵みたいに孤独だった。

弱い動物は群れる。一人でいられないからだ。強い動物は怖れがないから群れない。それが本当にしみじみと良くわかる野生の王国だった。
サイはその後、帰り際にもう一度出会って、今度はなんとか写真に撮れる距離だった。

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〈左はお隣の国、ウガンダの国鳥、カンムリヅル〉

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俗に動物のBIG 5というものがあるという。ライオン、ヒョウ、ゾウ、サイ、バッファローだ。
人気のキリンやチータははいらない。なぜかというとこれは、ハンティング目線だからだ。
ライオンはもちろん百獣の王として。ヒョウはその毛皮が珍重されたから。残る3種はその角による。要は勲章として壁やら床やらに飾るのに見栄えのする動物が選ばれているということだ。これを知ってがっかりした。人間はほんとにつまらぬことをする。

そして、こうして車にのって動物をみるのが自然破壊につながるのではないかという気がするだろう。動物たちを脅かしたり、人間が近づくことによって本当の野生ではなくなっているのも事実だろう。だけれど、旅行者がお金を落とすことでビジネスがなりたち、そのお金で動物たちが保護されているのもまた事実なのだ。そうでなければいまごろ、狩られたり生息地を追われたり、動物にとっては辛い環境になっているのは明らかだ。

セレンゲティが、もともと住んでいたマサイを追い出して国立公園として保護されるようになったは1951年である。タンザニアの独立が1961年だから、10年先立つことになるが英断だったとおもう。おかげで激減していたゾウもすこしづつ数を回復しているらしい。

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〈シマウマも湖の中にはいってるのが珍しかった〉

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そして残念ながらまだハンティングが許容されている保護区がある。生きるための狩猟でなく、ただ生き物を殺して喜ぶ神経は全く理解できない。少し前、誰もが知るライオンを射殺したアメリカ人の歯医者の話があった。こういう人間こそ駆逐されればいいと思う。

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タンザニア 4

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翌日は少しゆっくり朝食をとって8時スタート。チェックアウトを済ませてジープに乗り込む。
本日は午前中動物を観ながら戻り、夕方ンゴロンゴロのセレナロッジに到着という予定。

少し北の方にむかってまずはスタート。ハゲコウやかっこいい猛禽もたくさんみられたし、ライラックブレスティッドという綺麗な鳥も、ハタオリドリも、名前はわからないけれど道端のアリヅカに必ずいて、「ぴーちゅり~」ととっても澄んだ良い声で歌う鳥も、なんとしてもみたかったセクレタリーバードも、たくさんみられた。鳥がすきな日本人は珍しいとジョンはいう。

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〈左、みたかったセクレタリーバード。右はハゲコウ〉

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ジョンがガイドとして感じた各国人の特徴をおしえてくれた話が以下。特に他意はなく、聞いたままを書いてみる。

まず、鳥が好きなのはアメリカ人とイギリス人。日本人はとにかく小さいものが好きで、幼獣や小動物をみて「かわいい~」と喜ぶ。
フランス人とイタリア人は大物が好きで大物しか興味がない。アメリカ人が鳥をみて喜んでいると「なにがおもしろいんだ」と馬鹿にする。
イタリア人は加えて群れが大好きで大騒ぎする。

ロシア人は何が好きかというと、お酒とショッピング。撮る写真はバーとプールで、サファリの間、動物を見つけて後ろを振り返ると寝ている。そして「俺はキリンをみてないぞ」といって、空港でキリンの木彫りを買って帰る。
インド人は食べてばっかり。ロシア人とアメリカ人はチップをはずむからお金持ちのイメージ・・・。などなど。
まだ中国韓国はさほどいないようで、話題には上らなかったし、実際ほとんどみかけなかった。

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〈これもみたかったブチハイエナ!〉

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そしてセレンゲティの中央部、一番動物が集まるというセロネラで、樹成りライオン親子をみて、ランチは展示場があるところで。ガイド修行中の若い女の子が、ひとわたり展示を説明してくれた。15分ほどだけれどなかなか面白く、励ましの気持ちでできる限りのお礼をした。そして名残をおしみながらとうとうセレンゲティを去る時がきた。ゲートを振り返り振り返り、レセプションでチェックアウトの手続きをしてもらい、溜息をつきながらまたマッサージロードを揺られ、4時半ごろンゴロンゴロのセレナロッジに到着。

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〈ハイラックス。2種類いるのだが、こちらはキボシイワハイラックスというらしい。もう一種はミナミキノボリハイラックスでこちらは夜行性の為、見かけることはほぼないらしい〉

セレナはソパよりランク上とされているが、部屋自体はセレンゲティのソパのほうがモダンでファシリティも上等だったし広かったし、飲み物のサプライもたっぷりあった。
セレナはこじんまりした野性的な味わいで、ほんとに山のロッジという雰囲気。
2300mの高度にあるため、かなり寒い。部屋にもヒーターがはいり、レストランには暖炉に薪が燃えていて、スタッフは分厚いフリースのお仕着せだった。

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暖炉のそばの席に案内され、2日ともコース。ここでやっとやっと、食べてみたかったウガリを試すチャンスが訪れた。これがおいしい。ほんとうにおいしくて、動かずに食べ過ぎの毎日のとどめをさすがごとく、完食。頼んだのはローカルフードコースなのだが、この肉もとってもおいしくて、褒めちぎったらなんと山盛りにお代わりをくれた。もちろん完食。おかげで翌日から3日間、胃が痛くてまともに食べられなくなってしまった。

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満腹で部屋に帰ると、ベッドの用意ができていて、さすがに寒いので(5~10度の間と思われる)蚊もいないから蚊帳はないかわりに、こんどは湯たんぽが入れてあった。これはうれしかった。シャワーを浴びても手足が温まらずちょっと辛かったから、ほんとにうれしい心遣いだった。

ウガリというのは白トウモロコシの粉を練ったもので、マッシュポテトを想像するとよい。これがもちもちネチネチして、ものすごくうまい。市販品の商品名(メイズ)と作り方を教えてもらい、最後まで買おうとしたけれどとうとう買えなかった。帰国して当然さがしたら、アメ横で売っているので、商品名はちがうけれども無事入手。まだ作っていないけれど、あの幸せだった日々を思い返したいときに作ってみようとおもっている。

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タンザニア 3

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ゲートをくぐるとすぐ、ジョンが「ゾウサン」という。一瞬思考がとまり「象さん」であることを認識する。左右にそれぞれ1頭ずつ、樹の枝をちぎっていた。すこし高台になっているそのゲート付近からまっすぐに伸びる細い道の両脇に、ほんとうにほんとうに果てしない草原が広がっている。セレンゲティ、それはマサイ語で「はてしない草原」。

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そこに黒い点がびっしりと。それはヌーの大群だった。マサイマラへのマイグレーションだ。ここのところ雨が降らないので、ヌーも進行方向を定めかねているのだそうだ。セレンゲティでの最大のイベント、それはヌーとシマウマの大移動である。これが子供のころから私の脳裏に刷り込まれた映像のもっとも強いもので、広く世に知られている。

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ヌーはとても嗅覚が優れているので雨の匂いを嗅ぎとって進行方向をリードし、シマウマはとても目がいいから捕食動物を警戒して危険を知らせる。この2種がお互い補い助け合い、協力共存して大移動を成功させるのだ。

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〈左、ソーセージツリー〉

途中さまざまな動物たちと会いながら、ソーセージツリーもみたりして夕方、今宵の宿ソパロッジに到着。ハイシーズン1/4のお値段でとまれる。国立公園は道から外れることも許されない。当然、店舗等の人工物は最低限許可されたものだけになる。セレンゲティは宿泊してつは5軒のみ。キャンプ場が2つか3つか。乾季になると、水を求めて賢い象が、宿泊施設の貯水搭を襲うという。そのため常に銃をもって威嚇をするガードがいる。

ウェルカムドリンクと冷たいおしぼりのサービスを受け、チェックインを済ませて部屋へ。グレードが低いのかなんなのか、レセプションから一番遠い部屋の一つ手前。まあ、運動になるからいいのだが。とりあえず部屋でシャワーを浴びてテラスにでてみる。夕焼けに染まった大草原はどこまでも続き、鳥と動物のなく声が響いてくる。ただそれだけ。泣きたいほど幸せだ。

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お腹もすいたので7時半からのディナーには少し早いが、レセプションでしか拾えないWIFIを拾いがてら部屋を出る。さすがに山用の格好でははばかられ、襟のあるシャツなどはおっていく。実際そうでないと寒い。一人のディナーは誠に居心地が悪く、早々に退散。

 

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部屋に帰ると綺麗にベッドが整えられ、天蓋から柔らかで上質なレースの蚊帳が下りていた。キリマンジャロという名のビールでほろ酔い、テラスにでて星と月をみる。星はでも、山でみるほうがきれいだったかもしれない。

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翌朝。7時からの朝食を10分で済ませてレセプションに行くと、(朝陽を撮っていたら時間がなくなった)すでにジョンは来ていた。これは実はあまりないことのようで、ジョンが仕事に忠実な有能ガイドだからこそなのだ。通常はゲストにゆっくり朝食をとらせるスケジュールになるのだが(実際途中であった有名辺境ツアー会社の○遊ツアーさんたちは9時とかいっていた。ジョンが彼らのガイドから聞いた話。デコボコ道で疲れたからだと。)

せっかく貴重な時間とお金をかけてはるばるきているわけで、おかげさまで体力には恵まれた私はジョンのアグレッシブなやり方に無理なく対応できる。

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アカシアの樹冠をかすめるようにオウムらしき群れが飛んでいく。
朝のひんやりする空気の中をさっそく出かける。今日は丸々1日セレンでティを堪能できる。ジョンはジープの屋根を押し上げてくれる。これで胸から上は外に出る状態で、生身で草原を楽しめる。さっそくゾウの親子と遭遇。手を伸ばせば触れる距離だ。機嫌が悪ければ押し倒されかねない。

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〈セレンゲティは火山性の土地のため、地味が悪く、地盤も固く、樹木が根を伸ばすことができない。アカシアだけは横に浅く根を張る性質のため定着。このような岩の火山性のもので、コピエと呼ばれる〉

そして丈高い草の中をゆく雄ライオンの兄弟をジョンが発見。道から距離があるのでもたもたしているうちに見えなくなってしまった。多分あの樹の影でしっぽが2本見えたはず、というと、出てくるまで待ってみようという。15分くらい粘ったけれどもでてこなくて、わたしも自信がなくなったところへ、ジョンはガイド業に徹してくれたおかげですごい動画と写真が撮れた。大興奮である。

そこからはもう、夢のような1日。ここに居られる幸せに、何度も何度も、屋根の上で風に吹かれながら泣けた。ランチは木陰で。そしてトイレは車の後ろで道にしゃがんで。
わいるどだろぉ~~~。

一歩たりとも道からはみ出してはいけない。そこに叢や岩陰があろうとも。
これはよほどタイミングを計らないと非常にきびしい。なぜなら草原は遮るものがほぼないからだ。かなり遠くても後続がくればお尻は丸見えである。そしてタンザニアの人はバカバカしく目がよろしい。そりゃああの草原をみていれば目も良くなるわ、とおもう。遥か遠くまで何ひとつないのだから。人工物はもちろん天然物もほぼない。そして空ってこんなに広いのかと思う。。
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〈アカシアは根が浅いので、ゾウに押されて簡単に倒れる。ゾウは枝先に集中するミネラルを摂取するために倒すのだそうだ〉

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どこまでもどこまでも大きい空と大地。

動物もうれしかったけれども、セレンゲティで一番打たれたのはこのことだった

この日は大収穫で、無理かとおもっていた木登りヒョウとその獲物、もっと無理だとおもっていた3頭の赤ちゃん連れのチータまで見られて信じられないほどの幸運であった。チータをみつけたのはジョンの大金星で、ここから仲間のガイドに知らせるとみんな感謝しながらやってきた。チータには気の毒だったのだが、彼女も大して気にする風でもなく、木陰でのんびり休んでいた。美しい美しい野性のチータを3mの至近距離でいやというほど見ることができた。二度とないことかもしれない。

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〈木登りヒョウ!ヒョウに会えること自体めちゃくちゃラッキー!〉

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〈かっこよすぎる。右は朝ごはんのヌーの子供〉

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〈こちらもみられること自体レアなのに、さらに3頭もの赤ちゃん連れ。これ以上の幸運はないよとジョン。ありがとう。みつけてくれて。それも遠くから、耳がみえたからっていう。草原のなかでチータの耳がみつけられるってどういう視力をしているのか!すごいぞ、ジョン〉

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タンザニア 2

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深夜発の飛行機で普通に寝ていたからか、時間のズレ感もなく朝までぐっすり眠った。
まあ、いつでもどこでも眠れるのがわたしの特技なのだが。

キリマンジャロの麓、アルーシャもやや標高が高く、少し寒いくらいで、予備の毛布を上からかけた。ごく当たり前にベッドには天蓋から白いレースのカヤがかかっている。もちろんマラリアを媒介する蚊をよけるため。おしゃれのためではない。

8時半にピックアップなので7時半からのご飯にいく。誰もいないレストランに陣取って初アフリカごはん。エコノミーなホテルだから贅沢ではないが、多分トウモロコシの粉が入っていると思われるねちねちした餅のようなクレープ状のものに豆のソースをかけるのがとてもうまかった。期待したコーヒーはネスカフェでちょいとがっかり。

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そしてレセプションにいくとすでにジョンがまっていた。ここから北上していよいよセレンゲティに向かう。途中、スーパーで水を買う。政治上の首都、ドドマへ行く道と分かれて右折してしばらくいくと、マサイの血をひくジョンの生まれた村を通る。なんといったかな、蚊の沼とかいう意味の名前だとか。しばらくいくとマニャラ湖国立公園を通過する。いきなりバブーンが道端に群れている。道を半分屋根のように覆うシュロの葉の上を、コウノトリの大きな群れがわたっていく。もうこの時点で泣きそうに幸せになっている。

ンゴロンゴロは巨大なクレーターであり、外輪山が崖になってぐるりとそそりたっている。標高は2300mあるので結構肌寒く、雲の中である。その外輪山を登って越えた向こうにセレンゲティがあるので、一旦ンゴロンゴロに入場しなければならない。わたしのパスポートはサインが漢字なので、その読み取りだかなんだかに手間取ったらしく(通信状況があまりよくなく)しばし待たされるがHAKUNA MATATA (No Problem)。

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〈左、ンゴロンゴロの入場ゲート〉

ここからはサファリマッサージ、無料です、とジョンがおどけるとおり、真っ赤な土埃をあげてのラフロードとなる。だが、我らのジープは力強く進んでいく。途中展望台からクレーターの絶景を眺める。このクレータの下まで明後日に降りていくのだ。しばしまたれよ、動物たちよ。

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〈ンゴロンゴロのクレータを見下ろす展望所〉

外輪山をゆるゆるとおりていく途中には、ンゴロンゴロだけ居住をゆるされているマサイの人達の村が点在する。有力な男は7人まで妻をもち、たくさんのヤギと牛を飼って、地所も家も大きい。緑の草原に、点々と散らばる家畜と、赤い衣をまとった背の高いすらりとした人たちがいるのは、ほんとうに絵になるものだった。

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少し悲しかったのは、車をみつけると、子供がなにやら部族の言葉で叫びながら走り寄ってくることだった。多分なにかねだっているのだろう。そういう経験があるのだろう。彼らは彼らの伝統的な生活を守っているのだから、よそものがそれを乱すようなことをしてはいけないと思うし、彼らには毅然としていてほしい。よそものに媚びないでほしい。というのは旅行者のわがままであるが。

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〈マサイの部落〉

ところでこのマサイの人達の生活のために、森林が減っており(燃料として切るので)、サンダルの裏についてきた種により、有毒な植物が繁茂する事態が生じているらしい。どこにでもある問題だが、なんとかうまく折り合うといいなと願う。

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外輪山を降りると土が変わる。赤かった土が灰褐色に。ジョン曰く、火山性の土だから植物が育たないのだと。たしかにンゴロンゴロの外輪山は、雲に覆われ湿気も多いことから森が深かったのに、降りたところにはアカシア、それも小さくいじけたものしかない。地味が極度に悪いからだそうだ。

やがて初めてシマウマたちと遭遇。これまで人工的な囲いのなかでしかみたことのないシマウマは、緑の草原におくと実に美しい。張りのある美しい体躯は意外と小ぶりだが、毛並は少しも汚れていず光っている。ライオンでなくてもかぶりつきたくなるようなぷりぷりしたお尻には生命力があふれている。遠くにはダチョウの夫婦。そしてインパラも見える。

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海の中で魚をみるように、動物の普通の毎日をいま見ているのだ。彼らのいつもの生活。人間が自然の一部になっている世界。
しばらくいくとセレンゲティと書いたゲートをくぐる。ついに来てしまった。ここなのだ。

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〈草原で狩がしやすいため、猛禽がたくさんいてうれしい〉

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タンザニア 1

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この先わたしはどこへ行けばいいというのだろう。
こんなに幸せな旅をしてしまったあとでは。
何度も行きたいと思うけれども、多分最初のこの感動を越えるものを得るのは簡単ではないだろう。数あるアフリカの野生保護区でも最も素晴らしいと言われているセレンゲティ国立公園。

ペルセポリスよりもずっと前から、わたしの中で一番古くから長い間行ってみたいと思っていた場所。そして本当に行けるとは思っていなかった場所、セレンゲティ。その響きに風と草の匂いが感じられるセレンゲティ。

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誰にいってもほとんど反応のない往年の名番組「野生の王国」で常連だったセレンゲティの動物たち。、一番好きだったのは八木治朗さんの司会と、上野動物園初代にして名園長の古賀忠道さんの解説という名コンビ時代だった。古賀さんはわが郷土出身と今になって知った。ほんとうに素晴らしい解説者だった。物心つくころから動物は好きだったけれども、この方の影響は拍車をかけるのに大きかった。

心待ちにした当日は落ち着いて定時まで仕事をし、上野でご飯をつくり、支度を整え、9時半に出発。羽田発0.10のカタールは、ドイツからこっちずっと同じ便を使っている。今回は変更もなく定刻通り。しばしサクララウンジで過ごして機上の人となる。
毎度ながら深夜なのでご飯もパス。映画もほとんど見ないで寝ていた。

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ドーハ着が明け方5時ごろ。今回は乗り継ぎ2時間という余裕なのでゆっくりトランジットセキュリティを通り、まだゲートが決まっていないのでラウンジへ。やはり混んでいたがしばらくすると座れる。最後はボードとにらめっこして、やっと40分前に表示が上がったと思ったらLAST CALLという。そりゃないだろ。と思いながら急ぐ。しかもEゲートだからトレインに乗らないといけない。最後から2番目の搭乗という、意外に危ないところでいよいよキリマンジャロ空港へ向けてテイクオフだ。

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ドーハからしばらくは砂漠の上、そこから洋上だったが、航行の関係上窓はシールドを下ろさせられる。それでもキリマンジャロに近づくと思われる頃は我慢できずに少しシールドを上げ、光が漏れないよう両腕でカバーしながら目を凝らすと、大雨期のケニア・タンザニアの上空にはコッペパンのような雲が一面にポコポコ浮いていて、大地には赤茶色の筋が見える。枯川かとおもったら、逆に土で濁った大きな川だった。思いのほか緑も豊かな大地が続いて、やがて下降に入るアナウンスが機長から流されると、期待通りすぐ眼の下にキリマンジャロが現れた。残念ながら山頂が少しだけみえていて、ほとんど雲の衣をまとっていたが、これがアフリカ大陸最高峰なのである。みられてよかった。

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すこしづつ機体は方向を変えながら円を描いて高度を下げ、やがて静かにランディング。ついに降り立つのだ。初めての大陸。うれしい。素直にしみじみ喜びが体じゅうに広がっていく。

空港は簡単な建物で、タラップを降りて10mほどもあるけば到着。イミグレカードをかいたら一番乗りで窓口へ。指紋を採取されて通過。1ヶ月ほど勉強したスワヒリをさっそく使って挨拶するとにっこり。いちおうターンテーブルにのってやってきた荷物を取り上げて出口に向かうと、ネームカードをもったガイド兼ドライバーの青年が待っていた。愛想の悪いぶっきらぼうな彼はジョンという。マサイの血を引く31歳。

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とりあえず本日の宿へとむかう。アルーシャまでは40分ほどだったか。すっかり雲の中になったキリマンジャロを後ろに、右手にはメルー山をみながら、思った以上に綺麗に舗装され道端にはゴミも全然おちていないまっすぐな道をすすむ。

宿は寝るだけなので安いところにした(といってもたしか6000円くらいはしたような)。アウトポストロッジといってちょと町はずれ。しばらく休んだあとご飯でも買おうかと歩いてみたら、大きな通りにはとても立派な高級そうなホテルがたくさんあった。

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大きなお店などはほとんどUSドルが使えるので現地通貨は用意しなかったが、道端の露店や商店は無理なのと、さすがに夕方東洋人の女が一人で歩くのはあまりよくないので、手近なホテルの売店でも、とおもったのだが、売店という発想はないらしく、レストランでサンドイッチをつくってもらった。やまもりポテトがついて8ドル。結構高い。

ちなみに東洋人は他には一人もみかけなかった。

ほんとはそれよりもおばちゃんが道端に座り込んで売っていた焼トウモロコシがすごくうまそうだったんだけれど、タンザニアシリングもないし、買う勇気がでなかった。

タンザニアはトウモロコシが主食らしく、整然とトウモロコシ畑がひろがっていた。なかなか青々と背高く茂って、手入れもよかった。他に道端に顕著なのがサイザル。強い、ロープに使う繊維をとる植物である。これはドイツが支配していたころ、プランテーションが大々的に展開された名残だ。いまどきはさほどの需要はなくなったのだろう、大きな農場のようなものはみられなかった。麻というから、大麻草のような草かとおもったら全然違い、実はリュウゼツラン科の植物なのでサボテンのよう。見た瞬間そう思った。これも見るまで知らない事だった。世界は広い。

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そしてタンザニア・ケニアといえばエチオピアとならんでコーヒーだ。これは両脇にひろびろと農園が広がっている。初めて見るコーヒーは、思っていたのと違って灌木程度の樹高で、たくさん実がなっていた。コーヒーにはアラビカ種とロブスタ種があって、ロブスタ種は低地でも栽培可能で強いことから街中の農場ではこれが栽培されているらしい。

こんなことをジョンは流暢な英語で説明してくれる。ここタンザニアは、中南部アフリカでは比較的レベルの高い国のようで、経済成長率は7%を維持し続けている。まだ最貧国ではあるけれども、ドイツから独立したのが1961年(私が生まれた年ですな)、当時の大統領がなかなか立派な人だったようで、今でも国民の敬愛を集めているようだ。

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アフリカといえば思われる部族間の対立や内紛が、唯一起こっていない国であり、部族は150を数えるというが、建国当時民族による投票や結党を禁じたことが大きいらしい。アフリカというとスワヒリ語、と思い浮かぶくらいポピュラーな言語かとおもったらとんでもなく、実はタンザニア・ケニアの東沿岸に定着したイスラムとの混合文化から生まれた言語で、けして多民族言語ではない。これを国語として採用したことも、タンガニーカとしての一体感を生む一助となったそうで、なかなか立派だ。英語も同じく公用語で、よほどの年寄か教育を拒むマサイ以外は問題なく操る。

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そしてこのスワヒリ語がとても面白い。昨今は便利なものがあり、携帯のアプリで学習ができる。面白くやっていたのだが、普段あまり使わないフレーズがのっけから出てくるので違和感があったのだけれど、実際いってみると確かにまず使えるというフレーズで、これには驚いた。
洗うとか、磨くとか、拭くという単語、先生、生徒、技術者、樹、森・・。普通、外国語の始まりは数字とか曜日とかなのだけど、こういうのは全くでてこないのに妙に不自由しなかったのが不思議であった。

そうこうしながら、長旅と興奮の初日、いつのまにか天蓋レース付のベッドでぐっすりねむっていた。

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ついに

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やった。やっとカミングアウトできた。ほ~っ。

もう1ヶ月を切ったタンザニア行。いつ言おうかとそわそわしつつ、機会をねらっていたが、やっと本日業務予定確認の席でそろっと言ってまった。「おや、またどこかに逃げるんですか」といわれたけど、とりあえずするっと通過。まあ、いつものことながら通過するしかないわけなんですが。

 

だってもう、後戻りできませんからね。海外送金も終わり、無事着金の連絡もやっととどいて、すべて順調。

そんなことでいつになく気の早いことにすでにパッキング開始。ひさびさにバックパックで気楽だ。でも装備がいろいろと特殊。双眼鏡とか水着とかマラリアに罹患しないよう強力なDEET入り虫よけとかかゆみ止めとか。マラリアはごく普通に罹患するようで、おかしいなとおもったら現地で診察をうけないと、治療法・治療薬に経験のない日本に帰ってからだと治りがわるかったり後遺症が残ったりするらしい。

 

山もようやっとまともな山に近づけるようになってきて、先週は手始めに雲取にいってみた。

前白岩山からさきはすっぽりまだ雪の中で、林間は凍っているからアイゼンがあったほうが楽。わたしはなんと、冬靴を積み忘れてしまった上にカッパの上も忘れる体たらく。雲行が怪しくなって降ってきたので、芋の木ドッケまでで敗退。普段履きの安い運動靴も泥んこで沁みてきたし。とはいえ、かなりとばして歩いたから、トレーニングにはなった。。時間があったので、初めて三峰神社にお参りし、境内のありがたい温泉で汗をながす。これが意外と、といっちゃ失礼だが、結構なアルカリのいいお湯で、心身ともにすっかり浄化されて、非常にすがすがしかった。

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翌日はこれまた1年ぶりの自転車にのってみた。ほんとは菜の花盛りにのりたかったんだけど、今年は花粉が長かったのと菜種梅雨で週末がだめだったりで、やっと今週出かける。

夏日となったこの日、本当に気持ちが良くて、まだ菜の花もだいぶ残っていて、武蔵野の雑木の種々の緑にけむる若芽がとても綺麗だった。でも、自転車を楽しむ人が増えたのはいいのだけれど、やっぱりマナーは気になる。直前まできているのに対向から追い越して来たり、狭いサイクリングロードに群れで写真を撮るのにたむろしていたり、すれ違いで待ってあげたのに挨拶ひとつなかったり。

冬はほんとに好きな人しか乗りにこないから、ただのすれ違いでもいちいち挨拶したりして心ほのぼのなんだけどね。

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ガシガシ飛ばす必要もないし、リハビリだし、のんびりポタリングだから、途中のお気に入りポイントにもじっくり滞在。その1は通っていたバイク教習所のとなりのサーキット。本日はバイクと子供ライダーのチビバイク。次は迂回路の途中、たんぼのラジコン飛行機さんたち。そして最後は目的地の本田エアポートでスカイダイビングというお決まりのコース。

1年ぶりだといろんなことが変わっていて、まず整備中のサイクリングロードが一部綺麗になっていてびっくり。残念ポイントは本田エアポートの広場からはベンチが撤去されていたこと。風もあたたかく穏やかな南風で、真っ青な空にいきなりぽかっと湧き出てくるパラシュートに相も変わらず楽しませてもらった。 

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しかしつくづく思うのは、ほんとうに今暮らしているあたりはいいところだということ。ものの5分で素晴らしい荒川サイクリングロードにでられ、大きな図書館やプールや市役所も5分。郊外型の駐車場の広い大きな店もあちこちにたくさんあって買い物には苦労しないし、、複合型のモールもららぽーと、レイクタウンと東西に2大巨頭、ららぽなんてチャリで10分。かわっぺりの公園を始め、広々とした施設には事欠かず、山も近くて高速も近くてのりやすく、関越・東北へのアクセスは抜群。以前はつらかった中央や東名へも、圏央道の整備で楽になったし。上野もいいですけど、やっぱりわたしはここが好き。

 

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年度末年度初めと次の旅

          ヌーの大群

4月になって桜がさいてるようだが、それすらまともに考えられないほど忙しかったのがやっと落ち着いてきた。

ひょんなことから縁があってお世話になっているこの会社にもいつのまにか8年。最初は採用の仕事ではいったのだが、立ち上げから採用の仕事をしたのは1年半だけ。なぜなら当時の会社はできて4年もたたないうちに傾いてどうしようもなく、採用どころではなくなったから。

傾いている間は残業代もでず、契約社員のわたしは多分クビ寸前だったはずなのだが、どういうわけか購買の仕事に携わるようになって、ほぼ私一人でまわすようになり、なんだか妙な塩梅で居場所ができてしまった。1月からは業務改革で人生初というくらい大変でひどく働いているが、そんな心と体の消耗のカンフル剤は旅。

旅はまず、日程を設定するところからはじまる。

しかし経理購買業務の悲しさは、月末月初は絶対に休めない事だ。ということはGWももちろん暦通り。休める人は有休を消化せずに長期の旅が可能なのに。この不利を逆手にとって上司にアピールするには、その熱も冷めやらぬ5月中旬が最適。ここなら休めるかもしれない。

ところが。電車の行帰りにアプリで格安サイトをながめても、いつもとちがう。ぴんとこない。

実はヴェネツィアの旅がワタシ的には失敗で、いつもの激しい渇望がベースの旅の気合が減衰してしまったのだ。昨年3月のカンボジアはアンコールワットの旅も、降ってわいた旅だったけど、それはそれで本来のガチなバックパックの面白さがあったし、行く価値を感じられる旅だった。

さて。良く考えよう。わたしが行きたいのはどこだったか?旅馬鹿プロジェクトの資料をもう一 度みてみるんだ。

いや。見るまでもなく。死ぬまでに行かずにはおかない絶対の目的地は、カナダから北上するアラスカと、ラダックを経由してパキスタンのカラコルム山脈と、タンザニアのセレンゲティ・ザンジバルなのである。

アラスカとパキスタンはお金よりなにより、どうしても時間がいる。働いている間は無理だ。パキスタンは加えて治安情勢が大きい。これはいかんともしがたい。タンザニアは時間の問題は対処できるとして費用が高額なので、老後ダンナのお財布で行く予定だった。

が、70までは無理という。そんなにまてない。明日死ぬとしたら心残りじゃない?

じゃ、いく?いってみる?

ということで調べ始めてから3日。速攻で5月の旅が決まりました。

            

実はウズベキスタンに行った年、つまり4年前、そのGWはまだ休めていて、そこで一度検討したことがあったのだった。その時にやり取りした現地エージェントがとても誠実でよかったので再度掘り起こして連絡してみた。変わらず誠実な対応で、当時のスレから返信をくれるほどだった。費用の仕組みと旅程、はては自分ではとても高くてとれなかったチケットも関連会社で手配してくれて、ほぼ想定内の予算が組めた。

サファリというのは、南部アフリカの野生動物保護区内をルールに従って車に乗って移動しながら野生動物を観察するものだ。もともと横暴な植民地主義をまきちらした金持ちの欧米人が始めたものだから、初期設定からしてお金がかかる仕組みになっているようだ。宿泊は豪華なロッジが数軒しかない。さらにケニアはまだしもタンザニアは政府のレギュレーションが厳しく、民間の競争がないので、削るとすると宿泊しか削れないらしい。削るならば共同のテント泊しかない。なにしろロッジ以外は人間の営みは許されないので、食事だって全部お願いしなければならない。お店とかないですから。

あったらおもしろいけど。キリン専用バーとか。カバのスパとか。

そして5月は大雨期。テントだと水浸しになる可能性が高く、そもそも人が集まらず催行が不確定という。水浸しくらいなら山でなれているが、ここしかないという休みに催行されないのでは話にならない。

実は大雨期ということはサファリには適さない。車は泥濘でスタックするし、草丈も高く、動物は探しにくくなる。でも反対に緑濃く、動物は元気で丸々ふとり、ヌーもまだタンザニアにいて移動を開始する直前。さらにはオンシーズンには400ドルというロッジが130ドル程度まで落ちる。そしてオンシーズンのように人が多くて車も行列、動物をみるのも順番まちということもない。個人手配だから一人分アップもいらない。ドライバーも車も専属。これはチャンスだろう、どうかんがえても。

もっというならば、わたしは雨期でも土砂降りでもちっともかまわない。なぜなら「SALAAM MONSOON」の世界を体験できるのなら願ったりだから。「天は大地に注ぎ、大地は天に溶け・・・」という、あの歌の世界がみられるのなら。

大変だったのが海外送金の手続きと、ビザ。ビザはいつものことだけれど、海外送金の理不尽さには憤りを感じる。まったくもって銀行というのは心底怪しからんとおもう。だいたい日中抜け出して銀行窓口に長い間いられるわけもなく、しかもメガバンクの手数料は8000円とかいう法外な額でとてもやってられない。仕方なく一番手数料のかからない(それでも3000ほど)ネットバンクに口座を開設し、マイナンバーを登録し、うんぬんかんぬん。やっと送金できる状況までこぎつけた。

そんなわけで、アフリカや動物の本を読みながら楽しみに待っているのだが、問題はいつ、会社に申告するか、なのである。ギリギリまでいえないなぁ。

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