VENEZIA

その後

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2月26日、長年住み慣れた浦和の自宅から引っ越し荷物をだした。
ここに来るときにもそうした、玄関のフェンスを外す作業をせねばならず、そこには20年弱の間に大木に育った野薔薇が、アーチから屋根からに絡んでいて、これを切り倒したのだった。

そしてこんなことになるとは思いもせず、昨年6月にチケットをとり宿をとって計画していたヴェネツィアへの旅を4泊6日で終え、帰ったその日から眠る暇もなく引っ越しだった。

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毎晩、明け方4時まで荷造りをしてもしても片付かず、幸い今の家をすぐ空ける必要はないので、業者に頼まなければ運べない家具、家電、重い本や大きな布団など、2トン車2台に積み、サンショウウオの穴のように、一度入れたら簡単には出せない狭い都内の新居に無事搬入。
なにしろ狭い敷地の3階建てで、階段は細く曲がりくねって、家具は1階以外すべて吊り上げとなった。幸い、良い業者に巡り合って、一生懸命やってもらった。それでもまだ、3分の1以上ともおもえる荷物や廃棄物が、浦和の家には山のように残った。

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浦和の家をどうするか、というと、行く行くは売るか貸すかというところなのだが、当面はわたしが一人で住んでいる。いや、正確には猫と二人暮らし。わたしがいる理由がこの16歳になる年寄猫の為と、3月いっぱいは努めなければならない地域の自治会の班長役務のため。猫はかなり衰えているので環境を変えるのが過酷なのと、もうひとつは新居には家主があまり入れたがっていないからだ。たしかにロシアンブルーのダブルコートから排出される抜け毛は半端でない。

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その浦和の家で待っている猫のもとに、引っ越し当日の夜遅く一人で戻った。

戻って泣いた。予想もしていなかった衝撃に打ちのめされたからだ。正確には17年間、下の子が小学校に入るのを機に引っ越して住んだ浦和の家。こだわって建てた特殊なつくりで、荷物を出すときまでは何ら変化はないつもりだった浦和の家。戻ってみたその家はぽっかり暗い穴のようにがらんとして、ついさっきまであったこれまでの活き活きした慣れた生活が、目の前から突然消えてしまった事実が、今さらながらいきなり襲ってきて、わたしは茫然とした。

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17年間のいろいろな思い出があれやこれやと浮んでくる。

小さかった子供たち。にいちゃんが弟を肩車してふざけていた部屋。勉強をみてやった机。ロフトの階段から下の子が落ちた時、ちょうど来ていた留学生が助けてくれたこと。
それからしばらくの間、仕事をしていても電車にのっていても、ふいに湧いてくる喪失感と涙をどうすることもできなかった。

ついでにいうと1月以来仕事が大変で、毎晩遅く休みも出勤するような状態で、心も体も参っていた。

もういっそ、仕事もやめて、猫とふたりで山小屋に籠ってしまおうかと真剣におもった。

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3月。やっと仕事も少しおちついて寝られるようになり、猫との暮しにも慣れてきて、仕事が早い日には他の家族がいる新居でご飯をつくりに寄るのも楽しみになってきた。一人暮らしもいいもんだ、と思える余裕がやっとできてきた。なんたって人の散らかしたもの汚したものを掃除しなくてもいい。食べるものも納豆とチーズと豆腐とキムチで充分。お風呂だって洗面所だってトイレだって、全然汚れない。

家にもどるとインターネットも触る暇もなかったけれども、なんとか合間をぬってヴェネツィアの旅行記も書き終えた。http://4travel.jp/travelogue/11217821

81になる死に損なった母親がまた企画した演奏会の手伝いにもいってきた。久しぶりの早春の故郷は嬉しかった。のたりのたりした明るい玄界灘も枯草の間に芽吹き始めた田畑も。帰りたくなった。やっぱりしみじみ、わたしは都会の暮しには魅力を感じない。

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上野はそれでも自然豊かで環境もいいといいながら、やっぱり山の見える、空の広い、できれば海も見えるところに住みたいと思う。

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